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2018年6月30日 (土)

河内のバスのチケット

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河内のガイドブックなどにはバス路線が複雑だから乗らない方が良いと書いてある。まぁそうであろうどこに行くかわからないし帰って来れないと言うこともあり得るからこれは正しい。

ハノイのバス路線はたくさんあるが1番メジャーなのはやっぱり1番であろう。この路線は18キロほどある。ハノイの路線バスは車体が赤と黄色に乗り分けられた暑い街にはそれが最も熱くらしく感じられるような色である。

逆に考えると私が子供の頃のバスのイメージをお絵かきに書いたりしたときに1番記憶しやすいあるいはハノイのバスのおもちゃを作るときにもこれは作りやすい色の組み合わせだと思う。

ハノイを歩くとき私の歩行は車両の走っている道を対向車線に向かって歩くことだ。これだと向かいから来る交通バイクなどが私を認識してくれるから事故に会う事は無い。しかしこれも10キロ位が限界である。何しろおじいさんが何のプロテクションもなく歩いているから日本語で言うと命がけと言うことだ。

バスの場合は巨大な鉄の箱に入っているわけだからプロテクションはベストである。1番のバスに飛び乗ったら車掌さんが椅子に座っている若い人に指示してそれと同時に若いしとは自分の意思で反射的に立ち上がって私に席を譲ってくれた。

考えてみればものすごいじいさんに見えたのであろう。それにヒゲを生やしているじいさんと言うのはいなくてホーチミンの外には出会ったことがない。

1番のバスは今話題になっている中国が経済援助して昨年出来上がったがまだ走っていないと言う新交通システムモノレールと完全に路線が一致している。

ハノイの中心街の北部から街を南に向けて小さな川を抜けてそのまま一本道で延々と終点のバスターミナルまで連絡している。

乗るといきなり車掌さんが来て切符を切ってくれる。7,000丼である。車掌さんはパンチは別に持っていない。チップの真ん中をほんのちょっと指でちぎるだけである。これは何かに似ているなと思ったらパリでギャルソンがレシートをちぎるのと同じやり方である。さすが宗主国がフランスであったわけだ。
よくツーリストが外国のバスの車掌さんが腰に巻いているコインを格納する道具がかっこいいと言うのでお土産に買ってくる。こういう低俗な道具に対するフェチシズムは思想が高い河内には存在しないのである。河内にはコインは存在しないのだ。補助通貨がないと高級ブティックの店員さんも道でお豆腐を売っているおばさんも実体経済に参加していると言う感じがするのである。

6月29日河内の有明の月

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ハノイから羽田行きのベトナム航空は朝が早い。4時に起きて5時に部屋を出る。有明の月が綺麗だ。目の前の通りはハノイの旧市街を東西に向ける重要な道であってハノイで最も交通渋滞が激しいところである。
今いるホテルの向かいのかつてのホテルギャラクシーの上の部屋から私は夕方のラッシュのバイクの土石流のような流れをハノイビールを片手に鑑賞するのが好きであった。それから20年が経過して今は同じ広場の東のPosh Hotelから西を見るような格好になっている。

早朝の道に自転車に乗った人がこちらに向かってきてそれがアスファルトの背景からライティングされているのでそのスタイルがありありとわかる。彼は北ベトナムでは半世紀前には最も一般的な緑色のヘルメットをかぶってクラシックの自転車に乗っているのである。これが私がハノイをイメージするときの最も重要な人物のスタイルなのである。

そこに河内の有明の月がかかってこういうものはハノイの画家のテーマになるかどうかはわからないが私には嬉しいコンビネーションであった。

2018年6月29日 (金)

ベトナム共産党のNhan Danがカラフル

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帰りのハノイから乗ったベトナム航空のエントランスでベトナム共産党の新聞をピックアップした。これは結構私の若い頃に重要な新聞であってアメリカの北爆に対して論調を貼っていた。それは当時の日本電波ニュースなどで我々に伝えられたのである。
実際にこの新聞そのものに接したのは今回が初めてだった。共産党のフラッグとかホーチミンの横顔がメダルになっていたりとか見所がたくさんある。今の時代に見ると逆にファッショナブルに見えるのが面白い。

そして結局のところベトナムはアメリカ帝国主義に勝利しているのである。
当時のジャーナリストの感覚からすると北ベトナムは非常に遠いところにあった。日本の戦争写真家も戦争ジャーナリストも南ベトナム軍に同行していたところに限界があった。一方で北ベトナム軍の発するメディアと言うのは全部記録映画的であって現実味が乏しかった。

あれから半世紀が経過してみると今回の自分のハノイ滞在何かにしても現実にはありえないこと夢のようなことに思える。そして彼らが目指しているものはやっぱり帝国主義的な変化なのか?

