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2018年2月28日 (水)

ウォッチもカメラもソレンセンがいい

ウォッチもカメラもソレンセンがいいImg_5940

腕時計にはずいぶん凝ったこともあったが最近はソ連製のウォッチに凝っている。7、8年前であったがメディアの取材でジュネーブのサロンに行った。
良い腕時計は持ってないけども業界の人だと思われるのが嫌なのでシチズンのホーマー新幹線で使っていたウォッチをつけていった。こういうのは敵がないからみんな褒めてくれるのである。
半世紀前に確か500円で買ったやつだった。もちろんベルトはもうちょっとましなのに交換してある。

バーチャロンコンスタンティンのプレス発表に行って目が覚めた。彼らが新製品として制作した時計は3種類あって500,000円と5,000,000円と50,000,000円の時計なのである。
もちろんどれが精密と言うわけではない。異なるのは値段だけだ。

レンズ選びもこれに似ているな。1,000円のレンズでも1,000,000円のレンズでもうつりはほとんど変わらない。でもそういうことをつまりほんとのこと言ってしまうと市場が混乱するからそれでみんなアポ頭ミクロンを褒めているわけである。

これはソ連製のセコンダと言う名前のである。イギリスあたりで結構頑張ってうっているようだ。セコンダのブランドは私が認めているのはガガーリンが最初に付けていた時計である。

セコンダも高級なものになるとちゃんとしたクロノグラフである。コスモノートの乗組員が使ったクロノグラフのブラック仕上げのセコンダはアメリカのオークション等だと数百10,000する。でも実際にスペースを飛んでないシチズン用のやつを私はユーゴスラビアから25,000円で買った。ここに掲載したシビリアンモデルのドレスウォッチはロンドンで500円で買ったのである。

ルビーの数が19というのがちょっと高級感がある。
ソ連邦と東ヨーロッパ系のウォッチをとっかえひっかえ持っているからまず残りの人生で新しい時計を買う予定は無い。

クラシックの東ヨーロッパの時計を集める裏技を思い出した。1,980年頃にポーランドのクラクフに行った時である。蚤の市で市民の皆さんの時計を物色するのである。それで気に入った時計はお願いして10ドルで売ってもらった。私のポイントは適当に使い混んで時計そのものがその人の人生を語っているようなそういう時計が好きだ。その時手に入れたウォッチでちょうど月の裏側みたいなのがある。これなどは大事にしているのである。
交換と言えばその逆の心もあった。ギリシャのアテネをウロウロしていたらあれは何と言うのかギリシャ正教の信者の人が持っているジュズを売っているおじいさんがいた。その人の商品を物色していたら俺の商品とお前の持っている古い時計を交換してやると言うのである。これは丁重にお断りした私がつけていたのはPaneraiの左利き用のモデルなのである。
😎

2018年2月27日 (火)

上海方向 佃島の風景に似た風景

佃島の風景に似た風景R0471555

上海方向である。春節の時にはあちらのツーリストさんがたくさん古いスーツケースを持って日本に来て日本で買い物して古いスーツケースはホテルの部屋とか空港に置いていったそうである。
中国のツーリストさんが銀座通りなどで2つのスーツケースを持って大人数でぞろぞろ歩いている。上海から戻ってきたら何かそーゆー風景が日常的であるように見えてきた。それも今回上海に行った成果の1つだ。

3泊4日の走り度であって講演会などワークショップなどもやったので時間が限られていたがうまくアテンドしていただいたので助かった。

だから車であちこち連れ回されたのであるがこれは逆に効果的で自分の意思で言ったのでは無いから新鮮な感じがした。逆に言うとどこに行ったのか分からないのである。
この街角は何か私の住んでいる佃島に似ている。昔ながらの低い瓦葺の家並みがあってその後に高層住宅が並んでいる。こういうコントラストと言うのは40年前にシンガポールに取材に行った時に非常に面白く思った。
チャイナタウンの後のスカイラインが超高層ビルになってそのコントラストが面白いので大型カメラで確かアサヒグラフの仕事だったと思うが撮影に行った。私は暇な写真家であって他に暇なライターがいないかと観光局の人に言われたので飯沢と言う風太郎がいると言ったら彼が指名された。
当時はまだインターネットもない時代である。それでシンガポールのチャンギの空港にツーリストボードの人が我々2人をピックアップしに来るときに手配書が配布された。つまり私はテロリストに似ていて飯沢は薬中毒のジャンキーについていると言う手配書がいったのである。それで観光局の人はすぐ我々を逮捕することができた。飯沢はまだ写真評論に手を染める以前である。飯沢も出世したもんだ。

アサヒグラフと言う雑誌に何度か連載をした記憶があるが私がシンガポールのチャイナタウンの汚いところばかり撮影するので東京のシンガポール政府観光局の確か菊池さんと言ったと思うがその局長さんは大いに不安であった。

それでこの間の上海の方向であるがこうしてみるとシンガポールにも東京にも似ているのである。アジアの典型的な風景ですね。😎

2018年2月26日 (月)

「カメラの付属品のパーツをカメラジャングルから発見

カメラの付属品のパーツをカメラジャングルから発見
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カメラジャングルであるからあるべきものがあるべきところにない。本体とアクセサリーはバラバラでアクセサリーバラバラになる。
カメラジャングルからこういうパーツが出てきた最初はライカモーターでコントロールする部品だと思ってなくすといけないからテーブルの上にセロテープで貼っておいた。ところが細かく見ているそれはライターモーターのパーツではなくてMiraxレフレックスボックスの本体のライカのシャッターボタンを結びつける部品であった。
ミラーボックスとライカの本体をこのパーツで結んで同時にミラーを上げてシャッターを切るわけである。シンプルながら非常によくできていて操作性も良い。
ミラーボックスの本体は箱入りでちゃんとあるのだがこのパーツがそこからこぼれてしまって10年間ほど佃のカメラジャングルを放浪していたわけだ。
それでこのパンツはホーム
であるべきミラーボックスの赤い箱の中に格納した。それでレンズをつけてみようと思うと今度はレンズが発見できないのである。
人生と同じでまぁそんなものだ。

