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2018年7月31日 (火)

Netaxにコンタックスのレンズがつくことが半世紀ぶりに判明

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1,973年頃であるから私のwin生活の最初の頃である。アパートの近くに小さなカメラ屋があった。古いドイツのカメラのカタログ等が山になっていてその中から1039年発行のカールツアイスの総合カタログを買った。当時のお金で10シリングであった。ドイツ語の勉強にもなるのでそのカタログを端から端まで熟読した。

NetaxというカメラはSuper Nettelの蛇腹を金属に置き換えたようなカメラである。3,000台ぐらいしか作られなかったのはその上のクラスのコンタックスに人気があったからだ。

カタログによるとコンタックスマウントのテッサ28ミリをこのカメラにつけるためのアダプターがあると書いてある。以来半世紀そのアダプターを探していたのだが発見できなかった。昨日の朝の話であるが何気なくカメラを持ち出して85ミリのコンタックスマウントのレンズをつけようとしたらちゃんとつくのである。非常にびっくりした。

総合カタログに記載されている事はもちろん信じているから半世紀Tessar28ミリをNetaxにつけるアダプターを探していたわけだ。でもコンタックスマウントのレンズがそのままダイレクトにつくわけであるからそーゆーアダプターは夢の存在しないアダプターである可能性が高い。

念のためにニコンエフのフォーカシングスクリーンを使ってピントをチェックしたらちゃんと無限から会っている。

その直後のことである。カメラのシャッターのリボンが切れたのではないが全体の車が音が静かになってきた。これは危険信号なのである。このカメラはナチスドイツの第3帝国が勃興した頃にできたカメラであるから歴史的な存在物である。

このカメラ自体がコンタックスレンズが使えると言う秘密を80年隠してきたのでカメラ自体ががっかりして体調崩したのであろう。
それでカメラスペシャリストのTessinaさんに送ってシャッターを調整してもらおうと思う。

2018年7月30日 (月)

河内の迷路が大好き

河内の迷路が大好き94a1e28b406d42acb6118ba47b73a0ff

ハノイの中央駅から南に15分ほど歩いたところにある寒天通りの南側の町が好きである゛

普通のツーリストさんが行く水上人形劇場とか湖の真ん中の1本の柱のお寺とか旧市街は入門編であって私のようにハノイ慣れしてしまうとこーゆー本来の生活の街並みというのが面白い。

外国人ツーリストの姿は全くないがごくまれにアメリカ人が多分学生だと思うのだがゴミ拾いのボランティアをやっている。あれは何なのであろうか?

70年代の北爆の時この地域は最も爆撃が激しかった。しかし激しい爆撃に比べると死者の数は少ない。住民はほとんどが疎開して何を免れできたのだ。

この町並みの面白さは迷路が人間の手によって作られたのではなくて神様によって作られたのではないかと思われる点である。ベストなコンディションとしては晴れている日だと東西南北がわかるから面白くない。曇りの日だと方向を完全にロストしてしまうので非常に面白くなる。

そういう路地の奥で数年前に1キログラムの米を買ったことがあった。

子供が出てきてお母さんがここにいないと言うのでお母さんを呼びに行った。お母さんは5分ぐらい経過してからあたふたと戻ってきて私に米を言ってくれたのである。それだけ治安が良いのであろう。

2018年7月29日 (日)

Leitzの高級カメラケース

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ライカエムファイブは革ケースに苦労する。エムファイブの正しい使い方はやはりネックストラップラグが2つだけでそれをバーチカル携帯すると言うのが正しい道であろう。

それでソフトケースのたてのやつを使っていたがこれはファスナーがYKKでないのですぐ壊れる。それでハードケースを使うようになったがこれは非常に大きなケースである。
しかも革ケースのフロントが外れないので撮影の全工程中ぶらぶらしたたぬきの金玉みたいなやつを持ち歩かなければならない。それは嫌だからこの豪華エヴァレディーケースは移動中のプロテクションとして使うのが1番良い。

カバーケースを眺めていてその高級感は一体どこから来るのかしばらく考えていて思い出した。
Leica ではなくてLeitzであるからだな。

ライカブランドは最近ではそんじょそこらの携帯電話のレンズのブランドに成り下がっている。

2018年7月27日 (金)

東京ニコン日記 東京駅北口

新書版の800ページに近い写真集東京ニコン日記はちょうど20年前に出版された^_^
その数百点のプリントが最近あるコレクションに収蔵された。ところがあるカメラ雑誌で連載をしていた時に預けてあった100枚以上のプリントが編集部から戻ってこない。
連絡しても返信がない。この編集部は数年前に月のコンテストの写真を紛失したことがある。

これは東京駅北口のショットである。1967年頃かな。バックにある東京駅がアムステルダム中央駅みたいでなかなか格好が良い。
60年代の東京をとっているとその当時は気がつかなかったのだが2018年の今になってみるとこれは全く別の世界の風景であったなと言うことがわかる。それが面白い。
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2018年7月26日 (木)

iPhone G3と比較すると今のiPhoneはゴミのデザイン

最初のiPhoneが登場してこの7月で10年になるそうだ。私はスティーブジョブスの信者と言うわけではないがネクストキューブとiPhoneの最初のモデルはちゃんと保存してある。

2011年の東日本大震災の時私はマンハッタンにいた東京のか 家人に電話をしたら通じなかったのでSkypeで連絡を取った。私のiPhoneは通話をすると言う事はないので非常に珍しいというかただ唯一の通話であった。
部屋の奥からスティーブジョブス時代のiPhoneを出してきた。パッケージからして良い。
そのデザインだが今のiPhoneとは比較するのもかわいそうなほど優れている。6年間iPhone 5を使って昨日iPhone 6にしたのだが道具としての魅力はゼロですね。

