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2017年11月30日 (木)

ナチュラルローソンのグリーンカレーまんじゅうが辛い件

まんじゅうが辛い件Img_5088
私はテレビを見ないが家人の部屋にはテレビがある。それで街の噂話としてナチュラルローソンのグリーンカレー饅頭が非常に辛いと言う話を届けてくれた。それはそれでずっと忘れていたのだがある日の午前中にナチュラルローソンの前を通って急にそれを食ってみたくなった。

店内でキャッシャーの脇を物色したらいい具合に1個だけ残っていたのである。何を思い出したのかと言うとライカM3の軍用モデル緑色にペイントされたライカカメラのことである。

東西ドイツが統合された直後に旧西独のどっかの街を歩いていたらカメラ屋さんにオリーブに塗装されたライカM3カメラが1台だけ残っていた。まだドイツマルクの時代のことで値段を見たらかなり高いので買うことができなかった。そういう緑色の記憶が肉まんじゅうとライカカメラとでオーバーラップしてくるわけである。
1個だけ残っている緑色の肉まんじゅうを買うと言う事はレアなライカモデルを買うのとほぼ同じ意味なのである。この場合いっこしか残っていないというところが重要である。

買ってきた緑色の肉まんじゅうは家人と半分ずつ味見をしたがそれなりにおいしかった。しかし値段が150円と高い。今はもうない東池袋の名もなきころっけやの好きだったコロッケは50円であった。

そのように物価というのはどんどん上がっていくものである。肉まんじゅうで私が好きなのは北京の北のはずれの湖の脇にある清真レストランの豚まんじゅうではなくてひつじ饅頭である。

数年前はいっこが確か4元だった。あれをまた食ってみたい。

2017年11月29日 (水)

アストロベルリン800ミリのシッピングで苦労する

明日のベルリン800ミリのシッピングで苦労するImg_5086

アストロベルリン800ミリが最初にライカカメラのカタログに登場したのは1939年であったか。当時はライカは1番長いのがデリートの400ミリだったからこれは同じドイツ帝国のベルリンで作られたものであるのでそういう特殊用途向けにカタログで紹介したのだと思う。

このアストロベルリン800ミリは戦後に作られた1段明るいレンズで驚くなかれ絞りが5なのである。
10年ほど前にプラハから買ったのだがセラーの説明によると国境警備が使っていたものだそうだ。
国境警備の兵隊さんはプロの写真家では無いからレンズが回せないように最初から無限に固定してあるのである。ただしヘリコイドとフォーカシングハンドルはついているからロックを外せば回転することができると思う。

この巨大な望遠レンズを巨大な三脚の上に乗せて隅田川の上流のブリッジを撮影していた。このレンズをシッピングする必要が出たので専用のケースを引っ張り出してきて格納しようと思ったが格納できない。
10年前にプラハから送られてきたときはこの専用の黒いセットケースの中に全部装格納されていたのである。

重いレンズをどうにかしてセットケースの中に入れようと格闘していて筋肉痛になってしまった。ドイツ人の技術が凄いと思うのはカメラもそうであるがそれを格納する専用ケースというのが実によく作られている。実によく作られていると言うよりも実によく作られすぎていて寸分の隙もないから融通を聞かせることができない。

このセットケースの凄いのはケースの1部がさらに蝶番で開くようになっていて何かそこをトリックでやると全部レンズが入るような仕掛けになっているようであるが何しろ10年前のことなので記憶から飛んでいる。

長さ35センチほどある専用の巨大なレンズフードがどうしても入らない。仕方がないからそれだけは別便で送った。

アストロベルリンのレンズは他に640ミリを持っているがこれも明るさがF5なのでかなり大きい。でも800ほど大きくて重くは無い。このレンズでありフレックス16ミリをつけて佃の上空を南中する満月をとっていたのは四半世紀前のことである。そのショットは私の連載日本カメラの明記礼賛に掲載されている。

アストロベルリンのレンズはは非常に高価で優秀なレンズであるがなぜ半世紀前にこういうレンズがたくさん作られたのかと考えてみるねフイルムの感度が遅かったからである。
デジタルの時代になってレンズはかなり暗くてもちゃんと画像を撮影することができる。

でもフィルムが全盛の時代にはそれができなかった。

東京オリンピックを記録した当時の1965年のオートニッコールテレ1,200ミリf 11と言うのも持っていた。
でも最近もっぱら使っているのは800ミリではF8のレンズである。640ミリもF8のレンズである。デジタルで写真を取ったりムービーを取ったりするならこの程度の暗いレンズで10分なのだ。

2017年11月28日 (火)

激辛ビーフカレーが11個

激辛ビーフカレーが11個Img_5082

いつも常用している激辛カレーがこれである。大抵10個仕入れてくる。0時に持っていったらキャッシャーの人が11個ですねと言われたのではいそうですと言った。大体数は10個ぴっちりに買わなければならないという規定は何もないのである。

長年デリーのカシミールを愛用してきた。でも値段はなかなか高い。昭和20年代に開業した
デリは創業者がTanakaさんである。今も田中さんである。創業者の田中さんがメニューを作ったときに校正ミスで1番辛いカレーをカシミールにしてしまったそうだ。

本当のカシミール地方のカレーはマイルドなものでインド大陸は南に行けば行くほど辛くなると言うのが真実らしい。でも直しををしないでそのまま出てしまって何十年も経ったら日本ではカシミールカレーと言うのは激辛カレーの代名詞になってしまった。

来年の2月の10日過ぎまで神田明神脇のギャラリーバウハウスでwinの写真展を開催しているがその時だけ私は聖橋のそばの学生街のカレー屋に行くことにしている。そこにもカシミールカレーがあってそのカシミールカレーは激辛なのである。

この激辛カレーをいつも10個ずつ買っていると言うのは何の根拠もない。それが偶然いっこプラスになってしまったと言うのは非常に意味がある。誰でも自分の残りの人生の日にちをカウントしているわけではない。それと同じことでこういうものはいい加減に買うのはそれが良いのである。

1個93円と言うのも非常にお買い得である。1時マネージメントが何を勘違いしたのかこれを180円で売っていた。私も買うのを手控えたが一挙に売り上げが落ち込んだようである。それで一月ほど経ってまた売り場に来てみたら元の値段に戻っていた。

2017年11月27日 (月)

新しい渋谷のギャラリールデコ

渡部シャトル師匠のワークショップ2bの卒業展を最終日に見てきた。ギャラリーは全く新しくなってモダンな建物になった。

1,983年頃に朝日ジャーナルの連載で8x10の大型カメラを持ってこの渋谷界隈を撮影した時だが、渋谷と言うのは中高年には冷酷な街でちょっと腰をかけるようなところが全くない。ものすごい腰痛でえらい目にあった。

それでその当時4× 5インチのカメラで1連の渋谷シリーズを撮影した。サリン事件の当時の事だからずいぶん昔になる。タイトルはズバリ 渋谷嫌い と言うのだ。

六本木ヒルズ時代にGoogle2ようがあって行ったことがあるがそのGoogleは今度は渋谷駅前の凸凹ビルに引っ越してきたらしい。周りに空き地がないので歩いていると実に息苦しくなる。
しかも日本の高度成長期に作られた横断歩道今日もジャングルであるから年寄りには酷な街である。