2018年2月25日 (日)

カシオのデジカメで撮影した古いフェドの写真

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古いブログを見るのが楽しみなものである。それで10年ほど前のこのブログを見ていたらその時点でさらに8年ほど前の大昔の画像を机の上に置き忘れたCFカードからダウンロードしている。そこに入っていたのはwinのカフェハヴェルカの写真とライカショップの世界で1番古いライカコピーのFedcaの画像であった。

細かい記憶は無いのだがその当時ライカショップのペーターからいろいろな珍しいソ連製のカメラを見せられてそれを記録した事は覚えている。

1932年に当時のソ連は国策としてライカのコピーを作る計画を立てた。記録によればそれは5つのライカ1型つまりレンジファインダのついていないモデルなのである。それは残っていないがその時のプロパガンダの印刷物は残っている。ここに登場するライカのコピーFedcaと言うのだがそれはその直後に作られたもののようである。
その作りは非常に良くてライカと全く変わらない。いやそれ以上の精密さである。

私はソ連製カメラを半世紀使ってきた人間だがソ連製のアナログカメラと言うのは実際ちゃんと使えるものである。噂では最新型のライカのデジタルみたいなソ連製カメラが出ると昨年から言われているがあれはどうなったのかな?

皮肉なのはソ連製カメラはプロトタイプとかごく初期のモデルの方が作りがいいと言う事実である。やはり大衆向けに作るのは工作の問題もあるから適当に手を抜いてしまうのであろうか?

それも面白いのであるがそれ以上にびっくりしたのは偶然発見したこれらの大昔の画像ファイルそれはごく初期のカシオのデジタルカメラで撮られたのであるがそれの画質が非常に良いのである。


マンハッタンに住んでいる専門家の船原さんが私がアップしたブログの画像に対してコメントをくれた。彼は専門家であるからそれによると大きくしないければブログのこれらの画像は使えると言うのでびっくりしていた。そういう実用主義に適合したのが20年前のデジタルカメラなのだ。
20年前のデジタルカメラがちゃんと使えると言うことに対して2018年のデジタルカメラはではちゃんと使えないのかと言うとそうではなくてちゃんと使えるのではあるがオーバースペックだということになるのだろう。

現代はオーバースペックが好きな時代なのだ。使いもしない大きなエンジンのフェラーリで銀座をエンジンをくすぶらせながらゆるゆる走ったりするのが自分を優越感に乗せる手立てと言うことなのだ。

そういうフルサイズの超高級なデジタルカメラが5年6年10年経過してしまうと単なるジャンクになってしまうと言うのは非常にかわいそうなしかし厳正な事実である。

2018年2月23日 (金)

西ドイツフライブルクのライカFutura

西ドイツフライブルクのライカImg_5890
西ドイツ時代のレンジファインダカメラが昔から気になっている。当時ライカは高級品であってライカでないカメラを要求している人も多かったのだ。フライブルクはほとんどフランスとの国境に近い西ドイツの1番西の街である。
このメーカーはカメラを作り出したのは戦後になってからの話であって戦前はドイツのLuft Waffenの製品を作っていた。
ハイデガーが哲学を教えていた街でもある。

Futuraと言うのはフライブルグで作られたレンズシャッター式のレンジファインダカメラである。自社製のレンズで50ミリef 1.5と言うのも作っていた。ただし性能はそんなすごいことはない。75ミリでf1.5も作っていたから大したメーカーであった。

四半世紀前に結構気にいったカメラで当時カメラ友達になった坂崎幸之助さんとこのカメラで盛り上がった。仕事でフライブルクに行く予定があったのであちらの中古カメラ屋さんで交換レンズを揃えてきますなると冗談を言ったのだが仕事であるからまず中古カメラ屋さんを探す時間とゆとりなどあるわけがない。

私は広角レンズしか使わないから35ミリの専用のレンズを長年探していた。そしたら最近市場でカメラ本体付きの広角レンズのカメラが登場したのである。それを落札した。
このカメラには最初のモデルからSという改良型などがあるが
カメラのネームプレートが黒字に白でクラシックなロゴの入った最初のモデルが1番良い。改良型モデルでは白地のクロームに黒になって何やら存在感がなくなった。

Futuraの問題点はカメラの貼ってあるレーザーがどんどん剥がれてくることである。私の持っているサンプルなどはバリバリに剥がれてしまってしかも皮が厚いので指に引っかかるような状態になった。

いっそのことそういうモデルはレザーを全部剥がしてから使おうかと思っている。

2018年2月22日 (木)

小伝馬町アイアイ英ギャラリーの最終日に走る

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基本的に写真展には行かないことにしている。この数年間で行ったのはアンドレアスグルスキーの写真展と吉村朗の写真展位である。
1日10軒以上の写真展を回った言ってスタンプラリー的な自慢をする人は嫌いである。四国霊場80八箇所巡りではないのだぞ。

私のブラパチワークショップの皆勤賞のIさんが参加しているダラダラ写真展の最終日にいってみた。広くないギャラリーに32点並んだ力作ぞろいだった。皆さんお楽しみのためにやっているからそれで万々歳なのである。ところが私は人間の了見が狭いから写真の表現として見てしまうので結局疲れるのである。

世の中の偉い先生方はアマチュアの指導とか学生の指導と言う自分の拠点がちゃんと決まっているから何とも考えないようであるが私の場合そういうバックグランドが全くないから写真表現としてまともに見てしまうのは体に良くない。私の場合は視神経の手加減をすると言うことができない。年取ったライオンが本気で生まれたての子猫と取っ組み合いをやるような感じなのである。これはよくないな。

写真のモチーフはお花あり風景ありポートレートあり水着写真ありのバラエティーだった。これを企画する先生もすごいバランス感覚が良い人だと思う。聞けば日大写真学科18歳後輩であると言う。

あまり広くは無いギャラリーにお客さんが次から次えとくるので私は10分ほどで失礼した。帰りがけにアマチュア写真と写真表現の事について深く考えながら歩いていたら道をロストしてしまった。馬喰横山の駅がわからなくなったのである。歩いていたら人形町に出てしまったのでそのまま大河の脇を歩いて佃島まで歩いて帰った。


