フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

2018年3月31日 (土)

ブルーハワイではなくてブルーハノイ

Img_6212
最初にハノイに行ったのが2000年の春であったと思う。その時はハノイから延々と古いハイエースでホーチミン市を目指した。でもあまりにベトナムは広いので途中で飽きてホイアンで中止してドライバーさんにはハノイに帰ってもらった。

国道1号線を延々となんか南下であるがボロボロハイエースは国道1沿線上で1番速い乗り物であった。その翌年にホーチミンシティーのラウンジで沢木耕太郎さんにお目にかかったときに私は沢木さんよりも半年年長者なので先輩風を蒸して沢木さん、本当のベトナムを知りたいのならハノイにおいでなさい等といったのである。沢木さんは真面目だからその翌年に国道1号線を北上せよと言うタイトルで実際にハノイまで行ったようである。

2000年に私はベトナムデジタル紀行と言う写真集を出した。当時はまだリコーのGRでは出ていなくてR30とか言うモデルだった。それで撮影をしたのである。

あれから18年が経過した。当時のハノイと今のハノイが異なることはもちろんである。
最後にハノイに行ったのは2013年の11月とそれから12月だった。5年前の話である。

1月の終わりにリコーGRでのファンクラブの集まりで上海に行った。上海に行って戻ってくると次に行きたいところはハノイである。それでハノイに行くことになった。

5年前はハノイの中心部から北の方をずっと歩いたのである。今回はハノイの中心部から南をずっと歩くことにしている。というのもハノイでは歩く以外に適当な交通機関がないからだ。Google マップでハノイを見ていたら街の中央に真っ白なLINEがが緩やかに走っている。これが新交通システムであるのだが中国からの資本投下が遅れているので去年開通の予定がまだ開通していない。開通前の交通システムと言うのは非常にフォトジェニックなのでその撮影を思いついた。今から10年後には昔のハノイはホンダのバイクばっかりで大渋滞だったと言うことが昔話として語られるかもしれない。

政府はバイクをなるべく使わせないようにして新メトロシステムを使わせたいらしい。だから新交通システムが始まる前にとりかくハノイを撮影してやろうと思った。使っているデジカメのセットの仕方がわからなくて東京でテスト撮影をしたら画面が全部青くなった。
これが非常に気に入ったのである。

大昔のファッション写真で流行だったのはタイプピーのタングステンタイプのフィルムをデーライトでとることだった。世界が真っ青になるのである。わざとタングステンランプに色温度合わせてとったら不思議な風景ができるかもしれない。

ブルーハワイではなくてブルーハノイである。持参のデジカメはリコーとフジであるが色温度の違った作例写真を撮ってきましたから経費を出してくださいといっても皆さんちょっと理解できないだろうな。でもカメラ雑誌は面白がってくれるかもしれない。

ところで今年の復活祭は私の経験した中でも最も早い復活祭でつまり4月1日の今日がイースターサンデーのである。ハノイの復活祭にカテドラルを訪問するのも悪くない。思えば長いフランス植民地の歴史であった。

2018年3月30日 (金)

うなぎの野田岩。うなぎの宇奈とと

宇奈ととImg_6215_2

家人はうなぎが好きであるが私はそうでもない。以前ソリストなどをやっていた時にそれを依頼してきた先生が当時は音楽関係はお金持ちがやることであったから口がおごっていた。帝国ホテルのグリルの常連だったり野田岩の常連だったりするのである。

家人は野田岩のうなぎには慣れているがそれに対して家の近くにある宇奈ととと言うチェーン店の丼も結構食えない事はないと言っている。
以前は私も気にして銀座のデパートに大和田のうなぎを買いに行ったりした。これがやすいくしで3,500円である。それにそれに宇奈ととのワンコインうなぎはなかなか食えることがわかった。

昨日のことであるが朝から東京中をバスで動き回って花畑団地まで行った。帰りは八丁堀の宇奈ととで買い物をしようと意気込んで言ったら午後2時から社員研修のためお休みでシャッターが降りていた。
うなぎもお花見が好きと見える。
それで今日は午前中からそれを第一の目的にして買いに行ったのだ。昨日のチャンスを逃しているからダブルの1,000円のやつにした。それで大盛りが無料と言うので私のは大盛りにしてもらった。

食物と写真のレンズというのが似ているところがある。アポ頭ミクロンが良いと言ってそれにお金を使える人は良いが私はそういう階級ではないから安いジュピターのレンズを使っているのである。
数年前に新品の野口ルックス50ミリef 1.2とジュピターの50ミリを取り比べてこのブログにアップした。色は野口ルックスはニュートラルであるがジュピターは結構コントラストがあって好きな描写である。

野田岩のうなぎと宇奈ととのうなぎの味の違いと言うのは野口ルックスとジュピターの描写の違いみたいなものである。

2018年3月29日 (木)

我楽多屋さんでロードのグリップを発見

我楽多屋さんでロードのグリップを発見Img_6097
以前にも書いたが長年探しているのがロードのオリジナルグリップである。
探すとなかなか出ないのがこのグリップである。この間ガラクタ屋さんに行った時にオリジナルはともかくとして何か使いやすいグリップがあるような予感がしていた。こういう予感は私の場合当たるのだ。

それで手に入れたのがこのラバーを巻いたグリップである。値段は700円だった。
このグリップには使った記憶があった。確かでは無いのだが今田レックス様のオリンピアSonnar180ミリとか250ミリはレンズの手元のダイヤルでフォーカシングをする。その作業を助けるためにこのグリップがついていた。

しっかりラバーが巻かれているので手のひらの密着感が異常に高いのでカメラをコントロールしやすい。その刻印を細くルーペで見るとブランド名があって最後にDRPとある。戦後の製品なのにドイツ帝国パテントと言うのはおかしいのだがそういう長い歴史を持ったブランドなのであろうか?

この新しく手に入れたグリップはロードのオリジナルのグリップよりも操作性は良い。ロードのグリップは昭和30年代のものであるからグリップの内部に3枚のフィルターを格納できるようになっている。これはほとんど現代のようには立たないのだ。

2018年3月28日 (水)

私のBar

Dscf2108
新橋から有楽町にかけてのレンガ造りの高架線は多分明治時代に作られたものであると思うがいい感じである。ベルリンの市内電車の高架線に非常に似ている。

高架線の下にあるのが酒屋の食安である。六本木ヒルズに仕事場を持っていた時に帰りにはガード下のスタンディングバーによってちょっと一息ついた。
六本木ヒルズクラブのBarも悪くないがあそこは接待ように使っていたので気が抜けない。
自分を接待するのに使うならこういうところのほうがいい。

ただしこの場所はタバコを吸う人間の駆け込み寺みたいなところがある。私はタバコの煙が嫌いだからその日の風向きでちゃんと場所を設定することができる。砂漠のキャラバンの風上に陣取ると言うことだ。

私の好きな場所はここである。営業用のガス管が2本出てきてその先端が閉じられている。そこにつかまっていっぱいやると実にリラックスできて良い。1日の肩の凝りもこれに捕まるとほぐれるのだ。

そのことが癖になってダークルームでプリントする時も配管の水のパイプにつかまっていたりするのである。習慣というのは恐ろしいものです。

2018年3月27日 (火)

今年は木村伊兵衛葉桜まつり


今年は桜前線の移動が10日ほど早いようだ。桜には桜の都合があるからそれを人間どもが勝手に自分のスケジュールに組み込むと言うところに無理がある。東京カメラクラブで1時上野の公園の桜のそばで例会をやろうと言うので毎年お花見を設定していたがこれが愉快なこと合わないのである。
2週間ほど平気でずれたりするからすごい寒い桜の木の下で避難訓練のような感じで酒を飲んだりあるいは桜の葉っぱだけになってから手持ち無沙汰に桜見物をすると言うのが常であった。

4月8日の日曜日は8回目のブラパチワークショップの木村伊兵衛桜祭りがある。桜前線がもう行ってしまうので急遽木村伊兵衛葉桜祭りにした。
ブラパチワークショップの参加者の皆さんは桜が見えないと言って怒るような一般人では無いからそれはそれで問題は無い。私は桜よりも葉桜そして葉桜よりも青柳が好きなのだ。

この佃三角公園は木村伊兵衛が1971年に好きなスナップを撮影している。
この桜は1本桜であって公園も小さいから目立たなくて見過ごされることが多い。そこが好きなのである。地元住民が置いた椅子やらベンチやらトータルで10個ほどの座る場所があるからここでワークショップをやろうと考えている。その後佃のラビリンスをご案内して最後はバスで豊海水産埠頭まで行って佃煮島の全貌を見ようと言うわけだ。佃島はよくマンハッタンと比較される。サイズはまるっきり違うが島の形がなんとなく似ているのである。
参加希望の方はこのブログの左上にあるメールから連絡。
Img_6180_2


2018年3月26日 (月)

わ!

