フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年8月31日 (金)

Exakta Varex とモラヴィアの光

E04f43d26a5347bdae5f99f6d0592e8f


Img_8230

先週の土曜日のガラクタ屋さんで東独生のExaktaを買った。
その影響でeBayでいろいろカメラを見ている。チェコのモラヴィアのセラーの品物が良い。というのもこのセラーは作例写真を出していてそれが美しいモラヴィアの農村風景なのである。

作例写真はソニーのミラーレスでとっているのが皮肉である。以前の飲み屋と話題になったことだがウクライナのセラーが出していた今川焼きみたいなまん丸のセレンメーターの本体にウクライナの美しい空が写っているのである。このメーターを落札したらウクライナの美しい空も一緒に送ってこられたらいいねなどと話していた。

2018年8月30日 (木)

レクタフレックスのペーパーウェイト

レクタフレックスのペーパーウェイト749fed43194b464080f664273c70a79d
私は自称レクタフレックスのコレクターである。60ユニット作られたレクタフレックス3本Turetカメラも持っている。しかも二台持っているのだ。さらにレクタフレックスを製造していたイタリアはローマのアメリカ大使館のすぐそばのファシズム建築を訪問したりしている。だからコレクターと呼んでも良いであろう。1ダースに満たないRectaフレックスの数であるがこのカメラが1番気にいっている
これはシリーズ4000と言われるごく初期のモデルで500台ほど生産された。壊れているのでシャッターは切れない。そこが良いのである。それで読みかけの本とか腹痛くない請求書の重しに使っているわけだ。


2018年8月29日 (水)

河内。左上りのカフェの日よけが好きです

Hni_2618

カフェの日よけの話である。場末のカフェだと日よけを水平に出すのが難しくてどちらかに傾いている。この事実に最初に気がついたのはリスボンのカフェエレクトリ子である。
よく見るとお店に向かって左側がちょっと上がっている。なんでそんなことに気になるのであろうか?つまり左上りと言うことなのだ。また革命精神が旺盛であった頃だからこれは有効であった。
バンコクの労働者を団結せよ。

このハノイ中心部のカフェも昔はもっと左上りの日よけであった。それは20年前の話であってその後手を入れたり何かしたのであろう。ほとんど左上がりには見えなくなった。
でもベトナムは社会主義の国だからやはり左上がりであってもらいたいと思っている。

もっともこれは通行人の錯覚に過ぎなくてカフェに座って外を見れば日よけの角度は右上がりになっていいるわけである。
ここら辺が風景の観察が難しい問題だ。

2018年8月28日 (火)

エプソンライカモノクロームにアポ頭ミクロンで撮影

アポ頭ミクロンEpsn5769


388afdd1d0734e92bb2bfec0bb3b4aa8

カメラとレンズに関するベーシックインカムのつもりで我々の仲間内ではこれからどのような標準レンズでもアポ頭ミクロンと呼ぶことでした。先週末のガラクタ屋さんのトークとその後の暑気払いに行った時この写真を撮った。
なかなかよく写っている。
これは大昔モスクワで10ドル位で買ったやつなのであるが考えてみたらアポ頭ミクロンではなく赤の広場の近くで買ったから赤エルマーなのであろう。

日常のスナップショットならレンズの明るさはエフ3.5もあれば10分である。いやf8でも大丈夫である。フィレンツェで作られたライカタイプのカメラで50ミリef 8と言うレンズを装着しているのがあったな。あれはスナップの達人が作ったカメラに違いない。


2018年8月27日 (月)

ハノイで思い出し笑い

6ff29bf0859e4e40b4099b1a27c86df3

このTシャツを着てこの間ハノイに行ったのである。ホテルのレセプションでTシャツの人物は誰かと聞かれた。40年前の自分だと言うのは面倒臭いので自分の息子だと言った。それで引っ込みががつかなくなり日本の有名な写真家だといった。
1980年頃にオーストリアで開催されたオーストリアの写真家の歴史と言う写真展の分厚いカタログの中に私が紹介されている。そこには解説としてこれは私が書いたのではないが日本のスターフォトグラファーとコメントがついている。誰かの冗談だと思うが冗談と言うのは一人歩きするものである。

40年前の自分の姿を自分の息子だと言うのはこれはシュールレアリスでなければなかなか言えない嘘である。昨日の夕方だがガラクタ屋さんでトークをしているときに不意にそのことが思い出された。ハノイで会話をしてる時にはおかしくも何ともない。いそれを思い出したらおかしくなって思い出し笑いをしたどころか涙が出るほど笑ってしまった。笑いなきと言うやつだ
涙はこの40年以上泣いた事がないのであー涙が出ると言う事はこういう風に精神の1部が溶解するものかと思った。

2018年8月26日 (日)

月島から駄菓子カメラカメラ写真展会場まで90分かかる

月島から駄菓子カメラ写真展会場まで90分かかる
ほぼ10カ月ぶりに日本橋界隈の2つのギャラリーで開催されている駄菓子カメラ写真展を見に行った。前回は冬であったのでどんどん日が暮れてしまって怖かった。この界隈は夜になると追い剥ぎが出たり山犬が出たり。
最初の愛愛英ギャラリーでギャラリールーニーにまだ行ったことがないと行ったら東北新社のOBが私を案内してくれた。ギャラリーで芳名帳にサインしようとしたら中藤受賞者の名前が書いてあるのでまだ遠くへは行く米追跡しろと周囲に行ったら目の前に中藤受賞者がいた。もっぱらライカモーターとライカモノクロームとのトレードの話になった。

