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2018年5月31日 (木)

5月31日。誕生日のそら豆

そら豆の初物Img_7158

ディエンビエンフーで飲んでいたビールはハノイビールではなくてホーチミンから来たビルであった。ピルスナーの味の薄いちょっと腰抜けタイプのビルであるが先週末の我楽多屋のシドニーで私のカメラを修理してくださるTessinaさんと話をしていたら彼はこのブランドのビールが好きなそうである。

ディエンビエンフーのホテルではホーチミンのビルしかなかったので仕方がないからそれを飲みながら私はそら豆の塩ゆでを食べたいと思っていた。勝手なわからない鼻炎鼻炎風であるからその夢は達成しなかった。そのかわり生のパイナップルがおいしいと言うことを今回学んできたのである。

1番手っ取り早くそら豆が食べられるのはラーメン屋のチェーン店のお酒のつまみである。これは味がいつも同じだから良いのだが塩味がきつすぎる。


東京で千葉県産の枝豆を手に入れた。パックが山になっている中で家人はそれぞれ手にとって1番重いパッケージを選んだ。私のような旦那さんの買い方ではなくて主婦のかい方と言うのはなかなか実利的で頭が良いなと感心した。

さっと塩ゆでにしたゆでそら豆がこれである。まだ日が高いのでビール飲まないことにしていっこだけ味を見てみようと思ううまい。いやまだ食べていません。

2018年5月30日 (水)

この頭ミクロン35ミリを使うときの注意点

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偽ライカ愛好会の会長から1年間貸してもらった35ミリ頭ミクロンである。ちょっと使い方にコツがいる。というのも普通のレンズは焦点距離のマークの上にまっすぐ絞りの設定マークが付いている。しかしこのレンズはちょっと変わっていて右に1段ずれたような表示になっている。だからこのレンズに専用のレンズフードをつけて絞りを設定しようとすると自分の思った絞りよりも1段オーバーになってしまう。

私はライカでスナップショットをする時絞りを見る事は無い。というのも明るさを見てそれが屋外であれば最小絞りからワンストップとか2ストップ動かして絞りを設定しているからだ。絞りがF-16から2ストップ移動させればf8になる。

これはモチーフから目を離さずに露光を設定するやり方なのでかなり昔から使っている。ただしクリックストップでないとこれはできない。逆にハーフストップとか3分の1ストップの敏感すぎるレンズでも使えない。

2018年5月29日 (火)

ライカカメラと小村レンズ

ライカカメラと小村レンズImg_7145
Komura Lensというのもまた時代の先駆者であった。当時はレンズ専用メーカーは1段低く見られていたのである。カメラメーカーの純正レンズをかえない人がとりあえず手が届くと言うので買うレンズであった。それでも充分にレンズメーカーの交換レンズは高価だった。さらにそれより高いのがカメラメーカーの純正レンズだった。私も最初に手に入れたのは小村レンズで135ミリの明るさが2.8と言うやつだったこれでずいぶん撮影に行きましたね。

小村のサービスセンターと言うのは私が中学生の頃は文京区の小石川にあってその後上野の御徒町に移転した。広いラインナップを制作して大判カメラ用のコマーシャル小村もあったしゼンザブロニカの小村もあった。ブロニカレンズは小型軽量なのでプロ写真家も使っていた。

小村のシリーズでユニークだったのはライカマウントの望遠レンズを2倍にするテレコンバーターであった。かなり精密なファインダーも付属で付いていた。10年以上前にガラクタ屋さんでケース入りのコンバータを手に入れたことを思い出した。

2018年5月28日 (月)

庭の池のえんちゃん

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タワーのエントランスに池がある。そこに鴨が遊びに来るのは30年のしきたりである。
ところが最近この地域の管理会社が変わったようでやたらと池を掃除するようになったので鴨は警戒して来なくなった。家人が午前中に買い物に行った時に見たと言うので私が慌てて出かけるともう離陸していないのである。

しかし今日は幸に見ることができた。ドイツ語で鴨はEnteである。だから日本語ではえんちゃんである。

2018年5月27日 (日)

ライカに135ミリで

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135ミリの望遠レンズのブームが来るらしい。私も使うレンズは85ミリから90ミリばっかりであった。今回のディエンビエンフー行ではその理由は不明ながらテーブルの上に何年も置いてあるエクトルの135ミリのレンズを持っていったのである。結果はなかなか良かったと思う。
初期のジャーナリズムでは50ミリの次に持つべきレンズは135ミリであった。ライカの最初の交換レンズ、当時のCモデルの話であるが最初に用意されたレンズは135ミリと35ミリなのであった。