2018年6月28日 (木)

ホテルギャラクシーが好きだった

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これは旧市街の北側にあるイギリス風のアールデコデザインの小さなホテルである。このホテルが好きでいつもここに宿泊した。20年ほど前の話で関係している会社のスタッフが10日ほどの宿泊代を現金で払いに来てそれを脇で見ていた私はびっくりした。レンガのブロック位の大きさのそれがベトナムのバンクノートなのである。当時のドルのレートは1ドルが4,000Donであった。今は 20,000donくらいだろうか。

それはともかくとして今回偶然にもこのホテルの真向かいのホテルに泊まって夜窓から見たらびっくり仰天。アールデコの素敵な曲線のLINEがぶち壊しでシーザーズパレスみたいなエンタシスのLEDでライティングされている。

こういうことが経済の発展と言うことだとすれば情けない。

2018年6月27日 (水)

河内の東の門

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開発というのは残酷なものですべてをまったいらにしてしまう。
東京オリンピック以来東京に作られた痕跡、つまり東京轍であるが20年に向けて全てまったいらにしようとする計画らしい。

オーストリーのwinも城壁を取り払って大きな環状道路を作った。河内も現代化の波から逃れることができなかったのであるが幸いにしてこういう大昔の城壁の1部が残っている。写真で見るように当時は人力車が交通機関としては最大の幅であった。

今ではその下を本田の土石流である。
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2018年6月26日 (火)

河内でかなり正式なサニーサイドアップ

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河内の安い旅館である。ルーフトップがレストランになっていると言うのは今のハノイの流行である。
サニーサイドアップは日本語で何と言うのか知らないがサニーサイドアップがあったので注文した。まず見るからほぼ理想的な焼き方に思われる。

モスクワの赤の広場にある五つ星ホテルでサニーサイドアップが通じなかった。元は同じ同盟国なのでベトナムで通じると言うのは面白い。
20年ほど前ベニスの高級ホテルで朝食の時にサニーサイドアップをどのように食べるかと言うのでチェコのジャーナリストと話題になったことがある。彼は白身を食べてから黄色いところをパクリと食べるのだそうだ。
そういう食べ方をしては人間として信用されないぞと私はサゼッションした。プライベートな空間でどのようにサニーサイドアップを食べるかは個人の表現の自由であるがパブリックなところでは小さく刻んでそれを混ぜてトーストと一緒に食べるのが私のやり方だ。

何の事は無いブレックファーストの時に食堂に浴衣とステテコでいってはいけないと言う軽度のこれはルールなのである。

2018年6月25日 (月)

本日移動日。羽田河内

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羽田河内間はヘッドウインドウなので5時間位かかる。帰りは4時間半位だ。ヨーロッパに比べるとかなり早い。時差が2時間しかないと言うのも楽である。南回りの飛行機でヨーロッパ往復していた頃飛行機がインドシナにかかるとほっとして日本に帰ってきたような気がしていた。

このカットは先月ディエンビエンフーに行った時にハノイのエアポートホテルで撮影したものだ。何かブレードランナーのワンショットのようで結構ハードボイルドなとこが好きである。

ベトナム航空の機材はbrand-newのエアバス350である。3代目がこないだシンガポールに行った時は中国国際航空の24年落ちのジャンボであった。偉いしとがそんな古い飛行機に乗って大丈夫か?
あそうだエアフォースワンも結構古そうだ。

河内の闇深し

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まだ正式発表ではないが今年の9月20日から11月17日までギャラリーバウハウスでハノイとディエンビエンフーの写真展開催予定だ。

先月はディエンビエンフーに行った。日本からの乗り継ぎが悪くていずれにしろエアポートホテルにいっぱくしなければならない。それとディエンビエンフーは素晴らしい街だからその前とか後にハノイを挟んでしまうと感動が薄れる。それで前回はDINだけで今回はまたハノイに行くのである。
前回の撮影では21ミリと35ミリのレンズレンズを1台のオリーブライカで頻繁に交換した。それが面倒なので今回は28ミリだけでいこうと考えた。暗くなったら50ミリ1.1を使おうと考えた。
ところがハノイと言うのは想像以上に闇が深いのである。だから本当の闇になるといくらレンズが明るさが1.1でも叶うものではない。ダークルームみたいな闇なのである。

2000年にボロボロのハイエースに乗ってハノイからホーチミンを目指したことがあった。途中夜になっていくつもの村を通過した。私の目には暗闇である。しかしドライバーの男の人はかつて北ベトナム軍の兵士であった。闇の中でちゃんと目が見えているのだ。

2018年6月24日 (日)

2眼レフがオートマットでないと恥をかくと言う価値観

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6 × 6の🎶TLRカメラのことです。最高級のローライフレックスの場合はフルオートマットと言ってフイルムを装填してクランクを巻くと自動的にフイルムの位置が出ると言うシステムになっています。

これが最高級でその次のクラスになるとスタートマーク方式と言って最初にスタートマークにフィルムのスタートマークを合わせてそれで巻き上げていくとフィルムの1枚目が出ます。

