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2017年4月25日 (火)

東京都練馬区大泉学園町2,207番地

Img_2530
私の古い友人の高木松寿くんから先週の土曜日のシドニーで彼のお嬢さんから封筒を受け取った。開けたら1,970年頃の懐かしい写真出てきた。場所は大泉学園町2207番地である。この家には友人知人がたくさん来たので来るたびにビジターと言うタイトルで記念写真を撮った。

これは高木が自分のに混ニコンで撮影してくれたものである。そんな事はとっくに忘れてしまったのでいきなり50年近く前の自分に出会ったのにはびっくりした。

この写真がいつ撮影されたかということにはちゃんと時代考証がある。大阪のバンコク博覧会の最終日1970年の9月の何日かは忘れたがその最終日の頃にそれぞれのパビリオンでお土産をダンピングしてうると言う催しがあった。

右の私が着ているのはその時に買ったインドで作られたシャツなのである。 70年代ファッションを一見すればわかるように、みんな幅広い革ベルトできてるものは体にフィットしている。私の買ったインドのシャツはルーズフィットだったので、それが嫌で家人に頼んで体にフィットに縫い直してもらったのだ。今思うと愚かな次第である。

この2,207番地の家には色々な人が来た。家人の友人でオーストリア人で日本で何か研究している女性もきた。ただしその人は日本語が堪能なので少しもドイツ語の勉強にはならなかった。日本デザインセンターの同級生の青山達雄などは今にして思えばポタリングの元祖と言ってよいであろう。彼が住んでいた中野のアパートからツーリング自転車で家にやってきた。

今にして思うと凄い時代だったなと思うのは、青山が到着したときに顔も手も煤煙で真っ黒だったことである。牛込柳町の日本一の大気汚染ではないが、当時はそういう状態だったのだ。

まぁ昔の話だから今思い出すと何やら懐かしい。

大泉学園町2,207番地の1番近いバスの停留所は北園と言うのである。日大の後輩の戸倉元に会ったのは大泉学園の駅前で彼は私の住まいから数カ所おくのバス停、都民農園セコニック前、近くのお屋敷の離れの一室に住んでいた。

まぁそういうわけで大泉学園町2,207番地の小さな一戸建てを中心にして我々の人間模様が交錯することになった。
これを撮影した3年後に私は日本デザインセンターを止めて家人と新婚旅行と言ってよいであろうがオーストリーのwinに行った。そこで7年半を過ごしたのである。
ながーーーーーーいハネムーンであった。

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