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2015年9月30日 (水)

SOHOのガレージ

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マンハッタンのSOHOというところは1,980年代初めにはまだ眠ったような街だった。住宅としてまだ認可されていなかったから皆住民は隠れて住んでいたのである。当局のチェックを逃れるためにゴミなどは真夜中に遠く離れた住宅地にして行ったりしたそうだ。

このガレージは30年代ごろに作られたものだと思う。

完全な2階建てあるいは3階建てであって車の収容する数などは多くはない。しかしそのデザインはあるでこめいていてアメリカのモータリゼーションの象徴というような美しいビルディンであった。Sohoのアトリエに居候していたので大型カメラでよくこの界隈を撮影したのである。数年前に行ってみたら当然のことながらこの歴史的記念物はなくなって無愛想なビルディングが立ち並んでいた。

このブラウンストーンのガレージをもうちょっと西に行った通りの南側にヴェスヴィオスという名前の20世紀初頭からあるベーカリーがあった。エントランスのウィンドウの窓枠が緑色に塗装されたクラシックなお店であった。そこのパンがうまいのでよく買いに行ったものだ。昔のSohoが良くて今のSohoがダメだとは言いたくないけれども、クエストブロードウェイの通りなどは原宿の歩行者天国などよりももっと混んでいる。 要するに人の頭しか見ることができないのだ。私の知る30数年前のSohoというのは人影がまばらであった。この作品は今回のアイランドギャラリーでもたくさんの方が買ってくれている。その理由は定かではないが、みんなわれわれは30年代当時のオリジナルのアールデコ様式建築に憧れているのだろうか。

 

2015年9月29日 (火)

ブロードウエイの黒いビル

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リトアニア出身の映画作家ジョナスメカスは1,950年代初めにニューヨークに上陸してそのままマンハッタンの住人になった。

60年代にビレッジボイスでムービージャーナルを連載してアンディーウオーホールなど当時のトップアーティストに注目された。

メカスは最初はウィーンに留学する予定であったのだ。それが運命のいたずらでマンハッタンに行ってしまった。これは彼にとって幸運なことだったと思う。
ウイーンは極めてローカルな街であるから地元の有名人にはなれるが、国際的なアーティストにはなれない。

1970年の半ばにメカスのレトロスペクティブの映画祭がウイーンで開催された。今それを上映しているアルベルティーナ美術館も階段の所が揺れながら写っていた。会場に拍手が起こった。爆笑の意味はよくニューヨークに行って良かったと言うユーモアを伴った笑いなのである

メカスの自伝的映画ではブロードウェイの自分のアパートメントから撮った向かい側の真っ黒なビルディングがよく登場する。
私はそのフィルムを繰り返し見た。つまりメカスはその真っ黒なアパートメントの向かい側に住んでいるわけだ。
マンハッタン滞在の最後の日、11月初旬の金曜日の夕方にブロードウェイとグリーンストリートの角でかのメカスに遭遇したのである。

彼はショッピングバックを下げて店からアパートに戻るところだった。そこで立ち話をした。その2ヶ月後に東京のミュージアムでメカスの回顧展が開かれた時にメカスは会場に現れ、ますの私に向かってきて握手をした。
主催者には迷惑な話であろうが、彼の記憶の中に私の風貌が深く刻まれていたのは確かだろう。

アイランドギャラリーの展覧会で、この作品を購入してくれたコレクターはその場で私にiPad miniでその全く同じ真っ黒なビルディングの写真を見せてくれた。それはバスから見上げて撮影した写真で、夕日がビルに反射していた。

2015年9月28日 (月)

ロングトランスファー

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カタール航空で東京からドーハ経由でカサブランカまで往復したわけだ。
その距離は往復で3万キロはないだろうが25,000キロメートルは確実にあると思う。