ルデコのギャラリーに行ったのは吉村昭の写真展以来だからずいぶん久しぶりだ。2b卒業展示は3フロアぶち抜きで見ごたえがあった。

一巡して痛感したのは女子のパワーの増大である。
Google マップのデッドエンドの場所ばかりを100数10点集めたり、冬青から出版された写真集を会場で売ったり、壁面を全部占拠した大型のモノクロプリントをわざと凹凸に展示したり、さらには北欧のきれいな風景を20個ぐらいフレームに入れてそれが全部左が傾いた状況で展示されているので三半規管がおかしくなったりする。

師匠プライスに輝いたのはフラットニングもしてないカーリングのすごい大型モノクロプリントがメタメタに貼ってあるやつなのである。将来が楽しみだ。
こういうのはフレームマンの会社が嫌がるだろうな。
シャトル師匠は現代美術に目覚めてきてしまっているようで5年前には考えられないような進行方向感覚なのである。
展示作品にびっくりして写真を撮る暇もなかった。


写真は渋谷の凸凹ビルヂング。マリアン撮影


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2017年11月26日 (日)

ギャラリーバウハウスエディション1のシトロエン

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ギャラリーバウハウスでのロバートフランクの展示に教えられたことがたくさんある。モノクロゼラチンプリントでロバートフランクの作品で画像イメージが非常に曲がっているのがあった。
これは非常に象徴的な出来事である。

写真学校なら最初に没になって先生に叱られる斜めプリントであるがフランクがプリントするとそれは作品として通ってしまうのである。私はフランクの信奉者であるからそういうこともありなのだと考えた。

ギャラリーの小滝さんに相談したらそれは面白いからやってみろと言うことになった。それで長年写真展をやっているがこの作品は最初からわざと斜めに画像を展示しているのである。


この作品も含めて1カ所に固めてある作品群は6点からあるがそれは実はネガフィルムが紛失してもう手元にないのだ。この雪のシトロエンの写真はもっぱら私のFacebookで夏にアップしているのだが人気のイメージなのである。

だからエディションは1ということになる。別に自分の不注意でネガをなくしたからそんなにいばる事は無いのであるがそのような私のだめなバックグランドは別としてもエディションが1なのである。それを狙ってわざわざ走ってこの作品を買いに来てくださったコレクターさんがあった。誠にありがたい次第である。

以前森山大道さんにお話を聞いているときに例の代表作振り返り犬の森山さんの作品であるがあれはネガが失われていて今流布しているのは何でもオリジナルのプリントの複写なのだそうである。そういうふうにオリジナルプリントの神話と言うのはどんどん宇宙空間のように膨張していくわけだ。

2017年11月25日 (土)

ロンドンのGandorfi

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神田明神脇のギャラリーバウハウスでロングランの私のwinの写真展が始まった。それで思い出すのはwinの事とは全く関係のないロンドンのGandorfiのことである。これは古い組み立てカメラのメーカーでと言うよりも当時は組み立てカメラがスタンダードであったからそういうカメラなのである。

1,970年代はインターネットのない時代であるからブリティッシュジャーナルオブフォトグラフィー等の広告でその存在を知ったのだ。そういう小さな広告でもその影響力は非常に強いものがあって日本から短期間でにwinに来ていた写真家などはこのカメラを買いにロンドンに行くのが何か聖地巡礼のような感じで熱く語っていた。
ただしその日本人写真家は英語がダメだと言うので通訳で私を連れて行こうと思ったようである。それで一緒にオペラ座の向かいにある英国航空に航空券の値段を調べたら彼が想像する数倍の値段であったのでまずロンドンにカメラを買いに行く前に全体の計画がアウトになってしまった。

ちなみに外国に行くのにその行った先の言葉が多少しゃべれるなどと言うのは偉くも何ともない。それで私が尊敬するのはなくなった写真家の平さんが滞在のベルギーからカメラ雑誌の仕事でロンドンに行った時に何の取材だったか忘れたがちゃんと向こうで日本語英語の通訳を雇ったそうである。
これはこれで正しい取材の方法であると思う。

その頃のロンドンのGandorfiはいきなり人気が沸騰したのである。何かの話で日本のどっかのコロッケ屋さんのメンチカツが何年待ちと言う噂があるがそういうのはガセネタであろう。しかしロンドンのこのカメラはちゃんとしたステータスがあるから3年待ちと言うのもまんざら嘘ではないと思われた。

ロンドンのGandorfiには私は縁がなくて結局日本に戻って立原を使いアメリカに行ってデアドルフを使った。
カメラ友達の柳沢さんが私にロンドンのGandorfiを譲ってくれたのだがこれは英国仕様のサイズであってフルプレートとかハーフプレートとか言う奴だ。高級愛眼物でテーブルの上の置物にはいいが実際にフイルムを入れる事はできない。それから10数年経ってロンドンのGandorfiがなくなったか何かで同じブランドの別の資本が作ったようであるがそれがバリアントと言うシステムなのである。

こっちのほうも木製だがペイントがブラックなのだ。それで同じブランドの三脚を用意して統一性を持たせてある。
上の写真であるが1,970年代に私がこれを見たときはまず3人の紳士連中の洋服の着方がいかにもロンドンであるなと思ったことが最初の印象だ。2つ目はおじいさんのメンバーだなと思っていたのがそれから40年経ってみると自分がおじいさんになってしまったので逆に彼らの風貌を追い越してしまって若い連中がやっていたんだなと言う印象も痛快である。
英国だから私のカメラのサイズは4 × 5ではなくて5 × 4なのである。なぜこういう呼び方をするのかは未だにわからない。
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2017年11月24日 (金)

写真展の初日に中藤さんが著者近影を届けてくれた

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ギャラリーバウハウスでの私の個展CT 70がスタートした。初日からたくさんのお客さんが見えて千客万来であった。実は原稿を書こうとして用意していたのだがそーゆー時間は1分もなかった。誠にありがたい次第である。

中藤さんも初日に駆けつけてくれた。そして嬉しいことにこの前ある雑誌のために中藤さんが私を撮影してくれた写真を届けてくれたのだ。
実際の撮影は高級デジタルカメラで撮影してそれが終わったら中藤さんはカメラバッグから今田レックスを取り出したのである。これにはびっくりした。しかもレンズはツアイスのプラナーの55ミリのf 1.4なのである。私も使っているがこれは素晴らしい魂である。

それをゼラチンシルバーペーパーにプリントしたものを3枚届けてくれたのである。サインをお願いした。そこに居合わせた野々宮さんはIT関係者だからペンを持っていないのである。
中藤さん野々宮さんそして私と3人が揃うと何かパリのギャラリーにいるような気がしてくるのも愉快である。
中藤さんはカメラバッグから2つのペンを出してそれでサインしてくれた。これが面白いのだがその2つのペンはいずれも途中でインクが切れたりしている。だから3つのオートグラフはそれぞれの異なるバージョンなのである。
後年になって中藤さんの研究家がこのプリントを見てこれは本物だとか偽物だとか500年ぐらい経つと論議が起きそうでそれが楽しみだ。

5年ほど、沢木耕太郎さんと対談をしたときは以前にバウハウスでも個展を開いた稲垣さんが我々のポートレートを撮ってくれた。これはハッセルブラッドであった。その写真を稲垣さんは私に送ってくれたのである。これもありがたい。

