2007年12月 4日 (火)

暗い場所に行くと熱くなる男がいる・SONY

R1143796R1143803_2 日曜の朝日に掲載されたソニーの全面広告は面白い。ようするに、ソニーの技術者さんが暗い場所で、デジカメの画質の研究をすると言うのが広告のテーマである。普通のデジカメ広告が「有名人起用」であるのに比べて、真面目な広告である。
ただし、あまりに真面目過ぎてその効果は弱いかも知れない。日曜の朝にこの広告を持ってきたから、読者はこれに眼を通す時間があると、代理店は読んでいるのであろう。
デジカメはすでに闇を克服しているのだが、ソニーの技術者さんにはまだまだ不満があるようだ。こういう広告のコピーだと、かならず「暗い場所でのノイズ」の克服こそが、良い写真への第一歩という構成になってしまう。
自分などは、森山大道さんの弟子を自認するわけでもないが、モノクロフィルムの増感現像での画像の粒子の粗いのが好きだから、ノイズはまったく気にならない。
よく、画質云々のデジカメユーザーで、ノイズがどうのこうの、、、という連中は、写真の腕は見なくても分かる。そういう連中の「ノイズ論」というのは、こういう広告からの受け売りが多いのである。
デジカメで暗い場所を撮影するときの問題点は、夜が夜のように撮影されない点にある。明るく写り過ぎて、安手のドラマのようになってしまう。だから、マイナス2位に暗い方向に補正してやるのが大事だ。
銀塩時代には、闇の克服は写真術の一大事業であった。10年近く前、新宿のJALホテルで、大道さんに最初のGR-1を手渡した時、大道さんは「このカメラは暗い場所でも写りますか?」と、まるで素人のような質問をした。この質問は重かった。森山大道は闇に向かう写真家だから、真昼の撮影でもそこには闇が銀の粒子の間から噴出しているかのように見える。
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R1143805 毎日、1台、お気に入りの銀塩カメラを持ってヒルズに来る。今朝はローマ製のライカである、ガンマだ。レンズはこれもレンズの第一面の凹面が好きなコシナのウルトロン。
第一面の凹面レンズには、他にはシュナイダーのマクロシネゴン10ミリとか、同じくシュナイダーの10ミリ(ただしアリフレックス用)がある。コシナの小林社長のレンズ製作のアイデアが尋常ではないと認めたのは、この35ミリの凹レンズを最初に見た時だった。
それとレンズの重量の問題もあり、、M39のスクリューの方が便利という事実もあるので、世界のツアイスZMよりも、フォクトレンダーのM39の方を愛用するようになっている。ガンマのアクセサリーシューは前にオフセットしているので、背面から見るとこんな格好になるのも好ましい。35ミリのライツのファインダーが付いているが、ガンマに一番似合うファイダーは戦前の逆像ビドム(それもブラックの)である。

R1143819 午後6時、お隣のグランドハイアットで、カレル・ヴァン・ウオルフレンさんのデジタルファインアート写真展のオープニングレセプション。

ゲスト多数の大盛況。駒村商会も駒村社長はじめオールスタッフ。

ハイアットの「神殿」という3fの広大なスペースはなにか日本の神殿を思わせる。そこで、110x91センチ大のデジタルファインプリントは、8x10からスキャンした精密映像である。

アメリカで撮影されたとおぼしき、風景の中に良い作品があった。

ウオルフレンさんと今度、8x10の大型カメラについて語ろうではないか、ということになる。会話の半ばに冗談で、少しドイツ語で会話を試みた。ウオルフレンさんは自分のドイツ語は正規の教育を受けてないから、駄目、というので、あたしのドイツ語なんか耳から聞いたのだから、もっといい加減ですよ、と大笑いになった。

高名なジャーナリストがこういう「真面目な作品」を制作しているのは尊敬に値する。

以前、やはり似たようなスタンスの人がいたなあ、と思いだしたのは、ニューヨークタイムスの写真評をしていた、アンデイ・グルンバーグ氏である。同じ雑誌の仕事をしていた関係でマンハッタンでは良く彼の仕事場に遊びに行った。アンデイは8x10のタチハラ使いなのでであって、四半世紀前に直接、王子のタチハラ写真機製作所にカメラを買いに行っているのだ。

その作品はモノクロの8x10のコンタクトでニューイングランドあたりの渋い風景写真であった。

それにしても、話題のグランドハイアットで写真展とはゴージャスである。

こういうホテルの使い方はクールだな。

カレル・ヴァン・ウオルフレンさんのデジタルファインアート写真展は7日金曜まで、グランドハイアット六本木3fの「神殿」で開催。時間は11時から21時まで。

これは見る価値がある。ついでになかなか入る機会のない、グランドハイアットも見学できる。お隣のヒルズに5年も居るのに、自分は今日が初めてだった。ちなみに、ヒルズの49fからホテルのエントランスまでは2分30秒。

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2007年11月21日 (水)

国際放送機材展に行く

R1143690 R1143693 INTER BEEとは、International Broadcasting Exhibitionであるという。

今年で第43回。場所は幕張メッセ。22日の木曜まで開催。一般のアマチュア機材ではなく、本物のプロ機材の現在を視るには格好の展示会だ。

冠スポンサーの駒村商会から招待状をもらった。親切なことに登録には時間がかかるといけないというので、展示者用のカードももらった。
この前、同展示会に行ったのは、、30年ほど前か、当時の場所は北の丸公園の科学技術館で開催されていた。カクカクした不思議な建物だった。

幕張メッセに行くのは10年ぶりかも知れない。このような巨大展示会に行った最後の経験は1998年のドイツのフォトキナであるから、これも10年ぶりだ。

あ、そう言えば、来年はフォトキナの年である。

まず感じたのは、参加者が真面目で熱心であること。ようするに、以前のカメラ用品ショーとかカメラショーで名物になっているような、会場のおねえさんおっかけの「カメラ小僧」が皆無である点。
その真摯な機材への興味というか、研究心が実に気持ちいい。

今回の自分の目玉は、駒村商会が関係している、グライドカム、センチュリー、アントンバウアー、ミラーなどの専門機材を見ること。

あ、上のブランドが何であるか、それは書かない。それが何であるか知っている人だけが来るような、レベルの展示会なのである。しかし、このメジャーブランドを駒村商会が全部関係していることに関してはかなり吃驚した。

駒村の展示ブースは5号館のスタンド5507である。ちょうどパナソニックと東芝、池上通信機のそばである。すごくいいポジジョンだ。駒村商会とパナソニックとでは、会社の大きさでは、自分の見解ではパナソニックの方が「ちょっとだけ大きい」という認識があった。

これはフォトキナの経験なのだけど、そういう真面目な、でもあまり大きくはない会社はホールの隅の方から探すというのが、自分の20年のフォトキナ経験則なのである。それで周辺を探しても発見できなかったので、、、不思議と思っていたらど真ん中に駒村商会のブースがあった。
凄い。

駒村社長は開会直後で飛び回っているようなので、先に駒村の専門家から、グライドカムのデモを見せてもらった。このカメラのスタビライザー装置はかっこいい。
ロボコップみたいだ。スタビライザーを扱うオペレーターは現代の「視神経のヘラクレス」である。

センチュリーは、自分は数本の超望遠レンズを持っている。1970年代、まだニュースを16ミリフィルムで撮影していた当時、センチュリーの各種交換レンズはステータスであった。今、所持しているのは、センチュリー300ミリ、500ミリであるが、それをアリフレックスSRや、エクレールに付けて使っている。往年のセンチュリーレンズはまだまだ現役だ。
最近のセンチュリーはプロ用の各種コンバージョンレンズを出している。

会場を巡った。
自分の見たいのは、まずソニーのデジタルシネマカメラF23である。パナフレックスやムービーカムのような、ムービーカメラスタイルのデジカメである。
これを会場で「礼拝」した。実にデジカメもこのクラスになると「信仰に対象」となる。R1143666

R1143678 もう一つは、ナックカメラサービス(その名前の懐かしさよ!)で、発見した、アリレックスのD20。フィルムスタイルデジタルカメラと銘打っている。

ソニーのF23はそのスタイルは、パナフレックス的なのに対して、アリフレックスD-20の方は真四角で素っ気ない。
昔のミサイルのトレッキングカメラみたいだ。

その脇にあった、最新モデルのアリのフィルムカメラのデザインはいい。これは欲しくなる。でも見直したのは、自分の持っている、2台のアリフレックスSR(1型と2型)のことだ。このオリジナルのデザインの良さを見直したのである。

放送機材展ではもうフィルムカメラは存在しないと思っていたのに、アリのフィルムカメラを見ることが出来たのは大収穫。

駒村商会のブースに戻ったら、駒村社長が戻っていた。北京のカメラデイラーの王さんと名刺交換する。田R1143669 中さんの名前は中国のカメラコレクターの間でも知られています、と、王さんは流ちょうな日本語で話す。うれしいことだ。

王さんの会社は北京では自分の一番好きなロケーションにある。すなわち、北京写真機城なのである。ここにはよく通ったなあ。

北京の西の方、五裸松という地鉄の駅から環状線を北に行ったところである。

記念写真を、という駒村社長のアイデアで、自分はグライドカムを「着せて」もらう。31年前に最初のステデイカムが登場したとき、フォトキナの会場でやはり「テスト」させてもらったことがあった。当時はアリフレックス35ー2cの改造モデルでモノクロモニタが付いていた。
あれは1976年だから、実に31年ぶりに、カメラスタビライザーを装着体験したわけだ。

R1143684 感想としては、肩載せ式のべーカムでもその操作は案外に軽い。2ー3日の訓練で自分もグライドカムオペレータになれそうだ。

マンハッタンの怪人、チョーセイさんが絶賛していたのが、グライドカムである。
もし、自分がオペレーターになったら、恐らく60歳だと世界最高年齢かも知れない。

放送機材展の機材の単価はコンスマー向けではないから、それは高価である。そこに夢があって楽しい。

アリフレックスとかソニーのシネデジタルカメラのような機材はレンタルするのが普通である。そこには物欲とはちょっとかけ離れた存在の感覚がある。

実にわくわくする、一日だった。

うーん、明日も行きたくなるな。

★撮影カメラはR7。あたしを撮影してくれたのは、駒村商会の新田さん。この人はかなり写真がうまいと思う。

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2007年11月19日 (月)

