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2016年9月27日 (火)

泪橋のボールト ナット屋

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東京の山谷もニューヨークのバワリーも以前は怖いところであった。
山谷のマンモス交番等はいつも地元の民衆に攻撃されていたりした。
その攻撃していた元気な青年そして中年が何十年経過すると老人になって静かになってしまった。
それで町は静かな秋の午後になる。

涙橋の交差点に酒屋があった。
客が店の外まで溢れていて路上に寝ている人がいるから交差点を通る時はその上をまたいで歩くというのは大げさだが、まさにそんな感じであった。

確か焼酎の測り売りで半分というのがあったと記憶している。
それはガラスのコップ半分だけ売ると言う意味だ。
難波の天王寺の立ち飲み屋に行ったらその伝統的な半分が残っていたのが非常に嬉しかった。要するにお客様本位なのである。
世界一と言う名の銘酒を売っていたので世界一酒場と呼んでいたと記憶するがあまり確かではない。
今は普通のコンビニになっている。

そこを交差点を渡った反対側白髭橋の方向に行く角から2軒目にこのボルトナット屋があった。
私が知ったときには既に閉店していたが、その看板がランドマークだったので、いつもこの界隈を歩いている時には、とりあえずあのボルトナット屋までと言うのが目的になっていた。
こういう味わいのあるランドマークと言うのは私などは楽天的だから永遠に存在するように勘違いをするのである。
それである日、ボルトナット家の看板を見に行ったらなくなっていた。
ある部分の私の時代がそこで終わったということを納得した。

山谷が変わったのはバックパッカーが多くなったことだ。そこら辺が今のニューヨークのローワーイーストサイドとも非常に似ている。
宿泊所のホテル太陽の糧物の脇にこれは私は見た事はないが、伝説的な屋台があったと言う。それは寿司屋の屋台なのである。
今の時点で考えれば冷蔵庫がないのでなんで寿司屋ができるのかと思うのは考え違いだ。その寿司を味わう機会がなかったのは残念だったと時折この界隈を歩行しているときに考える。

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