その下のクラスですとレッドウインドウシステムと言ってカメラの後ろの窓を見ながらフイルムを巻き上げて行くと言うシステムです。これが1番コストがかかりません。

フルオートマットのシステムはローライフレックスのパテントに触れるので日本の間宮フレックスなどはそれを巧みに避けてもっと素晴らしい方式を発明しました。ローライフレックスのオートマットの場合カメラ内部のローラーの間を通してフイルムの先端をカメラに検知させるのです。ところが間宮の場合はセンサーでフイルムの先端の位置を検知してフィルムを止めると言うシステムになっています。

これは素晴らしいシステムだったと思います。

当時の間宮カメラの広告などで使っているカメラがオートマチックでないと恥をかきますというのは非常に面白いコピーでした。
なかなか書けないコピーであると同時に日本人の価値観の感覚を如実に出していると思います。モータリゼーションの初期の頃に隣の車が小さく見えますと言うのがありましたがあれと同じでかなり鬱屈した心理ですね。

2018年6月23日 (土)

間宮フレックスはC1がいい

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ちょうど50年前に間宮フレックスのC2を使いだした。その頃のスイスカメラマガジンにダイアンアーバスを撮影したポートレートが掲載されていた。アーバスの使っていたのは間宮フレックスのC3であった。
アーバスの写真集の中でフリークを撮影したシリーズはもちろんローライフレックスがメインなのであるがその他に間宮フレックスで65ミリと135ミリのレンズを使用しているのである。その両者の感覚というか空気の感覚が非常に素晴らしかった。

マンハッタンのセントラルパークあたりで撮影されたと思われるアーバスの肖像はだらしなくベンチに座って脇にはトートバッグがありそこに間宮フレックスが入っていた。何かそこら辺のローカルな学校のバザーで物売っているおばさんと言う感じがしたのでそれで私はアーバスが好きになったのである。

でもカメラの美学と言うことから考えれば私は1番最初の間宮Cが好きなのである。カメラのネームプレートのデザインがダントツに良い。これはあまり数がないカメラであってフォーカシングの分は右手で操作するのしかついていない。

だから間宮フレックスのことを知らない人が見ると左側のフォーカシングが失われたジャンクカメラのように思うのだ。

標準レンズは105ミリ付きだったようである。それがこのような結構薄いソフトレザーケースに包まれているのは何か非常に高級な文化財を見るような感じがする。

2018年6月22日 (金)

トニー0ジョーンズの事

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トニー0ジョーンズがなくなったのは1971年の3月だった。彼の仕事は当時クリエイティブフォトグラフィーと言う雑誌で見ていた。素晴らしいスナップシューターと言うよりも現実の風景の不可解さをそのまま切断するフォトグラファーと言うポイントが好きだった。

銀座の三原橋交番の裏にMingyu国際図書館というのがあって外国の写真集と雑誌は主にそこで見ていて私の大切な情報源だった。

トニー0ジョーンズが使っているカメラを調べてブラックのニコンエフにニッコールの28ミリであることが判明した。何か戦場の連帯感を感じたのである。

私はスイスのCameraの1970年7月号にポートフォリオを出している
Hiroshi Hamayaさんと同じ月の雑誌であった。

クリエイティブフォトグラフィーの編集長だったビルジェー
が退任して新しい雑誌アルバムを作ると言うので写真を依頼された。私の仕事をスイスカメラで見たのであろう。そのビルジェイが今どうしているかとウィキペディアで調べたらなんと2009年に68歳で昇天していたのである。何とも言えない気分だ。

トニー0ジョーンズは30歳で昇天している。
今回初めてトニー0ジョーンズとビルジェイの風貌に接した。

雨の中を今日からスタートしたギャラリーバウハウスの小滝さんの個展に行った。19年前と昨年のイギリスのリゾート地とか湖水地方の仕事である。トニー0ジョーンズの写真集を前にしていろいろ話した。 1,970年代初めの頃の英国やヨーロッパの写真について話をすることができる人が少なくなったのは残念である。

小滝さんの個展
Beyond Summerは9月15日まで開催。

2018年6月21日 (木)

鹿児島のカロワイド

鹿児島のカロワイド
1970年であった。初めて鹿児島にトヨタのロケで出かけた。当時の広告会社が物わかりが良かったのは私が個人的に撮影するということを許してくれたことにある。でもライカを使うなどと言うのは大げさであるから目立たないサブカメラを持っていった。それがカロワイドであった。

撮影はもちろんモノクロである。その作品は東京ニコン日記に1部が収録されている。
Konturファインダーと言うものがあってこれは暗闇にブライトフレームしか見えないファインダーである。
両方の目を開けて頭の中でブライトフレームを実際のシーンと合成するのであるが物分かりというか冗談の通じない人は何度やってもこれを見ることができない。

