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2018年12月31日 (月)

半年ぶりにハノイに来た

半年ぶりにハノイに来たImage

今日のベトナム航空はヘッドウインドウが異常に強くて50分遅れで河内に到着した。しかも追加料金なしでずっと乱気流の揺れが楽しめる。こういうのは良いサービスだな。

行きつけのホテル名前を明かすと面倒なことになるのでここではかかないが世界で1番わかりにくい場所にあるホテルと言うのでギネスブック使えると思う。ホテルの前に車は横付けできなくて幅60センチの胎内くぐりで到達できるのである。ここら辺は日本路地裏学会の学術用語である。

私はなじみの客なので到着したらバラの花束と果物が置かれていた。このコストパフォーマンスは凄い。フランスの五つ星ホテルはずいぶん取材したことがあったがこーゆーサービスを受けるとしたら少なくとも10,000,000円位お金を使わなければならない。

2018年12月29日 (土)

サバカンの出身地はどこでしょう?

サバカンの出身地はどこでしょう?Image

信州の友人からもらったお歳暮の話の続き。ドイツのクリスマスのお菓子シュトーレンが入っていたのはよかった。以前はルフトハンザからもらっていたのであるがあまりにも大きくて食べられないからそのまま第三者にあげていたのである。今度もらったやつが小さいから食べられる 。カジンガなかなかおいしいと言っていた。ただし私はぶどうのジュースをアルコールにしたやつは飲むがぶどうを干したやつは食べないので食べない。

その他に頂き物にさばの缶詰があった。物価高騰であるからサバカンが毎年だんだん小さくなっていくと言うのが面白い。これも阿部幕府のおかげである。感謝感謝。
ところで信州から送ってきた信州味噌しようと書いてある国産のさばの缶詰とスーパーに行ったらタイランドの鯖の缶詰があるので比較のために買ってきた。ところが面白いことによく見たらどちらもタイランド製なのである。

しかも不思議なことに両方とも国産の鯖と書いてあるが今日本では国産の鯖が取れなくなってほとんどがアイスランドあたりから輸入しているのではなかったか?何かいじましい感じで年の瀬が感じられるのである。

2018年12月28日 (金)

ニコンエフツーのカタログを撮影していた1970年

ニコンエフツーのカタログを撮影していた1970年Image

1970年にこのカメラのカタログの撮影をしていた。まだ発表前であるから銀座の社交ビルの最上階のペントハウスと言うとかっこいいが建て増しのようなヘンテコリンなスタジオで撮影した。スタジオの名前は東宝スタジオと言ったな。

まるひのカメラであるから他人に見せるわけにはいかない。スタジオで長時間労働すると腹が減るから下のラーメン屋からラーメンを取ったりする。エレベーターは7階までついていて大きさの古いやつである。だからオーチスの真鍮製のドアの音がジャラジャラとするとアシスタントの私がでっかい白い切れを撮影台の上にふわりとかけるのである。

2018年12月27日 (木)

カメラの取説を開封するのに苦労する

カメラの取説を開封するのに苦労するImage

クリスマスプレゼントにミノルタの半世紀前のカメラを買ったのである。ミノルタのv2と言う。それだけでは何か物足りないので取説も買った。カメラの脇に取説を揃えると何か正式な感じがしますね。パスポートを持った日本人みたいな感じがする。

普通郵便で到着したのであるが開封するのに大変楽上した。包んであ
あるフィルムがあまりに立派すぎるのでしかもセロテープできっちり貼ってあるので指などでは開くことができない。いつからこんな風になってしまったのかと医療に不満に感じている。この前も人形焼きを買ったらそれがあまりにも頑丈なフィルムで包まれているので工具を使って開けた。

この取説も全く同じで苦労した。ついにハサミを使って開封しようとしてわれらの重要なカメラ人類の文化遺産である取説の1部が切れてしまった。こーゆー不必要な過剰包装には腹が立つ。

2018年12月26日 (水)

クリスマスプレゼントが働き方改革で3日遅れ

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阿部幕府の働き方改革でいろいろ混乱している。65歳以上の高齢者をさらに75までレストランで働かせるなどと言う法律である。働いている65のすかいらーくの女性が仕事をすれば楽しいしお客さんから元気をもらえるなどと言っている。チップは現金だからそれをもらえば幸せだな元気なんかもらいたくないな。
オリンピックもそうだが感動ありがとうとか元気をもらいましたっていうのはあれは日本語ではない。便通あたりの商業用であろう。

クリスマスに合わせるつもりで初めてこのカメラを買ったのだが阿部幕府の働き方改革で会社がちゃんと休みだから26日になって到着した。へんなの。

2018年12月25日 (火)