Dscf2100

武蔵小山の駅を出た南口のところに流行っている焼鳥屋があった。そこのお母さんは元はモデルさんで秋山庄太郎さんとか大竹省2さんのモデルになったっていたそうだ。だからプロのカメラの用語がどんどん出てきてハッセルブラッドとかローライとかリンホフとかそういうのが実に自然 に口から出てくる。
この焼鳥屋は人気店なのだが唯一残念なのは焼き鳥が全部たれて食わせるのである。下町江戸っ子佃島の私からするとこれが気に食わない。武蔵小山がカントリーと言うのはそういう意味だ。

一流企業アパレルの社長ビクトリーが以前会った時焼鳥屋とか飲み屋全部なくなってそこにタワーマンションができると言う話を聞いた。それで様子を見に行ったらにょきにょき立っているところだ。

マンションの名前を見てびっくりした。よほどすごい建築家がつけたのであろう。こういうユニークな名前は後世に残ると思う。
仕事で世界中の流コルビジェの集合住宅を取材したことがあるがこういう一文字の名前の集合住宅は無い。その意味で20世紀を超えていると言うこともできる。

2018年3月25日 (日)

花より青柳

今の住んでいる場所リバーシティ21ができたのは1989年の4月である。だからもうすぐ30年になる。
ここは桜並木が有名で春になると大変な花見客がやってくる。でも歴史的なバックグランドはなくてたった10年を3つ重ねただけのつい最近の話なのである。

私は変わり者だから桜は好きではない。

花より団子と言うが私の場合は花よりも青柳である。
青柳と言うと例のばかがいの舌も好きだがここで言うのは柳の若葉のことだ。

石川島から佃島に渡る木製の橋ができてもう20年以上になるがちょっと粋なはからいで佃島の水門の岸辺に柳が植えてある。それが春になって若葉が芽吹いてくるのが好きなのだ。
実際この微妙な色は何とも言えない。

それで佃島を徘徊してる時など青柳を見ると神経が休まる感じがする。そこで私が待っているのは葉桜を楽しむって言うことだ。
まず老人のひねくれた趣味ということです。Img_6143


2018年3月24日 (土)

アンリカルティエブレッソンの汗

の汗Img_6130

カメラのクローム仕上げと言うのは1,930年代のライカから始まっている。それまではブラック仕上げが普通だったからライカがクローム仕上げになった時あんなピカピカ光るのはライカではないと言われた。

クローム仕上げと言うのは非常に強いカメラの仕上げなのである。ところが以前ネット上で見たアンリカルティエブレッソンが何十年も愛用している頭ミクロンの50ミリレンズがすごかった。クローム仕上げがほとんどなくなっているのである。それを指摘してくれたのはカメラ友達の突撃隊長であった。

いったい人間の身体から出る汗でこれほどクロームが溶解するものなのかと思った。つまりブレッソンはSNAPの天才でもあるがレンズのクローム仕上げを溶かす方でも特別な才能を持っているわけだ。

仲間内ではこれを汗がきついと言うのではなく手の汁が強いと言ってビックジョークにしていた。つまり手汁である。

1,970年代にwinで使っていたニコマートFSと言うモデルがクロームがほとんどはげていた。
最近ではブラックペイントのカメラに熱を上げる人間も少なくなっていたがその先の段階ではクローム仕上げのカメラが削れでブラスの地金が出ると言うのはかなりエキセントリックな事だ。

このロードのカメラは非常に使い込まれているようで右手の接触した部分のクロームは完全に溶けてしまってして下の地金が出ている。大したものだと思う。
そういうことに私は35ミリフイルムカメラの美学を感じたりするのだ。

さらにすごいのはこのロードカメラの反対側の金属カバーを見るとこれは新品同様なのである。あまりに激しい手の汗で仕上げの良いカメラのクロームが禿げるとと言うことだ。
あのアンリカルティエブレッソンがこのカメラを使っていたのではあるまいか? 😎

2018年3月23日 (金)

桜の写真について

桜の写真についてImg_6153

私にとって桜の花は春に咲くバラ科の植物と言う位の認識しかない。これは長いことヨーロッパにいたせいかもしれない。桜を撮った写真で1番良いのは理フリードランダーの桜狩りである。
まさに額面通り桜をモノクロで映している。
日本の写真家の場合は桜に対して特別の思い入れがあるからあの東松照明さんすらそこに日本の思想を読み込もうとして苦労したりしていた。

昨年亡くなった山崎博の場合は1,200ミリレンズにテレコンバーターを何個もつけて桜の花をクローズアップしていた。これはコンセプトの勝利と言って良いので であろう。

家の前にある桜並木は30年ほど前に作られたものインスタント桜である。桜の時期と言うのは10日から2週間ぐらい前をするのが普通だから下の散歩道でお花見をやっている皆さんがいるが上で音を聞いていると結構なそう音である。普段これをやっていたらポリスが巡回に行くであろうが日本国か憲法はそこら辺がフレキシブルだと思う。
お花見と言うのは1種の笈瀬参りみたいなものなのだな。

1983年の春にニューヨークにいた時にニュージャージーのホーボーケンにお花見に行った。
もともと日本から送られた桜であるらしいのだが桜を楽しんでいるアメリカの市民はフランクでとても良かった。真珠湾なんか全然気にしていないのである。

私は一本立ちの桜の木が好きだ。中央大橋を渡った西側に私が勝手に隅田川鍵形桜と名付けた桜があった。クランクシャフトみたいな格好の一本立ちの桜である。開発を免れていたのだがついにマンションの敷地に取り込まれて切り倒されてしまった。その部屋に暮らしている人は今でも桜の木が夢枕に立つのかもしれない。

その桜の木は大昔に出した東京散歩カメラと言う写真集に掲載されている。桜の命は短いが写真の命は長い。

4月8日はブラパチワークショップのイベントで木村伊兵衛桜の前でワークショップをやる。1971年に木村さんはここ佃の三角公園で子供たちをスナップした素晴らしい作品がある。今の桜の進行からすると葉桜になりそうだが葉桜私の好むところである。
木村伊兵衛桜は一本立ちです。

2018年3月22日 (木)

ミノルタV2にブラックテープを貼る

Img_6116
レンズシャッター式のレンジファインダーがなぜ好きなのか?考えてみるにレンズ交換ができないことだ。つまりアポ頭ミクロンとか6時ルックスが欲しいと思ってもそれを手に入れる術がないと言うことだ。そこら辺がストイックで良い。

Neocaと言うカメラに帝国光学の頭脳45ミリが付いている。それで気にいっているのであるがこのカメラの描写が何で良いのかと考えたところどうも45ミリのレンズが付いていると言うのがその理由らしい。
45ミリのレンズと言うのは50ミリより5ミリ短いと言うところに何か形而上学的な発見になりそうだ。

ミノルタV2にも45ミリのレンズが付いている。登場したのはニコンSPとほぼ同じ時期である。カメラのPhilosophyから言えばニコンSPはレンズ交換ができるがミノルタのほうはレンズ交換ができないからそれだけ特殊カメラと言うことになる。
これは正しい分類の仕方である。
なぜならそれから数年後にミノルタはいマチックのカメラがスペースカメラとして使われているからだ。

V2はレンズは良いしシャッターは静かだしフイルム巻き上げは非常に軽い。フィルムが入っているのか入っていないのかわからないほどである。手元のカメラジャングルの中に数台のこのカメラがあるのだがこの間それを発掘してフイルムが入っていないと思ってからシャッターを切ったら巻き戻しクランクが回転している。それほど巻き上げが軽いのである。

しかしフロントから見ると仕上げの良い非常に上質なライカM3と同じ位の綺麗なクローム仕上げがある。それがピカピカしてるので気になるからブラックテープを貼ろうと思ってこのようにやった。

アンリカルティエブレッソンのブラックテープを貼ったカメラと言うのは伝説的なものであってその仕上げはかなり汚かったらしい。それにならってかなり大雑把にブラックテーブルを貼ってみた。
これでスナップの腕が3段階あがると言うのはもちろん幻想である事は言うまでもない。

2018年3月21日 (水)

マリリン!!

