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ロック ユー

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2015年11月30日 (月)

佃島の鳥居が消えた

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佃島の住吉様の鳥居が消えた。

私のような佃島の新参者でも半世紀見ている緑色の素敵な鳥居がなくなった。
最初考えたのは住吉神社が鳥居が古くなったので補修のだすると思った。これが普通の考え方である。

地元にずっと昔から住んでいる酒屋さんに話を聞いたらとんでもないことなのである。
鳥居は住吉神社の所有ではなくて東京都の敷地に立っていたのだそうである。

それを耐震補強対策か、オリンピックの準備か、はたまたおもてなし精神かわからないがひっこ抜いて持っていってしまった。再建の予定はないそうである。

東京都が率先して風景を破壊しているというのはアルカイダやイスラムステートと何ら変わりがない。
鳥居がないとモスクのように見えてしまうのが残念である。

西安にあるイスラム教のモスクは外見は中国の建築或いは日本建築に似ているのだがそれは実はイスラム教の寺院なのだ。その名を清真寺という。

佃に昔から住んでいる地元の人ですらその鳥居の破壊を全く知らなかったというのが実に馬鹿げていると思う。
宗教紛争にならないのが不思議である。東京アルカイダの仕業に違いない。
文化財破壊というより戦争犯罪だ。Image_2


2015年11月29日 (日)

スピークラウド

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日本の時間帯になれたので早起きして魚河岸に行った。
いつものまぐろ屋さんでパックを頼んで切ってもらう間に場内から場外に出た。素敵なおばあちゃんのやっている喫茶店があるので久しぶりにそこに行ったのである。
しばらく閉店いたような記憶があるのでどうなってるかなと思っていたら大繁盛であった。

外人さんのお客が多い。2年ぶりぐらいだと思うがそれまでなかった英語の張り紙があったので面白かった。スピークロウは有名だがこれはその逆でスピークラウドなのである。

クラシックなドリップ式のコーヒーを飲ませるところでその味がマイルドである。1,970年代の銀座で小さな喫茶店の味を思い出す。
店はカウンターが全部で6席と言うコンパクトなサイズでコーヒーはいっぱい250円である。
おばあちゃんには以前は魚屋さんであった。だから子供たちはマグロと言うのは中おちが普通だと思っていたそうである。普通のサクドリした刺身はこんなのマグロじゃないと言ったそうだ。
その話を聞いたのがすでに五年前のことである。

2015年11月28日 (土)

お化粧優先席

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自分がまだ東京に慣れていないなと思うのは、電車の中で向かい側に座っている女子のお化粧を見ることである。
パリでもニューヨークでも電車の中でお化粧してるの見た事は無い。
この極東の奇妙な習慣は私の記憶する限り四半世紀前にはなかったと思う。

あたしが赤羽から電車に乗って、志茂で乗ってきた女子がパフォーマンスを始めた。
つけまつげまでつけてかなり完璧にやっているのでいったいどのくらいの時間がかかるのであろうとカウントしてみたら降りたのは永田町駅であった。これでいっぱいいっぱいの時間を使っている。

まぁ何をしようと個人表現の自由であるからそれはそれで良いのだが、これは公序良俗には反しないのか?えらいしとに法的解釈を聞きたい。
私がこの人のボーイフレンドだとして、こういう電車の中でお化粧してきたという事はあまり知りたくないにゃあ。

2015年11月27日 (金)

リスボンの電車カフェのランチ

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リスボンのいつも歩いているアルファマの裏手の急な坂の途中にあるのが電車カフェである。
そこに30年以上通っている。

お店の看板娘の金髪のきれいなお姉さんは何しろ30年経ったからおばさんになっている。これは自然の摂理というやつだ。

この前電車カフェに行って3人の労働者が来てビールを飲んでいる事は書いたけれど、その他にも発見があった。
通常は地元の人しかこのカフェに来る事は無い。しかし観光地の真っ只中ではないがその北のはずれという絶好の位置に位置している。

この前、今回の訪問で初めて行った時に普段は見られない外国人男女のツーリストが店内に座っていた。これが非常に不思議に思えたのである。
リスボンでの英語の通用度は非常に低いから彼らがどのようにものを注文したのかそれに興味があった。さらにびっくりしたのはその店を彼らが出るときにもとお姉さんはちゃんと英語で対応していたことにある。

なるほどEUだから国際化かと思って感心して私も電車の撮影のために店を出た。
その次の週に撮影の途中でカフェコンレチエを飲むためにまた電車カフェに行った。

リスボンの路面電車の運行システムには非常に特徴的なものがあって、待つと絶対に来ないのである。25分から30分こないというのは驚くことでは無い。それで停留所はツーリストの鈴なりになる。

私は電車カフェ坂の上の方で電車待ちをしていたのかがこれがなかなか来ない。30分経過してもまだ来ないのである。その後奇跡のように電車が数台団子になって登場した。
しかしこれは電車の数が多すぎる絵にならないのである。

