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2017年6月 9日 (金)

イスタンブールでインダスタール

Img_3197

1973年から1980年までwinで暮らしていた。今回その時期のwinのスナップショットを写真家の加納満さんがまとめてくれた。誠にありがたいことである。

インターネットなどない時代の事だから実際に東京とウインは10,000キロ以上離れていたのである。だから極東日本で流行しているものがそれが何であるかわからなかった。数ヶ月遅れの週刊誌が唯一のニュースソースであった。

まずわからないものを記載してみればカップヌードルがわからない。泳げたい焼きくんもわからない。そして飛んでイスタンブールと言うのもわからなかった。

写真家の古屋誠一とイスタンブールエクスプレスに乗ってイスタンブールに行ったのは1,974年のちょうど今頃だったと思う。イスタンブールツアーは3名であってもう1人は画家の山本博であった。

2泊3日の二等車の旅でウイんで金儲けしてイスタンブールに帰るトルコ人に簡単なトルコ語を列車内で教えてもらった。だから今でも簡単な会話はすることができる。これはその後非常に役に立った。

イスタンブールからさらに東に行こうと言うことになった。アンカラまでは到底無理で鈍行列車でイスタンブールから海峡越えて2つ3つ先で一泊して戻ってきたのだから大した旅では無い。

それよりもイスタンブールのグランバザールは新鮮だった。商売の熱気とエキゾチズムがムンムンしていて今のイスタンブールとは全く違う世界だった。
カメラ屋もー軒を連ねていた。もちろんデジタルカメラの時代ではない。オスマンフィルムカメラ帝国なのである。

路地の奥の小さなカメラで買ったのがこのレンズインダスター50ミリだった。このレンズはジュピター50ミリと並んでスナップシューターの私には大変重要なレンズである。
ジュピターは明るさのF2でゾナーの完全なコピーである。このインダスターは明るさがエフ3.5でテッサのコピーであろう。

私と古屋と山本はグランバザールをほっつき歩きサバサンドを食べたり、ラキの強い酒を飲んだり売春街を見学に行ったりした。

グランバザールの近くの汚い小さな食堂で食事をした。店を出て5分ぐらい経ってから私はテーブルの上にライカを忘れていたことに気がついた。それはブラックペイントのライカM2でレンズはニッコールの21がついていた。おまけにライカビットMPがついているのだから1財産である。

慌てて戻ろうとしたら角でさっき食事したレストランにいた使い走りの少年が私を探して角でぶつかりそうになった。その少年は息を切らせて私に黙ってライカをさし出したのである。

私も気が転倒していたのでチップとして小銭を少年に握らせることすら忘れてしまった。でもこの小さな出来事で私はイスタンブールの人とイスタンブールそのものを全面的に信用するきっかけとなったのである。

それはもちろんインチキ絨毯屋さんとか怪しげな街頭の両替屋さんがいるかもしれないがそういうのは除外ししてもイスタンブールの人はすべて善人であるということに気がついたのだ。

グランドバザールに行ったらそこで我々と同じ位の青年つまり20代半ばの男性が声をかけてきた。
やたら馴れ馴れしいので最初は警戒したがすぐ仲良くなっていろいろなところを案内してもらった。それでイスタンブールの中級の上ぐらいのホテルのカフェに行って、彼は私に買わせた強いウイスキーを茶色の紙袋に入れてコカコーラを頼んだ。そしてウエイターの目を盗みながら我々のグラスに隠したウイスキーを注いでそれを飲み干した。強烈なコークハイであった。

意気投合して明日はウシュクダラの船着場でお昼の12時に会おうと言うことになったのだが彼との別れにぎわに明後日軍隊に入るのでお小遣いが欲しいと言い出した。これが古屋の気分を損じたようで喧嘩別れのようになってしまった。

私は何に当たったのか食あたりで翌日はひどい下痢でホテルのベッドから起き上がれなかった。そういう状態になると太陽が黄色く見えると言うが本当に私は黄色いお日様を見たのである。

10日前後の滞在が終わってまたイスタンブールから2泊3日の二等車のガタガタした旅でwinに帰ってきた。帰りはうっかりしていて食料買う時間すらなかった。
それで我々3人は1つの黒パンと2つの魚の缶詰を分け合って2泊3日のひもじい旅をしたのだがこれも良い体験だった。
列車内で羊飼いの青年と同じコンパートメントになった。羊飼いの目は深く青く澄んでいた。そして体全体は強烈な羊の匂いがした。

その時古屋は例の軍隊に入った青年の約束通り、喧嘩別れした翌日のお昼にイスタンブールからフェリーに乗って対岸の東洋の最初の街、ウシュクダラにいったそうだ。その青年は現れなかった。
ここら辺が古屋誠一が純情である。それで私は古屋が好きになった。
青年の名前はいまでも忘れない。
デインチャール アイドン。

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