Img_6114
マリリン・モンローはすでに歴史上の人物である。でも1,970年代にはマリリンはまだ現実的なキャラクターであった。野坂昭如がマリリン・モンローノーリターンと言う歌を歌っていたな。
その野坂さんが講談社から出版されたばかりのアメリカひじきだったかなんであったか忘れたがその新しい本を音羽の大塚警察署の前の横断歩道で表紙を表にして誰にも見えるような感じで信号待ちをしていたのも微笑ましい。
大作家も当時青二才だったわけだ。

私がお世話になった月刊日本橋と言うタウン誌の出版元もマリリンと言うのであった。経営者がマリリン・モンローのファンであったのであろうか。そのタウン誌で10年間連載をやっていた。その時の原稿料は決して高い原稿料ではなかったが今思うと原稿料の価格は30年が経過したのに全然変わっていない。写真家が貧困になるのは当然の話だ

ニコン生誕100周年か何かの広告でマリリンがカメラを持った写真が品川駅とかJRの車内にあるそうだ。私はそっち方面にいっていないので見ていません。
この写真を撮影したブルックリン生まれの写真家のバックグランドに関してはマンハッタンの怪人調整さんがリンクをメンションしてくれているのでよくわかった。
私が気になっているのはマリリンが手にしているカメラの巻き戻しクランクがオンになっている点である。
通常考えられるのは何かのニュースギャザリングで1段落撮影が終わった時にその写真家がフイルムを巻き戻してマリリンちゃんちょっとこのカメラ持ってくれる?と言うので1枚撮影したと言うストーリーだ。

その時に写真家の巻き戻しクランクを戻すのを忘れたのであろう。これはマリリンに言っても彼女が素人だろうからそれは無理と言うものである。

この画像を入稿するときの広告代理店の若い人もおそらくデジカメしか使ったことがないだろうから巻き戻しクランクが立っている事はチェックできなかったのであろう。複数の人間が見ているのに誠に残念だ。なぜ残念なのかと言うと巻き戻しクランクが立っているニコンは働いているカメラではなくてオフのカメラであるからだ。こんなのPhotoshopでちょいちょいとやればすぐ消せるのである。

ニコンの カメラの栄光の歴史100年なのにちょっと残念だ。似たようなちょっと残念なポイントと言うのはキャノンの場合でもあった。これはカメラ雀の間で結構有名なストーリーである。キャノンがカメラの生産台数1億だったか2億だったか忘れたがそれを記念してブロンズのキャノン4 SBを関係者に配った。
その等身大のブロンズ像であるがレンジファインダーの飾りリングがないのである。カメラコレクターとしてはレンジファインダーの飾りリングがないと言うのは片目が不自由みたいなものである。おそらくこれも企画した当時にクラシックなキャノンのモデルに精通している人がいなかったからこんなことになってしまったのであろう。
ニコンの巻き戻しクランクが出ている、と言いキャノンのレンジファインダリングが失われている、と言いこれからこういう残念なポイントがどんどん出てくるに違いない。
それほど日本のカメラが過去の歴史の栄光の中に埋もれていくからである。当時のことを知ってる人はみんなお墓の中に入ってしまった。

2018年3月20日 (火)

家人のお弟子さん藤枝さんがフィレンツェで活躍

藤枝さんは家人の音楽大学の教え子である。23年前に初めて学生として出会った時に彼女の質問はジャズは教えないんですか?だった。
その印象が非常に強くて家人はいまだにその時の話をしている。その後ロータリークラブの奨学金を得て藤原さんはフィレンツェに留学した。10年以上前の話だ。

最近教会で開いたリサイタルでその画像を送ってくれたのだが家人の持っているのはガラケーなので画像が大きすぎて見ることができない。それで私のほうに画像を送ってもらって非常にびっくりした。フィレンツェの由緒ある立派な教会で名前はイタリア語だし長いのでちょっと忘れてしまった。とにかく大したものだと思う。

神の代理人が頑張っているイタリアの土地柄であるからこのぐらいの立派さは神の代理人の出先機関としては当然なのであろう。そういうのに比べると宗教音楽はいずれにしても極東はポイントが悪いと思う。私のようにカソリックの教会を見慣れている人間からしてもやはり凄いと思うのである。文化のレベルというか歴史というか建築のレベルが違いますね。ただし耐震構造になっているかどうかはまた別の問題が。

教会のインテリア右側に高いイントレが組まれていてこれは言うまでもなく美術修復をしているのである。40年ほど前でミラノに行った時にレオナルドの最後の晩餐がやはりそういう状況であってそれを仕事で撮影したことがあった。工事用の照明はあるがそれ以外は何でもないようなところで小さな三脚で長時間露光で撮影したがこれは私が非常に大切にしている画像である。なぜならその10年後に同じミラノの教会に行ったら完全に最後の晩餐は修復されてしまっていた。
風呂屋のペンキ絵画のようになってしまったからである。
三保の松原に富士山と言う感じがした。修復も考えものだなと思った。

いずれにせよ藤枝さんがこういう素晴らしい環境で自分の音楽を実現することができるのはこれは運命と言う他にない。どんな運命の流れであろうがポジティブな運命の方がネガティブな運命よりが強いということをわれわれは認識すべきである。😎
Img_6108


Img_6110


2018年3月19日 (月)

パチンと固定されるインフィニティーロックの謎

Img_6084
高校生の頃、頭ミクロン35ミリのインフィニティーストッパーに憧れ
当時の日本は貧しい国であったからようやくライカは手に入れたけれどもライカの純正レンズが手に入れられなかった。当時の輸入代理店シュミットでこのレンズの値段は77,000円もしたのであった。それでライカスクリューマウントのニッコールとかキャノンレンズを使っていた。

ライカの先輩に聞いたのだがちゃんとした答えはなかった。
1人の先輩の答えはライカの距離計連動カムを傷つけないためにまず最初にレンズのフォーカシングリングをインフィニティーまで回してパチンと止めてからつけるのだと言う説明だった。これなどは全く納得が行かない。

エルスケンはタフな写真家であったからクロームのライカエム2に頭ミクロン35ミリをつけていた。フィルターもフードもつけていないのが彼流のやり方なのである。
エルスケンのポートレートで彼が好んでいたらしいのはインドネシアのスカルノ大統領とふざけて入るスナップである。写真家のエルスケンは首から短いストラップでクロームのM2を下げている。そしてそこには頭ミクロン35がついているのだ。
当時は大統領とか総理大臣はちゃんとした職業と思われていたから皆尊敬したのである。正岡子規ですが大きくなったら太政大臣になりたいと書いている。
職業に関する認識はこれだけ変わったのだ。

頭ミクロンのインフィニティーストッパーに関して言えばライカを使い始めて50年になるのに未だになぜこういうパチンとロックされるストッパーが付いていたのか分からないのである。
でも撮影の途中で暇なときに右手の人差し指でこのインフィニティーストッパーをパチンパチンとやるのは暇つぶしにもなるし頭ミクロン35ミリと遊んでいると言う感じがする。そこが素晴らしい。😎

2018年3月18日 (日)

🐦❤️ペットの葬儀とペットロス🐶🌈

義理の兄の愛犬が亡くなった。15歳と何ヶ月と言うような長寿であった。先ほど家人に連絡があって人間のように葬祭場に行ってそこで火葬してお骨になって戻ってきたそうである。