だからこの人が冗談が通じる人かそうでないかをチェックするためにKonturファインダーを覗かせるのは有効である。

正岡子規が明治の終わりに同じようなことを書いている。これは立体写真を見るときの人間の業のことなのである。正岡子規は立体写真に熱中していた。その中で書いているが何か物の道理が分からないような人は何度見ても立体に見えないとあった。これと同様なことなのであろう。

滝野川7丁目の中古カメラ屋さんでカロワイドを買ったときにはまだ高価なカメラで25,000円もした。ところが最近は10,000円位で買えるようになった。でもこの頃フィルムカメラブームが起こっているのでこれより下がる事はなくて価格は上がっていくのだと思う。

デザインが非常に良い。競合他社オリンパスワイドなどは足元にも及ばない。Img_7557


2018年6月20日 (水)

父親が亡くなった日の朝にあろうカメラで買ったローヤル35

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東京ニコン日記はちょうど20年前に出した。その前の年の春に父親が亡くなった。
その時の話だが父親の遺体にあって早朝にアローカメラに寄ったら買取名人が香典をくださった。その香典で買ったカメラがこれである。

20年以上使っているのはこのロイヤル35である。富岡光学の50ミリの2.8のレンズが付いている。優秀なレンズであってエルマーと同クラスである。

さっき手に取って見て大発見があった。
最短撮影距離が2フィートまで揺れるのである。レンジファインダーには連動しないだろうと思ってファインダーを覗いてみたらちゃんと連動するのである。
私はこの20年以上このカメラの何を見ていたのであろうか?

2018年6月19日 (火)

ニコン研究会 ダンカンさんを追悼する

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ニコン研究会の存在は前から知っていた。海外からも非常に注目されていて外国人のゲストの方が参加したりしていることも知っていた。ニコンはかつての私のクライアントであったしブランドとしての尊敬はあったのであるがちょっと敷居の高いと言うところがあった。

今回はダンカンさんの追悼会と言うことで参加させていただいた。非常に感銘を受けたのはメンバーの研究発表である。ニコンエフの最初の100台に関してこれは布幕のフォーカルプレーンシャッターなのであるがそのストーリーを発表したメンバー等は素晴らしかった。
ニコンがニューヨークで最初のスタートを切ったときのニコンの社長さんの奮闘ぶりなどは手に取るようで感銘を受けた。それをニコン研究会のメンバーが実際に調査して発表しているのであるからこれは大変なドキュメンタリーである。

思うにこのような素晴らしいストーリーを調査することができるのはやはりメンバーのメインの人々が日本人であるということにもよっている。
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2018年6月18日 (月)

Rでこでこ

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数あるローライ製品の中で1番魅力的なのは初代のローライコードだ。金属パネルをうまく使っていい味が出ている。原因不明なのはこのユニークなデザインが受け継がれずに最初のモデルで終わっていることである。

永井荷風は写真もなかなか上手だった。その一端は戦前に出た岩波書店の本面影などで見ることができる。
最初に手に入れたのはローライコードである。多分この金光のやつであろう。永井荷風は当時吉原を撮影していた。その夜景の写真は残っている。ローライコードのトリオターは明るさがエフ4.5だった。それに対して当時のローライフレックスはエフ3.5だった。

永井荷風はローライコードを手に入れてそんなに時間がたたないうちにローライフレックスに乗り換えている。そのいきさつは断腸亭日乗にも出ている。
出入りのカメラ屋さんが新しいローライを持ってきてローライコード持っていったらしい。いかにもお屋敷街の暮らしと言う感じがする。

私がこのローライコードを最初に使い始めたのは1970年の春だった。当時の東京の春がトリオターを通して原色で迫ってくると言う感じがして興奮した。

2018年6月17日 (日)

モダンタイムス

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この世界の果てまで行ってそこで撮影したものが自分の傑作であると考えるのは大変な錯覚である。
チェコの偉大な写真家Sudekの外国体験は第一次大戦のイタリア戦戦であった。そこで友軍に間違って射撃されて右腕失う。

彼の仕事で重要なのは自分の住んでいた街プラハを取った1連の仕事である。しかも毎日自分のアトリエから表通りに出るときのプロセスを克明に記録している。

このショットはその真似である。佃のこの辺の路地は非常に狭い。それは江戸時代の道幅がそのまま残っているのだ。

建物の裏側というか表面の配管設備前から注意を払っていたが普通の速度で歩いているからスマートフォンを取り出すゆとりもない。それである日ちゃんと目標を定めて35ミリカメラにモノクロフィルムを入れてこのショットを撮影するために出かけた。

都会と言うのは自然の風景よりも複雑なところがある。それが面白い。

2018年6月16日 (土)

ニコン101号館ここにありき

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、ミスターニコンの後藤さんからお誘いを受けて日本工学工業株式会社101号館を再訪した。2年3ヶ月前の3月31日つまり101号館最後の日の見学に呼んでいただいたのである。