黒いドレスの美女がギャラリーで何度も私に遠くから挨拶しているので知らない人だなと思ってそばに行ったらギャラリーバウハウスの村田さんであった。村田さんはギャラリーバウハウスでしか見てないのでこの不都合あり。思わず移籍したんですかと言ってしまった。

中藤受賞者は愛愛英の道がわからないと言うので一緒に最初のギャラリーに戻った。そこで色々な人に会えたのが面白かった。九州の秋沢さんのお嬢さんが見えた。4年ほど前にお嬢さんが東京の大学に入学したと言うのでお父さんはやってきていろいろ世話を焼いていたのだがもう4年経過したのか。なんでも来年からIT関係でプログラマーだそうである。実におめでたい話である。
写ルンですではなくて食べるんですと言うカメラを持ってきた人もいた。これから高円寺の阿波踊りのリハーサルに行くと言うのでリュックに詰めた4台の機材を見せてくれた人もいた。最近のカメラバッグの流行はTembaみたいなショルダーではなくてリュックサックのようである。

帰りも道に迷って1時間ちょっとかかった。それで描きたいのはちょっとしたドラマなのである。馬喰横山の2番の出口から出ると言う事は知っていたがその急な階段を上るときに私の目の前をドイツ人の若い女性が追い抜いていった。タイトスカートから伸びている足が交互に運動しているのを見てこれはどっかで見たことがあるなと考えた。
何の事は無いギリシャのパルテノン神殿の柱に似ているのである。考えてみればコリント式もイオニア式ドーリア式いずれもなかなか生理学的にセクシーである。パルテノン神殿で今でも発掘産業と考古学に従事しているスタッフはドイツ語が聞こえてくるのが多い。私はここに至ってなぜドイツ人が古代ギリシャが好きなのかよくわかった思いがした。

390b614a30c4441bb833de73954ca04b


2018年8月25日 (土)

雑司が谷の共食い看板で有名なお店のコロッケがうまい件

雑司が谷の共食い看板で有名なお店のコロッケがうまい件

真夏の暑い盛り日に久しぶりに雑司が谷に行った。道を迷いながら歩いていると私の前を老婦人が日傘をさしてさっさと追い抜いていく。どこに行くのかなと思ったらこれも雑司が谷の有名な物件で階段に異常な段差があって誰でもがあるのだがそこは最近といて行っても数年前に整備されてにもかかわらずやはり非常2危険率の高い難易度の高い狭い急な石段なのである。その日傘の老婦人はわけもなくさっさと登っていった。私はそのあとヨロヨロしながら足元に注意して登ったのである。

生活の経験と言うところはこういうところでさが出てくるものなのだ。
10年ほど前にマーシーとやはりこのような暑い夏の盛りに雑司が谷の日の丸食堂で我慢会をやったことがある。あー今日は寒いねーなどと言いながら天ぷらそばで熱燗を何本か傾けた。日の丸食堂は営業していなかったのでその先のお寿司屋さんでランチを食べてこの店例の有名な共食い看板の店に来た。

実はお寿司屋さんが開店する10分ぐらい前にここに来たのだが向かいから警察官が自転車に乗ってきたので私は逃走したのである。ポリスは店の親父さんと何か話している。聞き込みかなと思った。後でお店の親父さんに聞いてみたらポリスはお弁当を買いにきただけなのである。団塊の世代のこれは被害妄想ですね。

ひなびた肉屋さんで四角いソーセージを切ってもらうのがこの数年来の私の夢なのである。ところが形成は非常に悪い。オヤジさんの話ではスライスして売るソーセージが売れないので最近は扱ってないのだそうだ。ここら辺も年寄りのノスタルジーと言うことがよくわかった。

一昨年の4月に日ノ出町の名前もないころっけやが閉店したので最近はコロッケに困っている。例にここのコロッケを5つ挙げてもらって家に帰って食べてみたら非常にうまかった。雑司が谷に救われた気持ちがした。Epsn5710
😎
カメラはエプソンライカモノクローム🐦❤️

2018年8月24日 (金)

qロードカメラのレンズキャップが届く

ロードカメラのレンズキャップが届くImg_8176

ロードカメラが良いカメラである。7月のブラパチワークショップでロードカメラを持参した人がいてそれには専用のレンズキャップが付いていた。そのレンズキャップと言うのはカメラ本体と紐でつながっているので
アンリカルティエブレッソンみたいでなかなかかっこいい。私は何十台ロードカメラを持っているけれどそのレンズキャップは持っていないのである。中古カメラと流通している間に紐がちぎれてどっかに行ってしまったらしい。
ヤフオクでレンズキャップを1000円で買った。それにはおまけとしてカメラ本体とカメラケースが付いていた。こういう買い物は暑さを忘れてしまいますね。

2018年8月23日 (木)