135ミリレンズを使うにはやはりライカM3の方が良い。ファインダーの倍率が高いので構図の設定がしやすいのである。澤田のピューリッツァー賞受賞作品はErmarit135ミリであった。これはファインダーアタッチメントの拡大レンズが付いているモデルである。
これはライカエム4とかエム2-90ミリのブライトフレームファインダーを拡大するやつなのだ。


2018年5月26日 (土)

レンズマウントアダプターは必要だ

レンズマウントアダプターは必要だC080683d4d474ea6a6c53884943bb6f1

ミラーアップをするタイプのニコンエフ用のリコール20日には1966年から使っている。当時はライカのレンズが手に入らなかったから自分でマウントアダプターを制作してそのレンズを使っていた。

その後コシナからニコンエフマウントをニコンエスマウントにする変換アダプターが出たので入手した。それはある時間違えて売ってしまったのである。このレンズマウントアダプターはみんな探しているようであって6 7年発見できなかった。

それがつい最近同様な機能を有するマウントアダプターがオークションで出たので手に入れた。入手したものを見るとこれはハンドメイドのようである。メーカー品ではない。

主に広角レンズから標準レンズのニコンエフレンズをニコンエスやコンタックスに付けて使っている。

60年フイルム現像をやっているが最初の大事故

60年フイルム現像をやっているが最初の大事故Img_7106
ディエンビエンフーから戻ってきて撮影済のフィルムを現像する前に怖いのでいつもの条件で東京で撮影した120のフィルムを現像してみた。最近入手した現像タンクでいつものような老舗の鰻屋のたれの現像液を使って上りを見たら全部ネガかぶって真っ黒になっている。下の画像も何にも見えない。イクリプスの観測には最適なブラックフィルムが出来上がった。

60年間モノクロ現像をやっていてこんな事は初めてである。現に今までFacebookやブログにアップした写真は全く同じタンクと現像液でやっているからである。

研究が必要だ。ディエンビエンフーで撮影したフィルムは恐ろしいからちゃんとした現像所に出そうと思う。

2018年5月25日 (金)

ローライコードとTriotar

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1970年の春。日本デザインセンター勤務の1年目に銀座のSankyoカメラでローライコードを手に入れた。コダックのエスタクロームで露出計は使わずに東京の街を取り歩いた。新たな発見があった。
東京の街が想像していたよりもはるかに美しいと言うことに気がついたのである。それ以前にもちゃんとトランスペアレンシーで撮影をしていたのだから何が違うかと言えばこれはローライコードの3枚玉のレンズのせいではないかと考えた。

当時のカメラ毎日の編集部に持ち込んでいろいろ編集長がアイデアを出してくれたが発表には至らなかった。その翌年から私はカメラ毎日に断続的に空作品を発表していたがその1番最初のシリーズがこれだったのだ。でもこの100点近いローライコードで撮った1970年の写真は私の宝物であって今でもちゃんと保有している。

極東の春の爆発する色彩と言うのはトリプレットに向いていると言うことができる。
ローライコードがいくつか持っているがこの個体はそのレンズ番号が最も若いものでしかも製造番号がクールである。

2018年5月24日 (木)

河内空港のBuncha

Bunchaはハノイで有名な食物で冷やし中華の汁をすごく多くしてそこに麺をつけて食べる。汁の中には小さなハンバーグが入っている。これは空港で食べたので高級であって牛肉の切れ端も入っていた。香りの草の量がすごい少ないのでちょっと不満であった。

街中だと大抵20,000トンから25,000トンで食べられる。ここは国際空港なのでなんと170,000ドンもした。外人観光客向けですね。国際空港であるから物の値段はびっくりするほど高い。ミネラルウォーターを買おうとしたら17,000トンと言われた。それで給水所には長い列ができている。

これが生活人としての正しい買い物の仕方であろう。生水をそのまま飲む習慣がないフランス植民地の影響だと思う。ハノイの水もディエンビエンフーの水もなかなかうまいのであるがそれが分かると既存のミネラルウォーターメーカーはやられてしまう。Eeb7a34903504cd5bc36830d8700efe1


2018年5月23日 (水)

ベトナム航空の新型飛行機に乗る

ベトナム航空の新型飛行機に乗る8ae333cc044f4bd997e730c47bdfe876

ベトナム航空の最初の体験は20年前に広州からハノイに乗ったのが最初だ。その時に漢字表記が河内と言うのでびっくりしたのであった。

エアバスの350は日本の航空会社も導入していない最新型である。この個体はスカイチームの塗装であってbrand-newだ。1年も飛んでいないのである。航空会社の業界紙を見たら
A350のってわかったその魅力
とキャッチフレーズがついていたがこれは安っぽくていただけませんね。