11.18東京大周遊

R1143647 朝、板橋は大原の浜出屋の増山の修ちゃんが、今朝、亡くなったとお嬢さんからメール。

高校時代、電車通学で、都電の中から見ていた焼鳥屋である。大きくなったらこういう店に入る大人になろう、、、と思っていたのだ。
実際に浜出屋さんに行ったのは、1980年にウイーンから戻って、その後の1年のニューヨークもあったが、それでも四半世紀以上は行っている。10年来、ガンと闘った人。明るい人。ちょっと堅物な人。しかもスポーツマンで、同時にカメラのことも詳しい。
無論、お膝元のトプコンファンでもあった。
最後に会ったのは(お店に行ったのは)この夏であったか、、、、、

何時、幽冥境を異にしても不思議ではないから、浜出屋さんに行って修ちゃんに会うと、これが何時も最後と思っていた。

そういう次第が何度も繰り返され、修ちゃんに会うことは即、自分が生きている時間であることを感じていたのだが、もう店の奥から修ちゃんが出てくることはない。

何かが完成されたというのか、人間の訃報はなにかが、清められた感じがするものだ。

通夜と葬儀は板橋は大原の真言宗「長徳寺」なのである。
その長徳寺で東京カメラクラブの撮影会をしたなあ。お子さん二人(おねえちゃんに、あんちゃん)がお店を継いでいるので、奥さんも安心であろう。

これからも、行くぞ!浜出屋!!

快晴の日曜にひかれて(という言い方はトリックである。天候の悪い方が撮影欲がわくものだ)
撮影行。
カメラは銀塩部門はM3のブンデスアイゲンツム。
オリーブ塗色の西ドイツの軍用ライカ。それにニッコール21ミリ。デジカメは例によって、GRD-2。

最初、有楽町に出て、ビックカメラで登場して1週間のα700のデモ機を見る。α100と比較してそれほど大きいという感じはしない。それは脇にあったα100と最初は区別がつかなかったからだ。時間が時間(日曜の午前)なので、デモ機(7台確認)には2−3人の人がついている、という感じだ。操作はやはりかなり速い。α100が値崩れしたら買おうと思っていたが、実際に手にしてみると(発表会の時には実機に触ってもあまり感想はなかったので)買うとしたらこれであろうな。

ただし、7台のデモ機のうち、2台はすでにバッテリーが上がっているのか、操作不能だった。「晴れたらライカ、雨ならデジカメ」でも書いたが、量販店でバッテリー切れとか操作不能のデモ機というのは、あれは展示しないよりも始末が悪い。

アキバでヨドバシのα700を見る。こっちは確認したら8台のデモ機あり。こちらのバッテリー切れは空腹のため、未確認。

8Fの西安にて、麻辛面。今日は日曜なので、平日より150円高の850円だ。お店は満員。

R1144071 JRにて田端駅南口。来週の日曜に福田和也さんと、en-TAXI関係の撮影遊行があるので、ロケハン。

この不動坂は、JRの駅からいきなり石段になるという意味では、相当に凄い。

リスボンのロッシオの駅の裏手が急が台地でそこから急な石段でバイロアルトに続いてゆく傾斜地を連想させるのが常である。

数年ぶりの田端は変わったところと変わらないところと半々だ。
七曲がり八折れの細い道を高級車が縁石に乗り上げないように、ゆっくり走行してその先の巨木の下の廃屋をゆっくり曲がるとその先にタイル貼りの今風のマンションがあったりする。

田端文士村と言うらしいが、足穂は一度だけそれがどういう理由か分からないが、「第三半球物語」を誉めた葉書が芥川から来たので、田端に芥川を訪問している。これが足穂と芥川の一回きりの会談であった。

不動坂の前で向こうから来た自転車の青年がすれ違いざま{こんにちは!」と言った。ライカで撮影中にマフラーを落としたことに気が付いたので、それを知らせてくれたのだと思って、「どうもありがとうございます」と自分は答えたが、後で冷静に考え直せば、マフラーを落としたのを自転車青年が気が付いたのなら、「おとしましたよ!」である。
「こんにちは」ではないはずだ。知り合いの顔ではないから、読者さんか?

日暮里の切り通しを下って、また急な石段を登って、道灌山に至る。
東京のダイナミックな景観は、この田端から日暮里にかけて、高台から下を見下ろす快感にある。自分は何時もこの高台を歩行ししつ、ここはリスボンでその先の開けた空間はテージョ河
であるという、風景の読み違いをして遊んでいるのだ。

この前、リスボンのアルファマを歩行しているときに、その逆の遊びをしようと思って、「ここは田端の高台でその先に広がっているのは、尾久、荒川である」と思い込もうとしたけど、うまく行かなかった。なにかの暗示に関する、重要な要素がそこに欠けているのであろう。

道灌山の高台の神社の参道はそのままJRの線路のしたを通過して、西日暮里の駅に抜ける。
京成とJRの踏切を越えて、日暮里駅前。

つい、この間、ここが再開発で駄菓子屋横町が閉鎖されたと思ったら、もう3年は経過したのか。駄菓子屋となりのモダンなビルの1fで営業している。
「植田のあんこだま」の「大」を買う。相変わらずその値600円にして廉価。

うぐいす谷まで歩行する。子規庵の前を通過する。笹の雪の古い建物はまさに路地裏の古い豆腐やのファサードである。
R1144130 東日暮里4丁目の木村伊兵衛旧居はどうなったか、、、10年ぶりに調査に行く。

その10年前、ここに来た時には木村邸の地所は完全に更地になっていた。それを「季刊クラシックカメラ」の創刊号で撮影した。その翌週かに、父が他界したのであったな。

10年が経過した木村邸はすでに古色を帯びている。日本の建築はその古び方が激しいのは、モンスーンのせいであろうか。
最期に木村さんが撮影した作品は2階の居室から、向かいの理髪所の縦位置のカットであったが、そこは今は駐車場になっていた。木村名人の存在した空間にちょっとだけ立ち入れるわけである。

木村名人がライカを構えて撮影した、お向かいの床屋さんもすでに新しいビルで営業している。思えば、33年が経過しているのだから、当然か。

徒歩、下谷から入谷に抜けて、そこから地鉄にて広小路。広池でかじき、えび、つぶなど求めて、大江戸線にて佃。

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2007年11月10日 (土)

1972年木村伊兵衛の佃

R1143562R1143563_2 1972年。
木村伊兵衛兵さんが撮影した月島とか、佃の作品は沢山あるけど、こうして駅ばりのポスターで見ると、また違う魅力が発見できる。

前にちょっと触れたように、この撮影場所は、毎日、リバーポイントタワーから月島駅に行くまでの「通勤路」なのである。

木村さんのスナップは実に抜き打ちのリアルさがある。

この画面で想像するに、撮影は1972年とあるからかなりの晩年の作品で、実に肩の力が抜けている。

もともと、名人木村の撮影は肩の力の入っていない、脱力系であるのがその魅力なのだけど、晩年に至ってその技が天性に昇華された感じがある。

まあ、ライカはM3かあるいはM5であるわけだが、この場合レンズに注目したい。

50ミリレンズの名人使い手であった木村さんであるが、これは35ミリの広角レンズのようだ。

木村名人の愛用の玉は、ズミルックス35f1、4 かズミクロン35f2のわけだが、これは昼間の撮影であるし、レンズのゴーストの入り具合からすると、どうも後者のようである。

飴細工のおじいさんは、ちょうどタバコを一服しているという、「決定的瞬間」だ。

文豪がシガレットに点火しているショットはいやみなものだけど、こういう労働の間のタバコの感じは悪くない。

タバコはこの場合、ブランドで言えば、朝日とか敷島というわけには行かないが、願わくば、いこいとか、

シンセイなどであって欲しい。あ、わかばでも可であるが、ゴールデンバットば失格。

この三角公園は当時は滑り台があった。今はない。その代わり、背景の桜はかなり成長している。

昨日の行動。
午前11時すぎに銀座のレモン社。
気になるライカを購入。同じ機種はこれで4台目だが、270台ほどしか生産されていない、ライカM2である。これはクイズのようなもので、名前は伏せておく。

午後10時までヒルズで仕事。
午後6時、筑摩書房松本さん来。打ち合わせ。その後、クラブで六本木ヒルズ麦酒。
ここの「日本風タパス」というのはなかなかいける。最近のクラブのつまみとしてはヒットだ。以前、バルセロナで120種類のタパスを一度に撮影したことを思いだした。
松本さんは立石方面に詳しい。立石駅前の「うちだ」もよく知っている。よって日本路地裏学会の葛飾支部長(この響きは渋い)に任命した。

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2007年11月 9日 (金)

嗚呼、アルマーニ!

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以下、引用。

(読売新聞 - 11月07日 13:33)

 イタリアの高級ブランド「ジョルジオ・アルマーニ」などを展開するアルマーニ・グループは7日、東京・銀座に大型旗艦店「アルマーニ銀座タワー」をオープンさせた。

  銀座5丁目の晴海通り沿いの地上12階建てビルで、店舗面積は約6000平方メートル。同ブランドの店舗としては世界最大級という。地上3階から地下2階 までは、衣料ブランドの「ジョルジオ・アルマーニ」と「エンポリオ・アルマーニ」の売り場とした。このほか、インテリア売り場や120席あるイタリア料理 のレストランなど、同ブランドの新業態をビル内に結集した。5階には同ブランドとしては世界初のエステサロンも出店した。

^^^^^^^^引用終わり。

アルマーニには怖いめにあった。

昨年の4月の末にミラノに居た。

日曜の朝、と言ってもミラノで午前11時前といえばモンテナポレオーネあたりは、まだ町並みが眠っている。

レオナルドも歩行した石畳を靴音をならして歩行して、アルマーニのビルのコンプレックス(一大街区を形成している)の道の向かいまで来たら、アルマーニカフェでまだ開店前で準備をしている。それがちょっと良い感じだった。

エプソンR−D1sには沈胴の90ミリのエルマーが付いていたから、その撮影距離は30メーターはあったであろう。

自分のスナップショットは迅速である。瞬間的にカメラを構えて瞬時に撮影した。だからそのフレームに入った準備中のお店の人だってまったく気がつかない。その筈だった。

40年近くスナップショットを撮っているからそういう迅速な撮影が出来る。ところがお店の人は自分の撮影に同時に気がついたのである。

それがガストロノミーであれば、ツーリストが撮影していることに気がついたら、笑いかけたりポーズをとったりするのが普通である。

80年代には雑誌の取材でミシュランの★が沢山ついている店を取材したりもした。そういうのは事前に打ち合わせが出来ているから、まあ協力的なのは当然だが有名店でしかも道の反対側からツーリストが撮影した場合の、お店の対応はおおらかなものであろう。

それで、午前11時前の開店前のアルマーニカフェで何が起こったか。上の男女の表情を見てほしい。左の女性はカメラマンを指差して警戒している。右の男性は驚愕して首を不自然に右に倒している。

撮影するな!

