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2018年7月15日 (日)

スーパー玉出のチラシがいい

スーパー玉出のチラシがいいがImg_7864
大阪の駅で玉出と言うところがある。その玉出からじゃんじゃん横丁を経て天王寺まで歩くのが好きだ。
このチラシはいつもダウンロードで見ているのであるがポップアート的な存在感があって好きなのである。

玉出から天王寺までは結構な長丁場であるから買い物はスキップしてじゃんじゃん横丁の玉出で買い物をする。その右側が酒屋さんであって私私が缶ビール麦酒のを飲んでいたらそこに派手な衣装のおっちゃんが真新しい自転車で乗りつけた。
なんや新太郎も誰もきとらへん
と言うのである。
それでそのおっちゃんの話し相手が私になった。

うどんが1円などと言うのもエクセントリックだがかい方のルールがいろいろあるようである。

2018年7月14日 (土)

指を切らないコンビーフ

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26ヶ月ぶりの大阪である。大学の写真作家論ではロバートキャパとダグラスダンカンの話をした。キャパとダンカンは実は歳は1つ違いなのだ。キャパは40歳で亡くなりダンカンは102歳まで生きたのだ。

昨年昇天した山崎博と田原桂一の話をした。若くしてKhmer Rougeにやられた一之瀬の話もした。

前の晩は私がFacebookで興味を持っている大阪の写真家奥野さんと花野はんで突撃写真論をやった。その時におつまみに登場したのがこの新型のコンビーフである。クラブエダムがあった頃はよく食べた。ライカの父親の本部長が缶詰を開けるときに誤って手を切って流れ出た血をを舐めながら酒を飲んでいるのを見て私はそこに葉隠の本質を見る思いがした。

それはいいが本部長が先に帰って直後にクラブエダムの前を救急車が通って行った。まさか本部長が怪我したんじゃないよねなどと冗談を言っていたら本部長は月島駅の階段で転げて額をきって救急搬送されたのである。

あれ以来ニューコンビーフは食べていないから。4年になるのだ。この会社も怪我をする人が多いのでついにワンタッチで開けられるプラスチック製コンビーフをするに至ったようである。

2018年7月13日 (金)

じゃんじゃん横丁150円のかけうどん

じゃんじゃん横丁150円のかけうどんPhoto_2

大阪を最初に取るようになったのは1985年のことだ。8 × 10の大型カメラで大阪の近代建築を撮影したのである。その時撮影した建築物はすでに40数年経っているから跡形もない。日大写真学科の1年後輩の木村くんにお願いして赤いフォルクスワーゲンで大阪を走りまわった。
あれは何と言ったか長堀の広い通りの真ん中にある緑地帯で撮影済のフィルムホルダーをたくさん忘れてきてしまって慌てて取りに帰ったこともあった。

じゃんじゃん横丁の辺は1985年にはなかなか怖いところであって大型カメラをセットするにも神経を使った。

その後私はチェコのビロード革命に興味を持って何十年もチェコのプラハに行っていたので大阪はご無沙汰になってしまった。それが10数年前に大阪芸術大学と関係ができたのでまた行くようになった。
じゃんじゃん横丁のノースエンドにある松葉とか言う名前のうどん屋のかけうどんが好きなのである。
以前は150円であったが今では10円値上げして160円だ。こういうのはうまいとかまずいとか言う以前にそれを食べに行くと言うことが旅の目的になるのである。

そこに食べに行くお兄ちゃんとかおっちゃんはスタミナをつけようと言うのでうどんの上にいろいろ天ぷらとか載せているのである。これが難波の基本的なエネルギー補給に関する法則と言うものであろう。私はそーゆー注文はしないか脇で見ているのは好きだ。

2018年7月12日 (木)

木陰のワークショップは素晴らしかったがちょっと痒かった

木陰のワークショップは素晴らしかったがちょっと痒かった90570ff414c0451facc2535419ab7219

昨年の9月にスタートしたブラパチワークショップであるが8月はお休み。その前の最後のワークショップが小石川植物園であって深い木立の緑の影の下でやっていたら40年前のザルツブルグカレッジインターナショナルフォトグラフィーワークショップを思い出した。

