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2016年6月25日 (土)

戦前のレンズがいいなどという戯言

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レンズは戦前のものに限るなどとFacebook上で戯言を言っている私である。しかしこれには真実がある。
ツアイスの明るいレンズにしても、当時のライツの明るいレンズにしてもその時代の価格を調べるととんでもない高い値段がついている。製造も難しかったのであろうがそれなりに世界がそういう明るいレンズを求めていたのだ。

そうなのだ、、、コンタックス用などは今は誠に安い値段であってカメラに付録で付いてくると言うような格好だ。だからあまり高い評価を受けていないのであるがいつだったかレンズ交換式のデジタルカメラにそれぞれの戦前のレンズ、そして最新レンズをつけてテストしてみたらほとんど差異はみられなかった。

もっとも私はモダンなデジタルカメラで使っているのでわざわざアダプター等をつけて戦前のレンズをデジタルカメラにつけるほど酔狂人間ではない。

戦前のコンタックス用のレンズはやはり戦前の環境、つまりフイルムでモノクロームでとると言うのが正しいのである。
私が長いこと使っている28mmのレンズはソ連製のオリオンであってこれは1,970年代から使っていた。それから同じソ連製のレンズでも戦前のフェドのレンズになった。時間軸からするとどんどん昔に交代していくのである。

イエナの2.8ミリも以前から使っているが、個体に性能の差がかなりあるようである。それで今まで使ったテッサーの2.8センチのレンズはそれほど感激すると言う事はなかった。ところが偶然の機会から戦前のブラック仕上げの、つまりこれは最初のテッサの広角レンズであるが、を手に入れてこれがかなり良い個体であることに気がついた。それでコンタックスとアダプターでライカにつけたりなどして使っているのである。

このレンズはもともとは岡山とかあちらの辺の方が持っていたものでその方のお仕事が帽子屋さんなのである。帽子屋さんの好むテッサーの広角レンズと言うのは非常に洒落ていてそこに夢がある。

ギャラリーバウハウスで今年の秋個展をやる予定のプラハ撮影で今年の1月のプラハに行っていた。
プラハは珍しく雪であって私の四半世紀のプラハ滞在の中でも実は雪は割と少ないのである。雪というのはバロックの建築にアクセントのトリムラインで写真をドラマチックにするのである。そのことは私も長いことヨセフスデクの名作で教えられたのである。

プラハに持参したレンズは二本だけであってテッサー2.8センチとゾナー5センチの1.5だけであった。それをコンタックス最初のモデル、つまりブラックコンタックスにつけるのだから時代考証は合っているわけである。

ところがコンタックスをライカもシャッタの調子が悪く使えなくなった。それでこの写真に写っているキエフカメラを購入した。
そのコンタックスもだんだん具合が悪くなってきた。撮影を始めるとフィルムの真ん中あたりで理由は不明ながらフィルムの巻き上げが停滞するのである。だから無意識の多重露光がそこに生成されるのだ。
石元さんの先生であったアートインスティテュートのキャラハン先生は多重露光の名手としても知られている。石元さんはその影響でご自分でも多重露光の実験をしている。

多重露光と言うのは非常に難しいもので人間の不用意な芸術的な意図がそこに介在するとむしろ失敗に終わるものである。

チョートクアットワークと言うタイトルの昔の写真集の扉のニューヨークのエンパイアステートビルディングを多重露光で撮影したものがある。
エドワードスタイケンに捧げるなどと若い頃の私は格好つけているがこのエンパイアステートビルはそんなに成功したとは言えない。

これが1,98年の話で、その3年後1985年私はプラハで夏にずっと撮影していた。その時の機材はプラウベルマキナプロシフトと言うのである。これはセルフコッキングでは無いからフイルムを巻いたら必ず二重露光を起こさないように注意が必要である。ところが例によって私の注意不足から二重露光をやってしまった。ところがそれが私のプラハのエッセイ集「屋根裏プラハ」の新潮社のアートディレクターの目に留まってそれを表紙にすることになった。

表紙にしてみるとなかなか悪くいので感心していたのである。その理由はその多重露光は私の意思によって作られたのではなく、マシンが作ったからにある。

それでこの秋にギャラリーバウハウスで展示する私のプラハのシリーズだが、キエフの巻き上げ不良によって面白い効果の作品が誕生した。だからそのシリーズのアートディレクターは当然壊れたキエフになるわけだ。

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