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2018年11月29日 (木)

小豆島の若いオリーブがうまい

オリーブは好きでよく食べるのであるがどのようになっているのかを見たことがなかった。20年ほど前にあろうカメラの買取名人が小豆島ツアーを企画してくれたのでそれに参加した。

そこで実際にオリーブの木を見たのである。その次の週から私は取材でシシリー島に行くことになっていたのでこのオリーブの木の実地見学は非常に参考になった。

シシリー島10日ほどかけてあちこち旅をしてここは小豆島と非常に似ているなと言うのは前後関係が逆であるならそれなりに面白かった。
古代ローマ劇場の後に立ってエトナ山を見ながらちょうど300年前に文豪ゲーテがここに立ったのかなどと感慨にふけるとシシリー島のワインとオリーブがうまくなる。

シシリー島のツアーから数年後に買取名人からいただいたのが今度オリーブの塩漬けを作るようになったと言うサンプルめいた商品であった。ヨーロッパの南の食物であるからシシリー島ではなくて小豆島でどんな味なのかと思って食べてみたらこれがなかなかうまい。塩気も薄いしオリーブオイルの香が口の中に広がるのが快感である。

本当はシシリー島のワインでもあれば良いのだがそうもいかないので近くのセブンイレブンで買ってくるチリ産のワインである。この組み合わせはなかなかいける。5d0aadb98bfa44f297584519bd1fcbb3


2018年11月28日 (水)

新しいブログをスタート

新しいブログをスタート

長徳カメラ日記はペイパーの媒体としてスタートして18年目が経過した。

その後はいろいろなオンラインの媒体で書いてきた。12月1日からノートで新しいブログをスタートする。

こちらのほうもどうぞご贔屓に。🐦❤️😎🌈

https://note.mu/chotokucamera/n/n5665e66e0a4a

2018年11月27日 (火)

Akarexの使ひ方

Akarexの使ひ方
1950年代の終わりにニコンやカノンが一生懸命レンジファインダーから一眼レフにその進路方向変換しようとしているときにドイツの南部湖のほとりのフリードリヒハーフェンでは伝統的なレンジファインダでかなり風変わりなモデルが登場した。

それがこのカメラである。レンズ交換をするのに交換レンズに着いたファインダーのと交換してしまうと言う方法はライカでもおなじみだが調べてみるとどうもこちらの方が古いようである。

しかも有名ブランドで優秀なレンズのシュナイダーの3本セットである。

こういうカメラはカメラ人類がライカにもコンタックスにも飽きた最後の救命センターみたいなところがある。私もそうであってこのカメラは以前から気にしていたのだが手に入れたのはこの夏のことであった。

カメラの操作は歯切れが良いしレンズが優秀なので気にいってるがこういうカメラを使いこなすにはライカの欲望を切断してしまっなければならない。

まずここら辺が心理的に最大の難所と言うわけだ。

私はシュナイダーのキセノンが好きなのだが使うにはロボットとかレクタフレックスについているからそれを持ち歩くのはなかなか面倒である。それに比べれば小型軽量なこういうカメラの方がお気楽と言うことになるのである。3c56b2cdf33c4216b7361d112904a6ce


2018年11月26日 (月)

Wien時代のKievとコンタックス

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ソ連製のコンタックスカメラコピーのキエフを使い出したのは1975年頃だった。
当時はオーストリアウィーンのカメラ店で新品のキエフを売っていたのである。交換レンズも28ミリから135ミリまで新品で買うことができた。

そのソ連製のカメラで撮影して四つ切りにプリントした。全く同じ条件でライカM3に頭ミクロン50ミリをつけて同じようにプリントした。その2枚をプロの写真家に見せたらどちらがライカでどちらがキエフ区別のつかなかった。
私がキエフのカメラを信用するようになったのはその時以来のことだ。

ソ連製の28ミリをプラハに行った時に手に入れた。中古のカメラ雑誌2作品を掲載したときに500クローネンと言う原稿料をもらったのでそれで28ミリレンズを買ったのである。
だから私のウィーン滞在当時のスナップショットはほとんどソ連製の28名で撮影したものだった。

その後コンタックスを手に入れた。これは戦前のコンタックスのことである。
シャッターが粘っていたので非常にスローなシャッターが切れた。だからちょうどらルーティングの自動車競争のような斜めにスクイージーされた写真が撮れたのだった。

年に1度のギャラリーNiepsクリスマスセールであった。ガラクタ屋さんのシドニーが終わった後ににだいめを拉致して皆さんと一緒に行ったのである。

にだいめさん曰く年々3日だったら構わないけど毎日こーゆーセールをされては商売敵になって困ると言うのである。
ガラクタ屋さんはカメラ屋さんだしギャラリーはギャラリーだから別に競合するわけではない。
1980年代初めのニューヨークのソーホーでフォトグラファーズプレイスと言う場所があってそこは今のガラクタ屋さんのような場所なのである。私の住んでいたロフトから5分位の場所にあったので結構危険なプレイスであった。