マサチューセッツ工科大学の学生連中は理工系だとばかり思っていたら写真も結構うまいので感心した。日本からの参加メンバーでは後に頭角を現す吉村がいた。

ワークショップの場所はサウンド・オブ・ミュージックの映画舞台にもなった広い芝生の庭であって目の前が湖であってその先にアドルフヒトラーの山荘があった。

でもザルツブルグのお庭の樹木と言うのはそんなに大きくはなかった。それに対して小石川植物園の場合は樹齢何百年と思われる楠である。
自分の視界に車や人やホンダのバイクが見えないと言うのは快適である。問題なのはちょっと考えたので帰りと言うことぐらいだ。四半世紀前に出した初期のDVDでライカのタイトルを出したのだがこれは9,800円もするのによく売れた。その番組の収録で赤瀬川さんと坂崎幸之助さんにおいで願って対談をしたのである。蓼科の別荘で撮影となっているが本当は東京の恵比寿あたりなのだ。撮影を開始したらものすごくやぶ蚊がやってきたが赤瀬川さんも坂崎さんもプロだから本番前はヤブ蚊を叩いたりしているのにカメラがまるとさっとそれを止めて涼しい顔をしている。プロ根性と言うので私はとても感心した。

2018年7月11日 (水)

Icocaと大阪の1日乗車券

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しご年前に京都の街でPASMOを落としてしまった。それでIcocaを手に入れた。またを落とすと損になるから今回はしっかり持ち歩いている。
26ヶ月ぶりに大阪に来たので交通費もいるだろう思って思い切って3,000円をチャージしておいた。早朝6時半の日本航空の1マルイチ便に乗るために71歳が階段を駆け上がって口から心臓が出そうになった。

天王寺の駅で大阪の1日乗車券を買おうと思ったが日本語の表示が出ているのに私の日本語の理解能力では難しくて買うことができない。脇にサポートのコンパニオンさんがいたのでいろいろ教えてもらった。1番びっくりしたのは私が事前にチャージしているカードで1日乗車券が買えないと言うことである。これはそのコンパニオンさんから聞いた話だがそういう仕組みになっているのである。やっぱり変な国だなぁと思う。大阪と言うのは私にとっては1つの地域とか1つの街ではなくて 1つの国家なのである。

その大阪と言う国家はフランスのパリのちょっと東にあってホーチミンシティーのちょっと西あたりにありそうだ。

2018年7月10日 (火)

突撃カメラサービスの仕事

突撃カメラサービスの仕事Img_7773
ニコンに 21ミリのコシナのレンズをつけたらモードんになってしまった。
20年ほど前にはニコンの本社にこのようにレンズが外れなくなったときに外してくれる飛騨の工さんがいたものであったがもういないであろう。それで時々こういうことになるとニッチモサッチもいかなくなるのである。モードオンになった我々に朗報と言う訳である。

もともとこのモードんを発明したのはフェイクライカ愛好会のビクトリーさんであって彼の妄想もう呑がもっとレベルが高いのでレンジファインダニコンのゾナーレンズを変な風にくっつけてしまいこれを外すのに突撃隊長がやっとのことで外したら逆に文句を言われたそうである。
俺の大好きなモードんを勝手に解除仕上がってと言うことになるのであろう。

ついでに突撃カメラサービスがカメラのロゴをぐにゃりタイプに変えてくれた。このナイコンはもう30年使っているのだがあと30年はこれで大丈夫であろう。
😎本日移動日。東京難波。大阪芸術大学で26ヵ月ぶりに授業。電車の乗り換え方も忘れた。
6時半の日航機で痛み。8時半には花野商店で飲んでる。難波は文化的だ。

2018年7月 9日 (月)

11回目のブラパチワークショップは小石川植物園

11回目のブラパチワークショップは小石川植物園Img_7770

昨年の9月の第二日曜日からスタートしたブラパチワークショップである。ずいぶんいろんなところをうろうろした。この企画は日本カメラの私の連載Today Tokyo 1964-2020とシンクロしている。だから毎回のワークショップの様子は2ヶ月半遅れで日本カメラの紙面に反映されることになる。