別に通話をするのには必要ないがデジタルカメラとしてのiPhoneG3を使うのも面白いかもしれない。Img_7915


2018年7月25日 (水)

東京オリンピック1964東京オリンピック2020

東京オリンピック1964東京オリンピック2020Img_7914

酷暑の中に新しい体制翼賛会中心に東京オリンピック2020ハルマゲドンの出発式があったようだ。
感動をありがとう。元気をもらいました。外国のメディアがこの暑さの時期にオリンピックをやることを心配しているがもともと外国の圧力でこの時期でないと放送権が取れなかったと言う話がある。

それで私が10代の頃の東京オリンピックであるが国立競技場の開会式には行けなかったが埼玉県の戸田にあるボートレース場に行ったのである。それしかチケットが手に入らなかったのだ。行って見たら競技場の周りは真っ暗である。時々闇の中をボートが走りすぎるのが見えた。市川崑監督が制作した東京オリンピックにも書かれているが当時は35ミリの映画撮影機で撮っていてフィルム感度などはたかが知れたものであるから映らないのである。監督が指示を出して移っても映らなくてもいいからとにかくカメラを回せと言ったそうだ。

今では素人さんが高感度のデジカメ持ってしかもそれでピンホールを取ってるようなお幸せな時代である。
そういう時代の到来を大変うれしく思います。
ここんとこ天皇陛下風

国防婦人会の親方が打ち水をしましょう運動を展開しているが3日で忘れるだろうな。何か鬼畜米英を迎え撃つ竹槍みたいな感じである。

ヨーロッパなどでは気温が30度になると学校は全面的に休みになるようなそういう文化国家なのである。

個人的な私の心配は1つだけある。
打ち水とか風船爆弾ででそれで結構だがインバウンドの外国人観光客さんが羽田に着いてモノレールで浜松町まで来てモノレールのビルにはエレベーターが1台しかないのだ。
このモノレールは私にとってライフラインである。大阪芸大に行くときにこのモノレールに乗らないと難波に行けないからだ。Otisのエレベーター並みの歴史的な昇降機であるが最近は小学生も体力低下でこれに乗っているから長い列ができたりする。これで本当に1台だけでハルマゲドンを迎え撃つのか?おじいさん心配している。

2018年7月24日 (火)

アルルのフォトフェスティバルのウィリアムクラインのキャノン

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キャノンのラピッドワインダー付きのボディーを手にしていたらまた思い出したことがある。1,970年代中頃のアルルの写真フェスティバルのことだ。それはスイスで発行されていたプリントレターが何か当時はまだインターネット等なかったから簡単なニュースレターで読んだのである。
アルルの写真フェスティバルに招待された超有名写真家のストーリーであって田舎の広場の粗末な椅子とテーブルにかけているその1番中心には巨匠アンドレ・ケルテスとウィリアムクラインが並んでいた。

ウィリアムクラインは芸術家然として落ち着いていたがその右側に座っていたウィリアムクラインはいつものお茶目な感じで取り出したカメラをのーファインダーでアンドレのほうに向けて撮影していたのである。それはキャノンのラピッドワインダー付のモデルであってレンズは 21ミリの広角レンズであった。それでもファインダーでアンドレを数枚連続撮影しているように見えた。私は小さなモノクロ写真を1枚見ただけだからそこにはストーリーの追加性がある事は否めない。

これは私にとって非常に重大な記憶である。というのもそれから10数年後にチェコのプラハであったウィリアムクラインの撮影に同行したけれども彼はその時は残念ながらライカのR6の一眼レフを使うようになってしまっていたからだ。

この話にはバックグランドがあって東京であったウィリアムクラインが私に1957年にニコンから提供してもらったカメラとレンズはもうボロボロなので新たにレンズを提供してもらえないかと私に持ちかけてきたのである。私は早速カンパニーの上層部の人にその話を伝えたのであるが残念ながらニコンカメラのトップはウィリアムクラインを知らなかったのだ。

ロバートキャパは知っていてもクラインとか言うのはどこの外人写真学生かと言うレベルの理解であった。それでわがクラインはスポンサーをニコンからライカカメラに変えたのであった。それで、我らのウィリアムクラインは外国の駆け出しの写真学生が持っているような安っぽいライカの一眼レフを使う羽目になってしまったのである。
その時はレンズは28ミリが付いていてもちろんウィリアムクライン独特の前々と進むアグレッシブな撮影方法であった。

2018年7月23日 (月)

ドイツはバーデンバーデンのカジノを取材に行ったことがある

ドイツはバーデンバーデンのカジノを取材に行ったことがあるImg_7893
カジノと言うのは為政者にとっては金儲けの種として都合が良いらしい。沢木耕太郎さんはキャパの後はマカオのカジノを何年も取材していてそういうお話を聞いたことがある。

私はドイツの西の方向バーデンバーデンのカジノに行ったことがある。
関係者によるとドイツのロマンティックストラッセばかりが人気なのでだ新たにファンタスティックストラッセと言うをでっち上げてその中心地にバーデンバーデンがあると言うアイディアである。ここもドイツの森は非常に深いのである。

長い取材であったが面白かったのはドナウ川の源流を見れたこと。一般的にはドナウ川の源流はドナウエッシンゲンと言う小さな村であると言うことになっていてそこに噴水などもできているのだが実際にはそこから10キロメートルほど山の中に入ったところに本物の源泉がある。

一面の草原であってその草原からこんこんと水が湧いてくると言うのはファンタシーであった。私はドナウ川の中部に長く暮らしていたから愛着が湧く。さらにドナウデルタの方向も見に行ったことがあるからほぼ自分の目でドナウの源から河口までを見たことになる。

