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2018年5月15日 (火)

変わらない風景。東京カテドラル。

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日本カメラの私の連載と企画が連動している月一回のブラパチワークショップである。
第二日曜日の午後1時からスタートしている。今回は東京カテドラルに出かけた。と言うよりも日本のメタボリズム建築のおさらいをしたかったと言う意味もある。

私が生まれた文京区音羽5丁目2番地はまず東側に菊竹さんのスカイハウスがあり音羽通りを隔てて西には丹下さんの東京カテドラルがあった。人間の存在で1番不思議なのはその生まれた時間と場所を本人は設定できないと言うところにある。だからこの私が人生をスタートした場所というのが実に不思議でならない。

スカイハウスのほうは1957年に完成している。当時の文京区音羽は普通の黒いかわらぶきの屋根ばっかりだったからこのコンクリート打ちっぱなしのテーブルみたいな建物は廻りをびっくりさせた。

ルコルビジェ風の建物が世界中に氾濫しているがこのモデルはその1番最初の一例なのである。

丹下さんの東京カテドラルは住居ではないからもっと自由な設計がされている。1971年の12月14日にここで私は結婚式をあげた。だからもう47年目が経過したのである。
カテドラルもかなり老朽化したからいちど大改修をしている。

私の好きな稲垣足穂は戦前にこの関口教会に公教要理の勉強に通っていた。幼きイエズスの春に
が そのタイトルである。稲垣の文章読んでいると当時のこの界隈の鬱蒼とした空気が感じられて懐かしい。もちろん当時はカテドラルはステンレスではなくて普通の教会であった。

1,964年にカテドラルが完成した時私は許可をもらって多量の写真を撮影した。その数年後に当時の土井枢機卿様がバチカンを訪問すると言うので私の写真を持っていかれた。
だから私のカテドラルを撮影した写真は今でもバチカンのどこかの書庫に忘れ去られて保管されているはずである。それがあと2000年ぐらい経過してから発見されたらまた面白いことであろう。

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