と、大声で「恫喝」されたのである。

長い長い撮影経験でこれは初めてのことなので、かなりびっくりした。

似たような「撮影禁止」経験は1970年代の東欧時代にポーランドの駅で撮影中に「密告」されて、ポリスに尋問され、撮影済みのフィルムを没収されたことが一度。

二度目はこれもポーランドで1982年の3月にワルシャワ空港で撮影済みのフィルムを30本ほど没収されたことくらいである。これは数日の取材でどうも尾行されていたようだ。

「ツーリストだ!」と言ったら「ツーリストが数日の滞在で30本も撮影するか!」と言われた。まあ、ごもっともな意見だ。

上の二件は、昔の東西時代の話であるから、それはそれで納得が行く。

一方、ミラノのアルマーニカフェで「撮影禁止」をくらったのは、実に不思議であった。

相当に凄いところだなあ、、、と思った。

最初は働いている男女の「自意識過剰」のせいかと考えてみた。

しかし、バーで準備をしている仕事中の二人の労働者がそこから30メーターも離れている、路上の撮影者に神経過敏というのは、かなり不自然だ。
これは会社側のマニュアルでそれと決められているのではないか、と考えたのである。

上のアルマーニの事情というのは、当然ながらショップ内での撮影が駄目なのは、これは常識として受け入れよう。しかし、路上からガラス張りの店内を撮影して、それで恫喝されるとは、これは間違っているのではと思う。

それで、日本のアルマーニにカフェがあるのなら、それを見たいと思って、昨日の午前中に上の記事を参考に出かけたのだが、東京の方向音痴の自分はくだんの、アルマーニタワーを発見できなかった。
これは後日の仕事にしよう。

上の「恫喝事件」で、思い起こされることがある。
以前、アパレル関係の人に聞いた話だが、パリ、ミラノあたりで新作がウインドウに登場すると、それを撮影してアルバムにして日本の関係者に販売するカメラマンの仕事があったという。あちらさんにしたら、これをやられたらたまったものではなかろう。

夜の撮影なのであるが、ウインドウの反射が邪魔になるから、巨大なフードを付けたカメラで撮影するそうだ。それで一目散に逃げるのだという。今もそのようなビジネスがあるかどうかは知らない。

自分のミラノでの風体が怪しいので、そういう「盗撮カメラマン」と勘違いされた可能性はある。ともあれ、大好きな伊太利亜での嫌な記憶は、上のインシデントである。
それに比較すれば、ナポリの裏町で金時計をひったくられたことなどは、むしろ懐かしい思いでである。

未だに、この「撮影禁止」は釈然としない。願わくば「道の反対側からでも知的財産の当店は撮影禁止」という内部の規定があるのか、それともないのか、アルマーニのプレス担当者(ミラノの)にご意見を聞いてみたい。

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R1143588 午後3時、岩波書店の賀来さんと打ち合わせしていたら、いきなり芝浦方面(と、思われる)で火災発生。

カメラはキャプリオR7。こういう場合はGRDも、GX100もかなわない。なんせ、200ミリ相当の望遠がついている。(かなり初心者的発言だけどこれは事実)

この規模は第三出場であろうか。東京消防庁の赤白の防災ヘリも飛来。

実はこのヘリのデザインは、知り合いのデザイナーさんの作である。これを見るたびにその人を思い出す。

^^^^^^^^^^^その件につき、続報あり。防災ヘリがかなり低空に飛行するのを視た。

以下、引用。

マンション火災、ヘリで救助=屋上に一時3人、負傷−東京   
(時事通信社 - 11月09日 19:01)
 9日午後2時45分ごろ、東京都港区芝の7階建てマンションの7階に住む建設業宮本義昭さん(65)方から出火し、7階部分の約144平方メートルを全焼した。屋上に宮本さんと母親(88)、妻(61)が取り残されたが、東京消防庁がヘリコプターを使い母親と妻を救出し、宮本さんも階段を使い避難した。

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2007年11月 8日 (木)

11.07東京大周遊

R1143509 R1143487 昨日の行動。
プラハの2週間の影響からか、向こうの午後5時に日記を更新すると、極東の午前0時という「味」を覚えた。
その癖がついていたのだけど、日本の時間帯に戻ってくると、午前0時に更新すると、そのまま午前0時に更新になる。
分かっているようで、そこらへんの事情がよく分からない。問題がありそう。

それで昨日。
は、快晴。
まるでリスボンのような、サウダーデを含んだ青空である。人間、暗い曇りの日よりも、こういう宇宙的な郷愁を催すような、ウルトラマリンの空に存在の不確かさを感じて、メランコリーになるのではなかろうか。

大江戸線で、昨日は森下とか、両国でおり損なって、結局牛込と横寺町に、足穂追想に行ってしまったので、その過ちは再度おかすまい、というので、意思の力で両国で降りる。
小岩行きの都バスに乗る。
これについて子細あり。およそ、都バスの両国小岩線には、必見の名所が何カ所かある。そのうちのひとつは、小岩駅に近くなった進行右側で川を渡る時に、右手に巨大なめがねのフレームが登場することだ。

これは前号のデジタルカメラマガジンに、夕暮れ時にカラーとモノクロで同時に掲載した。
ニコンクールピクス5100というコンパクトカメラで、モノクロとカラーが同時に撮影できるという、不思議な機能がついている。それを検証した画像がこの巨大眼鏡のカラー、ありなしなのだ。これは、野々宮BMWからの撮影なので、前景に野々宮のあごが映っている。

こういう眼鏡である。

R1143540

もう一件はそのずっと手前、京葉交差点のちょっと前あたりであったか、それとも亀戸であったか、酸素販売のお店で、実に渋いのがある。
この店は実に昭和40年代の商店建築を代表しているような、ファサードである。ペイントの白の一色がさらに「すがれて」いるのでなにか戦前のウオーカー エバンスの「アラバマ1938」というような感じの建物だ。

今日は快晴なので、その「小林酸素」のファサードにさらに「サウダーデ」が加わって泣きたいような永遠感覚がこれに付加されて。
無論、都バスの疾走中の車内から、アウゲンブリックでこれを仕留めるのだ。
今更、言うまでもないが、これはロバート フランクのニューヨークでのバスからの撮影の真似なのである。

下の画像が「小林酸素」店。これは「オーツー屋」とでも言うのであろうか。

一番上の画像はこれもこの路線バスの謎の停留所。その名前を「森林公園」というのである。何処が??
周囲はごみごみした町並みだ。ここに森林があったらさぞかし良いであろうという、願望から出来たバスストップなのか。

ドイツのイエナの市内のさひれた駅にパラダイスというのがあった。まだ失わざる楽園とは、メカスの映画のタイトルだ。森林公園は一種のパラダイス願望である。
中央林間とか、本物の森林公園の剽窃でもあろうが、ああいう遠方よりも近所の森林公園。

今日は小岩駅界隈にはポリスの数がやたら多い。そここに二人組が立っている。
都バスに乗っているうちに、東京に戒厳令が発布されたのかと思った。

小岩の中古カメラ店に行ったら、水曜なので休み。

東京の東の方はカメラ店が水曜が休みというのが多い。ソ連製カメラ元祖のキング2が平井にあった当時、何時も行くとかならず水曜で休みだった。そういうジンクスで、人生でかなり損をしているのではと還暦を機にそういうことが気になる。

キング2はその後、渋谷の東急本店前という、およそ似つかわしくない所に出店した。
今は、西新宿の木造2階建てのモルタルだ。キング2といい、映画機材の墨東のレトロ通販といい、すべからく「本物を扱う店」はモルタル建築がマッチする。さらにレトロ通販の場合には、入り口で「トイレのスリッパにはきかえる」のである。
工場でスリッパにはきかえるのは、シグマとコシナが自分の知る限りの大会社であるが、他にもあるだろうか。これは現代から見れば、逆にステータスである。

小岩駅から、「環七シャトル、東京ねずみーランド行き」という、京成バスを発見した。
それで、ねずみーランドまで400円だ。一度も行ったことのない魔境であるから、このチャンスを逃すと一生、行く機会がないからと思ったらが、さあ、ここだ。
そんなに「生き急ぐ」ことはない、と思い返して一之江駅でおりる。
まさに間一髪であった。

大江戸線にて、月島を通りこして、午後2時半にはヒルズの49f。
仕事@ワークスペース1。
そこからシュタイナーのM22でねずみーリゾート方面をしばし偵察した。

R1143549これが 午後4時の東京。

手前は、伊太利亜製のライカ、ガンマ。レンズはウルトロン35ミリf1、7。今更であるが、性能はズミクロン35ミリよりずっと上。

今日もデジカメはR7。

GR-2は何時出るのかな。

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2007年11月 6日 (火)

岩波書店から曙橋方面

晴れ。その後曇り。
R1143390_2 プラハより戻って1週間。
月曜日。

午前11時に岩波書店。
編集部の桑原さんに会う。新しく開始された「岩波写真文庫」の復刻版の「田中長徳セレクション」の選定の為の打ち合わせ。

岩波写真文庫は小学校の当時(文京区立小日向台町小学校)に図書室にずらりと揃っていた。その赤い縦縞のストライプがお洒落な感覚だった。
それから40年以上経過して、地方を旅したりして古書店を訪問した時などに、買いもとめて結構な数を持っている。