ギャラリーのクリスマスセール手に入れたのは中藤さん出品のコンタックスである。Price Tagよりも5000円も安くしてくれた3000円だった。メーターは動いていないと書いてあったが実際には動いていた。シャッターもちゃんと切れる。

いきなり自分が1970年代の20代のような気がしてフイルムを装填していきなりコンタックスで写真を撮り始めた。こういうのは非常な若返りの効果がある。

48年前の1970年のその日に三島由紀夫が死んだ。私の友人の新聞記者のカメラマンは現場で三島の首が落ちたところを撮影したのであるがそれは紙面に掲載されなかったと言う。

48年前の私は愛知県の豊田市のスタジオでカローラ1100の撮影をしていた。
家人の場合は日比谷公会堂で交響曲第4番マーラーのソリストをしていたのである。

そういう半世紀前のコンタックスなのだ。

2018年11月24日 (土)

最も初期型の一眼レフ用の望遠レンズってかっこいい

最も初期型の一眼レフ用の望遠レンズってかっこいいImg_9165
中平卓馬さんに最初にお目にかかったのは東松照明さんのご紹介であった。新宿のビルの写真家の事務所ででそこに東松さんに写真を見せに行ったときに雑誌現代の目の編集部の人が来たのである。

東松さんはこちらは現代の目の編集部の中平くんと紹介してくれた。写真家になる前の中平卓馬を知っていると言うのはダイヤモンドの原石を見ている様なものだ。
今になって思う。

中平さんの仕事で好きなのは彼が記憶を失った後の全部縦位置で100ミリのシリーズである。
最後に中平さんにお目にかかったのはなくなる数年前真冬の2月の曙橋であった。赤いウィンドブレーカーに赤いキャップだからすぐ中平さんと分かったのだが付き添いの人がいなかった。
別に声はかけなかった。その最後の中平さんの瞬間はカメラを持っていなかったと言う記憶がある。

中平さんに会ったり森山さんに会ったりガラクタ屋さんは近くだしこの界隈は写真と写真機にご縁がある。このレンズもガラクタ屋さんで買ったがシールを間違えて剥がしてしまったので残念ながら値段はわからない。

中平さんがその表現を変えたのは私にとってすごく重要であってそれ以前の広角24mmの撮影はある種のシンボリズムなのだ。写真が社会活動であると誤認されていた時代に中平は旗を振っていた。しかしその後の時代に中平は100ミリの縦位置によって写真の持っている意味性を排除した本来の自分の視神経を回復したのである。

それで真似をして私も100ミリのバーティカルで写真を撮り始めた。R2000である。レンズはごく初期のプリセット色の100ミリだ。レンジファインダようだったのを慌てて一眼レフに改造した製品である。
楢原Ikkohさんもこのレンズの愛用者であった。

2018年11月23日 (金)

ギャラリーバウハウスで密度の濃い写真展スタート

ギャラリーバウハウスで密度の濃い写真展スタートImg_9159
私も何回も写真展を開催しているギャラリーバウハウスで2018年のエンディングと2019年のスタートを飾る注目の写真展が始まった。

「LIFE写真のある生活」

写真の歴史上の重要な作家のヴィンテージプリントの展示である。
ハリー・キャラハン、友人スミス、ヨセフSudek、アンセルアダムスなどに加えて現役作家も含めた30人の69.のヴィンテージプリントが並んでいるのは圧巻と言うよりも写真芸術で空間が歪んでいると言う感じがする。

銀塩プリントで写真空間が臨界になっていると言っても良い。
故に世の中のデジタルプリントの展示は顔色を失うのである。

アートグラフィーで空間が歪むと言うのは例えの話であるが1980年代にニューヨーク近代美術館でヴィンテージプリントの研究をした時にもまさに同じ空間の歪み方のであったのである。

私が長年お付き合いしてきたしかし残念ながらもうすでに天国在住になっている友人写真家の仕事もそこに展示されている。
大阪芸大などで私が教えているときにいつも学生諸君に話しているのは写真家の命と言うのは想像以上に長くて彼らの命が終わったところから本当の写真家としての仕事がスタートするということなのだ。

新型デジタルカメラの命短く
ヴィンテージプリントの写真家の命は長い

ギャラリーバウハウスの展覧会は来年の2月9日まで。
2019年1月の第二日曜日の午後1時から本来はギャラリーバウハウスはお休みなのであるが小滝館長にお願いして私と2人でフロアレクチャーを短くやらせてもらうことにした。長徳ブラパチワークショップのプログラムの1部として展開させていただくことにした。

世界中の著名写真家の仕事をヴィンテージプリントと言う形で実際に見る知る貴重な機会である。🐦😎❤️🌈

2018年11月22日 (木)

永井荷風の随筆に登場する もとはちまん

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永井荷風はかなりの長距離歩行者である。永井荷風の随筆に登場する もとはちまんを読んでみると晩秋の天気の悪い夕方に自宅のある麻布のほうには行かずに当時の城東電車の停留所をさらに東にどんどん歩いて行く1節がある。