西大井の駅から歩きながらひょっとしたらまだ101号館は存在するのであろうかと考えていた。
午後の光の中でまるで巨大な海岸に出たような感じがした。目の前は全部平面なのである。

永井荷風の戦前戦後の日記などを読んでみると巨大な焼け跡に接したときの印象が実にうまく描かれている。これは焼け跡ではなくて新しいシーンの始まりだから内容は全く逆方向なのであるが何もない風景の爽快さと言うものに接した。

同時に私が何十年も仕事で守衛所で話を通して中に入れてもらっていろいろ忘れられない体験が多重構造になって押し寄せてきた。

ところでニコンの後藤さんは入社時期がニコンエフ3の時代なので手元のカメラを選んで話題作りにニコンエフ3を持っていこうとした。
ところがバッテリー切れである。90分の1秒が使えるのであるがそれとバルブだけでは撮影が心もとない。それで609系統のカメラを持参した。これならバッテリー切れからは全く無縁である。考えてみれば今生産しているカメラというのは全部電池がなくなったらアウトなのだ。恐ろしい時代である。

大昔ニコンのカタログの撮影でベニスに行った。夜景を撮影しようと思ったらバッテリーがアウトになった。この時は三脚に付けたエフスリーでバルブで撮影したので何ら問題はなかったのである。
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2018年6月15日 (金)

志村坂上でカレーショップのチラシをもらった

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赤羽に行くのにはいくつかルートがあるがシルバーパスでダイレクトに行けるのは志村坂上まで行ってそこから国際航業のバスに乗る。

志村坂上を歩いていたらカレー屋さんのチラシをもらった。その人が店まで案内してくれた。いわゆるキャッチセールスと言うやつだな。すぐそばの店でガラガラであった。保険の外交のおばさんみたいな人が 2人カレーを食べながら上役や同僚の悪口を言っている。粉飾決算の話もしている。それが極めて日本的なので耳をそばだててしまった。同じカレー屋さんでもデリーのチャンドにチョークでは私は言葉がわからないからこういう面白さはない。

店員さんがどこから来たのかと言うので銀座の方から来たと言った。最初はお店の向かいにある病院に通っているおじいさんだと勘違いされたのである。それも悔しいので自分はフォトジャーナリストで赤羽を取材に行きたいと言ったら変な顔していた。

大門と門前仲町と東陽町にもお店があると言うのでクーポン券を作ってくれた。遠くまで来たと言うのでスタンプに2つをしてくれた。後でよく見たら42回こないとタンドリーチキンが1個もらえないのである。ここら辺はインド哲学ですね。

門仲の店などはデリバリもやってくれると言うのでびっくりした。今度注文してみよう。インドでもシンガポールでもそして日本でもカレーランチはずいぶん食べているがここのやつはなんが異常にでかい。タブロイド版の新聞紙ぐらいあるのだ。辛さが調節できて1番辛いと言うのを頼んだ。10段階で1番辛いって言う奴であるが別に辛くはなかった。
つまりこれは本場のインド料理なのである。

2018年6月14日 (木)

森以蔵さん

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頂き物の森以蔵飲んでみる。
今でもやっているかどうかわからないが毎年4月に日本航空の国際線で森伊蔵を定価販売で売っていた。それでニューヨークに行く時に1本買った。1本以上は売ってくれない。私はビジネスクラスの1番前に座っていて前のファーストクラスのお客さんが全部買ってしまうのかなとやきもきした。酒飲みは意地の汚いものである。

エンパイアステートビルディングのすぐ隣のホテルにチェックインしてすぐに下の角で食物売っているベンダーのところに行きチキン弁当を買った。

目の前に聳えるエンパイヤを見ながら森伊蔵をストレートで飲んだ。
帰りの飛行機でも森伊蔵を買った。それをそのまま忘れていてキッチンの隅から何年か経って出てきた。頂き物の森蔵さんも同じような形で発見されたらしい。

。それでその味なのであるがかなり保存されていたのでまさに水の如しと言う感じがする。やはりいつも宝焼酎で鍛えられているので高級な焼酎は体に合わないようである。

でも私は焼酎に関してはなかなか素敵な洗礼を受けている。1,970年頃に鹿児島の枕崎に行った時に当時の地元の焼酎を味わっているのである。これは結構きつかった。それで焼酎が好きになった。旅館だとちゃんと黒ぢょかの徳利で飲ませてくれた。

2018年6月13日 (水)

ライカのレンズの汚いのが魅力です

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以前突撃隊長がメンションしてくれたライカ関係の画像の中にアンリカルティエブレッソンが愛用していた50ミリレンズがあった。これがクローム仕上げなのに全部剥がれているのである。ライカレンズはこのぐらい汚くなると魅力的になってくる。

それに対抗できると言うわけでもないが私が手持ちのライカのレンズで1番汚いのはこれである。もともと25年位前に入手したドイツ空軍様のグレーのライカカメラについていたレンズであった。