それが半世紀経過して、復刻版が出ることになった。第1回目は赤瀬川原平セレクションで、これはすでにリリースされている。
300冊に近い中から原平さんの選んだのが、1950年当時の時代をそのままに回想される内容の写真文庫で、これが非常に面白い。
たった半世紀前の日本と世界はこんなにも、今とは隔たった世界であったのか、ということが面白い。

復刻版というのは、実に不思議な存在である。手元に日本の文学の復刻版があるので、時々、それを手にしてその時間差の不思議を体験することがある。
漱石の猫などはその代表的な例であって、自分は教科書で読んだし、文庫で読んだから、そういうシンプルな存在だと長らく思っていた。

本物の「猫」は、これは実に立派な装丁の美術書的存在である。そういう本はすでに稀覯本になっているわけだが、復刻版は往時の本の存在感がそのままに手に出来るのが痛快だ。
「本のマイムマシン」だ。

時計の世界などでは、復刻版は権威であり、名声である。
著名なブランドの時計でないと、復刻に値しないからだ。

カメラの場合、時々、登場何十年記念というので、名門ブランドのカメラメーカーが復刻版をリリースするが、これは往時のそのままというわけではない。
当時の気分を盛り込んだ、という一歩手前で留めているから、自分のような復刻フェチには、ちょっと満足できないところがある。

その意味では、復刻フェチの赤瀬川さんは、千円札まで復刻して、それで国家と渡り合った人である。写真文庫はゼロ円札ほどの価値はなかったかも知れないが、それでも当時の売価は100円である。
その100円の写真集というのは、当時は破天荒であった。
100円の売価の本を復刻するという「それがどういう意味であるのか、今だにはっきり掴めない」というところを、出版するというのが、岩波の面白さである。

激論、4時間で、来年に登場する「岩波写真文庫田中長徳コレクション」の選定が終了。
ああ、そう書くのは正しくなくて、その編集部に「人類の文化遺産」が存在したのである。
名取洋之助のアメリカ時代の撮影したシリーズのコンタクトプリントのスクラップブックがそこにあったのだ。

我々、写真家は、「同業者のコンタクトプリント」に弱い。
オリジナルプリントの場合には、これは「最終商品であり、芸術である」わけだから、それはそれで結構だけど、写真家のネガのコンタクトは、あれは「生殖行為をそのままに開示している」という意味で、かなりのわいせつさがある。
だから、コンタクトは第三者に見せないのが普通である。

それを2冊も見る機会があった。
ニューヨークの近代美術館の写真部にも、写真家のコンタクトはほとんど収蔵されていない。
だから、「興奮」した。

名取の仕事は、コンタクトプリントで見るに、無駄玉を撃っていない。そこが凄いと思った。

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新宿線にて、曙橋。ここの駅の側のカレー屋でラムカレー。680円。

ここのカレーはチエーン店であるが、本場そのものだ。昨年、デリーに行ったのがちょうど今頃であった。デリー中央駅の南側の市場の菩提樹の木に下の「野点カレー」は野菜カレーであれはうまかった。

自分のような「外人客」が来ると、席をつくってくれる。その席というのは路上の敷石である。

坂を登って、アローカメラに久しぶりに行く。カメラの在庫をチエックする。

戦前のライカのコンパートメントケースがあった。ライカのコンパートメントケースは、初期のものは良いが後期のモノは縫製が良くない。このケースのケース(変な言い方)は、初期モデルなので、しっかりしている。こういうモノは現今には復刻版は造り得ないだろう。現代に
これだけの技術があるとは思えない。

ついでにアローカメラ3fの「ギャラリーちょーとく」で、某氏のホーチミンシテイのモノクロのスナップを見る。

露天の人。屋台の人。通行人、買い物客。
そういう人がみなカメラに向けて笑いかけている。
ああ、ヴェトナムというのはそういう国であったな、と改めて思い出した。
路上で撮影して「肖像権が云々、、、」と、文句を言われる恐怖の国がこの国であったな。

その足で、バスでヒルズの仕事場に行くつもりが、時間切れにて地下鉄にて銀座。

デパ地下で、買い物して佃に帰。

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2007年11月 5日 (月)

筑地から銀座、京橋、佃

L1110556a 日曜日。
フランスはアビニオンの近くの村で開催の展覧会の撤収に行ってた、パベルは無事にプラハに戻ってきた。

2週間ほど前、スデクゆかりのプラハ南部の古生代の岩山の池の前で、「でぶしろ」ならぬ、「しらとり」と「国際交流」をしている、ツーリストのスナップが届く。

金曜に日本電波ニュースのトップの人は95歳だかでなくなったという記事が朝日の夕刊に出ていた。

その記念写真がすごい。上のツーショットもそれなりであるは、その方は「ホーおじさんとのツーショット」なのである。

これはブラピと2ショットなどより、ずっと価値がある。その日本電波ニュースのプラハ支局の人の家に泊めてもらったのは、これは無論、1970年代のことだが、お名前も、そのいきさつも完全に失念している。

その支局長の話で、「報道統制がきついので、熱気球大会とかどっかのムラ祭りとか、そういうマイナーなニュースしか拾えない」とこぼしていた。
その時に、夕食の時にTVで、英雄的な芸術家、スデクの番組をやっていたので実に驚いた。

その日本電波ニュースの支局(自宅兼)の機材はベルアンドハウエルンのフィルモであった。これも時代がかっていて、懐かしい。レンズはアンジエニューの3本セットだった。やはり報道関係はすごい、と感心したのを良く記憶している。
その支局の場所は今、思うと通りからすると、空港に向かう「ヨーロパスカ」である。つまり、今のプラハのアトリエのすぐ近くなのである。

プラハの悪天候に比べ、東京の晴れているのが実に不思議だ。
もっとも、プラハのお天気カメラによれば、あたしがプラハを去ってからはどうもお天気は良いようだ。

自分の居た、10月の13日間は1時間ほどの快晴が3回あっただけだ。

時差順応訓練で、佃から月島を南下。

晴海通りの角の高校の同級生の神田君の経営の「おたべ鮨」の場所は55階だてのタワーになるそうで、目下、旧建物のアスベストの撤去作業中。
新店舗(仮店舗)はちょっと行った角の建物に移動していた。

1月前にお店の前を通過したのだから、日本のその手の速度にはまったく付いて行けない。

筑地でカレーでも食おうと思って波除け神社の前まで来て、本日休市であることを思い出す。
波除け神社の前に、西ヶ原のにおわす偽ライカ同盟旧和国の「国猫」たる「でぶしろ」と良く似た、これよりちょっと痩せているので命名して「ややでぶしろ」を発見。
しばらく観察する。

撮影しようと思ってポケットにR7を探って、佃に忘れてきたことを発見。
もっとも、フィルムを使うミノックスは持っているが、それで撮影するほどのこともない。

筑地場外の寿司屋の混雑は一通りではないが、その客筋を観察するに、TVのお店紹介番組を見てそれをまるのまま信用して来た来たような純情なカップルと家族連ればかり。
まあ、ミシュランの2008年日本版を見て来る連中よりは、性質は良いか、、、。

路地で、通行の客にチラシを渡している、寿司屋のアルバイトのおっさんが居る。

「うちは、中身で勝負」とか言っている。その一軒先のしもた屋の中から、おばちゃんが「その店は評判が一番悪いよ」と、今チラシをもらった客に聞こえるように言っている。
情報戦略恐るべし。

デジカメ戦略では、こういう足の引っ張り合いはないのかな、、、。

銀座に出る。

ホコテンにて、自分の歩行する地面なし。
蒼惶として、裏路地に逃げる。

ここはがらがらである。都心の一極集中のモデル地区だ。
プラハから持参のフォクトレンダー(ただし、信州中野ではなく、ブラウンシュバイク製)の二眼レフのスパーブで撮影。フィルムはスデク好みのフォマパン200。
途中でフィルム切れにて、持参のエクタクロームとなる。

今日は20000歩は歩行するつもりなので、そのまま銀座から佃に戻ると、運動不足になるから、大きく迂回航路をとって、新川のギャラリーノットイコールに、行く。
展示を見る。

事務所に画廊男佐藤の姿なし。
しかも私物とか金目のものは、そこに置いてある。
ゲストブックに「3:40pm だれもおらず ぶようじんなり」と記してもどる。

晩餐。
家人のリクエストにて、最近、世の中に流行のカレーしゃぶを用意する。
カレーソースはデリーのカシミール。これに、オーストリア製の(断っておく、カンガルーの居る方)牛の肉の薄切り、エリンギ、しいたけ(浅田恵理子の嫌いなもの)焼き豆腐、葱、レタスなどを用意。

ライカインコは今日はなかなか段ボールに入らないので、まだ開宴が出来ない。
飛び込むと「インコなべ」になってしまうので注意が必要。


R1143373 ジョナス・メカスの「365フィルムズ」を楽しみにしている。

http://www.jonasmekas.com/

今日は、10年前のリトアニアの独立の時のメカスのビデオである。いかにも東欧としか言いようのない、工場の様な場所で、道はどろんこ。

その中央に換気ダクトがベルリンの壁のように構築されている。

数人の男達がそれをパーカッションめいて、ドラムのように叩くのである。
メカスのビデオの画面の隅に、映画撮影機が写ったような気がしたので、後で解析してみたら、果たしてアリフレックスのかなり古いBL35-1で撮影をしていた。

普通はアリ35BLは、左目でファインダーを覗くのが普通だけど、このカメラマンは右目でアイピースを覗いているのが、ちょっと珍しい。

やはりアリはステデイカムで撮ると、ハリウッドめいた嫌みがでる。このような肩載せの手持ちショットが正統派だ。

それで思ったのは、このショットはニュースか、それともフューチャーか知らないが、いずれもしても、その画面は「劇映画」のように写っているであろうということだ。それもモノクロで撮影されていれば、最高だな。