天ぷら船の今と昔

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30年近く隅田川の天ぷら船を見ている。30年近く前は天ぷら船から聞こえてくる音楽はもっぱら演歌であった。最近は演歌は聞いたことがない。昔の世代がどんどん若くなっていくのであろう。私自身はこの30年に2度だけ乗ったことがある。最初は30年前で1番最近は5年前であった。

日本の宴会の船であるからカクテルパーティーのように移動することができない。だから前工程の中で話ができるのは向いの2人と左右の2人ぐらいなものである。これが日本の社交と言うものらしい。

ちょうどうちのマンションの前中央大橋からちょっと上流に行ったところで天ぷら船は必ず90度舵を取る。これは最大のイベントであるスカイツリーをお客さんに見せるためのものなのである。
家ではこのアクションを長々と読んでいる。

2018年12月24日 (月)

ドイツから直送のクリスマスケーキ

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師走やね。四半世紀前ドイツルフトハンザ航空の仕事をやっていた時にリスマスになるとドイツから直送されたクリスマスケーキをいただいた。Stollenという名前の1種のロールケーキである。日本で流行っているようなデコレーションケーキではない。このお菓子が全く手を抜いていないのでズシリ重いのである。長さは30センチ位あって直径が10センチ近い。片手で持てないほどの重さである。それをルフトハンザが自社の荷物として送ってくるのだから運送コストを考えると大変な手間である。

長野の友人からいただいたお歳暮の中に同じお菓子が入っていたのが嬉しかった。最近ではこれは日本で作られているのかなと思ってラベルを細かく見たらドイツ製なのである。しかも小さなバージョンのケーキなのであるがそれでも重さが200グラムもある。ドイツ人はこういうところに手を抜かないのだな。
何かライカカメラのようなずっしり感があるのです。

2018年12月23日 (日)

信州からのお歳暮

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^_^毎年暮れになると信州長野の友人からお歳暮が届く。それも大げさなものではなくておそばにりんごにサバカンに日本酒と言うところである。1年の経過が早いからこないだ送ってもらったと思うともう年末になっている。すでに20年以上のありがたいことである。

今年もそのありがたいお歳暮が到着した。しかしこの世知辛い世の中であるから物価の高騰と言うのは避けられないことで友人が心づくしで送ってくれる品物もちょっとずつ品質が低下しているようである。それは友人の責任では無い事はもちろんであって世の中の物価の高騰の結果と言うことだ。
物価の高騰に庶民が曲げると言うのは歴史始まって以来ずっとそうなのであるから驚くには当たらない。正岡子規^_も物価の高騰が庶民の生活を攻撃すると言うことを繰り返し書いている。

年々に1回頂戴する品物を見ていると要するに微速度撮影的に物のサイズが変わっていくのがわかると言うのは面白い現象である。鯖などもなかなか日本では取れないからさばの缶詰のサイズがだんだん小さくなっていくのは致し方のないことである。
信州のりんごなども中国で大変な人気で良いものはどんどん大国に輸出されていくのであろう。^_^だから思う事は昔から普通に食べていたような普通の食品が地元では手に入りにくくなっているのではないかと言うことである。数年前に高知に行った時もそれを痛感した普通のスーパーマーケットで東京に比べるとどうも食品の質は悪いし高いのである。この一極集中化と言うのは何とかならないものか?

2018年12月22日 (土)

ミノルタブイツーの2段式トップカバー

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1957年頃のミノルタは実に個性的なカメラを作っていた。シャッター速度が2000分の1秒まである実がブイツーもその一つである。シチズンのシャッターにかなり無理をさせていたので使える絞りには制限があるがそれでも実測値としては2000分の1秒を出していたと言うのはすごい。
真っ昼間でも絞りを解放にしてかなり被写界深度の浅い写真を撮ることができる。 でも私がしびれているのはそのことよりもこの不思議な形のトップカバーなのである。ちょっと外に累計ががないと思われるのは^_^トップカバーが前後で2段に折れているところにある。

^_^飛行機の後退翼ともちょっと違う。強いて言えばステルス戦闘機の翼のあの変なだれた感じに近い。レンズシャッターの^_^カメラと言うのは大にして軽く見られがちだが、このカメラはある意味でライカなどよりも仕事ができそうな気がする。

2018年12月21日 (金)

モネの庭を真似ている

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ドイツあたりにあるイングリッシュガーデンと言うのはあまり好きではない。同様にドイツにあるフランス庭園と言うのもあまり好きではない。本物に近づけようとして実際には本下からどんどん遠ざかっていくような気がする。モネの庭が好きなのはそこに日本の茶室の庭園みたいな崩れる落ちる寸前の底辺の美学があるからであろうか。

この小道は20年位前に作られたマンションの敷地の1部で武蔵野の小道とかなんとか言うのである。できた当時は実に白々しいものであったが20年ぐらい経つと素材がボロボロになってくるのでようやくベンチに座って落ち着いて目の前を見ることができるようになった。何しろ武蔵野ですからね。