2018年2月21日 (水)

上海歩行。GRワークショップ

上海歩行。GRワークショップImg_5885
上海歩行である。GRのワークショップをやった場所はフレンチクオーターにあるクラシックなビルであった。結構大きいカフェとかギャザリングのスペースがあってその上がカメラミュージアムになっている。
1時間弱ほど話をしたのだが強烈に印象づけられたのは参加者の皆さんが20代30代と言うふうに非常に若いと言うことだった。同様なイベントだと大体定年時代人が来るのであるがそこら辺の市場の構成がかなり違うのである。しかも中にはこの春から東京芸術大学に留学するなどと言う人もいた。なかなか写真表現としては楽しみである。

私が手にしている写真集はかなり初期のもので写真集の前半分がフィルムコンパクトカメラのR1そしてあと半分ができたばかりのGR1なのである。
最初の大衆向きコンパクトカメラのR1は周辺のレンズの描写がちょっとマイナーであったがそれをRicohがすぐに手直しして画質を上げたのである。それが私がこの会社を信用するようになった最初のステップであった。

GR1は高価なカメラであるがそういうカメラのファンクラブができてしまうと言う中国は経済力の凄さに驚かされる。1980年に中国に行った時はカメラ産業はほとんどクラシックカメラ状態であった。私が中国で最初に買ったカメラは一眼レフの最初のモデルSeagulだった。それはまだ使っています。😎
by TN Noguchi

2018年2月20日 (火)

銀座シックスに私の写真集があるという情報

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銀座通りを歩行しなくなって久しい。5年位前まで銀座8丁目の中銀カプセルタワーに部屋持っていた。それで気が向くと8丁目から1丁目まで歩いたりした。以前は現像を出すのに1丁目のラボに行っていたりしたのだがそういう関係が切れたので銀座と言う街は私にとってはパリやリスボンよりも遠いところにある。
銀座シックスと言う商業施設を建築前の更地になったときに反対側のユニクロの上から撮影した事はある。でも完成してからはもちろん私のような普通の都民が行く所では無いから行かないし今後も行く予定は無い。

この間仕事で銀座を取る必要があってやむを得ず銀座シックスの前を通った。中国人のツーリストさんでいっぱいだ。何か上海にいるようで懐かしかった。

この商業施設が私にとってネガティブな印象があるのは銀座日の丸屋がここに店を出したときに呼ばれた連中がワインを飲んでかなり騒いだと言う噂を聞いていたのである。こういうのが企業イメージでマイナスになりますね。商業施設のレセプションはクールにやらなきゃいかん。

三重県に住んでいる友人が東京に所用があって銀座シックスに行ってそこの書店に私の古い写真集を発見したのでその写真を送ってくれたのである。
これはこれで独立して嬉しいと言うものだ。しかもスティーブンShoreの写真集の脇に置いてあると言うのが嬉しい。私の黒い表紙の写真集が見にくいであろうと言うので友人は黄色い0で囲ってくれた。

ShoreがNew Colorならこちらはオールドモノクロームと言うわけだ。😎

2018年2月19日 (月)

馬込99谷のピー

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大田区の馬込と言うところは味わいの深いところである。昭和の初めごろに後が各地に開発されてあちこちにアパートができた。私の好きな作家稲垣足穂は関西から上京してきた直後にこの界隈の友人の家に居候していたのであった。
稲垣の書いたものの中に大先輩の流行作家に連れられて大森1前のお店でご馳走になったそうだ。曰くハンバーグサンドイッチはうまかった。
食物について稲垣はほとんど作品の中ではかかない人なのである。
よほどうまいハンバーグサンドであったに違いない。
馬込文士村などと言われてその記念館もある。戦後は三島由紀夫が住んでいた。今でこそメトロがあるから便利になったが三島が住んでいた頃はほとんど交通の便がないようなところだったから担当者が原稿取りに行く時が大変だったに違いない。
しかも三島の家はその裏手が急な崖に近い酒のようなところであって秋にはすすきの稲穂が揺れているような山里なのである。

三島の家を訪ねて初めてそこに行った時は方向が分からないのでGoogle マップのお世話になった。それで分かった事は三島が住んでいた豪邸と稲垣が居候していた家とは距離で数分しか離れていないと言うことだった。
これは馬込駅と環状7号線が交差する好きなマンションである。巨大なアルファベットの意味がわからなかったがそれはパレスと言う意味であるらしい。
この一帯には立派な古い桜並木などもあって好きな場所だ。

2018年2月18日 (日)

Amazon.comで中国製の明るいレンズを買う

Amazon.comで中国製の明るいレンズを買うImg_5876

この時代にネットサーフィンと言う既に死語であるがそのネットサーフィンをやっていたらこのレンズを発見した。ちょうど300グラムのチリペッパーパウダーがなくなっていてそれをアマゾンに注文しようとしたのである。しかしそれだけでは寂しいのでついでにと言うのは変な言い方だけれどこのレンズを一緒に注文したのである。深夜にオーダーしたら翌日の10時過ぎにはもう品物が届いていた。アマゾン恐るべし子。

私はライカの50ミリのef 1.0とかそれ以前の非球面のエフ1.2のレンズを使ったことがある。しかし同じスペックのレンズが中国製で存在するということに興味を持った。先月末に上海に行っているので私の中国に対する印象はポジティブなのである。

レンズのコーティングが緑色なのが気にいった。1,950年代の後半にミノルタのロッコールがやはりグリーンのコーティングで有名になっていた。Hiro若林がそのレンズに惚れて当時のアメリカのカメラ雑誌に作品を掲載していたことも懐かしい。

緑のコーティングがきれいだと言うのは著名写真家の皆さんのご意見である。せっかくの緑のコーティングを生かすためにライカの軍用カメラを持ち出した。これは本体が緑色だからうまくマッチするのである。

