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2017年5月28日 (日)

ライツ ライカカメラ および其の付属品定価表 昭和十一年十一月

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もう四半世紀前になるが四国かどこかのお医者様から貴重なライカの戦前の資料の寄贈を受けた。

その方はライカを買おうとしてすべてのカタログ等を取り寄せたが結局は買わなかったということであった。それでもう見ない資料を丸ごと私に送ってくださったのである。だからライカの雑文を書くときにはこの四半世紀以来非常にお世話になっているのはこれである。

昭和11年11月発行の定価表を眺めてみるに、 50ミリエルマー付きのライカD3は580円だった。
大変高価なカメラである。
当時の労働者の月給はちょっとわからないが林文子が同じ時代の小説で書いていたのを思い出す。その小説の中の働き手の月給が40円だった。昭和11年の月給40円が高給であったか安給料だったのかはちょっとわからない。

月給40円と言うのはそれよりもずっと前の時代つまり明治の終わり頃には正岡子規が自分の墓碑銘に書かせたのである。それも月給40円であった。だから明治の終わりと昭和の初めとでは貨幣価値がずいぶん違うと思うがどのような価値を持っていたのであろうか。

それでも当時のライカカメラは月給の15倍したわけである。
今の時代の勤労者の月給がいくらか私は知らない。でも仮に月給500,000とすると7,500,000円と言うことになる。それに比べればライカスズメが欲しがっている最新型のライカデジタルカメラ等は1,000,000円だから安いものである。
ライカの大衆化と言うのもここに至って極まったと言うべきだろう。

愚考するにライカカメラはそれがフイルムであろうとデジタルであろうと、やはり長い時間付き合うと言うのが本当だろうと思う。
周りの皆さんを見てみるとライカ最新型が出るとすぐ買い換えて下取り価格が良かったなどと喜んでいるがこれはライカ使いとしては誰かに精神を売ってしまったと言う感じがして残念だ。

私の知っている中で数少ないライカの精神がわかっている人にマンハッタンの怪人チョーセイさんがいる。彼が持っているライカは二台だけで10年ほど前に出たライカM8と父上が使っていたライカの戦前モデル。
これだけである。
チョーセイさんはそのデジタルライカに50ミリf 1.0ノクチルックスをつけっぱなしにしていて外には交換レンズを持っていないのだ。
まずライカ使いの鏡と言うべきであろう。

戦前のライカ関係のカタログは全てドイツで印刷されたものだ。
それでカタログの左下もしくは裏の角に印刷された年月と印刷数が表示されている。これは1936年11月に15,000部印刷されている。

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