フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月30日 (日)

スカイツリーの見える街

スカイツリーの見える街

次回の10月14日のブラパチワークショップは堀切菖蒲園である。それと立石バーガー試食会食べ放題。

それのロケハンで天気の良い金曜日の午後に堀切菖蒲園のあちらこちらを歩き回った。堀切菖蒲園には1年位行っていなかったいなかったが葛飾区はお金があるのか菖蒲園の整備をちゃんとやってベンチも新しくなっていた。

たまたまそこに来ていた地元の古老に話を聞いたのだが本当の勝負じゃなかった菖蒲の愛好家はむしろ花が咲いていない季節に訪れて次のシーズンの菖蒲の素晴らしさを予感するのだそうである。これが本当の下町の楽しみというものである。

東京スカイツリーが完成する以前には想像もつかなかった楽しいことがある。
電信柱の林立する細い路地の奥にチラリとスカイツリーが姿を見せることだ。そういう意外性を持った視神経の驚きというのが以前にはなかった。8201f5d102154b53b24a28aa751c8ecd


2018年9月29日 (土)

このバタートーストは60年代のモーニングサービスの味がする

54083be4fb60418dba5143e691b43aa9

堀切菖蒲園にある立石バーガーのかつての名物にジャンピング食パンというのがあった。

お店の右の角にその自動販売機のコーナーがあって結構大きな食パン人間のキャラクターが空中をジャンプしているイラストがついていた。これがその方面の連中に話題沸騰であったがその看板は盗まれてしまったのである。

木造モルタル2階建ての土台まで壊して持っていたんだから大変な犯罪である。
その後このジャンピング食パンのイラストはにだいめになったがそのうち食パンそのものを売るのをやめてしまった。

久しぶりに立石バーガーに行ったらその食パンがリバイバルしていたので早速買った。
翌朝そのバタートーストを食べていて何か懐かしい気持ちになった。

時間を手繰り寄せてみたらこれが1960年代の喫茶店のモーニングサービスの味なのである。

2018年9月28日 (金)

誰でも立石バーガー自販機


10月14日のブラパチワークショップの舞台は堀切菖蒲園である。ポイントは立石バーガーの試食会と季節はずれの堀切菖蒲園を鑑賞すると言うもの。

半年ぶり位に立石バーガーに行ったら新しい自販機が完成していた。1時は一般のハンバーガーショップ浪川のようにロイヤルバーガー350円と言うのを作っていたのだが100円バーガーの立石バーガーなるものがあまりにコスパが良いのであまり売れなかったようである。それで方針変更してこの自販機では4種類の異なるハンバーガー全部100円なのである。

早速テストで100円を投入して牛すじバーガーを買った。AIを利用したかなり複雑なシステムのようであるがサービスは非常に早かった。

2d5d2a07fd2d45b0a49e2117fd98dbba


2018年9月27日 (木)

片岡義男さんと沢木耕太郎さん

Img_8641

片岡義男さんと沢木耕太郎さん

先週の土曜日のギャラリーバウハウスでの公開対談は面白かった。
満席であった。沢木さんと個人的に顔を合わせているときにはなかなか聞けないこともあるので公開対談だと聞きにくいことも聞ける。
私は沢木さんの仕事の道具について聞こうとしていたら先に沢木さんの方が私に
田中さんはそんなに稼いでいるようには見えないけれど一体どうして生活しているの?
と先制攻撃されてしまった。答えないわけにはいかないので大昔は年収30,000,000位ありましたが今は貧困老人のレベルですとお答え申し上げた。

しかし冷静に考えてみれば人間の人生の財産と言うのはお金よりも人間関係である。

それが全てであると思う。沢木さんの場合は20年前にホーチミンの空港で初めてお目にかかった。目の前に沢木さんが座ってコーヒーを飲んでいるのでどうやって声をかけようかと思っていたら沢木さんは立ち上がってモスキートを打ち出したのである。

これはチャンスだと思ったので私はおもむろに立ち上がって沢木さんに近づいた。

こんばんは沢木さんここはモスキートが多いですね。

これが最初の会話であった。沢木さんは気さくな方で1人で旅をしていた。高倉健さんからもらったと言うハンティングワールドのバックを見せてくれた。飛行機の時間まで約小一時間の会話は楽しかった。

つまり沢木さんと私の縁を取り持ってくれたのはホーチミンのモスキート軍団と言うことになる。

片岡義男さんの場合はこれはモスキート軍団のおかげではなく書籍取り扱いの大手代理店が企画してくれたのである。片岡さんとはよく東京の周辺部に撮影に行った。片岡さんをライカウィルスに感染させようと思って最初の如水会館の対談の時にライカを持参してどうぞお使いくださいとテーブルの上に載せたら片岡先生は身を引いていや僕は使いませんと言った。

ライカウイルスの危険性をちゃんと知っていたわけである。

片岡さんと何度か代々木駅前の羊屋と言うエスニック料理に行ったときに片岡さんは手ずからフィッシュバーガーを作ってくれた。
天皇陛下から授かったお菓子にも勝るとも劣らない大変光栄なことなので持ち帰って家人と片岡義男ブランドのフィッシュバーガーを半分ずつ分けて食べた。🐦❤️😎🌈🇻🇳Photo by Kitunezuka

2018年9月26日 (水)

ハノイで。エルマー90ミリコラプシブルレンズの使い方に注意

ハノイで。エルマー90ミリコラプシブルレンズの使い方に注意

8月のハノイの撮影だが例の90ミリエルマーのコラプシブルレンズを持参した。木村伊兵衛も土門拳も愛用したレンズであってレンズをへこませると皮ケースにそのまま入るのである。