バーデンバーデンのCasinoであるがちょっと見ただけでは普通の豪華な部屋にしか見えないのだけれどもそこは壁の部分は爆弾を通さない鉄板が入っていてガラスの部分は防弾ガラスなのだそうだ。これは主に非常にセキュリティーの高いゲスト向きなのだそうである。

ディーラーとお客が集まってゲームをやっているところをとった。これはお客さんも全部ディーラーが化けてやっているのである。取材が終わってからスロットマシンで遊んでくださいとチップを1枚もらったが私はもともとギャンブルが趣味ではない。

長年写真家をやっているので写真家の生活そのものがギャンブルになっているから他のギャンブルは必要ないのだ。

そのJetonは記念に持ち帰ったがそのうちどっかに行ってしまった。

2018年7月22日 (日)

夏向きのおライカ

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高輪にあった松坂屋カメラで買ったのだからすでに30数年も前である。確か63,000円だと思う。私の好きなダブルストロークの犬の耳ストラップアイレットである。手に入れた時からファインダーは曇っていたが別に望遠レンズを使うはないから問題は無い。30年間使っているうちにバルカナイトがどんどんはげてきた。

普通のライかユーザはそれを目の敵にしたりするわけであるが私はバルカナイトが禿げるのはライターの美学だと思っていて非常に好ましい。
ブルースデビッドソンが使っていたライカがすごくてバルカナイズはほとんどないのである。しばらく前に京都に修理を依頼していたライカがあまりに時間がかかるので返却してくれと言ったらバラバラの状態でビニールの袋に入って戻っされてきた。これはこれでなかなか良いものである。そのライカの グッタペルは綺麗に剥がしてあって磨いてあるのであろうかなかなかいい色合いになっている。名人Tessinaさんに再度組み立てを依頼してあるのだが忙しくてなかなか渡す時間がない。

グッタベルカのないライカは夏向きのおライカ様である。

2018年7月21日 (土)

ライカM5もう1台

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数年前の冬の寒いプラハでフィルム交換中にライカM5の底蓋の巻き戻しのPinが取れてしまった。これでは巻き戻しができないからカメラとしてはダメである。このカメラはフイルムスプールもないので他のカメラのスプールを代用していたのであるがボトムカバーとフイルムスプールを探すとそれぞれ10,000円以上する価格高騰である。
それで実用のカメラを1台手に入れた。こうすればもう1台のM5もパーツやりとりできるのでありがたい。

半世紀前のライカの輸入代理店のパンフレットでこのカメラの値段を調べていたらカメラ本体は400,000円近かった。すなわち日本デザインセンターの安給料半年分以上なのである。

Facebookの数年前の今日の書き込みでこのカメラのことが紹介されていた。これも何かのカメラの縁と言うわけだ。こういうカメラのご縁と言うのがデジタルカメラの場合は全く感じられないのが情けない次第である。新製品は目先の鼻の差ばかりで勝負しているから命が短いのだ。Img_7890


2018年7月20日 (金)

東京ニコン日記 アルフレッドシティーグリッツを真似る

アルフレッドシティーグリッツを真似るPhoto


日本デザインセンター時代にはトヨタの車を磨いたりニコンエフのカタログ撮影の時にシャッタースピード125分の1しぼりf5.6シンクロターミナルはエックス接点にしていたのだがそればっかりやっていたのではない。

日本デザインセンターは資料を収集すると言う観点から写真集も非常に揃えてあった。それを週末には借り出して偉大な写真家連中の仕事を勉強したのである。日本デザインセンターの3年間の収穫と言うのはまさにそれであった。

アルフレッドシティーグリッツが上さんのジョージアオキーフの手を撮影した名作がある。思いついて家人にモデルを頼んで同じようなことをやってみてこれは面白かった。

ジョージアオキーフの仕事を私は別に評価しない。その理由と言うのは晩年になって彼女が岡倉天心の茶の本レベルに心すいしてそこに東洋の神秘を見たような気になっていたからだ。

私もあっちこっちの外国のいわゆる文化人さんに会ってそれぞれの皆さんのことを尊敬しているのであるがことお茶の話が天心の茶の本になってくると天真爛漫な人だなと思ってしまってそれ以上の話がしたくなるところがある。

偽書である南方録を読んだほうがよほど良いと思う。😎これは東京ニコン日記の500枚のプリントのうちの1つ。

始発の日本航空であべのハルカスをはるかに見る

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羽田発6時30分の伊丹行きは会社員で満員である。ほとんどの人が寝ているようである。私も始発のメトロに飛び乗って羽田にきたがえらい苦労をした。もっとも私の具合は8時半から打ち合わせがあると言うわけではない。
この時間帯の飛行機が1番値段が安いと言うだけの話だ。数年前も同じようなことをやって7時半には伊丹空港に着いてしまった。天王寺についてやることがないので動物園に入った。やはり非常に暑い日であった。

飛行機がファイナルアプローチに向かって高さを下げていくとあべのハルカスが見える。飛行機の高さからから見ればずいぶん低いビルである。
今回の大阪行きでもあべのハルカスの前をずいぶん行ったり来たりした。呼び込みの録音が日本で1番高い地上300メートルうんぬんと言っている。こういうのは通俗の極みだな。
エンパイアステートビルでもツインタワーでもそうであったが高い場所からのオブザベーションで儲けようと言うのは何か卑劣な観光手段と言う気がするのである。

その意味で難波の通天閣はフェアに戦っていると思います。

2018年7月19日 (木)

