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2016年7月 8日 (金)

ウイリアムクラインのNikonS3

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ウィリアムクラインが来日したのは1957年だったか…
羽田空港のタラップを降りながら撮影を開始したと言う伝説もある。彼はモノクロフィルムを感度1000で撮影していたという神話もある。東京で撮影した数100本のフィルムは日本の現像のプロがそれを現像したので細かいデータも残っている。

クラインはこの撮影で大判の写真集「東京」を出版したのである。
世界的写真家が来日と言うので当時の日本光学は数台のNikonと21ミリから500ミリまでのレンズ寄贈している。歴代の日本光学でカメラを寄贈するというのは極めて稀な例であるからこれは何か背景に約束があったかもしれない。

30年ほど前にプランタンのオープニングでクラインが来日した時にたまたま私に相談があった。
チョートクさん、、、大昔にニコンから受け取った機材はもうすでにボロボロなので新しい機材の提供を頼んでくれないか、と言うのである。
実際には私のお使いはうまくいかなかった。どうもニコンの偉い人はクラインを知らなかったようである。それで彼はその直後にクライアントをライカにしてしまった。そのライカR6で二十年年また写真を撮影したのである。ニコンは大事な広告塔を失ってしまったわけだ。クラインはその後ソニーのフォトアンバサダーにもなっている。

ところでクラインがが初来日した時に持参したカメラはニコンのS3なのである。それもクローム仕上げのニコンだ。
クラインが奥さんらしい人と日本庭園を散歩している写真があってそのニコンをぶら下げている。クラインの場合は奥さんが航空会社の客室乗務員であったかどうかは知らないが、なくなったエドヴァンデル エルスケンの奥さんはTWAの客室乗務員でそのために配偶者の無料チケットで世界中を取材できたのだそうである。

今では格安航空券で誰でも世界に自由に行ける時代であるが当時この場合は1,950年代だがあの当時は飛行機に乗ると言う事が大変なステータスであった。値段も高かった。

クラインの初来日の時、その話は当時のカメラ雑誌にたくさん掲載された。その中で桑原甲子雄先生が編集長だった産経カメラであったか、浅草の三社祭を撮影しているクラインのコンタクトプリントがそのまま掲載されている。S3に28ミリをつけてクラインはほとんどノーファインダーでお神輿にぐんぐん接近していくのである。
神輿かつぎのおっさんの顔が見切れるほどクローズアップしている。これは彼がその直後に方向変換した映画撮影の技そのままである。

20数年前にプラハでクラインのアシスタントを数日間務めた時、脇で見ていたら彼のライカR6にエrマリット28付のカメラは撮影者本人の意思に関係なくどんどん前に前にと進むのである。
さすが天才写真だなと感心した記憶がある。

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