なぜか人気のないレンズでオークション等では20,000円位で買えるが実に優秀なレンズである。日本のレンズメーカーがこれを真似したようなものを出したがクオリティーは比較にならなかった。

ハノイの撮影の後半にケースに入れたライカを持ち出して21ミリのレンズが付いているつもりでいざと皮ケースを開けたら90ミリが付いていたので困ってしまった。

しかもフイルム半分ぐらい撮影したところでフイルムが入っていないことに気がついた。こんなミステイクは初めてである。

要するにホテルの部屋で遊びで3,000,000円のレアライカであるから取られては困ると言うので部屋の金庫に入れた。フイルムは入っていなかったのだがそれを忘れてそのまま出かけてしまったのだ。

最近のオークションでは3,516,000円の値段がついたそうだが我々普通の人間が見れば単なる汚いオリーブ色のライカである。

数年前アサヒカメラの取材で日の丸家二子玉川店に行ったらそこの番頭さんがきれいに濡れましたねと褒めてくれた。最近の番頭さんはデジタルライカ以外のモデルは知らないようである。

それでご商売には何の問題もないわけだが。

我々クラシックライカ人類は撮影に行く時にケースの中身を再度チェックする必要がある。Img_8640


🐦❤️😎🌈

2018年9月25日 (火)

🐦❤️お知らせ

お知らせ
🐦❤️ギャラリーバウハウス田中長徳展 ハノイディエンビエンフー 11月17日まで

😎ブラパチワークショップ。次回は10月14日。季節はずれの堀切菖蒲園と立石バーガー試食会です。Img_8642


POLA

370fa3754c154b75a17afbd42c9eb14c

ポーラ化粧品の看板が私の場合町歩きの重要なノスタルジックオブジェになっている。
以前コーチの繁華街を歩いていた時にBarがたくさん立ち並んで街の角にやはりこの看板を見てしみじみ旅をを感じたことがある。

これは亀有駅前にある看板である。1年に1回ぐらいそれがみたくなって亀有駅に行く。普通の観光客は駅前にある不良巡査の銅像を取りに来る。あんなものとって何が面白いのであろうか?

以前亀有駅前でいかにもフッサールあたりが好きそうな若い女性が結構な速度で歩いているのでその先どこに行くのか見ていたら不良警察官の銅像である。がっかりした。

この看板も数年前にがっかりしたのである。

と言うのはそれ以前は塗装がボロボロであってほとんどハゲ落ちていてそれがなかなか風情があったのだ。ところがおそらくオーナーが塗り替え代を節約するつもりであったのであろうか。
素人作業でしっかり塗り替えであった。

これにもがっかりしたのである。
このがっかり感が何に似ているかと言うとスペインの山の奥で小さな教会で何百年と展示されていたIkonが地元の善良なる人によって完全に塗り絵にされてしまったと言う点だ。あれにすごく似ている。

最近もスペインの山の奥の聖母マリア像が地元の善男善女によってまるで東京ディズニーランドのミッキーみたいな色に塗り替えられていた。

ライカのリーペイントと似たところがある。
🐦😎🌈

2018年9月24日 (月)

ディエンビエンフーでの仕事

ディエンビエンフーでの仕事Img_8609

ディエンビエンフーは交通が不便なので行きと帰りにハノイでいっぱくする必要がある。それはそれでおもしろかった。ライカカメラにレンズ3本そしてフイルムとバナナというのがエキップメントである。

ブルースダビットソンがウエールズを取材していた時に3台のライカエムピーとバナナで仕事をしたと言う伝説がある。

尊敬する写真家の仕事のやり方を真似してみた。ただしクオリティーが伴わないのは仕方がない。

2018年9月23日 (日)

雨の日のマンハッタンのギャラリー

雨の日のマンハッタンのギャラリーImg_8593

ルイスヴァルツは80年代から気になっている写真家である。最初の興味は彼がリンホフの中判カメラで撮影していると言うことにあった。そのフォーマットが6センチ× 9センチなのである。初期の仕事の3シティーなどがこのフォーマットである。

1983年のまだ寒い頃だったと思う。タイムスでルイスヴァルツの3クエンティンポイントの進展があることを知った。
マンハッタンの57丁目のビルのかなり上のほうにあるギャラリーだった。
インターネットなどない時代であるからアポイントメントオンリーだったが電話をしたのであろう。雨の雨が激しく降る日で訪問者私1人だった。

それでゆっくり写真展を見ることができた。気になったのはカメラのフォーマットが6センチ× 9センチから6センチ× 7センチになっていたことだ。この2つのフォーマットは表現の印象が全く違うからである。

この写真家は東川のフェスティバルに呼ばれたりして来日している。その時は木製の4インチ× 5インチカメラにクラシックなライカにはニッコールの28がついていた。

そうすると私はすぐそのエキップメントの真似をするのである。
ルイスヴァルツはその後インスタレーションのほうに興味が出てそっちの仕事をやるようになったので私は彼に対する興味を失ってしまった。ルイスヴァルツの仕事はやはり写真でありゼラチンシルバープリントなのである。

写真展がスタートして2日目も雨である。こんな日は35年前のマンハッタンのフォトギャラリーのことを思い出す。写真を見るには絶好の日なのである。

😎写真と記事の内容とは関係ありません

2018年9月22日 (土)

河内の空気を撮影する

Img_8584_3

qqギャラリーバウハウスでの展示の前に家人に今回のプリントを見せた。ハノイの空気が写っているといった。その後に河内を空気のように飛んでいると言った。
これはなかなか良い見たてだと思った。

