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2017年7月16日 (日)

お祝いに名前の入った1,000枚の原稿用紙いただいた

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非常にユニークなミニコミ誌出雲通信で今回原稿を寄稿した。
私の70歳のお祝いと言うことで名前入りの老舗の原稿用紙が1,000枚到着して恐縮している。

最後に原稿用紙に文字を書いてそれを入稿したのは四半世紀前のことである。朝日新聞の200字詰めのでペラと言うのである。
鉛筆で書き殴った。

岩波書店から数冊の本と写真集を出しているが関係で夏目漱石の原稿を見たことがある。
これは本番であるからきれいな文字で 1文字も間違えのないように美しく描かれていた。それが桐の箱に入って非常に立派であった。

漱石100年か。

原稿用紙に万年筆で文字を認めると言うのは既に時代からはかなりずれたいわゆる趣味の領域なのである。趣味の文房具などと言う雑誌がバカ売れしているのも時代背景を語っていて面白い。

大昔に神楽坂の坂の下の古い文房具店でその200字詰めの原稿用紙を買ったのである。当時すでに私が電子入稿していたからどうしても手書きで必要な手紙等のために買ったのである。

その頃の雑誌で何かのエッセイに書いたことだが1,000枚の原稿用紙を全部原稿料を取得のために使っても全く儲からないと言うことであった。

例えば私がお世話になった新潮社の文芸雑誌であるが私は新参者であるから最低の原稿料でそれは400文字が5,500円なのである。単純計算で言うれば400字詰めに500枚だから計算はわかるでしょう。

神楽坂界隈で戦前に原稿用紙で苦労した作家が2人いる。
1人は稲垣足穂である。
彼は原稿用紙を買うお金がないからそこら辺の映画館の入り口に止めてある映画の宣伝ビラをもらってきてその裏を使った。書くのは小学校の近くで拾ってきたちびくれ鉛筆である。

新潮社の文学雑誌の編集部にそれを見せて大体1年に1度原稿買ってもらったそうである。
そのためには原稿用紙に清書する必要がある。
それで原稿用紙をなんとか工面してインキを 78 から出してくるのである。それが書き終わったらインクががちょっと減っているくらいなら水を足してまた78に預けるのだ。


文芸雑誌新潮の昭和22年5月号というのは戦争直後初めて表紙が4色刷りのイラストが表紙に掲載された時である。私はその月の雑誌を何冊か持っている。そのトップの作品が稲垣なのである。

その傑作が大変な苦労の下に書かれたと思うと何か近親感感が湧いてくる。

私は生まれた家が万年筆製造業であったので万年筆は批判的である。
1時は東京都内の大手百貨店でパイロットとかセーラー万年筆と展示のウインドウを並べていたが昭和30年初めの頃の大恐慌で倒産した。だから子供の時に最初に聞いた大人の言葉というのが不渡り手形なのである。

せっかく原稿用紙をいただいたので万年筆で何か書いてみようと思って家を探したら十数年来忘れられていた万年筆用のインクが出てきた。それは小さなモンブランのガラス瓶だった。そのインキの量はほとんど減っていなかった。他に人からもらったラミーの万年筆があったので探したがそれを発見できなかった。

いただいたのは名前を刷り込んである原稿用紙である。
稲垣足穂が戦前に苦労しているときに稲垣をサポートしている関西の地元のお寺の住職の奥さんの小川さんと言う人が 彼のために専用の原稿用紙を作ってくれた。

それが何千枚であったか知らないが稲垣はそれで力を得て名作イタ マキニカリスをを書いたのである
。その原稿はなかなか出版されず両方の指で数えても足りないほどの出版社をぐるぐる回った後に戦後になって新潮社から出版部長に何か適当なものはないかと依頼されて出版されそうになったがまたダメだった。

それが戦後になってついにユリイカの伊達得夫が出版するのである。定価260円で500冊限定だったので今では稀覯本に属する。私も苦心惨憺してゲットした。

原稿用紙で苦労しているのは神楽坂関連では河西善三もそうである。
彼は原稿が書けなくてあっちこっちオロオロしているが弟の家に転がり込んで夜通し酒を飲んだりする。
その前の晩に葛西善三は書きなぐった8枚のいい加減な原稿を東京の出版社に売り付けてそれで若干の現金を得ているのだ。

当時が良い時代だったと思うのは原稿料は原稿と引き換えだったようである。今では忘れた頃に入金になったりする。いや永遠に支払われないことも結構ある。

その前に神楽坂の坂の手前で原稿用紙を買ったりしているのだ。これは私が10数年前に買ったお店と多分同じ店であると思う。

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