緑色のコーティングのレンズを軍用ライカにつけてFacebookにアップしたらすぐに岡山の友人がにたようなカメラだが全く別のカメラをアップしてきた。それは偽物のライカM3軍用モデルにドイツの明るさが1.0のレンズをつけてきたのである。
しゃくにさわるからすぐ返事をした。
旦那それはドイツ製の偽物ですよ。
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ドイツのの野口ルックス

2018年2月17日 (土)

上海歩行 大世界

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12年ぶりに訪問した上海の話。
ホテルから71番のトロリーバスでバンドに向かう右側に見えたクラッシック。
大世界と言うタイトルもいいが建物のファサードがテーマパークぽいのも良い。

1,960年代の気鋭のテレビディレクターだった和田勉のテレビドラマに大市民というのがあった。小市民の捩りなのであるが妙に説得力があった。
このビルディングの名前はそれとは逆方向に作用しているような気がする。大世界と言うのは実はその反対語である小世界よりもはるかに小さいのではなかろうか?なぜなら世界の限界がそこに見えているからだ。小世界と言えばそれは1部であってその世界が無限に重なったのが大世界である。
カメラはGR。

2018年2月16日 (金)

根本豊治さん

右折の軽乗用車、対向の大型トラックと衝突 軽乗用車の男性死亡 さいたまの17号バイパス交差点
埼玉新聞 02月13日 23:20
 13日午前5時45分ごろ、さいたま市大宮区三橋2丁目の国道17号バイパス交差点で、右折しようとした軽乗用車が対向から直進してきた大型トラックと衝突。軽乗用車の蓮田市馬込4丁x目、医師根本豊治さん(60)が頭や腹などを打ち、搬送先の病院で死亡が確認された。
 大宮西署によると、現場は信号機付きの交差点。大型トラックの男性運転手(52)は「相手が右折してきて、気が付いたけど避けることはできなかった」と話しているという。同署で事故原因を調べている。ー 友達: 根本 豊治
ーーーーーー
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根本豊治さんは親しいカメラ友達である。中古カメラ市場などでもよくお目にかかった。クラブエダムがまだあった頃に時間を示し合わせてあのクロスのテーブルのかかった上でお酒をテーブルの上に流しながらそれぞれ持ってきたカメラじゃんけんをやった。ちょっとの差で私が負けたのは根本先生が持ってきたアルコのレンジファインダについていた2眼レフ装置View Arcoによるのである。

非常に知識が豊富な人であった。当時聞いたお話では埼玉県の公立の病院の外科の夜間当直は40歳になると疲れると言うようなことを話していらした。話がユリシーズになった時レオポルドブルームはなぜユダヤ人なのか?という話をしてくれたのも根本さんである。
うちの地元の下の住吉様にレヴィストロース夫妻が来た話もしてくれた。レヴィストロースは佃島が気にいってここに住みたいと言ったそうだ。
ついさっきだが住吉様の石灯籠を私は撮影していてレヴィストロースを思い出しそして根本さんのことを思い出していた。
そして帰宅したら根本さんの訃報に接したのである。
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10年位前月島のクラブエダムで撮影😎

2018年2月15日 (木)

ギャラリーバウハウスでなぎら健壱さんと私の写真について対談しました

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日本カメラ元編集長のKohnoさんから依頼があってギャラリーバウハウスの私の個展の会場でなぎら健壱さんと対談をした。日本写真協会のアルマナックで昨年活躍した写真家と言うので取り上げてくださるのである。

日本写真協会は1983年に私をニューヨークに文化庁が派遣してくれたその時のスタートラインでお世話になった団体でもある。
それでもありがたいのであるがさらになぎら健壱さんが私にインタビューをしてくださると言うのでそらにも昇る気持ちであった。

なぎらさんは12年前だったと思うが岩波書店の私の写真集でその収録の対談をさしていただいたことがある。実際には一昨年東京都写真美術館でお目にかかっているがそれは別にお話をしたわけでは無いからここではカウントには入れない。

せっかくの機会であるからギャラリー席を設けておいたら皆さん来てくださった。その中で本三越の経理部長さんがおっしゃるにはテレビで見ているなぎら健壱さんとは違ってものすごく物静かな人ですねと言うコメントをいただいた。よく見ているな。

なぎらさんはカメラ屋さんなどでもよくお見かけするが普通は結構シリアスな感じで性格俳優と言う雰囲気が強い。それがテレビとかパブリシティー用の顔写真になるとこの私とのツーショットに掲載されているようないつもの金太郎飴のような表情になるのである。

超有名なタレントさんと言うのはなかなか苦労が多いものと言える。

それで1時間ほどのなぎら健壱さんとのインタビューでなぎらさんが最初からシャープな左ストレートで私を攻撃してきたのは時間軸の話であった。
写真の時間軸の話に最初から切り込んでくると言うのはそんじょそこらの写真評論の先生よりずっとクラスが上である。
それでなぎらさんの写真論の1部に触れてこれは結構凄いと思った。私が大阪芸大で教えている講義でも写真の時間軸についての話をよくやる。写真家の一生と言うのはその生きている時間軸よりも写真家が亡くなってその先にさらに無限に伸びていくものだと言う写真論なのだがなぎら健壱さんはそのことを指摘していた。
昨年亡くなった山崎博さんと田原桂一さんの話をした。
ギャラリーバウハウス館長の小滝さんはベニスに滞在していて今回のインタビューには参加できなかったの残念がっていた。それでせめてもの慰めにちくま学芸文庫のなぎら健壱さんの本を読んだのである。

私の写真展CT70はいよいよ千秋楽です。土曜日まで開催中。

2018年2月14日 (水)

立石様のシーソーにカメラを並べる

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立石様と言うのはドルメンである。
石が立っているわけだから立石様である。日清戦争日露戦争そして太平洋戦争の頃に立石様を身に付けているとたまに当たらないと言う信仰があってだいぶ立石様は削られたようである。だから今は地面に埋没してほとんど見る影がない。

立石様の真後ろに立派な石の社があるのでそれが立石様だと思ったらそれはお稲荷様であった。その右手のほうにも立派な立石があるのだがこれはやはり違うようである。立石様のバックアップ要員ではないかと考えている。