製造番号が190,000台と言うからかなり初期のものだと思われる。もともとレンズが固定式のライカには製造番号がついていなかったのだ。

レンズは汚いがガラスはそこそこなのでちゃんと映ると言うのもありがたい。

2018年6月11日 (月)

時の記念日を休もう

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第10回目のブラバチワークショップであるが台風5号の影響で大雨であった。 世の中一般の撮影に興味を持っている人も考え方というのは天気が良いから撮影に行くというのである。つまり撮影はアサインメントではなくて行楽と考えているわけだ。 私の場合は逆で例えば今年の3月7日の広島では地方気象台がびっくりするほどの大雨であった。その中をジャブジャブ濡れながら歩いて面白かった.
それでも7人の塾生が来たのは嬉しかった。そのうちの1名は途中ではぐれてしまったので料金未納になってしまったが仕方ない。損金計算だな_
じさんの富士フイルムのデジカメはわざとタングステンモードにした。そうすると世界が言ってるブルーになるのである。60年代に流行ったファッションのテクニックなのであるが今でも使える。
雨のワークショップで感心したのは銀座和光東京PXの時計台に大きな幕がかかっていてときを休もうとある。これは大したアイデアだと思う。
それも反応をFacebookなどでミテいるとユーモアのセンスのある人は面白がっているが真面目一方のしとはわこがこんな広告を出すのはけしからんと怒っている。だから私の周辺にいるヒトもこの人はこの広告に賛成派デアルカ反対派であるかを想像するのが面白い。
有名な大学のビジネススクールの先生とここで歩いていて私が冗談でその人に20年前ロンドンのビックベンガがエイプリルフールにデジタル表示になりましたよといったらその先生はそれを信じたのである。真面目な経済方面の人というのはその意味で冗談が通じないということが分かって面白かった。
いっそのこと東京PXはこの横断幕を向こう100年ぐらいつけてれば世界的にも名前があがることであろう。

🐧第11回ブラパチワークショップのご案内です❤️

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7月のブラパチワークショップのテーマは花に駆け寄る人です。7月8日日曜日午後1時スタート。集合場所は後でお知らせします。東京大学附属小石川植物園は1902年にできました。私の体験した最初の西洋庭園でした。
今回はピクニック気分で行きましょう。🍉😎🌈🎶

2018年6月10日 (日)

高いほうのブラックニッカを買ったらグラスがついてきた

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以前財界の表紙の撮影で六本木のニッカウヰスキーの本社に行って社長さんを撮影した。本社の商品の展示なども地味で良い感じであった。

それでこの数年来飲んでいるのはブラックニッカだ。他のウイスキーは飲めない体になってしまった。
下のスーパーでも酒飲みが一斉に買いに来るから週末に買いに行ったらブラックニッカの店はすっかり空になっていた。その隣でブラックニッカよりちょっと高いやつにグラスがついている。仕方ないのでそれを買ってきた。正統派のハイボールの作り方が出ていたのでギシギシに氷を詰めてやってみたらこれがなかなかうまい。他のお酒なんか飲めるもんじゃないと言うことが判明して幸せ。

2018年6月 9日 (土)

ダグラスダンカンさん102歳でご逝去

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ニコンとニッコールレンズの大恩人デビットダグラスダンカンさんが昨日逝去された。102歳であった。
このところニコンが登場して50周年の時に制作したちょうど20年前の私の新書版の分厚い写真集東京ニコン日記をいろいろな人にプレゼンテーションする機会があった。

さらに4月のハノイに行きそして先月のディエンビエンフー行でインドシナ戦争の戦場カメラマンのことをよく思い出していた。

ダンカンさんに初めてお目にかかったのは1971年のことであった。新宿ニコンサロンのこけら落としのイベントでダンカンさんのヒーローなき戦争の出版記念会の大パーティーであった。

その次は1,980年代半ばにダンカンさんが三木淳さんとご一緒の時銀座の銀一カメラでお目にかかって親しくお話をさせていただいた。
ダンカンさん曰く
俺はフランスに四半世紀住んでいるけれど話せるフランス語はボンジュールだけなんだぜ。とこんな調子なのである。

3回目にお目にかかったのは三木淳さんのご葬儀の時だった。千日谷に駆けつけたダンカンさんは平服のままであった。いかにも親しい友の葬儀に海を越えて駆けつけたと言う印象で心がいたんだ。

ダンカンさんが大井町でニッコールのテストをしてそのままニッコール5センチと13.5センチの2つのレンズを携えて朝鮮戦争の取材に向かったのであった。
この2本のレンズは私にとっても重要である。いつも手に届くところにこの2本のレンズがある。

ダンカンさんは印刷媒体のフォトジャーナリズムが最も力を持っていたときのスーパーヒーローであった。

2018年6月 8日 (金)

