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2018年12月12日 (水)

一ノ瀬泰造1973 by Shisei Kuwabara

Img_9573

一ノ瀬泰造の母上が亡くなられたと言うことを聞いた。
一ノ瀬泰造は日大写真学科の同級生である。寡黙な男で学生服姿であった。
ギャラリーバウハウスで9月に沢木さんと対談をした時も一ノ瀬泰造の話になった。
沢木さんはベトナムとカンボジアを超えてヨーロッパに行きたかったのであるが彼は普通のバックパッカーであるから南ベトナムのビザが取れなかった。皮肉なものである。ちょうど映画監督ゴダールがノースベトナムのビザを取れなかったのと表裏一体と言う感じがする。

それで沢木さんは深夜特急の取材でベトナムカンボジアはスキップしたのであった。
その後昔のかけた部分を埋め合わせるために彼は2000年の12月にベトナムに取材に来た。その帰りがけにホーチミンシティーで私は沢木さんに遭遇したのである。

言い換えれば一ノ瀬泰造は私と沢木さんをベトナムで結びつけてくれたと言うことになる。一ノ瀬泰造の母上は行方不明の息子の安否を気遣いながら写真技術を習得して膨大なモノクロプリントを制作した。これは母の愛と言う奴だな。
Shisei Kuwabara先生から御母堂のご逝去が伝えられたのである。

一ノ瀬泰造がカンボジアに出発すると言うので確か7人の友人が500円ずつカンパをした。トータル3500で上野駅前の国を払い下げショップでジャングル靴を買ったのである。
この写真で見ると一ノ瀬泰造はオフの日なのであるネタを拾ってゴムサンダルで歩いてリラックスしているように見える。胸にかけているのはニコンエフ2である。そのニコンのカタログをとっていた私であるが一ノ瀬泰造がカンボジアに出発したのと同じ時期に私は家人とオーストリアウィーンに出発した。
一ノ瀬泰造と連絡が取れなくなったと言う話はその年の秋であったのであろうか?

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