庁舎金笑という言葉を音声入力でやるとこういう文字になってしまう。
著者近影である。
中藤さんの許可をいただいてこの写真をこれから出る私の本に使わせていただくことになったのも嬉しい。
私の尊敬するウォーカーエバンスの分厚い写真集ファストアンドラストというのがある。 20代の青年時代のエバンスと晩年のエバンスが表紙に並んでいる写真集である。私もそーゆー年代になってきたのが面白い。


2017年11月23日 (木)

新小岩南口のアーケードの丸石自転車の販売店がなくなってショック

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新宿線で篠崎駅まで行って南口からバスに飛び乗る。私のルールは最初に来たバスに乗ることである。この乗り場は小岩駅行きと新小岩駅行の2つがある。以前小岩と新小岩の間を歩いたことがあるが1時間ちかくかかるのだ。

小岩は江戸川区新小岩は葛飾区でお互いに仲が悪いなどと聞いたことがあるがますがそんなことはあるまい。

ところが篠崎から来るバスは私の場合はなぜか小岩行きのバスが最初に並べてくる。それでこの数ヶ月いつも小岩に運ばれていた。今回も待っていたら最初に小岩駅が来たので初めて1台だけバスを待った次に来るのは新小岩である。
前に立っているおばあさんがどうぞと私にすすめたので私はいやこれじゃなくて しんこ と言ったのである地元の人はこれで通じるのだ。

小岩駅前にはアーケードはないが新小岩駅には非常に長いアーケードがある。消失点が見えなくなるほどの長いアーケードである。そのアーケードの南の端にあったのがクラッシックな丸石自転車の販売店であった。もう商売はしていないようだが戦後の私が少年時代の高級な自転車屋のファサードがそのまま残っているのである。

その自転車屋さんの向かいには小さな和菓子屋さんがあって数年前の非常に暑い夏の日にそこでいっぱいの氷を食べたこともあった。久しぶりに自転車屋さんに行こうと思ったらなくなっていた。と言うよりも派手なオレンジ色のファサードになってしまった。

よく見ると地元の商店会か何かの流通センターになるようである。まぁそれも時間の経過で仕方のないことであるかもしれない。自転車屋さんと言うのは本来ライト兄弟がローカルな自転車屋さんであったからそれを基本にしてそらとぶ自転車のライト式飛行機ができたわけである。

私は自転車屋さんを尊敬しているのである。

2017年11月22日 (水)

CT70本日スタート A5ランクの写真家人生

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ギャラリーバウハウスで私の写真家生活半世紀の活動をちょっと記念した写真展が22日から始まった。

家人の友人で西に住んでいる人が時々牛肉のA5ランクを送ってくれる。これはFiletの分厚いやつである。

単純に贈り物として喜んで食べていたが冷静に考えてみるとこ西に住んでる友人からある時依頼されたことがある。
皇后様が王子の音楽ホールにお友達のピアニストの演奏を聴きにこられたことがあった。私はそのの友人から頼まれて家人と一緒に王子の音楽会に行ったのである。
皇后様がカイザープラッツの最前席でその周りを我々下々がぐるりと取り囲んだ。皇宮警察の人はわれわれは青い目立たないバッチを胸に付けているのでそれが誰であるかわかるわけである。言い方悪いがこれは人間のたてのようなものだな。牛肉をもらったのはその後であったような気がするがかなり前の話なので記憶が定かでは無い。

それで今回ギャラリーバウハウスの写真展の初日の前に何しろ今回の写真展は私の人生のビックイベントであるから何か家で家人とお祝いをしようと考えた。
それで数年前の高級な牛肉のことを思い出して下の高級スーパーに行ってみたらこれが非常に高い。
肉の値段とは思えないほど高いのでその中で1番安いやつを買ったのががこれである。それでも非常に高い。たったの100グラムだから2人で分けると50グラムか。

そのパッケージを見ていて思い出した。
Yasuhiro Ishimotoさんの作品だ。
確かカメラ雑誌カメラ毎日の連載だったと思う。ページの見開きでスーパーで売っている食品のパックを大型カメラで撮っている作品だった。当時は何もわからなかったがあれから50年が経つとその意味がだんだん見えてきた。その真似事なのである。

今回3ヶ月のロングランのギャラリーバウハウスであるがバウハウスの小滝さんが良いのは長いお付き合いであるけれど1度も一緒にお酒を飲んだことがないと言うのが良い。
小滝さんと一緒に飲んだものはギャラリーでのおいしいエスプレッソだけなのである。そこが毅然としていて信用ができる感じだ。

大体オープニングレセプションでケイタリングをとって黒服のギャルソンシャンペンを注いで回ると言うのは政治家にやらせておけば良いことであって我々にはそういう事は御免である。

だから酒を飲みながら音楽を聴いたり酒を飲みながら写真芸術について語ったりするのは非常に虚しいと思う。ものをむしゃむしゃ食いながら写真集を見るなどと言うのは最悪である。

アメリカあたりの悪いエンターテイメントの趣味が日本に押し寄せてきているわけだ。敗戦から70年以上たってもそのような悪い癖と言うものは抜けないと言うことがこれでもよくわかる。

2017年11月21日 (火)

Travelingサムソンのしと

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1980年にオーストリアウィーンから日本に帰国して富士フイルムのサポートを受けて東京のシリーズを撮影した。作品もいろいろなところで発表した。今にして思うと80年代の東京8x10撮ったと言うのは貴重な体験であった。その画像はもちろん今私の手元にある。

Yasuhiro Ishimotoさんと8x10カメラの路上での撮影テクニックについて40分近く会話をしたことがある。それは石元さんの個展の会場のエントランスなのだから実際に貴重な体験だった。結局撮影の時に持っていく機材をどのようなカバンに入れてもっていくかと言うことに終始したのである。

私は大型カメラの撮影ではもっぱらtravelingサムソンを使用した。クイックセットのプロフェッショナルな三脚であるがフルサイズのサムソンはちょっと重いし大きすぎる。そのサイズを半分にしたのがトラベリングサムソンである。カメラを載せるプレートがスクエアで大きいので大型カメラ向きである。

1日外を歩きまわって月島の駅に戻ってきたら前を歩く男性がそのtravelingサムソンを右手に下げているので非常に懐かしく思った。この三脚の持ち歩き方はこのように三脚をほんのちょっとだけ開いてそこをつかむと楽に運搬できるのだ。

時代が一挙に1,970年代に戻ったような気分でやる。クイックセットの三脚ではサムソンの上のクラスがハーキュリーズと言うやつでそのさらに上の1番重いのはジブラルタルと言うのである。

その名前の付け方がアメリカンで実にいい感じである。

2017年11月20日 (月)

プラチナブロンドのしと

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日本の学校で髪の毛が色が違う人を強制的に黒に染めさせると言うばかばかしい話に呆れている私である。
長く住んだオーストリアウィーンであるが住民票登録するときは区役所ではなく警察に行くのである。警察に対する感覚が日本だとすぐ犯罪に結びつくがそうではなくてパブリックな場所と言う感じがする。それで住民登録をするときに髪の毛の色と目の色を書く欄がある。

髪の毛の色は黒で目の色も黒とかいたら係りの人があなたの目の色は黒ではなくて茶色ですと訂正された。それから半世紀近く経っているから私は今住民登録をするとしたら髪の毛はグレーと書くべきである。
あちらで会話をしているときにまだ会ったことのない人の話を持ち出したりすると必ず最初に聞かれるのは髪の毛は何色で瞳はは何色ですかと言うことだ。それでまだ会ったことのない人をイメージできるからである。