当時は砂町100,000坪と言って東京で最も寂しいところであった。さびれはてていた神社の境内に古びた石碑を発見してそれが歴史的に有名なもとはちまん の社であったことを発見して永井荷風は狂喜している。れるろ「

しかもその石碑を発見した永井荷風は何も明かりを持っていないのでそれを検証するのは他の日にすることにしてワクワクしながら麻布に帰ってくる件がある。戦前の東京を本気で冒険しているわけだ。

ほぼ20年ぶりにこの場所に行きたくなってバスの路線を調べたら亀戸から出るバス路線は亀の21番と言うのである。
おみくじの番号みたいで何やらかっこいい。

2018年11月21日 (水)

古屋誠一がのっていたフォルクスワーゲンバス

家から駅に向かう途中に懐かしい車がいつも止まっている。フォルクスワーゲンの小型バスである。フォルクスワーゲンが有名であるがそれ以外にもるのとかシュコダとか戦後のこの時代には国民の足としてそして物を運搬する手段としてこういう小型バスは大流行した。フィアットのタクシーに使われていた小さいバスなんかもなかなか格好が良かった。

^_^オーストリアウィーン時代の友人の古谷がこのバスに乗っていたのはおそらく彼がグラーツに移住する前ではなかったかと思う。動く鉄錆と言えるようなボロボロのフォルクスワーゲンであって多分値段も安かったに違いない。でも座席人数が多かったのでこのバスでいろいろなところに遊びに行った。オーストリアウィーンで最も長く住んでいる栗田は^_^古谷の親友であったがいつのことであったか栗田が日本に1時帰国することになって古谷は栗田をマイクロバスに^_^乗せてなんとフランクフルト空港まで送っていったのである。

友情の発露と言う所だな。それ以上に私が驚くのは1970年代のwinと言うのは日本への直行便がないからパリからフランクフルト経由で日本に行くしか方法がなかったことだ。オーストリア航空は東京直行便を飛ばしていたがそれも20数年後に商売にならないと言うことでやめになった。しかしそれでは^_^になると言うことで昨年あたりから夏だけ飛んでいる。でも冬は直行便はないのである。何か1970年代に戻ったそーゆー不便さが役にいい感じだ。
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2018年11月20日 (火)

あー長崎は今日も雨だった

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東松照明さんがまだご存命の時だから10年以上前である。
長崎の美術館で開催された東松さんの長崎曼荼羅を見に行った。その撮影に関してその前の年であったが東松さんからお電話をいただいてレンズについての質問があったのでお答えした。当時の東松さんはイオスをお使いだったのでベストのレンズは何かと言うご質問であった。まだフィルムカメラの時代ですよ。

それは50ミリのオートフォーカスの1番安いやつに限りますとお答えした。それで東松さんは長崎曼荼羅でそのレンズをお使いになった。

長崎に行って東松さんのお宅を直接訪問するほど私はバカでは無いからお住まいの近くつまり市電の終点まで行って地元の市場をウロウロした。
市場の魚屋のおばちゃんであったかその話をしたらそのおばちゃんの旦那が市民病院に入院しているときに老紳士と知り合ってその人が有名な写真家であることがわかったと言う逸話をしてくれた。

こーゆーのは面白い話だ。木村伊兵衛さんだって日暮里の地元では床屋さんの向かいの横丁のおじいなのである。誰も日本を代表する写真家だとは思っていない。

東松さんの地元に行った時は雨であった。市電の終点から50メーターも歩いたところに赤ちょうちんがあってそこで皿うどんを注文コップ酒をいっぱい飲んだ。

皿うどんとちゃんぽんの区別を私は未だにわからないのであるが人生の謎と言うのはそういうのは謎のままにしておいたほうが人生楽しいのである。

11月末の雨が降りそうなはっきりしない東京の天気でいつも行っているセブンイレブンでなんとなくあんかけ焼きそばが食べたくなってそれを求めた。値段は460円。お昼にそれを食べ終わってから何かが欠けているなと思ったらコップ酒が欠けていたのである。

皿うどんとコップ酒は私の偉大な長崎ノスタルジーなのだ。

2018年11月19日 (月)

はまくらかむ でいっぱいやりましょう

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内田 100鬼園はお琴の宮城道夫に師事していた。住居も同じ牛込方向であったのでいろいろお付き合いがが深かったようである。

内田のエッセイの中に
はまくらかむ でいっぱいやりましょう
というのがある。鎌倉ハムの意味なのである。言葉遊びで当時なんでも第一音節と第二音節をひっくり返して意味もなく遊んでいたそうである。

戦前の日本郵船ではヨーロッパ行きの時に積んでいくのが鎌倉ハムでヨーロッパから帰ってくる時は相模ハムであったそうだ。ハムは当時のご馳走であるからさぞかし美味しかっただろう。