エアバス350-1000が来日

エアバス350-1000が来日
ベトナム航空のハノイ行きの機材がエアバス350-900である。非常に安定した乗りやすい飛行機だ。そのストレスボディー1000があったが最近来日したようである。
エアバスのコクピットに入ってオブザベーションシートに座ってオーストリアウィーンの空港に着陸する体験をしたのは25年ぐらい前の話だ。機材はまだ大昔のエアバス300であった。モスクワ発してwinに着陸するのである。左席のパイロットが指導教官であっていろいろ教えてくれた。その時の話では次のモデルのエアバス310からは操縦桿がなくなってジョイスティックになる4テーブルが目の前に出るようになるので食事もしやすくなると説明してくれた。

コックピットの食事と言うのは同時にいろいろなことをこなさなければならないので手元が狂って膝にコーヒーをぶちまけたりすることがある。であるからキャビンアテンダントはコーヒーカップを2つ重ねたりいろいろ苦労が多い。

思い出すといろいろ面白いのであるがファイナルアプローチに入った時キャプテンはパワーシートを操作して前かがみの姿勢をとった。バイザーこそ下ろさないが目は完全にディスプレイのほうに行っている。
計器飛行であるからそれで良いのであるが素人の私から見ると何か心配だ。角を曲がったところからチャリンコでくわえタバコでスポーツ新聞を読みながらおじさんが出てくるんではないかと余計な心配をするのである。Img_7880


2018年7月18日 (水)

東京Nikon日記のプリントに500枚署名をする

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猛暑の火曜日の午後に午後2時から午後10時まで東京ニコン日記のプリントに中野のギャラリー冬青でサインをした。 1人で8時間これをやっているととんでもない作業になるが高橋社長が向いに座っていていろいろなお話をしてくださったので8時間が4時間ぐらいに感じられて助かった。500枚のサインをすると体がオートマチックに動くようになるから
話をしながらでもサインができるようになる。

500枚以上のプリントは私はみかん箱に入れていたのであるがまさかそのままコレクションに納入するわけにはいかないのでギャラリー冬青ではちゃんとしたボックスを用意するそうである。
まずは商品なのであるからそれは当然なのかもしれない。思えば20年以上前にプリントした写真がようやく片付いたわけであって肩の荷が降りたような気もするし寂しい気もする。くだんの500枚以上のプリントはいつも仕事場のすぐ持ち出せるところに置いてあったので納品するときに探すと言う必要はなかった。5秒で発見できたのである。私としては上出来だ。

東京ニコン日記と言うのは800ページ近い新書版の写真集でちょうど20年前の6月1日の写真の日に発行された。私の最も好きな写真集の1つであってサイン会等でこれにサインを求めてくる人を私は信用しているのである。カメラ本などよりずっと上のクラスと言うわけだ。この新書版が予告編でやって本編を出す予定だったのだがその後に岩波書店から出した写真集は教科書のような感じになってしまったんで先に程遠い。だからいずれ本編を出そうと思う。

2018年7月17日 (火)

小笠原エアラインはATRらしい

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日本で1番遠い島小笠原に飛行機が就航するらしい。その飛行機はATRらしい。私は短距離を連絡するターボプロップが大好きなのだ。そこにはサンテグジュペリ時代のアビエーションの冒険がまだ感じられるからである。

ATRはプラハからベルリンに行く時にチェコ航空のやつをよく使った。その飛行機がこれである。この間のディエンビエンフーに行った時もハノイディエンビエンフーの間はATRであった。

この飛行機は後に搭乗口がある。ワンクラス制だと問題はないが2クラスだと後がビジネスクラスで前がエコノミークラスと言うあべこべなシーティングになる。

せっかちなビジネスマンは先に飛行機から降りると言う変なルールがあるからそういう座席になったと見える。巡航高度も低いし眺めが非常に良い。
ATRのホームページを見ていたら競合他社に比べて比較にならないほど運行コストが安いと言うのをセールスポイントにしている。ほんとにそうなのかな?
エンジンは非常に音が大きいし何か燃料垂れ流しにしているような感じがするのは私のような素人の勘違いすることなのあろうか。

2018年7月16日 (月)

スーパー玉出の295円の海鮮丼

回転寿司からすきやばし次郎まで世界中の寿司屋の体験はあるにしても結論から言えば寿司のうまいまずいはその価格には関係ないようである。

西成のスーパー玉出で発見した 海鮮丼が非常にレベルが高かった。レンズに例えて言えばアポ頭ミクロンよりもジュピターが優秀であると言うと言うことに気づいたときの喜びと同様である。

価格が価格のお勤め品であるからしてたいした材料は使ってない貧弱な丼なのであるがシャリの作り方が非常にうまいので価格の3倍位の味がするのだ。あいりん地区の文化程度が高いことがこういうことからもよくわかる。これが今回の大阪行きの最大の成果であった。最悪のポイントは富田林あたりの名物の熱中症をもらってきたこと。
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2018年7月15日 (日)

スーパー玉出のチラシがいい

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大阪の駅で玉出と言うところがある。その玉出からじゃんじゃん横丁を経て天王寺まで歩くのが好きだ。
このチラシはいつもダウンロードで見ているのであるがポップアート的な存在感があって好きなのである。

玉出から天王寺までは結構な長丁場であるから買い物はスキップしてじゃんじゃん横丁の玉出で買い物をする。その右側が酒屋さんであって私私が缶ビール麦酒のを飲んでいたらそこに派手な衣装のおっちゃんが真新しい自転車で乗りつけた。
なんや新太郎も誰もきとらへん
と言うのである。
それでそのおっちゃんの話し相手が私になった。

うどんが1円などと言うのもエクセントリックだがかい方のルールがいろいろあるようである。

2018年7月14日 (土)

指を切らないコンビーフ

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26ヶ月ぶりの大阪である。大学の写真作家論ではロバートキャパとダグラスダンカンの話をした。キャパとダンカンは実は歳は1つ違いなのだ。キャパは40歳で亡くなりダンカンは102歳まで生きたのだ。