4時間ほどの飛行であるから楽である。16aと言うバルクヘッドを使った。これには仔細にがあってチェックインの時にハノイの係りの人はバルクヘッドを知らなかったので説明してあげたのである。その前に通路側の非常口座席をリクエストしたら60歳以上はそこには座れないと言うのである。法律ですときっぱり言われた。レスキュースタッフの資格としては70歳は無理なのである。これは若い国だなと感心した。
ベトナム航空が西側の航空会社の悪い影響を受けてきたら将来ここをKLMオランダ航空のように100ユーロで販売したりすることになるのであろう。

それで久しぶりにバルクヘッドを堪能した。クラスの最前列と言う意味だ。

羽田に到着してラゲッジベルトの前でびっくり仰天。私の荷物にはクライムタグがついていない。飛行中にはがれるものでは無いからロストバゲージにならずによく到着したものだと感心する。おそらく係員が私のバルクヘッドの講義を聞いてそちらに気をとられてタグをつけ忘れたのであろう。

2018年5月22日 (火)

ディエンビエンフー昨日行ったところ

ディエンビエンフー昨日行ったところ

インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が最後まで戦っていた地下の防空壕である。
ベトナムの歴史的な写真でベトナム軍がかまぼこ型の屋根の上に乗ってフラッグを振り回している写真があった。なんのことかわからないが現場に行ってみるとその意味がよくわかった。

日本の場合は敗戦国であるからこういうランドマークは存在しないし作りにくい。それに日本の場合はネズミ猿などがエンタメの基本になっているから方向がかなり違う。ハノイから若者がたくさん自分の国のプライドを再確認するためにこの歴史的記念物に来ていた。持っていたカメラは全部スマホである。気楽にムービーを撮っている。ホーチミンみたいな日本人の爺が地下から出てきたので人気になって彼らの記念写真に収まった。Ded1aa4489e046249bac8648d547a652_2


2018年5月21日 (月)

Bokekokkoをともとして

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本日移動日。鼻炎鼻炎風からハノイの空港ホテル。
そこら中にニワトリがいるので退屈しない。それぞれの鶏の声はそれぞれの声紋があるからどこの誰かがちゃんとわかるようになった。午前3時ごろには金子光晴が南方旅行記で紹介している特権となくトカゲも加わって賑やかである。

かつて佃島にボケこつこというチャボがいた。25年前の話だ。お母さんが子供を連れてきてほら鶏よと説明してるのでこいつはいつも文句を言ってた。違いますチャボですと言うのである。
そのなき方の声がボケ高校と聞こえるのだ。

その同じ鳴き方の鳥さんがたくさんいて71歳おきなはボケ高校を友としているわけである。

このホテルに置いてあるビールのブランドはホーチミンのそれである。私はハノイビールが口に合っているので河の側の茶店でようやくハノイビルにありついた。

2018年5月20日 (日)

眺めの良いブレックファースト

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宿泊しているホテルは7階建てである。7階はレストランになっている。
目の前を川が流れている。インドシナ戦争の激戦地である。国木田独歩の話を話を引用すればこれは武蔵野に出てくる小手指ヶ原の古戦場と言うわけだ。

ホテルは結構ゲストが入っているようだがブレックファーストの客は私1人である。ベトナム人は近くのカフェに行ってしまう。私は外国人旅行客であるからブレックファーストのバウチャーを持っているのでこういうことになっている。イスタンブールの定宿であったホテルは迎えにはブルーモスクで左隣が最高裁判所と言う変な場所であった。それで3階建てのトルコ風木造建築であった。最上階が新設されてそれが展望レストランになったのでそこでブレックファーストを取りながらブルーモスクの先に丸まら海を見ていたことを思い出した。

毎朝7時ごろから川べりにバイク屋自転車の人がたくさん集まっている。元気の良い軍国鳥のマーチが流れていたりする。社会主義国の国に来たと言う実感がある。
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2018年5月19日 (土)

フィリピン製のウォッカとベトナム製のハム

河野側の大きな市場に行ったのだがちょうど昼休みで市場が全部閉まっている。うどんを食べることもできわない。

Google マップで街の反対側のスーパーマーケットを仁間探していたら2つとも撤退している。
それで路上で売っているおばちゃんからフィリピン製のウォッカをかった。別のおばちゃんから豚の膝の肉のハムを買った。ドイツではあるけども日本では手に入らない皮付きのハムである。