今回非常に気に入ったのはラゲッジにつけるこの緑色のタグである。
ロングトランスファーとある。

これは非常に謎めいた言葉だ。
以前のビジネスクラスのタグだとロードオンドアサイドというのがあった。
これはハンドリングをする係員にビジネスクラスは最後に積んで最初におろすから飛行機のドアの脇に置けという意味である。これは単にスタッフへの指示である。

それに対してこのロングトランスファーと言うのはどういう意味だろうか。クルーに対して何かを指示しているという感じはしない。ただただ飛行機が夢の彼方に飛んで地球の反対側に行くと言うような詩的なな夢がそこには込められている。
そこがいい感じだ。

今回は緑色に縁がある。
刷り上がったばかりの私の佃日記の表紙の色が緑色なのだ。
これは10数年前にギリシャのアテネで見た明け方の夢の断片で、夢の中の本が緑色の表紙なのであった。それをそうていのデザイナーが私の原稿のゲラを注意深く読んでその緑色を夢の中から救出してくれたのである。
このロングトランスファーと言うグリーンのタグとその意味では共通項があるわけだ。

2015年9月27日 (日)

田中長徳佃日記の見本ができた

今年のお正月から準備にかかっていた田中長徳佃日記の見本が到着した。私の151冊目の本になる。日本が到着するのは著者にとって1番嬉しい瞬間である。

今度の出版は限定250部と言う少部数である。オリジナルプリントが付いていて上製本で島尾伸三さんとの対談の付録も付いている。

出版記念トークは島尾さんと来週の金曜日10月2日の午後3時から京橋のアイランドギャラリーで開催する。書店には1部を除いておかないのでアイランドギャラリーで入手できる。

この本は文芸評論家の福田和也さんと数年前に一緒に飲み歩いていた時、終電間際の丸ノ内線で出版を勧められたものだ。それがようやく本になったので非常に嬉しい。私のアイデアとしては外箱がよくできているのでそこにいつも使うライカやニコンを入れておくつもりだ。

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2015年9月26日 (土)

大阪二泊三日

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大阪に2泊3日である。
二泊三日と言うのはどうも忙しなくて良くない。
水曜日に大阪に着いたと思ったら金曜日の夕方にはもう東京に戻っている。

私は2泊3日と言うのは好きでは無い。
以前JTBが出していた旅と言う雑誌で海外に取材に行くことがよくあった。10日とか2週間と割と長い旅なのである。

その関係で国内の取材を頼まれるようになった。これが二泊三日の旅なのである。忙しいので2泊3日は嫌いである。それで二度連続して仕事をお断りしたらそれで仕事が来なくなった。いい塩梅だ。

旅は歴史のある有名な雑誌であったが、その後版元が変わって新潮から出るようになった。そして今はもうない。斎藤茂太さんとクルーズでシンガポールに行ったり、羽仁未央さんと香港を歩いたりした.

2015年9月25日 (金)

大阪芸大写真学科。写真作家論。ビビアン メイヤー、吉村朗、中平卓馬

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新学期になって大阪芸大写真学科で写真作家論。
ビビアン メイヤー、吉村朗、中平卓馬。これは物故者の順番である。

以前から書いていることであるがこれは芸術家誰でもそうだけれど、パフォーミングアート以外のビルデンデンクンストにあってはいずれにせよ作家がなくなってからが本当のステージが始まるということである。

ビビアンメイヤーはその典型的な例であって、この間、ピーターバラカンさんともその話になった。バラカンさんは試写会でビビアンの映画を見たのである。
吉村は私もザルツブルグカレッジの教え子であるが期待されていながら52歳の若さで亡くなった。
中平卓馬は2つの写真家の人生を生きた人である。前半分は植物図鑑に代表されるようなエキセントリックな行動での写真闘争家としての写真家。
そして記憶を失ってからちょうどコンピューターを再起動させたように全く違う世界の写真を撮り続けた。言うまでもないが私中平さんの後半の作家活動の方が好きがある。

