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2018年7月 4日 (水)

ロバートキャパが彼の人生の最後に見たのがベトナムの空と地であったのは何やら教訓的である。

ロバートキャパの暮らしについてはいろいろ知っているつもりであったがその中にはものすごい勘違いもある。キャパがベトナムで地雷を踏んで死んだのは私の漠然とした勘違いでベトナム戦争の時だとなんとなく思っていた。ちゃんと考えてみたらそんな馬鹿な事は無い。
これはインドシナ戦争の時の悲劇なのである。キャパはフランス軍の鎮圧作戦に同行していたわけだからベトナム戦争の時に南ベトナム軍に随行していたのと同じことである。そしてこの立ち位置はそれ以外の方法は無いのだ。

皮肉なのはキャパは最初カメラ毎日の創刊号のときの記念イベントのインビテーションで来日していたのだ。そこでインドシナ戦争が勃発して本来は他の写真家が行く予定だったのだが代打としてキャパが派遣されたのである。
横木あらおはキャパ没後50年の時にキャパに関する真面目な本を出している。その横木によればキャパがなくなったポイントを特定するためにバイクタクシーか何かで現地を捜索して結局そのポイントを発見したのである。

ロバートキャパの作品と言えばモノクロームと言う先入観があったのだがキャパは人生の最後の瞬間にはカラーフィルムでも撮影をしていたというのが新しく感じられた。
その撮影ポイントはハノイからちょっと南に下った小都市であってこれも私の勘違いなのだがベトナム戦争とごっちゃになっていたのである。キャパがなくなったところは後の北ベトナムなのである。

その小さな町を私は2000年の春にボロボロのハイエースでホーチミンシティを目指した時に通過していたのである。ハノイは朝に出発して夜にはその街より南の街に到着してそこで宿泊した。案内してくれたベトナム新人類のSonさんによれば北爆で最も激しく爆撃を受けたところだと言う。ベトナムの人にしてみればインドシナ戦争でフランス軍に従軍して地雷を踏んで亡くなったアメリカ人のカメラマンなどはどうでも良い話なのである。

その古いハイエースのドライバーは北ベトナム軍の砲兵隊の戦士であった。
ここにも私の時間軸上の勘違いがある。インドシナ戦争では激戦地ディエンビエンフーでベトミンの砲兵が大活躍してフランス軍を脅かして勝利に持ち込むのである。

ハイエースの砲兵隊ドライバーの活躍した時期を私はインドシナ戦争と勘違いしていた。そうでは無いこれはベトナム戦争の時の話なのだ。

ロバートキャパはハンガリーに生まれてパリに行きアメリカ人になって最後はハノイの近郊で亡くなった。私もオーストリアハンガリー帝国にしばらく居住していた。そのバックグラウンドで見るとロバートキャパと言う人がより身近に感じられるようなのである。5月25日はキャパの命日である。最後の瞬間にキャパのハノイ近郊のあの空と大地はどのように彼の目に映ったのであろうか? Img_7747
😎

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