ギャラリーバウハウスの2度目のトークショーの時に鵠沼のブレッソンが来た。彼は私の周りで唯一メールで連絡が取れない人間であるから用件ははがきになる。トークショーの時に私の姿を見て何か感に堪えない表情をしていた。
その2日後にはまくらかむ が到着したのである。写真展のご苦労様と言う差し入れであることだけはわかったが彼の犯行の動機と言うものがいまひとつわからなかった。それでハムを切って長岡の辛い日本酒を飲んだ。その2日後にブレッソンからのペーパーの手紙が来た。
その内容によるとギャラリーバウハウスでゲストに配布されたギャラリーでとれた柿の木の話である。いや正確には柿の木の果実の話である。

鵠沼のブレッソンによれば柿の木の果実は体を冷やすから注意した方が良いとあった。当時と言うのは明治時代であるが正岡子規が似たようなことを書いている。

ブレッソンの手紙によれば今から鎌倉に肉を買いに行きますとあった。小町通りの肉屋で鎌倉ハムを送ってくれたのが先について犯行のいきさつを記した手紙が後からついたわけである。日本郵政はけしからん会社で佃1丁目あたりの郵便の配達が非常に遅くして午後4時ごろになる。
だからハムが先について手紙はほぼ1日遅れと言うことになった。

2018年11月18日 (日)

かぼちゃとお化けの滑り止め

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ずっとiPhone 5sを使っていてこの秋に最新型のiPhone 6に変えたわけである。亡くなったスティーブジョブスがiPhone 4型になったときに新型のiPhoneはクラッシックライカのように美しいと書いて私はそれをいろんなエッセイに引用したことがあった。

うまいこと言うなと思ったがiPhoneでほんとに美しいのは1番最初のモデルである。これこそクラシックライカのように美しい。しかしクラシックカメラのように美しくても通信が遅くては困るわけで私もついに最新型のiPhone 6を買った。

しかしこのモデルは指が滑りやすい。アップルが意図的にiPhoneを滑りやすくして落下して修理代を取ると言う阿漕な商売なのではないかと勘ぐりたくなる。

私はガラスを割って20,000円取られるのが嫌だから滑り止めを貼った。もう時期はずれのハロウィンのシールである。かぼちゃとお化けを貼ったらだいぶ操作がしやすくなった。このシールは鵠沼のブレッソンからの頂き物である。

2018年11月17日 (土)

雲の奥行きを見る

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日本デザインセンターにいたのは1970年から73年である。中央大和ビルの5fというのが写真部の場所であった。そこからNikon Fでたくさん写真を撮ってその当時のカメラ毎日に掲載したこともある。午後のドラマチックな光をコダクロームで撮影したことをこのスカイツリーのショットを見て思い出した。

日本デザインセンターの備品のレンズでレフレックス500ミリF5というのがあった。当時は使うフィルムはコダクロームであったからF5の明るさが必要なのである。

その頃はカラーフィルムはコダクロームしか使わなかった。それは若い写真家の生意気と言うよりも実際問題としてEktaクロームは色が悪いので使えなかった。

このショットは15年落ちのD200


2018年11月16日 (金)

ドナウ運河と隅田川

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捻挫の治療と言うわけではないがあまり無理をしないようにしようと言うことで家から数十メートルほどのところにある隅田川のほとりのベンチまで行ってそこに座ったり近くを歩行したりしている。

日没近くなると太陽の光がまぶしくて目が開けていられない。しかし日差し建物の陰に入るといきなり冷気が襲ってくる。
目の前に展開している風景は東京のように見えるが実はドナウ運河のほとりなのである。ドナウ運河のほとりには7年半住んでいたのであるが風景がこれと全く同じなのだ。

オーストリアウィーンの旧市街のリングストラッセの角には高層建築があってその下流には岸辺のマリア教会がある。数百年前までドナウ運河の水はここまで来ていたのである。
さらに運河の東側にはIBMのビルに似た高層ビルがある。

これだけランドマークがあるともはやwinなのか東京なのか分からなくなる。
ゆいすまんのさかしまの世界である。

1時間ほどさかしまのオーストリアウィーンの風景を楽しんでエレベーターに乗って部屋に入ったら東京は隅田川の夕暮れである。
何か遠いヨーロッパから数秒で帰ってきたような気がして面白い。
カメラが最新型のiPhone 6

2018年11月15日 (木)

Josef Sudek 71歳

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部屋のテーブルの上がSudekの部屋のようになってたので片付けをした。そしたら下の方から外国から来たまだ開封していない写真集のパッケージが出てきた。開けてみたらSudekをモチーフにした写真集であった。出版はロバートフランクでもうけているドイツのSteidlである。

撮影したのはドイツの大学の先生である。Otto Steinartの弟子であるらしい。

片腕で大型カメラを背負って歩いている写真家はなかなかかっこいい。
表情も非常に若々しいのでこれは50代後半の撮影かなと思ったら1967年なのである。すなわちあのプラハの春の1年前に撮影されたものである。

