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2017年1月13日 (金)

お正月カフカ プラハ×アフリカ×病室

バウハウスの【ギャラリー・トーク】「お正月カフカ プラハ×アフリカ×病室」というのに行った。何か三題噺めいてどういう展開になるのか疑心暗鬼だったが、こういうカフカのパーテイもあるのかと感心した。
お三方は、頭木弘樹(カフカ研究者)×田中真知(作家・翻訳家・あひる商会CEO)×小瀧達郎というのである。小瀧さんの言い訳では大きな椅子は2つしかないと言うので館長は脇の小さな椅子に座っていた。これがまた舞台効果を上げていてよかった。

カフカはお正月の季語になることも今回判明した。

私は大脳の奥の右半分でコミカルで知的なカフカに関するお3人の会話を聞きながら、大脳の左半分で自分内のカフカのことを考えていた。

カフカとプラハとは非常に残酷な関係にあった。
カフカの生誕100年は世界中で祝福された。しかし当時のプラハは世界でただ1つカフカの生誕を祝福しないひねくれた街であった。

ビロード革命の後になってプラハはカフカ一色になった。カフカミュージアムなどは連日連夜長蛇の列である。それはそれで良いのだが非常に奇っ怪なことがカフカの顔のイラストがいわゆるユダヤ人差別の顔つまり耳がつり上がったようなそういう風貌にされているのだ。
シオニズムの関係者から文句が出なかったのであろうか。

カフカが住んでいたアパートは街の中心部であるがそのすぐ西側が巨大なゲットーだった。そこが今は名前だけが残されていて完全に新しい街並みになってしまった。私が言う新市街と言うのは百五十年前の時点での新市街と言う意味だ。

お三方のカフカの談義はほとんど無関係に見えてその実、不思議な連携性を浮上させる。それが良かった。
あっという間に二時間経過。

私は左脳で、カフカの時代のシオニズム運動とドイツ語が母国語のカフカのイーデイッシュ語はどれほど自分の言語化していたのであろうかということ、さらに関連してあの癖のある草稿のファクシミリが脳裏に浮かんだ。

いきなり小瀧館長からご指名で戦前のレンズに関して話すようにいわれた。どぎまぎして立ち上がったがその時、私はカフカが亡くなったウイーン郊外クロスターノイブルクのサナトリウムのことを考えていたのであった。

だからここの舞台はプラハなのに1938年製造のゾナーの話をしてしまった。大失敗だが、私にはウイーンのベルクガッセ19番地のフロイドの住居が眼に浮かんだのである。
その時のゾナーで私は前回のプラハの写真展の撮影をしたのだった。

お三方のベクトル方向が異なるので、結果としてお正月の三次元カフカ空間が構築された。


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