そういう「プロの最高機材」(当時の)で撮影する意味と、メカスのような、昔は安物のボレックスH16でで、そして今はちょっと時代遅れのソニーのビデオカメラで撮影しているのと、どちらがクラスが上なのかと言えば、やはりこれは比較にはならないのである。

映像関係のプロフェッショナルな指向は、ともすると最新の技術、最高の画像に走ってしまう。しかし10年前のメカスの「いい加減なホームビデオ」の方に真実が宿っているのは、言うまでもない。

今のデジカメの画像競走など、きわめて時間の近視眼的サーキットで闘われていることも、認識する必要がある。

仕事終了。
先月の29日に書く予定だった、アクシスの原稿だ。
それが終わって、嬉しいので、mixiの「偽ライカ同盟」に書き込む。
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R1143374 「偽ライカ天気予報」
田中長徳です。
先週、プラハから戻りました。
デザイン雑誌axisでカメラデザイン論を書いてます。
次回は偽ライカ同盟にも関係が深い、チエコ製のオペマの話。
実機がないので、仕方なく2台買ってしまいました。

一方で、この11月から年末に持ちたいカメラを佃で捜索。
カメラジャングルから、フェドシベリアを発見。坂崎流に言えば「ヘド」です。
下町なまり。
この11月の上旬はヘドシベリアで、大荒れの天気になるでしょう。

これが、あたしの偽ライカ天気予報です。
さて皆さんの天気予報はいかがですか?
^^^^^^^^^^^
お答えは、mixiの偽ライカ同盟の方に御願い。

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2007年11月 4日 (日)

東京大周遊

R1143362 まだ、時差状態だ。
常のことながら、復帰まで7日はかかる。
睡眠パターンは、午後7時に寝て午後10時ころ起きる。それから朝の5時に寝て朝の10時過ぎに起きる。
なにか、一日が2回くるような感覚だ。

遅れに遅れたエアフランスのパリ経由の今回のラゲッジは三日遅れにてようやく到着。
せっかくバッグに付けた「フライングブルー」のタグがどうも裏目に出たようだ。心配していた、バター(日本では無縁バターを買う習慣なし)だが、どろどろにならずに原型をを留めて到着したのは嬉しい。
それとスエーデン製のクネッッケブロート、wasaも到着。
これ、日本で売っていないので困る。プラハに行った時に仕入れてくるのだ。これを朝に食べると体調よし。

昨日は東京大周遊。(上の画像は南千住。ここには昔の東欧の気分が横溢していて、好きだ。カメラは、R7、、、最近、こればっかだな)
と、言うほどでもないが軽く東京の週末の混雑する箇所を回って、しみじみとカルチャーショックを味わう。

到着した荷物の中のフォマパンの120の撮影済みを大量にビックカメラに現像に出す。これにて今回の本当の任務は終了。やれやれ。

デジカメコーナーはどうなっているのか、、、と、チエックするに、フィルムコーナーがかなり狭くなって、そこまでデジカメの展示が津波のように押し要せいた。
これは実によいことだ。
フィルムカメラを使うjこと、フィルムを買うことは、だんだんステータス化してくるわけで歓迎できる。

発売が前倒しになった、α700はまだ展示はされていなかった、そこにはα100とα700の性能を示すスペック表が展示されている。R1143324_2
デジカメを知らない一般人なら、その数字だけ見て「α700」は凄いと思うのであろうが、一応、デジカメアナリストの自分から視るとその性能は僅差である。
だから実用デジタル一眼レフの観点からすると、α100の方が効率が良いように思う。このスペック比較はあまりやらない方が販売戦略上は良いのであるが、誰がこれを展示したのであろうか。
ソニーの販売関係の指示なのであろうな。

アキバの8fに「刀削面」を食べに行く。R1143325
駅構内で、ペンタックスのデジ一の巨大広告を見る。ささやかなもうけを追求する筈のデジカメが、こんな場所にこんなにでっかい広告をうって大丈夫か?と心配になる。(それでなくてもペンタックスは心配なのに)

世界三大カメラ賞受賞、とある。
さて、三大カメラ賞とは、どこの何と言う賞であったか、まったく見当がつかない。そこが広告の上手い手であった、こっちの方が「集客効果」はありそうだ。

ヨドバシにて、8ミリフィルムの在庫の状況をチエックする。それから、この前到着した、NIZO 801 の測光用バッテリーを捜索するが、あれは水銀電池であったのだから、そんなモノが今あるわけはない。代替バッテリー探しの楽しみができた。

もう存在しないバッテリーを捜すのはなかなか面白い。数年前には、スピードグラフィックのソレノイドを操作する角形の電池を世界規模で捜索した。EVERREADY 412 という22,5ボルトの特殊電池である。これはアメリカの写真機店にあったので10個手に入れた。
スピグラのソレノイドのバッテリーはもう、死ぬまで心配なし。

日比谷線にて、南千住、
再開発のコーナーとその周辺を「日本路地裏学会」として調査する。
再開発の角地の駅に近い部分は案外に、狭い部分にて、古き良き南千住はそのままに「保管」されていたので一安心。
路地裏学会としては、通り抜け用のパネルでかこった「新路地裏」に興味がある。これも日本路地裏学会の研究すべきテーマである。

R1143335 いつも、そこでカツサンドを販売している、コーナーがあってその脇のラスベガス風の金の柱も存続していて、一安心、ここは南千住のシーザーズパレスである。

歩行を転じて、大林。泡盛を2はい。
徒歩、金太耬すしにて、おみやげを買い、都バスで八重洲口。そこから都バスを乗り換えって佃に戻る。
なにか、4日前のセントレア帰りをそのままリフレインしているような「旅」である。
つまり、錯覚で、プラハから戻ってくるのも、大林から戻るのも、同じ公共交通手段というのが良い。

目下、注目している、東京メトロの「昔の東京シリーズ」の駅貼りポスターに注意している。
木村伊兵衛撮影の1972年の佃のショットを見て、それがどこであるのか一発で見がついたのが、年の功だ。

その話はまた後でしたい。
ちなみに、このポスターのキャッチコピーはあまり感心しない。コピーライターの尊大とモノ知らずと、その場かぎりのやっつけ主義がそのままに出ている。こういう言い方はコピーライターへの最大の讃辞である。
名取洋之助ではないが、こういう写真につける、キャプはその内容によって、どうにでもなる。
まあ、営団じゃなかった、東京メトロのトップがOKしたのだから、結構であるが、、、、。

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2007年11月 3日 (土)

木村伊兵衛と桑原甲子雄

R1143319 R1143318 東京。

昨日の行動。
日本カメラの前田編集長に会い、打ち合わせ。

銘機礼讃3の束見本を手にする。
これがそれだ。
いわゆる、昔流行した「白い本」であるが、これをノートにするわけではない。
本の仕上がりを見る、ダミーなのだが、毎回、ゲラを校了するよりも束見本を手にするときが新しい本が出るな、という感慨がある。

R1143321 3週間ぶりにヒルズ。
相変わらずのメンバーに会うのが、嬉しい。
ヒルズからの観察によれば、天候は「プラハなみのどんより日」である。1974年に最初にウイーンで迎えた冬は、この光の不足がショックだった。

それで、この悪天候を我が家では「ぼんぼん日」と呼んで、すでに三十数年が経過した。その意味は、昔の童謡で「雨が降ります、雨が降る、、、、、」というのを、音羽の手回し蓄音機でよく聞かされた。

童謡にしては、なかなか暗い内容であって、それは幼年の時、これから生きて行く現実を直視せざるを得ないという意味での、教育的な童謡である。

その歌の通奏低音が一貫して、「ぼんぼんぼん、、、ぼんぼんぼん、、、」と歌の背後に流れるのである。
それで「音羽語」では、天候の悪い日を「ぼんぼん日」という。

夕刻まで仕事して、佃に戻る。
月島駅の地下道を通過中に東京メトロの80周年の記念ポスターというのを見る。最初いい写真だな、と思い、次ぎの瞬間には、その作者がだれであるかが瞬時に分かった。

横位置の上野駅の地下鉄の入り口のショットは、昭和10年代のライカ青年、桑原甲子雄の作品だ。
縦位置の花火見物の写真は、木村伊兵衛の1950年代の作品である。

前者は桑原青年はライカC型のエルマー付きであろう。後者の伊兵衛作品はまだ、ライカの3fの時代であって、M3ではないはずだ。

ライカのスナップは斯くあらねばという理想の作品で、まさに駅貼りポスターの傑作だ。こういうのを見ると、今まで好きだった浅井慎平のいいちこのシリーズも色あせる。

モノクロのスナップがこういう使われ方をすると、目の前のあさぎの幕が、チョンと切れて、そこに歌舞伎座の粋な舞台が出現した感じになって、痛快だ。

地下鉄の広告は、これはわざとデンツーがキッチュにしているのではと思えるような、例えば、車内マナー集の子供を使ったのとか、警察官募集のとか、とんでもないのが多い。

さらに「ぽんたの広場」と称して、信楽焼の狸を駅に列べたのなどはタイガーバームガーデンも裸足で逃げ出すか、それともヒルズ系の若いげーじつ家の作品か、と思えるようなびっくりモノが多かった。
茅場町駅の「金閣寺のインスタレーション」と「熱帯魚の展示」などは意図せずにそうなったのだとは言え、直視できなかった。

実に見直したぞ、帝都高速度交通営団。

ああ、そうそう、、、この画像というか最近のブログの画像は全部、キャプリオR7である。

さすが、こういうカットはレンズの歪曲が目立つが(と、メカライター気取り)まあ、7,5倍のズームレンズなのだから、これはこれで良い。まさかこういう変形のポスターであると思う人もあるまい。

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2007年11月 2日 (金)

KCチョートクカメラコラム168回

★銀塩クラシックカメラ

プラハでスパーブを2台買って分ったこと

二眼レフが好きで、各種もっているがまだフォクトレンダーのスパーブには手を出していなかった。なにかツアイスの35ミリ二眼レフコンタフレックスに似て、下膨れのデザインが好きだ。戦後の日本で幻の35ミリ二眼レフとして知られる、アイレスの試作した、ヤルーフレックスにも似ている。