雑司が谷のお寿司屋さん

雑司が谷のお寿司屋さん235d2531d8064f66a684df8000f9000f

知り合いがFacebookでこの店の事紹介していたので翌日早速出かけてみた。こういうときの私の行動が異常に早いと言うよりも毎日バルコニーで仕事をしていることに飽きたと言うこともある。

11時30分きっかりにお店の前に着いたら中から女神が出てきて暖簾を準備し始めた。この日本標準時で定刻通りのれんがかかると言うところが実は重要なポイントである。

しかもその女性はユーモアがあって最初に間違えて暖簾を裏表にかけたのである。吉本でもこういうギャグはやらないぞ。それがとてもいい感じであった。ご主人とといろいろ話をした。

私が文京区音羽の生まれですと言ったらご主人は大場製本所の関係者ですと言った。大場製本所はこの界隈の大手の製本所である。私が小学校の時に小日向大町小学校に通うねずみ坂の脇に大きな工場があった。今のご主人のお父様が三男坊でお寿司屋さんを始めて今年で56年になると言う。すごい歴史である。

ちょっとつまみながらビールをお願いしますと言ったら大瓶しかありませんと言う。
こういうお店は信用できる。私は小さい瓶でちまちまやるのが嫌いなのだ。

このショットは開店前10時25分ごろに撮影したものだがカメラはエプソンライカモノクロームである。ライカモノクロームより高いカメラだからいざとなると天然色写真をとることができる。

後で見たら何かウォーカーエバンスの戦前の作品に光の有り様が似ているのでおかしかった。しかもここは極東の最も不思議な街である雑司ヶ谷なのである。雑司が谷はポルトガルリスボンに行く前に予行演習のつもりで出発の前日によく徘徊したりするのである。私の頭の中ではリスボンと雑司が谷は兄弟同士と言うことになっているがそれがどういう意味なのかは言語的にはよく説明ができない。カメラはエプソンライカモノクローム🐦❤️

2018年8月22日 (水)

エプソンと小村

エプソンと小村Epsn5659


702c84414c3140289eab37c0a1e5f230

バルコニーを仕事場にして数日が経過した。以前ガラクタ屋さんで 5000円で買ったKomura500ミリとエプソンでスカイツリーを撮影した。Kilfittのミラーボックスは大昔友達からもらったものである。これを適当に組めば写真が撮れる。
昔のシステムは素晴らしい。小村の500ミリは明るさがf7でフイルム時代には暗くてだめと言われていたものだがデジタルの時代になるとこれでも明るすぎる位である。

皇太子殿下のニコンカメラ

ニコンカメラ785e410afa08481689cc334b56752b6f

古いアサヒカメラである。講和調印記念号とある。この直後皇太子殿下はアメリカヨーロッパの旅に出かけられている。半年間の大旅行だったのは飛行機ではなく船と列車で旅行なさったからだ。

この大旅行に皇太子殿下は最新型のニコンエス2を持っていかれた。レンズはニッコール5センチef 1.4であった。当時の同行の記者団が持参したのはアメリカ製のスピードグラフィックである。だから皇太子殿下お一人が当時のこれから来るべき報道写真の方向を示していらしたことになる。

2018年8月21日 (火)

第3帝国時代のCelt Dolina

第3帝国時代のCelt Dolina
Img_8157

仕事場の傍にもう10年以上置いてあるカメラがある。そのカメラが何であるのか私は知っているがそれを手に取ったことがない。思いつきで手に取ってその蛇腹カメラを開いてみた。四半世紀前にプラハの中古カメラ店で買ったことも覚えている。


Celt Dolinaと言うカメラである。このカメラはドレスデン声だ。作りが非常に良い。70年以上たってもカメラの革張りなどは全く崩れていない。
まずフルサイズのミラーレスとかライカエム、アポ頭ミクロンとかマクロすいたなどが好きな人はこういうものは相手にしていないだろう。どういうカメラ人類がこの餌に引っかかってくるかと思ってFacebookに出したらすぐに京都の燎原さんからレスがあった。燎原さんはカメラ修理の達人だが以前はフェラーリのメカニックでもあった人だ。彼が最初にやられたカメラがイタリアはローマのレクタフレックスなのである。
Celt Dolinaであるが戦前のモデルが非常に良い。戦後のものは形はほとんど同じなのであるが仕上げが東独のカメラと言う感じがする。要するにアルミ製品と言う存在感になってしまった。カメラの専門店のウインドウに並んで いると言うよりも荒物屋さんの店先にぶら下がっているのがお似合いと言う感じなのだ。Facebookでもと三越の経理部長さんからも問い合わせがあって自分も1台持っているが戦前ものが戦後ものか鑑定してほしいと言ってきた。経理部長さんのCelt Dolinaを鑑定したらこれも戦前ものであった。第3帝国時代のものですご安心くださいとFacebookに書いたら安心したようだった。

第3帝国時代がかっこいいのはカメラの場合だけです。
日本の政治が第3帝国になるのはお断り。

2018年8月20日 (月)

