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2017年2月16日 (木)

ジョナスメカス 94歳


ジョナスメカスは尊敬するアーティストだ。

彼は何十年も映画と一緒に戦い続けてきた。マンハッタンのチョーセイさんがメンションしてくれた記事によるとメカスは彼の映画アーカイブスの中から資金の調達のために3月初めにオークションをやるそうである。
今年のドクメンタではメカスも出品するそうだ。それは移民のストーリーなのである。

私はジョナスメカスには都合二回だけあったことがある。
1983年の11月の第一金曜日の夕方にニューヨークのブロードウェイとスプリングストリートの角で遭遇したのだ。彼は当時その角のビルの上に住んでいた。それは私は自伝映画で知っているのである。

ジョナスは金曜日の買い物から帰ってきたところでショッピングバッグを下げていた。私もそうだった。それで角でちょっとだけ立ち話をして別れた。
その日は興奮して握手の手を洗わなかった。

もともとジョナスはオーストリーのwinに勉強に来る予定だったのである。それがナチスドイツの関係で当時の西ドイツの収容所に入れられて二回めに脱走に成功した。それで移民船でシカゴに行く予定が途中で気が変わってマンハッタンに降りてそれが彼のキャリアのスタートラインだった。

マンハッタンで偶然遭遇した翌月12月に原美術館でメカスの回顧展か何かがあった。
会場に現れたメカスが先月マンハッタンで遭遇した変な東洋人である私を発見してまっすぐに歩いてきてまた握手をしてくれた。
主催者としてはさぞ面白くなかったことであろうと思う。

以前はメカスの映画を見るのはめったにない貴重な体験で、例えばオーストリアフィルムミュージアムで創設10周年記念の1974年だったかメカスの一大映画祭があった。

それを見に来た私は唯一の東洋人であったせいか地元のテレビ局にインタビューされた。今にして面白いのは撮影機材はビデオではなくてエクレールのフィルムカメラであった件だ。

翌日にその放映されたニュースを私は偶然見ることができた。当時の私はドイツ語がしゃべれないので英語で説明した。その下にドイツ語のアンダータイトルがかぶさった。外国人のステートメントだからこれはこれで良いのだと思った。

アパレルのアニエスベーがメカスの全作品を収録したボックスを作ったので最初はありがたかったが最近はあまりありがたさが感じられない。映画もいつでも見れると思うと愛情が減少してしまう。

それでメカスはよくwinにもきていたしオーストリアフイルムミュージアムの近くにある大きな市場ナッシュマルクトが火事になった時もブレックスの16ミリでニュース映画を撮影していた。

マンハッタンに滞在の1年間に私はどこかメカスに遭遇したいと念じていた。その信仰の心がおそらくつうじたのであろう。それが滞在の最終日のしかもその日の夕方にメカスニ会えたと言うことなのである。

SOHOの奇跡とというやつだ。Img_1846


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