写真家のラビリンスと言う有名な作品があるがそれは彼のアトリエの大きなテーブルがすべてもので埋め尽くされていてその真ん中の方々10センチ4方の場所だけが空間ができている。
その小さなスペースにひときれの黒パンと紅茶のカップとちいさい杏が置かれている。そのテーブルの全景を11 × 14インチの大型カメラで写真家は撮影しているのだ。これは傑作ですね。

Sudekを個人的によく知る人の記憶によれば彼は妹さんと住んでいたが人生の終わりになってものが充満して窓まで歩いていけないような状況になっていたそうである。つまり写真家が感じている全世界と言うのは彼の部屋の方が全世界よりも広いと言うことになる。

彼の部屋で素晴らしいと思う装飾品はバロック時代の天使の金泥の翼のもげたのがそのまま無造作に壁にかけてあるのが良い。これはイカルスの羽よりもクラスが上なのである。
この事実はSudekが第一次大戦にイタリア戦戦で片腕を喪失してしまったことへの補償なのではなかろうか?

2018年11月14日 (水)

中藤受賞者の写真集ホワイトノイズ 右手のパノラママジック

家ではもっぱら受賞者と呼んでいる中藤さんの最新の写真集だ。普通のソフトカバーの写真集のように一見見えるがこの本にはかなり不思議な仕掛けがある。

観音開きと言うのは雑誌などで時々使う禁じ手なのであるがこの写真集は1冊全部この観音開きの禁じ手で展開されている。

だからこの場合本をめくる時に右手でパノラマのページを開くと言うことがとても大事なのであって本を閲覧する人間が中藤の構築した世界を自分の右手のアクションで展開すると言う主体的な参加の写真集の鑑賞方法になっている。

中藤は写真家としてはかなり諧謔を弄する方の種類の人間であるので1ヵ月ほど前にも写真集飲み会なるものをあるいは別の名前だったかしれないが写真集を見ながらいっぱいやろうと言うコンセプトで展開して1部に誤解を生んだりしている。

写真集を見ながらものを飲んだり食ったりするのは別にルール違反であるとは言わないが写真評論家飯沢が大昔に写真集食堂を作ったときに私も飯沢から何度か来てくださいと言われているが1度も行った事は無い。基本的なスタンスが私は異なるので飯を食いながら写真集を見ると言うのはアメリカのジャズを聴きながら酒を飲むのに似ていて私には理解できないところがある。

写真集を見るお行儀などを言うような儒教めいたことはここでは置いておくとしてこのホワイトノイズは写真集の空間を3次元プラスにしてくれるところがあってそれが面白い。

もともと中藤は森山大道のエピゴーネンのような写真からスタートしたが今回の右手で広げるパノラマ空間の仕事である意味完全に森山に追いついて今徐々に森山大道を追い越しているように私には観測されているのである。中藤はこの仕事で別のタイトルを受賞すると思う。Bdd9c4d44afa452b96ec45525e29a986


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2018年11月13日 (火)

石原悦郎さんの思い出。かきはないかな柿は

ギャラリーバウハウスの2回目のトークが終わった後バウハウスの建物の中にある柿の木になった柿の木の果実をいただいた。

柿の木の果実とはめんどくさい言い方であるならウィキペディアで調べたらこれが正式な名称であると言う。

我が家もかき余り現象で先週新潟から段ボールでいただいた直後であった。

しかしどこで作られたかがよくわからないかきよりもギャラリーバウハウスの庭でできた柿の方が出所が明らかであるから信頼ができる。果たしてうまい柿であった。写真が上手くなる柿であるなどと尾ひれをつければ人気になりそうだ。左手がギャラリーバウハウスの柿であってみぎ右のほうは新潟からの頂き物である。

Zeitフォトサロンの石原さんのことをよく思い出す。1980年代に石原さんと我々写真家連中が阪急のデパートの上のレストランで会食をした後に石原さんはウエイターにかきはないかな?と聞いたのである。
残念ながらかきはなかったけれどもこの質問はヨーロッパでかなり贅沢をした人間が自然に口から出る会話なのであってなるほど石原さんはそういう人なのだなと納得をしたのであった。


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2018年11月12日 (月)

🐦❤️12月9日ブラパチ学習塾本郷方面で開催決定🌈

🇻🇳🇻🇳🇻🇳先ほどメール復旧しました大変ご迷惑おかけしました😎

🐦❤️ 12月のワークショップは私の生まれた音羽の隣街本郷を歩きまわります。
題して本郷裏表大撮影会。😎

本郷森川町の木村伊兵衛さんの交番を撮影した傑作があります。当時の交番は小学校の行き帰りに必ずよるポイントでした。勤務中のお巡りさんにピストルを見せてもらったりしたのです。

東大闘争安田講堂の落城のときには私は須田さんと取材に行っていました。
本郷3丁目の角の路地の奥にあるスナック千鳥は東京で最も早い時期に作られたスナックでした。

樋口一葉の古い家も残っていますし
Ohmiya洋菓子店にも何十年も通っています。見所いっぱいの本郷界隈です。😎🐦❤️804eb2e94c2f4af3afe69a7e4cd71a98


2018年11月12日 (月)