夏休み絵日記エプソンライカ

Img_8144
今週の土曜日のシドニーとその後の暑気払いまでは外に出ない計画である。バルコニーで仕事をしてバルコニーを散歩する。マンハッタンに住んでいたときに双方のロフトで雨の日などは室内を散歩したがここのバルコニーも非常に広くていや長くて散歩ができるのだ。それでカメラは夏休み絵日記と言うことでほぼ10年ぶりに発掘されたエプソンデジタルライカをモノクロモードでとっている。レンズはこういうのをつけている。

2018年8月19日 (日)

Epson Leicaの夏休みDiary

Epsn5511

働いている一般の人は真面目だからお盆休みに実家に帰郷したり海外に行ったりして帰ってきて翌日から仕事である。われわれは年寄りで時間の配分は自由自在になるからそういう事はしない。先週河内に行ったのは仕事であってそれで疲れたので東京で休養しようと言うスケジュールである。

河内東京のホテルメトロポールのプールサイドに座ってそこから1歩も動けないと言うことを周りに宣伝した。実際にはプールサイドではなくてリバーサイドなのだがそれはたいした違いではない、。
それで終日店プールサイドに座っているとなかなかいろいろ面白い風景が外界に展開する。使っているカメラは先週偶然発掘した10年落ちのエプソンのデジタルライカである。バッテリーを手に入れたのでもう無敵である。

Facebookを見ていたら来年の春にお友達同士3人でハバナに行くと言う計画の方がいらして持っていくカメラで悩んでいる。同行の2人がライカなので自分は富士をもって行くわけには行かないなどと書いていらっしゃる。まず理想的環境ですね。
写真の機材と言うのは社交の材料の1部にされているようである。まぁ我々がメーカーさんとお付き合いして提灯記事を書くよりもはるかに紳士的である事は確かだ。

エプソンライカには135ミリのライカのレンズをつける。隅田川テラス人がわらわら集まってきた。安倍政権打倒国民大集会なのかなと思っていたらそれにしては規模が小さすぎる。主催者発表で50,000人、警察の発表で50人と言う奴だ。

2018年8月18日 (土)

河内で買ったほうれん草を東京で食べる

Img_8118


Img_8082

江戸時代の言葉で長崎からおこわが来ると言うのはありえないこと起きる定番のフレーズであった。朝ハノイの市場でほうれん草を買って空輸して夜には東京でバター炒めにして食べた。生産者の顔が見えると言うのは良いことなのである。葉っぱの分厚い非常に良いほうれん草であった。ポパイがほうれん草で元気になる理由がわかった。

2018年8月17日 (金)

エプソンライカエム. 10のバッテリーを買う

エプソンライカエム. 10のバッテリーを買うImg_8103

佃中古カメラ博覧会3日目の戦利品。

RD1世界で最初のライカタイプのレンジファインダデジタルカメラである。当時ライカの会社は先起こされたのがよほど悔しいらしくて株主向きのインフォメーションに今開発終了してもうすぐ出ますと言うステートメントを出していた。しかしこういう歴史は書き換えることができない。その意味でエプソンは非常に重要な仕事をした。その広告の仕事で実際には1台しかない実働カメラを持ってヨーロッパに行ったのだ、、、何しろ1台しかないのだから壊れたらアウトである。。いろいろ気を使った。でも写真集は坂崎幸之助さんとの対談も入れたりしてそこそこの出来になったのは嬉しかった。発表会の時に坂崎さんと対談もやらせてもらった。これは横浜のカメラ博覧会ではなくてその前の東京ビッグサイトの頃の話なのである。

エプソンライカが発見されたのは良いがバッテリーチャージャーがない。アマゾンでチェックしたらオリジナルのエプソンのやつは品切れである。フジの互換性のあるバッテリーを注文した。夕方オーダーしたら翌朝ついていたと言うのはすごい。ライカM3軍用モデルを持ってハロウィンに行って赤いたぬきに騙されたのでしばらくこのエプソンライカで遊ぼうと思っている。バッテリーが2つとチャージャーと死骸やライターのアダプターがついて1200円と言うのは安過ぎる、。きっと型遅れなので誰も買わないのでハローハロー、

2018年8月16日 (木)

河内さまよえる湖とチャボチャボポイント

さまよえる湖とチャボチャボポイントHni_2699

20年前にはハノイオペラホテルに泊まりメトロポールに泊まり西側観光客の真似をしていた。宿泊代がもったいないことに気づきそれ以来旧市街の北にあるホテルギャラクシーを家としていた。そこからぶらぶら散歩をしてすぐ北にある西湖によく出かけた。

今回そのことを思い出してもう一度湖に行ってみようとした。無理して朝6時に起きて旧市街を北に突っ切って行ったのだがなぜか到着しない。今回はいろいろ面白い事があって赤いたぬきが私をハノイでたぶらかさするので丸い湖をぐるぐる回らされたりハノイの中心部で最大の湖をたぬきの金が隠してしまう。
河内
たぬきの金の広さは概ね100平方キロメーターはあるであろう。歩いていて到着したら最後のポイントはチャボが家族で遊んでいるところである。ヘディンでは無いけれど探検家はそれぞれの場所に大和雪原とか勝手放題の名前をつける。これはGPSがなかった頃の誇り高き探検家のプライドなのである。チャボの家族が遊んでいるところをチャボチャボポイントと命名した。

