フォト

ギャラリーバウハウスの展示

オンラインギャラリー

バナー

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

無料ブログはココログ

« ヒゲは重要なフィルム乾燥の道具だ | トップページ | なんとなくクリスタル »

2017年6月21日 (水)

桂一さん

Img_3385_2

田原桂一さんが亡くなったのが6月の6日である。

私はその時文京区の白山あたりを歩いていて、偶然斉藤緑雨の墓所に行きあたった。
それで思い出すと言うわけではないが、しみじみした無常観をそこに感じてそれは6月の初めの空梅晴れであって、何やらフォトジェニックなのであった。

私は半分壊れたレニングラードを持って久しぶりに白山界隈を撮影していた。

それで夕方に佃の寓居に戻ったら桂一さんの訃報に接したのである。

最後に彼に会ったのは1985年の秋のパリであったから私は当時38歳で桂一さんは私より5歳年下だから33歳と言うことになる。

昨年の夏に四谷のギャラリーニエプスで写真展をやったときに、桂一さんが来てくださったと言うことを中藤さんから聞いた。

それでそのまますっかり忘れていたのだが、芳名帳を見たら桂一さんのサインがあった。
単にサインだけではなくて

長徳さん元気ですか?

とあるのだ。これには参ったなぁ。

何にやられたかと言うと彼の直筆の文字にやられたわけである。今の我々はメールのポストスクリプトの文字に慣れているから、そういう文字では何も感じないが、実際に彼の肉体で彼の時間の中で書き記したいきた文字列と言うのは効くのである。

何にやられたかと言うと彼の直筆の文字にやられたわけである。
今のわれわれはメールのポストスクリプトの文字に慣れているからそういう文字では何も感じないがたまらんが実際に彼の肉体で彼の時間の中で書き記した生きた文字列と言うのは効くのである。

やっている写真の方向が全然違うから桂一さんと一緒に仕事をした事はそれでも一回だけあった。
ニコンの一眼レフの広告で確か見開きページで右側が桂一さんで左側が私なのだ。

私の尊敬する唯一のファッション写真家リチャードアヴェドンは確かなくなったときはその前日にニューヨーカーの撮影の仕事でヒューストンかどっかに行っていた。

そこで客死したのである。
桂一さんの場合もほぼそういう客死に近いのではないかと考えている。

いわば壮絶な写真家の人生のエンドと言うわけだ。p

Img_3435
レニングラード。ジュピター50ミリ

« ヒゲは重要なフィルム乾燥の道具だ | トップページ | なんとなくクリスタル »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31