電車待ちで疲れてしまったので、電車カフェでカフェコンレチエをいっぱいということになった。
コーヒーを飲んでいると目の前に見慣れないラミネートされた1枚の紙がある。何気なく手に取ってみるとそれがツーリスト向けの英語の軽食のお品書きだったのでさらにびっくりした。

それでそのメニューを複写して後でゆっくりいと思ったらそのままになってしまって今初めて見るのである。リスボンは物価が安いのはこのメニューを一瞥して後もやすいことがわかる。

メニューの下のほうにこの電車カフェの正式な名前とそのアドレスそしてEメールアドレスまで書いてある。しかもこの店はちゃんとFacebookにも加盟しているのである。そのことにまた非常にびっくりした。

2015年11月26日 (木)

リスボンの日本レストラン

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20代30代の頃は外国に住んでいたので日本レストランに郷愁があった。
しかし50代なってみるとそう言う日本食の興味と言うものがバッサリ切れている。これはなんだろうか。

リスボンの丘の上に日本レストランがあるその名前を盆栽というのである。若い頃は滞在時に一回ぐらいはそこに行った。1人でランチを食べるかもしくはリスボンで知り合った旅行者を連れて何か食べに行った。要するに話し相手も欲しいのである。
この20年ほどは自分の仕事に興味が目一杯で他のことに興味が向くと言う事は無い。

仕事に熱中できるということはそれなりにありがたいことだと思う。それでこの盆栽レストランに行ったのは最後の訪問が15年位前でその時はお昼のランチを食べた。

そのあとレストランの名前は盆栽からネオ盆栽に変わった。オーナーが変わったのであろうか。今回来てみたらまた元の盆栽に戻っていた。しかし中に入るという事はなかった。私はそれだけ大人になったのである。そこらのバーでたらのコロッケでビール飲む方がいい。

それで昔の話になるが日本人のオーナーの男性の奥さんがポルトガル人でオリンピックの何とかの種目で優勝したとか言う話だった。
日本語の新聞が置いてあったりした。店主と話をしたら、日本の人々のための万相談所ですと言っていた。この語感が当時としてもかなりクラシックなのでいいなと思った。

考えれば当時はインターネットも何もない時代だからからそのようなよろず相談所が必要だったのである。その意味で世界は激変している。リスボンの街は表面は何も変わっていないように見えるけど、世界と同時に進行している。

2015年11月25日 (水)

住吉様の鳥居がない

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「老人徘徊に出たら現金忘れました。PASMOも残額は57円。クリントンスクエアの成城石井でカードで買い物して戻る時にずみよし様の鳥居がなくなってるのに気が付きました。鳥居には早く戻ってもらいたいです。」佃の田中さん無職68歳。

NHKのローカルニュースを真似るとこうなる。
半世紀以上見慣れたモノがなくなるのは風景の破壊である。まさかゆうし連合の弾丸に供出されたわけでもあるまい。

2015年11月24日 (火)

リスボンのブラックロード

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今回のリスボン行きは中判カメラのスーパイコンタを使用して55本撮影した。
その他にサブカメラとして持参したのがこのロードカメラである。

ロードというカメラは昭和30年代後半になかなか売れたようである。服部時計店が代理店をやっていて、レンズなどは東京光学の関連の会社岡谷光学であった。
戦後の国産カメラがライカやコンタックスを真似ていたのに対して、このロードカメラの偉いところは最初から自分独自のデザインで進化していったということである。

もっともニコンのレンジファインダのようにそのスタイルの進化に1つのルールがあるわけではない。要するに市場に受けるようなスタイルで次々とその形を変えていったのである。
ロードカメラは1型から最新モデルまで数は7種ほどなので、コレクションがしやすい。私はそれで全製品を持っている。

1番好きなのはこのブラックペイント仕上げのロードカメラの4型である。ライカとかニコンのレンジファインダーのオリジナルのブラックと言うのは100万単位の値段がついているが、こっちはせいぜい高くても2万もしない。

そして写りが良いのだからこれを使わない手は無い。最大の良さはレンズ交換ができないという点にある。40ミリのレンズが固定してついているのだ。
ゆえにアポズミクロンが欲しいなどとバカをいう必要がない。

ロードカメラはこの後にレンズが良くなって40ミリf 1.9という大口径レンズがついた。しかし40年以上このカメラを使っていて絞りを開放で撮った事は1度もない。だからこのモデル4型つまり最大口径がF2、8のモデルで充分である。

2015年11月23日 (月)

リスボンの食卓

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35年前に初めてリスボンに行った時によく通っていたレストランに今も通っている。レストランと言うよりも安い飯屋である。だから観光客が全然来なくて地元の労働者とか年金生活者が来ている店である。

カルネポルトギーぜというのは、豚肉とじゃがいもがあるだけでその上にオリーブが載っていると言うシンプルな料理だが非常にうまい。
日本人の味覚からすると肉と飯ということなのだがポルトガル人の場合はこれがじゃがいも豚肉と言う事になる。
実際にじゃがいもはこっちのは非常に美味しくて豚肉とのバランスが素晴らしい。
それで赤ワインを飲みながらオリーブをつまんで、これは本場のオリーブだからちゃんと種が入っているからそれを吐き出したりするのも風情があって良い。