これだけ本の紙に印刷されたタイプからみんな離れているのに、写真集だけは紙に印刷されたものがメインのステージであるという論を展開した。

それと佃日記の話も少しした。佃日記は大阪芸大の図書館にも収蔵されるそうである。ありがたい話だ。

2015年9月24日 (木)

マンハッタン1983大統領の通過を待っている人々

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この作品は今回のアイランドギャラリーでのタイトルフォトである。
レキシントンかマジソンか忘れたけど、これは42丁目との交差点である。
アメリカ大統領はマンハッタンに来た時はウォルドルフアストリアホテルに泊まることになっていてそこから出かけるときには、信号全部青にして大統領専用車で走り抜けるのである。

デイアドルフを担いで歩いてたら、大量な人の列に出会った。警備しているポリスに聞いたら彼は胸を張って我らの大統領が来るのよ、と言った。

これが自由主義のアメリカと何かごそごそ隠している日本との違いではないのか。
日本の場合は警察官に誰が通るのかと聞いてもちゃんと答えてはくれないだろう。我らの内閣総理大臣が来るのよと言うポリスマンはいないと思う。

それにしてもアメリカ大統領人気はすごい。
1人だけ横顔を見せている人がいるが後は全部背中を見せている。それほど大統領の任期がすごいわけだ。

この写真を見て私が思い出すのは、アジエの初期の作品である。
パリを撮影しているが、その中で日食を観測するものすごい量の人々が手に手に日食用のグラスを持ってお日様を見ているショットがある。だしその作品はこのように全員が背中を見せているのではなくて、全員顔を見せているのである。

2015年9月23日 (水)

トライベッカ1983

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アイランドギャラリーで開催中のニューヨークの写真を少しずつ紹介しておく。
トライベッカの30年以上前の写真である。
説明すればトライアングルびろうキャナルストリートというわけだ。チャイナタウンのキャナルストリートは有名だがそこの西側から南にかけての地域はまだ工場とかトラックのセンターであった。このショットなどはウイークデーの午前中に撮ったのだが、誰もいない無人地帯である。

その数年後にコマーシャルの仕事で三角形の形をしたウイスキーの瓶をこの界隈のバーで撮影した。
そのBARのカウンターの形がやはり楔状なのでその楔状の先端にウイスキーの瓶を置いた。

このショットはトライベッカがまだ目覚める前の貴重な写真である。
8x10のモノクロのネガをシグマのデジタルカメラでスキャンしたものだが非常にシャープである。

ルーペで細かく観察するとクラシックなガソリンスタンドのロゴとかコカコーラの看板が見える。それで思い出したのは戦前に撮影されたウォーカーエバンスの名作のアメリカのカントリーサイドの写真である。まさにそのまんまおんなじ風景なのだ。

エバンスは大写真家であるが同時にちょっとファナティックなところがあって、彼の仕事場には自分が撮影したカントリーサイドの巨大なコカコーラの看板が飾ってあった。

そういうエバンスが私は好きである。

カメラでアドルフ8x10。レンズはコマーシャルエクタ12インチ。

2015年9月22日 (火)

デアドルフカメラではいチーズー!

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京橋の間のギャラリーも私の個展の3日目。
先客万来お買い上げ+で感謝。

何よりもいろいろな方とカメラ写真の話をできるのは面白い。
というか実際に私が1人で話しているのである。
3日目も来場者のお客さん相手に午後1時ごろから午後6時近くまで話していた。石島ディレクターがそんなに長い時間話してお疲れになりませんかと心配してくれるのだが、これは敬老の日スペシャルである。

というのは冗談であって、実際は水曜日の大阪芸術大学の写真作家論の話す内容を頭の中に下書きしたものをそのまま口から出しているのである。思考と言うのは頭の中で考えていると形にならないのだがそれをいちど声帯を通して外に出してその音声を耳で確認してモニターすると頭に入るようになる。

デアドルフカメラの前で私と一緒に記念写真というリクエストも多かった。それで就任3日目の吉田理恵マネージャーがお客様のカメラで撮影した。
ハイチーズというのである。