ネットで調べてみたらペットの葬儀と言うのは一大産業であるらしい。面白いなと思ったのは火葬のための車があるそうだ。要するにワンボックでやってきてペットの遺体をそこで処理して骨にするわけである。また別の業者によるとそういうやり方は良くないからちゃんとした火葬場でやると言うふうに宣伝しているところもある。

ペット火葬する車がどのようになっているのか全く知らないが私が気になるのは街中を流している焼き芋屋さんである。これは何十年来いつも気にしていたことでガソリンタンクを積んだ車の上に薪を燃やすようなドラム缶が横にすえられているわけでこれが江戸時代だったら火の気を持ち歩くから絶対許可されないと思うがどういう管轄になっているのかいまだにわからない。

とにかく問題なのはペットロスである。
私などは人情が浅いから両親の葬儀に関しては涙の一擲も出なかったが歴代の小鳥が死んだときには涙が出た。そういうものなのであろう。
4代目のライカインコが昇天してすでに10年目になろうとしているがようやくペットロスから緩やかに脱出しつつある。そういうことに比較すれば生活の苦労等は全くダメージにはならない。😎

2018年3月17日 (土)

🌈お祝い❤️潮田さんが土門拳賞


第37回土門拳賞(主催・毎日新聞社、協賛・(株)ニコン、(株)ニコンイメージングジャパン)が潮田登久子氏に決まった。受賞対象となったのは写真集「本の景色 BIBLIOTHECA」(発行・ウシマオダ、発売・幻戯書房)。

潮田さんについてはかなり昔からお付き合いがある。Apuちゃんが生まれたての頃に家人と遊びに行っていろいろごちそうになった。
家人は声楽家だがものまねもうまいので潮田さんの真似が得意である。それで今ご本人からではなくて家人のものまねで受賞の喜びをちょっと語ってもらった。

78歳の受賞と言うのはかなり上のランクであると思う。通常は若い人が受賞狙いに1年ぐらいどっかをとってそれでやっつけで写真集を出したりするのである。それはそれで向上思考があって素晴らしいことだけれど潮田さんには20年間と言うちゃんとした仕事がある。

昨年の東麻布商店街の潮田さんのPGI写真展に行った時道に迷った。あそこら辺は全然私は不案内なのである。
潮田さん曰く写真集の出版に大変なお金がかかったと言う。脇で島尾さんがまぁそういうこともお祝いでいいんではないかとコメントしていたのを思い出す。

潮田さんはハッセルブラッドが大嫌いでブロニカのエス2で全部撮影をしたのである。
写真展を一巡して印象に残ったのはこの作品は東洋の焚書の記録ではないかと思ったことである。
本がうち捨てられているように見えるのである。私が撮影した図書館と言うのはwinのナショナルビブロテイクとかコインブラの大学図書館などである。そーゆー西洋の本の保存の仕方と極東の本の保存の仕方と言うのは全く異なっているのが面白い。

大昔のちくま書房の写真もある。私もそこには行ったことがあるが昔のちくま書房はもともと古いお医者さんの木造建築の建物をそのまま使っていた。玄関を入ると受付があってそこに大きな鏡があって小さな受付の窓があったな。

その意味で潮田さんの今回の受賞作は極東の民俗学的なビブロテイクの記録であると言うことがわかる。
柳田民俗学みたいなものだ。
Img_6094


2018年3月16日 (金)

参加表明受付中です

https://m.facebook.com/events/1546350598795721?acontext=%7B%22ref%22%3A%2298%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&aref=98

JAL都道府県シールの事

都道府県シールの事Img_6068
この2年ほど国内線の飛行機に乗っていない。一昨年まで札幌によく行ったり大阪芸大に通ったりするには飛行機を使っていた。マイレージが切れそうになったので慌てて広島往復をしたのである。

都道府県シールと言うものが存在するのも知らなかった。なんでも昨年から始まったサービスで客室乗務員さんの出身の都道府県がそのまま切手みたいなシールになっているのである。これはなかなか魅力的だから集める人も多いのではなかろうか。

大昔のり茶漬けの東海道五十三次のカードを集めたことを思い出した。このカードの商業主義と言うのは意外と古くて私が持っているので1番大事にしているのは1,930年代のドイツのタバコのパッケージカードである。飛行機の歴史がそのまま何百枚下のカードになっていてそれがシガレットのパッケージに封入されていたらしい。私の持ってるのはそれのお揃いのアルバムなのである。

お客さんと客室乗務員さんがこういうところでコミニケーションを取ると言うのはアイディアとしては上層部の指示ではあろうがばかばかしいところが良い。Pokémon GOなどよりもはるかに知的水準が高いと思う。

国内線に乗る事はほとんどないので国際線の思い出と言えば日付変更線証明書類とかコックピットのクルーのサイン入りの証明書などももらったことがある。こういうのが意外と大事に取っておくものです。
アエロフロートのかなり初期のファーストクラスのサービスで立派な金属製のお盆をもらったことがあった。それをヨーロッパ中持ち歩いて結構な荷物になったがちゃんと極東まで持ち帰っていまだに使っているのである。
ベトナム航空が日本とハノイに飛ぶようになった初期に立派な飛行機のフィギアのクリスタルグラスを乗客にくれた。大変高価なものに見えた。 2000年に出した私のベトナムデジタル紀行と言う写真集にそれが掲載されていると思う。立派なクリスタルである。

都道府県シールのことで思い出したのは銀座に長いことあった白いバラと言うキャバレーである。全国の都道府県の地図があってそこに女性のカードがかかっていた。
この場合はローカル色が満開なのである都道府県カードの場合はインターナショナルな感じがするのでそこが痛快である。
しかし残念ながら今年も国内線に乗る予定はなさそうなのでこれ以上都道府県シールが増える心配はなさそうだ。


2018年3月15日 (木)

パノラミックヨーロッパ

Img_6073
パノラマカメラが好きである。その最初のきっかけは1,960年代にスイスのカメラ雑誌に発表されたプラハの写真家Sudekの作品を見てからだ。
そのパノラマの写真集は1957年にプラハから出版されている。20000も印刷られたにもかかわらず市場ではほとんど見ることがない。私が勉強していたニューヨーク近代美術館のスタディールームでもこの写真集は鍵のかかる書庫に入っていた。それほどレアなのである。

プラハの古書店で1年に1回ぐらいこの写真集が出ることになってかなり高かった。無理をして買ったりしていた。20年ほど前に完全なその復刻版が出た。プロボークの場合はページ数は少ないし印刷はあまり良くないがこのパノラマ写真集は素晴らしいから復刻版を買う価値はちゃんとある。

いつか私のヨーロッパのパノラマ写真集を作ろうと思って約300枚のプリントを用意していた。そのプリントの存在が忘れられたままになっていてつい3年ほど前に出てきたのである。
そのプリントを冬青の高橋社長ににお見せしたらEdirion Zenが出版を引き受けてくれることになった。

九州にお住まいの秋澤さんが1979年12月に当時のカメラ毎日に掲載された私のパノラマシリーズを発見してコピーを送ってくださった。大変ありがたいことである。自分が発表したカメラ雑誌の作品等は40年も前だと完全に忘れてしまう。

これは1台のソ連製パノラマカメラで撮影されたものである。当時ザルツブルグでワークショップをやっていた。今思うとそうそうたるメンバーでラルフギブソンとかシンディーシャーマンも同じワークショップを持っていた。
ザルツブルグのお城の1部に宿泊していたのは主催者がホテル代金を倹約するためのアイデアであったのだろう。ワークショップの時間以外にダークルームが使えるので300枚ほどのプリントをしたのである。その仕事が先日あるコレクションに収蔵されることになって200数十枚のプリントにサインをした。40年以上前のプリントであるが別に変色もしていないのが感激であった。

2018年3月14日 (水)