これは肉そのものよりも皮の方がうまい。それで皮を小さく切ってウォッカのつまみにしている。何かライカのカメラのストラップを食べているような気がする。Img_7027_3


2018年5月18日 (金)

ディエンビエンフーの戦場カメラマン

フランスがインドシナから撤退することになった最初の大きな転換のポイントは1953年のディエンビエンフーの戦いだった。

1953年と言えばライカカメラで言えば3cの時代である。
今回持ってきたライカカメラは60年代初めのものであるから時代からすればちょっと間違えてることになる。
まぁここら辺は厳密にする必要は無い。戦場カメラマンが1番使うレンズは50ミリと135ミリの交換ルーズであると昔何かで読んだことがあった。

それを真似して135ミリの望遠レンズを持参した。よく映るヘクトールはうつりすぎて恐ろしいと言う評判が立つレンズだった。

他に21ミリのレンズも持参したから今回のアウトフィットは極めて標準的な21ミリ35ミリ135ミリと言うセットになった。
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2018年5月17日 (木)

今夜は河内の空港ホテルで

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エアポートホテルは250ドルが相場。ここは15

2018年5月16日 (水)

本日移動日 羽田ハノイ ハノイ鼻炎鼻炎風

フランスがベトナムに対して最初の敗北を喫した古戦場。
ハノイから飛行機の連絡が悪いのでハノイのエアポートホテルに行き帰り宿泊する。Img_6958


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2018年5月15日 (火)

変わらない風景。東京カテドラル。

変わらない風景。東京カテドラル。Faab90d3460b4a5fab9bda656f10b6cc

日本カメラの私の連載と企画が連動している月一回のブラパチワークショップである。
第二日曜日の午後1時からスタートしている。今回は東京カテドラルに出かけた。と言うよりも日本のメタボリズム建築のおさらいをしたかったと言う意味もある。

私が生まれた文京区音羽5丁目2番地はまず東側に菊竹さんのスカイハウスがあり音羽通りを隔てて西には丹下さんの東京カテドラルがあった。人間の存在で1番不思議なのはその生まれた時間と場所を本人は設定できないと言うところにある。だからこの私が人生をスタートした場所というのが実に不思議でならない。

スカイハウスのほうは1957年に完成している。当時の文京区音羽は普通の黒いかわらぶきの屋根ばっかりだったからこのコンクリート打ちっぱなしのテーブルみたいな建物は廻りをびっくりさせた。

ルコルビジェ風の建物が世界中に氾濫しているがこのモデルはその1番最初の一例なのである。

丹下さんの東京カテドラルは住居ではないからもっと自由な設計がされている。1971年の12月14日にここで私は結婚式をあげた。だからもう47年目が経過したのである。
カテドラルもかなり老朽化したからいちど大改修をしている。

私の好きな稲垣足穂は戦前にこの関口教会に公教要理の勉強に通っていた。幼きイエズスの春に
が そのタイトルである。稲垣の文章読んでいると当時のこの界隈の鬱蒼とした空気が感じられて懐かしい。もちろん当時はカテドラルはステンレスではなくて普通の教会であった。

1,964年にカテドラルが完成した時私は許可をもらって多量の写真を撮影した。その数年後に当時の土井枢機卿様がバチカンを訪問すると言うので私の写真を持っていかれた。
だから私のカテドラルを撮影した写真は今でもバチカンのどこかの書庫に忘れ去られて保管されているはずである。それがあと2000年ぐらい経過してから発見されたらまた面白いことであろう。

2018年5月14日 (月)

ハノイのビアホール

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ハノイのビアホールはリラックスできる。不思議なのはハノイの人間と一緒に行くと彼らはおしっこに立つのが普通のペースなのだ。一方私は外国人だからどんどん汗になってしまってトイレには立たない。この違いがあの違いなのですね。

ハノイ中央駅の西口から徒歩1分ほどにあるこのビアホールが好きである。5年ぶりに場所が1つ隣のビルに移動していた。そして売り場面積は5年前よりが狭いスペースになっていた。

実に不思議なのはベトナムの首都でしかも駅から1番近いビアホールが非常に小さいと言うことである。その理由がどうもわからない。黙って座ると明るいグリーンのビアグラスにいっぱいのビールを前に持ってきてくれる。それと南京豆である。育ちの悪いような小さな皮をむきにくい豆なのだが残りを持ち帰って家人に味わわせたらこれは昔の南京豆の味がすると言うのである。そんなものなのかと思った。