2018年12月20日 (木)

懐かしいのはプラハの夏ではない。プラハの冬である。

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プラハの夏はまっぴらごめんだ。観光団の大移動である。
プラハの冬が好きだ。気温がマイナス10度あっても風はあまり吹かないし湿度が100%に近いから歩いていて楽なのである。

真冬のこんな日にカレル橋を歩くのは楽しい。三十年戦争の時にこの歌詞を東西に分かれて戦争をしていたというのがずいぶん雅なことだと思う。

ノートに発表した 屋根裏プラハ遁走曲 に書いたけど私はもうプラハに行く予定は無い。一生の私が使える時間と言うものをほとんどプラハで費やしてしまったからだ。

2018年12月19日 (水)

吉田さんの猫写真はなぜ良いのか?

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猫写真の吉田さんは一昨年であったが佃で声をかけていただいてお目にかかったのはその時に1度だけであるが猫写真の第一人者である。私が勝手に作った猫写真のピューリッツァー賞なども複数回受賞しているのである。

大体猫写真と言うのは政府が愚民政策としてやっているのではないかと思うことであって毎年配られるカレンダー何かにしてもそれを証明している。しかも猫の写真展となるといきなり行列である。私の尊敬する同級性の写真家田村代表も言っていたが猫が癒されるなんて嘘だと言うのである。本当にそうだと思う。

吉田さんが撮っている1連の猫写真はそーゆーステータスをすでに超越しているところが素晴らしい。この写真を観察するに生物の格付けとしては人類よりも猫類の方が上であることがよくわかる。

2018年12月18日 (火)

今話題のこういうムックのお手伝いをすることに

今話題のこういうムックのお手伝いをすることにImg_0844

1週間前のニコン研究会の忘年会は盛り上がった。その時私に声をかけてくれた写真家でカメラ人類の人がいた。パーティーなどでカメラの話をするときは私は相手の位とりと言うことをする。大昔から京都でやられている社交の方法だそうである。要するに社交であるから誰もわからない話をしても仕方がない。それでお相手がどれだけカメラのことをご存知かをちょっとジャブを出してチェックしてそのレベルに合わせてお話をするのだ。

ところがこのカメラ人類さんがものすごいカメラ会話のレベルが高くてアメリカのあっちこっちのカメラの話をして時間も忘れるほどだ。さらに私が今まで出したたくさんの写真集の中で風変わりだから気が利いる写真集がある。写真機店と言うのである。20年以上前に出した写真集である。そのカメラ人類さんはこの写真集が大好きだと言うので嬉しくなった。わすれもしないのはプラハのカメラ屋さんに行ったらちょうどその時に数人の日本から来たジェントルマンがいらして皆さんがガイドブックとしてこのカメラ屋さんの本を持っていた。そこで急遽サイン会になった。

ニコン研究会の翌日にそのカメラ人類さんからメールがあって上の写真に出ている今話題沸騰のムックであるがその編集長が幼少の頃から私のカメラ本を愛読してくれているのでぜひ会いたいと言うのである。幼少といっても6歳と言う事はないだろうから20代なのかな。

それで早速週明けの月曜日にそのムックの編集長とカメラ人類さんが佃島においでになった。そこで私は初めてデジタルライカの最新型を見たのである。ライカエム8が出たときに10分驚いたからたいていのことでは驚かないつもりだが編集長が持参なさったライカエムM10d実はかなりびっくりした。周囲のライカ人類で話題になっている偽物のレバー巻き上げに初めて触ってみたのである。
やはりこれだけの事は天下のライカの会社でないとできないとまず感心した。本物の巻き上げればよりもちょっと短いのがついている。動かすとそれは動くのであるがスカスカである。ボディーの裏側には同じくさむグリップのようなものが付いている。

いろいろ話題になっているこの最新型のライカを実際に手にとることができて幸せだった。それで2人の紳士が来場なさった趣と言うのは次のこのムックで私に何かやれと言うのである。

25年位前に同じような経験があった物マガジン編集長と数人のスタッフが佃の拙宅に見えて何か書けと言われたのである。それがきっかけとなって物マガジンでは長い連載をやったり1000ページの単行本を出したりたくさんのことをやらせてもらった。
今回もそれに似た初対面の感触を味わったのでおじいさんはやる気充分である。しかし人間のつながりと言うのは不思議なもので若い方が私のカメラ本を読んでいてくれて何か嬉しくなったのである。
そのカメラ人類さんが持参したのは例の写真集写真機店であった。ムックの編集長はその写真集はご存じなかったのでそこでカメラ人類さんは編集長にその写真集を譲ったのである。それで私も四半世紀前の写真集にサインをさせていただいた。