マウントバウハウス世界最高峰サウスコル

50年間世界中を歩いていたのに初めての捻挫である。ヨルダンの土石流のニュースを見ていて感心したのは3000人のツーリストが避難しているのであるが私が最初に理解した事はこの3000人は全員足を捻挫していないなと言うことだった。

11月10日にはギャラリーバウハウスでのトークがあった。それでいろいろ考えた。最新型のiPhone 6にはタクシーを呼ぶソフトは入っているのであるがそれはまぁマンションの車寄せにまでは来てくれない。道路までは来てくれる。ところが私はアーロンチェアに座ってキッチンに行くまでが一大決心であってパリに行くよりも遠くの感じがするのである。

思い余って野々宮介護サービスをお願いした。これならエレベーターでまっすぐ地下2階の車寄せまで行けばBMWが待っていると言う次第だ。

この日の野々宮はセスナでTouch and Go!!を何回かやった後なので申し訳なかった。
今回の遠征の工程の中で最大の難所はギャラリーバウハウスのエントランスの大理石のステップである。それでこのステップをマウントバウハウスのサウスコルと命名した。

野々宮サポート隊の肩先を借りてサウスコルの難所を越えてエレベーターで会場に降りた。椅子に座ると全くの健常者のように見えるのであるが実際には2メーターも歩けないのである。

トークショーのの冒頭に鵠沼のブレッソンを皆さんに紹介した。今回のトークはもともとは前回の沢木さんのトークに来たブレッソンがその感想を鳩居堂の便箋にウォーターマンの万年筆で十数枚の長文の脅迫状を私に送りつけてきたのである。ウォーターマンの万年筆のインクがもう切れるのでこれで終りにしますと手紙の最後に結んであった。

小滝館長と協議して鵠沼のブレッソンを敵に回すと面倒なことになりそうなので2度目のトークを開催したわけである。
満員御礼。

写真は野々宮撮影。ライカモノクロームにSummmarImg_8996


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撮影は漂流者。カメラはiPhone

2018年11月11日 (日)

スカイツリーの芽が出た頃

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2009年の夏の頃。
東京に第二の電波塔ができると言うのは聞いていたが最初はこのような感じだった。だから望遠レンズで見るとひしゃげた格好の変なビルが建築中だなと思った。

当時はほぼ毎月プラハに行くと言う生活だったのでプラハから帰ってくるとそのビルは少しずつ天空に向かって伸びていた。そのそらに向かっての育ち方が止まらなくなって今我々が見ているようなタワーになったのだ。

その意味でスカイツリーのめばえの時代は非常に貴重であると思う。

2018年11月10日 (土)

三輪で捻挫オリンパスワイド

三輪で捻挫オリンパスワイド

先週初めてのことである。あろうカメラ我楽多屋さんでオリンパスワイドのダブルネームモデルを買った。それを持って三輪に出かけた。

都電荒川線の停留所の奥の路地にある沖縄のそばを食べに行ったのである。

昼前の快晴の強烈なコントラストの道を歩いていたら商店のエントランスの段差に左足がかかった。本当はそこで転んでしまえばエネルギーの使い方はうまく収まったのであるが私は思いっきり踏ん張って前方向に向かってたたらをふんでしまった。
私に対抗して彼方から歩いてくる人がその私の勢いにびっくりして全員逃げてくれた。ようやくそのお店の右側の柱につかまってそこで停止することができた。

その時は別に足を捻挫した感じではなくてそのままオリンパスワイドで三輪の商店街を撮影してその時に最新型のiPhone 6で撮ったのがこの画像である。

今週の火曜日にニコンの101号館の跡地を見に行った。
大雨の日であって持っている傘がずぶ濡れになった。この傘は余年前に赤瀬川さんが亡くなった時に彼の千葉美術館での回顧展に行った時に千葉で買ったのである。

よく水曜日は佃で晴海トリトンスクエアに買い物に行った。その時の歩数は6000歩位のものである。

木曜日の朝から左足首が痛くて歩行困難となった。老人になると捻挫などにしてもショックを受けたときにすぐ症状が出ないで1週間ぐらい経ってから出るものと見える。

それで今度の日曜日のブラパチワークショップは既にロケハンも済ませたのであるが大事をとって中止とした。
ブラパチワークショップは毎月第二日曜日に開催していてこの前の8月はお休みしたが後は毎月実施しているのである。今回が第13回目なのであるが13回だからうんぬんと言う事は別に考えていない。Ab6e5d96342f432b891f09de2ca6314e


2018年11月 9日 (金)

小顔焼き

小顔焼き
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大雨の中にニコンの101号館の跡地を撮影に行って佃に戻るとき甘いものを買おうと思った。
中延駅前の商店街をずっと歩いた。
ここら辺は知らない地域である。

人形町にあるのと同じ屋号の人形焼き店があった。そこでとりあえず人形焼きを買ったのだが数年ぶりに買ってみて何か値段が以前人形町で買った時よりも安くなったような気がしたのである。

1個108円なのである。佃島に帰宅して調べてみたら私が知っている人形焼きよりもかなり小さい。
20年以上前に人形町あたりの老舗の時計屋さんの娘が人形焼きに似ていると言うのが話題で彼女は自ら前に何個かの人形焼きを並べてそれを撮影して雑誌の著者写真などに使っていた。

その当時の四半世紀前の人形焼きに比べるとこれは小さい。
こういうところにも小顔ブームというのがきているのであろうか?