ハノイの大田区東雪谷5丁目は駅から6キロぐらい南にあるのでここまで歩いてきてビールは2杯だけにしてまた歩いて戻った。私は歩きすぎる癖があるので帰りに目的地のアパートメントより先のほうに歩いて行ってまた戻ったのでかなり時間がかかった。途中のスーパーでミルクを買ってそれを飲みながら戻ったのである。

2018年5月13日 (日)

🐦❤️ 6月10日ブラパチワークショップのご案内です😎

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1969年300倍の競争率で日本を代表する広告代理店に入社しました。広告写真家をしながら写真作家で未来を切り開こうと思っていましたが3年で挫折。逃げるようにオーストリアウィーンに逃亡。10回目のブラパチワークショップは3年間の銀座の夢と現実を検証します。😎

Bunchaの正しい食べ方

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文ちゃは好きな食べ物である。文ちゃんではない。これは主に文鳥のお名前である。ハノイの街を取り始めた2,000年頃に路地裏でおばさんがしゃがんで七輪で小さなハンバーグステーキみたいなものを焼いている。これはビールのつまみにいいと思ってその場で買おうと思ったら売ってくれない。
私をおばさんは連れてすぐそばの食物屋に行った。そこで買うことができると言うのである。

今思うとこれは文ちゃの中に入れる小さなひき肉なのである。
この料理はまずなんと言ったら良いか、たっぷりの冷やし中華のような汁の中に緑色の葉っぱで包んだ小さなハンバーグステーキ状のものがいくつか入っている。そこに茹でたそうめんのようなものを入れて野菜を入れて食べる。なかなかいける。

食べ方にはいろいろあるようで本当のハノイ人はこれをスープの中でちょうど巻き寿司のようにして小さなハンバーグとそうめんをサラダ菜で包んで食べるのだそうだ。そんな難しい食べ方ができるものでは無い好き勝手に食べればよいのである。
この間滞在したハノイの大田区東雪谷5丁目ではホテルのドアを出て30秒でこの店があったのでいろいろお世話になった。値段は25,000ドンだから 50円位なものか。

2018年5月12日 (土)

河内ガリ版通信6 非常に長いものを運ぶイージーライダー

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第5年前のハノイ滞在ではもっぱらアパートメントのそばのカフェで時間を潰すことが多かった。これは暇と言う意味ではない。目の前を通る本田のバイクを見るためだった。

これはもはやベトナムの伝統芸能と思っているものであって尊敬に値する。そういえば亡くなった写真家の富山ひとみさんがサイゴンからホンダのカブでハノイまで行って写真集にまとめたことがあった。

私が素晴らしいなと思うのはホンダのカブで何でも運んでしまうと言うことである。これもかなりすごいが5年前に見たので1番感動的だったのはもっと長い鉄剤を前と後ろでライターが抱えて走っている姿であった。上海雑技団もびっくりである。

建設資材の売り場でブロックやら大量の鉄材を満載した本田がスタートするところを見た。何かメッサーシュミットが離陸する直前のような感じなのである。

長い物を運ぶ本田には人間の叡智とヒロイズムが沸騰している。

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2018年5月11日 (金)

河内ガリ版通信5 モノレールの新しい風景

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今回の河内は新交通システムに興味があった。当局はもう既に限界になっているバイクの大洪水を緩和するためモノレールを作った。昨年の秋にテスト走行するはずであったがまだ全く動いていない。
使われていない交通機関と言うのは極めて未来的で同時に廃墟的である。モノレールの巨大な線路を追ってハノイ中を歩きまわった。

しかしバイクが最も普及した交通手段であるからモノレールの駅まで歩いてチケットを買って階段を上って新交通システムに乗ると言うのは河内市民にとっては非常に面倒なことに違いない。

ちょうどドライブスルーのようにハンバーガ屋にバイクのまま乗り付けて買い物してそのまま去って行くと言うようなスマートな生活パターンは新交通システムでは無理である。😎

2018年5月10日 (木)

河内ガリ版通信その4 香港フラワーの楽園

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ハノイでもどこでもそうだが自転車を使った行商人と言うのは来訪する時間が大体決まっている。それでないとお客さんの方が困ってしまうのだ。

これは5年前にハノイに滞在していたときのショットである。この香港フラワーセラーは毎日2度位私の住んでいたアパートの前を通る。実用の方が常に芸術の上を行っていると言うのはこういうのを見ても明らかである。

しかしこのセラさんよりレベルが上なのはやはり自転車で販売しているロータス売りのおばさんであった。これはまさに移動する極楽と言う感じがしたのである。
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2018年5月 9日 (水)