毎月正確に第二日曜日の午後1時からやっていたが8月は休みにすることにした。本来ヨーロッパの大学等は9月が新しい年度である。だから11回やって休みと言うことにした。

ワークショップの参加者のカメラを並べるのでは毎回苦労した。お寺の階段に置いたり神社の石段に置いたり普通の通路のコンクリートの階段に置いたりした。

11回目は小石川植物園で巨大な楠をバックにしてベンチの上に並べることができた。別にネイチャーフォトなどと言う馬鹿な事は言わないけれどもカメラと言うのはその背景にカンツリーがあった方がよく似合う。

新学期のブラパチカメラ塾は9月の第二日曜日午後1時からスタートする。

2018年7月 8日 (日)

ジョニーウォーカー黒ラベルのミニチュア

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国際線の飛行機で楽しみな事は飛行機の1番奥のギャレーまで歩いて行ってそこでハードリカーをもらったりすることだ。カタール航空のビジネスクラスに乗っているときに本来頼めば何でも出てくるのであるがやはりこの飛行機までの1番奥までの散歩をやりたくて何度か1番奥まで歩いて行きウイスキーのミニチュアボトルをもらってきた。

ミニチュアボトルをちびちび飲みながら窓際から外界を観察するのは楽しみなものである。エミレーツ航空で日本に帰ってくる時カリム盆地の手前で飛行機は右手にエベレストを展望してこの風景が絶景なのである。ミニチュアボトルが複数になったときに友達の石川直樹のことを思い出した。
彼の話に居れば登山を請け負う会社というのがあってお金さえ払えばあたしのような大変な老人でなければ一応エベレスト頂上まで登れますと言う話であった。
それに感心したのだがウイスキーを飲みながらエベレストの頂上を双眼鏡で見ていてああゆうところに登りたいと思う人はよほど石の固い人であろうと思った。

この間のベトナム行きではワイクラスの1番前に座っていたので長い通路を歩いて1番奥のギャラリーにウイスキーをもらいに行った。感心したのは開発途上国のはずなのにミニチュアボトルがジョニーウォーカーのブラックである点である。またもらいに来るのがめんどくさいので時間を節約するためにもう1本くださいと言ったら渡してくれた。

それで最初の1本はアテンダントさんがボトルを開けてくれたのであるが見ていると面白い。非常に強い力でテーブルにミニチュアボトルを打つけるつけるのである。
なんでそういうことやるんですか?と聞いたらこうしないとボトルのキャップが開かないのだそうである。もらったブラックのボトルはそのままハノイ持ってきてすべてのアルコールが尽きた時に非常燃料としてこれは開けようとした。
テーブルに叩きつけて来なかなか開かない。ベトナム航空のアテンダントさんがやっていたのは何か特別なコツがあるのに違いない。10分間格闘したけれどもついに開かなかったので緊急事態としてスイスアーミーナイフでこじ開けた。

長年飛行機で旅行しているがまだまだ未知の領域のことがたくさんあるのでそれが面白い。

2018年7月 7日 (土)

雨宿りのうどん屋

雨宿りのうどん屋Img_7761
人が全くいないハノイのフォン川のそばのLong Bienステーションを見てからぶらぶら南に歩き出した。ハノイの中央駅に行くつもりである。フォン川の駅が御茶ノ水とするならば中央駅は東京駅である。列車の連絡は毎時1本もないので歩いた方が楽である。

本川の東の方から本田のライダーがどんどんやってくる。それで駅前で荷物を解いてビニールのカッパを着ている。はて雨などまだ降っていないのにどうしたことかと思って私も歩き出したのだがその直後にスコールが来た。

ベトナムの人はスコールが来ることを動物的な感覚で認識しているようである。
ノアの方舟の大洪水というか天国のバスタブのが壊れて地上に水が落ちてきて水浸しと言う感じだ。