イコンタの皮ケースにしびれる

Img_6038
これは戦前のイコンタスーパーシックスの皮ケースである。
カメラは中国向けに輸出されたものだ。それで徳国製とアクセサリー代に刻印がある。漢字が刻印されているカメラというのが中国にはあるがそれ以外の国には少ないこれはなかなか格好が良い。
1番最初のスーパーシックスなのでファインダーと距離計のアイピースは別であるが実際にはそのほうが使いやすいと思う。

広島に行って大雨にあったわけだがきせずしてこのイコンタの皮ケースがすごい役に立った。
最初期のイコンタの皮ケースは昔のカメラの名残があって皮ケースの上にハンドルがついてこれを持ち歩けるのである。そこら辺が奥ゆかしい。80年以上前に作られたものなのに側の質がしっかりしている。ストラップは交換されたものかもしれないがそれにしてもなめらかで強いので肩から掛けて持ち歩いても何の心配もない。
革ケースのフラップはイコンタ全部大仰なちょっと大げさな構造になっているのだな実際に使ってみて瞬時にカメラのレンズを出すことができて撮影後また瞬間的にしまうことができる。
こういう迅速な操作と言うのは実際その環境に自分をおかないと話であってとにかく大雨なのである。
戦前のイコンタは66番で11枚が取れる。戦後のイコンタが12枚取れるようになったがフイルム感覚が不安定であるものが多い。それで戦前のイコンタは安全性を見込んで11枚とちょっと抑えていただけた。
荒木の30年以上前の写真集で懐かしのイコンタというのがあったの思い出した。
父親のイコンタを使って撮影したと言う触れ込みでその真偽は別にとはないが荒木が売りだした頃のいわゆる女の子の写真でこれは面白くもなんともない。でもその描写は戦前のするのであってそこが魅力的だ。やはり荒木は偉大な路上写真家なのである。

2018年3月13日 (火)

ブラパチワークショップ報告足立区関原3丁目リスボン公園今昔

足立区関原3丁目リスボン公園今昔Img_6062

一昨年の2月であったと思うが足立区関原3丁目の私が名付けているリスボン公園に行ったら工事中で中に入れなかった。ここは私がリスボンに行く前の日などに行ってリスボンに行くための呼吸を整える大事な場所なのである。それで実際にリスボンに行くと今度は東京のリスボン公園が恋しくなってリスボンRossio駅の裏の高台にある細長い公園に行ってそこで東京から持ってきたワンカップの日本酒を飲んだりする。こういうユーラシア大陸上でのあっちとこっちの方向感覚の混乱を楽しんでいるのである。

ブラパチワークショップとして初めてリスボン公園に出かけた。その前の週にロケハンに行ったのだが大雨であった。撮影会とかワークショップはこれはエンターテイメントであるからやはり天気が良いほうがありがたい。

当初の予定ではリスボン公園のすぐそばの酒屋さんの自販機でしかカップを買ってそれでそばの惣菜屋さんで焼き鳥を買うと言う手順であったが焼鳥屋さんは日曜日が休みなのである。ところがありがたいことにこの前のブラパチ宿ではお店が開いていたお店の人に聞いてみたらたいていは日曜は閉めるのだが時々空いていることもあると言う。それでありがたい公園でのパーティーになった。

毎回参加者の皆さんのカメラをいろいろな場所に並べるのであるが今回は滑り台の店分に並べた。まさかこういう展示の仕方ができるとは想像もしなかったのでうれしい。つまりひと月遅れのひなカメラ祭りと言う感じがする。

昔のリスボン公園にはベンチが2つと子供用の遊具が3つしかなかった。それでお昼の時間になると近くで働いている人がお弁当を持ってきて座席の取り合いになるのである。ラッコが上向きになっているインカ帝国のいけにえテーブルみたいな格好の子供の遊具もあった。そういうところに大の大人が座ってお弁当食べているのは何か人間の本性は善人であると言う感じがしてよかった。

この公園の有名なエンターテイメントは隣に安い八百屋さんがある。そこのご主人がDJポリスではないがなかなか面白いトークをやってくれるのだ。私のCAMERA TALKなどよりずっとプロフェッショナルで面白い。でも日曜日は残念ながら閉まっていた。
Img_6063


2018年3月12日 (月)

広島のシーメンスの路面電車

広島のシーメンスの路面電車Photo

広島弾丸ツアーで雨がひどいのにびっくりしたがそれよりもびっくりしたのは広島の路面電車がシーメンスの5両編成であったことだ。これには本当にびっくりした。

広島の建物のスカイラインが落ち着いているのでまるでフランクフルトあたりの気分である。いやフランクフルトは大した事なくてそれよりもシーメンスの路面電車が走っている世界のどこかのモダンな同時に歴史的な都会と言う感じがする。それに加えるに歴史的な意味の原爆ドームがある。そして街の風景は一面のグレーの背景の大雨の中にけぶっているである。こういう印象的な街並みは一生忘れないと思う。

シーメンスの路面電車はドイツだけではなくてリスボンも走っている。ハイブリッドで音がしないので路地裏から大通りに出る時は注意する必要がある。1,890年代生の英国製のちんちん電車のほうはモーターの音が大きいからそういう心配は無い。
電子爆弾で被爆した当時の路面電車は今でも現役だそうだ。広島市は生きた路面電車の博物館だな。

数年前大阪芸大に通っているときに京都でPASMOを紛失した。まだ3,000円以上の残高があったので残念だった。それでやむを得ずICOCAを買ったのである。
今回嬉しかったのは広島空港から都心に行くバスもそうだがICOCAが使えるのである。PASMOが使えないのだ。関西から西の経済圏がそんなところに反映されているのであろうか?

路面電車はPASMOはだめだがICOCAが使える。料金は180円である。車内はヨーロッパのシーメンスの路面電車そのものの室内出会って東洋人のお客さんの数が多いなと言うのがちょっと異なる。

いっぱくして翌朝広島駅に行く道をロストしてしまった。ホテルから直角に交差するリバーを2つブリッジで越えなければならない。それを間違えてしまったのだ。
私の嫌いなアパホテルをランドマークで覚えていたのだがホテルJALウィングから出て橋を渡ってからその目標のアパホテルが見えない。川沿いをすれ違おうとするおじさんに聞いてみた。

失礼ですが広島駅にはどう行くのでしょうか?
おじさんの答え

分りません。私は田舎者ですから。

東京の田舎者が広島の田舎者に駅への道を聞いてわからないと言うのはお笑いの台本作家もちょっと書けない面白さだ。

以前蒲田駅の駅のそばで道に迷って蒲田駅の場所を聞いたらパチンコ屋のお兄さんはすぐを教えてくれた。あまりにも建物が迫っているのでパチンコ屋のすぐ裏が蒲田駅であることがわからなかったのである。

広島駅の環境が非常に優れていて東京駅見たいおなごみごみした感覚が全然ない。かなり優れた都市計画が展開されているものと思われる。

坂崎幸之助さんと以前あっちこっちでトークショーやってる時に坂崎さんのファンの女性がよくもみじまんじゅうをくれたのでそのことが坂崎さんと話題になったこともある。ニャロメさんと言うハンドル名の人だった。彼女は1時広島に住んでいたらしい。

そのもみじ饅頭のお店がそこら中にあるのにもびっくりした。これはお好み村より下有名なランドマークなのではあるまいか?