ガリ版通信3 午前11時味の素の歌全ベトナムに響き渡る

何十年も前からヨーロッパでは味の素は摂取してはいけないものの代表選手である。私も味の素使わないがコンビニで買ってくる食品とかいろいろ入っているのは長い命ではないので覚悟はできている。

ちょうど20年前にハノイからボロボロのハイエースでサイゴンを目指した時出発直後に旧市街フォン川のそばでラウドスピーカーから味の素の広告ソングがあたりを圧する勢いで鳴り響いた。毎朝午前11時に味の素の歌。
ベトナム戦争の時にアメリカ軍が毎朝グッドモーニングベトナムで始まる1連の宣伝放送を流していたそうだ。何かそれと重なってネガティブなイメージであった。
河内の大きな市場に行くと味の素の30キログラムの袋がある。ベトナム戦争の不発弾を見に行くようなつもりで怖いもの見たさにそれを見に行ったことがある。 😎
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2018年5月 8日 (火)

河内ガリ版通信2 古い建物の漢字の意味がわかる

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2000年の春にハノイからボロボロのハイエースで軍事境界線を越えてホーチミンまで行くと言う旅をした。最高時速が30キロなのである。国道を走っていると牛の群れや豚の群れが登場。横切ったりするので速度が出せないのだ。それでも20年前は時速30キロは国道1号線で最も早い交通手段であった。南北統一鉄道なんかもびゅんびゅん追い越すほどの速さなのである。

古い都Hueに古いお墓を見に行った。主催者が気を遣ってくれてベトナム語英語の通訳さんをつけてくれた。彼は1975年生まれなのでベトナム新人類なのである。広大なお墓の 刻印された石の文句は漢字で書かれている。ガイドさんにその歴史のアウトラインを説明したら彼は私がそれを読めるのにびっくりしていた。
フランスが植民地政策で漢字を読むことを廃したのでベトナムの人は漢字が読めない。
その意味でベトナムの人はかつての宗主国フランスの人に似ている。😎

2018年5月 7日 (月)

河内ガリ版通信1 行商のおばさんがおしゃれ

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自転車で行商のおじさんやおばさんがおしゃれである。
アパートの部屋で聞いていると呼び声がまた良い。江戸時代と言う感じがする。
自転車に大量の物品を乗せて販売しているのは30年前に既にどこかの人が写真集にしている。

ちょうど20年前にホーチミンルートを行軍していた北ベトナム軍の人がホーチミンルートの写真集を作った。それでハノイでこの人のインタビューする機会があった。
その写真集が非常に良いのであるが使っていた機材は東独生のエクサなのである。もちろんレンズは標準レンズ1本。
ホーチミンルートの運送手段は有名であって1台の自転車に300キロ位の荷物を乗せて運搬するのである。南北統一鉄道にしても単線であるから攻撃を受けても一晩で復旧する。これもすごいアイデアだと思う。

この行商のおばさんの荷物はそれほど多くないがパステルカラーで目に気持ち良い。
移動する100円ショップと言う所だ。😎

2018年5月 6日 (日)

GRギャザリング

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この間のGRファンクラブの記念写真である。皆さんいい顔している。日常生活でこれだけいい顔ができるものではない。この集まりが良かったのは何もメーカーが新製品を出してこれみろと言ってる上から目線ではない点にある。そういうとこに来るカメラファン連中は大抵耳学問のカタログオタクそしてスペックオタクさんである。今度の新機構はぼくちゃんの写真芸術に絶対必要なのとか言って翌日には完全に忘れていると言う連中が多い。

このファンクラブはGRの1番初期のモデルを持ってくるばかりかGR1を持ってきた人がいてそこら辺使用者のほうの年季が入っている。

逆に言うと怖い集まりで最新型のデジタルカメラの発表会というのがx物であるということがわかる。10年前のカメラだってちゃんと使えると言うことをメーカーさんは世の中には知られたくないことであろう。

ギャザリングのやり方がスマートであったのはちゃんとした写真作家をゲストとして呼んでいたことだ。私は最年長なので最初に10分間だけお話をして作品を見せなかった。その作品はこちらのブログでご覧に入れたいと思う。

もう一つスマートであったと思うのはこの集まりではプロの偉い先生がアマチュアを指導してそのレベルを上げてやろうと言う認識など最初からないと言う点だ。このアマチュア指導精神と言うのがめんどくさいんですよね。私はこれを高く評価しているのである。プロ写真家とアマチュア写真家は本来アマチュア写真家のほうがレベルが上であるということに関しては120年前にアルフレッドスティグリッツもいっている。

だから本来はゴルフのレッスンプロみたいな人も必要だがここに呼ばれた皆さんはそういう人とはちょっと方向の違うというかレベルが上の人であった。😎

2018年5月 5日 (土)