こういうのも嬉しいね。ところが話がそれだけでは済まなかった。25年前のフランクフルトのカメラ屋さんのスタッフのページを開いていて編集長はおや知り合いの誰々さんがここに写っていると言うのでびっくりしていたのだ。

25年前には単なるスタッフであったのであろうが今はかなり偉くなっているらしい。編集長は今でもフランクフルトに行くとそのライカショップの本店員さんで今は偉くなっている紳士と食事をしたりカメラの話をしたりするそうだ。

四半世紀と言う時間はそういうスペシャリストが偉くなるのには十分な時間の長さなのである。ちょうど2001年 9月11日。私は新しく立ち上げたライカカメラ社とパナソニックの仕事で当時のライカカメラ社長にインタビューに行ったのだがその時にまだ駆け出しで私にコーヒーとケーキを持っていってくれた新人が今のシュテファンダニエルさんなのである。
光陰矢のごとし。

2018年12月17日 (月)

月曜日の朝に写真集を開く幸せ

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Josef Sudekの写真集を月曜日の朝に開く幸せ。外では営業マンが山のようにカレンダーを持って右往左往。1急いでいる人を見るのは辛いね。
この写真集は大写真家の最新の写真集である。といっても10年前に出たやつ。
Sudekの仕事はパノラマカメラとか大判カメラが有名だが小さいフォーマットも撮った。私彼は右腕がないから35ミリのカメラは使わなかった。

これは6センチ× 12センチのサイズだ。私もこの場所にはよく撮影に行った。

2018年12月16日 (日)

パリ3マルタン運河のベンチでくつろぐ

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Parisに1番最初に行ったのは1974年の夏であった。winから夜行列車でパリ東駅について荷物を持ってそのまま歩き出したら最初に出会ったのが3マルタン運河である。
私のパリの第一見学の場所だから今でもパリで宿泊する時は北駅とか東駅のあたりにホテルを取る。オペラとかシャンデリゼは無縁だからもっぱら1日の生活がここら辺のトライアングルで完成しているのである。取材だと仕方ないので五つ星ホテルに止まったりしたこともあるが私の理想は一つ星ホテルだ。でも最近一つ星ってほとんどない。
この間のParisも全く同じ暮らしであって昼前にいつも座るベンチに座って鳥の声などを聞いてから近くの安い食物家で食事してあるいはお弁当を買ってホテルに戻る。そこで仕事したりあるいは午後から撮影に行ったりする。

友人の首相官邸に仕事をしている人が年末に3泊4日でパリに行くそうだ。それも買い物ツアーではなく大型カメラで自分の写真をパリで撮影するのだから偉いと思う。21世紀のAtgetと言うとこだね。彼はフランスの専門だから年末の警戒線でブロックされている地域の地図をアップしてくれた。それを見るとまさにパリコミューンである。
普通のツーリズムで行った日本人はえらい目に合うことであろう。

この運河のいつも決められたベンチで私はプラスチックに入ったた アルコールの残りをすすって炭酸水を飲んだりすると気分がリラックスしてまるでクラブエダムにいるような気分である。
どこに行っても同じことであるから佃の運河を見ながら宝を飲めばそれはそれなりにパリのふいんきを味わうことができる。

お金のかからないツーリズムであるからJTBとか嫌がるであろうな。

2018年12月15日 (土)

キヨスクのイメージキャラクター

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結婚記念日のイベントの続きである。家人が持っている思い出袋と言う袋の中から出てきたのがこれだ。キヨスクのスタートした当時のイメージキャラクターである。キヨスクのぴーちゃんであるからキヨピーと言うわけだ。

当時はヨーロッパに行く飛行機の便が不便でアエロフロートを使っていたのだが同日乗り換えでパリやプラハには到着できなかった。夕刻にモスクワについてトランジットホテルでいっぱくするのである。でもその方が時差の調整にはなったのでよかった。
5時の始発の東京の電車に乗るのであるがキヨスクはまだ閉まっているからシャッターが降りている。そこに好きよぴーのお姿がずらりとあるのがよかった。キヨピーに挨拶をしながら日本を出発したのである。
キヨスクの営業時間中にはシャッター上がっているからこの鳥はいなくなってしまうのである。

2018年12月14日 (金)

1982年夏広東市における島尾さんと私

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1982年に初めて島尾夫妻に連れられて広東に行った。川の流れるクラッシックなレストランで食事をした。20年後に同じ場所に行ってみたらそういういい感じのビルは全部なくなってグラスウォールのビルになってしまってがっかりした。

撮影は有名写真家潮田さんである。つまり今年の写真界グランプリ3冠王の人である。このショットは私のパノラマカメラで撮影したものではあるが潮田さんの才能が40数年前にすでに花開いていることがこれを見てもよくわかる。