それで第6回のブラパチワークショップであるから参加者の皆さんが持ってきたカメラを並べた。立石様の脇にシーソーがあるのでそこに並べてみた。偽ライカ同盟の撮影会で以前ガラクタ屋さんの近くを巡った時に住吉公園にシーソーがあったので体重が1番重い大石さんと2番目の私がシーソーに乗ったらやはり大石さんの方が下がった。てんびんばかりは精密なものである。


たかが700グラムのカメラといってもそれを載せるとシーソーはそっちのほうに下がる。だから最初に木製の大判カメラとか重めのカメラをシーソーの支点の近くに置いた。
それから注意深くほぼ同じ重さと思われるカメラを並べていったらうまくいったのである。

人生と言うのは全く予想もつかないことだと思った。まさかシーソーの上にカメラを並べるような人生が自分に訪れるとは考えてもいなかったのだ。

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その時の様子。撮影国谷偽ライカ愛好会怪鳥

2018年2月13日 (火)

立石の呑んべ横丁

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第6回目のブラパチワークショップが立石。呑平横町が有名である。
大昔から再開発でここに30数回のタワーマンションが立つと言う話があった。それがいよいよ本決まりになって1月末でこの横丁が閉鎖になると言うので慌ててみんなで見に行ったのである。

立派なガラスの看板でアサヒビールがスポンサーになっているモニュメントは駅の方からいって鳥房の角を右に曲がったところにあるからこちらの方がメインのトランスと言うことになるのであろうか?

会社が合併してたからトミーにになる前にトミーに勤めていたグルメのじゅんちゃんと言う女子がいて彼女にこの界隈をいろいろ教えてもらった。グルメのじゅんちゃんは結婚してもう成人のお嬢さんと坊ちゃんが言う位だからこれは大昔の話なのだ。

時代が下って10数年前にクラシックライカのビデオを作った。システムがブイえっちえすであるのだからその時代が偲ばれる。そのディレクターが立石様の真向かいにお住まいでその関係で駅前の栄寿司などを教えてもらった。

2月11日のブラパチワークショップの前に参加者の皆さんに師事して一家110円のおいしい寿司だから食べてくるのが良いとサゼッションした。1時間前に私がいったら既に300人ぐらいの列ができている。要するに私はウィークデイの暇なときにいっているが一般大衆の皆様はそういうふうに日曜日を狙ってくるのである。
これは非常に勉強になった。
栄寿しの斜め向かいにあるプロフェッショナルな焼鳥屋内田であるが日曜日にはお休みである。日曜日に長い列ができる店と日曜日がお休みの店とはそれぞれに経営の哲学があると言うものだ。内田の場合ウィークデイの午後1時半から店が空いていると言うのは要するにお酒を飲むことがプロフェッショナルななりわいと言う人々なのである。言うまでもなく私もその1人だ。

呑平横町のほうはビデオの撮影で私が古いライカを持って横丁を歩いている時前のカメラがバックをしながら私をフォローするのである。カメラマンがビールの箱につまずいてその直前に私があービールの瓶と言ったのだが間に合わなかった。

ガラガラがちゃんと言う音がしてカメラがブレた。そこに向こうからおばさんが歩いてきてスナック三枝の鍵を開けたのである。スナック三重におばさんが来ておばさんが鍵を開けると言う事はその人が美恵さんと言うわけだ。そこで私はこんにちは三枝さんですか?と最初の台詞をいったのである。こういうのはシネマヴェリテですね。

それがきっかけになって何度かスナック三枝に行った。なんでも当時は本田警察署の刑事さんが来るとか結構安全な飲み屋であってカウンターの突き当たりは三枝さんが若い頃のヌード写真がでかくプリントしてあった。そーゆー芸術的なバーカウンターなのである。

2018年2月12日 (月)

XE3をセットアップする

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カメラを自分なりにセットアップしてみた。Facebookなどの反応では弘法は筆を選ばずですねなどと褒めてくれる友人がいるけど彼らはもっと高いカメラを使っているらしくてこのクラスのカメラは初心者向きと誤認しているらしい。

私は連載中の日本カメラのスナップショットの東京のシリーズで1,960年代のライカに21ミリをつけた画像をシミュレートしたいのでこの組み合わせにした。レンズは14ミリである。当時はNikkor21とかスーパーAngron21を愛用していたがこの21ミリ相当のレンズの方が描写ははるかに良い。逆光に強いのが強みである。

まずストラップをいつもライカカメラで使っているやつに交換した。GRでは無いからノンストラップアナーキスト同盟は無理なのである。
このクラスの長いストラップでたすき掛けにすると歩行が落ち着く。
モノクロモードがあるのでそれに設定する。フォーカシングはマニュアルモードで∞にセットする。
ところがこれが勝手に動いてしまうのでセロテープで固定した。私のカスタム設定はまぁこんなものだ。

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2018年2月11日 (日)

日本に戻ってきたときに日本の寒さなどは子供だなと思った

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7年半ぶりにwinから東京に戻ってきたときに日本の寒さなどは子供だなと思った。最低気温が午前7時のプラス3度なのである。光だとマイナス3度でも暖かいと思うしマイナス13度は普通の寒さと言う感じがする。

でも日本の北海道とか北国と同じでヨーロッパの場合は室内が暖房されているから部屋の中ではTシャツ1枚で過ごせるのである。

ビクターハッセルブラッドの生誕百年祭に招待された時それはスエーデンの春3月であったがまだ港の氷はガチガチに凍っていた。
ハッセルブラッドの広報部長さんが言うには世界で1番寒い所は極東の東京なのだと言うのである。私もこれには完全に賛同した。

要するに彼が言いたい事は建物で暖房不十分なので底冷えがして世界で1番寒いと言う意味なのである。

長く住んだプラハの話であるがプラハの刑務所もちゃんと暖房が効いている。これは当然のことである。日本の刑務所だと何かそこに懲罰的な意味合いで暖房つけなかったりするのであるがそれでは受刑者がみんな死んでしまうわけだ。