旅の場合は移動する速度としての風を感じてしまう。
でもそれは間違っていると書いてくれたのは沢木耕太郎さんであった。

急ぎのツーリストとして河内の風を感じるなどはまっぴらである。
私はむしろこの街の空気のようにありたいと願っている。

系統1番の赤と黄色に塗られた暑苦しいバスがハノイの下町の路地をすごい勢いで横切った。

何か道路にカフェのテーブルが張り出している様だなと思ってその瞬間に写真を撮った。
でもそれは私の乱視の視神経の勘違いであって実際には穀物店のディスプレイであった。
それが写真の面白さ。
o

2018年9月21日 (金)

何もない白い壁の上にハノイの風景がだんだん浮き上がってくる

何もない白い壁の上にハノイの風景がだんだん浮き上がってくる

9月20日からスタートのギャラリーバウハウスでの私の個展ハノイディエンビエンフーの設営に立ち会う。最初にびっくりしたのは我々にとってギャラリーの白い壁を見ると言うのは非常に珍しい機会であることだ。

^ ^そこにセレクトされたフレームが床に置かれていく。それを端から見るわけだなこれが1番写真展の嬉しい瞬間だ。

写真集やっているプロセスに比較してみる と印刷が終わって最初の見本が刷り上がってきたときの気分に非常に近い。精神が高揚をすると言うやつである。こんな風景を自分が見ていたのかとびっくりする。

それはセレクションの恵みと言うやつで今回の写真展の展示でもそーゆー隣同士の写真が響きあってハーモニーを作り出すと言うところが何カ所もあった。
これは撮影者本人は気がつかないことでまさに小滝ディレクターのパワーによるものなのである。

写真の展覧会は写真集に比較して何が良い良いかと言えばある一定時間が経過すると展示したものは後に残らないと言う点であるかもしれない。
写真集はそうは行かずに長く残ってしまうから時間軸に対して強いということもできるが要するに別の見方をすれば時間軸上で後の世の中になって恥をさらすと言うことになるわけだ。

2484e6c810a44b319bd01bd2accd6cd5


99b3072e87e4456c96bf577bb29b8b92


2018年9月20日 (木)

Canon L1持って夢の下町バスに乗る

夢の下町バスに乗る5c633950cbbe48ad810880cfd7c46ccc

敬老の日に我楽多屋で買ったものはもう一つあってキャノンのL1である。1957年に本体だけで50,000円近くした高級カメラである。
ガラクタ屋さんでの値段は5000円であった。さらに介護保険の証書を見せたら10%安くなった。年寄りに優しいお店だ。このカメラの魅力は本体の下側にかなり中途半端な大きさのロゴでModel L1と刻印されているところにある。戦後グッドデザイン賞の第一回目に輝いたカメラである。

錦糸町から夢の下町何とかバスに乗ってスカイツリー経由で浅草雷門大通り上野まで走った。

20日からいよいよギャラリーバウハウスで私のハノイディエンビエンフーの展示が始まるが取り残した1本のモノクロフィルムでバスから写真を撮った。

この夢の下町バスが撮影がしやすいのは1番後ろの席のバスの窓がまん丸で大きいことだ。

それと比較するわけでは無いのだが先月ハノイで乗ったバスの系統1番と言うのはなかなか見所のある路線であるのだが問題点は自分の車両がラッピングバスになってしまったことだ。つまり我々が1番クリアでなければならない窓に何か変なものが貼ってあるのである。

ハノイの交通当局は別に写真家が窓から写真を取りやすいとか取りにくいと言う事は考えには入れてないからこれはこれで仕方がない。

昨年のCT70のパーティーの時に悪の枢軸の1人Kanohが手作りのハンドグリップをくれた。これが非常に使いやすいので今日の撮影にも使った。指で隠れているので見えないけれどもこのハンドグリップはカメラをコントロールするのに非常に良い。
4bb97edf299d417a91b25f4877c67391


ギャラリーバウハウス初日。その前にiPhone 5バッテリー交換

ギャラリーバウハウス初日。その前にiPhone 5バッテリー交換

錦糸町に行くのは3日目。今日は空いていた。お店のスタッフの黒岩さんは若い方だが彼自身が階段でつまずいたそうである。注意が必要である。

バッテリーの交換は30分ほどでできた。その間に吉野家2で380円の牛丼。看板を見ていたら何でも牛丼の定期券というのがあるらしい。未来的だな。

黒岩さんといろいろ話をして面白かったのは昨日と一昨日の定休日に彼は市川動物園に買ったばかりのD7200ニコンを持って撮影に行ったそうだ。

私も対抗してD200を買いましたと言う話をしたら彼はiPhone人類であるからD200は知らなかった。
それならばと半世紀前にNikon Fというカメラのカタログを撮影したと言う話をしたらさらに知らなかった。当たり前である。この青年が生まれるずっと前の話である。

黒岩さんの風貌がデジタルカメラマガジンの編集の上田さんに似ているのが不思議であった。

黒岩さんは動物園で撮った写真を見せてくれた。なかなかうまい。Instagramにアップしたけれどまだ4人の人がいいねを押してくれてないそうである。それなら私もしますよと約束した。

ギャラリーに行く前にアルコールとソーダを買おうと思ったらランチの時間なので100メートルの列が出てきていたので見合わせる。

Photo


2018年9月19日 (水)

