赤瀬川さんが好きだったライカの古い35ミリファインダー
赤瀬川原平さんがこの昔のライカの35ミリのファインダーについての魅力をいろいろなところに書いていらっしゃった。
その中のであったと記憶するが銀座Sanカメラで2つの同じファインダーがあって1つはとびきり高くて1つはそれよりちょっと安い。どちらを通うか迷っているときにそこに私がやってきたのだそうである。それで私は安い方が良いと進言したら赤瀬川さんはそれでは高い方にしますと言って高い方を買われた。当時このファインダーが非常に高くてちゃんとしたものだったら50,000円以上した。
ウィーンで古屋誠一に初めて会ったのは蚤の市である。彼は古いライカM3にこのファインダーをつけていた。それでそのことをよく記憶しているのである。
このファインダーは本来バルナックライカにつけるものであったのであろうが大きいのでバルナックタイプにつけるとアンバランスになる。エム型につけるのが良い。しかしライカエム2では最初から35ミリのフレームが付いているからつけるのはあまり意味がない。
このファインダーの最大の使い手は戦争写真家の澤田であった。彼はメガネ付きのSummiceon35ミリを使っていたのだがさらにライカの上にこのファインダーをつけているのである。それが戦闘的でかっこよかった。
私は腰抜けのライカ写真家だからファインダーのついていないライカつまりライカMDにこのファインダーをつける。でもそれは気休めのようなものであって実際にはファインダーを使わずに撮影しているからファインダーは見ないのである。
古い写真工業でアンリカルティエブレッソンが使っていたブラックに本人が手練りしたこのファインダーが登場した。その持ち主はブレッソンから譲ってもらったと記載されていた。不思議に思っていたのであるがニューヨークタイムスの25年ほど前のインタビューを見るとアンリカルティエブレッソン自身の言葉によれば自分は35ミリの広角レンズで写真をうまくとることができない。なぜなら自分は絵画の仕事をずっとやってきたから自分の目は50ミリ標準レンズになっていると言う意味のことを話していた。あーそれでブレッソンは35ミリファインダーを放出したのかと1人納得したことがあった。