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2017年5月12日 (金)

ウインの部屋

Img_2754

ウインで7年半住んだのはドナウ運河を見下ろす100年以上古い建物の二階だった。
いつも窓からドナウ運河の流れが見えた。
その後帰国してからは、つげ善春さんがお住まいの近くの建物で多摩川のすぐ側にもすんだし、今はおんなじで隅田川を見下ろす部屋に住んでいる。

6月10日に東京の四谷3丁目のホテルで開催される、私の写真家生活50年と生誕70年を皆で残念がる催しの肝になるのが、写真家加納満さんが制作した限定写真集である。

この画像は加納さんがFacebookにアップしてくれたものだが、彼が偉いのは私の計画中の写真集は純粋なwinのスナップショットの写真集であるから、こういう楽屋落ちの写真は掲載しないそうだ。
非核三原則ではないが写真集を出すときの三原則がそこに提示されているのは偉いと思う。

部屋の大きな鏡に映ったあたしを見るに、三脚に乗せているカメラはソ連製コンタックスキエフであってついているレンズはジュピターの35ミリである。
振り返ってみるとwin時代に1番使ったのはジュピターの35、50ミリそしてオリオンの28だった。あと建物のクローズアップなどでジュピターの85ミリと135ミリも使った。

要するにソ連製レンズのフルラインナップなのである。
だからwinの当時のカメラ屋さんがチョートクはソ連のカメラレンズにこれだけ貢献しているのだから、モスクワに銅像を立てても良いと冗談めかして言っていた。

実際に日本でソ連製カメラの本も出した。それはヘンテコリンなタイトルで「ロシアカメラがむせぶ夜は」と言うのである。
KGBのスタッフがイズマイルスかやパークの蚤の市で私にKGBのスパイカメラを売りに来るという件がある。
これなどは今でも謎のままだ。その黒ずくめの青年は私にミスタータナカと呼びかけてきたのである。どうして私の名前がわかったのであろう。それは彼がKGBであるからだと答える以外にはない。

win時代の部屋ががらんとした部屋であってベッドとテーブルと戸棚の外には何もないような空間であった。

カメラはもっぱらライカとキエフであったが7年半キエフを使うとシャッターが壊れるのである。シャッターを修理に出すと10,000円は取られるから、それはしないで 5,000円で新しいキエフを買った。ジュピターの50ミリは中古で買うと必ずついてくるから、テーブルの上には 50ミリが整列をするようになった。

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  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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