年中無休ただし火曜日はお休み

Photo

中古で買ったiPhone 6のバッテリーの具合が悪いので錦糸町の修理のお店に行った。ちゃんと予約して本日9月18日午前11時30分とリザーブした。

錦糸町は私の場合江東楽天地のイメージがある。3年は行ってないのでドキドキした。

場所は禁止1丁目なのであるがまた例によって歩きすぎて 2丁目と3丁目のほうに行ってしまった。それで郵便配達のお兄さんに聞いて1丁目の方角を教えてもらった。

1回が果物屋さんの雑居ビルがある。その脇が非常に急な階段になっている。ベルギー政府観光局の取材をしたときに鐘突堂のカリオンを片っ端から取材したことがあった。若い時の話であるからあんな急な階段はもう登るのは嫌である。でも日本人であれだけたくさんの鐘突堂の上に上がったのは私ぐらいではないかと考えている。

鐘突堂の上まで上がってそこがiPhoneの修理のお店であることを確認してドアを押したらロックされている。紙が貼ってあって毎週火曜日が休みだそうだ。これはトレンドだなぁと感心した。
このショップは東京のチェーン店になっているのであるが年中無休を歌っているのである。
ただし火曜日は定休と言う意味なのであろう。

急な階段から転げ落ちてはまずいので降りる時も12分に気を使った。
確か4年前に帯状疱疹で左手が全く使えなかった時に新規にカレー屋さんがこの界隈にできてそこで食事をしたことを思い出した。
年中69火曜日定休のiPhone修理店の裏に回ったら空き地があったのですぐ思い出したその隣がカレー屋さんなのである。Tahri食べ放題1000円というのも4年前と同じだ。

錦糸町の街についてその印象が我々同世代のお年寄りでもかなり違うのが面白い。
私みたいに国際放浪者でアジアに馴染んでいる人は外国人が多いからリラックスできて便利だなと考えている。
ところが同世代のじいさんで日本に慣れていて外国に慣れていない人は錦糸町に来ると固まってしまってここは治安が悪いと言い出す。
大笑い私などは逆であって日本人の若いもんがたくさんいるところは治安が悪いと言うふうに考えている。人によりけりですね。

錦糸町駅前から夢の下町何とかと言うバスに乗って浅草雷門経由で上野まで戻った 。
バスの中からモノクロで1本撮影した。
撮影した。😎🇻🇳🌈

2018年9月18日 (火)

敬老の日の老人の買い物

敬老の日の老人の買い物Img_8563

相変わらずのガラクタやネタである。

にだいめが在庫の双眼鏡で自らシティーカモフラージュのパタンを貼ったやつを自慢しているのでそれがなかなか長いこと居座っているのである。

このCityカモフラージュののパターンのレザーはにだいめが所有しているウェルミーワイドの本体にも貼ってある。何か街に潜む感じで私は気にいっている。
そのカメラのほうは個人の所有物だからあきらめるとして同じカモフラージュパターンで修復された双眼鏡のほうはもう2年ほど店に置かれているのである。

革張りがオリジナルでないのとそれほど性能がいいわけでもない。それでお値段がこの値段なのである。これは要するにアーティストとしての2代目が自らレーザーを張り替えたと言う特別なプライスがそこに乗せられていると言うふうに理解すれば安いと思う。
よくある人間国宝が何か日常的な雑器の上に蒔絵を描いたようなのとこれは似ている。この場合はその価格に0が3つ位追加されるわけです。

敬老の日の振替休日のガラクタ屋さんの広告を見たら年金手帳とか介護保険の証書とかそういうものを持ってくると65歳以上の証明と言うことで10%オフになるそうだ。このチャンスを逃すといつこの City カモフラージュの双眼鏡が手に入るのか分からないので早速買いに行った。

2018年9月17日 (月)

新学期のブラパチワークショップ

新学期のブラパチワークショップ
Img_8557_3


Img_8556
ヨーロッパ方式でブラパチワークショップは9月が新年度である。等々力渓谷バスツアーと言うことで東京駅南口からバスに乗った道は渋滞がないにもかかわらず1時間15分もかかった。

先月ベトナムのハノイで乗った1番と言う系統のバスもう街の中心部からハノイの街の南西の限界まで行くやつでこれも1時間15分ほどかかった。方角的には等々力渓谷と同じである。

バスで走っていると目の前に警察関係者の検問がやたらに多い。と思ったのは私の乱視のなせる技であってこれは秋祭りの子供神輿を警察官が保護しているのである。

等々力渓谷に着いたら外人さんが多いので驚いた。日曜日には初めて来たので何か東京ディズニーランドにいるような気がした。私は今年はかき氷を食べていないのでチャンスを逃したかと思っていたのであるが谷底のお茶屋にまだ営業していたので氷あずきを食べることができた。値段も前に来た7年前と同じの500円だった。

当日メンバーが持参のカメラを偽貫禄クラブの野鳥の会会長に鑑定してもらった。
結果はわずかワンポイントでフイルムカメラの方が多かった。

2018年9月16日 (日)

Yosuke Noda New Color

Img_8537
我楽多屋のにだいめの写真が良い事は前からここで書き記しているけどこのショットは彼が住んでいる家の近所で撮影したものだ。この数年来のにだいめの作品の中ではおそらくトップスリーに入ると思う。

写真の良し悪しと言うのは実際の写真を見てうんぬんするからそこに成り立つのである。写真家が複数集まって理想のスナップがどうのこうのと言ってもそれは机上の空の論理と言うものである。

写真を論ずるときの欠点がある。理想の写真を求めるのではなくて眼前にある写真が自分にとってどうなのかと言うことを語るのが重要なのだ。

正岡子規は俳句の巨匠であったがよく質問を受けていた。
それはすなわちどのような俳句が良い俳句なのですか?