言うならば、今、流行のメタボリズムデザインだ。自分の体型がそれだから、近親感を持つのである。

あれは、10年前だったか、ついに決心して銀座の中古カメラ市でスパーブを購入した。これがよくなかった。そこでお金を払っておけばよかったのであるが、初日の中古市の開幕した直後だったので、お店の人にそのままあずけて、1時間ほどして引き上げに行ったら「間違って他のお客さんに売ってしまった」とのことだった。

こっちも「おとな」であるから、怒りもしないし追求もしなかった。そういう取り置きのカメラがウインドウの奥に置かれていると、他のお客さんが「先客が手をつけたカメラ」が欲しくなるものなのである。なにかお店の人が断りきれない事情でそれを売ってしまったのであろう。銀座のこれは老舗カメラ店だからそういうことはいけないのだけど、そういうことだってあるだろう。

しかし、いったんそうなると、なかなかスパーブとは縁がないという先入観があって、そのまま忘れていた。それで10年が経過した。

それがこの1月と8月とそれから今度の10月にプラハに行った時、スパーブの在庫を確認していた。
プラハの最大手のフォトシュコダに2台あって、他の小さい店に1台あった。

1月と8月のプラハ往きの時には、それが欲しいとは思わなかった。その存在だけ認識していたのだ。それが今回のプラハではスパーブが自分を呼んでいるのがよく分かった。意を決して買いに行ったら、上のフォトシュコダの在庫は一つだけになっていた。そのカメラのシャッターが悪いので、諦めた。でも、やはり日本で修理して使おうと思って、翌日それを買いに行った。そのカメラを手にしたら、なんとシャッターが「完治」していたのである。

と、言うのは勘違いで、故障のカメラは店の奥に引き取られて、その変わりの在庫が出てきたものらしい。うれしがって、アトリエに持ち帰ってテストしたら、フィルム巻き上げの調子がどうも悪い。これも買い手の勝手であって、大体、最初のトヨペット時代のカメラが完璧なはずがない。これは生産から70年以上経過しているカメラである。

スパ−ブは1933年のカメラであるが、最初のモデルは赤窓で合わせてスタートを出して、あとはセミオートでフィルムを送るのだけど、その調子が悪い。
8枚以降は正しくカウンターが作動しないのである。

その翌日、他のカメラ店でもう一個の同じカメラを見た。
こっちはフィルムカウンターは大丈夫だ。ところがそのカメラは昨日買ったカメラに比較して非常に高い。前者の倍以上するのだ。

店主は「これはそんじょそこらのスコパー付きではない。珍品のヘリアー付きだから高いのだ」と値引きに応じない。スコパーでもヘリアでもこれがモダンコシナ製なら「そういうブランドのレンズ」ということで済んでしまうが、こっちはオリジナルということで、店主も強気だ。

たしかに、スコパーよりもヘリアーの方が「芸術的な写真が撮れそうな気分」が濃厚である。今、大流行のその実、実態のまったくない、インチキ商法に「プレミアム」というのがある。本当の一流品はそんな変な名前は付けないものだが、分かり安く言えば、プレミアムレンズというわけだ。

結局、その持ち主に電話してもらって、直接交渉して少しだけ値引いてもらった。その価格はプラハの給与生活者の平均月収の1/3である。(わざとここではその月収は伏せておく)

こうして2台のスパーブがアトリエに揃った。
1933年の前期モデルと、1938年の後期モデルである。
それぞれの撮り比べをして、ヘリアとスコパーがどのような写り具合をしたのか、、、、
そこにはブランド戦略の秘密がある。それは次回のブログで。


★デジタル一眼レフよりも、コンパクトデジカメ

趣味のライカM8でも、実用のエプソンR−D1sでも、何を使おうが、それはユーザーの「商品選択の自由」である。

コンパクトデジカメであろうが、デジタル一眼レフであろうが、ハッセルブラッドのバックにつける、3000万画素の巨大デジタルバックであろうが、予算と目的に応じて選択すれば良いのである。

デジタル一眼レフもその意味で、各社の有力モデルが出そろったので、この12月のボーナス戦線はにぎやかに札束乱れ飛ぶことであろう。

しかし、、、、何かが変である。

一言で言えば、各社のデジ一はそれぞれに個性的なつもりなのであろうが、長年、銀塩カメラとつきあって来た旧カメラ人類から言わせてもらえば、最新デジタル一眼レフには、それが欲しいと思って悶々としたり、それで体温があがるというような、純粋な物欲刺激系の感覚が最初から欠如している。

どれも、カメラより電化製品の存在感。
1年で型遅れ必須。
3年でお払い箱。
これはカメラの本来の存在感ではない。自分のライカM3は半世紀経過しても、物としての存在感に満ちている。もともと両者は違うものなのだろうか。

各社のデジカメは「エンブレムを目隠しして見たら、どれもまったく同一に見えてしまう」という悲しい存在感がある。
各社のデザイナーさんの練りにねって製作したモックアップ以来の、「伝統芸」を批判するつもりは毛頭ないけど、デジカメの無個性は誰の責任なのか?

比較して言うのなら、16ミリのフィルムカメラがある。もともと、デジタル一眼レフは最高級機でも、そのボデイ価格は100万ほどのものであるのに対して、プロ用の16ミリ映画撮影機は一番安くても、その全盛期には700万円はしたのである。それぞれのカメラは個性的なデザインであって、よくフィルムクリューが遠方で仕事していても、その撮影機のデザインで、それがドイツ製のアリフレックスなのか、フランス製のアトーンなのか、瞬時に判断できた。

今のデジタル一眼レフには、「デザイン上の個性が欠如」している。カメラはスペックより、デザインである。欲しいカメラではなく、あこがれのカメラであって欲しい。
これが重要ポイントだ。

デジタル一眼レフのデザインが無個性だから、コンパクトデジカメを使うのではない。
コンパクトデジカメの歴代の機種で、あれは個性的であったな、、、と、今でも記憶しているのは、ニコンクールピクス100があるのみだ。実際、あれは良いデザインだった。だから今でも記念にその本体を所持しているのである。

コンパクトデジカメをデジタル一眼レフより、自分が上位に置くのは、デジタル一眼レフは「常時使用携帯できない」のに対して、コンパクトデジカメは「持っていることすら忘れる」ことにある。
カメラの最大の任務は、それを「常時携帯」することにある。コンパクトデジカメの場合、そのセオリーにあっている。

例えば、警察官や保安要員が携帯している、拳銃である。
あれはデジタル一眼レフよりも軽いかも知れないが、常時携帯するには重いし大きいであろう。だからホルスターに入れて、これは何時使うかも知れないか、その関係の人はこれを常時携帯しているわけだ。

拳銃のようなスタイルの銀塩カメラにドリューがあった。似たようなデジタル一眼レフで、拳銃のようなスタイルのカメラがあったら、これは欲しい。

今のデジカメは総じて、物欲からの極北存在にある。
ようするに「デザインがどうもね、、」なのだ。
オヤジの持ち物というにので、有名俳優を起用するのもそりゃそれで結構だが、、、。

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日本の不思議と男性ポートレート

東京。
帰国3日目だ。

今回は家人の帯状疱疹で色々と家事手伝いがある。
その方が時差から脱出するのは容易であるようだ。

毎度のことながら、帰国当初は日本で普通にあることが実に不思議に思えてくる。
早朝、家人が実兄から受けたメールによると、実兄はお孫さんの幼稚園の入園の願書の受付の為に深夜の2時から提出に行ったそうである。

ローカルタイムの午前2時というのは、深夜である。常識外れである。
そういうことが常識というのなら、この国の常識はかなり進化しているわけだ。

昨日は終日、佃にて原稿書き。
締め切り間近の連載を2本。AXISの連載記事はまだ書いていない。
明日が2日の締め切りだが明日、書く。

日本カメラの前田編集長よりメールあり。
遅れていた「銘機礼讃3」の見本は月末に出るそうである。
ということは、発売は12月になってからか。
あまりに時間がかかったので、忘れかけていた。

一昨日の名古屋空港での自衛隊機の墜落事故の件で、パリから帰国時に脇に座っていた、神田愛知県知事がTVニュースに登場していた。最初はその方であると思わなかった。というのは写真家という商売は一度見た人、会った人は完璧に記憶しているが、それは視神経がそのアングルで憶えている目の記憶なのである。

だから飛行時間11時間15分の間の自分の記憶は横の神田知事の横顔だけである。それと眼鏡の種類はよく記憶している。それがコンソールの上にしばし乗っていたからだ。
ゆえに、正面のお顔は拝見していない。だからセントレアで荷物のピックアップ時に向かいに立っていた荷物待ちの紳士は正面から見ていると、知らない人なのである。

それが出迎えの関係者に挨拶するか何かで、横を向いた瞬間、脇に座っていた人の記憶が蘇った。
こういう顔のアングルに関係する記憶は良くあることだ。

正岡子規の場合、世の中に流布している有名な画像は左向きの顔写真だ。これは戦後の「文化人切手」にもなっている。
しかし、自分の知る限り、子規の正面からの顔写真はあまり無くて、子規の学生時代のがあるくらいだ。これはまだ無名時代の子規だから、こっちとしては有名になっての晩年の時代の良く知っている子規の肖像を期待してしまう。

男性の経済人のポートレートを沢山撮影した経験によれば、経済人でも撮影慣れしている人は、カメラマンからすると逆に撮りにくいものである。
ソニーの大賀さんとか、京セラの稲森さんはその意味で、カメラマンには協力的だけど、反面、そのお顔は「アニュアルレポート」めいた自信に溢れたにっこり顔になってしまう。
当方が撮りたい方向は、それとはちょっと異なるのだ。いずれにしても、女性ポートレートよりも男性ポートレートの方がずっと難しいことが、最近になって理解できた。
R1143303
帰国して、ebayで落札して忘れていた、NIZO 801 makroがドイツから到着していた。
黒い方のカメラがそれだ。
銀色の方のは、NIZO PROFFESIONALで、801
よりも高級機だ。
70年代にこういう世界最高のカメラをOEM生産していた、コシナは偉い。