とりあえず雨宿りをしたらその軒下がうどん屋であったのでためらわず中に入った。最近はこういう小さな店であってもベトナム語と英語を並べて書いたメニューがある。別にメニューを読まなくても普通のPhoを頼んでそれを食べて雨宿りした。 35,000ドン。これは街の中心部であるから高いのであって町外れに行くと安くなる。

ところがスコールはなかなかやまない。結局1時間45分ぐらいそこにいたのである。

2018年7月 6日 (金)

上海のはるか西40,000フィートで夕暮れに巨大な竜巻を見た

私の趣味は飛行機の窓から延々と外を眺めていることである。こないだのベトナム航空ではベトナムに行くときには右側のウインドウに席を取った。こうしているとすれ違うトラフィックを見ることができるのである。大体時速1,000キロ位で飛んでいる飛行機であるからすれ違う飛行機は2,000キロほどのスピードになって実にダイナミックである。

あれはいつだったかアムステルダムからリスボンに飛行中にスペイン航空とニアミスしたことがある。かなりの高度差で斜めに横切っていったのだが私の家から見るとそれが大きさ1メーター位の飛行機に見えた。
こういう事はあまりないのではないかと思う。それで今回もトラフィックを観察していたらはるか地平線の彼方に不思議な雲を見つけた。ちょうど昇り竜と言う感じなのである。そのドラゴンがあかね色になら輝いている。
持ってたNikon 8x32の双眼鏡で観察すると夕暮れのあかね雲が地上からかなり上の方まで1本の柱のようになってそれが斜めに崩れている。

その昇り竜はかなり長いこと見えていた。そのままそのことは忘れていてさっき東京に戻って日本のニュースをチェックしていたら国内で起きた竜巻とその姿が全く同じなのである。見ているときはまさか竜巻であるとは思いもつかなかった。

双眼鏡で観察した様子だけなので画像なし。その後不思議なことがあったその双眼鏡はseat16kつまりエコノミークラスの1番前の座席のフロアに押し付けておいたのだが飛行機が着陸してそれを探したのにどこにも見えない。これは数年前にガラクタ屋さんで1,000円位で買ったものなのだが非常によく見える双眼鏡である。隣にベトナム人の若い4人家族がいたのだがそういう人が拾ってくれたのならうれしい。

ニコンミュージアムではニコンの双眼鏡の大きな展覧会をやっているそうである。私が小学生の時に最初に手に入れた双眼鏡はミクロンであった。それを何十年も持ち歩いていて20年ほど前にバスク地方のビルバオのホテルに忘れてしまった。これは残念なことである。しかし私は一方で自分の双眼鏡を人にあげるのも好きなのである。

2018年7月 5日 (木)

ハノイの神田駅の静寂

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ベトナムの南北統一鉄道は2,000キロ近くある。そして単線である。鉄道があまり発達していないのは当時の宗主国がフランスがそのような政策を行ったのではなかろうか?
ベトナムにとっての歴史的な街ディエンビエンフーにしても河内から列車がないのである。
ハノイの中央駅が非常に閑散といるしこれを東京駅にたとえればその次の駅は神田駅であるがそれがこの役にあたるのだ。
Long Bien駅と言う。この駅のすぐ東側は巨大なフォン川である。

ここの待合室に行って考え事をするのが好きなのだ。それがこの20年代の私の行動パタンだったのが最近ちょっと残念であるのは駅構内の切符売り場が以前はまさに共産主義的な懐かしいノスタルジーであったのは最近はちょっとモダンになってしまった。

ごみごみしたマーケットのおくのほうに急な階段があってこれはどこに通じるのであろうかと登っていきなり駅構内に出るのである。その意外性が面白い。

ディーゼルの午前9時48分発の下り列車を私は見送った。発車時刻の3分前ほどにベトナムの男はつらいよの寅さんみたいな人がクラッシックなスーツケースを持ってあたふたと列車に乗り込んで行った。ここは柴又駅と姉妹駅になったらいいと思った。

2018年7月 4日 (水)