人間に対する扱いの基本が最初から違うと言わざるを得ない。

2018年2月10日 (土)

佃の猫が雑司が谷のしじみ食堂に行く

佃の猫が雑司が谷のしじみ食堂に行くImg_5802

ブラパチ猫クラブで昨日のことであるが雑司が谷2丁目15番6号のしじみ食堂に雑司が谷の猫が食べに行ってA定食食って大満足で帰ってきた。B定食は売り切れだった。
それで佃の猫は食べたくなっても場所を探しに行った。
雑司が谷は30年来よく方向しているつもりであるがこれが見つからない。番地は飛び地になっているので簡単には発見できない。道路工事の人がたくさんいるがああゆう人はそういうことには詳しくないから聞くわけにもいかない。

1時間探してランチタイムが終わっちゃいそうになったのでやむを得ず猫のGPSでチェックした。そしたらちゃんとその場所にきたのである。

これは私が好むいわゆる奥様レストランなのである。
普通の家であって親戚のおじさんの家に来てそこで靴を脱いで台所に上がってそこでご飯をご馳走になると言う仕組みだ。
雑司が谷宣教師館の隣が黒田さんと言うお宅でこれがやはり奥様レストランであった。今はもうない。

海老天丼を注文した。調理場の方でおじいさんが白菜の漬物を包丁で切る音がする。それからえびの天ぷらあげる音がする。テレビは非常にローカルなのをやっている。何かと思ったら昔番組に出たことのあるTOKYOMXテレビだった。非常に渋い環境である。

海老天丼は中位のが5匹ついて青唐辛子と人参のかき揚げがついている。切り干し大根の味噌汁はちゃんとあつい。ここら辺がミシュランの評価だと重要なところですね。

感心したのは提供されるお茶はちゃんとした食堂のお茶の味がすることだ。
食堂のお茶と言うのはテーブルワインと同じであまりうまいお茶だとだめだしまずいお茶でもだめなのである。そこら辺のバランスが非常に良い。

土曜日日曜日以外は空いているらしい。素敵な奥様レストランを発見して大満足。値段は800円であるからどてのいせやなどよりもコストパフォーマンスは3倍ぐらい高いと思う。😎

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2018年2月 9日 (金)

上海歩行。たこぼうずを行く

上海歩行。たこぼうずを行く
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上海方向である。12年前に来た時はスタジオと巨大な吊り橋の間を往復していた。今回はリコーチャイナの社長さんに案内していただいた。面白い体験であるのは知らないところにいきなり行けることにある。ロンドンのウェストエンドとかニューヨークのソーホーみたいなクラシックなレンガ造りの低い建物が並んでいてそこが若者向けのショップになっているところに連れて行ってもらった。中国語が読めないので自分で記憶するためにこの界隈を勝手にたこぼうずと名付けた。何か音が似ているのである。

1980年であったが初めて広州交易会に行ったときにローカルな街並みは中国的であるのが面白かったが、 2018年にはその中国らしさと言うのは完全になくなって世界のどこでもないモダンな街と言うようなショップばかりである。いわゆる60年代にアメリカナイゼーションと言われたやつだな。

案内していただいたので知らないところに行けると言うのは結構な長所である。カーナビで知らない街を通り過ぎて目的地に到着するようなものだ。
そのたこぼうずの狭い地域をめちゃめちゃに歩きまわった。とゆうか雪混じりの天気であるし、そうなると私の土地勘のコンパスは完全に狂ってしまう。
その時のこのクオーターの印象は世界の何処でもレンガ造りのこの建物のディティールはアムステルダムにも似ている。😎

by TN Noguchi

2018年2月 8日 (木)

フォクトレンダーカメラの故郷はWienです

初めてフォクトレンダーのVitessaを手にしたのはオーストリアウィーンにいた頃だ。1番初期のモデルでアクセサリークリップはついていない。レンズはUltfonの50ミリF2が付いていた。まずそのデザインが良い。

ドイツ人が作ったカメラデザインの中でこれはライカやコンタックスを超えるずば抜けたデザインだと思う。以前Cosiのお手伝いをしていた時に何かの拍子でこのカメラの話が出た。小林社長はこのカメラが好きでないとおっしゃっていた。これは正しい意見だと思う。今の時代にこれほど込み入ったカメラを作るのは不可能であると思うからだ。

大量生産品のくせにやたらメカニズムが込み入っているのである。しかも外から見るとビスを1本も使っていないと言うところがスマートである。

初期のモデルは非常に凝っていてシャッターを押すとフィルム圧板が出てきてフィルム面を押して安定させるのである。しかしレンジファインダーのベースが短いので明るさがエフ2のレンズで至近距離でとるとピントを外した。それで私が好きなのは暗いレンズである。明るさがエフ3.5と言うやつ。

観音開きのドアがワンタッチでレンズが飛出して同時にプランジャーと呼ばれるフイルム巻き上げ用の長い棒が飛び出す。フイルム巻き上げにはいろいろな方式があってのぶ巻き上げから始まってライカビットのような引き金になりいろいろあるけれどもこれが1番ユニークだと思う。何しろ金属の棒が飛び出してくるのだ。

このカメラは1,950年代後半にはアメリカでも爆発的に売れたのである。制作したドイツ人がドイツ離れしたカメラを作ってそれはアメリカに輸出してあまりアメリカ人好みではないと思われるこーゆーデザインのカメラはアメリカ人がこのんだと言うのが非常に面白い。

こういうデザインのカメラを見慣れてくると現在のデジタルカメラの没個性的な存在感がちょっと情けなくなる。😎Img_5644


2018年2月 7日 (水)

立石仲見世栄寿し

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10年以上前になるがライカカメラのビデオの作品を作った。これがVHSであるからその時代が偲ばれる。
その作品は上下2巻に分かれていて1つは発展が始まった代官山である。これはライカカメラエムをテーマにしたものだった。そして2つ目は下町である当然バルナックライカカメラである。