何よりも良いのはこういう料理は5ユーロもしないということだ。それで半リッターの赤ワインを頼んで食後にエスプレッソコーヒーを飲んで10ユーロでお釣りが来ると言う理想の食事である。

2015年11月22日 (日)

クールピクスで一年間仕事

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本ブログのスポンサーが昨年の秋に変わってからオリンパスからニコンに持ちかえた。
でも私の写真術は小型軽量トラベルライトが基本である。

それでずっと使っているのはこのカメラである。
雑誌や広告の仕事とだとフルサイズのデジタル一眼でないとクライアントさんが言うことを聞かないのでこれはいろいろめんどくさい。

その理由は間に立っている広告代理店がクライアントに高いギャラを請求できないからである。だからデジタル一眼レフを持っていないのならレンタルしましょうかなどと営業さんが親切に言ってくれることがあるのはなかなか面倒だ。

世の中ではニコンの最新型のデジタル一眼がでると噂されているが、私にはこれで十分である。
その理由と言うのは帰国早々に銀座のギャラリーで開催されていたフォトメンタリーの写真展を見に行ったことにある。
これはグループ展であって他のメンバーがフルサイズのデジタル一眼レフ等も使っているようだが私の展示を見て別に遜色ないと思った。

フイルムカメラの時代には大きなサイズは確かに有利であって小さなサイズはダメなのである。
しかしデジタルカメラの時代になってからこの原理というのはどうも覆されているようだ。

カメラというのは便利なところがあって例えば駆け出しのアマチュアさんがフルサイズのデジタル一眼レフを手に入れたりすると、それなりの写真作家風に見えるということにある。
つまりカメラで下駄を履いているのか。

私は写真を初めて50年以上になるので別に有名というわけではないが、駆け出しカメラマンと言うわけでもない。だから自分の使いやすいカメラを選ぶのが1番である。

コンパクトデジタルカメラを愛好するのにはもうひとつ理由があって、私の仕事にはフィルムカメラがまだ重要な位置を占めているからだ。
フルサイズのデジタル一眼レフとフィルムカメラでリスボンの街を2週間電車を使わずに歩行などと言う技は68歳の老人には不可能である。
なので私にとってはコンパクトデジタルカメラが非常に重要な道具である。

森山大道さんを見よ!

2015年11月21日 (土)

シェンゲン条約と十字軍

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リスボンではまだクリスマスツリー等どこにも見えない。
家に帰ってきたらロビーにすでに立派なクリスマスツリーがある。
キリスト教国でもないのに不思議である。

年末の25日までがクリスマスで26日からいきなり門松になるそのデジタル的な転換が楽しみだ。

パリでテロがあってパリから帰ってきた専門学校卒業ツアーとかパリから戻ったHIS旅行者がいかにも凱旋将軍的なプライドを持っていて大笑いである。
あんたロバートキャパなのかい?と言いたくなる。

ムスリムの国で見るクリスマスツリーと言うのには独特の味わいがある。
イスタンブールのブルーモスクの向かいにあるホテルアルザーというところを定宿にしていたことがある。
クリスマスツリーをエントランスに立てているがその反対側巨大なブルーモスクである。
つまり宗教戦争の最前線にいるという構図になる。

カイロの安ホテルの最上階のエントランスにはこれは年がら年中枯れたクリスマスツリーが飾られていた。

テロリストから見れば、我々は十字軍の極東の傭兵と言う認識があるから攻撃対象から外れる事は無い。
そこら辺の国際感覚のズレが海外の日本人ツーリストを心配なことにしなければ幸いである。

2015年11月20日 (金)

フォトメンタリー写真展を見に行った

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リスボンから出張して東京の2日目。

天候回復したので銀座にフォトメンタリー写真展を見に行く。
昨年の今頃にソニーのフォトアンバサダーをやっているウィリアムクラインの展示をソニービルで見たときのことを思い出した。

4kのモニターの発色も非常に素晴らしい。
褒め言葉として何何さんの4kのモニターの作品の迫力は素晴らしいと言うのは失礼だ。写真は下手だがカメラがいいと言ってるのと同じだ。

フルサイズも大きくてでかいカメラ持っていればいっぱしの写真作家であるというのは世界的な勘違いである。

私が自分の写真をこのギャラリーで見て発見したなと思ったのは、この1年以上使っている。クールピクスがなかなかよく写るということである。
展示会場の別な壁面に私の紙にプリントした映像もあった。つまりこちらのほうは自分で所有することができるという点が優れている。
例えて言えばモニター画像は夜の湖の湖面に映る名月なのである。だから手に入れることができない。

銀座7丁目をゆるゆると歩いて戦前のベッサ1で撮影をした。
リスボンではスーパーイコンタで55本撮影をしてそれを現像だししたので神経がリフレッシュされた感じで爽快であった。

2015年11月19日 (木)