一旦ホテルに戻ってブレックファーストの後もう一回出かけてみたがチャボチポイントまではいけるのにそこから先はたぬきの金が視野を隠しているのでそこから先に進むことができない。
私と同行のライカインコも心配して熱中症になるから水を飲めと言った。

一旦ホテルに戻って実際にGoogle マップで検査したところ私の生き方が間違っていたので赤いたぬきの金から先にいけなくなっていたことが判明した。
ホテルギャラクシーにいた時もやはり巨大な湖なのに行つけないと言うことがわかったのでその時はホテルの前の道をまっすぐに西に向かって左折するとホーチミンのエンバーミングのあるバーデン広場なのであるが曲がらずにそこを北に曲がるのである。アーミーホテルの前を北に向かえば良いのである。これはこの日の3度目のトライアルで午後遅くのことであるがちゃんと行くことができた。さまよえる湖の発見である。

しかしさまよえる湖と言うのはここら辺にも存在するから私が行き始めてかれこれ20年も経っているから湖が勝手に歩き出すと言う事はあり得るのだ。

2018年8月15日 (水)

世界で最もわかりにくい場所にあるホテル

世界で最もわかりにくい場所にあるホテル901bdadc24de41d48fa59f2778c0c031

最初のハノイに来た時宿泊したホテルメトロポールは20年前の話であるがわかりやすいところにある。そこから徒歩で10分ぐらいの旧市街のど真ん中にあるホテルなのであるがこれが実にわかりにくい。私は仕事で世界中のホテルのルームインスペクションをやっているからおそらく数百のホテルは実際に見ているわけであるがこのホテルはわかりにくいことがベストである。実に狭い路地の奥の奥にあるのだ。6月にハノイに行った時に既にここを予約しているから場所を確かめようと思って2日連続探しに行って結局発見はできなかった。

どんなに独自の奥にあってもそこに行くための看板があるのが普通である。ところがそれもない。結局探すことを諦めたのである。空港からタクシードライバーに何度も電話をしてもらって結局行き着くことができた。この部屋はネットでシティービューの部屋と言うことになっている。情緒があって非常に良いと思う。
ホテルのバルコニーから見た風景だ。こういう素敵な風景だとバルコニーに座っていくらでもお酒を飲めるから危険なホテルと言うことになる。

2018年8月14日 (火)

河内マンハッタン

河内マンハッタン

ハノイの東雪谷5丁目は便利なところで通を往復するだけで日常に必要なものは全部手に入る。
それほど長い通りでは無いから通のおしまいまで行けば良いのであるがやはり面倒であるから買い物してそのままホテルに戻ってきたりする。でもあそこの河内のマンハッタンのイラストまで行ってみようと考えるのは悪いことでは無い。これは買い物通りの東の1番とっつきにあるのだ、。

プリミティブなピクチャーであるところが非常に良い。それで思い出したのは20年前にボロボロのハイエースでハノイからホイアンまで走ったときの記憶である。Dananに向かう急な峠道の踏み切りにプリミティブな油絵がかかっていた。それは南北統一鉄道が通過するところを踏み切りでみんな待っていると言うピクチャーなのである。非常に良いピクチャーであったのでハッセルブラッドでそれを複写したがもしもこれが売り物ならば欲しいとほんとに思ったことがある。Dscf2675_2


2018年8月13日 (月)

河内秘密警察ならぬ秘密豆腐店

河内秘密警察ならぬ秘密豆腐店Dscf2659

河内で行商のお豆腐屋さんをすぐ発見できるようになればそれは河内慣れしているのである。私などは初心者であるから全く関係ない方向歩いて探したりしているのである。河内のお豆腐屋さんは行商が多いようであってしかも場所を転々と帰るからなかなか我々初心者には場所を特定するのが困難である。日本のよりちょっと硬い豆腐でハノイビールによく合う。

秘密警察に対して秘密豆腐店と言うのは新しい言葉なので気にいっている。こないだ私が宿泊したホテルはお隣が公安警察であった。こちらのほうは場所が毎日変わると言う事は無いから便利かもしれないが別に秘密警察こっちは要は無い。

2018年8月12日 (日)

河内のドライブスルー

河内のドライブスルーDscf2567

西暦2000年の12月にホーチミンの空港のラウンジで沢木さんに初めて会ったとき彼の最初の言葉はベトナムはバイクが多いですねであった。
まさにその通りであってバイクがないとベトナムの人の生活は成り立たない。亡くなった写真家の外山ひとみさんはホンダのバイクでホーチミンからハノイまで2000キロ走ったそうである。実に頭が下がる。都市生活者としてのバイクは生活と切り離すことができない。要するに果物屋さんや八百屋の前にバイクで走ってきてそのまま買い物すると言う理想のドライブスルーなのである。

2018年8月11日 (土)

河内行きつけのカフェ

河内行きつけのカフェDscf2547

河内の中心部のツーリストスポットである36通りには何年も行っていない。あれだけの人口密集地つまりJRの朝のラッシュ並みの混み方になるとピックポケットの絶好の活躍の場所である、。

