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2017年6月 3日 (土)

駿河台1968

Img_3040

1968の日大闘争時私はバリケード内に一泊したことがあった。
そのロックアウトした校舎の中にたくさん貼られた写真を見てちょっとがっかりしたのである。

要するに闘争とか革命とか言う文字を撮影した写真が革命的であると言うような価値観がそこにはあった。
私は一挙に現実を見た思いがして白けてしまった。
それで二度とバリケードの内側には行くのをやめて、我がバリケードを破壊して本物の街に出て行ったのである。

私が東京を撮影し始めたきっかけは1,964年であった。理由は簡単で当時は外国人が珍しかったのである。外国人と言私が東京を撮影し始めたきっかけは1,960余年であった。理由は簡単で当時は外国人が珍しかったのである。外国人と言えば全部アメリカ人で在日駐留米軍と言うイメージしかなかった。アメリカ人以外にも他の国の人がいると言うことを知ったのが東京オリンピックの時だった。

御茶ノ水駅から駿河台にかけてバリケードが築かれた。
催涙弾が飛んできてシンパの女子学生が半分に切ったレモンをポリバケツに入れて私にも手渡してくれた。こういう場所から恋愛が芽生えることもあるのだなと本気で思った。われらは革命の闘士なのである。

私は茶色のレインコートを着て首からブラックライカM2を下げレンズはヘキサーの50ミリであった。
機動隊が殺到してくるのをとっていたら闘志と間違えられて職質の機動隊の渦の中に巻き込まれていろいろなことを聞かれた。フイルムを我々が参考にするから出せと言うのである。
当然それには応じなかった。フイルムを渡さないのは正しい選択だった。それでわれわれは今この時の写真を見ているわけである。
2017年に至ってあたしは闘争勝利をここに宣言しているであろう。

しかしこの経験で私はずるい人間になってしまった。
東ヨーロッパそれも社会主義国の街を取材しているとよく密告されるのである。外人警察の私服がやってくるのだ。そういう時は私はフイルムをカメラから出すふりをしてポケットの中のダミーフィルムとすり替えるのである。

東ヨーロッパの都市から都市を巡り歩いて撮影をしているうちにそんな小手先の手品が上手になってしまったのは我ながら情けない。

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  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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