レストランの中を路面電車の走る店

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35年前にリスボンに初めて行った時に、この店が気にいった。いわゆるツーリストは来ない地元の労働者とか年金生活者が常連の店である。
ツーリスト向けの店は料理の値段でわかる。
魚のフライが25ユーロもするのである。この店だと同じものが5ユーロである。
それで日替わりの料理を頼んで半リッターの赤ワインを飲んでエスプレッソ飲んで10ユーロでお釣りが来る。

それよりもこのお店の面白いのはお店の中を路面電車が走っていることだ。
日本でその手の店はてっちゃんの店であるがリスボンではそういうことはない。

しかも路面電車は急な坂を上下している。料理を頼んで料理が来る前に赤ワインを飲みながらパンを食べるのはリスボンの楽しみである。


2015年11月18日 (水)

リスボンから東京

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東京に到着した。
リスボンで2週間電車に乗らないで階段を登り降りしたので体力がついて、帰りは京急から都営線の宝町で降りて雨の中荷物引っ張って歩いて帰ってきた。
爺の体力自慢である。

南アフリカのケープタウンから日本の某大学に招待されて講義をするという金髪のおばさんプロフェッサーと飛行機の中で隣同士になった。それはいいのだけれどもその交換枠の時間の長さがたった1週間なのである。ここら辺は日本的だな。

ヒマラヤはモンスーンなのかそして日本は五島列島から四国関西にかけてすごい前線があってエミレーツの312便は揺れに揺れた。大スペクタクルである。キャビンアテンダントさんが私が出演したジャパノロジープラスを見たと言っていた。だから私は見ていませんと答えた。

まるで昔の台風観測機なみの揺れ方は、ケープタウンから来た交換教授を歓迎する意味があるのであろうか。
羽田に到着したら飛行機の窓がびしょびしょで外が見えないほとであった。よほど大粒の雨が降ったものと見える。
家人とライカインコの歓迎を受けてクラブエダムごっこして満足。やはりエダムゴッコはパリやリスボンでやるよりも東京でやるに限る。

2015年11月17日 (火)

本日移動日リスボンドバイ羽田

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ドバイ羽田はたいていは平山の北を飛ぶがときにはこういうコースもある。どちらを飛ぶか楽しみ。

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2015年11月16日 (月)

リスボン最終日

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リスボンの最終日。
お城の坂を上でお城の展望台からリスボン市内を鑑賞した。
別に高くもない場所だが見晴らしが非常に良い。この2週間に歩き回った場所を確認したがこの丘の高さからでは私が行った水造橋等は見えない。

お城の見晴台は20年ぐらいまではタダであったが、頭の良いポルトガル人がそれを有料にしたのである。お金を払っていくこともとこでもないので10年以上行っていなかった。
しかし今回は気分を変えてチケットを買った。チケット売り場の若い人は私を見て60歳以上だったら割引になりますと言う。老人価格は5ユーロで一般人は8,5ユーロなのである。これは大変な違いだ。

まだお城の展望台が無料だった頃には展望台には大道芸人とかクラシックな小物売りなどがいた。つくだの部屋でカーテンの金具に使っているツバメのぴーちゃんなどは25年ほど前ここでおじいさんから買ったものである。

リスボンが良かったのは帯状疱疹の左手が大幅に回復したことである。この5月のパリでは私はブレックファーストの時に左手で角砂糖の包みを開けることができなかったので歯で食いちぎっていた。
9月のカサブランカではそれがだいぶ良くなって、今回はまずまず普通に左手が使えるようになった。まだ握力はないがともかくスーパーイコンタが両手で触れるのである。
これは実にありがたいことだ。

2015年11月15日 (日)

生まれた年のポートワイン

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リスボンの中心地のアウグスタ通りを下ったすぐ左側にある古い酒屋が人気である。
生まれた年の古いポートワインを扱っているのだ。

私の定宿はホテルインターナショナルだったので隣の店と言うことになる。
そういうものを買おうと思ったことは1度もないが、ウィンドウにわざと埃を被らせた古いポートワインのボトルが見事に並んでいる。

ライカなども戦前のライカはちゃんと埃をつけた状態で並べたほうが見栄えがするかもしれない。

ポルトガルがまだユーロでなくてエスクードスだった時代に、ホテルの行き帰りにウィンドウをよく眺めた。
それが知らない間にユーロになってしまったので桁がだいぶ少なくなってしまったのは残念である。

先日その古いポートワインのウィンドウ見に行こうと思って目抜き通りを斜めに横切ろうとしたら足を滑らせて転倒したのである。
今日その原因を探求して現場検証を行った。
車道と歩道の間にほんのわずか3分の1インチ位の段差があった。
このぐらいの段差が実は1番転びやすいのである。
老人は気をつけねばならない。

2015年11月14日 (土)

ロッシオ広場で

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エールフランスとかklmなどのヨーロッパ系の飛行機でリスボンで来ると到着が夜の11時半ごろになる。
今滞在中のホテルに最初に来たときにとにかく真夜中である。しかも場所がわからない。最初に声をかけてきたのがハシシ売りのお兄さんだった。

