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2016年10月 4日 (火)

ハガキの裏のステートメント

PRAHA ・Chotoku
1985 ・2016

あたしの経歴でプラハ六区にアトリエがあったのは1989ー2014とあるが、これはビロード革命が起こって四半世紀が経過して記念行事があった年をそのまま引き写したのである。どんな革命でも四半世紀が過ぎればまず一段落というものだ。
実際にはその数年前からプラハに住んでいた。その話は文芸誌「新潮」に二年間連載され単行本「屋根裏プラハ」になった。

今回のギャラリーバウハウスの「プラハ年」はオーナーの小滝さんが昨年夏にプラハに滞在したことがシリーズ展の直接のきっかけになっている。
世界はミロスラフ・クベシュという哲学者の眼を持つ写真家を発見した。偉大な発見だ。今回の一年間の展示は彼の仕事が中核になっている。

今回、あたしは1985夏と今年の一月のプラハを展示する。1985にプラハは未曽有の市内大改築をした。敷石は掘り返されまるで内戦のような風景だった。その四年後のビロード革命などは予知するはずもなかったが、あたしは旧市街を何かの天啓を聴いたように撮影した。

尊敬するヨセフ・スデクの中庭のアトリエも主のないまま残っていた。スデクの庭と住まいは今回初めて展示される。
思えば1985のプラハは「変身の為の準備」をしていたのだ。

2016の冬は珍しい雪景色だった。
実はあたしの人生の時間割ではもうプラハにはゆかないつもりだった。あたしは二十代から七十近くまで深情けの悪女、プラハに深入りし過ぎたのである。
一月のプラハへの旅は小滝さんの勧めもあり実行したが、雪景色は過去三十年を回想するにぴったりだった。
革命当時、友人がハベル大統領の友達だったので丘の上の王宮の大統領府にいったこと。その大統領閣下をカフェで見かけたらどっかの大学教授みたいに見えたこと。ベラ・チャスラフスカさんにインタビューしたことなどなど忘れられない。

今回の「プラハ年」はあたしの「プラハ三十年」の終了宣言でもある。
あたしはもうプラハには行かない。
その理由は今ここには書きたくない。
ーーーーーーーーー


これが10月20日から始まるギャラリーバウハウスの案内ハガキの裏に書かれたステートメントである。
ハガキの裏に印刷すると言う意識はなかったのでやったら長い文章になってしまったが、これでもかなり削っているのである。

過去数十年にわたるプラハの思いを綴るとどうしても一千文字でもこんなことになってしまう。
私の周辺でも最近は老眼鏡を使う人が多くなったのでこの文字は虫眼鏡がないと見えないかもしれない。

ジョイスが虫眼鏡で細かい文献を見ているカラー写真が残っている。彼のカラー写真は珍しいが眼鏡をかけてさらに虫眼鏡を使っていると言うのはなかなかダンディーである。

しかしこれはジョイスだからダンディーなのであってわれわれは普通の高齢者である。それでハガキの裏を複写してここにアップした。
手元に虫眼鏡のない方はこちらをご覧いただきたい。Image


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