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2017年5月16日 (火)

ニコンS4がベストスナップシューター

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ウィリアムクラインが1,950年代の後半に写真集東京を撮影するために来日した時彼が持参したカメラはニコンS3のクローム仕上げだった。

その後当時の日本光学工業株式会社からニコンFとニコンSPと21ミリから500ミリまでのレンズの提供を受けたらしい。日本光学は会社の方針としてどんなに有名な写真家でも機材を提供すると言う事は無いと言う話を聞いた。機材を差し上げるのはニッコールフォトコンテストの最上位の入賞者に限られる。

だからその背景はわからないが80年代後半にクラインに東京で会ったときに彼が持ちかけてきた話は受け取ったニコンがもう何十年も使ってボロボロだからチョートクさん何とかニコンの上層部にお願いしてくれないかと言うものであった。

残念ながらその話は上まで届かなかったようである。それが理由でもなかろうがウィリアムクラインはその翌年にライカを使うようになった。それで意外だったのはライカのレンジファインダカメラではなくて当時最新型のライカR6なのである。

彼の自伝的な映画の中でクラインはずっとライカの一眼レフを使っているのが変な感じがした。それもそのはずで私が80年代の後半にプラハでクラインのアシスタントめいたことをした時、彼はライカの一眼レフに28ミリをつけて前に前に進んでいくと言う戦闘的な撮影スタイルであったからだ。

でも私の個人的な考えとしてはやはりクラインには最初に来日した時のようにレンジファインダーのニコンを使ってもらいたかった。

その影響と言って良いだろう。私はニコンのS3のボロボロになったのを使っている。距離計等は10数年前に上下がずれてしまったが別に距離を合わせるような撮影はしていない自分である。

もう1台愛用しているのがS4である。これはS3モデルとほぼ同じようなものだがフィルムカウンターがオートリセットでないのとセルフタイマーがついていないところだけさらにプロっぽいのである。

海外のコレクターの間ではこのニコンレンジファインダーの最終モデル4形は生産台数が少ないので引っ張りだこである。
でも日本ではそういう市場の状況は反映されないので安く手に入れることができる。

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