ブラパチワークショップ11月11日中止のお知らせ

ブラパチワークショップ11月11日中止の件

🐦❤️田中長徳は左足捻挫のため今度の日曜日のワークショップを中止します。
ご迷惑をかけして申し訳ありません。😎

11月10日午後7時からのギャラリーバウハウスでのトークは予定通り行います。😎❤️

2018年11月 8日 (木)

Ricolet2のでザインに美学を感じる

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リコーのレンジファインダカメラのデザインには良いものが多い。特にフイルム時代のものは作りが良くてデザインが良いのに当時の価格が安かったと言うまさにカメラ人類の福音書と言う感じがする。

私の父親時代の人が最初に手にしたカメラがこのカメラであるという実例もたくさん周囲にある。

それでこのカメラの事なのだがこれは普及モデルでレンジファインダがついていない。まさにそこがかっこいいのだ。私が長年ライカの1番最初のモデルでパリかどっかで写真でその写りにびっくりしているわけである。

レンジファインダのついていないライカカメラの最初のモデルに対抗できるとしたらおそらくこのカメラしかないであろうと私は考えている。その全体のデザインが非常に良い。普及型であるにもかかわらずそのような手を抜いたとか安っぽいと言う感じが全くしない。

当時このカメラに関わっていたリコーの方の意見では輸出向きの普及機であったからあまりかっこいいと思わなかったが今見るとそのデザインの観点が違って見えるとおっしゃっていた。

トップカバーのデザインで特に優れているのはButterの塊をシャープなナイフで斜めに急ぎ落としたようなそのLINEである。最近手に入れたものなのだがあのリコーのレンジファインダカメラのトラブルの定番としてシャッターが壊れているかフォーカシングがフリーズしているがそのどちらかであろうと期待していた。ところがこの固体は先週出荷された言う感じで実にスムースなのである。そのことにもびっくりした。

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2018年11月 7日 (水)

ブラパチワークショップ偵察衛星から見た矢切の渡し

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偵察衛星から見た矢切の渡しである。民間用だからシャープネスなどはかなり落としているであろうが軍事偵察衛星だったらずば抜けて細かいところまでわかるに違いない。

今度の日曜日のブラパチワークショップの攻撃目標がここなのである。
敵陣の状況を分析するに矢切の渡しから千葉県の松戸に抜けてその先は市街地までかなり距離があるようだ。それで数年前に浦安市は矢切の渡しの近くまでバス路線を伸ばしたらしい。

衛星写真の力はすごいものであって新潮社から出した私のエッセー集屋根裏プラハにもかかれているが私の長年住んだプラハのアトリエは屋根裏部屋であって八戸ある天窓のうちの1つにA4サイズの紙が貼ってあるのだ。それは私の意図ではったものではなくて天窓のブランドのシールをはがし忘れてそのままになっていたのである。それが偵察衛星からちゃんと見えるのだ。何百キロから撮影しているのかいらない紙1枚がありありとわかると言うのは何か空恐ろしい。

2018年11月 6日 (火)

今度の土曜日午後7時ギャラリーバウハウス

今度の土曜日午後7時ギャラリーバウハウスImg_8962_2


2018年11月 5日 (月)

マンションのエントランスのキーが壊れる

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タワーマンションのエントランスはかなり旧式の非接触式のきーである。紛失しないように穴が開いているので十数年前にガラクタ屋さんでもらったTXのパドローネのキーホルダーにつけて使っていた。素材はプラスチックであるのでキーホルダーの金属に食われて穴が壊れてしまった。

最近のこの種類のKeyはもっと強くなっているのであろうがこのタワーマンションは1989年4月にできたものであるからこれはおそらく当時最新のエントランスのテクニックなのであろう。

この小さな型のキーだけではポケットの中で探すのが大仕事である。

それでこの前CFカード150円で買ったときのナイロンの袋があるのでそれに入れた。
黄色い札もちゃんとついています。

2018年11月 4日 (日)

うまいだし巻き卵

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家人のお弟子さんからだし巻き卵をいただいた。お弟子さんは家の卵は甘くないのですみませんとか言ったらしいが私は甘い卵焼きは認めない。

このだし巻き卵がなかなか逸品であってお酒の肴にも非常に合う。若い人が作ったのかと感心していたがそうではなくてお弟子さんの母上がお作りになったものであるそうだ。それはそうであろうだし巻き卵などと言うものは古典芸能の範疇に入るからインターネットで教えられるものではないのだ。

10年ほど前に日本路地裏学会のMomoki会長と奈良の裏通りを歩いているときに会長が通りがかりの料理屋のお品書きを見てだし巻き卵が好きですと言った。これでちょっと会長を見直したこともあった。

