フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« 2017年11月 | トップページ

2017年12月13日 (水)

中野区立橋場公園

R0470825

ブラパチワークショップでギャラリー冬青を見学した後高橋社長が案内してくださった。大変恐縮するガイド役である。
この公園は私も知っている。以前桃園緑道を歩いている時にちょっと寄ったのである。でもあれは春先のことであって今回のほうがはるかにいい風景であった。それも冬の午後の明るい光に照明された銀杏の木が金色に燃えているのである。

広い公園で3人の女の子がそれぞれに遊んでいるのに興味を惹かれた。何が素敵かと言うと女の子3人はそれぞれ自分の意思で自由に遊んでいるのである。これはもうちょっと小さい子だと管理者がちゃんとついていてあれをしろこれをしろとうるさいがそのレベルを脱出した女の子連中はすでに自分の自由な空間を行動しているわけである。

ワンショット撮影した。前回の蒲田の踏切の撮影では私が無断でスナップした成人女子が私に文句を言ってきたと言うところを再現してシミレーションしてみたのだがこーゆーめんどくさい事はなかった。

東京の冬の晴れ間の斜めの光と言うのは稲垣足穂も彼の作品で触れている。特に稲垣は中野近辺に住んでいたからその思いが私には強い。中野打越と言う駅からすぐ近くのところに稲垣は友人の江戸川乱歩からいくばくかのお金を借りてそこに小さな部屋を借りたのである。
その3畳の部屋に後でユリイカを起こすことになった伊達得夫であったり後の奥さんになる篠原さんなどが訪ねてきたわけだ。つまり昭和20年代は日本の戦後の文学の新しい彗星を打ち上げる舞台であったのだ。
😎カメラはGR

2017年12月12日 (火)

ギャラリー冬青高橋隊長の訓示

高橋隊長の訓示R0470815


R0470813

第4回長徳ブラパチ塾は12月10日日曜日に行軍した。
当日参加のメンバーもいてその数20名近くになった。

元自衛官のTessinaさんに聞いたら軍隊の1個小隊と言うのは8名から10名ほどであるそうである。だからこの日の行軍は2個小隊と言うわけだ。

私のワークショップは真面目な教育のつもりであるから中野区中央5丁目ギャラリー冬青に皆さんをお連れした。高橋社長からお話を伺った。最初のショットを見ると何か自衛隊のトップの演説のような感じがする。それもそのはずで左側に立っていた紳士が元自衛官なので演説を聞くときの姿勢がはまっているのである。それに影響を受けたせいでもなかろうが他の参加者の皆さんも直立不動で何か面白かった。

カメラはGR。

2017年12月10日 (日)

❤️これは事件だ。中野駅北口森山大道さんに遭遇

R0470323


R0470324


R0470325

火曜日のお昼過ぎ午後0時43分ごろ中野駅北口で張り込みをしていたら改札口から出てきた森山大道さんに遭遇した。森山さんは北口を右折したので尾行したと言うのは失礼である。
ポケットから GRを出して後ろ姿を2枚撮らせていただいた。後でファイルを見たら3枚撮っている。カメラが勝手に動いたわけである。

大道さんにお声をかけて帽子をとって深々とお辞儀をして話を始めた。最初は変な老人に声をかけられたと大道さんはぎょっとなさっていたがすぐ私とわかったのでそこから会話になった。

30数年前に上野のアメ横でやはり大道さんを尾行してその時は大道さんはペンタックスのブラックを使っていたが撮影が1段落したので声をかけしたらびっくりなさって口にくわえたハイライトを反対側に火をつけたのでフィルターが燃えて音がした。
その話は私の本、名機礼賛の第1巻に書いてある。

最後に大道さんにお目にかかったのは新宿ゴールデン街の飲み屋でご馳走になったのであるがその時大道さんは学習院で撮影をしていてフランスのアパレルメーカーの仕事だと言っていた。まだフィルム時代のリコーGR1とGR 21の二台で撮影をしていたのである。

