プラハのアトリエの最後の日々
プラハのアトリエには30年近く暮らしたのである。この場所はプラハの街の北部にあってプラハ工科大学と隣り合っていた。プラハの6区と言うのはいわゆる文教地区であってこのアトリエのある建物は1930年代に作られたが最上階は画家のアトリエになっている。
当時の建築基準法で5fまではエレベーターがなくてもオーケーであって6fの屋根裏部屋母エレベーターなしでオーケーと言うことであったらしい。
ここに暮らし始めた30代の頃は結局6階まで階段を上ってなんともなかったが毎年徐々に階段が高くなってきた感じがする。
それで数年前ヒキ払った。それ以来プラハに行った時はホテル暮らしである。ホテルがすごいなと思うのはエレベーターがついていることだ。エレベーターのない建物に暮らしているとそんなことも素晴らしいことに思える。
近くにソ連大使館の文化部があって組織がロシアになったときに共産党を称えるいろいろなデコレーションが門の前に捨てられていた。興味本位にそれを拾ってきて当時私がやっていたカメラジャーナルと言う冊子の表紙に登場させるカメラのバックに使った事もあった。国家が1つの体勢からもう一つの体制に移行する時それまで尊敬され言っていた環境などは簡単に捨てられるものなのだと痛感した。