この4月に河内に行ったときには東京の場所で言えば大田区東雪谷5丁目と言うあたりに住んでいた。本当の東雪谷5丁目は巨大な山岳地帯でK2みたいなのであるがこっちは平坦地である、、。
ただしすぐ側に大きな池があるのでこれを洗足池に見立てているのだ。
この界隈は本物の下町であって部屋から出て30秒で行きつけの喫茶店に行ける。こういう便利さが東京にはない。私のいる佃界隈は不便なところで最も近い喫茶店は歩いて10分以上かかる。その前にマクドナルドがあるのだが当然のことながらそういうところにはいかない。
部屋を出て30秒でカフェがあると言うのはこれは文化なのだ。

2018年8月10日 (金)

1銭丼札の裏側

8e33c5d667cf4ec284c6750988912191

普段はお札の裏側等は見ることがない。お札をひっくり返してみたら1戦鈍札はぞうさんの図柄であった。森林を伐採して力になっていると言う
結構ツーリスト向けの図柄なので嬉しくなった。
ベトナムではぞうさんに路上で遭遇した事はないがデリーでは遭遇したことがある。朝のラッシュアワーのオールドデリーで道を渡ろうとしたら右側に4トントラッククラスの物体の存在を感じた。白い象さんであった。危なくひかれそうになるところだった。ハイブリッドカーと同じで音がしないから結構危ない。ちょうどワイドアングルローライフレックスで最後の1枚をとってフイルム交換をしようとするときに白いぞうさんが現れたのでぞうさんの後ろ姿も撮ることができなかった。ローライは12枚撮りだからこういう時不便だなと思った。

2018年8月 9日 (木)

1000ドン

Img_8029

この春から3回出かけた河内てあるが普通に買い物をしているとお金に対する錯覚が起こって私は5000ドン札が最低の紙幣であるとばかり思っていた。街中の普通の商店で買い物をしていると五線丼のお釣りをもらうことがよくある。実は1000ドンもあったことを忘れていた。
小さな市場でお豆腐を買って五線どん出したら1000ドン札のお釣りをくれた、。1000丼のお札ははそういう市場などで大活躍している、。

お札の図柄はホーチミンである。アメリカだとお札によって登場する人物が違ってくるのでわかりにくい。こちらのほうがわかりやすい。くたくたに使い込まれたこのお札を見ていると経済の力と言うものを感じるわけである。

2018年8月 8日 (水)

モノクロのススメ

モノクロのススメImg_8021


富士フイルムの雑誌広告は20年ほど前によくやった。これはそれとは違ってヨドバシカメラなどで売っている白黒フィルムの3本パッケージに私のモノクロのススメと言う小さな冊子をつけたものである。折りたたみ式になっているが久しぶりに発掘して手に取ってみたら使っているペーパーが結構あつくて上質である。片側がオーストリアウィーンで反対側日本の風景になっている。

この仕事の原稿料が振り込まれたがこのパッケージのサンプルを送ってこないのでわざわざヨドバシカメラに買いに行って1つだけゲットしたのがこれである。当時の富士フイルムはモノクロームをなんとか生き延びさせようと思ってこれは立派なことであるが結局今日のような状況になってしまった。

今となってしまっては結構レアものであって写真集などよりずっと数が少ないであろう。

2018年8月 7日 (火)

坂崎幸之助といいますアルフィーと言うバンドをやってます

坂崎幸之助といいますアルフィーと言うバンドをやってますImg_8006

坂崎幸之助さんが新宿の中古カメラ市で声をかけてくれたのは30年近く前のことだ。私はアルフィーを知らないので翌日月島図書館でCDを借りに行った。アルフィー創設20周年と言うので記念のプログラムに対談で読んでもらったこともある。
ナックファイブと言う番組で坂崎さんとお話をしたこともあったな。

私の部屋は電気は来ているがテレビがないので世の中の動きがわからない。だから20年ほど前にオーストリアウィーンのカメラ店で東儀秀樹さんが声をかけてくれた時も私は東儀さんを知らなかった。

1番最近の不調法は六本木ヒルズの仕事場でFacebookか何かで東京タワーからヒルズが見えると書いている人がいてその人とやりとりして友達になった。ゴスペラーズですと言うのでゴスペラーズてなんですか?と聞いた。それから酒井さんとお友達になった。

2018年8月 6日 (月)

その存在感がハンパないキャノンのカメラホルダー

その存在感がハンパないキャノンのカメラホルダーImg_7992

しばらく前にガラクタ屋さんで買ったキャノンレンジファインダー用のカメラホルダーである。VT専用であるがこれはめったに見たことがない。5Tという意味であってローマ字のVではない。子供の頃友達の 783の息子田近くんがブイティーデラックスと呼んでいたがこれは間違いである。

なぜこういう製品ができたのかその背景はわからないがカメラよりも工作精度が高いように見える。
当時のキャノンのレンジファインダーはカメラボデーの端っこに三脚穴ついていたので三脚に乗せるとバランスが悪くなる。それでこういうものを作ったのであろうか?ライバルのニコンでは似たようなアクセサリーは存在しないからだ。

しかしこのカメラホルダーはデザインから見るとなかなか優れている。しもったいないほど良い材料使っている。

キャノンのレンジファインダが最初のグッドデザイン賞を受賞したのはL1モデルである。中古市場では石ころみたいに安い値段で転がっているが優れたデザインだしカメラボディのトップとボトムの間の黒い塗装された部分はこれは漆で塗装されているのである。