お花がライフワーク

お花がライフワーク
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植物や花の名作写真が好きである。私が大嫌いなのはデジカメの作例と称して毎日世界中で膨大に生産されるお花の写真なのだ。ただ無意味にお花をクローズアップして絞り開放でとって失敗したとかアポ頭ミクロンはボケがいいとかいって遊んでいるのである。

真面目なワークショップをやっているときにいきなり隊列を離れてお花に駆け寄る人もいる。どういう頭の構造になっているのか考えるがこういう人が本当のシュールレアリストなのであろう。

憲法で保障されている表現の自由であるから何をどうとってどう発表しようと自由だが何か白々しい感じがしますね。

東池袋の名もなきコロッケ屋さんが閉店してもう1年になる。それで様子を見に行った。東池袋の日立製作所の脇から路地に入っていくと昭和30年代みたいな鬱蒼とした植物の群落がある。

何が変わったかと言うと路地のエントランスの右側にある地味な焼き鳥屋さんはそのまま串カツの田中に名前を変えていた。時代はどんどん変わっていく。

そこの路地に子供の頃から慣れ親しんだお花があったのでそれを1本だけつんできた。ヒメジオンである。
名もなきころっけやさんはなんとなく寂れていてその寂しさは桂離宮みたいな感じがした。ころっけやさんの親父さんがにかいの雨戸に描いたピカソバリの絵画があるのだがそれは元気だった。

つんだお花を家に持ち帰ったらしぼんでいた。家人が慌ててそれをシャンペングラスに入れたのである。翌朝見たら元気になっていた。自然の造形の不思議さに打たれるのはこういう瞬間である。

少年の頃はかがみ込んでそういう草花を真剣に観察した。あれは人生の中で最も重要な時期であったと思う。😎

2018年5月 4日 (金)

、これが名物ハノイの袋小路

これが名物ハノイの袋小路

ハノイの街を真面目に歩いたのは6年前と5年前のことである。20年前に行った時はほとんど公式の訪問だったので五つ星ホテルに止まったりしていて街を見ることができなかった。

ハノイの街の北半分は政府の機関があったりするので袋小路と言う奴がない。だから街が面白くない。今回はハノイ中央駅の南側を集中的に歩いたのでそのさらに南側の場所に宿泊した。東京の感じでは大田区東雪谷5丁目と言う感じになる。ただし土地の高低差は無い。あっちこっちに池がある。洗足池と言う感じなのである。

ハノイ中央駅の南一帯の街並みは北爆の時に重点的に爆撃を受けた。人口密集度が高い地域だからである。あっちこっちが袋小路になっていてこれから先はいけないと言う所まで行って戻ってくると言うのが楽しみである。

これは自然に形成されたテーマパークと言う感じがする。
ヨーロッパから来たツーリストがそういうところを必死になってGoogle マップを見ながら歩いている。要するに道に迷わないようにしようと必死なのである。

こちらは道に迷うためにきているのだからGoogle マップは必要ない。試しにこの辺私が歩いた辺りをマップで見るとこのような感じになっている。入ったらそのまま一生出て来れないようなラビリンスの連続であるが私はマウスであるから一旦行ったとこはちゃんと記憶している。

それでちゃんとまた極東のこの町に戻ってきてまたハノイでラビリンスに行きたいなどと考えている。0e06b02bb9234b928f2c566f469535d2


2018年5月 3日 (木)

鈴木光学のデュアルフォーマットカメラ

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鈴木光学のPress Vanである。このメーカーはローマの休日でライターカメラを登場させて何かキワモノカメラメーカーのようで損をしている。
しかしこのカメラはユニークなメカニズムで素晴らしいと思う。

20年近く前に出した僕のカメラ達 = 1,000ページある本であってこれは夏に昼寝をするのに良い。プレス盤はそこにも収録されている。ところがカメラ、ジャングルであるからどこにあるかがわからない。それで新たに導入したのがこれだ。
程度の良い方はほとんど新品であるがシャッターが粘っている。もう1台の方は非常に汚いがシャッターもちゃんとしている。つまりここで教えられる事はクラシックカメラは常に使っていないとその状態が保てないと言うことだ。ライカだって修理の名人日暮里のマイスターも同じようなことをおっしゃっていた。

古い友達の小松さんが若い頃このカメラを借りて山登りをして傑作をたくさん取ったそうである。当時は真宮6がメインであったからそれに対抗して出したのであろう。ただしこのカメラは1953年に登場している。つまりベトナムのディエンビエンフーの戦いの年なのである。