東京ニコン日記が出て20年

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たくさん写真集を出したがその中で1番好きな写真集の中に入るのが東京ニコン日記である。新書版の写真集と言うのもユニークだしずいぶん長いこと私のサイン会でボロボロに読み込んだこの新書版の本を持ってきてサインを求める皆さんがいてありがたかった。

本の奥付を見たら1998年6月1日とある。写真の日を記念してこれを出したことを思い出した。同時にニコン登場の半世紀と言うセレモニーのつもりでもあった。
表紙の次にある天然色写真ではニコンエスの油絵がある。友人に描いてもらったものだ。その次のページは私が中野駅でS3を持っているセルフポートレートである。でもレンズはニッコールではなくてジュピターであった。木製玉クラブ発祥の地と言うわけだ。

750ページあるほんで写真は小さいがどういう写真であるかはちゃんとわかる。もともとはこれがレファレンスようであって予告編のようなものであった。
それに続く本編を出すつもりで数年後に岩波書店から東京今昔と言う写真集を出した。片岡義男さんや坂崎幸之助さんそしてなぎら健壱さんと対談させていただいた。でもこの本はどちらかと言うと中学校の図書室に置かれるような本であるから写真集の本編と言う感じではなかった。それで東京日本日記は20年が経ったがいまだにこの写真集の本編を計画中である。

2018年6月 7日 (木)

間宮フレックスの箱。中身入り。

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アローカメラの買取名人が競合他社の買取のチラシを読んで聞かせてくれた。買取値段が書いてあるのであるが全部のカメラの種類に対してその価格は元箱付きであると断ってある。
私それに答えて曰くハッセルブラッドのSWC元箱なんて今あるわけありませんよねと返答した。

初期の間宮製品の箱付を集めている。間宮フレックスのものだがデザインが素晴らしい。ゴールドであるのだが品のないゴールドでなく知的なゴールドである。
もっとも制作されて70年ぐらい経っているから法隆寺の仏像みたいに当時は金ぴかであったのかどうかそれは今ではもうわからない。

かつてはカメラは化粧箱と言うのに入っているのは普通だった。それが1,970年頃から簡易包装になってプラスチックの緩衝材に入って外側は段ボールになってしまった。新宿駅東口のカメラのさくらやの店頭にその段ボールが山のようにゴミとして積まれていたことを思い出した。

カメラは箱で買うものです。

2018年6月 6日 (水)

デジカメのダミーはコレクターズアイテムになるか?

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この間ガラクタ屋さんで遊んでいたらそこに買取名人が見えた。デジカメのダミーを手に取って情けないこんなに安いのかと言っていた。買取名人はそれがダミーカメラであることを最初はご存じなかったのだ。

1,970年代のドイツの中古カメラ店などはライカカメラのダミーが二束三文で売られていた。ドイツ人の価値からすれば映らないカメラ等はカメラでないのである。私は先見の明がないからそれを買わなかった。先見の明があったのはスイスカメラの編集長アランポーターさんである。

ライカのダミーカメラは本物のカメラの製造番号の刻印のところにカタログ番号が刻印されている。それがかっこ良い。

デジカメのダービーが将来コレクターズアイテムになるかどうかと言うのは重大な問題ではあるが今の時点ではまだそれが見えてこない。ちなみに私はガラクタ屋さんでデジカメのダミーを発見すると必ず買う方です。

2018年6月 5日 (火)

ワイドアングルローライマジックと言う使い方

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本来のワイドアングルローライフレックスはずいぶん使った。ただしすごく古いやつなのでボロボロである。レンズもボロボロになっているからバルサムが変色してイエローになっている。モノクロームで取るには非常に都合が良い。ただ天然色写真だと黄色っぽくなった。

東京光学の0.7倍のワイドコンバージョンレンズは非常に優秀である。製造番号がちゃんとついているところがすごい。古いモデルはフィルター型が37ミリなのでそのままベル&ハウエルのフォトンについたりした。ところが後期モデルはフィルター体が43になるので取り付けが面倒である。2のバイオネットをフィルターにアロンアルファでコンバージョンレンズをつけようと思ってガラクタ屋さんに探しに行った。

にだいめの顔を見ているうちにそれが必要がないことがわかった。にだいめは双眼鏡写真家であって双眼鏡をiPhoneに手持ちでつけて写真を撮っている。だから私もにだいめ流でワイドコンバージョンレンズを
手持ちでローライマジックに押し付けて撮影すれば良いわけだ。

2018年6月 4日 (月)

取説をしっかり読むとためになる

取説をしっかり読むとためになる
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到着した二台のローライマジックには英文の取説がついていた。端から端までじっくり読んで得る所ところが多かった。例えばフィルタをつけたときの漏出ファクターをバヨネットリングを捻ると設定できると言う事である。こんな進んだメカニズムはローライの最新型にもついてなかった。

それからローライマジックはシャッターボタンの押し方が他のモデルとは違うからケーブルレリーズがつかないと思っていたらちゃんと小さい穴が開いてあった。これであの使いにくい有名なピストルグループも使えるわけである。