私はそれはいらないけどホテルの部屋がわからないので案内しろと言って教えてもらったことがある。
麻薬の売人に道案内を下げさせるツーリストと言うのは数が少ないと思う。
重い荷物をホテルの上まで運んでもらって5ユーロチップを渡した。

リスボン撮影がヒートアップしてきて今日で50本の120フィルムをとった。

ロッシオ広場の大理石の椅子に座ってフィルム交換をしていたらセラーやってきた。

フイルム交換と言うものは神経を集中するものである。
親父を無視してフィルムを交換していたら、旦那何か落としましたという。
見たら120フィルムの巻紙を止めるシールな大理石の広場に落ちていた。

扱う品物によって大きさがそれぞれ決まっているもののようである。
私が使う品物はカメラだから声で重さが1キロから3キロの間である。彼らが扱うのはどうもグラム単位で非常に小さくて軽いもののようである。だからシールのような小さい風び飛ぶようなものに神経が行っているものと見える。

それが面白かった。


2015年11月13日 (金)

水道橋を見に行く

Photo飛行機がリスボン空港にアプローチする最後の段階で左側に一瞬だけ水道橋がミエル。それが好きなのでいつもリスボンに行くときは左側の窓際の席をとっていた。

南から北の方のアプローチのことだからこれは秋や冬のアプローチである。この間のドバイからの飛行ではアプローチは北から南だったので残念ながら水道橋は見ることができなかった。

それで今回は水道橋をちゃんと撮影しようと思って出かけていった。google マップで位置を確認したのだが水道橋の高さというのは高いところにはないのである。よ

うするに自分の立っている水平のそのレベルにあるわけだ。場所を探すのに飛行機のアプローチの航路の左側を探したら水道今日はちゃんと発見できた。飛行機の左側からみたからこの捜索方法で正しいわけである。

*地平線上に高くそびえているわけでは無い。水を流すのだから考えてみれば当然なことである。私がいつも飲んでるリスボンの水はこれでのめるわけである。

人間のつくる建築物の中では水道橋というのはかなり好きなものである。

2015年11月12日 (木)

電車カフェ

リスボンの28番の路面電車のアルファマの坂を登ったところに小さなカフェがある。
その名前を電車カフェという。
カフェエレクトリ子である。

このカフェは週末はちゃんと閉まっているので最初から観光客を相手にしてないというところが心強い。
もう30年来ここに行っているが、今回久しぶりに行ってみてそこの金髪の長身の看板娘を改めて観察したらもう50近くになっていた。当たり前の話である。何しろ時間は世界中で均一に経過しているからだ。

ここは地元の主婦とかおばあちゃんで賑わっているので、私はここではアルコールは出さないとばかり思っていた。今日の大発見は私は座ってカフェを飲んでいたらそこに道路補修のワーカーさんが三人来た。
地元のビールのサグレスの1番小さい瓶と言うのをここで始めてみたが、3人カウンターの前に立ってそれを飲んでいる。

江戸っ子の粋と言うのは極東のローカルなものであるが、これは大航海時代に世界を制覇したポルトガルの粋というものだ。

そこからズルズルとアルファマの坂を下って撮影をした。撮影の本数10本。
ああ、もちろん撮影本数と内容は関係ありません。Image


2015年11月11日 (水)

ブリティッシュバーに行く

Adobephotoshopexpress_2015_11_10_15ブリテイッシュBarを初めて見たのは1980年夏の終わりだった。それからずっとこのバーに通っているのである。確かいっかいだけお店は大改装して、それまであったエントランスのガラスの上にプリントされたクラシックな船の画像は取り去られてしまった。がっかりしていたら全く似たようなものが新たにエントランスの上に掲られた。初めて行った人が気がつかないだろうがこれは私が最初に行った時のガラスのとは異なる。しかしデザインが非常に似ている。

実に35年間この店に通っていて、今回非常にびっくりしたことがあった。それはカウンターの後ろに女性がタッテいたのである。イママデずっと男性の仕事だとばかりオモッテいたのでこれには非常にびっくりした。

それとも1つ気がついたことだな私がいつも飲んでいるダークビールというのは、ずっとリスボンのだとばかり思っていたのだがサーバのところをよく見たらこれはミュンヘンのダアクビールなのである。これもびっくりしたことだ。それでダークビールのおっきなグラスを頼んで例のたらのすりみが入ったコロッケつまんで店の1番奥の椅子に座って通りを眺めていた。目の前をグレーラインの2階建ての観光バスがとおったり、ジェロニモ修道院イキの蛇パパみたいに長い新型の路面電車が通ったり、さらにはヴェンダーコノミの古い路面電車が通ったりする。

店の外の通りの向こうを見て何かひかるものがあるのでよく考えたらそれは海なのである。実際には河なのだがそれは海であると言っても間違いがない。

何か感動な動かされて私の涙腺はちょっと緩みそうになった。これは非常に良い傾向なのでここで涙が出てくるかなと思ったら結局涙が出てこなかった。両親の葬儀の時にも一切泣かなかった自分であるから。
私の夢は何十年来・ちゃんとな泣きたいということなのだ。実際生活が忙しいので泣く暇もない人生なのである。