半端ないカメラホルダーであるがカメラ本体に装着して実際に使うわけではない。お道具鑑賞である。だからからこれは名物----名物にうまいものなしの名物ではなくて茶道の名物ーーーーであると言うことがよくわかる。

2018年8月 5日 (日)

ライカのケースの使い方をアンリカルティエブレッソンに学んだ

Img_7975_2

枝村酒店がまだあった頃カメラ談義が沸騰していて1955年に木村伊兵衛がブレッソンに会ったときのツーショットなどがあるがその時木村伊兵衛が撮影したブレッソンのライカを構えている写真が話題になった。

ブレッソンのライカケースは自分で作ったもので本体と2がゴムのテープのようなものでつながっているらしい。そのことは木村伊兵衛が記載しているのであるがレンズだけ出して撮影して手を離すとライカ本体はゴムの力で自動的に閉じるのだそうである。

アサヒカメラのごく小さい写真であるからそのブレッソンのホームメイドのライカケースの写真はよくわからなかったがクラブエダムの仲間内で似たようなものを作ろうと話題が盛り上がった。

そこに集まる連中は格闘技系なのでお店の前で取っ組み合いをして遊んだりしていたためにライカケースの制作はそのままになってしまった。

ライカのエム5はそれまでのコンセプトと全く違う。カメラを持ち歩くときに縦にして持ち歩くと言うのが基本コンセプトなのである。これが評判悪くてユーザに叱られたのでライカはエムファイブに慌ててストラップアイレットをつけて3つのストラップアイレットが付くと言う面倒なことになってしまった。

このライカはごく初期のロットであるからストラップアイレットは2つだけである。これがやはり正統派なのであろうと思う。M5専用の革ケースが2つあってハードケースの馬鹿でかいやつ。もう一つはもう少しぴったりしたものでカメラを縦にぶら下げるやつだ。10年ほど前にガラクタ屋さんでこのカメラをにぶら下げるやつを買ったら1週間でファスナーが壊れた。4000円もした高いケースがすぐ壊れたのは残念だった。

その原因はすぐにわかった。使っているファスナーがYKKではなくドイツの知らないメーカーなのである。これではすぐ壊れるよね。

ヤフオクで同じ革ケースを500円で売っていたのでそれを買った。セラーがさんは私のことを知っていて3年前三共カメラで私に会いましたとか言うお話であった。

私のブレッソンに教えられたのはこの革ケースはファスナーが壊れている方が使いやすいと言うことである。モチーフを発見してもたもたファスナーをぐるりと開いている間に相手はどっかに行ってしまう。

それでこのカバーケースの使い方はファスナーを閉めないあるいはファスナーが壊れているというのが正しいことになる。

2018年8月 4日 (土)

おもてなしには程遠い。新幹線のチケットが日本語だけで印刷の件

おもてなしには程遠い。新幹線のチケットが日本語だけで印刷の件

Img_7967

10年近く前のことであったと思うけど新幹線の京都駅で外人さんが慌てている様子で私に新幹線のチケットを見せた。このトレインに乗りたいのだが今到着してるやつなのか?と言うのである。
彼が乗る列車は東京行きののぞみなのであるがホームに停車しているのは各駅こだまなのだ。

ヨーロッパでは列車が10分20分30分遅れるのは割と普通であるから外人さんには判断がつかないのである。聞いてみたらイスラエルから来たお客さんだった。

これが大昔の話であるから今は2020年に向けて新幹線のチケットも英語表記がしてあるのかなと思ったらそうでは無いのでびっくりした。新幹線にはもう10年近く乗っていないので知らなかったのだ。
私もヨーロッパの日英語圏でチケットの件面が読めないであたふたしたことがある。

つまらないユニフォームを作ってただ働きの奴隷をさせて何がおもてなしだ。

2018年8月 3日 (金)

お知らせ

🐦お知らせ❤️

🌈9月16日日曜日ぶらぶらショップ秋の等々力渓谷バスツアー開催決定です。
https://www.facebook.com/events/323926751498192/🇻🇳🦆


ギャラリーバウハウスの沢木耕太郎さんとの公開対談メールのみにて受付開始しました。😎
8月24日現在申し込み29名様。あと11名様で満席です。🇻🇳🦆
http://www.gallery-bauhaus.com/180920_chotoku.htmlFc89fe6ed8d34f019170a9eba51a0541

Img_8249


ローライフレックスのうちわ

Ddbe36ed038448faa9fdc3c3ed97ac9f

正岡子規が明治の終わり頃に書いたエッセイで病床にあるときたまたま手に取ったうちわの話がある。
浅草12階つまり凌雲閣をテーマにしたのが描かれている。普段は無意識に手にしているものになかなかのデザインがあるのでそのことを面白おかしく正岡子規が書いているのだ。

これは美空ひばりがローライフレックスを手にしたと言う図柄である。小学校のバス遠足の時などに東京であったか横浜であったかわからないが小さな魚屋さんの前にバスが止まってバスガイドさんがここが美空ひばりさんの家ですと説明したことがある。別に何の興味もなかった。