思えばそのさらに10年近く前に私は大道さんにできたばかりのリコーGR1をお渡ししたのである。大道さんはそれでヒステリックグラマーの分厚い新宿の写真集を撮影なさった。
その時の大道さんとの事はよく覚えているが四谷3丁目のアローカメラから近くのホテルでお目にかかったのである。大道さんと電話で話をしていたら例のごとく森山大道口調であるから言葉がはっきり聞こえない。
大道さんが言うには四谷三丁目のジャズホテルで会いましょうと言うのである。そんなホテルがあるのかなと思ったがこれはJALホテルのことであった。

もっと古くは1976年大道さん36歳私が29歳でヨーロッパの巡回展現代日本写真家展の出品をお願いしたのが最初のお付き合いである。思えば長い話になりますね。

大道さんはものを持つのが嫌いだからカバンは持たない。だからコンパクトデジカメをポケットに入れているのである。写真家は手ぶらで撮影に行くと言う。絵に描いたような偉大な写真家なのである。

😎カメラはGR

2017年12月 9日 (土)

いてふの樹燃える

R0470710

佃島の家を出ていつものスーパーの途中にこの銀杏の木がある。その存在はほとんど私の意識から脱落しているのだが年にいっぺんこのように銀杏のキャンドルライトが燃え出すとその存在に気がつく。

私は桜にしても銀杏にしても一本立ちが好きなのでずらりと並んでいる銀杏並木はあまり好きではない。絵画館前の銀杏などは好みではないと言うことだ。

一本立ちの銀杏木が好きと言うのは少年の頃からの習慣のようである。音羽の谷を上って文京区の小日向台町小学校に行くルートはいくつかあったのだがそのlo1番北側のルートで歩行すると跡見女子学園の斜め向かいの囲われた空き地の中に恐ろしい巨大な銀杏があった。
お茶の水女子大学の敷地であったのかもしれない。その巨大な銀杏を小学校の登下校時に見るのが好きだった。そんな理由で銀杏は一本立ちに限るのである。
その銀杏の写真は私の写真集東京ニコン日記に掲載されている。

この佃島の銀杏はそんな大きいものでは無いから普通に恐れを持たずに眺めることができる。巨大な樹木と言うのは何かそこに霊魂が宿っているから尊敬の念を持って眺める必要がある。そういう古代からの人間の記憶というのが時々押さえつけられた意識の中から浮上してくる。

12月の燃え立つような炎のようなキャンドルのような銀杏は素晴らしい。
それに比べるとクリスマスツリーなどは安物のデコレーションに思える。

カメラはGRD

2017年12月 8日 (金)

ギャラリーバウハウス。展示中のうさぎさんの写真の肉親が名乗り出る

Img_5159
ギャラリーバウハウスの展覧会いよいよ土曜日は私のトークイベントである。
木曜日の午後にギャラリーに行ったらギャラリストの村田さんが面白い話をしてくれてびっくり仰天。70年代にwinに住んだ時に友人の斉藤さんと言うアーティストの飼っているウサギをたまに預かっていた。
その斉藤さんの弟さんの信也さんの文字は間違っているかもしれないがうさぎさんを飼っていた肉親が名乗り出たわけである。

本来ならそこで染色体のチェックをしたりするわけだが動物と人間のペット関係の場合はそういうことがないのが逆に便利でよろしい。

当時のアーティストの斉藤さんは小鳥とか小動物を専門に書いていた。40年以上お目にかかっていないなぁ。今はどのようなお仕事をなさっているのか気になるところだ。

斉藤さんの弟さんの方が国際的なビジネスマンで世界中飛び回って時々オーストリアウィーンに着陸していたようである。特に中近東の方面が得意でアラビア語はアラブ人よりうまいと言う話であった。

写真が紡ぐ人間のコネクションと言うのは実に不思議なものである。まさかうさぎさんつながりでこんな面白い展開になるとは思わなかった。
うさぎさんの名前はGenji。
源氏物語のあの源氏です