家に3台あるドライマジック2であるがGossenが生きているのが1台だけある。何しろパイオニア的な最も最初期のオートマチックカメラなので電気的な連絡ではなくて露出計の針の振り方に応じてそれを微妙にカムが受けたりしているので半世紀経っているからそこら辺の調子が悪くなっている。だから自動露出はものすごいオーバーになる。そのためにオートマチックでは使っていない。

さらに不思議なのは125分の1秒以下はシャッターが開きっぱなしになることだ。しかしそんな暗い所では取らないから私の場合は特に問題は無い。

2018年6月 3日 (日)

オレンジフィルターの効果

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高校生の頃ニコンエフを使っていて父親が最初に買ってくれたフィルターはイエローのやつだった。ところが写真技術の雑誌をなどを見ていると黄色いフィルターよりもオレンジ色の方が青空の雲が白く浮き上がると書いてある。当時のニコンのフィルターが1,200円位したと思う。結構高かった。それを手に入れて写真を撮ると予想通りの効果が出てすごいなと思った。

ガラクタ屋さんにローライマジックのバヨネットマウントにトプコンのワイドコンバージョンレンズをつけるので相談に行った。ステップダウンのリングを買ってなんとかしようと思ったがローライの純正のオレンジフィルターがあった。

このオレンジのフィルターを割ってただの枠にしてそこにワイドアングルコンバージョンレンズをアロンαでつけようと考えた。しかし純正のローライフレックスのフィルターを壊すのはもったいないのでそのまま使うことにした。

デビットダグラスダンカンは南ベトナムの戦場でいつもライカにオレンジフィルターをつけていた。大雨で天候の悪い時もレンジフィルターなのである。

梅雨の間の青空でオレンジフィルターでなかなか時間の永遠性とでも言える写真が撮れた。よく私のFacebookの褒め言葉で良い絵が取れましたねと褒めてくださる方がいるがこれは絵ではありません。

これは写真です。😎
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2018年6月 2日 (土)

曙橋のタワー

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曙橋を経由してガラクタ屋さんに行く時にいつもこの白いタワーを眺めている。この手のものを私は個人的には羊羹ビルディングとよんでいる。アジア独特のものであってその風情が好きなのだ。かなりたくさん撮影していて1ヵ月ほど前にも真宮6でモノクロでこのビルを撮影した。

ところが今日はルートが違って荒木町から早稲田西門行きのバスに乗ったのである。このバスは30分にイッポンの連絡であって12時台は1時間に1本しかないと言うなかなかカントリーな交通手段である。

バスの窓から見たら天気の良いこともあってその独立感覚がすごくいい。それでiPhone 5で撮影した。私のiPhone 5は6年落ちであるがその直後から調子が悪くなってGmailの送信ができなくなった。それで別のiPadでiPhoneの画面を複写したのがこれであるが何かそのほうがリアリティーがあって面白い。

日本カメラの連載のToday Tokyo 2018-2020の7月号でもこの古いiPhoneを使った。

メールは全部受けているのであるが送信ができないのだ。それでいろいろいる操作したのであるがまだ解決策が見えていない。
メールの受信はちゃんとできているのでご安心ください。

2018年6月 1日 (金)

6月1日。写真の日にローライマジック

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ローライマジックは全く成功しなかったローライの代表的なカメラであった。1型と2があって1形は完全なautomaticだった。だから壊れると机の上の飾り物にしかならない。ローライはこの失敗に気がついてセカンドモデルを出したのだ。
こっちのほうはマニュアルで露光ができる。それでも60年代後半まで作ったのに製造台数は12,000台ほどである。つまり1型の半分以下なのだ。だからレアカメラと言うわけではないがそこに最も初期の自動露出のパイオニア精神を感じるのである。

78年前になる。ローライマジックの1形で無性に東京拘置所のあたりを取りたくなった。
原因は不明である。季節は5月だったと思う。それも6 × 6ではなくてセミ番で取りたくなったのでスイスの方からセミ番のアダプターのセットを取り寄せた。
東京拘置所の周囲つまり小菅界隈を撮影して面白かった。これは全部横で撮ったのである。なぜならばローライマジックのインストラクションにはこれは横で撮影するためのデバイスであるとちゃんと書いてあるからだ。

ブロニカ645の場合は縦でも横でもいいがアダプターをつけたローライマジックは全部横でなければならない。それが写真表現と言うものだ。

左にある1台のローライマジック2は以前から持っているやつでそこに二台新しいのが加わった。やはり自動露出は怪しくてマニュアル露出でとらなければならない。でもそれで良いわけだ。

私が最近フイルムを買えないのでヤフオクの売り手さんは知ってか知らずかフイルムをたくさん入れてくれた。これはおまけと言う意味である。よく見たら220のフイルムも入っていた。最近220は滅多にお目にかかれないのでこれも嬉しい。
幸せな誕生日プレゼントである。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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