と言うのである。それに対する正岡子規の答えはいつも同じで具体的な俳句をあげてそれがどうなのかと言う以外に俳句を説明する道はないと言っている。
写真も同じことだね。

細かいディティールで私がこの写真をどう感じたかと言うことを説明しておくと男性が座って新聞を広げている脇に草が生えているのがちょっとワイルドで荒んだ感じが良い。

その先の人工ビーチは荒れ果てた風景を助けている。こんな殺伐としたところに住みたくないと思うがこれが実際我々が住んでいる現実なのである。

この写真で重要なのは男性の持っている新聞がスポーツ新聞でないと言うことがかなり重要である。
だから グダニスク1980と言うような感じがしてあぁそうかポーランドの新聞じゃないからこれはファーイーストの風景なのだと改めて覚醒するのである。

東洋の新聞ならまず人民日報と言うことであろうがこの男性はリベラル系の新聞を読んでいるように見えるところが面白い。これがスポーツ新聞でやったらぶち壊しである。要するに知的労働者であって何か革命を起こしそうな空気を漂わせている。

それで全体のトーンと言うのがクールでちょっと枯れ果てたというかコンクリートジャングルをよく考えてみたらそんなに嫌いではないと言うような色彩のトーンに集中されている。

この愛憎半ばの複雑な色彩が時間感覚がほとんどわからない曇り空の朝の風景のもとに展開していると言うところが魅力なのだ。
私はこの映像に対して尊敬の念を持っている。

にだいめは写真家として良い面を持っているが実際は他の彼の生活の方面で言えばつまらない子供の映画を見に行ったりいつも負けている球団のファンであったりキンキラの衣装を着てカラオケ発表会を年に1度に演奏会で登場したりする普通の人なのである。

だから逆に言えばこういう普通の市民がこういう視神経を持っていると言うことに対して私は尊敬の念を持っている。別の言葉で言えばストレートフォトグラフィーが1番グレードであると言うことだ。

それに加えて言うならばこーゆー写真を見るとき私はやっぱり新型のフルサイズミラーレスはいいですねなどと身構えて話す必要もない。
カメラは何でもいいわけです。別にアポ頭ミクロンがいいわけでもない。
そこに出てきた映像だけが重要なわけだ。

2018年9月15日 (土)

いよいよ明日です。ブラパチワークショップ等々力渓谷バスツアー

田中 長徳 いよいよ明日です。9月16日。第3日曜日、東京駅南口、バス乗り場3番、午後1時2分発の等々力操車場行きに乗ります。ブリーフィングがあります。12時40分にバス乗り場3番に集合。長丁場ですので必ず座るようにしましょう。移動中のBusからのショットがロバートフランクな味です。Img_8530


2018年9月14日 (金)

Neue Fotografie Aus Japan

4efa85b0b5634a328598e29779038019

これは1976年にスタートしたヨーロッパの巡回写真展のカタログである。
出品者の22人の写真家にそれぞれ30ずつを送ったのであった。トータルで流通しているのは660ということになる。もちろんオーストリアドイツスイスを巡回したので展覧会の会場で買った人も多いと思う。ー
最年少の写真家は田村と十文字と私でそれぞれ29歳だった。

私は送ってもらった30のカタログは全部人にあげてしまったので手元にはなかった。
10年来探していたら知り合いがスイスのebayに出ていると教えてくれたのでそれを購入した。EMSも込みで10,000円位なものであった。

ペラペラめくって当時のwin暮らしを思い出して懐かしがっていた。ところが今年になってあるコレクターが私の作品をまとめて買ってくれることになり付録としてあげてしまった。

それでまた探していたのである。
このカタログの1冊には私が7年半の間オーストリアウィーンで何をしていたのかと言うことへの存在証明が詰まっている。

私の写真のコレクターでもあるの飲み屋がさっきこのカタログがオークションに出ていることを教えてくれた。バイイットなうで12,000円だから安いと思う。

このカタログよりもで珍しいのは当時のポスターだと思う。これはwinとかドイツの街街に貼られたポスターであるがデザインは極東のテロリストのイメージで私が制作した。
当時はDTPなどはないから写真植字を日本から持って帰って制作した。当時有名だったバーターマイン防府のテロリストグループの指名手配のポスターを真似したのである。Img_8529


2018年9月13日 (木)

リーペイントのキャノンはなかなか使える

Img_8518
日大写真学科の同級生に上村というのがいて彼が使っていたのがキャノンポピュレーだった。
それもかなり使い込んだブラックペインでレンズはキャノンの28ミリの旧型のエフ3.5のやつだった。
彼が使っていた中判カメラはこれも今では珍しいRitrekの69一眼レフなのである。
折りたたみ式のファインダーの正面に逆Galireoのスポーツファインダーがついていた。
当時で言うところの競馬ファインダーである。

上村の持っていたものはユニークだったから今でもよく覚えているのである。

オリジナルのブラックペイントのキャノンは高くて買えないからもっぱらリーペイントを使っている。プラハの街をこのカメラを手にしてレンズはソ連製の28ミリFedでどこまでも街角を交互に曲がって撮影に行った。

このやり方は知らない街を歩くときには割と有効な歩き方である。
これをジグザグ歩行方式と言うのだ。

キャノンポピュレーは35ミリ50ミリ100ミリのブライトフレームが付いているので実際的で使いやすい。しかもパララックスは補正するし同じ時代のニコンエス3よりも優れている。

もっとも私の場合ファインダーはスナップの時見ないからどちらでも同じことである。

2018年9月12日 (水)

島尾伸三さんから四谷の自主ギャラリーの絵はがきが届く

四谷の自主ギャラリーの絵はがきが届くImg_8513
島尾さんから封書が届いたので新しい写真展の案内かと思ったらそうではなかった。島尾さん達がやっていたギャラリーフロッグで当時高梨豊さんのポストカードを作っていたのである。それが発見されたと言うので送ってくれた。30年位前になるのかな?