2018年3月11日 (日)

🐦❤️ 4月8日日曜日は佃木村伊兵衛葉桜祭り❤️🐦

木村伊兵衛さんは佃島をたくさん撮影しています。その中で1971年に佃島の三角公園で撮影した傑作写真があります。そこには1本だけ桜の木が立っています。私はこの桜を木村伊兵衛桜と呼んでいます。カメラのことを写真のことを楽しみながらここで葉桜見をしましょう。もちろんミステリーツアーで知られざる佃島の路地裏の裏もご案内します。

参加表明は左のリンクをクリックするか左上のメアドにダイレクトメールください。お待ちしています。

3_2

🌺現在ブラパチワークショップのホームページがつながりにくくなっています。参加希望の表明は左上のメールにダイレクトでお願いします。

2018年3月11日 (日)

お好み焼きの材料費をうんぬんするほど子供ではありませんが

お好み焼きの材料費をうんぬんするほど子供ではありませんがImg_6028
今回の広島弾丸ツアー。原爆ドーム並びにお好み村に行く予定が大変な雨だ。
それでお好み村に行って原爆ドームはやめたとなると周囲からの追及が厳しそうなのでお好み村に行くのはやめた。

私は一応プロ写真家であるから、天候の良し悪しは関係ない。これほど激しい雨の中で原爆ドームを取れたと言うことが貴重な体験であった。ただしデジカメでは無いのだから現像まだしてないので結果はわからない。それがまたいいですね。

それでお好み村の義理を果たした帰りにボーディングゲートの脇にあるお土産屋でお好み焼きを1つ買った。
お好み村のお好み焼きはブランドなので1,300円位する。原価計算から考えると非常に高い。粉と野菜のクズでできているわけだからこれが高い。
それでずらり並んだお好み焼きのブランドの中で1番安いこれを選んだ。五右衛門と言う。

私は佃に住んでいるのでよく月島のお好み焼き屋にいきましょうと誘われるのだが面倒だから父親の遺言でお好み焼き屋もんじゃには行かないと断っている。

考えてみればお客に全部調理をさせて金を取るのだから良い商売である。若いカップルがおままごとのつもりでやっているのなら良いがもともとだから年寄りには向いていない。その考えが変わったのは半世紀ほど前だが仕事で出かけた大阪ではちゃんとお店が焼いてくれると言うことだった。
お客に調理させると言うのは無責任な話でどっかのフレンチビストロで材料が全部用意してあってゲストにフレンチを作らせるようなものだ。

25年前に行った広島では私の読者の方がお好み村に案内してくださった。木造モルタル2階建てみたいないい感じの建物であった。今ではドンキホーテの裏に堂々たるビルディングが立っている。

ナポリに行った時にピザが食べたくなって探し回って発見できないこともあった。この種類の粉もので言えば北京で屋台で売っているせんべいが好きである。
でもそれも北京オリンピック前の話であるから今も屋台が北京の街を流しているかどうかわからない。
別にお好み焼きの材料の原価計算をして文句を言うほど子供ではないが今回の弾丸ツアーのちょっと残念な結果がこれである。別にお天気のせいにしているのでは無いぞ。

2018年3月10日 (土)

広島と偽物の広島

Img_6024_2


Img_6025
広島行きは大雨だった。一晩しか宿泊しないので到着してすぐに撮影に行った。イコンタの戦前のやつを持ってあちこち雨の中を歩きまわった。
傘はさしていた。羽田空港で拾った小さいビニール傘である。広島に到着したら大雨だったのでこれが非常に役に立った。

宿泊したホテルはホテルJALウィングである。
川沿いのなかなかいい感じのホテルである。あまり深く考えずに部屋から1枚写真を撮ってそれをFacebookにアップしたら島根の小池さんがコメントしてくれてスカイツリーがないと驚いているのである。最初は何のことかわからなかった。
要するに佃の風景と広島の風景があまりにも類似点が多いと言うことなのである。
風景と言うのは人間が構築したあるいは自然のままのランドスケープの記録であるから類似点が出るのは仕方がない。しかし小池さんが指摘された通りよく見ると広島の風景が本物で佃の風景は偽物の広島と言う感じがする。それが面白かった。

25年ぶりの広島はそれなりにいろいろ面白かった。それをこれから分析してようと思っている。

忘れていた。日曜日は3月の寂しいライオンツアーである。お申し込み引き続き受付中です。

😎ブラザーによって画像が逆さまになっているようです。大型カメラで見たピントグラスだと思って我慢してください。🌈⛩🐦😎


2018年3月 9日 (金)

雨の広島モナムール

Photo
内田100件の阿呆列車。
あれは用もないのに旅行すると言う話でそこが素晴らしい。私も用がなくて旅行をしたい。昨年から日本航空が行きなことを考えて6,000マイルで日本のどこにでも行けるのである。通常は国内は16,000マイルからだからこれはお得である。行き先はこっちで指定できないミステリーツアーだ。そこが面白い。

それで申し込んだら広島に当たったのである。広島と言えば昔はオイスターに当たったりしてニュースになったがこれはそうでは無い。それで弾丸ツアーで一白2日で広島。
ところが私等はまだ素人があって隣のビジネスマンの紳士はいつも日帰りで広島に行っているそうだ。ジェットセッターである。あるいはボーイングボーイングである。

広島は25年ぶりだ。以前坂崎さんと私で1冊の写真集を半分ずつ取ったことが、その時は私は広島と山陰地方をテーマにした。
25年前は私が広島に来ると言うことを私の読者さんがお好み村に招待してくれた。木造2階建てのようなお好み村であった。それが地上10階建てになったらしい。だから今回のミッションは原爆ドームとお好み村の文ちゃんと言うお店に行く予定だった。

ところが全く予想できない大雨で予定が狂ってしまった。お好み村を撮影して原爆ドームを撮影しないと言うのでは世界から批判が来るのでお好み村は次回に回して原爆ドームを撮影した。
真っ暗で大雨で歩いているのは外国人ツーリストばかりだった。広島と言う街は外国人が似合う。ただし小浜前大統領とそれに付き添ったあべちゃんは除外。


2018年3月 8日 (木)

足立区関原3丁目商店街広報班の謎

足立区関原3丁目広報班の謎2

足立区の西新井は私にとって謎の町である。
関原商店街非常に面白い。この写真は5年ほど前の春に撮影したものだ。関原3丁目の商店街を歩いていたらいきなり背後からラウドスピーカーの音がした。
振り返るとこのような怪しいおっさんがバイクにラウドスピーカーを前と後ろにつけて商店街の宣伝を流しながら走っている。

かっこいいなと思った。

本気でそう思ったのだ。というのも私はその直前にハノイに来ていたのでこのような路上での二輪車の活動と言うのはかなり上のレベルだと認識していたのだ。
普通は自転車なのである。本田などはハイテクなのです。
関原3丁目広報班に出会ったのはお昼前11時40分頃だったろうか。それから私は関原商店街に張り込みを開始した。その場合はまず聞き込みである。商店街中央の角にある惣菜屋さんで聞き込みをした。
ところがお店の人も要領得ないのである。それはそうであろう。毎日ここで商売をしていたら1日の時間の区別がつかなくなるしそういう店の前を走っているオートバイなどには注意をしないのであろう。

その並び、リスボン公園の隣にあるお茶屋さんはこの商店街副会長にも聞き込みをしたのだがそこよく知らないと言うのである。我々のようなうろうろしている人間の方がちゃんと街の様子を見ているわけだ。

探しまくったら関原商店街の寄り合い所のような場所はあったが広報班の所在は掴めなかった。それでいまだに謎のままである。
私はこのおっさんの二本差しのラウドスピーカーが今日も東京のどっかの下町の商店街を走っているような気がしてならない。

これは月光仮面がおじいさんになってこーゆー商売をしているのではないかと私は信じているのだ。

2018年3月 7日 (水)

寂しい 3月のライオンがもうすぐいなくなる

寂しいライブがもうすぐいなくなるImg_5986

3月11日日曜日はブラパチワークショップで西新井の寂しいライオンに撮影に行く。
悪天候の日曜日にロケハンをしてきた。ロケハンをしてきて良かった。
数ヶ月行かない間に状況が大幅に変わっていた。まず東京駅北口のバス停が昨年の11月以来場所が変わったのである。新しい乗り場は6番です。

荒川土手でバスを乗り継いで西新井駅に行ってそこから歩いてリスボン公園にまず行った。リスボン公園は1年ほど改装の時間がかかってきれいになっていた。
リスボン公園から寂しいライオン公園まで行くのはちょっと特別な技術がいるのでそれを確認した。道が非常に複雑なのである。

寂しいライオン公園に行ってびっくりした。
寂しいライオンの脇の数本の樹木がもう引き抜かれそうになっているのである。調べてみたら道路計画でこの界隈はあちこちに空き地がある。その空き地を新しく地面を取得してつなげると新しい道路ができると言うわけだ。