、、もう一つ気がついた事はこれはゼラチンシルバープリントであることだ。だからここに潮田さんのサインが入ればちゃんとギャラリーで販売することができるわけだ。歳をとるといろいろなことが発見できて面白いな。

2018年12月13日 (木)

曙橋の柿の木に柿の実がいっぱい

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アローカメラに行くのにはいくつかルートがあるが通常の20年来のルートはもう飽きたので最近は曙橋の真下の階段を上って行く。そこに柿の木がある。その柿の木に柿の実がなった。
学術的な用語ではこの言い方が正しいらしい。

どうも今年は柿の木になる柿の実が豊作のようである。今年到来した柿の木になった柿の実であるが最初に新潟のが来て次にギャラリーバウハウスの柿が来てもうたくさんと思っていたら岡山からまた柿の実が到来した。
それはそれでありがたいのであるが私は柿の木の実到来ごとにまず1口ぐらいしか食べない。そうなると責任感が発生して家人がみんな柿を食べているのである3回到来した柿の木の総数は知らないけれどもひゃっこでは無いにしろ60個よりは上であろう。

曙橋の真下の急な石段を上るときに隣の空き地に樹木があった事は記憶している。ところが今日ガラクタ屋さんから帰るときにその樹木が柿の木であって柿の木の実がなっていると言うことに初めて気がついた。

最新型のiPhone 6で撮影したのだが大変な柿の木の実の量である。人間の才能がこの柿の木の実ぐらいに一挙に弾ければ幸せなのになぁと思った。

2018年12月12日 (水)

一ノ瀬泰造1973 by Shisei Kuwabara

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一ノ瀬泰造の母上が亡くなられたと言うことを聞いた。
一ノ瀬泰造は日大写真学科の同級生である。寡黙な男で学生服姿であった。
ギャラリーバウハウスで9月に沢木さんと対談をした時も一ノ瀬泰造の話になった。
沢木さんはベトナムとカンボジアを超えてヨーロッパに行きたかったのであるが彼は普通のバックパッカーであるから南ベトナムのビザが取れなかった。皮肉なものである。ちょうど映画監督ゴダールがノースベトナムのビザを取れなかったのと表裏一体と言う感じがする。

それで沢木さんは深夜特急の取材でベトナムカンボジアはスキップしたのであった。
その後昔のかけた部分を埋め合わせるために彼は2000年の12月にベトナムに取材に来た。その帰りがけにホーチミンシティーで私は沢木さんに遭遇したのである。

言い換えれば一ノ瀬泰造は私と沢木さんをベトナムで結びつけてくれたと言うことになる。一ノ瀬泰造の母上は行方不明の息子の安否を気遣いながら写真技術を習得して膨大なモノクロプリントを制作した。これは母の愛と言う奴だな。
Shisei Kuwabara先生から御母堂のご逝去が伝えられたのである。

一ノ瀬泰造がカンボジアに出発すると言うので確か7人の友人が500円ずつカンパをした。トータル3500で上野駅前の国を払い下げショップでジャングル靴を買ったのである。
この写真で見ると一ノ瀬泰造はオフの日なのであるネタを拾ってゴムサンダルで歩いてリラックスしているように見える。胸にかけているのはニコンエフ2である。そのニコンのカタログをとっていた私であるが一ノ瀬泰造がカンボジアに出発したのと同じ時期に私は家人とオーストリアウィーンに出発した。
一ノ瀬泰造と連絡が取れなくなったと言う話はその年の秋であったのであろうか?

2018年12月11日 (火)

カメラ毎日1970年5月号帝都高速度交通営団の中吊り広告

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カメラ雑誌と言うものの存在感が50年前と今で話ずいぶん変わってきたようである。これはカメラ1970年5月号のメトロの中吊り広告である。最近のメトロの中吊り広告の週刊誌のコピーなどが下品で見たくもないが半世紀前はなかなかレベルが高かった。

もちろんまだデジタルカメラなどは存在もしない大昔の話である。登場している写真家の名前を見てお試しください。

2018年12月10日 (月)

🐦 2019年2月10日 ブラパチワークショップ開催決定😎🌈

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フォトワークショップ開催します。2019年2月10日午後1時スタート。^_^場所は東京浅草。タイトルは浅草の奇跡です私は人生で浅草で奇跡が3回おきました。永井荷風が通ったアリゾナレストランとか片岡義男さんと通ったカツサンドのお店などを捜索。観音様からご利益もいただきましょう。

毎週土曜日曜日はChotoku Camera Notesの日です。おかげさまで定期購読者さん激増中です。
https://note.mu/chotokucamera/m/m6b6682233b91
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2018年12月10日 (月)