四谷三丁目の木造2階建ての小さなギャラリーは建物は小さいが国際的に有名なギャラリーであった。何しろあのロバートフランクがわざわざ訪問したのである。

モールと言うギャラリーmoあって私はもう老人ボケどっちが前だったか後であったかは記憶にない。
よく記憶しているのは亡くなった写真家鈴木清さんが彼は看板屋さんでもあるからその建物のエントランスの看板を書いていたことだ。
ペンキを塗る体を休めて鈴木さんはまだ乾いていないから注意などと言っていたのも懐かしい。

まだインディペンデントなギャラリーがない時代であったから四谷3丁目の木造2階建ては写真文化の発信地であった。私もカタログを出してもらったり写真展やらせてもらってお世話になった。
今では地酒の飲み屋になっています。

2018年9月10日 (月)

いわゆるピンポン玉レンズ

いわゆるピンポン玉レンズ8d971dd795ff4d25babfa825276aa561

頭脳レンズは昭和30年代の初めに大口径レンズ競争がブームになっていたときのブランドの1つである。今の時代はデジタルカメラの感度が上がっているからこういう明るいレンズが必要なくなった。レンズの明るさはエフ4あれば10分である。しかし1部の間違った考えを持っている連中がこういうレンズに高い値段をつけて面白がっている。

偽ライカ愛好会の怪鳥メンバーもそうである。 50ミリef 1.1の最初のモデルは光学設計に無理があったようでレンズのリアエレメントがちょうどピンポン玉のような形状になっている。それが人気がある。すぐにリアの曲率を変えたより優秀なレンズが出たのであるが1部の連中は最初のピンポン玉が好きなのである。

ワークショップでみんなが重ピンポン玉ですかとびっくりした声をあげたら怪鳥はいきなりピンポンと言ってピンポン玉を指の間に挟んで花道の73で見えを切った。

話を聞けば準備に1年半ほどの時間がかかっているそうだ。構想1年半と言うわけだ。レンズは揃ったがレンズににつけるフィルターとかレンズフードの準備にそれだけの時間がかかったそうである。こういう事は真似をしてはいけませんね。笑

コレクターは意地悪であるから他のメンバーが使えないようにわざとライカエムマウントアダプターを持ってこなかった。ところが参加したビクトリーメンバーがたまたまライカエムモノクロームにマウントアダプターでスクリューマウントレンズをつけていたのである。

ビクトリーメンバーは特別な指を持っていてコンタックスのレンジファインダレンズをカメラにつけて外れなくしたりローライフレックスのフィルムを裏返しに入れたりする特技の持ち主なのでピンポン玉レンズを傷つけるのではないかと周りでハラハラした。しかし無事装着できてそこで貴重なピンポン玉の作例写真を撮影することができた。
Img_8499_2


Img_8500


Img_8501
ピンポン玉でも写真が撮れる作例。🐦❤️😎

2018年9月 9日 (日)

オリジナルプリントとインスタバへ

インスタバへ52bf3b3d19614b88827597143533ea03
Niseライカ愛好会のワークショップを久しぶりに行った。もともと東急の文化プログラムで渋谷駅西口の東急のビルで毎月1回開催していたのがライカ愛好会である。

そのプログラムが終了してやれやれと思っていたら受講者が別枠で個人的にやりましょうと言うのでまさか同じ名称では問題になるから頭に偽物と言う文字を乗せたのが偽ライカ愛好会の始まりだ。

午後2時からいきなり撮影なしで渋谷の焼鳥屋でワークショップが始まった。怪鳥メンバーが非常にレアな帝国光学の頭脳50ミリef 1.1を示す。これは初期型であってリアがピンポン玉のようになっている。それで同時に偽物ライカ愛好会ピンポン同好会を結成した。

世話役の気鋭のアパレルの社長のビクトリーメンバーが最近のインストア映えの傾向はチェキでとって何か書き加えてそれを複写してアップすることですと言うのでその真似をしてたまたまマリアンメンバーが持参したインスタントカメラの電子モデルを借りて記念撮影。

それに私が落書きしてアップしたのがこれである。

しかしインスタバへばっかりでは面白くないので私が持参したハノイのゼラチンシルバープリントを皆さんに見せた。しかしながら焼鳥屋の2階ではゼラチンシルバープリントに焼き鳥の煙がかかるので場所を変えてちゃんとしたカフェに移動してゼラチンシルバープリントを見せながらハノイとディエンビエンフーで考えたことについてワークショップをした。

写真の表現と言うのはインスタバへからギャラリーバウハウスまで非常に範囲が広くなってきたわけである。ギャラリーバウハウスでの写真展は9月20日から。9月22日には沢木耕太郎さんとの対談あり。

2018年9月 8日 (土)

キャノンの四角い前のめりになっているレンズフード

835ee68b751e4d62b41f4b2a607bb8ab

日大写真学科の1年後輩にと戸倉と直原がいる。直原の家は日吉であった。戸倉の関係でたまに遊びに行った。その近くに誘うカメラと言う名前のカメラ店があってそこの閉店セールと言うのに行った。これは1968年頃の話である。いろいろなガラクタを手に入れたがその中にこの四角いキャノンのフードがあった。非常に良い作りである。