カウンターの向こうの女性にここに始めてきたのは35年前の9月だったという話をしたらちょっとびっくりされた。エスプレッソが飲みたくなって注文したら最後のコーヒーが切れたというのでウェイターが取りに行った。だから私がそこでいれてもらったエスプレッソは開封したばかりのものなのである。
そこから通りに出て東に歩きながら観光客の中かき分けて部屋に戻ってきた。 />スーパーイコンタではっぽん撮影。

2015年11月10日 (火)

窓からの眺めが変わらない

この窓からの眺めは、リスボンの中心の広場の西がわ、つまり東側に面したロケーションなので眺めは最高である。私が今いる古い建物の部屋から外を眺めている。
広場は大勢のツーリストで賑わっている。

私が最初にリスボンに来た35年前にはこの広場には市電が乗り入れていた。黄色い自然の看板がコルゲートの歯磨きであったりしてなかなか趣があった。
ビームヴェンダースのリスボン物語という映画でこの市電は有名になりすぎた。

大体リスボンというとこはあの映画などそうだったが失恋した男女が自分の恋を捨てに来るところなのである。あの場合は映画監督が自分を捨てたくなってヨーロッパ近代世界の最果てのリスボンに逃亡を試みた。
それでクラシックなBMWの三輪車がごみ捨て場にあるその中に引きこもっているところをサウンドマンに発見されてたりするのである。

黄色い試練も有名になりすぎてもうほとんど残っていない系統のそのうちの1つに28番というのがある。昨日みたらツーリストの列が300メートルはできてきた。
このリスボンを東西に長く結んでいる路線は重要な生活電車であるから、おそらくリスボンの詩人もこれに乗って西の墓地のそばの住まいからレスタウラドレスの仕事場に通っていたのであろう。
だからツーリストに占領されてしまってはリスボン市民が困るわけである。
今回の私の心づもり交通機関を一切使わずにただ歩くということこれである。街が小さいから困らない。

それで安ホテルの窓から見る風景は前回きたときとほぼ変わらない。ほぼというのは理由があってアジア圏で普通に足として使われているtukutuku前回来たときに比べるとかなり精度くらいの広がっているのだ。広場にtukutukuが並ぶステーションがある。帰りはこれに乗ってリスボン空港までいったらまた面白いだろう。

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2015年11月 9日 (月)

カフェコンレチエ

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リスボンに来る前に東京の大田区と品川区で高地訓練をしたのがきいている。
冷静に考えてみると山坂の多いリスボンよりも東京の坂の方が勾配が急である。

片岡義男さんと東京の北区を一緒に撮影しているときに印象深かったのは、片岡さんは撮影に対する態度が非常にストイックでやっていッたん撮影に出たらコーヒーも飲まないのである。
私はそれほどでもないがいったん撮影に出ると水は補給するがそれ以上の食事はとらない。
街の中心部でツーリストがパラソルの下に座って高くてまずいものぼそぼそ食っているのを見ると何か観光の子羊と言う感じがして哀れである。

リスボン大周遊でよく使うのは新装なったサンタアポロニア駅である。
1980年の秋にパリのオステルリッツ駅から2泊3日かけて到着したのはこの駅であった。
工事現場のようなボロボロの駅ですごいところに来たなと思った。

今では非常におしゃれな駅になっている上に客のほとんどいないので駅のカフェもガラガラである。
そこでカフェコンレチエをたのんでちょっとゆっくりしたりする。

撮影の基本ルールはデジタルカメラとフィルムカメラは同時に持参しないのであるが、今回は例外だ。その理由はすーは大型カメラであるからだ。
アンドレアスグルスキーの撮影中のムービーを見ていたら彼は4x5だがそのためのロケハンにコンパクトデジタルカメラを使っている。
それも素人っぽい使い方で工場の中でデジカメで撮るとフラッシュが光ったりする。
まるでドイツ人ツーリストである。

リスボンのツーリストのカメラはほぼ全員がスマートフォンかそうでなければデジタル一眼レフである。
コンデジとスーパーイコンタを両方持っているような変な外人観光客が私。

2015年11月 8日 (日)

リスボンのホテルインターナショナルの話

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リスボンの中心部ロッシオから南に続く道アウグスタ通りの1番最初の東の角にあるのがホテルインターナショナルであった。
いやホテルは今も存在して盛業中なのである。私はこのホテルにお世話になった。何しろリスボンのど真ん中で設備はちょっと古いがアウグスタ通りつまり日本で言えば銀座通りを見下ろすことができてそれで部屋代が5千円なのである。

JTBの雑誌 旅の編集者にその話をしたら早速泊まりに行って感激していた。それでホテルインターナショナルは私の定宿になった。ただし今は行っていない。数年前にホテルはこんなに一等地で安く客に使わせていてはそんになるということに気がついたらしい。
それで大改装して値段が0が1つプラスになると言うほどではないが非常に高くなった。

