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2018年1月11日 (木)

ギャラリーYocto吉村朗

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ギャラリーYocto吉村朗 1月12日から1月28日まで木金土日の4日のみオープン。
吉村に最初に会ったのはザルツブルグカレッジのワークショップの時で夏の盛りであった。 1979年か1980年だった。
校長のIna Stegenと一緒に日本から到着の数人の受講生を迎えに行ったのである。列車から数人の東洋人が降りてきた。その中の1人の男性が私に握手をして英語で挨拶をしたのであるこれが私の吉村にあった最初のシーンだった。
当時の私はザルツブルグカレッジでSindyシャーマン、ラルフギブソンなどの講師スタッフの一員としてMITの学生など10数名のワークショップを持っていたその中に日本人学生数名が加わったわけである。私のひどい英語はMITの学生連中は英語が母国語であるからかなり注意して私の講座を聞いてくれた。しかし日本から来た連中はやはり私のブロークンイングリッシュはほとんどわからないようだった。それで校長の発案で複式学級にしたのである。
つまり日本語での授業である。逆にこれが日本人受講者を混乱させる結果になったのかもしれない。言葉と言うのはペーパーとハサミのようなものだからつたない私の英語はペーパーを切るのには10分である。
一方で日本語は私はネイティブであるから1つのことをまっすぐ言うのにもともとシャイだからかなり回りくどい言い方を日本語でする。

例のザルツブルグ中心地のゲトライデマルクトで撮影をした。吉村の撮影のスタンスを見ていると彼はミノルタの一眼レフと17ミリの広角レンズをつけて病的に接近して撮影してその人に叱られたりしている。こいつは結構ものになるなと思った。

私が日本に戻ってから吉村との付き合いはほとんどなかったが噂に聞けば彼はミャンマーに撮影に行ったり韓国に撮影に行ったりしていたそうである。
今、東京総合写真専門学校の校長と当時クラスが同じだったらしい。だからすでに大写真家のカテゴリーに入る人間なのだ。

、、、今回の写真展で私がちょっと違和感を感じるのはこれが遺作展とタイトルがついていることである。誰だってエドワードウエストン遺作展とかロバートキャパ遺作展とは言わない。
吉村もそのクラスの写真家なのである。


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