部屋を真っ暗にして外を見ている

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音声入力でテキストを書くときはキーボードは見ないから真っ暗にしている。そして顔は夜の隅田川の方向に向いているのである。
この数年間この気分が一体何であるのかということを思い出そうとして思い出せなかったのか先ほど思い出すことができた。

10年ほど前に日本郵船のライラと言う名前のコンテナ船で名古屋港深夜の出発のときのあの光の状態なのである。
1000ページの写真集を作るので最初はイギリスのサザンプトンから乗船する予定だったが
これだと日本到着が1ヵ月以上かかる。それでその途中の寄港地から乗船する予定がやはりスケジュールが合わなくて結局国内の名古屋港から品川埠頭に向けて出航した。それでも2泊3日である。

巨大な船の海図ルームは明るいけどブリッジは真っ暗である。その光の加減を思い出してどこかに出発する気分になった。
その1000ページの写真のタイトルは
Chotoku 海をゆく

2018年12月 9日 (日)

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンエスで撮った東京湾の不思議な写真

ニコンカメラはレンジファインダーのやつは圧倒的に使っている。理由は単純であって望遠レンズをほとんど使わないからだ。それでレンズは50ミリから35ミリが多い。後は21かな。

豊海水産埠頭の先端まで行って東京湾の表面と言うのは変だが海面を撮影した。カメラはニコンエスの裏ペイントのブラックであってレンズは私が得意のソ連製のジュピター35ミリである。40年前オーストリアウィーンにいた時はもっぱら28ミリのソ連製のオリオンレンズを愛用していた。それが最近ではレンズの焦点距離が7ミリだけ伸びて35ミリになった。

その理由はわからないが年の功というか老齢化というかそういうことであろう。このレンズは非常に気にいっている。それというのもカールツアイスのレンズのコピーであるからだ。Img_9382


2018年12月 8日 (土)

佃の日記帳期間限定で発売中note tanakachotoku

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田中長徳佃日記はペーパーの本として数年前に250限定で発売されたものだ。
箱付きの豪華本であってオリジナルプリントがサイン入りで入っている。これを買ってくれた人は同時にオンラインの日記も買っている。要するにペーパーの本はコレクション用であってオンラインのデータの日記を読んでいるのである。

12月1日からスタートした私のノートのブログもペーパーの日記の後の続編を読めるようにした。
2003年の日記なのであるが読み返してみると社会情勢も今とはかなり違っていて生き生きしているところが面白い。

田中長徳ノートでは買い切りのテキストと継続購読のマガジンがある。
月額1000円だが毎日更新して30本の記事をあげるのでシンプルにそれだけ読めば3000円なのでかなり
お得になる。

もともと25年前にスポンサーに頼らない紙に印刷されたカメラジャーナルを開始して10年間継続した。今回ノートで再起動した後したと言う事は当時のやり方に戻ってフレッシュになったと言うわけである。
継続購読のマガジンのプライスは1000円である。PayPalからも支払い可能。

内容は新しいデジカメと古いデジカメ。そして今まで私が体験した面の話の裏を書こうと思っている。
要するに写真機と写真をさらに深く広く哲学的に楽しもうというのがモットーである。

実は1年半前にカメラ塾と言うブログをスタートさせた。これも毎日更新だった。私はだらしがないのでアフィリエイトを設定するのを忘れて1年半が経過してしまったのである。しかし思うにアフィリエイトというのは私のブログの下に全く関係ないゲームソフトにクリックしたりしてお金を頂戴すると言うのは誠に申し訳ない。
ノートのシステムなら私の雑文を読みたい人の意思がダイレクトに反映されるのである。

頼みの綱はあなただけ…!!

😎🐦❤️どうぞご贔屓に

2018年12月 7日 (金)

ブラックロード

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1970年の大阪万博の時はすでに日本デザインセンターの1年生であった。それで会社の方針で勉強会というのがあって万博に行ったのである。その時の事はほとんど記憶していないのだけれどこのカメラを持参して会場のあちこちを撮影した。

すでに半世紀前の話なのである。2025年2大阪で万博があるらしい。
2025年の万博の開催の目的は金儲けであるなどと言って周りから顰蹙を買っているようであるがそれこそ浪速の商人のど根性と言うものである。どんどん金儲けをしていただきたい。こーゆーエクスポジションは関東より関西の方が似合うと思う。

私は2025年の万博の時に気が向いたらこのカメラを持って難波に撮影に行こうと思う。

2018年12月 6日 (木)

東松照明さんのあいきだったMinoltina

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尊敬する写真家東松さんは 60年代のいろいろなカメラメーカーの仕事をなさっていたようである。特にミノルタとキャノンはお付き合いが深かったようだ。