私にはホテル探しのカンと言うものがあってどこの街でも1番安くて中心部でしかも便利なところを探す才能があるらしい。
イスタンブールもそうであって、ブルーモスクの真向かい最高裁判所がすぐ左隣というところのホテルアルザーというところに住んでいた。
301号室は建物の幅を全部占領している豪華部屋であって、といっても昔のトルコの建築でそんなに広いわけではないが、その部屋から南にブルーモスクとマルマラ海が見えるのである。
ここも便利に使っていたのは数年前に内装改装していわいるスノッブが泊まるブティックホテルになってしまった。その関係でもないがイスタンブールにはこの10年来ゆかなくなった。

私が言いたいのは良いホテルが改装されて高くなってしまったの悪いっていっているのではない。
プラハに住んだ四半世紀、プラハのアトリエのすぐ北側には典型的なスターリン建築であるホテルインターナショナルがあった。
夜になるとタワーのトップの赤い星がピカピカ光るのである。
東京の大田区のネジの工場の鉄塔のトップに星のサインがあったので私が勘違いしてそれが夜になったら光のではないかと思っていたのだった。

話がそれたがリスボンのホテルインターナショナルで私が非常にいいと思っているのはそのダイニングルームの壁画のことなのである。
リスボン大地震の時のリスボンの廃墟になったその様子がちょっとキュビズムめいた感じで描かれた巨大な壁がなのである。
毎朝パンとカフェコンレチエを食べながらこの廃墟の壁画を見ていろいろ教えられることがあった。
日本のガストロノミーではそのような巨大な震災の、例えば東日本大震災をテーマにした壁画をホテルに飾っているようなとこがあるのだろうか。ホテルでなければ1つだけ私を知っている。

それは東京の江東区にある震災記念堂の震災記念館なのである。
9行行のは関東大震災直後の工程を上野から東京一体を見たという構図で描かれた素晴らしいオイルペインティングである。

リスボンと言う街は日本と同じで地震雷火事親父の本場である。
世界的な詩人フェルナンドペソアが1,910年代に書いたリスボンのガイドブックがある。それを1989年にリスボンで見つけて私は読みふけった。
原文は英文であってそれに対訳でポルトガル語が掲載されているので初歩的なポルトガル語の勉強になるのもよかった。それから10年近く経って日本でも ペソアと歩くリスボンと言うタイトルで翻訳が出た。

ホテルインターナショナルは高いから泊まりたくはないが、ホテルの2階のダイニングルームのあのリスボン大震災の壁画がいまもあるのかそれがちょっと気になる。

2015年11月 7日 (土)

サウダーデブルー

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火曜日にリスボンに到着してずっと天気が悪かった。天気予報より1日半ぐらい天候の回復が遅れたのである。
金曜の朝になって急激に天候が回復した。ウルトラマリンの空に金色の太陽である。気温は20cなのに非常に暑い。これは湿度が高いせいかも知れない。

街の中心部にあるこのオベリスクは輝きそのバックはウルトラマリンである。
天気の悪いびしょびしょ雨が降った位夕暮れに憂鬱を感じるかというとそうではなくてむしろ人間味のある街の気候である。

それに対してこのように完全なブルーの空と白亜の建物を見るとむしろそこに憂鬱を感じるようになる。
例のサウダーデと言うやつだ。
ポルトガル人が地中海の反対側の街をカサブランカと命名した意味がわかる。

2015年11月 6日 (金)

リスボンの35年

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最初にリスボンに来たのが1980年の秋であった。その当時に比べるとリスボンはまず外の世界の都会に比べればあまり変わっていないとも言える。
要するに建物を建てる土地が揉みたい使われているからこれ以上8分のしようがないのだろうか。
35年前にはまだ例の黄色い市電が市内のあちこちを走っていた。
それが統合をされてへらされて今は主に29番の観光用の市電位になってしまった。

ビームヴェンダースがリスボン物語で撮影した1連のショットに感動した私であった。
しかし最近のヴェンダースが猿が道をテーマにしたりして株が私の中ではストップ安になっている。困ったものである。

猿が道はこないだ東京の写真専門学校、以前私が教えていた長い名前の学校の901号室で講演会をしたそうだ。それを見に行った人の話を聞いたら10数年来フイルム銀が地球に少なくなっているからデジタルに変えたとか環境、地球を大事にしましょうと言うような通りいっぺんの話だったらしい。
その意味で猿が道は有名なだけで退屈の極みである。写真のポピュリズムというやつだ。
要するに東急文化村の写真愛好者のレベルなのである。

35年前のリスボンに話を戻せば、このショップのエントランスから首を突出しているきいろいくるまが当時の最新型であった。
岩波書店で1,950年代の岩波写真文庫を復刻することになって、50年代のパリの写真を解説したことがある。パリの街並みは全く変わらないのでであるがそこを走っている車で時代が分かるというやつだ。

当時のパリの紳士淑女はちゃんとした格好をしているのであるがその中に新しい改革派が出て話題になった。そのファッションと言うのは今の時代で見るとなんとユニクロファッションなのである。これにはびっくりした。