ロバートキャパが彼の人生の最後に見たのがベトナムの空と地であったのは何やら教訓的である。

ロバートキャパの暮らしについてはいろいろ知っているつもりであったがその中にはものすごい勘違いもある。キャパがベトナムで地雷を踏んで死んだのは私の漠然とした勘違いでベトナム戦争の時だとなんとなく思っていた。ちゃんと考えてみたらそんな馬鹿な事は無い。
これはインドシナ戦争の時の悲劇なのである。キャパはフランス軍の鎮圧作戦に同行していたわけだからベトナム戦争の時に南ベトナム軍に随行していたのと同じことである。そしてこの立ち位置はそれ以外の方法は無いのだ。

皮肉なのはキャパは最初カメラ毎日の創刊号のときの記念イベントのインビテーションで来日していたのだ。そこでインドシナ戦争が勃発して本来は他の写真家が行く予定だったのだが代打としてキャパが派遣されたのである。
横木あらおはキャパ没後50年の時にキャパに関する真面目な本を出している。その横木によればキャパがなくなったポイントを特定するためにバイクタクシーか何かで現地を捜索して結局そのポイントを発見したのである。

ロバートキャパの作品と言えばモノクロームと言う先入観があったのだがキャパは人生の最後の瞬間にはカラーフィルムでも撮影をしていたというのが新しく感じられた。
その撮影ポイントはハノイからちょっと南に下った小都市であってこれも私の勘違いなのだがベトナム戦争とごっちゃになっていたのである。キャパがなくなったところは後の北ベトナムなのである。

その小さな町を私は2000年の春にボロボロのハイエースでホーチミンシティを目指した時に通過していたのである。ハノイは朝に出発して夜にはその街より南の街に到着してそこで宿泊した。案内してくれたベトナム新人類のSonさんによれば北爆で最も激しく爆撃を受けたところだと言う。ベトナムの人にしてみればインドシナ戦争でフランス軍に従軍して地雷を踏んで亡くなったアメリカ人のカメラマンなどはどうでも良い話なのである。

その古いハイエースのドライバーは北ベトナム軍の砲兵隊の戦士であった。
ここにも私の時間軸上の勘違いがある。インドシナ戦争では激戦地ディエンビエンフーでベトミンの砲兵が大活躍してフランス軍を脅かして勝利に持ち込むのである。

ハイエースの砲兵隊ドライバーの活躍した時期を私はインドシナ戦争と勘違いしていた。そうでは無いこれはベトナム戦争の時の話なのだ。

ロバートキャパはハンガリーに生まれてパリに行きアメリカ人になって最後はハノイの近郊で亡くなった。私もオーストリアハンガリー帝国にしばらく居住していた。そのバックグラウンドで見るとロバートキャパと言う人がより身近に感じられるようなのである。5月25日はキャパの命日である。最後の瞬間にキャパのハノイ近郊のあの空と大地はどのように彼の目に映ったのであろうか? Img_7747
😎

2018年7月 3日 (火)

夏向きの涼しいお写真

夏向きの涼しいお写真
ハロウィンの37度に比較すればなんというはないが東京も暑いようである。

それで毎年恒例だが真夏になるとこの雪に埋まったシトロエンの写真はアップすることにしている。シトロエンの写真ではなくてシトロエンのお写真である。
以前お世話になったアサヒカメラの担当編集の人が編集者としては非常に優れているにもかかわらず写真ではなくお写真と言うのが不思議だった。それで夏向きのお写真。

カメラはおそらくライカエムだっと思う。1,973年から75年の写真であるからカメラはそれしか持っていなかったはずだ。レンズのほうはもっとちゃんと覚えていてニッコールの50ミリである。それもef 1.4ではなくてef 1.5なのである。この間ダンカンさんがなくなったが彼のニッコール伝説がスタートしたとしたときのレンズなのである。当時のレンズはZeissの明るさ1.5と言うのが世界の最高峰であったが日本光学はそれをちょっと上回りたいものを作りたかったらしい。でも明るい暗箱などを読んでみるとこれはかなり無理をした明るさef 1.4だったらしい。