だし巻き卵は私も以前作ってみたいと思ったことがあったのだが実際に道具を用意してやってみてもなかなかうまくいくものではない。私の場合暗室は半世紀やっているがだし巻き卵はその意味で挫折したのである。

印画紙のプリント作業とだし巻き卵とはその制作過程が何か似ているような気がして面白い。

2018年11月 3日 (土)

きれいなお花と汚いカメラ

きれいなお花と汚いカメラImg_8922 、、、
プラハとかオーストリーのwinとかに長く住んでいたわけであるが日本の生活に比べて何が違うかと言うとあちらでは地下鉄の出口に必ずお花うりいたものである。
日本の場合はそうではなくて飲み物の自販機があるばかり。

メトロから降りて1束の花を買うのと自販機で何かを買うのとでは心の癒され方が最初から違うのである。そういう意味でこの東京は恐ろしい都会だ。

ヨーロッパのメトロだとその出口のあたりで季節の果物も売っている。東京の場合はそれがないから近くのスーパーで買うことになるがであるために果物を1個だけ買うことにしている。それと花を1束だね。

カメラのほうは汚いのを使っている。Facebookなどで私が汚い雷顔画像アップするとみんな褒めてくれるのである。これは一体なんだろうか?
この写真に写っているデジカメのほうはメーカーさんから借りたものだ。だからあんまり汚くすることができないのでその代わりにブラックテープが貼ってある。ブラックテープはこの春にハノイに行った時以来ずっと貼ってある。剥がせば下通りのきれいなカメラになると言うわけだ。

アメリカの多川のスーツケースのメーカーで旅行中にスーツケースをきれいにせていると盗難の恐れがあるのでその上に汚いペンキだらけのカバーをかけてあると言うアクセサリーがあった。今になってありが欲しいのだが一体どこで売っているのだろうか。

ビルカニングハムが愛用していたそしてジョナスめかすも愛用しているフランスの労働者の青いうわっぱりは数年前私が新千歳空港に忘れてきたので友人の写真家の中藤さんがわざわざパリからお土産に買ってきてくれた。

実はその前の年に私はやはりパリに行ってその青い上着を探していた時にメゾンドライカの前でパリ在住の絵描きさんの朝比奈さんにお目にかかった。私が事情を話すと朝比奈さんは古着屋に連れて行ってくれた。そこで手に入れたのがペンキ職人さんが来ていたと思われる白い塗料がたくさんついた青いうわっぱりなのである。これも大切にしている。

お花とか女の子が綺麗な方がいいかもしれないが使う道具はなんとなく汚いほうがいい

2018年11月 2日 (金)

雑司が谷の空飛ぶ円盤公園でたては蝶に出会う

天気の良い撮影。フランス語ではこれを今日はルミエールが良いと言うらしい。これは木村伊兵衛さんから教わった。

昨年の9月に第一回目のブラパチワークショップで歩いたのが私の生まれた家から雑司が谷を経由して椿山荘から江戸川橋方面だった。

雑司が谷の空飛ぶ円盤公園で公園の水を飲んで暖かい日差しのベンチに座っていた。この公園の斜め向かいに恐ろしく古びた木造の2階建て建築があってこれは私がこの地域に親しくなってから半世紀以上そこに立っていたのだが今回行ってみたらなくなっていた。誠に古い建物と人間の生き死にと言うのは見た感じがする。

目の前にいきなりたては蝶着陸した。私は小学生中学生の頃は昆虫博士であって文京区音羽地区の昆虫の種類を分別したりその成果で国立科学博物館で研究発表をしたようながきの昆虫学者だったのだ。

だからたては蝶の種類等にも詳しい。この蝶のチャームポイントは羽を閉じているとグレーで存在感がないのだけれども羽を開閉すると実に鮮やかであることだ。

そういう大脳の深いところに格納されている記憶が1様に浮上してちょうど小学校の中学年位の気分になった。これは1種のタイムマシンなのである。カメラは最新型の iPhone 6 1520c35aaea249dc9fdd0271683a26a7
😎

2018年11月 1日 (木)

水鏡の秋

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1年に数回の事なのだが早朝に永代橋の周囲の水面が鏡のようになっている時がある。まず風がない早朝なのであるが隅田川は小波を立てているのは普通であるのでこの光景は非現実的であって非常に美しい。

川が湖のように見える不思議な瞬間だ。

佃堀はいつも濁っているどぶ川なのであるがこの間帰りに何気なく見たら秋の空が非常にきれいに写っていた。もうこの界隈に30年近く住んでいるのであるがこれほどきれいな夕暮れの空はなかなか見たことがないので感激した。それをポケットから取り出した最新型のiPhone sixで撮ったのがこれである。

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ごあいさつ

  • Note新ブログのお知らせ
    新ブログのお知らせ お世話になっております。2018年11月27日より tanakachotokuカメラノートがスタートしました。スポンサーに頼らないIndyなカメラストーリーです。
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  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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