このうちわはは私のコレクション用だから実際に風を起こす事は無い。日常的に使っているのは商店街でもらったプラスチックの骨のやつとか宇奈ととでもらった丸い厚紙のやつである。

2018年8月 2日 (木)

アローカメラにだいめ我楽多屋の野田の写真が良い件

アローカメラにだいめ我楽多屋の野田の写真が良い件Img_7950
by Yohsuke Noda Leica M10 Aposummicron 50/2ーー


ちゃんとした写真を撮る人はアマチュア写真家に限る。これが数年来の私の信条である。メーカーさんのお手伝いとかカメラ雑誌の登場頻度とか写真展の回数とかそういうのは全く関係ない。私を含めて職業写真家と言うのは時代遅れの人間国宝みたいなところがある。あるいは江戸最後の幇間みたいなところがある。

私のことをけしからんと言う人が居ると思うので説明しておくとこれは私が言い出したのではなくてアルフレッド主ティーグリッチが指摘しているところである。

アローカメラにだいめの写真が良いと言う事は数年前から気がついていた。ところが最近というか昨日のことであるがFacebook上で満塁ホームランを出かした。

不思議な写真である。まず画面の左上の紳士服の青木に目がいく。視神経がズームバックして左側の日傘をさしている女性に目がいく。そして視神経が右にバンニングするとそこに車椅子を押している人が写っている。さらにズームバックしてフルショットを見るとどっかのエントランスに男性が倒れていて警察官が2人いる。右の警察官が警察無線で連絡をとっている。要するに1枚の写真の中にドラマチックにドラマになるような要素がちりばめられている写真と言うのは凄いと思う。

これだけの写真はなかなか取れるものではない。それで思い出したのは報道写真家ウィージーの名作のことだ。海岸で溺れた男性をレスキューが介護しているその脇にそのカップルの女性とみられる人物がカメラに向けて微笑んでいるという写真である。

ガラクタやにだいめは確かに写真の天才なのであろう。東京カメラクラブの田村代表もそうだが写真はすごいが本人はごく普通の人なのなのだ。にだいめもそうである。

強烈なタイガーズファンであり日本の映画で
家に帰ると妻がいつも死んだふりをしている
と言う変なタイトルの映画を見たりする。
わざわざFacebookで断ってこれからガッキーの映画を見に行きますと書いている。高校生じゃあるまいし恥ずかしくないのか?

港区からアローカメラまで自転車通勤をしているが銀座あたりで警察官が自転車乗りの取り締まりが悪いと言うので交番に文句を言うような変わり者である。

まずこれが天才の所以である。
にだいめがすごいのはカメラにこらないないことである。
周囲の偽ライカ人類は皆さんライカM10アポ頭ミクロンなのだ。お道具だけ立派に揃えて現実に目が向いていない。
だから私はブラックユーモアで2代目の書き込みのリプライに必ず
やはりライカM10とアポ頭ミクロンは画質が違いますね
と書き込んでいる。

2018年8月 1日 (水)

スーパーシックスとスーパー藤香シックス

スーパーシックスとスーパー藤香シックスImg_7944


これほどいろんなカメラを手に入れているのに今まで手に入れたことがないカメラがあった。富士フイルムが1955年に作ったスーパー藤香シックスである。

昨日ギャラリーバウハウスに9月20日からの写真展の打ち合わせに行った。小滝さんは夏休みに初めてハノイに行くと言うのでいろいろインフォメーションをしてあげた。まず水に当たらないようにするのが第一である。小滝さんの奥様からハノイに2週間滞在すれば大抵のものは見れるでしょうかと言う質問があったので私はこう答えた。

それだけ時間があれば観光はすべてできます。ただし私が興味を持っているベトナム戦争北爆の時に最も爆撃を受けた中央駅の南側の下町地域などは私は20年撮影していますけれども到底取り尽くすことができません。
ツーリズムとピクチャーテイキングは別のものであるから当然の話なのだ。

ギャラリーにはデアドルフエイト8x10などの専門店スパローフォトの奥様も見えていた。以前野々宮と一緒にこの店に行って休日で休みなのでウインドウ越しに見た憧れのお店である。2年ほど前にご主人が亡くなったそうだ。非常に残念なことである。
私の人生ではついにお目にかかることがなかった。でもそれはそれで良い。田原桂一だって最後に会ったのが30年以上前なのであるし。

それから地下鉄で曙橋まで行ってゆるゆる坂を上って久しぶりにガラクタ屋さんに行った。そこで手に入れたのがこのカメラスーパー藤香シックスなのである。
普段私が使っているのは歴代のZeissのスーパーシックスである。スーパーシックスは優秀なカメラだが唯一私の好みに合わないのは蛇腹をセットアップするときのボタンが小さすぎることなのだ。ところがこの藤香のカメラはカメラオープンするときの金具が異常にでかい。何かカメラのケリーバッグと言う感じがする。

2つを並べてみると富士フイルムはツアイスの真似をしていることがよくわかる。シャッターの周辺のデザインなどがそうである。当時の戦後国産カメラの作り方は何か荒物屋さんで売っているアルミの台所用品と言う感じだ。光学製品とは程遠いのであるが逆に小型軽量であるから写真を撮るにはこちらの方が向いている。

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31