昨年昇天した山崎博と田原桂一の話をした。若くしてKhmer Rougeにやられた一之瀬の話もした。

前の晩は私がFacebookで興味を持っている大阪の写真家奥野さんと花野はんで突撃写真論をやった。その時におつまみに登場したのがこの新型のコンビーフである。クラブエダムがあった頃はよく食べた。ライカの父親の本部長が缶詰を開けるときに誤って手を切って流れ出た血をを舐めながら酒を飲んでいるのを見て私はそこに葉隠の本質を見る思いがした。

それはいいが本部長が先に帰って直後にクラブエダムの前を救急車が通って行った。まさか本部長が怪我したんじゃないよねなどと冗談を言っていたら本部長は月島駅の階段で転げて額をきって救急搬送されたのである。

あれ以来ニューコンビーフは食べていないから。4年になるのだ。この会社も怪我をする人が多いのでついにワンタッチで開けられるプラスチック製コンビーフをするに至ったようである。

2018年7月13日 (金)

じゃんじゃん横丁150円のかけうどん

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大阪を最初に取るようになったのは1985年のことだ。8 × 10の大型カメラで大阪の近代建築を撮影したのである。その時撮影した建築物はすでに40数年経っているから跡形もない。日大写真学科の1年後輩の木村くんにお願いして赤いフォルクスワーゲンで大阪を走りまわった。
あれは何と言ったか長堀の広い通りの真ん中にある緑地帯で撮影済のフィルムホルダーをたくさん忘れてきてしまって慌てて取りに帰ったこともあった。

じゃんじゃん横丁の辺は1985年にはなかなか怖いところであって大型カメラをセットするにも神経を使った。

その後私はチェコのビロード革命に興味を持って何十年もチェコのプラハに行っていたので大阪はご無沙汰になってしまった。それが10数年前に大阪芸術大学と関係ができたのでまた行くようになった。
じゃんじゃん横丁のノースエンドにある松葉とか言う名前のうどん屋のかけうどんが好きなのである。
以前は150円であったが今では10円値上げして160円だ。こういうのはうまいとかまずいとか言う以前にそれを食べに行くと言うことが旅の目的になるのである。

そこに食べに行くお兄ちゃんとかおっちゃんはスタミナをつけようと言うのでうどんの上にいろいろ天ぷらとか載せているのである。これが難波の基本的なエネルギー補給に関する法則と言うものであろう。私はそーゆー注文はしないか脇で見ているのは好きだ。

2018年7月12日 (木)

木陰のワークショップは素晴らしかったがちょっと痒かった

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昨年の9月にスタートしたブラパチワークショップであるが8月はお休み。その前の最後のワークショップが小石川植物園であって深い木立の緑の影の下でやっていたら40年前のザルツブルグカレッジインターナショナルフォトグラフィーワークショップを思い出した。

マサチューセッツ工科大学の学生連中は理工系だとばかり思っていたら写真も結構うまいので感心した。日本からの参加メンバーでは後に頭角を現す吉村がいた。

ワークショップの場所はサウンド・オブ・ミュージックの映画舞台にもなった広い芝生の庭であって目の前が湖であってその先にアドルフヒトラーの山荘があった。

でもザルツブルグのお庭の樹木と言うのはそんなに大きくはなかった。それに対して小石川植物園の場合は樹齢何百年と思われる楠である。
自分の視界に車や人やホンダのバイクが見えないと言うのは快適である。問題なのはちょっと考えたので帰りと言うことぐらいだ。四半世紀前に出した初期のDVDでライカのタイトルを出したのだがこれは9,800円もするのによく売れた。その番組の収録で赤瀬川さんと坂崎幸之助さんにおいで願って対談をしたのである。蓼科の別荘で撮影となっているが本当は東京の恵比寿あたりなのだ。撮影を開始したらものすごくやぶ蚊がやってきたが赤瀬川さんも坂崎さんもプロだから本番前はヤブ蚊を叩いたりしているのにカメラがまるとさっとそれを止めて涼しい顔をしている。プロ根性と言うので私はとても感心した。

2018年7月11日 (水)

Icocaと大阪の1日乗車券

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しご年前に京都の街でPASMOを落としてしまった。それでIcocaを手に入れた。またを落とすと損になるから今回はしっかり持ち歩いている。
26ヶ月ぶりに大阪に来たので交通費もいるだろう思って思い切って3,000円をチャージしておいた。早朝6時半の日本航空の1マルイチ便に乗るために71歳が階段を駆け上がって口から心臓が出そうになった。

天王寺の駅で大阪の1日乗車券を買おうと思ったが日本語の表示が出ているのに私の日本語の理解能力では難しくて買うことができない。脇にサポートのコンパニオンさんがいたのでいろいろ教えてもらった。1番びっくりしたのは私が事前にチャージしているカードで1日乗車券が買えないと言うことである。これはそのコンパニオンさんから聞いた話だがそういう仕組みになっているのである。やっぱり変な国だなぁと思う。大阪と言うのは私にとっては1つの地域とか1つの街ではなくて 1つの国家なのである。

その大阪と言う国家はフランスのパリのちょっと東にあってホーチミンシティーのちょっと西あたりにありそうだ。

2018年7月10日 (火)

突撃カメラサービスの仕事

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ニコンに 21ミリのコシナのレンズをつけたらモードんになってしまった。
20年ほど前にはニコンの本社にこのようにレンズが外れなくなったときに外してくれる飛騨の工さんがいたものであったがもういないであろう。それで時々こういうことになるとニッチモサッチもいかなくなるのである。モードオンになった我々に朗報と言う訳である。