しかも戸倉が感心したのフード全体のフォルムがちょっと前のめりになっていると言う点であった。これに気がつくのはなかなかえらい。

1976年にオーストリーのwinから私は日本に1時帰国して現代日本写真家展と言う大きな巡回展の準備をしに行ったのである。

その後にちょっと日本堪能しようと思って家人の実家の新潟経由で京都を通過して岡山まで行ったのだ。岡山は戸倉の田舎である。どんちゃん騒ぎの末に話題がなくなると例のキャノンの四角いちょっと前のめりになっているレンズフードの話が出た。
私が29歳の時の話だ。

岡山の中心街の時計屋で成功の鉄道時計を買った。その数年後にザルツブルグカレッジでワークショップをやるときにその時計を持っていったらMITの学生に笑われたのも懐かしい。

2018年9月 7日 (金)

上質なキャノンのソフトケース

上質なキャノンのソフトケースCa2f599f1f4a4f68b3e6b0a10aa4db3f
2年ほど前のお正月にガラクタ屋さんでキャノンTriger巻き上げのカメラを買ったらにだいめさんがおまけでつけてくれたのがこの専用のソフトケースだった。キャノンのレンジファインダは組織的に集めているのだが革ケースもかなり持っているがそれとは全く別の系統のソフトケースですね。これは初めて見た。

小学生の時に持ち歩いた草履袋のスタイルでカメラを垂直にぶら下げる。その仕上げが非常に用意のが奇跡のような感じだ。

この時代の皮ケースは 60年以上経過しているから皮がボロボロになっているのだ。ところがこのソフトケースは先月作りましたとでも言えるようなソフトな材質なのである。

ラピッドワインダー付きのカメラはその存在が大げさだし戦闘的だから友人スミスが正義のジャーナリストを気取って怖い顔してカメラをホールドするには良いであろうが日常生活からは逸脱しすぎている。
その点このソフトケースは小市民的であるところが非常に良い。

路地裏のシャッターの芸術にしびれる

Img_8446
それが芸術であると意識して組織的にやるとつまらないものになってしまう。京都で夜遅くなって錦小路を抜けていったらお店は全部シャッターが降りているがそのシャッターに描かれた映全部申し合わせたような観光的なものなのだ。これにはがっかりしました。

地元起しなのか村おこしだが知らないが1つの地域で力を合わせてやるとつまらないものになってしまう。本土決戦1億火の玉とかボランティアのただ働きで2020東京オリンピックを成功させようと同じことになる。誠にうすら寒い次第だ。

私が好きなシャッターの芸術は忘れられた街の裏に独立して存在するやつだ。それも年月が経って色彩がフェイトをしてもっとの画わからないようなのが良い。
シャッター芸術の考古学です。

2018年9月 6日 (木)

9月16日は等々力渓谷バスツアー

9月16日は等々力渓谷バスツアーImg_8445

1980年代の初めに朝日ジャーナルで3人の写真家が東京をテーマにした連載をやっていた。鈴木清さんと山崎博さんと私である。
カラーページで雑誌のちょうど真ん中になるのでなかなか目立ったページだった。私はいつも8 × 10インチの大型カメラで作品を掲載していた。鈴木さんも山崎さんも昇天してしまわれたので私がただ1人の生き残りと言うことになる。

連載の後半になって等々力渓谷を取ることになった。ロケハンできたのだがあまりにも空間が広すぎるので大型カメラではらちがあかない。それで80ミリの標準レンズのついたハッセルブラッドで等々力渓谷の下の方から広い空間を12分割して撮影したのである。

無論空間の描写はバラバラになるわけだけどもそれが面白かった。等々力渓谷は電車の等々力から降りてしまえば3分で着くのだがそれでは面白くない。

それで2年目のブラパチの第一回目は秋のバスツアーと称して東京駅南口の3番乗り場から午後1時3分発のバスに乗って等々力操車場に向かう。撮影のポイントは等々力渓谷もあるのだがそれ以前にバスの中から見える風景がこれは東京の真実の風景と言ってよいであろう。マンハッタンでバスの中から撮影したロバートフランク思い出し。

1時間以上の乗車になるので観光バスではない路線バスだからちゃんと座ったほうがいい。等々力渓谷の赤い橋はあれは何と言ったかな確かゴルフ橋と言うのである。そこら辺がまた現実離れしていていいねネーミングだ。

等々力渓谷を歩いていつも不思議に思うのはこれがテーマパークだったらお金がかかりすぎて絶対に制作することができないであろうと言う点である。自然の力は実に凄いと思う。

参加希望の方はこのページの左のリンクをクリック。

2018年9月 5日 (水)

フォコマートはストリップフィルムが使いやすい

フォコマートはストリップフィルムが使いやすいImg_8416


6a14350bc1e440fbaed1fa5905af5407

ギャラリーバウハウスでのベトナムの写真展の最後のダークルーム作業。プリントするネガフィルムが2本しかないのだがそれをわざとカットしないでストリップのまま持っていた。つまり長巻である。

フォコマート引伸し機は本体の左右に丸めたフィルムを保持するキャリアがついている。何と言う部品だか知らないが普段使っているときはそのキャリアを全く意識しない。ところが私の場合1970年代に暮らしていたwinの7年ロッカ月の間フイルムはストリップのままでそれを20本ずつを金属の缶に入れていた。理由は単純でネガファイルを買うお金がなかったのだ。ネガフィルムを入れるファイルを買うぐらいならフィルムを買う。そーゆー生活であった。今回は30数年ぶりに昔のやり方に戻ってみるとなかなか具合が良い。大体暗室で何が疲れるかと言うとネガホルダーから取り出したネガフィルムを引き延ばし机に挟んで作業してそれをまたホルダーに戻すと言う作業が面倒。

