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2017年4月26日 (水)

ギャラリーバウハウス稲垣徳文展でアジエに大接近

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土曜日の夜にギャラリーバウハウスで稲垣徳文さんの個展のトークがあった。私と野々宮さん、芦原さんも参加した。この3人はこの間パリで私の写真展であれやこれや言った連中だ。

野々宮は50年前のパリ製のダブル8のカメラ、カメックスを持参してそれでパリを撮影したのである。しかしフイルムが手に入らなかったのでものすごく期限切れのコダクロームで撮影した。今はコダクロームはモノクロなら現像ができるそうだ。
パリをモノクロで撮影するなどはいかにもクラシックで良いと思う。

芦原のほうは大判カメラを持参し、ものすごい距離を移動して撮影した。彼の撮影のスタンスは東京でも変わらなくてすごくエネルギッシュなのである。実に頭が下がる思いがする。

芦原の撮影は今回トラブルがあって1部のショットが二重露光になっていたそうだ。要するに初心者的な問題であって撮影済と未撮影のフイルムをダークバッグの中でごちゃごちゃにしてしまったのである。

私のような手練になるとそこら辺は絶対間違いはしないからダークバックの中の空間世界を最初から分離している。例えばダークバッグ世界の右では未撮影で左手は撮影済みと言うふうに頭脳の中で最初から世界を分離している。

しかし彼のアップした二重露光画像を見てみるとそんなに悪くは無い。
表現上で二重露光にしてそれを発表した事は私もあるがトラブルで二重露光になってしまったのが編集者の目に留まって、それが書籍の表紙になったものがある。
それは新潮社から出た「屋根裏プラハ」と言う本の表紙なのである。

話は戻って稲垣さんのトークは超満員であった。
日本経済新聞などに紹介がが出たようである。すごいことであると思う。なかなか力の入った講演会で100分ぐらいの長さがあったが退屈しなかった。

アジエの仕事の紹介をパリのそれぞれの街区に分類して1区から順に説明をして元の作品と自分が今回撮影したのを対比して見せてくれるのは面白かった。

要するにパリと言う街は100年ほとんど変わっていないと言うことがこれでわかる。身近なアジエであるが今年が没後90年になるそうだ。
パリの10区の仕事を紹介した。私は10区の大ファンなのである。泊まったホテルも十区であるし毎日通っていたサンマルタン運河もそうである。
アジエの作品を順繰りに見せてもらっていていきなりサンマルタン運河の先日あたしが毎日座っていたベンチからのショットが登場したのにはすごくびっくりした。

要するに私が座っていたベンチの数メートル先にアジエが三脚を立てて外で撮影したのである。運河から上流を見て眼鏡橋がある所のショットだ。最初は別の場所ではないのかと疑ったのである。その理由は両岸にマロニエの木がほとんどないか、小さいからであった。

しかし100年前に撮影された写真である。
マロニエとクロワッサンはマリーアントワネットと一緒にウインからフランスにもたらされたと何かの本で読んだことがあるが、そのマロニエは成長が非常に早いともあった。だから100年前にアジエがとったサンマルタン運河の写真にマロニエの木が小さくてもそれは何の不思議もないのである。

それ以前のパリを記録した写真家にマルヴィルいる。その作品はパリの通りを真正面から見据えたものでしかもカロタイプの非常に大きなカメラで撮っている。それに比較するとアジエの仕事は何か気楽にとっているような感じがしてその比較が面白かった。

稲垣さんは自分で制作した鶏卵紙の制作方法も話した。
卵の白身を大量に使うので卵の黄身が余ってしまう。それで仕方ないので残った意味でフレンチトーストを作った話はユーモアがあってよかった。

1983年に私がニューヨークで大型カメラでモノクロームでマンハッタンを撮影していた時に鶏卵紙プリントを作ろうと思い立ってコダックに問い合わせをしたことがある。当時コダックはまだ鶏卵紙を製品として作っていたのだ。
ところが最低のロットが一グロスであると言うので諦めた。1箱には50枚のペーパーが入っていてそれが12箱つまり600枚が1ダースである。さらにそれの12倍だからとても使い切れないと思った。

稲垣さんの講演を聞いて痛感したのは彼が何もノスタルジーに駆られて写真を撮っているのではないと言うことだ。その正反対であって学究的な感じがする。言い方を変えるとアジエが目指していた未来の時点が今ここにあるという見方である。

このフレキシブルな時間感覚の捉え方が良い。
そこにアジエの薄味がうまくついているというのが好ましい。
翻って極東のこの町について考えてみると、つまらないことに全てが昭和情緒とか江戸情緒と言うような安もんのテレビ番組のようなアイディアが下敷きになっているのは情けない。

いってみれば東京人よりパリジャンの方が風景論を持っているということだろうか。

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