月島駅でメトロを待っていたら目の前に白髪の綺麗なおばあさんがいると思った。これは私の日本に長く住んでいるためのとんでもない考え違いであってよくよく観察したらプラチナブロンドの美人さんであった。

アンディーウォーホールはスロバキア出身のセカンドジェネレーションであるが彼もプラチナブロンドでなかなかかっこよかった。

この極東の街ではブロンドの人を見る事はたまにあるがプラチナブロンドを見る事は稀である。長年住んだプラハにはそういうきれいなプラチナブロンドの人が結構いるのである。それで何か国際的に感覚が蘇ったような気がした。
残念ながらそのプラチナブロンドの人は次の駅で降りてしまった。
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2017年11月19日 (日)

フリーダムな人生がすばらしい

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12月10日日曜日の第4回ぶらりパチッワークショップのロケハンに行った。中野駅北口で森山大道さんに偶然お目にかかったりしてなかなかラッキーだった。

4回目のワークショップのテーマは 中野奥の細道 と言うのである。20年ほど前にカメラジャーナルの編集部があった事務所は駅から15分以上かかった。実際には天気が悪かったりすると20分近くかかったかもしれない。

それで毎回同じ道ではつまらないので自分でルートを開発して楽しんでいた。これが私の奥の細道である。カメラジャーナルのオフィスの手前に忘れられたような小さな神社があってそこがひとかたまりの商店街になっている。その中に間口の狭いブルースカイ色のスナックがあった。

そのスナックの名前にはついぞ興味を示したことがなかったが20年ぶり位に見たら当然のことながら お店の名前のロゴも既に剥がれているのであるがその剥がれた後の文字の輪郭をたどってみるとそこにフリーダムと言う文字が読めたのでちょっと感動した。

電話番号を透かしてみたら3桁であるからよほど古いスナックであるらしい。
そのスナックのファサードを撮影してそれからその場を立ち去ったら私とすれ違いで老夫婦が登場した。男性の方が両手に杖をついているがまだ矍鑠とした感じである。そこを離れようとして私の視線に飛び込んできたのは奥さんの方がそのフリーダムのドアの鍵を開けていたことである。

こういう瞬間は人生にはまんざらたくさんあることではないので感動した私はまた静かに歩み寄ってGRで1枚撮影をしたのである。

思えば20年以上前に豊島区北池袋の捨て石と言う飲み屋に出会ってずっとそこを観察していた。東京散歩カメラと言う私の写真集にもその店は登場している。その時点で既にその飲み屋は閉店していたのだが長年の張り込みの成果があって最後にそこのご主人が他所から自転車で帰ってきた瞬間に遭遇できた。その写真も私は持っている。
その翌年の夏に捨て石は完全に更地になってしまった。

それにしてもフリーダムと言う屋号はいかにもフラワーチルドレンの末裔らしくちょっとした感動を覚える。ウッドストック流なのである。

そういうフリーダムにシンパシーを感じた当時の若者が今は歳をとっていると言うことこそが自然の摂理であって何か悲壮感というか生命のラストチャンスの躍動をそこに感じるのである。つまり老人というのは生命が躍動している存在なのだ。


❤️❤️❤️ネットで検索したらフリーダムはまだ営業しているようである。これは嬉しい。今度行ってみよう。

2017年11月18日 (土)

福神橋うらての不思議な公園  その2  

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福神橋公園の先にある不思議な公園の話の続きだ。 金属製のオブジェである。子供用の遊び用具である事は確かだ。ただ骨組み骨格しか残っていないのでそれが何であるかわからない。 よく見ると銀色のペンキの痕跡がある。銀色のペンキと言うものに私はノスタルジーを感じているのだ。チェコのプラハの路面電車の手すりがそうである。金属製の手すりなのにわざわざその上に銀色のペイントを塗り重ねてあるのだ。そして手入れが悪いからそれがはねかかっているところに私はかつての東ヨーロッパ大勢のノスタルジーを感じている。 新しいチェコ共和国になってからは路面電車は全部ピカピカの新品であるがごくたまに社会主義国の名残の電車に乗ることもある。それがいい感じである。 銀色のペイントでもう一つ思い出したのはポルトガルのコインブラの児童公園である。 そこには戦前の飛行機Fokkerのエンジンが3つ付いているのが展示されて子供の遊び場になっていた。 この展示用の飛行機もボロボロなので所々が銀色のペイントで補修されている。 その様子が気にいったのでポラロイドのSX 70で何枚か撮影をした。1980年の9月の話であった。 そういう過去の記憶がごっちゃになっているところにオブジェを見て昔の記憶が一挙に蘇ったのが嬉しい。

2017年11月17日 (金)

60年ぶりに豊島園に行こうとしたらイタズラなフェアリーが豊島園を隠してしまった

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)メトロの大江戸線は東京をほとんど一蹴しているから、そのまま西に行くと光が丘に到着する。その2つ前の駅が豊島園である。思いついてほぼ60年ぶりに豊島園に行くことにした。60年以上前に家族連れで出かけた1日の行楽の記憶の中でウォーターシュートが懐かしかったからである。

まだあるのかなと私は考えた。ところが駅に降りてみると通路に誰もいないのである。ちょっと予感がしたのである。その前の日にやっぱりフェアリーにいたずらをされて中野から新井薬師に行く道をロストしていたのである。

稲垣足穂によればフェアリー連中は最近フェアリーになった連中は人間を騙したりいたずらをするのが好きなそうである。それでなやにある枯れ草を吹き散らしたりミルクのアルミ缶を倒したりして田舎者を驚かせるのである。特に最近フェアリーになりたての小鳥子猫子犬連中はいたずらが面白くて仕方ないようである。

メトロの駅から豊島園の大通りに出たら案の定私のフェアリーが豊島園を隠してしまったのである。フェアリーは人を隠したり土地を隠したりするだけではなく人と人との出会いをセットすることもある。

ちょうどその前の日の火曜日の午前11時43分に私は中野駅北口で森山大道さんに1年ぶりに遭遇したのである。こーゆー偶然は有り得べきではない。
これは偶然ではなくて、天国から見ている新米の天使のフェアリーが森山大道さんのチェスの駒と私の駒をくちばしでちょんちょんとくっつけたから私は森山大道さんに遭遇したのである。
森山さんも狐につままれたような顔をしていた。

私はフェアリーに騙されないようにして思っているのと反対の方向に行ったらそこに豊島園のメインエントランスは登場した。ところが最初に目に入ったのは本日おやすみと言う大きな立て札であった。実際フェアリーはいたずらが面白くて仕方ないわけである。

メインエントランスの前の椅子に座って水を飲んでウイスキーの小瓶を1口口に含んでそれでまたメトロの駅に戻った。あ、、、いたずらをするのはこいつだなとすぐわかったのである。
私の愛するフェアリーはこいつであった。
結構有名フェアリーらしくてメトロのコンコースに彼のまたは彼女のレリーフが既に取り付けられているのであった。

2017年11月16日 (木)

