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2017年1月27日 (金)

1966年柳沢信さんのカメラ毎日の作品「無国籍地」のその先

Img_1590この春にパリで二人展をやるのであるがそのあたしのタイトルが「東京1966」なのである。

1966年というのは私にとって重要な年であって日大の写真学科に入学して、大学にはいかずにカメラを持ってあっちこっちふらふらしていた時代である。 つまり私が本格的に東京の風景を撮り始めた年だ

当時の好きな写真家に柳沢信さんがいた。

柳沢さんはおもにカメラ毎日で大活躍していた。その中で最も印象に残った仕事は晴海の先、つまり国際展示場の当時の姿を撮ったドキュメンタリーである。そのタイトルが「無国籍地」というのである。かなり物騒なタイトルであるが当時の銀座からたかだか20分歩いた晴海というところはまだ埋立地のままでそういう荒っぽい雰囲気が残っていた。

それで写真学生の私は真似をして晴海あたりを撮影したのであった。当時はできたばかりのドーム型の国際展示場しかなくて、そこは日本の未来に向けての新しい窓のような存在だった。そこでアメリカのフードショーなどを見学して撮影してこれこそ未来なのかと感心した。時代はアンディウオーホールのキャンベルスープの缶がずらりと並んでいる時代であったから、脂っこいフライドチキンも何か輝かしいアメリカの近代生活というふうに思ったのである。

それ以来、晴海の先は全くのご無沙汰であった。晴海通りというのは1,960年代にはいきなりそこの先は海で終わってしまうのである。公団住宅の当時としてはかなりの高層建築があってその先は海であった。それが今回半世紀ぶりに歩いてみたらなんと橋がかかっている。晴海大橋とかいうのであるがその先は豊洲かなと思って歩いてみたらこれが非常に長い橋なのだ。フォン川にかかるハノイの鉄橋のレールの上を歩いていうような感じがした。それほど長い橋であった。

非常に懐かしくなおかつ驚いたのは1,960年代半ばに柳沢信さんが撮影した当時の無国籍地と名付けられるような光景が未だにそこら辺に点在していたことにある。つくだの私の住まいから歩いていけるところにあるのが実に新鮮であった。

 

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