土曜日のトークイベントは午後7時から。まだ若干の座席の空きがあります。

2017年12月 7日 (木)

コンバーチブルホーススーパーアングロン改

Img_5149
Niepsの開催したクリスマス市でコンバーチブルホースマンを手に入れた。スーパーアングロン47ミリがついた改造モデルである。本来のレンズは東京光学の62ミリなのであるがこれが性能がちょっと不満なのである。四半世紀前に銀座のカメラ屋さんでコンバーチブルホースマンに47ミリのレンズのついたのを求めた。

大辻清司先生が手元のパーツを組み合わせて同じようなカメラを手作りされたこともある。
大辻先生はこの手作りの超カメラでご自宅の隣近所を撮影し作品を作りそれをアサヒカメラに掲載されたのであった。

プラウベルマキナプロシフトと言うカメラを私は80年代に愛用をしていた。実際ボロボロになるまで使ったのである。同じく47ミリのシュナイダーのレンズが付いてこのカメラは若干シフトができた。

1年前に神田明神脇のギャラリーバウハウスで開催したプラハの写真展でもこのカメラを使った。
コンバーチブルホースマンはシフトができない。プラウベルプロシフトはシフトができる。両者を比べてみるとシフトができる方が便利そうであるがシフトができなくても別に不便で困ると言うことでは無い。

コンバーチブルホースマンはすでにパーツはたくさん手元にあるので全体の寿命が延びたと言うのが嬉しい。

2017年12月 6日 (水)

ブラパチワークショップ12月10日開催はもうすぐ締め切りです

12月10日開催の
Today Tokyoブラパチ塾中野奥の細道
は12月9日土曜日に締め切ります。
あと若干名様を募集しています。
https://www.facebook.com/events/219982775208755/

2017年12月 5日 (火)

アスタリスク

Img_5102

森下大輔さんの存在は前から知っていた。
東京のインディーギャラリーでお仕事をしている。なかなかのイケメンである。その彼が前歯を損傷してしまったと言うニュースも聞いた。ちょっと無残な感じがした。それは稲垣足穂が神楽坂の袖すり坂で懐手で泥酔して転倒して前歯を折った時以来の事件に思われたた。

Facebookで森下さんのコメントを見ているとそれが断片的なので舌足らずの感じがある。それが今回写真集になったので彼の話している言語が意味不明なままに重層化されて意味がわかるようになった。この言い方は正しくはなくて意味不明な言葉の積み重ねのボリュームが映像に置き換えられる。その結果として森下さんの視神経の飛行距離と飛行の方向ががわかったと言う意味。

アスタリスクという言葉を私が理解しているのは私はライカカメラとレンズの研究者であるから製造番号がダブっているときにこのマークがつくのである。つまり1種のキュリオシティーな存在と言うわけである。森下さんの仕事もそのキュリオシティーの系統を踏んでいる。

写真評論家と言うのはかわいそうな職業であるから森下さんのこの映像の集積を何らかの形に言葉で置き換えようとすることで苦労するのであろう。でもそれは無意味である。
それにもう一つこういう仕事をしている写真家に対してあなたの撮影しているテーマはなんですか?と聞くこともタブーである。

それは質問者である評論家とかギャラリストとか編集者が自分の無能をさらけ出していることに他ならないからだ。写真というのは非常に鋭い両刃の剣であるからそういう?? をズタズタに切り裂く力を持っている。

この写真集を見て私が痛感したのは視神経の反応と言語中枢とは本来国交が断絶していると言う厳粛な事実である。

2017年12月 4日 (月)

今日クリスマスのマーケットでゲットしたレンズ

マーケットImg_5140
四谷三丁目のギャラリーNiepsは真面目な表現の場所であるがそこで中藤さんと飯田鉄さんが中心で
歳末の蚤の市を開催すると言うので行ってみた。大盛況であった。