間宮にしてもそうだが当時は自社製のレンズはなかなか難問であった。それでフミヤの場合は高千穂光学の瑞光を採用しこのカメラの場合は琢磨レンズを採用した。戦前のキャノンが自社レンズが用意できなくてニッコールを使ったのと同じ背景であろう。😎


2018年5月 2日 (水)

名取洋之助のベビーローライフレックス

のベビーローライフレックスImg_6672
Babyローライフレックスは本来女性向きのカメラとして作られたようである。ちょうどベル&ハウエルの35ミリの映画撮影機Eyemoは男性向きで女性向けにはそのフィルムの幅が半分の16ミリ撮影機であるFilmo、がマーケティングされたのと事情が似ている。

ロバートキャパもゲルダも6 × 6のローライフレックスの愛用者であったが確かに4 × 4のベビーローライであればかなり戦場での移動には軽量になったはずだ。

10年ほど前岩波書店から東京のシリーズの写真集を出版したときにその打ち合わせで入ったのが岩波書店の貴重な資料が保管してある書類倉庫であった。火事になると自動的にフロンガスが出ると言うところである。
写真集の担当編集者が仕事場にしていたからだ。

ふと見ると名取洋之助のコンタクトプリントのスクラップブックがあった。
それで打ち合わせがそっちのけでそのスクラップブックを見た。それは4センチ× 4センチのコンタクトプリントである。写っているのはアメリカで大陸である。1940年であった。名取陽之助は自分の行き詰まりを打開するためにアメリカに渡ったのである。自費での取材であったようだ。まぁそのほうが自由に動けるから有利な事は間違いない。
その時持参したのはベビーローライフレックスなのである。そんな歴史的な資料がいきなり自分の写真集の打ち合わせの時に目の前に登場したのだからこれは感激しないはずはない。

名取がベビーローライフレックスを選んだのは小型で旅がしやすいと言うところにあったのではなかろうか?

これはガラクタ屋さんで手に入れた固体である。ずらっと店を眺めてこのカメラに吸い寄せられるように接近した。こういう時は文化財の発掘のようなものであるから買おうか買うまいかと思案するのは野暮である。しかもPrice Tagは1.5カメラ円である。

ベストのカメラは40年前によく使っていてコリブリがそのカメラであった。
このカメラで宿泊した京都のTawarayaなどを撮影したのである。このカメラはベストサイズを半分に切ったものだが非常によく映った。それでアサヒカメラの連載に写真を出したこともあるがその内容は忘れた。

2018年5月 1日 (火)

藤田66にマッチするストラップ

Img_6630

1,970年代初めだからオーストリアウィーンに行く前である。大泉学園町2,207番地と言うところに住んでいた。日大の1年後輩の写真学科の連中がその奥の山形さんと言う家に下宿していた。それで彼らと親交ができた。大きなお宅で広い庭で秋になると落ち葉でお酒を温めて園遊会をやるような家だった。そこで後輩の1人が酒によってそのお宅の秘伝の杯をいけに投げたのである。

後で下宿人全員で海堀をしてそのお杯を探しだしたそうだ。このアクションをわれわれはシュールレアリストであるから

杯に池を投げる

と言うのである。
トリスタン・ツァラもこの用法にはかなうまい。

高田馬場の鈴木安兵衛商店で藤田662交換レンズ3本ついたのを買ってきてそれで写真を撮っていた。自分はいっぱしの写真家気取りで藤田66で山形さんの大きなお庭で撮影していたらいきなりシャッターが壊れたのでうろたえた。
カメラが壊れてもうろたえない最初の訓練がこれだった。

藤田の広角レンズ52ミリと言うのは国産最初のミドルフォーマットの広角レンズであった。
その作例というのが新宿御苑で撮ったものだった。この意味で新宿御苑と言うのはアマチュアの偉大なランドスケープのメッカと言うことができる。
今でも皆さんここにきて怪しげな身振りでデジカメで撮ってやっぱりアポずに苦労がいいとか何とか言っているのである。これが人間の本来の姿なのか?

藤田緑緑にストラップで苦労している。なかなか似合うストラップがないのである。我楽多屋さんのFacebookで紹介されていたストラップが欲しくなってお店に走っていった。値段は600円だった。土曜日なので1割引であった。このストラップは他にちょっと例を見ないデザインでなかなか良い。

さっき言った写真学科の1年後輩の友人のお嬢さんが作ったのが乙女ストラップと言う組紐を使ったやつでこれもなかなか良い。もう25年ぐらい使っているのでボロボロになった。今回手に入れたストラップはその後継者である。


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  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
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