大雪の晩に友達の所から歩いて帰ってくる時に撮影したものだが絞り開放ef 1.5でおそらく25分の1秒位のものであろう。今にして思うとよくカメラぶれをしなかったものと感心する。
と言う涼しいお写真です。D477cc7ea74542068dbfb154077c6523


2018年7月 2日 (月)

ムービーカメラのプロップ

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佃島の私の部屋には三脚に乗せたありフレックス35ビーエルが置いてある。要するに昔の映画製作者の気分を味わいたいためだ。ありフレックス35/BLはフォルカーシュレンドルフが愛用した映画撮影機である。オーストリアウィーンで当時29歳の私は30代のフォルカーシュレンドルフ監督の脇にいつも立っていた。つまりありフレックス撮影機の脇にいたわけだ。

時々フランス製の亀フレックスに載せ替えてそこにヌーベルバーグを感じたりもする。
デジタルムービーカメラだと35ミリフルサイズの一眼レフで少年少女向きのムービーを取ったりするから気分はぶち壊しである。パジェットと言う足枷が映画をつまらなくしているやはり映画撮影はフイルムに限るのだ。第一スタイルが良い。

もうなくなってしまったが有楽町の駅前のゴタゴタしたところに
ありフレックス35BLのプロップが何かのお店の上に飾られていた。これがよくて時々見に行ったりしたものである。

今度の日曜日のブラパチワークショップは小石川植物園であるがその前にぜひ見たいのが白山駅のすぐそばにあるミッチェル35撮影機のプロップである。
映画館と言う名前のジャズスポットなのだがオーナーがカメラが好きと見えて手持ちの映画撮影機用のパーツではないものをうまく組み合わせてムービーカメラをセットアップしている。だから本物のムービーカメラよりもその存在感がムービーカメラなのである。
プロ用の映画撮影機はアイピースが大きくてそこに特徴があるのだがペンタックススポットマチックのパーツを使ったりうまく感じが出ている。
でもすごいのは撮影レンズであってこれは本物のFujinon100ミリF2を使っているのが感心する。8cac9622545846c48aa4d31b76523efe


2018年7月 1日 (日)

7月8日は緑のブラパチワークショップ

7月8日は緑のブラパチワークショップ

昨年の9月からスタートしたブラパチワークショップの第11回目である。小石川植物園で緑のフォトワークショップをやる。最初の計画ではこのあたりの白山御殿町とかその界隈も撮影で歩こうと思ったらそれではせっかくの小石川植物園がもったいない。
だから全部の時間をここで過ごして深く掘り下げることにした。40年前にザルツブルグでワークショップを開催した時その場所は国宝クラスのお城の中庭であった。と言うよりも映画サウンドオブミュージックの舞台になった場所と言った方が一般にはわかりやすいようであるが私はその映画を見ていない。

ザルツブルグの緑の環境よりもここ小石川植物園の環境の方がはるかに優れているのがわかってそのこと自身にびっくりしたのである。
楠の巨木がある。
そこにベンチがいくつかあるのでそこで真面目な写真の写真の話を深くやる。

7年ぶりに行ったのである。以前は向かいのタバコ屋で入場券を買っていたのでそこのタバコ屋に行ったらおばさんが3年前から植物園の入り口の自動販売機でチケットうるようになったと案内してくれた。

外人さんの観光客も多い。受付の日本人の女性が、ここは日本で最初のボタニカルガーデンですと説明している。英語で説明しているのである。

ヨーロッパ人の感覚からするとボタニカルガーデンは博物学の基本であるからマネーリズムから離れるわけにはいかない。だから外人さんのイメージとしては数百年前にできた植物園と勘違いするであろう。ところが実際には明治維新にできたのだからそこら辺がサバ読みと言われないこともない。

若いカップルで小さな子供たちを連れて歩いている。これはいい感じである。船橋のネズミランドに走ってチケットを買いに行くなどよりよほど子供の情操教育にはこちらがはるかに向いているのは確かだ。
しかもオリエンタルランドではなくて東京大学だしね。Dscf4023


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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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