東京夢の下町というバスに乗る

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東京都のバスには長いこと乗っているが東京夢の下町という名前のへんてこな名前ののバスがある。一応路線バスのようである。
クラシックをマネした変なデザインである。50年代のマンハッタンのバスを真似したような感じがする。そういう価値観で見ればロバートフランクがバスの中から撮影した写真を真似してこのバスに乗りたくなる。
でも気になったのは夢の下町の夢という形容詞はともかく,このバスが走っている場所は実は下町ではないのだ。 でもそういうこと気にしてもしょうがないのでいつか乗ってみようと思っていたが、東京スカイツリーで押上のバス停で待っていたらこのバスが来たのでとびのった。いちばん後の左側ノ席に座ってみたらこれが丸い窓なの晴らしが非常によい。
建築家黒川紀章さんが設計した銀座8丁目のカプセルタワーに2年ほど仕事をしたことがあるがあそこの窓がやはり丸いのである。キャビンの窓もまるいからそういう意味ではこのバスと共通項がある。
乗っている人の会話をそれとなく聞いていると東京以外のヒトなので話の内容が楽しい。窓から通過する全ての風景にびっくりしているのである。何かマンハッタンでグレーラインの観光バスに乗っているような楽しさがある。
浅草を経由して上野から日本橋の三越を通って東京駅北口までのルートであるが日曜日で歩行者天国だから大遠回りしていった。それにアメリカの大統領が来たとばっちりも受けているのかもしれない。
予想以上に時間がかかった。 東京駅に到着したときにはくたくたになっていた。
旅行疲れということになるのかな。

2017年11月15日 (水)

肖像権とスナップ権

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第3回のブラパチ塾のメインテーマは肖像権とスナップの権利についてで皆で考える事だった。

3年前の夏に蒲田駅の池上線何番目のの踏切か忘れたがそこで午後おそくに踏み切りの真ん中であちらから来た女性をスナップした。その事は私の日記の数年前の夏に書いてあるはずだが検索がめんどくさいのでここでは指摘しない。

その女性は私を追いかけてきて撮影されると困ると言ったので私はそこであなたはパブリックな場所であからここでは肖像権を主張することはできない、でも不快に感じるのなら今の画像を消去しますよと言って消したのであった。

肖像権とスナップの権利の関係についてはカメラ雑誌などでもいろいろ問題になっている。それでブラパチワークショップでもそれをテーマにして現場検証した。

スナップ写真の巨匠で言えばロバートフランクなどはパブリックな場所でも個人的にアプローチして撮影するからいろいろトラブルが起きそうである。
フランクがGuggenheimフェローシップをとってアメリカをずっと旅行しているときにアーカンソー州で怪しい外国人として警察に止められたことがあった。それはマッカーシイの赤狩りの1番最盛期の時なのである。

ウィリアムクラインの場合はもっと頭が良くてカントリーフェスティバルとかそういったお祭りの時にしか撮影をしない。そういうフェスティバルの時はみんな心が開いているからかなり突っ込んだスナップショットでも問題ないのである。

スナップが禁止されると言う事は我々写真家にとって表現の非常に重要な部分を阻止されてることだから絶対に納得はできない。
3年前の夏の状況を再現するために参加メンバーのお一人にお願いして踏切を実際に歩いていただいた。それを私が撮影したのはこのショットである。さらにワークショップ参加のメンバーの方がその状況撮影してくださった。

私の友人でジャーナリストの方が東京のどこかで小学生の子供の集団を取ったらその小学生の言い草が気に食わない。なんで取るんだ一緒に交番に行こうと言うのである。
これは恐ろしいことだ。
どのような初等教育をしてるのか。


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2017年11月14日 (火)

東急プラザ かまたえん 大観覧車

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世界中にある大観覧車の中で最も有名なのはオーストリアウィーンにあるプラタ公園の大観覧車である。19世紀終わりの万国博覧会のために作られたものだ。

映画第3の男であまりにも有名で主人公が大観覧車の中ゴンドラの中でいろいろ会話をするシーンがある。
でも当時の映画であるから実際に空中から撮影をしたのではなくて背景をスクリーンプロセスで撮影して地上に固定されたゴンドラの中で演技をしたようである。

私は長らくこのゴンドラに乗った事はなかった。プラタ遊園地のロケーションが悪いので眺めが上からの眺めが最低なのである。それでも世界中のツーリストが1回だけ騙されると言うことになればこの100数十年でかなりの稼ぎがあったはずだ。

winの大観覧車は本来は今稼働しているちょうど2倍の数のゴンドラがついていた。でも戦後になって構造が古くなっているという理由から半分に減らされたのである。

それで第3回目のブラパチワークショップのメインイベントと言うのがこのちょっと小さめの大観覧車に乗ると言うのであった。
十数人の参加者の中で1歩前に出た特攻隊の勇者は私を含めて4人であった。チケットは1名300円であって4人で1つのゴンドラに座席を占めた。
いっかいてんだけで300円と言うのは高いな。数年前ちょうど誕生日の日に川越のデパートの屋上に行ったのだがその時はお年寄りの誕生日お祝いと言うので無料だったぞ。

思いのほか1番高いところに行ってそこから見る眺めと言うのが良い。ゴンドラで一緒になったセスナのパイロットは怖い怖いと言っていた。ゴンドラがいきなり揺れるのである。

私のワークショップは大手カメラ会社の何とか地方の支部のモデル撮影会と言うようなものでは無いから一応ちゃんとためになるお話もすることにしている。それで観覧車からの眺望と言う意味について短い会話をした。

思うに観覧車はそれ以前の高いところから外界を見下ろす係留気球の名残なのではないかと思う。
係留したバルーンと言うのは近代にあっては最も有効な軍事関係の偵察行為であった。フランスの写真家ナダールも気球から写真を撮って有名になった。
それを一般に安く提供するようになったのが観覧車であったのではなかろうか。

少年の時の私が1番絶景だと思った観覧車の眺めは銀座の松屋デパートと浅草の松屋デパートの2つであった。確かな記憶をたどればば浅草の松屋の屋上の観覧車の方が後まで存在したようである。

そして都市を俯瞰する絶景の度合いからするとどうも銀座よりも浅草の観覧車の方が少年の記憶からしても上であったような風に思っている。
撮影はワークショップ参加のHirokazu KobayashiさんImg_4961


2017年11月13日 (月)

金網屋さんが好き

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東京の風景で好きなのは金網やさんの佇まいである。 1980年のちょうど今頃にオーストリアのウィーンから戻ってきてローライフレックスを持って多摩川のほとり調布から渋谷まで歩行した。 時間は何時間か記憶していないがまだ30代だったからそーゆー長距離歩行は別に苦労にならなかった。街の所々に金網を扱っているお店があってそれが例外なく実に渋い看板なのである。 その時はなんとなく見過ごしていて撮影はしなかったのが今では残念である。本格的に金網ショップを取ろうと思ったのは10年位前からだ。 金網屋の看板が好きなのである。スタンダードな金網屋さんの看板と言うのは巨大な白地に黒文字で単純にかなみとログのあるやつである。これが1番ストレートで良い。 この間福神橋のそばで見つけた金網の看板は白地ではなくてバリエーションなのである。 これはちょっとした発見であった。 その話をしたら友人から小さなお店で昔ながらの機械でシコシコ作っている感じがしますねと言う書き込みがあった。私もその通りだと思っていた。 ところが検索してみたら金網.comというのがあるのか。要するに小規模で小さなお店が作っているのもあるかもしれないがメジャーな金網業界と言うのは大工場で大量に生産されるもののようである。 カメラコレクターがいるのだから金網コレクターと言うのもいるかもしれない。というのも鉄条網のコレクターと言うのは世界的にちゃんとしたジャンルがあるのである。どこそこの国境で使われていた鉄条網などと言うのは歴史的なバリューがあるから高い評価がされているようである。金網の場合はどうなのだろうか?