今度の日曜日2月11日に開催されるブラパチワークショップはその時のコースをほぼトレースしている。
タイトルは青砥立石つげ義春と言うのだ。

撮影のディレクターは立石在住の人であった。それで撮影が終わったときこのお寿司屋さんに連れてこられたのである。生粋の昭和の下町の立ち食い寿司である。それが気にいってずいぶん長いこと通っている。
ネタがなくなったらおしまいシャリがなくなったらおしまいである。今回のブラパチワークショップは午後1時にスタートだが参加者の方にお勧めしているのはちょっと前に来てもらってこのお寿司屋さんで勝手にお寿司を食べてもらいたいと言うことだ。ずっと1つ100円であったがちょっと前に110円になった。それでも非常に安いしうまい。

ここの大将は写真が好きなようでハッセルブラッドで撮った作品をお店の突き当たりにいってんだけ掲示してある。そういうのは寿司屋ギャラリーと言うのかな。

2018年2月 6日 (火)

「上海歩行 竜の夢ホテル

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上海で宿泊したホテルは今では外資系の横文字の名前がついているようであるが中国の名前では竜の夢ホテルと言うのである。昇り竜である。
10年間ほど六本木ヒルズの49階が仕事場であった。上海のホテルの部屋は51階であった。面白いのは東京も上海もニューヨークも風景の区別がつかなくなることだ。

高層ビルと言うやつは高くなれば高くなるほど窓から見える風景と言うのは世界のどこにでもある大都会と言うふうに没個性化がされてくるのである。そこがスカイスクレーパーからの眺めの魅力と言うのであろうか。

龍の夢のユニークな名前で思い出したのはこの間ブラパチワークショップで歩いた神田駅のすぐそばのラーメン屋さんの名前である。それは鶴の恩返しと言うのだ。この2つはチェーン店として展開していてもなかなか面白いと思う。

エレベーターの速度が遅いのが気になった。それと揺れるのである。日本の高度技術のエレベーターと比べるからそういうことになるのかもしれない。あと行き先階のボタンの位置が変であって1階に降りるのにしゃがまなければならない。さらにドアのオープンクローズはその下にあるからほとんど床面スレスレである。

このホテルで気に入ったのはバスルームが異常に広いことだ。しかもウォシュレットが付いていないというのが良かった。何かヨーロッパのクラシックな高級ホテルにいるような錯覚がもたらされた。
自分のお尻ぐらい自分でふきましょうと言うのがヨーロッパ旅行してるときの私の生活の基準になっている。だから上海の3泊4日は非常に楽しめた。日本以外の魚シュレットのない世界。これが本当の世界である。
カメラはGR 。😎

Vitessaの良い所

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フォクトレンダーはもともとwinで生まれた会社である。19世紀になってそれがブラウンシュバイクに移転した。面白いのはwinの人は今でもフォクトレンダーが存在した場所をちゃんと記憶していることだ。
その場所はwinの西駅のすぐそばなのである。18世紀にはこの辺は当時の宮廷画家が油絵にかいているが一面の田園地帯であった。その電源地帯の真ん中に立派なフォクトレンダーの工場が存在したと想像するのは何か楽しい。

Vitessaというカメラは非常にユニークな構造である。フイルム巻き上げのプランジャもそうであるが事前にフォーカシングダイヤルで距離を合わせておけば観音開きのドアを開いてもそのまま撮影できると言う優れたメカニズムである。ただしレンジファインダのカムが外れているから事前にレンジファインダででフォーカスを合わせることができない。
それにこのファインダーが優れているのはパララックスが自動になっている点だ。同じ時代のライカもコンタックスもそのようなメカニズムがついていなかった。

このカメラは素晴らしい存在なのに中古市場では全く人気がない。それで手ごろなものが出れば必ず買うことにしている。これは黄色いラベルが付いている通りガラクタ屋さんで手に入れたものだ。我楽多屋さんのにだいめさんの話によれば数多くのこのカメラに触っているがこれは1番プランジャーがヘビーなそうである。
私にしてみるとそんなに重いと言うわけではない。とにかくこの巻き上げるプランジャーと言うのは手のひらの筋肉を鍛えるためのものなのである。

2018年2月 5日 (月)

佃島の大ちゃん立石の大ちゃん

佃島の大ちゃん立石の大ちゃん
月島のクラブエダムの常連さんが大ちゃんだった。恰幅の良いおじさんであった。
うちのマンションの隣のマンションから自転車でクラブエダムに出勤するのである。

道場で出会うと
いよッ!長徳さん
と声をかけてくれた。そんな私が生粋の労働者さんであるからおしゃれである。アルプス工業と言うジャンパーを着ていた。それがかっこいいので周囲のカタカナ職業のへなちょこ連中はそれを真似して作ろうなどと言う論が持ち上がった。

だいちゃんは何とか体調崩して聖路加病院に入院していた。エグゼクティブであるなと思った。
その大ちゃんが亡くなってもう3年になるかな。

京成立石の南側の小さな公園に行くのが好きである。その公園の手前の角にたこ焼き大ちゃんがある。たこ焼きは八戸で480円だ。駅の手前の有名な寿司屋栄寿司の握りは1個110円だ。どっちに行くか悩むわけだ。

握り寿司もたこ焼きも東京のソウルフードである。接待用のミシュランの星付き寿司屋とはまた格付けが異なる。
😎


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2018年2月 4日 (日)

馬込 マチルダの丘公園

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この世界で見た場所はそれぞれ最低2つずつあるということをに痛感。何もショッピングセンターにスターバックスがあると言う意味では無い。

現代日本写真家展と言うのはドイツの公立の美術館をいくつか巡回したのであるがそれは1976年から1978年のことだった。そのドイツの巡回展は私は見ていないがその数年後にドイツのダルムシュタットに行ったことがある。
北井1夫さんのお手伝いでダルムシュタットのMatirdaの丘公園を撮影に行った。
ドイツ表現派の建築がある有名な場所であるがかなりの傾斜した土地に建てられている。

馬込の駅の環七沿いにちょっと行った急な崖の途中にある極めて小さい公園であるがそれがドイツのその公園に非常に似ているのだ。
公園の傾斜の1部を見ているだけでダルムシュタットの公園にいるような気がするのだ。そういうトリックというのはどういうものなのであるかと考えてみて思い当たることがあった。