昨日はいちにちじゅう家かでなかった。今日も天候が回復しないので食品を買いに行き戻っている。これからクラブエダムリスボンバージョン大宴会だ。

2015年11月 5日 (木)

アズレージョ

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リスボンには好きなタイル絵がたくさんある。いつもいるホテルから1番近いのは同じ建物の裏側の入り口の周囲を飾っているタイルである。
そのデザインは一種のポルトガル風鳥獣戯画と言う感じである。私が初めてリスボンに来た1980年の秋にはこのタイルは既にいい感じに寂れてそこにあった。

1,990年代にリスボンで万国博覧会が開かれた時に町が一新してしまったので私は心配だった。
日本あたりだとこういう文化財は開発業者がいとも簡単に取り壊してしまうのである。
もっとも私が今住んでいる界隈はリスボンの大地震の後に復興都市として作られた当時の新都市であった。
それから何百年も経っているからホテルの建物にはエレベーターがなかったりしてなかなかスリリングである。
この建物のエントランスは大改築が行われてしばらく目隠しがされていた。
それで建物が修復された時にちょっと心配になって覗きに行ったのだが私の好きなタイルは昔のようにそこにそのままにあった。

2015年11月 4日 (水)

リスボンの古い家の古い階段

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リスボンに初めて来てから今年で35年になるのである。
いつも徘徊していたからリスボンのほとんどの家の構造は知っているつもりであった。ところが街の中心部の有名なカフェの脇にあるこの石造りの階段だけは見逃していたのである。

有名な喫茶店の二階は倉庫になっているらしい。そこからすり減った石の階段をさらに1階上に上がるとそこがペンションなのである。

大昔、国鉄の駅の切符の出札口などで石ががすり減っているのに少年心で感心したものであった。
この階段がすごいのは人間の足がこれほどすり減らすというところにある。
しかもそれをまたちゃんと治して階段を使っているのである。
リスボンはレコンキスタでも結構いろいろ苦労しているし見所がたくさんある。

2015年11月 3日 (火)

本日はドバイ空港でトランジット中

本日はドバイ空港でトランジット中
トランジット時間23時間55分
おはり

Image_2 リスボンに到着。何やら親戚の家に泊まっているきぶん Image

2015年11月 2日 (月)

本日移動日 東京ドバイリスボン

本日移動日 東京ドバイリスボン

Image ドバイのセキュリテイでスーパーイコンタが大人気。どうやってあけるのかというのでワークショップ。 Image_4

2015年11月 1日 (日)

東急多摩川線 桂川セイラ

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この不思議な鉄塔をおしえてくれたのはフェースBOOKの友人である。

この鉄塔の存在は大田区に長年住んだ人でもあまり知られていないようである。最近長年住んだ大田区から出雲に移住した友人がいるが彼はこのタワーの存在を知らないことをFacebookで残念がっていた。

Facebookでそのタワーの存在を知って最初に私の頭に浮かんだのはアレクサンダーロドチェンコが制作したラジオの鉄塔であった。それは実際には製作されたものでなくて設計図だけが残っていたのである。ソ連がロシアになってしばらく経ってからアレクサンダーロドチェンコを見直す大きな展覧会が当時の西側のミュージアムであって、そこでアレキサンダーロドチェンコの鉄塔の実際のサイズを半分ぐらいにしたものが美術館のエントランスの広い空間に展示してあった。それでもそのサイズは非常に巨大なのである。

東急池上線の蒲田から2つ目の駅矢口渡に降りてくだんの鉄塔をさがした。これが簡単にみつからなかった。いったん多摩川の大きな橋のそばに出たらそこに似たような鉄塔があったのである。

しかしこれはくだんのタワーとは違って全く別の用途に使われているのであった。要するに鉄塔の人違いなのである。その堤防から下に降りたらそこが矢口の渡しのあった後で石碑があった。その場所は神社である。そこからとぼとぼ目標を発見できないままで歩いていたらいきなり道の向こうにこのようなスタイルのタワーがドラマチックに出現したのだった。

しかし実際のサイズは私が想像していたよりはるかに小さかった。というのはたまたま土手の上から見えた東京都の何かの焼却場の煙突のほうがずっと巨大だったからだ。しかしこの桂川せいらの鉄塔はシンボルとしては非常にドラマチックだ。戦前の冒険ドラマで悪の枢軸の悪い博士の研究所という感じである。

私は鉄塔の上に赤い星が輝いているのではないかとか夜になったら鉄塔全体が赤いネオンのラインで彩られるのではないかなどと期待していた。実際にサンクトペテルブルグのテレビ塔はそのように夜はドラマチックに照らされるのである。ところで実際にそれを見ていないが私の知り合いのこの近くに車で営業に行き、夜確かめに行ったら鉄塔は夜になると単に闇の中に溶け込むだけであったという。

残念である。

それから道を北に転じて最寄り駅の武蔵新田まで歩いた。そこの商店街は寂れているように見えながらなかなか活気があってお店も面白かった。スタンドアローンのベーカリーというものはうまいパンを焼いてるのである。鉄塔も発見だったがフレンドリーベーカリーのパンもちょっとした発見だった。

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