スーパー8の8ミリカメラというのは、10年ほど前までは時代遅れの代表のように思われていたが、最近は違う。

フィルムはまだ手に入るし、その現像には1月も待つというのが、まさに「貴族趣味」である。
だから8ミリカメラを持って撮影している、60年代の英国王室などのニューズはなかなか格好良かった。今はああいうシーンはデジタルビデオであろうから、その意味では興ざめには違いない。

デジタルビデオよりも、映画撮影機の方が、それを所持して操作している人間の知的レベルが高いように思われるのは、まったくの錯覚に過ぎないのだけど、その錯覚にはやはり説得力があると言うべきだ。

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2007年11月 1日 (木)

プラハ・巴里・セントレア・佃

R1143085 一昨日のプラハは珍しく良い天気だった。
プラハを午前10時5分のAFで離陸。
R1143190 12時前には、パリ。
飛行機の窓から、コンコルドを視た。これは昔は夢だったが、ついに乗る機会を逸した。

それから夕刻までラウンジで時間を潰す。本当はそこで仕事をしたかったのだが、最近のパリのラウンジはネットが有料だ。
それもかなり高い。

以前、まだJALがワンワールドに加入したいなかった当時、CDG1のFクラスのラウンジは接続が無料だった。

いや、あれはダイヤルアップが無料だったのか?こういうちょっと前の時代のインターネット関係は記憶があいまいだ。

CDGはやや遅れて離陸。
日本から来た時の航空路と異なり、かなり北側を飛行。それでもロッテルダムとアムスの夜景が綺麗。
スエーデンのヨーテボリの南を飛行したので、またそれで見当を付けて、持参の航空地図で遊んだ。ここらへんはトラフィックが激しいので、夜の空は見ていて目が回るほどだ。

隣の席の紳士はVIP待遇でJALの関係者さんが席に案内してきた。

きさくな紳士で巡航高度になってから、いろいろお話した。なんでも「エアポートセールス」とかで欧州各国を回ったというので、一体何であろうかと思ったら、セントレアの会社の関係の人らしい。その紳士は後ろに居るのはレントレアの会長です。と言った。

それならこの紳士はそれではどういう人なのか、それが気になったが、さっそく話はカメラの話題になった。

くだんの紳士は10年間、ミノックス35を愛用していたそうで、あのコンパクトなところがいいと言う。

それはそうです、、、ミノックスは何時も持ち歩けますと、自分はGパンのポケットから自分のミノックスAを取りだして見せた。
それから、デジカメとか銀塩カメラとかの話になった。

こういう場所ではあまり長い間話に興じるのはよくない。

それからは、窓越しに作り物のようにピカピカ光るオリオンとその下側のオリオン星雲。さらに天頂に見えるかなり出の遅い月を見ていた。
これがすばらしかった。天空も、それも誰にも見せることのないドラマである。

明け方になって、操縦室からの連絡でその紳士に「xxに電話連絡してください」とチーフアテンダントがなにかささやいている。

操縦室から連絡とはよほどのことである。それがなにか気になったが、それはプライベートなことだと思った。

夜が明けて、新潟から山岳地帯を飛行した。
プラハで連日の悪天候だったから、眼下に広がる山岳はまるで、ジオラマのように見える。

R1143277 高度が下がってセントレアにアプローチする光景はまるで地中海である。天候が良いので、海の青さは絵の具のようだ。

セントレアに到着して、その紳士と名刺交換をした。

名刺には大きな字体で、

「愛知県知事 神田真秋」 
とあった。

吃驚した。

後になって、上の電話連絡云々は名古屋空港の自衛隊のジエット機の事故連絡であったことに思い当たった。これは新幹線の「電光ニュース」でそれと知った。

荷物をピックアップするところで、またびっくり。
プライオリテイハンドリングのはずの自分の荷物が出て来ない。いやな予感がしたので、地上の係の女性に聞いたら、案の定、パリで積み残したという。

HISのツアーの荷物がばんばん出てくるのに、Cクラスの自分の荷物が積み残しはないだろう。

このプライオリテイハンドリングというのは、どうも最初に荷物を積み残されるという意味のようである。10年前にウイーン=パリでやはりそういうことがあった。
それで書類の手続きをして空手で空港を出た。

一つ、心配なことがある。
バターの250グラムが2個入っているのである。向こうなら問題なしだが、この日本の「暑さ」である。

バターがどろどろになったら、これはAFにクレームを付けるべきであろうか。
それにしても、待ち時間が5時間あるのに、これを積み残したのは何か意図的な背景があるのでは、、、と邪推したくもなる。
バター云々は冗談にせよ、中のプラハを撮影済みのモノクロフィルム50本のことが気になる。

セントレアの係の対応はなかなか良かった。
こういうクレーム処理の担当者は実に難しいものだが、若い女性でよくやってくれた。
これは合格点。

セントレアから出て、新幹線に乗るので、初めて「快速特急」の特別車両というのに乗る。
ここでも吃驚したことがあった。R1143287
周囲のお客さんがみんな、チケットホルダーという前の席の背もたれについた紙ばさみに自分のチケットを挟んでいるのである。

世界中の鉄道を取材した経験からしても、チケットホルダーはここだけだ。
誰が考えたのか、凄いのかばかばかしいのか分からないグッドアイデアである。

そのまま、のぞみで東京駅。
都バスでリバーシテイ21で下車。
13日ぶりに戻る。家人はまだ帯状疱疹は癒えず。
一方、ライカインコは元気いっぱい。

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東京、佃。

最初の東京での睡眠は夜中に目覚めて「自分の人生の拠点はこんなに頼りないよるべない場所なのだ」と感じるのは常のことだ。
その感覚は心地よい。これは老人の鬱とは意味が異なる。

時差にて11時前に起きる。眠い。

しかし、ジエットラグに感謝であろう。

以前のシベリア鉄道と郵船では片道1月である。時差など問題ではない。

銀行やら買い物やらで佃で雑事。

うちに時にとなりのタワーのim原さんに遭遇。この紳士とは佃界隈で良く会う。ようするにワーキングデイにうろうろしている老人の不審者がわれわれ二人だ。

エスカレータすれ違いざまに「あのチケットホルダーはアムトラックにもありますよ」と、教えてくれた。本ブログの真面目な読者さんなのである。この方はどちらかと言えば、ANA系だ。

感謝。
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スポンサーサイトで見た、
http://www.anone.cz/zobraz.php?id=A6
が面白い。

ちょうど、カレル大学の日本語専攻の学生さんと話をしている感じがある。
おそらく、ネーテイブではない人の書いた日本語なのだけど、それが実に魅力的である。ロゴがクラシックなのも、怪我の功名だ。

昔、ベラ・チャスラフスカ(最近の若い人は知らないか、、、)とプラハで電話を通じて会話をしたことがある。なにかの取材の用向きだった。その会話の後半に、ベラさんは、自分は日本語を勉強しているので、ちょっと発音を聞いてほしい、と言った。
彼女が話したのは、以下のフレーズである。

「トウキョウ エキ ノ タテモノ アカイ」

実に新鮮な感じがした。上のHPの感じはあの時の感じに似ていると言える。

上のHPをわざと、ローカルな味を出す為にデンツーあたりが造っているしたら、それはそれで、大したものである。

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2007年10月31日 (水)

ハローウインと万聖節

「R1143068.AVI」をダウンロード ムービーはプラハ最後の麦酒。

木村伊兵衛先生の佐々木昆先生に言った「プラハの黒麦酒はうまいぞ」のそれである。

旧市街の文学者カフェ(と、直訳するととんでもないが)にて。

飛行航路は PRGCDNGO
目下、移動中。

PRGCDGはエアバスの310である。シート1A
CDGNGOは777−200でシート3K
なにしろ、欧州を3回往復して、Cクラスが一往復のアワードというのは、KL/AFのファンになってしまう。

エアバスの離陸音と空中感覚はなかなかハードで好きである。それに比較すると777は、大人の飛行機で冒険がない。
ただし、AFはドル箱路線であろうに、掃除もちゃんとしてないのか、この前、CDGPRG間では3日前に乗ったアテネ便の半券がポケットに入っていた。記念に持ち帰る。

この前、JALのアテンダントさんに聞いたら、セントレアの777−200はここをベースにして、パリとバンコックを往復しているそうだ。

朝10時発のAFでパリ。それから夕方5時のJALにて気に入っている、セントレア。
そこから、名古屋に出て新幹線で東京。
その途中の常滑をこの前、夕方に一瞬だけ見た記憶が良く保存されている。常滑という地名がシュールである。
今度、撮影に行きたい。
交通手段はやはり中央高速で、麦酒工場とか、競馬場をみつつ行くのが良い。

今日は日本とかアメリカでは、例のハローウインの馬鹿騒ぎか。
この奇習を初めて知ったのは、1984年頃に碑文谷にあった、城田稔さんの経営していた、ギャラリーMINで10月末になにかお祭りをするというので、それに呼ばれていったのが最初である。

城田館長が子供達を引率して、近所を回っておかしをもらったりしていた。
欧州では一日おくれて、万聖節がある。これは日本のお盆のようなもので、祖先のお墓に参詣する。

11月1日と言えば、欧州は万物枯れ果てて実に諸行無常を感知するには、良い季節である。
ハローウインの方は、もっぱら商業主義の見にくいとことが、正面に出ていて、何のことやらさっぱり分からない。
ヒルズへの通勤路に、「窓の中に東京タワーを飼っている花屋」(チョートクx六本木ヒルズ所載)がある。その前に例のでかカボチャが飾ってあった。
その値段を見て、肝を潰した。それは貴金属とか不動産のなみの価格なのである。

1974年であったか、クリステイン・ロスタとウイーンの中央墓地に万聖節のお墓参りに行ったことがある。

実際にはライカとニコンを持っての撮影であったのだが、ついでにクリステインの先祖のお墓に行ったわけだ。
第三の男ばりの暗い天気で、あの映画では同じ場所が登場する。

くだんの墓石はよく読まなかったが、なんでも彼女の父方はポーランド、母方はチエコとのことだった。
そんな出身地はウイーンでは当たり前だから、これも話題にならない。

それから、数年後であったか、何かのはずみで、彼女のパスポートを見た。そこにはクリステイン・ロスタではなく、彼女の本名、クリスタ・クロスタとあったからだ。
いきなり、スロバキアとスラブの地が騒ぐという名前なのである。