飯田さんが出品した小村105ミリを手に入れた。小村は懐かしいブランドであって中学生の頃ニコンエフを手に入れた私は望遠レンズが欲しくても純正のレンズは買えないのでレンズメーカーのレンズを買ったのである。それは小村の135ミリメーターだった。

当時は純正レンズに比べて何か安っぽいような感じがしたものだがそれから半世紀以上経って実物を手にしてみるとその作りは非常に立派である。何も手を抜いていないことがわかる。
105ミリレンズは明るさがエフ3.5であってプリセット絞りがついている。私が使っている初期のイタリア製の一眼レフ等は全部普通絞りであるので何かとても現代的な感じがした。

それと思い出したのは一眼レフのファインダーを覗いているときにプリセット絞りで実際に撮影するところまでレンズを絞り込むと前後のピントの深さがちゃんと見えてくると言うことだった。

90ミリとか100ミリとか105ミリと言うレンズは仕事の場合非常に重要であってこれがないと人物は取れない゛物写真も撮れないしとにかくても足も出ないのである。

デビットダグラスダンカンは戦争写真家であるから彼が主に使ったレンズは50ミリの標準と135ミリの望遠である。澤田教1も135ミリの望遠レンズでピューリッツァー賞受賞した。
つまり135ミリと言うレンズは自分の命を守るためにバトルフィールドのバリアの外側から取ることができるレンズなのだ。

一方90ミリから105ミリ位のレンズはそのバリアの内側に入って撮影するレンズと言う違いがある。これも有名な話だがアンリカルティエブレッソンが撮影旅行に行く時出発時持参のレンズは50ミリ90ミリ135ミリだったそうだ。でも2日目か3日目に郵便小包で135ミリだけを事務所に送り返してきたそうである。使いにくくて重くてかさばると言うのがその理由であったらしい。

2017年12月 3日 (日)

ギャラリーバウハウスの赤い柊

ギャラリーバウハウスの赤い柊R0470628

ギャラリーバウハウスの大理石のステップを上ってエントランスの直前の左側にあるのが赤い葉っぱの柊の小さい鉢である。よく注意しないでずっとそうだと思っていた。数日前3人のおばさん連中がエントランスの前でたむろしている。ギャラリーのお客さんかなと思ったが中に入る様子は無い。接近していて私がギャラリーに入ろうとした瞬間に短い会話が聞こえたのである。

こういうやり方もあるのね。
おしゃれだわねとか言ってそのまま神田明神のほうに去っていった。

ギャラリーの客さんではなくてエントランスの小滝館長が飾った植木の赤い柊の葉っぱを褒めているのである。これは逆にポインセチアなどよりも目立つ。

winのクリスマスのマーケットも有名であるが思い出してみるに赤い柊の葉っぱと言うのはそれほど記憶にはない。winで年の市に思い出すのは1連の幸運のマークであると言う豚さんの貯金箱とか煙突掃除の真っ黒い服装をしたおじさんのフィギアなどである。

赤いクリスマスの柊の葉っぱ系統と言うのは小滝さんが住んでいた英国のほうのスタイルなのであろうか? ウィーンのクリスマスの飾り物の柊は金色にペンキでにぬられているものがほとんどである。それとやどりぎで玉の形円形になった緑色の魂を飾ったりする。

あれはドイツ語でなんて言うのであろうか?
以前友人の大学の教授の家にクリスマスに呼ばれて行くときにそれを途中の花屋で買った。縁起物なのですごく高かった。忘れるといけないので花屋の店員さんにドイツ語を教えていただいたのだが完全に忘れている。

そういうわけで12月になると慌ただしくカレンダーの日にちが変わって新年になるわけだ。

2017年12月 2日 (土)

つげ義春さんはスーパースター

つげ義春さんはスーパースター。開催中のギャラリーバウハウスでオーナーの小滝さんと話をしていた。話題がつげ義春さんのことになった。我々の時代はまさにつげ義春の漫画を軸にして回転したわけである。
彼の漫画はもちろん素晴らしいが彼が撮影する写真がいいと言う話になった。確かキャノンの古いレンジファインダーのカメラか何かで寂れた温泉場などを撮っている写真が良いのである。