私は今まですごい勘違いをしていたのである。梅島駅から歩いて行くとまっすぐな道がある。そのまっすぐな道の突き当たりに私が愛する寂しいライオン公園があるのだ。

だから自分勝手に都合の良いように考えてみてこのまっすぐの道は寂しいライオン神社の表参道だと認識していた。ところがそれは全く私の勘違いであって寂しいライオン公園を撤去してその先の空き地につなげて一本道を作ろうと言う悪の枢軸の計画があったのだ。実に許せない。

今週の日曜日3月11日まで何とか寂しいライオンがそこにいてくれることを願っている。思えば1,960年代日本中の児童公園で私はライオンの像を探し歩きそして撮影ていたのだ。

昨年の10月の赤羽から10条に抜けるルートでも最初にロケハンに行ったのは赤羽駅の神社にある寂しいライオンであった。
ところがそれも神社の改修工事で全くなくなっていた。そうなると我々の知っている近辺で寂しいライオンがいる場所は今は九州にお住まいのbon小原さんが馴染んだ西大井あたりの寂しいライオンズだけになってしまう。

2018年3月 6日 (火)

ルーペとしても優秀

ルーペとしても優秀Img_5982

昨年の暮れのギャラリーにNiepsの蚤の市で飯田徹さんから譲り受けたレンズである。1,500円だった。Komuraの105ミリのExaktaである。こーゆー種類のレンズは珍しいレンズと言うわけでもないので値段がつかないのである。しかしこれはルーペに非常に良い。

60年代に羽田空港の沖で起きた事故の調査委員会の先生が調査をしているときのテレビニュースを子供の頃に見た。ニッコール105ミリをルーペとして使っているのでかっこいいなと思った。ニコンのマリリン・モンローの広告で登場するのも同じレンズである。

85ミリから105ミリのレンズはルーペには非常に良い。適当な拡大率がありなおかつ視野がそこそこに広いから使えるのだ。もちろんそこら辺のドンキホーテで売っているルーペ等とは格段の差がある。

105ミリレンズは東松照明さんも愛用したレンズであった。このレンズ1本あれば世界はとらえることができるし同時にルーペとしても使えると言うのは凄いレンズだ。

Exaktaの付属品でかなり変わったものがある。ファインダーを交換する部品なのであるがそこにレンズマウントがついている。つまり適当なレンズをファインダーに付けてこれをピントグラスのルーペとして使うのだ。世界中にいろいろなファインダーがあるがこのユニークな使い方は他に類似の用法がない。

2018年3月 5日 (月)

🐦❤️おかげさまでランキングトップ❤️🐦

Img_5985
😎

ベストなペイントのブラックロード

Img_5975

私の経験では古今東西のブラックペイントのカメラの中でロードのブラックモデルが1番ピントが良いのではないかと考えている。ブラックペイントで1番質がダメだったのは1,130,000台のライカエム2のブラックペイントであった。ほぼ新品で手に入れて1カ月間使う間にトップカバーのブラックペイントがほぼ剥がれてしまったのだ。それでこのカメラをボロのゴールドライカボロ金ライカと名付けて使っていた。当時は愛知県の豊田市にあるオープンスタジオで広告の仕事をしていたのでそのボロ金ライカを持参して時々マットブラックのスプレーひと吹きしてブラックカメラにしていた。

いわゆるリーペイントではないオリジナルのブラックボディーで1番強靭できれいなのはこのロードのブラックである。いまだによく覚えていたのは古いカメラ雑誌でベレー帽かぶった紳士がこのカメラを構えているのがすごい素敵だった。

これは私が10歳位の時の記憶である。それが還暦を超えてから割と頻繁に登場するようになったのはこれもインターネットのおかげと言うやつだ。特筆すべきはペイントの質が非常に強くて美しいと言うことである。二台並んでいるこの右側のなどはかなり使われていてカメラの革張りは完全になくなっている。しかしトップカバーとボトムカバーの塗りはほとんど擦れもなくて素晴らしい状態である。

40ミリのレンズがロードのカメラは最初のモデルから最後のモデルまで一貫してこの焦点距離を採用している。要するに物のわかったスナップシューターが設計したカメラだということがわかる。
このロードのレンズの明るさはF28である。その後時代のレンズの高速化に迎合して明るさがエフ2とか1.9を出すようになったが実際に街中で 撮影するときにそんな明るいレンズはいらない。明るさef 2.8でもそれをf 2.8で使った事は1度もないのである。

1970年の大阪の万博の時にこのカメラを持参してかなり撮影をした。その時のショットは翌年1971年のニコンサロンでの個展Today Tokyoに展示した。私は1969年から3年連続してNikonサロンで展覧会をやったのであるがこれが最後の展示であった。
その後1回か2回ほど申し込みをしたのであるがテーマがはっきりしてないと言うのでボツになった。それはその通りである。私の写真にテーマ性を求める方がどうかしている。だからニコンでは50年近く展覧会はやっていないわけだ。
Today Tokyo 1966/2020というのは現在日本カメラに連載中のタイトルである。

この時代のロードにはロードグリップと称する大型のグリップが販売されていた。いちどこれをオークションで発見して逃してしまった。このレアなグリップをつければ写真が良くなると言うわけではないが10年来探している付属品である。おそらくLeicavitよりも数が少ないのは確かであろう。ロードのこのモデルには非常に珍しいフィルムCutterたというのが内蔵されている。撮影途中でフィルムをカットしてすぐ現像に出せると言うやつだ。フイルムは高価であった頃の名残なのである。cutterも1度も使ったことがないので今度使ってやろうと思っている。
😎

2018年3月 4日 (日)

金色のバルナックライカコピー

Img_5969

パックスと言うカメラはライカコピーであるがかなり小さい。そこが他のカメラとは異なる。カメラ本体だけを見るとその小ささが分からないのでライカカメラと並べてここに示す。

戦後進駐軍が好んだカメラであってさらにアメリカ本土で結構売れたようである。バルナックライカのコピーと言うよりもバルナックライカのエッセンスを煮詰めたと言う感じがするのがおしゃれだ。
その中で物好きを当て込んで金メッキにしたのがこのゴールデンビューと言うカメラだ。金メッキに革張りはグリーンで専用のケースが緑色なのである。
要するに成金趣味である。アルマーニの小学校の制服のようなものか。

チベットのダライ・ラマが当時のライカからプレゼントされたのが製造番号が555,555と言う金色のライカであった。そのライカがどうなったのかということをダライ・ラマの関係者に大昔聞いたことがある。彼が言うにはそのライカは人にあげてしまったと言うのである。これは公式発言として非常に正しいと思う。あのカメラはレアだから誰にも譲らんとダライ・ラマが言っては格好がつかない。
ダライ・ラマのカメラ付きはかなりのものであって戦後の早い時期にチベットに取材に来たニュース映画のカメラマンが持っていたEyemoのスパイダーターレットの撮影機を手に取って珍しそうに触っている写真をよく覚えている。

宗教のトップではカメラが好きな人は意外といそうだ。ローマ法王のPio12世であったか誰だったかちょっと忘れたが戦後になってバチカンから出てローマの中心部アメリカ大使館のすぐ側にあるレクタフレックスの会社を見学に行った。これはいいビジネスチャンスだと言うのでレクタフレックスの会社は神様の代理人に金色のレクタフレックスを贈呈したのであった。

パックスゴールデンビューであるがシャッターや巻き上げはしっかりしているのにフォーカシングができない。同じ頃のリコーのカメラもそうだがヘリコイドが固まっているのである。その ポイントが10フィートで止まっているのでこれはスナップショットには最適である。

私の好きなブラックロードのカメラはスナップショットのフォーカシングポイントがあってそこがヘリコイド上でクリックになっている。そのフォーカシングのポイントは9フィートなのだ。写真家の林忠彦さんが大昔のアサヒカメラ教室で書いているが標準レンズで9フィートに合わせておくと人物でちょうどいい具合に撮れると言うのである。

そのセオリーから言うとこのゴールデンビューはパックスストリートビュースナップショットカメラと言うわけだ。フォーカシングを修理に出せば良いのだがそれももったいないのでこのまま9フィートでスナップショット専用カメラとして使う。
😎