もともとこのモードんを発明したのはフェイクライカ愛好会のビクトリーさんであって彼の妄想もう呑がもっとレベルが高いのでレンジファインダニコンのゾナーレンズを変な風にくっつけてしまいこれを外すのに突撃隊長がやっとのことで外したら逆に文句を言われたそうである。
俺の大好きなモードんを勝手に解除仕上がってと言うことになるのであろう。

ついでに突撃カメラサービスがカメラのロゴをぐにゃりタイプに変えてくれた。このナイコンはもう30年使っているのだがあと30年はこれで大丈夫であろう。
😎本日移動日。東京難波。大阪芸術大学で26ヵ月ぶりに授業。電車の乗り換え方も忘れた。
6時半の日航機で痛み。8時半には花野商店で飲んでる。難波は文化的だ。

2018年7月 9日 (月)

11回目のブラパチワークショップは小石川植物園

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昨年の9月の第二日曜日からスタートしたブラパチワークショップである。ずいぶんいろんなところをうろうろした。この企画は日本カメラの私の連載Today Tokyo 1964-2020とシンクロしている。だから毎回のワークショップの様子は2ヶ月半遅れで日本カメラの紙面に反映されることになる。

毎月正確に第二日曜日の午後1時からやっていたが8月は休みにすることにした。本来ヨーロッパの大学等は9月が新しい年度である。だから11回やって休みと言うことにした。

ワークショップの参加者のカメラを並べるのでは毎回苦労した。お寺の階段に置いたり神社の石段に置いたり普通の通路のコンクリートの階段に置いたりした。

11回目は小石川植物園で巨大な楠をバックにしてベンチの上に並べることができた。別にネイチャーフォトなどと言う馬鹿な事は言わないけれどもカメラと言うのはその背景にカンツリーがあった方がよく似合う。

新学期のブラパチカメラ塾は9月の第二日曜日午後1時からスタートする。

2018年7月 8日 (日)

ジョニーウォーカー黒ラベルのミニチュア

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国際線の飛行機で楽しみな事は飛行機の1番奥のギャレーまで歩いて行ってそこでハードリカーをもらったりすることだ。カタール航空のビジネスクラスに乗っているときに本来頼めば何でも出てくるのであるがやはりこの飛行機までの1番奥までの散歩をやりたくて何度か1番奥まで歩いて行きウイスキーのミニチュアボトルをもらってきた。

ミニチュアボトルをちびちび飲みながら窓際から外界を観察するのは楽しみなものである。エミレーツ航空で日本に帰ってくる時カリム盆地の手前で飛行機は右手にエベレストを展望してこの風景が絶景なのである。ミニチュアボトルが複数になったときに友達の石川直樹のことを思い出した。
彼の話に居れば登山を請け負う会社というのがあってお金さえ払えばあたしのような大変な老人でなければ一応エベレスト頂上まで登れますと言う話であった。
それに感心したのだがウイスキーを飲みながらエベレストの頂上を双眼鏡で見ていてああゆうところに登りたいと思う人はよほど石の固い人であろうと思った。

この間のベトナム行きではワイクラスの1番前に座っていたので長い通路を歩いて1番奥のギャラリーにウイスキーをもらいに行った。感心したのは開発途上国のはずなのにミニチュアボトルがジョニーウォーカーのブラックである点である。またもらいに来るのがめんどくさいので時間を節約するためにもう1本くださいと言ったら渡してくれた。

それで最初の1本はアテンダントさんがボトルを開けてくれたのであるが見ていると面白い。非常に強い力でテーブルにミニチュアボトルを打つけるつけるのである。
なんでそういうことやるんですか?と聞いたらこうしないとボトルのキャップが開かないのだそうである。もらったブラックのボトルはそのままハノイ持ってきてすべてのアルコールが尽きた時に非常燃料としてこれは開けようとした。
テーブルに叩きつけて来なかなか開かない。ベトナム航空のアテンダントさんがやっていたのは何か特別なコツがあるのに違いない。10分間格闘したけれどもついに開かなかったので緊急事態としてスイスアーミーナイフでこじ開けた。

長年飛行機で旅行しているがまだまだ未知の領域のことがたくさんあるのでそれが面白い。

2018年7月 7日 (土)

雨宿りのうどん屋

雨宿りのうどん屋Img_7761
人が全くいないハノイのフォン川のそばのLong Bienステーションを見てからぶらぶら南に歩き出した。ハノイの中央駅に行くつもりである。フォン川の駅が御茶ノ水とするならば中央駅は東京駅である。列車の連絡は毎時1本もないので歩いた方が楽である。

本川の東の方から本田のライダーがどんどんやってくる。それで駅前で荷物を解いてビニールのカッパを着ている。はて雨などまだ降っていないのにどうしたことかと思って私も歩き出したのだがその直後にスコールが来た。

ベトナムの人はスコールが来ることを動物的な感覚で認識しているようである。
ノアの方舟の大洪水というか天国のバスタブのが壊れて地上に水が落ちてきて水浸しと言う感じだ。

とりあえず雨宿りをしたらその軒下がうどん屋であったのでためらわず中に入った。最近はこういう小さな店であってもベトナム語と英語を並べて書いたメニューがある。別にメニューを読まなくても普通のPhoを頼んでそれを食べて雨宿りした。 35,000ドン。これは街の中心部であるから高いのであって町外れに行くと安くなる。

ところがスコールはなかなかやまない。結局1時間45分ぐらいそこにいたのである。

2018年7月 6日 (金)

上海のはるか西40,000フィートで夕暮れに巨大な竜巻を見た

私の趣味は飛行機の窓から延々と外を眺めていることである。こないだのベトナム航空ではベトナムに行くときには右側のウインドウに席を取った。こうしているとすれ違うトラフィックを見ることができるのである。大体時速1,000キロ位で飛んでいる飛行機であるからすれ違う飛行機は2,000キロほどのスピードになって実にダイナミックである。