この写真はお客様の別の吉田さんが撮影してくれたのである。非常にうまく撮れている。

デイアドルフのカメラを撮影中の写真で1番かっこいいのは私が見た中ではベレニスアボットである。アボットはパリの巨匠アジエを発見した写真家でもある。彼女が1930年代に変貌するニューヨークという作品を写真集にまとめた。その当時のニューヨークでの撮影風景をスナップした写真が残っていてそれがエイトバイテンとアボット女史なのである。
この写真集はソフトカバーカバーなので持ち歩きしやすい。
私もマンハッタンを撮影する時の参考にした。

ところでデアドルフのカメラはこのように脇に置くとさまになるのである。だから若い写真家はよくデイアドルの脇でポーズをとったりする。
そのポーズの取り方と言うのはみんな共通していて大きなカメラの脇で写真はもう飽きたと言うようなぐったりした感じをするのである。
まだ若いのにそんなに写真に疲れては困ってしまう。私はまだまだ写真には疲れていないからこんな元気な表情をしている。

2015年9月21日 (月)

アイランドギャラリーでの個展二日目

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京橋のアイランドギャラリーの個展二日目である。自分の写真を見るという機会がほとんどないので、今回は30年以上前に撮影した自分の写真をじっくり見ることができた。

午後から偽ライカ同盟の会員である坂崎幸之助さんも応援に来てくれた。それで1時間ほどトークショーをした。非常に面白かった。

坂崎さんとはこの二十年来の友人だ。2月の横浜での写真展のトーク以来である。それでまた来週は日本カメラのムックの撮影でお目にかかる予定なので楽しみだ。

今日もギャラリーは満員御礼。多数のお買い上げあり。感謝。

トークショーの後にデジタルカメラマガジンの編集長とHARUKIさんが取材に見えた。石島ディレクターを交えてdigital imageとあなろぐイメージの将来の可能性について大いに語る。これも興味津々である。

トークショーでは会場に展示してあるデアドルフ8x10の使い方について講習した。普段は見慣れない大型カメラなので皆さん非常に興味を持ってくださった。ファインダースクリーンに画像が逆さまに生きているという指摘があった。確かに言われてみればその通りなのである。そういう逆さまの画像何十年も見て慣れているので何とも間なかったが言われてみればやはり変ではある。

この大型カメラでマンハッタンを撮影したのは30代の半ばなのであるが、60代後半になって担いで見たら難なく持ち運びがができる。木製カメラというのは大きいけれども軽量で運搬しやすいということがよくわかった。これでまた東京をとってみようと思う。Image_2
★撮影は突撃隊長。

2015年9月20日 (日)

アイランドギャラリーでの個展初日スタート

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シルバーウィークのスタートで私の東京京橋でのアイランドギャラリーの個展がスタートした。
33年前にマンハッタンで撮った写真群である。
デイアドルフのその使い方のワークショップも行った。

チョートクカメラ塾の第2回目のスクーリングも行った.
超満員だった。感謝。

特別ゲストとしてゴスペラーズの酒井さんが来てくださった。トークの後に札幌にいかなければならないのにわざわざ寄って下さったり実にありがたいことである。

80年代に撮影したマンハッタンのシリーズはフイルムなのであるがそれが今回初めてシグマのデジカメでスキャンしてプリントという新しい試みを行った。これはディレクターの石島さんの功績によるものである。今日から吉田理恵さんが新店長。
予想以上のプリントの仕上がりなので本人が言うのも変だが非常に感動した。初日お買い上げも多数あった。感謝。

展覧会の期間中になるべく自分の写真を見てあの時代のマンハッタンのことを考えてみたいと思う。私が初めてマンハッタンに行った時に同じ時期にピータバラカンさんはヒップホップの音楽がスタートした時代なのでローワーイーストサイドのアベニューAに行ってその前後に怖い思いをした話をこないだ聞いたばかりだ。