2017年11月12日 (日)

トプコンがトップコールを呼ぶ

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国産3番目のペンタプリズム35ミリ一眼レフをガラクタ屋さんで手に入れて気にいって使っている。レンズはツアイスの50ミリを使っている。しかし私は35ミリの広角レンズをよく使うのでトップコールのオリジナルのレンズが手に入ったらいいなと考えていた。

我楽多屋さんのブログを見ていたらそのオリジナルの35ミリのレンズが他の望遠レンズとカメラとのアウトフィットで登場していた。これは我楽多屋さんの78年前のブログの映像なのである。

数日前に我楽多屋のにだいめさんがアップした画像がトップコールの35ミリであった。私は早とちりをしてそれは78年前の資料映像がアップされたのだと思っていたのだ。

一昨日の事ガラクタ屋さんに行ってカメラ雑談をして戻ろうと思ってエントランスの下レンズばかりの箱を見たらそこにくだんのトップコール35ミリがあるのでびっくりした。例の雑誌セブンティーンで有名人の中島くんがタムロンのレンズを透かして見るあの場所である。

そのレンズであるがフォーカシングがほとんど無限で止まっていて動かせないのである。それで値引きしていただいた。私はその無限で固定されているレンズと言うのが嬉しくて仕方がない。

トップコールレンズはアメリカ海軍が軍用カメラとして使っていたのでカメラに慣れていない兵士のために100ミリのトップコールレンズの場合無限にロックするというデバイスが特別についているのである。

この場合は単にレンズが古くなってグリスが固まっているわけであるが結果としては無限に固定されているわけで非常にプロフェッショナルな感じがする。

詳しく調べてみるとフォーカシングはインフィニティーよりほんのわずか手前に寄ったところでヘリコイドが固まっている。だからef 2.8でも無限までちゃんと深度に入っている。そして絞り11まで絞り込めば3メートル近辺までちゃんとピントが合うのである。これは1種のオートフォーカスレンズと言うべきであろう。

私はすべてのスナップショットで10メーターよりも遠いモチーフばかりとっているから考えてみれば実はフォーカシングなどは必要がなかったのであると言うことが判明した。実に快適な使い心地で嬉しい。

2017年11月11日 (土)

福神橋裏手の不思議な公園

R0470139 最近のパブリックなお母さんと子供が遊びに来るような公園というのが大嫌いだ。 公園と言うのは打ち捨てられて日々廃れていくところに風情がある。オーストリアウィーンの街の西側にあるシェーンブルン宮殿でそういう場所があってこれはバロック時代に作られたものだがローマ時代の壊れた庭がそのままに再現されているのである。 いわゆる廃れた庭園の楽しみですね。カメラの方でもわざと古くする偽貫禄と言う行動があるがそれにも似ている。 肺炎である。音声入力ではこうなってしまうが廃園のことです。おじいさんのかかる病気ではありません。 新品ピカピカの公園を作るよりもそういう時代がかった公園を作る方が実は難しい。そういう公園はイタリアのほうに行くとたくさん存在する。 しかし日本は健康だからそういう廃れたお庭は存在しなくて綺麗な庭ばかりだ。 そうなると私のような人間は忘れ去られて廃れつつある庭を探して歩くと言うことになる。それはそれで面白いのです。 少年の頃の記憶を思い出すと亀戸のはるか北のほうに福神橋と言うところがあった。それは都電の停留所でそこが終点なのである。 堀割に面していてその北側は少年時代にはまさに公害が垂れ流しなような石鹸工場があった。これは私の記憶だけではなくこの近くでサッカーに興じていた坂崎幸之助少年も指摘していた事実である。 だから私はカレーライスに福神漬けはつけない。少年の頃のちょっとネガティブな記憶が効いているせいだろうか。その福神橋を北側にちょっと入ったところ古い神社があるのだがそこの神社の東側に捨てられた子供遊園が非常に気に入ったのである。 舞台とかテレビのセットでも大道具さんが時代をつけるというのがあってこれは意外と手間とコストがかかるものだがここの公園の1連の小道具は実に自然に手がかかっていて素敵なのである。 この写真であるように画面の左側にかれたひまわりの花が斜めになっているあたりは実にマネーリズムであると思う。 さらにこの公園の価値のあるところは公園の東側は普通の住居の入り口になっていることだ。つまりそこに立っている私はその住居の住人からすると自分の庭に無断で立ち入る不法侵入者のような位置関係にあることである。 久しぶりに素敵な廃園を見たので嬉しくて仕方がない。それでここに記録しておくのだ。

2017年11月10日 (金)

ノースポイントまでの旅

R0470056佃島はよくマンハッタンの島に例えられる。サイズも小さいし内容が全然違うノダガ地理学的な雰囲気がマンハッタンに似てるというので雑誌のマイナーな特集になったりする。

私のいるところはマンハッタンに例えればかなり北のほうだから125丁目ぐらいだろうか。そこから見ると北側はサウスブロンクスということになる。
実はパリに行くよりも佃島にいるほうが異国情緒が強いという一面もある。佃島のの北の先には地形からすると北角という呼び方ができるからまるで香港島のようだ。しかしながら香港の場合は島は東西に長くなっていてその北側という意味だから地理学的にはこちらのほうが本当の北の方向ニなるわけだ。
もっとも島の北端にあまり行く事はなくてせいぜい月に1度ぐらいに思い出していくのである。だから逆に非常にはるけきとおいところに旅行したという印象がもたらされる。
実際には島の北側の永代橋の見えるところまでいってそこのベンチに座ってぼーっとして近くの店で赤ワインをかって戻ってくるだけなのだがこれが私にしてみると一大旅行なのである。

2017年11月 9日 (木)

この電車は本当に成田空港に行きますか?

スカイツリーのダークルームに行くために京成電車に乗っていた。快速で成田空港に行くやつである。電車には半数近くのラゲッジを持った 外国人ツーリストである。
大変な混雑だ。

電車が浅草に着いたところで中国人の十数人のツーリストがラゲッジを持ったまま外に降りた。これは中国人のツーリストの標準的な行動パターンで大きなカバンを持ったまま観光しているのである。そういうのが流行っているのだろうか?