あれはいつだったかアムステルダムからリスボンに飛行中にスペイン航空とニアミスしたことがある。かなりの高度差で斜めに横切っていったのだが私の家から見るとそれが大きさ1メーター位の飛行機に見えた。
こういう事はあまりないのではないかと思う。それで今回もトラフィックを観察していたらはるか地平線の彼方に不思議な雲を見つけた。ちょうど昇り竜と言う感じなのである。そのドラゴンがあかね色になら輝いている。
持ってたNikon 8x32の双眼鏡で観察すると夕暮れのあかね雲が地上からかなり上の方まで1本の柱のようになってそれが斜めに崩れている。

その昇り竜はかなり長いこと見えていた。そのままそのことは忘れていてさっき東京に戻って日本のニュースをチェックしていたら国内で起きた竜巻とその姿が全く同じなのである。見ているときはまさか竜巻であるとは思いもつかなかった。

双眼鏡で観察した様子だけなので画像なし。その後不思議なことがあったその双眼鏡はseat16kつまりエコノミークラスの1番前の座席のフロアに押し付けておいたのだが飛行機が着陸してそれを探したのにどこにも見えない。これは数年前にガラクタ屋さんで1,000円位で買ったものなのだが非常によく見える双眼鏡である。隣にベトナム人の若い4人家族がいたのだがそういう人が拾ってくれたのならうれしい。

ニコンミュージアムではニコンの双眼鏡の大きな展覧会をやっているそうである。私が小学生の時に最初に手に入れた双眼鏡はミクロンであった。それを何十年も持ち歩いていて20年ほど前にバスク地方のビルバオのホテルに忘れてしまった。これは残念なことである。しかし私は一方で自分の双眼鏡を人にあげるのも好きなのである。

2018年7月 5日 (木)

ハノイの神田駅の静寂

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ベトナムの南北統一鉄道は2,000キロ近くある。そして単線である。鉄道があまり発達していないのは当時の宗主国がフランスがそのような政策を行ったのではなかろうか?
ベトナムにとっての歴史的な街ディエンビエンフーにしても河内から列車がないのである。
ハノイの中央駅が非常に閑散といるしこれを東京駅にたとえればその次の駅は神田駅であるがそれがこの役にあたるのだ。
Long Bien駅と言う。この駅のすぐ東側は巨大なフォン川である。

ここの待合室に行って考え事をするのが好きなのだ。それがこの20年代の私の行動パタンだったのが最近ちょっと残念であるのは駅構内の切符売り場が以前はまさに共産主義的な懐かしいノスタルジーであったのは最近はちょっとモダンになってしまった。

ごみごみしたマーケットのおくのほうに急な階段があってこれはどこに通じるのであろうかと登っていきなり駅構内に出るのである。その意外性が面白い。

ディーゼルの午前9時48分発の下り列車を私は見送った。発車時刻の3分前ほどにベトナムの男はつらいよの寅さんみたいな人がクラッシックなスーツケースを持ってあたふたと列車に乗り込んで行った。ここは柴又駅と姉妹駅になったらいいと思った。

2018年7月 4日 (水)

ロバートキャパが彼の人生の最後に見たのがベトナムの空と地であったのは何やら教訓的である。

ロバートキャパの暮らしについてはいろいろ知っているつもりであったがその中にはものすごい勘違いもある。キャパがベトナムで地雷を踏んで死んだのは私の漠然とした勘違いでベトナム戦争の時だとなんとなく思っていた。ちゃんと考えてみたらそんな馬鹿な事は無い。
これはインドシナ戦争の時の悲劇なのである。キャパはフランス軍の鎮圧作戦に同行していたわけだからベトナム戦争の時に南ベトナム軍に随行していたのと同じことである。そしてこの立ち位置はそれ以外の方法は無いのだ。

皮肉なのはキャパは最初カメラ毎日の創刊号のときの記念イベントのインビテーションで来日していたのだ。そこでインドシナ戦争が勃発して本来は他の写真家が行く予定だったのだが代打としてキャパが派遣されたのである。
横木あらおはキャパ没後50年の時にキャパに関する真面目な本を出している。その横木によればキャパがなくなったポイントを特定するためにバイクタクシーか何かで現地を捜索して結局そのポイントを発見したのである。

ロバートキャパの作品と言えばモノクロームと言う先入観があったのだがキャパは人生の最後の瞬間にはカラーフィルムでも撮影をしていたというのが新しく感じられた。
その撮影ポイントはハノイからちょっと南に下った小都市であってこれも私の勘違いなのだがベトナム戦争とごっちゃになっていたのである。キャパがなくなったところは後の北ベトナムなのである。

その小さな町を私は2000年の春にボロボロのハイエースでホーチミンシティを目指した時に通過していたのである。ハノイは朝に出発して夜にはその街より南の街に到着してそこで宿泊した。案内してくれたベトナム新人類のSonさんによれば北爆で最も激しく爆撃を受けたところだと言う。ベトナムの人にしてみればインドシナ戦争でフランス軍に従軍して地雷を踏んで亡くなったアメリカ人のカメラマンなどはどうでも良い話なのである。

その古いハイエースのドライバーは北ベトナム軍の砲兵隊の戦士であった。
ここにも私の時間軸上の勘違いがある。インドシナ戦争では激戦地ディエンビエンフーでベトミンの砲兵が大活躍してフランス軍を脅かして勝利に持ち込むのである。