明日もアイランドギャラリーで連続トークショーの第二回め。
午後2時から偽ライカ同盟の友達が参加予定。

★画像は突撃隊長撮影。t
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2015年9月19日 (土)

大英帝国はカメラ王国でもあった

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この前の月曜日だがNHKのBSの番組のピーターバラカンさんがキャスターを務める、ジャパノロジープラスワンという番組の収録があった。最初は日本カメラ博物館で収録の予定であったが、あいにくとそのロケ日に予定していた日には英国から要人がが来るというので断ってきた。

こちらとしては英国の有名人はピーターバラカンさんだと思ってるのでこれは一体どういうことだと思った。
後で分かったことだが日本カメラ博物館ではその日から英国カメラの特別展を開催していたのである。

番組のロケで東京ミッドタウンにある富士フィルムのカメラの展示を見てバラカンさんに説明をした。
そのカメラがこれである。英国のサンダーソンだ。

マホガニーにモロッコ革張りでフィッティングは真鍮仕上げてある。
それだけで19世紀の素晴らしいカメラの魅力が漂っている。このカメラの設計者のサンダーソンは、建築家でもあったので建築写真を撮るための便利な機構ががたくさんついている。1番重要なのはカメラのフロントをライズすることである。

それが簡単にできるしライズしたときにカメラの本体のフラップが上に上がるようになっている。これは素晴らしいアイデアである。70年代の後半にドイツの名門のリンホフがこれを真似をしたのだけれども、その機構はオリジナルのサンダーソンのようにはうまくいかなかった。

このカメラは木製だから非常に軽い。フイルムは手に入るからちゃんと使うことができる。
ドイツはカメラが有名であるが、その前は実は英国製のカメラというのがメジャーだったのだ。

2015年9月18日 (金)

ミラーレスで無いライカ

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デジタルカメラでミラーレスという言葉が登場したのは、あれはマイクロフォーサーズのカメラが新規格で出た頃だった。
他にもいろんな言葉があったと思うがなんとなくミラーですという用語が業界で定着してしまった。

この間のピーターバラカンさんとのお話で、私が新宿のヨドバシカメラでデジタルカメラの説明をするという件があった。その時にミラーレスというのは和製英語ではないのかと思った。

この組み合わせはミユンヘンのキルフィットが作ったマクロキラー90ミリにライカ1gをつけている。
ミラーレスで無い立派なミラーが付いている。

1,970年代の私のウイーン時代にはこんなクラシックなカメラで撮影をしていた。
いや、今でも実際に非常に実用になる組み合わせである。

要するに標準レンズや広角レンズの撮影では、私は目測で補助ファインダーをつけて使う。
望遠レンズやマクロレンズの場合はピントがわからないから、一眼レフ装置のビゾフレックスをつけるのである。この使い分け方が実際的に非常に良かった。

これはスクリューマウント用のライカの一眼レフ措置であるが、精度が非常に高くてネジマウントにもかかわらずちゃんと正しい位置で止まるのである。
ビゾフレックスのファインダーが非常に見やすい。

ライカのAuthorityだった中川一夫先生が、夜の室内でF8に絞ってもファインダーでピントがちゃんと合わせられると書かれていた。そんなことがあるものかと思った。のちに実際に手にしてみたらまさにその通りなので感心した。昭和の30年代の日本の夜の室内の照明と言うのは100ワットなのである。

2015年9月17日 (木)

なかなかかっこいい

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モロッコのカサブランカに入国したときにイミグレーションのオフィサーがアラブの民族衣装を着ているのではないかと期待していた。
ところが実際はそうではなくてアメリカの三流映画のような洋服、それも安洋服であった。
エジプトとかアラブ首長国連邦等はイミグレーションオフィサーがちゃんと白い民族衣装を着ている。