🐦❤️3月11日は3月の寂しいライオンツアーです🐦❤️

3月11日は3月の寂しいライオンツアーですImg_5976

パリの中心部から郊外に路線バスで行くのが趣味である。パリだけではなくオーストリアのウィーンでもプラハでもリスボン、ベルリンでも同じようなことをしている。要するに大都会と周囲の原野との境界線が見たいと言う欲望があるのだ。

1976年に現代日本写真家展の準備でオーストリーのディレクターと来日した。東京から大阪まで新幹線で行った。その時win人のディレクターが感心していた事は東京と大阪の間には野原も森もない全部都会でびっしり埋められていると言うのが彼の印象であった。これは恐怖である。

都バスの東京駅北口から荒川土手と言うのは東京にあるバスの路線の中でももっと距離が長いルートである。東京の都心から出発して荒川土手で終点と言うのが気が利いている。

これは錯覚なのだがそこで大都会東京が終わっていると言う感じがするのである。実際には終わっていなくてそこでバスを乗り換えて西新井のほうに行くのであるがこの土地感覚というのは戦前に永井荷風が書いていたこととオーバーラップしてくる。
つまり乗合自動車による田舎巡りなのだ。こういうのは野趣があって実に良い。
早春のベストコースだ。

今度の日曜日のブラパチワークショップではこれを計画している。
東京駅北口に集合してバスに乗り荒川土手で乗り換えて西新井にある寂しいライオンを見に行くツアーである。小さな児童公園の中にコンクリートでできたライオン像がある。これはなかなかのランドマークで軍事衛星からも見える。

その近くに私の大好きなリスボン公園というのがあって私が町歩きの時の憩いの場所なのであるがそこで焼き鳥を仕入れて隣の酒屋でカップ酒を購入して公園でいっぱいやるピクニックである。

リスボンに出かける前に私は西新井に行ってこの公園で楽しんだことがある。
さらにそれは続いていてリスボンの公園で西新井のこのリスボン公園の真似をするというのもある。そのためにいっこのカップ酒を持ってリスボンに行ったことがある。

3時間のツアーであるから帰りは界隈をちょっと歩いて浅草寿町から足立梅田町を結んでいるバスの終点から都心に戻ると言う計画だ。
これを3月の寂しいライオンツアーと言うのだ。

3月のライオンと言う漫画があるらしくて10年ほど前に佃の界隈でそのポスターを見たことがある。その漫画については知らない。

申し込みは左のリンクから。
あるいはこのブログの左上にあるアドレスからDM 。

😎

Img_5979

😈画像はイメージです

2018年3月 3日 (土)

80年前のカメラがあまりに綺麗なので不幸な件

Img_5945

10年ほど前にエジプトのカイロに撮影に行った時にこのカメラを持っていった。同じモデルのカメラで汚いやつだった。激しくしようしたのでネームプレートのエンブレムの1部が文字が欠損したりした。機械的には何の問題もないのでそのまま使っていたがこの7 、8年カメラジャングルで紛失してどこにあるのかわからない。

それでもう1台手に入れたのだがこれが到着してびっくりしたことに非常に綺麗なのである。見たことのないオリジナルの革ケースと取扱説明書が付いていた。、 7、 8年ぶりに触るので使い方を忘れてしまった。ウェストレベルファインダーのルーペをどうやってポップアップするのかがわからない。
私はドイツ語が少しわかるのでドイツ語の取扱説明書を見た。ところがますますわからなくなった。細かい事の表示が説明書で間違っているのである。機械の本場ドイツ帝国らしからぬことで面白かった。でも80年前のことだから今更責任を追及しても仕方がないであろう。

問題は新品のようなそのカメラの程度のことである。私は根性なしだからそういう開封したばかりのような綺麗なカメラを使うのは気が引けるのである。だから汚いカメラを好んで使うようになる。 80年と言うのは非常に長い時間経過であって100年に20年足りないだけである。

特にびっくりしたのはカメラの本体の程度も良いのはさることながら皮ケースがまるで先月作られましたと言うように新品なのである。今までイタリアのカメラケースそれも戦後に作られたものなどは材質がいいと思っていた。ところが戦前ドイツで作られた革ケースがこんなに品質が良いと言うことにびっくりしたのであった。
😎

2018年3月 2日 (金)

上海で中国製ハッセルブラッドに遭遇する

遭遇R0471644
大昔の話だがアメリカのメジャーなカメラ雑誌モダンフォトグラフィーのコレスポンデントをしていた。ボスのKeplerさんが来日すると一緒に日本中を旅行して工場を見学したりいい加減な通訳をしたりするのである。
面白かった。京都の老舗旅館俵屋さんであるが、私のボスのケプラーさんは俵屋のアーネスト佐藤さんとマンハッタンで中学時代が同級生だったとかで旧交を温めた。息子さんは当時はまだ制服を着た中学生であったが今は京都の大学の偉い先生になっている。その先生に我々が来たことを覚えていてくれたのが嬉しかった。

俵屋さんに泊まってそこから新幹線で大阪松下の工場を見学しに行ったりした。我々が宿泊する前にスウェーデンの国王がこの旅館に泊まったため25,000,000円かけてお風呂場を改装したと言う話であったがお風呂に入ってみたら別にそういう立派なお風呂でもなかった。

1週間ほど宿泊して私が支払いをするときにボスから預かったのが20ドル札の分厚い札束であった。アメリカで流通している1番メジャーなグリーンバックがこれなのである。ケプラーさんは当時はまだ珍しいアメリカン・エキスプレスのゴールドカードもっていたが俵屋さんはそれを受け付けないので現金なのである。
俵屋さんは最近ではインターネットでも予約ができるようになったらしい。つまらない時代になったものである。
そのケプラー編集長が1981年に中国のカメラ工場に視察に行った。中国の写真機工業はその当時はまだ暗黒大陸だった。メジャーなカメラ雑誌であるのにケプラーさんの中国カメラのレポートは小さなパンフレットのようなものであった。要するに話があまりにマイナーなので業界紙向けの、体裁をとったものと思われる。断っておくがこれはインターネットが登場する20年も前の話なのだ。その中に中国製のハッセルブラッド東風があった。ハッセルブラッド500の完全なコピーなのであるがフィルムマガジンのあたりに独特な中国風のスタイルになっている。それが欲しくなった。
仕事で何度か北京に行ったのは10数年前のことである。新華社の売店にこのカメラが並んでいた。フイルムバックが2つに交換レンズが3つ付いていた。それで値段は確か500,000円位だった。私は新華社が出しているカメラ雑誌撮影世界に大量の売掛金がある。言い換えれば何年分かの原稿料の未払いなのである。新華社といっても広いからこれで貿易をしようと考えたがまずそれは無理である。クレジットカードも使えないのでとりあえず諦めた。それから10数年経過して上海のカメラ博物館で東風に遭遇したわけだ。非常に嬉しかった。
😎

2018年3月 1日 (木)

ロードのグリップを探して半世紀

Img_5881
ロードカメラのブラック仕上げと言うのは数あるブラック仕上げのカメラの中で1番かっこいいと思う。ライカのブラックペイントなどよりも品質が良い。それでブラック仕上げのロードカメラがいくつか手元にある。レンズの焦点距離は4センチと言うのでスナップ撮影にはベストである。ロードカメラは長いことカメラを作っていたがそこら辺に設計者の哲学が反映されている。


写真工業の表紙に出ているカメラの下についているグリップであるがロードグリップと言う。これがなかなか市場に出てこない。78年前にいちど出て5,000円までをかけたのだがその先の余禄が私にはなかった。あの時買っておけばよかったと今更ながら後悔している。

考えてみるとブラックロードもそうであって私が20歳代の頃は非常に珍しかった。それが最近ぶつぶつ出るようになったのはインターネットのおかげなのかもしれない。何しろブラックロード持っていると自分の写真が2段階上手くなったような気がするのである。このロードグリップは実際にそれを付けてみて写真が上手くなる事はないと思うがやはり欲しいものの1つである。

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31