ちょうど、キャパが彼の本名を隠して、アメリカっぽい名前にしたのと、まずは同様な背景である。まあ、中国人がアンナとか、ジャックとか言うよりも名前としての実在感はある。
ながのり、がチョートクで、幸二が幸之助さんみたいなものか、、、、。

話を戻すと、クリステイン・ロスタは1970年代にはウイーンでは知られたフォトモデルであった。ただし、身長が171センチしかないので、ファッションモデルは諦めたという。

コパトーンの黄色いビキニの金髪美女がその彼女であって、これはTVコマーシャルで放映されていた。ただし、ウイーンの我が家のTVセットはモノクロだから、モノトーンである。

この春に、そのクリステイン・ロスタから、30年ぶりに個展の案内が来た。それもメールなので、どのように自分のアドレスを知ったのかも不明。

金髪モデルだった彼女はドイツボーグのカメラウーマンから、さらに偉くなって何かの回顧展をケルンのミュージアムで解散するそうである。まあ、それは年の功というやつだ。

万聖節というと、クリステイン・ロスタとウイーンの中央墓地に行った34年前を思い出すのが常だ。クリステイン・ロスタの当時の写真は「ウイーン・モノクローム70S」(東京キララ社)にも掲載されている。

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2007年10月30日 (火)

月光は値千金

R1142877 プラハ。
滞在最終日。
昨日の日曜は午後にやや天候回復。
それまでモノクロの世界であったのが、いきなり「総天然色」になったのだから、視神経は驚愕した。
初期の写真術で、カラーが登場した時もおそらくこんな具合であったのだろう。
自分は最初に手にしたカラー写真を鮮明に覚えている。
フジカラーというのであるが、それはプリントではなくスライドであった。しかもすでに存在しなくなった、コダクロームと同様な「外式」のフィルム現像なのである。
ペンタックスにそのフジカラーを入れて、少年時代に近所の護国寺を撮影した。小学生のがきが「古寺巡礼」をしていたのだから、半世紀の早熟であった。

その仕上がりの上がったフィルムをみて、「いいなあ、、、」とおもったのは、それに色彩が付いているというよりも別の所にあった。フィルムの膜面を斜めに透かしてみると、そこに現実の風景がミニチュアそのままにレリーフされているのである。

これは凄いことだと思った。
当時の外式のフジカラーはその未熟なせいであったのであろうか、やたらに膜面が厚かったのでこのような印象を残したのだけど、写真は現実の縮小であるという真理に少年はきずいたわけだ。

この2週間の天候は暗い日だが、今朝と昨夜は良い月夜であった。
午前2時頃にトイレに立って、上から何か光が射していることに気が付いた。
アトリエには、トイレもキッチンも同じ巨大な天窓がある。

はて、この建物の屋上にネオンなどないはずだが、、、と思った。
月であった。
この場合、お月様と言った方があたっている。そのお月様がアトリエをのぞき込んでいるわけだ。
天窓の窓枠で仕切られた月光の影がアトリエにくっきりと刻まれている。

それをベッドで見るうちに、不思議なことに気が付いた。
アトリエの居室の窓枠は合計6つある。それに平行に36万8千キロ(であったっけ?)から、この場合、平行な光が注がれているのだから、窓枠に落ちる月光の影は、それぞれに同一角度をとるのが理論であろう。

ところがそうではなかった。
お月様はすでに南中していたので、やや西側から光を降らしていたのだけど、その窓枠の西に近い方から、順番にその影の角度が異なっていたのである。

すなわち、アトリエの左端のお月様の影がかなり急角度であるとすると、アトリエの右端のその影はかなり斜めになっている。

こんなことはあり得る筈がないと思った。
しかしその影がそれぞれの窓枠に落とす影はそれぞれに違っている。
とても悠久の遠方からの光とは思えない。

唯一、考えられることは、お月様がこのニコリテスリーの屋根の上、70メーターほどに下ってくるのなら、その事実は説明できる。
その距離になれば、もはや月光は水平光であるとは言えないからだ。

その日の午後、モルダウ河で見たツーリスト相手の係留気球のことを思いだした。http://www.baloncentrum.cz/cs/fotogalerie

これはお一人様30ユーロかで、カレル橋の上に気球をあげて、観光をさせるのだ。係留気球はもともと、軍用であってその起源は古い。

その気球がお月様であるのなら、頭上70メーターあたりから月光を放射すれば、上のようなアトリエでの「非平行な月光の影は可能であろう。

それで今朝もお月様がどうなっているか、それを観察した。
冬時間になった最初の深夜の2時頃、よく見ると月光は昨夜よりも東から照射していた。つまりお月様は昨晩のことを気にして、遅く登場したわけである。

子細に観察したら、今度はアトリエの右端の月光の影が一番に急角度で床に影を落としている。それがだんだんと緩やかな角度になって、アトリエの右端の窓の影は斜めである。
前夜と逆だけどやはり角度は窓によって異なることが判明した。

午前4時頃に、お月様はどうなっているか、アトリエの窓から視た。
影が見えなくなったので、それを気にしたのである。空は一面の雲に覆われていた。

やはり、今朝と昨晩、深夜に見たお月様、あれは本物であった。カレル橋に係留されている、気球に化けたお月様が、深夜、夜回りをしているのであるという確信を得た。
だって、偽ライカじゃあるまいし、フェイクムーンなんてあるわけがないじゃないか。
ねえ。

あ、忘れたけど、撮影カメラは例によってキャプリオR7。

これで昨日は雑誌の連載の仕事も2本やりました。擦れ違う、世界のツーリストさんの方が自分よりずっと立派なデジカメを持っている。自分は実にらくちんだけど、他のツーリストさんは「オーバースペック」ではないのか?それが心配だ。

自分には当分はデジタル一眼レフはいらない。
あれは、どうもじじいむさい。第一、もともとじじいなんだから、これ以上じじいにはなりたくない。

デジ一持ってるとそこに「ライフワーク」を想起させるのが良くない。ライフワークは銀塩写真ににまかせれば良いのである。

Epsn2391 これが本日の撮影機材。

R7と、スパーブ。それとタイメックス。フォマパン200を5本。(そのうち1本はすでに装填してある)

スパーブは「自己増殖」して、スコパー付きとヘリアー付きの2台になっている。これはヘリアー付きの後期モデル。

でも、やはり猫耳のストラップアイレットの前期モデルがいいな。

これを撮影したのはエプソンR−D1Sだけど、ゾナー50ミリF1,5を付けたので、スパーブが後ピンだ。ときどきこういう間違えをする。

R1143126 いや、実に吃驚した。

撮影を終わって最後の夜をアトリエで楽しんでいた。

天窓から何気なく、東を見たら巨大なお月様が着陸しているのである。

なにかのイヴェントか、撮影であろうが、巨大な人工のお月様が目の前の広場を制圧していた。冗談で書いたことが本当になってしまった。


その人工のお月様のこと。

深夜に起きたら、本物のお月様も出て、競演ですごかった。やはり偽物の方が立派で本物っぽく見えるのは、これはカメラでもクルマでも人間でも同様な次第であろう。

R1143128 本物のお月様は迷惑そうであった。写真説明。右の小さいのがモンモノ。

これより(上の日記は予定校だから、こっちがリアルタイム)プラハ空港に行くのである。

日本の午後2時であって、プラハの午前6時だ。もうあのお月様は退場じたかと、窓から視たら、まだ煌々としている。

映画の撮影にしては時間が長すぎるし(昨夜以来だから)工事にしては時間が変だし、これはやはりアートのたぐいなのであろうか?

不明。

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2007年10月29日 (月)

プラハは夏時間から冬時間に

R1142722 プラハ。

霧。気温4度。体感気温も4度。

湿度100パーセント。この100パーセントという湿度はのどにやさしい。

プラハがマイナスであっても、佃のプラス10度プラス空っ風という方が寒く感じる。これは事実であって、昨年の春にスエーデンのヨーテボリで、日本によく出張するスエーデンはハッセルブラッドの偉い人と歓談していたとき、「日本の方がスエーデンよりも寒い」というのである。東京の空っ風と、普通の家屋のすきま風のことを思うと、これにはうなずける。

その時のヨーテボリの気温はマイナス15度。だもホテルの中ではTシャツ一枚。これはプラハのアトリエでも同じことだ。

今日は夏時間から冬時間に戻る。

以下はwikipediaからの引用
中央ヨーロッパ夏時間(ちゅうおうヨーロッパなつじかん、Central European Summer Time:略称CEST)は、中央ヨーロッパ時間夏時間のことである。

協定世界時(UTC)を2時間進ませた標準時で、中央ヨーロッパ時間より1時間進めた時間である。

3月の最終日曜日午前1時から10月の最終日曜日午前1時までの期間、適用される。

----------引用おわり。

たしかに最終日曜の午前1時というのは、もう過ぎたわけだがまだ変わっていない。冬時間になれば、日本との時差は8時間だ。

今朝、こっちの時間の午前2時に眼が醒めて、PCのタイムサーバーを欧州のそれにセットしたのだけど、別に時間は1時間マイナスにもなっていない。
これは明日、月曜の早朝に切りかわるのであろうか。

☆追記。日記を書いている間にPCの時刻をチエックしたら、1時間戻っていた。日曜の午前の10時40分が9時40分になっている。何か、日曜の朝を1時間余分にもらった感じがして、これは嬉しい。

20年ほど前、やはり秋の終わりにリスボンに滞在していて、日曜の朝に撮影に出たら、何時のと異なり、街が閑散としていた。
その朝に、夏時間から冬時間に戻ったのでああった、

ニューヨーク滞在中の四半世紀前に、冬時間から夏時間に移行したその朝に、1時間早く起きるのだから、眠くて困った。

今回、プラハは11泊12日である。
せっかくこっちの時間帯に慣れたのに、また来週から東京時間はちょっと憂うつだ。

画像の「プラハウオッチ三兄弟」は、左がレマニアの60年代もので、チエコ空軍の使