ミノルタが作ったこのカメラはまずコンパクトカメラの祖先と言う感じがする。朝日カメラがカメラ毎日フォトアートかそこら辺は完全に忘れてしまったのであるが東松さんが撮影した現代風景のシリーズが心に残っている。
どこか田舎のテーマパークと言う感じなのである。その写真シリーズのタイトルがアイアムアキングと言うのもしびれた。

それまでの彼の仕事と言うのは普通の一眼レフを使う撮影であったのがカメラがいきなり軽くなったのである。それが写真家の視神経が軽くなったような気がしてそれが魅力であった。

これもおそらく10年以上前にガラクタ屋さんで買ったものだと思うのだけど黄色いシールが付いていない。もう一台位欲しくなってヤフオクなどで見たのだが1台も売りに出ていなかった。ミノルタのカメラの歴史を調べてみたらこのカメラはあんまり売れなかったそうである。

2018年12月 5日 (水)

お歳暮の配達が早すぎると言う問題点です

お歳暮の配達が早すぎると言う問題点です

皆さんからお歳暮を頂戴しています。誠にありがとうございます。
貧困老人家庭を思ってお心遣いをいただくのは本当に感謝である。しかし昨年と今年でお歳暮の届き方が中ようになったので困惑している。

千葉の銚子から毎年着物などを頂戴していたのだが普通妥当注文して10日位かかってこちらに到着するのである。お歳暮というのはそういうものではないかと思っていた。ところが今年の日付を見たら12月3日に発送してその翌日の今日届いている。

何か早すぎませんかと言う感じがする。ヨドバシカメラで写真の薬品を注文してすぐ来るのはそれでありがたいが季節をしみじみ感じるものが瞬間的に到着するのは無粋と言うものだ。一方で日本指がだらしがなくて都内の普通郵便に三日間から四日間かかっている。だから封書でつまらないものをお送りしましたと言うご挨拶の方が数日後に到着するのである。

もう一つ問題だなと思うのは毎年千葉県の銚子から頂戴する魚の干物中に地元の佃煮が入っていた。それはそれで楽しみなものであったのだが今年から様子が変わって佃煮だけ茨城で作られたものなのだ。利根川を渡った事だからどうでもいいではないかと言われるかもしれないがそれは違う。

大量の魚の干物が届いてしまったのでカジンガおすそ分けにと言う意味で隅田川の反対側に居住しているピアニストにメールを入れたらなんと今チェコのプラハに行っているそうだ。今からチェコのプラハには届けられない。正岡子規は明治の終わりごろに夏のお盆の頃にそれぞれの家でおはぎを作ってそれが行ったり来たりするのが不経済で面倒であると批判しているが今のお歳暮もそれに近いところがある。C4d6988a3c1f4e9c91af195d1c9f4128


2018年12月 4日 (火)

次の日曜はブラパチワークショップ本郷撮影裏表

次の日曜はブラパチワークショップ本郷撮影裏表である。

本郷界隈は私が生まれた文京区音羽から1番近いポイントなのである。でもそのことが当時少年だった私にはわからなかった。なぜなら丸ノ内線でいくつも駅を超えないといけないのが本郷であった。ところが買ってもらったばかりの16インチの子供用のそこらを走っていたらいきなり本郷赤門に到着してしまった。

昭和29年に地下鉄の丸ノ内線が回通した。この界隈も便利になった。
吉田健一が戦前に描いた当時の本郷界隈の随筆が好きである。
東大の赤門が今よりはるかに深い樹木が密集していてその下に屋台のおでん屋などがあったそうだ。その描写が実に風流なのでそういう場所でいっぱい飲みたいと思った。

樋口一葉の住んでいた家はこの界隈では観光地としてはトップクラスである。クラッシックな長屋であってその長屋と言うのが急傾斜の地形に立っているから下と上は急な階段で連絡が取れるようになっている。

斜めの土地に立った建築物と言うのはダイナミックなものであって何かポルトガルのリスボンにいるような気もする。

私はいつもそこの階段を上り下りしていたのであるがそれは20年以上前の話だ。今度行ってみたら工事関係者の出したものと思われるポスターがそこら中に貼ってあって、通り抜けると住民のの迷惑になるからやめてくれと言うのである。実に不思議な警告である。

四半世紀前のおぼろげな記憶であるが樋口一葉の住んでいた家と言うのはちゃんと教育委員会か何かの立て札で案内があったと思う。ところがそういうのは一切なくなってしまった。

2番目に有名なのは木村伊兵衛な撮影した本郷森川町の交番派出所である。
これも昭和29年の撮影なので丸の内線が開通した年なのだ。交番の警察官とねじりはちまきのおじさんが向こうを見て何か話をしていて手前をソフトを被った紳士がおりカバンを持って歩いている。それでよく観察するとこの紳士の履物は革靴でもズックでもなくて草履を履いているのだ。
和洋折衷だと思うが私の子供の頃の記憶でもこういうおじさんはよく見かけたものであった。

木村名人はスナップの名人であるからカメラ目線のスナップは取らないものである。しかし画面中央におかっぱの子供が木村名人のライカを見つめている。
ちょうど私は昭和29年にはこのぐらいの年頃であったと思われる。691d3f570d3a4f76b79822d496917fc1


2018年12月 3日 (月)

今田フレックスだるまカメラはスナップショットに使えるか?