外国の人が成田エアポートと叫んでいる。電車の中ではでは誰も答えがない。その人は私の近くまでやってきた。
どうしたんですかと聞くと今ツーリストがたくさん降りてしまったので心配になってきました。この電車はほんとに成田エアポートに行くんですか?と言うのである。

心配いりません。この電車は空港に行きますよと私。そして今たくさん観光客が降りたのは浅草の有名なお寺のあるところで彼らは空港に行く前にそこを観光するようですねと付け加えた。

そのアラブ系に見える男性のツーリストはそれで安心したようである。私は押上で降りたのでその昔に彼は2つのスーツケースを持って私の席に座った。こちらも一安心である。

この間のフランスのパリから戻ってくるときに私も同じように空港行きの電車で不安だったのだ。パリフランスはあれほど観光都市でありながらターミナルステーションから空港に行くまでの表示の説明が非常に不親切である。
しかも空港行きの電車の乗車位置が40何番とか言うスポットでかなり奥のわかりにくいところにあるのだ。
出勤のラッシュの時間だと郊外に出勤するフランス人の労働者いっぱいである。いつだったか私が出発直前の電車に飛び乗って拙いフランス語でこれ空港行きますか?と聞いたら違うと言われてドアが閉まる寸前にまた飛び降りたことがあった。

フランス国鉄も何か意地悪で空港に行く路線をわかりにくくしているような感じがする。京成電車も親切なことにアナウンスがすべてローカルな言葉なのである。

それで思い出したことだが10年ほど前に京都駅から新幹線で東京に戻る時こんなことがあった。日本の新幹線は5分ごとに電車が出発したりする。それで外国人ツーリストの人が男性だったけどチケットの私に示してほんとにこの電車に乗って良いのかと尋ねてきた。
彼が持っているチケットは今出発する新幹線ではなくその5分後に出発する電車である。その男性はチケットに日本語しか書いで非常に困ったと言っていた。私は10年ほど新幹線に乗っていないので最近はチケットの表面に英語の表記があるかどうかは知らない。
要するに 2020年に向かってハードウェアの準備ばっかりやっていてソフトウェアの方が全然駄目なのである。おもてなしなどは大笑いで最低限のレベルが達成されていない。

2017年11月 8日 (水)

佃島の狭いドアを見てリスボンを思い出した

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リスボンの広場に面したくだんの部屋では恐らくこれは世界で最も小さいシャワーキャビネットであることには間違いない。こういう珍しいものはギネスブックに登録しなければいけないのである。体を斜めにしてシャワーブースに入ったら後は体をよじるはいことも出来ない位の狭さである。でも私はどんな環境にもなれてしまうから滞在の2日目から結構うまくこの世界一狭いシャワーブースをうまく使いこなせるようになった。
私が30数年すんだプラハの最上階のアトリエにもすごく小さいシャワーがあった。しかもそのシャワーわ給湯器のパワーが不足なのでそこで体を洗ってあたまを洗うなどと言うプロフェッショナルなわざわそこに住み始めて10年目にようやくうまくできるようになったのである。
この狭いドアのエントランスを見ていると私のこころはリスボンに飛ぶ。そしてプラハのアトリエの狭いシャワーに飛ぶのである。
佃島に暮らして30年近くになる。 、ここに住み始めたときには既にこの幅のない狭い狭いドアはここに存在していた。いつも前を通るたびにこれはすごいなと思って赤瀬川さんのことを思い出したりした。でもそういう日常の些細な記憶というのはすぐに忘れてしまうのである。 私は如何に暇人でもそういう細かいことにばかり気を使っているわけにはいかない。
晴れた晩秋の午後にこの幅のないドアの前を通過してまた思い出したのである。それで今度こそ忘れないようにしようと思って撮影しておいたのがこれだ。

2017年11月 7日 (火)

発見されたヴィンテージプリント

1,967年頃のプリントだと思う。というのもこれはFocomatによるプリントであるからだ。そして撮影はライカカメラである。
印画紙は三菱の月光である。サイズは8 × 10インチである。これがその当時の普通の私の仕事のやり方であった。1966年ごろにカメラ時代と言う月刊誌で1年間トータルで50ページ近くの作品を発表していた。毎回8ページのポートフォリオを発表した。それはグラビア印刷であったから原稿は私のプリントを使った。

一方で1970年の1月号のカメラ毎日でデビューした時はオフセット印刷なのでネガフィルム出すように言われた。そこら辺のトリックはよくわからないが最近でもオフセット印刷ではオリジナルネガを使った方が印刷効果が良いらしい。最近知り合いが出した写真集もネガからスキャンしている。

この3点のヴィンテージプリントは偶然発見されたものだが数100点を超えるのプリントがあったはずである。でもそれは全て捨ててしまったのである。というのも当時は半世紀後に自分のプリントが売れるなどとは考えていなかったからだ。

1970年の初めにニューヨークとしては前衛的な2つのギャラリーで写真のプリントを販売した。そのうちの1つがライトギャラリーであったがそこでダイアンアーバスのプリントをうった。値段が20ドルであったにもかかわらず買う人ががほとんどなかったそうだ。
現在ではダイアンアーバスのオリジナルプリントは20,000ドルでは絶対に買えない。そういう時代なのである。Img_4869


2017年11月 6日 (月)

つくだの古い佃煮屋さん半世紀

 

Pa230023佃島には老舗の佃煮店が3つある。どれがいちばん古いかというのはたいして問題ではない。

でもいちばん買いに行くのはこのお店である。指折り数えてみれば私が日本デザインセンターに勤務していた時に昼休みの時間を利用して銀座一丁目から橋を越えてここまできて佃煮を買って戻ったのである。買ったのはいつものノリの佃煮である。当時50円だったかな。
他のものは買わない。というのも東京の佃煮はあまりに甘いから食べないのである。ただしここの海苔の佃煮だけが例外だ。そういう意味で私は佃煮屋さんの上客というわけではない。 1,970年頃に撮影した東京のシリーズで当時のカメラ雑誌カメラ毎日というのに数ページのカラーフィルムによる東京のフォトエッセイを発表した。その中のワンショットにこのお店のエントランスのショットである。古いのれんの脇の伝書鳩が午後の斜めの光に輝くというなかなかリアルな作品であったがこれはコダクロームというフイルムで撮影していたのである。 コダクロームがなくなってもう20年ぐらいになるか。そこら辺はすべて記憶の中にしっかり保存されている。
いつもiPadで入力しているのだがこれはmacBookで入力している。改行マークがうまく反映されないみたいでベタ打ちになっている場合はごめんなさい。

2017年11月 5日 (日)

偽者のアンダルシアのアフタヌーン

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近くのよく座るベンチがここである。
この場所が非常に気にいっている。中は雀のお宿になっている。時々パンくずを持ってばらまくとそこにだれもいないのに数秒後にすずめの大集団が降りてきて食べに来る。それが私の生活だ。
古いオリンパス、デジタルを使ってそれには魚眼レンズがついている。コンパクトで非常によい。ただ奇妙なのはカメラを横にして撮影しているとFinderはちゃんと見れるのに縦位置にすると真っ暗になってしまうことだ。かまずに撮影した。結果をこのようにちゃんと写っているのである。オリンパスの謎だな。
後で考えてみたら単純なことである。サングラスの関係でフェーダーになっていたのだ。
ちょうど太陽は雀のお宿の木の後ろに隠れた。ときどき木漏れ日が綺麗なのでそれを撮ろうとしたらシャッターチャンスが合わないので諦めた。通行人もそれぞれの人間もそれぞれの犬もシルエットが長く伸びてなかなかドラマチックである。 それはそれで結構なのだが私が嫌いなのはよく初心者のカメラマンが夕陽の低い陽射しの下で自分の足がすごく長く見えるのを気に入ってとるセルフシャドーポートレートである。今では有名写真家になった坂崎幸之助さんですら大昔そのような写真を撮っていたのだから今昔の感がありである。

2017年11月 4日 (土)

羽田空港2丁目

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11月12日の第3回ブラパチワークショップのロケハンの話である。
羽田の国内線ターミナルから京急バスの蒲田行きに乗った。これはローカルなバスであるからエクスプレスではない。だからいろいろな風景が楽しめて面白かった。1番興味あったのは羽田空港2丁目と言うバスストップのあることだ。羽田2丁目とは異なるのである。
台風22号の影響で誰も降りないし誰も乗らない。

