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2016年10月13日 (木)

モータリゼーションは記憶のかなた

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日本のモータリゼーションの黎明期はワタシが日本デザインセンターで最初トヨタパブリカを磨いていてころいたころがその本格化の始まりだったと思う。それ以前はモータリゼーションは夢のまた夢という感じだ。

私の生まれた文京区音羽は当時は都電が行き交うだけで後は馬車とか牛車が交通していたと言うと誰も信じないだろうがそれは真実である。あ、それと進駐軍の車がよく走っていましたね。

音羽の通りに橘さんという油屋さんがあった。これはしょきのガソリンスタンドの意味である。油屋さんがガソリンスタンドであった。

私の古い友人でピアニストの長島さんという女性がウィーンに留学したのは1,970年代の初めであるがその時あちらで出会った日本人でやはり私の友達の栗田くんというのがいた。栗田くんの友人が写真家のフルヤ誠一なのである。

ピアニストの長島さんが栗田くんに初めて会ったときに長島さんが何してらっしゃるんですかと聞いたら栗田くんはぶっきらぼうに油だ・といったそうである。長島さんのその答えが、あ、、油屋さん?であった。

栗田くんは油絵を学んでいたからそう言ったのであるが、長島さんはそう聞かずに油屋さんつまりガソリンスタンドやっていると勘違いしたのである。

そこらへんの日本語の意思疎通ができないところが非常に面白い。

音羽通りの油屋さんの橘さんのところには排気量500ぐらいのそれが名前もわからない群青色に乗られた小型トラックがあった。小学校低学年の時にそのトラックの荷台に乗せてもらった。

歩いていけば10分かかるエドガワバシまでたった1分でまたすぐ音羽通りを北上して護国寺の山門の前まで行きまた戻ってきて3分もかからなかった。

私の人生のはじめての車の経験がトラックの荷台であったというのは象徴的である。後年メキシコの遺跡を取材に行った時に、交通機関がないのでやはりトラックをヒッチしてその荷台に乗せてもらったこともある。

当時のアブラヤさんというのはこの写真でもわかるけども木造建築がたくさん並んだ街中に白い壁を巡らせてなかなかモダンな商売に見えた。働いている人も粋な制服であった。

油屋さんの前を通る時に水面に広がったガソリンの皮膜に虹の七色を見てそれをコダクロームで撮影しようとしたのは何十年も後のことである。油屋さんの前を通る時にそのガソリンの匂いが好きで夢心地になったこともあった。それはガソリン自動車への憧れではなくてペトロールそのものの近未来的な香りなのであった。

もう1枚の写真はどうみますか?

これは東京ニコン日記に掲載された1枚の写真なのだが今までその素性が全くわからなかった。今ならベトナムのハノイの郊外でもこんなにすがれった寂れた感じの自動車修理工場というのはそんざいしない。

腰に手を当てて店の中をのぞきこんでいるチエックのシャツの青年がいったい誰であったのかが判明したのである。

これは1966年の10月ごろの話で大学の同期の野口康が新しくパブリカを購入したのでそれに乗って東京をドライブしたのであった。パブリカはグレーのスタンダードで何の装備本付いていなかった。

当時はそれがカッコ悪いと思った。今ではスタンダード仕様のパブリカわかっこ良いと思うが当時の私は若かったからその分別がなかった。開発途上国の日本のモータリゼーションは車の脇に自家用とでかでかとペイントしたり、あるいはオーナー田中と書いたでかいネームプレートを車の後ろに掲げるようなそういう時代だったのだ。

このショットで思い出したのはその野口くんとのドライブ中にほかの車に追突されたのである。車のオーナーは事故にするとまずいというので確かこれは砂町かどうかのこういう修理屋さんにツレテいかれた。そこで修理をしてもらって事故沙汰にはしなかった。

写真が記録であるとは思わないけれど老人のかすれた記録をつなぎあわせてくれるのにはずいぶんと効果があることが分かった。

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