ハイエースの砲兵隊ドライバーの活躍した時期を私はインドシナ戦争と勘違いしていた。そうでは無いこれはベトナム戦争の時の話なのだ。

ロバートキャパはハンガリーに生まれてパリに行きアメリカ人になって最後はハノイの近郊で亡くなった。私もオーストリアハンガリー帝国にしばらく居住していた。そのバックグラウンドで見るとロバートキャパと言う人がより身近に感じられるようなのである。5月25日はキャパの命日である。最後の瞬間にキャパのハノイ近郊のあの空と大地はどのように彼の目に映ったのであろうか? Img_7747
😎

2018年7月 3日 (火)

夏向きの涼しいお写真

夏向きの涼しいお写真
ハロウィンの37度に比較すればなんというはないが東京も暑いようである。

それで毎年恒例だが真夏になるとこの雪に埋まったシトロエンの写真はアップすることにしている。シトロエンの写真ではなくてシトロエンのお写真である。
以前お世話になったアサヒカメラの担当編集の人が編集者としては非常に優れているにもかかわらず写真ではなくお写真と言うのが不思議だった。それで夏向きのお写真。

カメラはおそらくライカエムだっと思う。1,973年から75年の写真であるからカメラはそれしか持っていなかったはずだ。レンズのほうはもっとちゃんと覚えていてニッコールの50ミリである。それもef 1.4ではなくてef 1.5なのである。この間ダンカンさんがなくなったが彼のニッコール伝説がスタートしたとしたときのレンズなのである。当時のレンズはZeissの明るさ1.5と言うのが世界の最高峰であったが日本光学はそれをちょっと上回りたいものを作りたかったらしい。でも明るい暗箱などを読んでみるとこれはかなり無理をした明るさef 1.4だったらしい。

大雪の晩に友達の所から歩いて帰ってくる時に撮影したものだが絞り開放ef 1.5でおそらく25分の1秒位のものであろう。今にして思うとよくカメラぶれをしなかったものと感心する。
と言う涼しいお写真です。D477cc7ea74542068dbfb154077c6523


2018年7月 2日 (月)

ムービーカメラのプロップ

ムービーカメラのプロップDscf4002

佃島の私の部屋には三脚に乗せたありフレックス35ビーエルが置いてある。要するに昔の映画製作者の気分を味わいたいためだ。ありフレックス35/BLはフォルカーシュレンドルフが愛用した映画撮影機である。オーストリアウィーンで当時29歳の私は30代のフォルカーシュレンドルフ監督の脇にいつも立っていた。つまりありフレックス撮影機の脇にいたわけだ。

時々フランス製の亀フレックスに載せ替えてそこにヌーベルバーグを感じたりもする。
デジタルムービーカメラだと35ミリフルサイズの一眼レフで少年少女向きのムービーを取ったりするから気分はぶち壊しである。パジェットと言う足枷が映画をつまらなくしているやはり映画撮影はフイルムに限るのだ。第一スタイルが良い。

もうなくなってしまったが有楽町の駅前のゴタゴタしたところに
ありフレックス35BLのプロップが何かのお店の上に飾られていた。これがよくて時々見に行ったりしたものである。

今度の日曜日のブラパチワークショップは小石川植物園であるがその前にぜひ見たいのが白山駅のすぐそばにあるミッチェル35撮影機のプロップである。
映画館と言う名前のジャズスポットなのだがオーナーがカメラが好きと見えて手持ちの映画撮影機用のパーツではないものをうまく組み合わせてムービーカメラをセットアップしている。だから本物のムービーカメラよりもその存在感がムービーカメラなのである。
プロ用の映画撮影機はアイピースが大きくてそこに特徴があるのだがペンタックススポットマチックのパーツを使ったりうまく感じが出ている。
でもすごいのは撮影レンズであってこれは本物のFujinon100ミリF2を使っているのが感心する。8cac9622545846c48aa4d31b76523efe


2018年7月 1日 (日)

7月8日は緑のブラパチワークショップ

7月8日は緑のブラパチワークショップ

昨年の9月からスタートしたブラパチワークショップの第11回目である。小石川植物園で緑のフォトワークショップをやる。最初の計画ではこのあたりの白山御殿町とかその界隈も撮影で歩こうと思ったらそれではせっかくの小石川植物園がもったいない。
だから全部の時間をここで過ごして深く掘り下げることにした。40年前にザルツブルグでワークショップを開催した時その場所は国宝クラスのお城の中庭であった。と言うよりも映画サウンドオブミュージックの舞台になった場所と言った方が一般にはわかりやすいようであるが私はその映画を見ていない。

ザルツブルグの緑の環境よりもここ小石川植物園の環境の方がはるかに優れているのがわかってそのこと自身にびっくりしたのである。
楠の巨木がある。
そこにベンチがいくつかあるのでそこで真面目な写真の写真の話を深くやる。

7年ぶりに行ったのである。以前は向かいのタバコ屋で入場券を買っていたのでそこのタバコ屋に行ったらおばさんが3年前から植物園の入り口の自動販売機でチケットうるようになったと案内してくれた。

外人さんの観光客も多い。受付の日本人の女性が、ここは日本で最初のボタニカルガーデンですと説明している。英語で説明しているのである。

ヨーロッパ人の感覚からするとボタニカルガーデンは博物学の基本であるからマネーリズムから離れるわけにはいかない。だから外人さんのイメージとしては数百年前にできた植物園と勘違いするであろう。ところが実際には明治維新にできたのだからそこら辺がサバ読みと言われないこともない。

若いカップルで小さな子供たちを連れて歩いている。これはいい感じである。船橋のネズミランドに走ってチケットを買いに行くなどよりよほど子供の情操教育にはこちらがはるかに向いているのは確かだ。
しかもオリエンタルランドではなくて東京大学だしね。Dscf4023


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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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