街の中心部から空港に行くまでにわざと路線バスに乗ると言う趣味が私にはある。
スペインのマラガでもそうだったしプラハではいつもシャトルバスではなく路線バスを利用している。プラハの北の町外れから空港まで約25分である。

空港エリアに近づくとハンガーと言う名前のバスストップがある。外国文学がまだよく知られていなかった明治時代にはこのハンガーというものを英語から日本語に翻訳するのにすごい苦労したようだ。まだ日本に飛行機が入るか入らないかの頃の話である。
それで翻訳に困り果てて鍵の手と薬したのである。ハンガーというのは飛行機の格納庫のことだ。

それで思い出したのは大昔の羽田空港のオブザベーションデッキのことだ。確か100円玉を入れて中に入るがその時3本の金属の棒が出ていてお金を入れてそれを体で押して入場するのである。皆さん入場ゲートの名前がわからないらしいがそれはターンスタイルと言うのである。

羽田空港2丁目という言葉から連鎖的に私は港町13番地を思い出した。しかしこの地名はそんなに深い意味があるのではなくてむしろその逆である。あまりにも即物的なのが面白い。そしてその場所は空港周囲の単なる無国籍地なのである。

2017年11月 3日 (金)

CT70とは何か?

とは何か?Img_4807_3


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今年70歳になったので初方面で私の70歳を祝ってくれた。最初に5月20日に伝統の偽ライカ愛好会の有志が横浜で撮影会をやってそのあと1席設けてくれたのである。大変にありがたいことである。

記念品にライカM2のきれいなのをいただいた。私のライカがボロボロでろくな写真が取れていないのを心配して早田カメラの超高級なライカをいただいたのである。これは地獄にまで持っていこうと思う。

月が変わって6月の10日に今度はCT70と言うメインタイトルで私の70歳をやってくれた。これは俗に悪の枢軸と呼ばれている3人組が計画したものである。
それで集まってくれた方々が70名と言うのも非常に気が利いている。四谷のホテルで大宴会となった。もっとも私は挨拶まわりばかりでそんなにたくさん飲めなかったのはちょうどよかった。

しかもCT70アルカイダ悪の枢軸の上手い計らいでお開きになってから人に捕まる前にタクシーで脱出すると言うシステムを考えてくれたのである。これはこれはテロリストが犯行の現場から離れるときの重要な戦略なのである。

お土産にいただいた品々の中に阪神タイガーズの封筒があった。よく調べてみたらそれは70歳を祝う金一封なのである。それはそれでありがたいがまさかタイガースのデザインののし袋があるとは思わなかった。

CT70アルカイダの悪の枢軸メンバーはまずJTBの本部長さんそれとフリーカメラマンの加納さん。3人めが我楽多屋さんのにだいめさんである。それぞれにみんな悪そうだな。

CT70というタイトルが非常に気に入ったので11月22日から3ヶ月のロングランになる私のギャラリーバウハウスでのオーストリアウィーンの作品展もそのタイトルを使わせていただくことになった。そのバックグランドをギャラリーバウハウスの小滝館長に説明したら快諾してくださったのである。これも非常にありがたいことである。

それでこの写真がCT70の記念写真である。まずどっかの似たような集会に似ているわけだがその内容は私にとって宝物であると言うわけだ。

2017年11月 2日 (木)

蒲田駅の屋上大観覧車

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11月12日のぶらりパチリ次回撮影会のロケハンに行ってきた。今回で3度目である。前回は東京の北赤羽だったので今回は東京の南の果て羽田空港と蒲田にした。

台風22号の影響で横殴りの雨である。私はプロ写真家だから雨の日に撮影に行くこともある。この間新国立競技場の撮影は雨をイメージしていたので大雨の日を選んで出かけた。良い雨のショットが撮れた。でも実際には普通の人は誰も歩いていなかった。人物を競技場の前におこうと思ってしばらく待っていたけれど誰も来ないので困った。

今回は少年少女の当時の空港の憧れの記憶をたどって。国際線の展望デッキに入る。ものすごい雨でカテゴリー3でないと着陸できないような見通しの悪さだった。

国際線ターミナルからシャトルバスで国内線ターミナルに着いた。これがなかなか関係者っぽい感じで良い。シャトルバスと言うのはJFKとCDGでしか乗ったことないのでバスが綺麗なのにびっくりした。しかもお嬢さんがドライバーなのである。日本はすごいなと思った。

そこから京急の蒲田行きのバスに乗って蒲田駅まで行った。東急プラザと言うデパートの屋上はその名前を蒲田園と言うのである。

今回のツアーのメインイベントはこの大観覧車である。観覧車はどんなに小さくても大観覧車と言うべきだ。私の知っている世界で最大のではなかった最小の大観覧車をエジプトのカイロで見たことがある。それは高さ2メートルほどで八ほどのゴンドラがついている。それを男の人が回転させるのである。世界でも唯一の人間力大観覧車。

台風の大雨だったから今日は大観覧車は休みかと思っていたらちゃんと営業していた。でもの人はどこにもいないのである。10分ほど見物していたら数人の男女がそれぞれ個別に大観覧車を見に来ていた。歳は30代から40代である。要するにこれは東京人のメランコリーオブジェになっているわけである。

私はこの最新モデルの大観覧車の前に使われていた古い観覧車の方が好きだ。地元民の小池さんが以前古い観覧車を撮影に来たら警備員の人に撮影禁止と止められたそうである。
アルカイダコンプレックスと言うやつで高い所で写真をとると何でも危険になってしまうと言う単なる思い込みである。


2017年11月 1日 (水)

目黒の一本道と子供の蚤の市

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私の頭の中にいつも浮上している言葉でロシアの一本道というのがある。
これはアエロフロートで極東からモスクワに向かっていると目の下にに現れる非常に長い一本道のことだ。
その一本道は目の下の畑を北に貫いてそのまま森林を野をまっすぐに伸びて地平線の見えなくなるところまで続いているのである。
私は飛行中に外を見るのが好きだからいつもこの一本道を見て実に不思議な感覚に打たれる。それを地上版にしたのが目黒の一本道である。

大戦の爆撃の影響なのかそれとも都市計画が進みすぎていたのか知らないが私は目黒区の適当なところで降りてそのまま目の前に視線が尽きるところまで伸びている一本道を何も考えずにどんどんと歩くのが好きなのである。

いつであったか目黒郵便局の脇の実母散と言う薬屋の前から目黒の一本道に入って延々と歩き続けようとした。ところが私が見出したのは一本道は歩き始めて1分もたたないうちに何もない一本道の路上の左側にこのような小さな商業施設を発見したのである。

要するに子供の蚤の市なのである。
いかにも子供っぽいけれども実際にこの商品の並べ方を見るとお母さんが演出しているのはすぐにわかる。どれも5円とか10円と言うような値段がついているのであろうと思って近づいてみた。

そしたら
ご自由にお持ち下さい
と書いてあるのでちょっとがっかりした。

でも最近では無料で美術作品を人にあげたりするのが流行っているらしいからこれもそのうちなのだろうか。記念にその可愛らしい商業的スポットを撮影した。

そしてそのまま永遠と目黒の一本道を遠近感の消失するポイントに向けて歩いた。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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