長巻のまま作業をするとその余計な仕事が省けるのである。戦前のライカの写真術ではフィルムをカットするのではなく長巻のまま保管するのが一般的であった。

2018年9月 4日 (火)

片岡さんのコーヒーの飲み方

片岡さんのコーヒーの飲み方う
ファミリーマートでスパムの小さなのを買ってきた、、、。
片岡さんのエッセイの中で父親のルーツを辿るのでハワイのラハイナに行きスパムの料理を食べるのがあってそれが大好きで時々真似してスパム料理を作る。代々木に日本青年館がまだあった頃そこの1階にハワイ料理の店があってわざわざ日本青年館に宿泊してハワイ料理を食べに行ったこともある。もちろんスパム料理である。

カジンガ翌朝キッチンに置いてある小さなスパムを見てやはり片岡さんを思い出していたそうだ。それで新聞の朝刊を見たら片岡さんの最新の本が光文社から出ていた。これがコーヒーの話なのである。早速アマゾンで注文した。

片岡さんとはよく一緒に東京の周辺部の街を撮影した。片岡さんはペンタックスの一眼レフに55ミリの標準レンズだ。撮影の方法が違うのであるが時間を待ち合わせてあってそれでコーヒーを飲んだりした。だから私が片岡さんと一緒に飲んだコーヒーは50杯は超えていると思う。

光文社の新聞の広告の写真で非常に懐かしかったのは片岡さんはコーヒーにはこらないと言うことなのだ。行き当たりばったりそこらの喫茶店に入ってこの広告の写真に出てくるような小さなまずそうなコーヒーカップでSugar は入れないで飲むのである。それが何の時であったか忘れたが片岡さんと神保町の喫茶店キャンドルに入って長い会話をしたことがある。そのキャンドルはすでに高層マンションの中に移った後のキャンドルであった。

居心地の悪い喫茶店の角で本を開いていると言うのは片岡さんらしくない。これはおそらく編集部や広告関係者のリクエストなのであろう。偽ライカ同盟と言う本を出したときに片岡さんはその集まりの会長さんである。それで神保町うらの古瀬戸と言う喫茶店のやはり居心地の悪い店内で顔突き合わせて対談をした。その時の写真は本に掲載されている。私の宝物である。それは5月終わりの非常に暑い日だと思ったが片岡さんは結構着古した上質なツイードのジャケットを着ていた。Ed2edb4b24a0414b8d55563d2fac7a43


2018年9月 3日 (月)

3本のレンズベストなルーペはどれか?

3本のレンズベストなルーペはどれか?ー
買い物に行く時に食品の成分表などを見るときにはかさばらないルーペを持ってゆく。遺伝子組み換え大豆があるかないかなど見て遊んでいるのである。法律が変わってもうすぐ遺伝子組み換え食品の表示をしなくても良くなるらしい。私の楽しみを政府は奪う気でいるわけだな。実にけしからんと思う。

室内に入る時はテーブルの上に3本のレンズがあってそれをとっかえひっかえ使っている。85ミリと105ミリのレンズである。ブランドはご覧の通りである。

それぞれに癖というか個性があるので微妙に使い分けているところが我ながら滑稽である。

1960年代に羽田沖でボーイングの727墜落事故を起こしたときにその次現場を調査する専門家が使っていたのに= 105ミリのニコンエフマウントであった。
テレビのニュースでそれを見ていたのだがなかなかかっこよかった。それ以前は私は撮影レンズがルーペの代用になることを知らなかったのだ。もっとも中学生の頃の話だから私の目は遠くから近くまでよく見えたのでルーペなど必要なかった。Img_8327


2018年9月 2日 (日)

河内の超積載バイクついて

Img_8284
ハノイのカフェに2時間ほど座って目の前を通過する積載オーバーしているバイクを見るのは楽しみなものである。バイクの大混雑を緩和するために当局は新交通システムを完成させたが昨年テスト走行するはずがいまだに走っていない。考えてみれば当たり前の話でこれだけ長いものを持って新交通システムに乗車するわけにはいかない。

20年前にはバイクの4人乗りどころか5人乗りも見かけることがあった。それでリアシートのお母さんが頭の上にブラウン管式のテレビジョンセットを持ち上げてそのまま移動しているのである。上海雑技団よりも偉いなと思うのはこれらのパフォーマンスはエンターテイメントではなくて生活のためである。
それを尊敬しているのである。
まずそーゆー運搬手段をエンターテイメントとして楽しんで枠自身が帝国主義者であって自己批判するべきである。

2018年9月 1日 (土)

1955年当時アメリカでこのカメラは実際いくらしたのか?

1955年当時アメリカでこのカメラは実際いくらしたのか?Img_8238


Img_8237

1970年代の初めに銀座のグラフィックや写真集の専門の図書館でアメリカのカメラマガジンのバックナンバーを片っ端から見ていた。単なる興味本位であってその当時のアメリカのカメラの値段を知りたかったからだ。非常にびっくりしたのはこの東独生のカメラの値段がライカカメラとほぼ同じであったことだ。当時の値段で500ドル後半なんです。

実際には店頭でかなりの値引きをしたはずであるがリストプライスはライカと同じなのである。そして性能的には当時の価値観からすればレンジファインダカメラよりも進んだ一眼レフカメラであった。戦前の日本のカメラ雑誌にもExaktaは紹介されていたが値段は聞か脱が華とコメントがついていたそうだ。

先週ガラクタ屋さんで買ったカメラはこの価格である。実にコストパフォーマンスがよろしい。嬉しかったのはカメラ本体に後で慌てて刻印したようにジャーマニーUS SRとついていたことだ。

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31