白い船
30年近く前の佃小橋は土橋めいていた。
その色は冴えない材木の色なのである。
それでは観光地にならないというわけであろうか立派な赤い橋になった。「東京ニコン日記」に登場する昔の佃小橋はそこでお祭りの獅子舞をしているところをとったのだがそれは1,966年頃であったと思う。
田舎にあるような地味な橋でそれはそれでよかった。
この細いクリークは佃堀と言われている。もともとは住吉様の脇から入って南に直角に水路は曲がってさらに南につながっていたようだが、佃大橋ができてしまってから途中で寸断されてしまった。
いつの頃からかそこに小さな白い古いボートが係留されていた。佃の船着場の専門家に聞いたら何でも排水量50トン以下の船は東京湾から外洋に航行することができない決まりになっているそうだ。
私がいつも利用している飛行機の場合は際限なくどこにでも行ってしまっえるので、逆にこの小舟は行動半径が限定されているのがローカルで良い感じだ。
しかしこの白い船の様子を見るともうエンジンがないのではないかと思われた。
昔のモスクワとか昔のローマとか最近の回路等で路上に廃車がそのまま家捨てられているのを見るのが好きである。要するに実用の自動車からもっと崇高なオブジェにどんどん移行していくわけだ。
東京オリンピックが来て外人さんが佃に来たときに後進国であるのは恥ずかしいと言う意味なのであろうか、最近あちこちで工事をしている。
佃小橋も何か重機が入って大掛かりな工事が行われている。
こういうのが、おもてなし なのか?
住吉様の裏手の水路に新しい船をもうやるための柱が数本打ち付けられたので何が始まるのかと思った。そしたらその次の週に佃小橋の工事が始まって私の好きな白い船はいなくなってしまった。
私は散歩の帰りに水路の脇からこの疲れた白い船を見て自分にオーバラップしたりして楽しんでいるのであるが、実際にはゴイサギがここにきて羽を休めたりして結構自然環境の為にも役に立っているのである。
そういう鳥連中も泊まり慣れた白い船がなくなったのは困ったことであろう。どこに持っていかれたのかなと思って橋の先を見たら、ちょうど住吉様の裏手の、さっき水路の新しくぼっくいができたところに私の好きな白い船はもやってあった。
それでやや安心して実際にこの小さな白い船を観察すると、やはり不思議なのはその船の名前がマジックインキか何かで書かれているような不確かな不完全な不鮮明さなのである。
名もなき船と言うのは変だがすごいアマチュアリズムを貫徹しているような船である。
関口丸 というらしいがよくわからん。