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2017年10月14日 (土)

稲垣足穂の机

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稲垣足穂は10月25日で没後40周年だそうである。なくなったのは1977年と言うことになる。そのニュースは稲垣と親しかった松岡正剛方面から当時オーストリアのウィーンに住んでいた私にも伝えられた。

当時の私はwin在住の日本人が残していった新潮文庫で稲垣を片っ端から読んでいたのである。30代だった。

朝日新聞の瀬戸内寂聴のエッセイによると伏見桃山の稲垣の住まいに行って新日本文学大賞当時100まんえんの賞金で奥さんに買ってもらった新しい机があって、その前に使っていた古い机を瀬戸内寂聴にあげたのである。

早朝に家人からその新聞の内容を聞いて私は稲垣ファンクラブであるからこれは新聞の全面でフルカラーで稲垣の使った机が掲載されているのかと思って飛び起きてみたら何の事は無い3センチ4センチの小さな写真であった。ちょっとがっかりした。

瀬戸内寂聴で思い出すのは昔文芸雑誌新潮に私が連載をしていたとき何かの具合で私のエッセイの前が瀬戸内寂聴の作品であった。私は連載の文章は北千住の千住柳町公園というところでiPhoneで校閲をしていた。
編集部によると瀬戸内寂聴は大先生だから昔のクラシックなやり方で編集部員が原稿を頂戴しに行ってまた印刷のゲラをお届けするのだそうである。それが昔の文人の普通の仕事のやり方だった。編集長の話では新潮の連載でiPhoneで公園に座って文章直して入稿するのは私だけだと言っていたが今は時代が変わったからそういう人も多いのではないか。

銀座8丁目の黒川紀章さんの奇抜なカプセルタワーでしばらく仕事をしていた。金屏風が1つと文机が1つだけの何もない部屋だった。そこをたたむときに荷物になるから中央区の粗大ゴミに私の机は出してしまった。あれはとっておけばよかったなと今にして残念がっている。

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