NHKの美術のセクションの見学に行ったことがあって私はテレビドラマは全く見ないがその時朝のドラマで放送していたのが月島をテーマにしたものであったらしい。特に月島の西中通の看板とか赤い昔風のポストとかそういうものが小道具で作られてそれが闇の中に浮かんでいるのだ。それを歩ながら実際に月島の西中通で酔っ払って帰ってくるような芸術的感覚がもたらされる。

よど号がハイジャックされた時に韓国の空港に着陸してそこが平壌の空港であるように偽装するために慌てて共産主義的なオブジェをたくさん並べたと言う話を聞いたことがあるがこれは見破られたようであった。私などは観察力が不十分であるから適当なインチキオブジェを並べてくれればすぐに騙されてしまうタイプである。

2018年2月 3日 (土)

上海歩行 トロリーバスが迅速

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上海ツアーのスタートである。中国リコーのプレジデントのSaikiさんにまず上海の交通カードを渡された。プレジデント自ら上海を案内してくださると言うので破格の扱いである。新しいトロリーバスのシステムを説明していただいた。最近できたトロリーバスの新交通システムであって24時間の専用レーンだから交通渋滞がない。

料金は2人民元である。12年ぶりの上海で物価の高騰には驚いたが交通関係は安い。このバスに乗っていきなり観光地のセンターであるバンドに到着した。

マンハッタンに住んでいるときにファーストアベニューのバッテリーパークの近くから2ブロックごとに停車するバスに乗ってサウスブロンクスグランドコンコースまで行くのが趣味であった。これは急いで行くのではなくてわざとゆっくりくと言うツーリズムである。上海のトロリーバスのシステムはそれの逆であって迅速にたくさんのメインの建築物を見ながらバンドまで行くことができる。

日本の1,960年代に渋谷から池袋を経由して王子駅で走るトロリーバスがあった。しかし渋滞に輪かかかるのであまり長続きしなかった。
大昔の東京のトロリーバスでよく記憶しているのは交差点内には電線がないからそこはトロリーバスが持っている蓄電池で動力を供給するのである。昔のトロリーバスであるからその音がゴロンゴロンと凄いのである。速度も出ない。

上海のトロリーバスでも交差点内はバッテリーで動いているだろうがそのギャップを全く感じさせないと言うのは21世紀なのであるなと思った。

2018年2月 2日 (金)

Arco Super Mechanika

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Arco Super Mechanikaと言う8ミリカメラは1,950年代後半の国産では1番高級なカメラだった。定価が77,000円位したと思うがそれを半額位の値段で中古で買ったのだ。 この値段はゆうに半年分の給料に近かった。

中学から高校にかけての約6年間と言うのは私は真面目な映画作家であった。このカメラで学校のイベントなどを撮影した。ちゃんと視聴覚教室で映写タイムを開いた。当時はまだビデオがない時代だから私は結構重宝な存在であった。

少年の頃の思い出にこういう高級なカメラを使ったと言うのは貴重な体験である。そのノスタルジーの勢いで今では同じカメラが1ダースほどある。興味を示したのはこのボストンバックスタイルのケースであった。
専用のケースは高級なレザーであるがこれはちょっと違うのである。入手してみたら非常によくできていてハードなボストンバックに最初のオーナーがきれいに手書きでロゴを入れていたのである。林さんて言う人だ。
ポケットのファスナーに小さな鈴が付いている。だから持ち歩くとチリンチリンとかすかないい音でなるんだ。最初のオーナーの林さんはこの音を聞きながら昔の日本の街を撮影していたのだと思うと何やら奥ゆかしい。

タイトル撮影用の細かい道具とかついていた。
本当に小型映画を愛した人であることがわかる。

このカメラの取り扱い説明書は結構プロフェッショナルっぽい記述なのである。
そのイラストレーションで東京駅で女性がこのカメラを構えているショットが掲載されている。背景は丸の内の赤レンガで止まっているのは全部アメリカの車なので ある。

その取り扱い説明書では実際にカメラを構えている男性のショットも写っているがこれがまた私が少年時代にイメージしたお金持ちのおじさんと言う感じでその風貌が理に良い。

時代からするとちょうどニコンFが最初に市場に出た当時であるから実にたいしたものだと思う。Arco写真工業はその後ビジネスをやめてしまった。


2018年2月 1日 (木)

上海歩行

Img_5734by TN Noguchi
あれはいつであったか1,982年頃の上海は川岸はこっち方見るべき場所であってあっち方は何もなかった。私は六本木ヒルズ10年間ほど仕事場があったのでその頃上海森ビルというのができたと言う話を聞いた。一体どんなものであるか見学に来たのである。

12年前に上海に来た時は上海万博の前の年であった。その時は日本郵船の仕事で巨大な橋をポスターにするので何度か撮影に来ていてそこに登場する男女のモデルさんの選択などもあってスタジオと大橋の間を行ったり来たりしていた。だからその時はバンドは全く歩行していない。

それで今回久しぶりに河岸を歩いて非常にびっくりした。

つまり30数年前のツーリストのカメラは全部河岸のこっち方を狙っていたのが今は世界中から来るツーリストそして中国中から来るツーリストはみんな川岸の反対側の高層ビルを狙っているわけである。

6年ぶりの雪と言うのでその光の状況が非常に素晴らしかった。なかなか上海では雪を見る事はできない。

戦前の日本の文人墨客は上海に来るのにパスポートもなしでやってきて荷物を持つのが嫌だからショルダーに手ぬぐいをかけただけでふらりと来たと言う神話がある。
それの真似をしたわけでもないが今回はGRをポケットに入れて何も持たずに上海にやってきた。
文人墨客の真似をして GRの手ぬぐいを肩にかけてやってきた。要するに国内旅行とほとんど変わらないのである。

上海でリコーGRのファンクラブがあると言うのでワークショップとトークイベントに来たのである。

GRシリーズが登場して20年であると言う。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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