フォト

オンラインギャラリー

バナー

無料ブログはココログ

チョートクカメラ塾ブログ

Chotokuぶらり パチ塾

« 35ミリの広角レンズでf3,5と言うのに何故かひかれた | トップページ | 文京区関口の原爆の樹木 »

2017年5月14日 (日)

東京都文京区音羽1960年代

Img_2802

6月半ばから京都のギャラリーメインで開催する私のモノクローム写真半世紀の展覧会の写真をセレクトした。
今回の発見は60年代半ばにプリントされたいわゆるヴィンテージプリントが三点発見されたことにある。
そのプリントはファイバーペーパーであるがサイズは8x10なのである。フェロタイプがかかっているのもあるし、いわゆる裏フェロ、つまり自然乾燥させたのもある。

当時のモノクロ写真は写真印刷の原稿と言う認識しかなかった。だからフェロタイプをかけてピカピカに表面を加工するのが普通だった。
アサヒカメラ教室の石元泰博さんの書かれた記事を読んで初めてアメリカではフェロタイプをかけないということを教わった。モノクロ写真半世紀の記事の中でこのことが1番ビックバンなのである。

これはまだ都電が走っていた頃の文京区の音羽通りである。

仔細に観察すると看板建築がなかなか面白い。森永のエンゼルマークがあったりコカコーラのプリミティブな広告が建物の上のほうに大事に掲げてあったりブリヂストンタイヤの看板が出ていたりする。

私はニコンの一眼レフかライカのエム型にニッコール21をつけて天気の良い昼過に道の反対側からパラレルな角度で撮影をしたのであった。

このモチーフのアプローチというのはこの半世紀何も変わっていないということになる。

永井荷風は断腸亭日乗の中で書いているが、たしか昭和12年の1月2日に父親の墓参りに雑司ヶ谷墓地に行っている。
その記事によれば音羽通りの西側が広められて道幅が広くなったと書かれている。
それで音羽通りの東側なのであるのが私の記憶に間違いがなければ、これは私がwinに行っていた七年半の間に拡張されたのである。つまり1973年から80年の間に工事が行われたのであった。

ヨーロッパから帰国して音羽の実家に行った時、道幅がずいぶん広くなったと言う印象があった。
それの直前に地下鉄有楽町線も開通している。

しかしそれから既に 40年近くが経過したのであって道幅を広くした位では交通渋滞は解消しないものと見える。

« 35ミリの広角レンズでf3,5と言うのに何故かひかれた | トップページ | 文京区関口の原爆の樹木 »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30