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2016年8月 7日 (日)

東京オリンピック村の机と椅子

世間は四年後の東京オリンピックに向かって沸騰しているようだが、私の場合には1964年に開催された東京オリンピックのことをすぐに思い出す。

これは老人の大脳の皮質の古い方が記憶をちゃんと蓄えているせいであるらしい。当時開発途上国である日本はオリンピックに全力を集中していたからその活動や宣伝と言うのは村祭りのようであった。
当時はそれが恥ずかしかったのだが、今になって50年前を回想するに、なかなか人間味のある良い活動であったと思う。

しかし一方では当時選手団として来日したその頃の先進国の人々にとっては東京での体験、特に選手村での体験は1周以上であったのではないかと思う。
1990年であったかプラハで1964年の東京オリンピックで大活躍したベラ・チャスラフスカにインタビューしたのもそんな内容だった。
選手村と言うのは代々木にあった。当時の受け入れ側の日本のやり方は異常にに神経質とも言えるものでまず日本人の選手村は外国人の居住地からかなり離れて構築されたそうである。その理由と言うのが今ではちょっと信じられないのだが外国人は味噌汁が臭いと思うからなるべく離して場所が作られたと言うのである。当時のNHKのニュースではそれを極めて真面目に放送して日本人の気配りの見本であるようなコメントであった。マンハッタンの日本料理店などだと地元の人が味噌汁の味噌の種類にまでこだわったりするような時代になってきたから今昔の感がある。

私の父は新しい物好きなのでオリンピックが終わった翌年であったかその代々木の選手村の家具を一般に払い下げると言うのに申し込んだ。それで、ゲットしたのが選手村で使われていた机と椅子なのである。当時高校生の私がそれが到着したときにはびっくりした。作りが粗雑であってラワンかなにかでできているのであろうが、その表面はささくれていて指にトゲが刺さるほどひどいのである。当然のことながら4つ付いている引き出しはまともに開け閉めすることができない。この机と椅子の品質が悪いと言うのは私がヨーロッパでちゃんとした家具を見て帰ってきてからそれが分かったのではない。まだ何も知らない高校生の頃に高校生の体験からしてもこれはひどいと言うことがすぐにわかったのである。その払い下げの机と椅子は1年もたたない内に邪魔になるのでお払い箱になった。地元の東京の高校生だった私がその家具をひどいと思うのだから、選手村に滞在した先進国の人々は一体どのように感じたのかは想像するまでもない。
言い方を変えれば私は私の生涯で最もひどい机と椅子を見たと言うことになる。これは1種のシュールレアリズムの記憶である。

佃垂直長屋の爺の古い話なので画像なし。

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