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戦前のZeissの最高級カメラ今田フレックスいわゆる日本で言うところのだるまカメラである。
戦前に発行された東京の大手カメラ店のカタログによればこのカメラは2200円した。競合するライカカメラがその3分の1の値段だった。

林文子の当時の小説にタイピストのお給料が40円とある。時代がもっと前であるが正岡子規がなくなったときの給料が40円であって正岡子規はこれを自分のお墓に掘り込む文字として採用したのである。
明治の終わりと昭和の10年代の同じ40円の月給はそれほど違うと言うことなのであろう。

試しに昭和10年代の勤労者の給料40円でこれを殿様の値段と比較するならば55倍になる。40円の給料が今のいくらに当たるかはわからないが300,000円と仮に仮定するならば殿様カメラは16,500,000円になるすごいです。

このカメラは作りが良すぎて非常に重い。以前プラハでこれで撮影で嫌になったことがある。

ついているのは50ミリの標準レンズだ。それならばコンタックスのレンジファインダーのほうがはるかに軽量である。

2018年12月 2日 (日)

汚いライカカメラが好き

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1960年代のライカのブラック仕上げの程度はそれはひどいものであった。新品で手に入れても大体2週間でブラックペイントが全部剥がれてしまうのである。私の持っていたライカM2のブラックもそうだった。
当時はトヨタの広告の撮影をしていて豊田市のオープンスタジオにほとんど年がら年中暮らしていた。それでブラックペイントの禿げたカメラにファインダーの部分だけ養生してマットブラックのスプレーをシュッとやって使い続けていた。

当時のブラックライカの正式な作り方はアンリカルティエブレッソンのやり方が正統派であるとみなされていた。要するにブランドを選んでそんじょそこらではないブラックテープでカメラにベタベタ貼ってにわかブラックカメラにするのである。

1960年代のアサヒカメラの広告などは完全にこの手の話としては神話伝説になっている。
シュミットにある日外人さんがブラックライトのオーバーホールを頼みに来た。フランス語なまりのある英語でスイス人と答えたその人がライカを預かってオーバーホールをした。
このストーリーそのものがまず変である。
写真家がオーバーホールなどにライカを預けては仕事にならないではないか。

技術者が汚いブラックテープをはがしたらその下にアンリカルティエブレッソンと言う刻印が見えたと言うのである。どこまでが真実でどこまでが伝説だかわからない。

でもフイルムカメラ自体の存在の美学と言うのはそこら辺に感じられる。
もっと驚く事はこの広告のコピーはシュミットがブラック仕上げのライカをうるために書いたと言うことだ。その意味でライカのセールスの知的なレベルの高さはあの当時と今とは比較にならないのである。

時々オークションに登場するアンリカルティエブレッソンのブラック仕上げのM3ライカなどがすごくて完全にブラックペイントがはげているから金色の仏様みたいになっている。


先日ダライ・ラマさんが来日して日本では全然ニュースしなかったけどダライ・ラマさんはカメラが好きなのだ。555,555と言う製造番号は彼に贈呈された黄金のライカなのである。
ダライ・ラマさんがまだ20代の頃に取材に来た映画カメラマンの持っていたEyemoカメラに興味を示してそれを操作しているところが当時のライフマガジンに掲載されていた。

2018年12月 1日 (土)

ポツダム広場のパノラマ絵はがき

ポツダム広場のパノラマ絵はがきImg_9295_2

1970年代後半のベルリンである。ポツダム広場の中心から東独を撮影したツーリスト向けの3枚続きの絵はがきだ。

ポツダム広場には東ドイツ軍が見張っていて地雷原もある。それを西ドイツのツーリストであるわれわれはちょっとした台の上から鉄のカーテンのあっち方をちょっとだけ見ることができる。
私は4x5インチのカメラを用意して大人上で手持ちで素早く撮影をした。

私が好きなのはこのポツダム広場ではなくてそこから北に30ことがあるんですか辺のベルリンの国境線が東西に走っている住宅地の中である。Bernnauer strasseと言う。

ベルリンの午後おそくにそこで撮影をした。100メートルほど離れたところにある監視塔のスモークグラスで何かがピカと光った。これは国境警備の兵士が私を双眼鏡で観察していたそのレンズの光なのである。

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ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
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  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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