小滝さんと2人でつげさんに私の写真展の案内状を送ろうと言うことに話が決まった。それでその翌日にギャラリストの村田さんが宛名を書いた葉書を持ってきた。一筆書き加えようと思ってちょっと考えた。つげさんは記憶が良いから私の事は覚えていると思うがそのキーワードとして次のように書いた。

写真展の案内状を送りします。ミランダTの田中長徳です。

話は80年代にさかのぼるが私は義春さんと個人的な親交があった。最初に電話をかけてきたのはなんとつげさんの方なのである。自分から名前は名乗らなかったけどその人はつげさんとすぐ私にはわかった。義春さんは調布の多摩川住宅にお住まいで私もそこに住んでいた。それで時々団地中央と言う商店街にある喫茶店でお目にかかってカメラの話をした。

つげさんはジーパンにカッターシャツで下駄を履いてきた。第一人称を自分はと言うのである。何か運動部的な言い方であるがそれが面白かった。

もちろん漫画の話などはしやしない。もっぱらつげさんが当時興味を持っていた国産のクラシックカメラの話なのである。そこら辺の事はつげさんの作品カメラを売るに触れられている。

何回目かに団地中央の喫茶店で会ったときにつげさんはミランダTを探してきてくださいと私に頼んだ。私は1982年から1年間文部省文化庁の派遣員芸術家としてニューヨークに行ってニューヨーク近代美術館で写真を研究する予定だったのである。

マンハッタンに到着してグランドセントラルステーションのコンコースにあるカメラのスワップ会場でそのカメラを手に入れた。
ほぼ1年後につげさんに連絡をしてそのカメラを多摩川住宅の2階のお住まいに持っていった。その時義春さんが私を団地のにかいの3畳の部屋の彼が仕事をしている場所に入れてくれたのである。これは感激だった。
仕事机と本棚の外には何もないような部屋であった。その本棚の中は本ではなくてカメラがいっぱい詰まっていた。カメラをお見せして義春さんは私に値段を聞いた。20,000円ですと私は言った。

そうしたら義春さんは台所のほうに顔を向けて20,000円だってと大きな声を上げたのである。
それではいただいておいたらと奥さんからの声がかかって奥さんは財布からお金を出して私に払ってくれた。何か無能の人の映画の中のワンシーンのような感じがした。

2017年12月 1日 (金)

オーストリアウィーンの初雪

オーストリアウィーンの初雪Img_5099

1,970年代以来のウィーンに住んでいる古い友人からFacebookに掲載されているwinの初雪の写真が届いた。
40数年前の友人が同じFacebookに同期をしているのは何か非常にありがたいそして不思議な感じがする。
その朝のwinの住宅街の雪の写真を見て思い出したのはwinは暖かいなと言うことだった。ウィーンは寒いところであるから本当に寒くなると雪などは降らないのである。

だから雪が降ると言うのは例えばマイナス20度の恐ろしい寒さなどではなく氷点下よりちょっと気温が下がっているという印象を受ける。これが私のwinで感じる気温と雪の関係なのだ。

それでも雪が降った時は大変であって雪かきの作業員がたくさん出てくる。大雪になると人員が足りないので電車の中に雪かきの作業の募集が張り紙されていたのを思い出す。

当局は主要な道路は全部雪かきをするわけであるが公園に沿った長い道とかそういうあまり人通りがないようなところは雪かきはしない。そこには大きな看板が出ていてここを通過する時は各自の危険負担で歩くようにと言う警告がある。そういう看板も懐かしく感じる。

私が暮らした7年半でそれほどの大雪はなかったがいちどだけ豪雪があった。膝を超えるほどの雪の深さであった。

でも 写真になるような雪はせいぜいこの程度の雪なのである。
Img_5097


« 2017年11月 | トップページ

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31