威厳と文化があって良いと思う。日本なども安洋服ではなくて上下とかの方が良いのではないかと思う。それがおもてなしと言うものだ。

ジェントルマンが歩いているのもなかなか風格があって良い。アラビアのローレンスでピーターオトールが着てたアランビア服は似合わないやはりローカルな人が着ているとそこに貫禄が備わるのである。

アラビアの民族衣装も印象がパロディーになってしまうのは、実はアメリカの映画とかテレビで見る刷り込み現象から来ているようである。
何かコミックにアラビア人を揶揄しているように見える。

我々アメリカの属国、と言うより今の西側世界は全てアメリカの覇権の下にあるわけだが、これがアラブ世界の印象をゆがめていることは間違いがない。

これは空港のベンチからクールピクス900で撮ったのだがこういうスナップショットには最適なカメラである。

2015年9月16日 (水)

ライカM5の魔法

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このタイトルの意味は別にライカM5は魔法のカメラという意味ではない。
カサブランカに出発する日の夜のギリギリまで、それが実際に出発5分前なのだが、ニコンSPを持っていくかM5を持っていくか迷っていた。こういう時1番いいのは10円を投げてその裏表で決めるのである。それで私の占いはニコンと出たのでニコモSPを持参した。

もっとも使うレンズは同じレンズである。ニッコールの2.5センチだ。ニコンにはそのままつくが、ライカにはマウントアダプターで変換する。

帰国してからすぐに分かるようにように、なくさないところと言うよりも見やすいところに保管して出たつもりであった。こういうのは今にして思えばどこに置いたかということをちゃんとメモしたほうがよいのだ。

帰国して時差ぼけで置いた場所をあまりよく記憶してないので心当たりを探したがM5はどこにもなかった。これが赤瀬川さんの老人力というやつである。

ライカは今ないと仕事で困るというわけでは無い。しかしカメラで遊ぶときにはライカが非常に大事なので時差ぼけの解消の時に触ろうと思っていたのがないのが非常に残念である。

昨日はNHKのBSの撮影でピーターバラカンさんと東京のカメラ店などを回ってカメラの話をいろいろした。
その中で若い人を中心にした銀塩カメラ、クラシックカメラのブームということを話した。
一般的にカメラで癒されると言うのフイルムカメラでないとダメなのである。フルサイズのデジタル一眼レフは癒しにはならなくて疲労が積もるばかりやる。

いつものことであるから探すのやめてそのままにしておこうと思う。そのうちカメラジャングルの中から出てくるであろう。

2015年9月15日 (火)

ピーターバラカンさんと東京

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日曜日の深夜というよりも月曜日の未明にカサブランカから東京に戻った。
その勢いを借りて月曜日の午前中からピータバラカンさんとテレビ番組の収録をした。

NHK BSのジャパノロジープラスワンという番組である。
非常に面白かった。本来はもっと前に収録をする予定が私のカサブランカ行きで無理をお願いして日程をずらしてもらったのである。

時々眠くなるので口が回らなくなってとり直しをお願いすることもあった。でも内容は普段考えてることがうまく話せたと思う。もちろんカメラの話である。

収録の時間はずっとカメラの話をしていたが、移動中にはそれ以外の話をした。それはMacのパソコンの話である。バラカンさんはずっとマッキントッシュのパワーユーザーである。
それもSE30の頃からである。
当時は非常に高価な機材であったという話だった。 今は初代のMacBook Proを使っているそうだ。もうすぐデータがいっぱいになるので買い替えを考えているそうだ。
彼のMacBook Proの空きのデータ量を私は教えてもらったが、これは非常に高度な機密だと思うからここには書けない。

六本木ヒルズの仕事場をたたんでから、もうすぐ3年になるので最近はこっち方面に行かない。昨夜の夕刻にミッドタウンの椅子に座って東京のくれなずむ風景を見ていた。
それがなかなかいい体験だった。東洋の神秘というやつである。

2015年9月14日 (月)

ドーハ羽田 平山山系を撮る

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内田百閒のお弟子さんは平山さんといった。それでヒマラヤ山系である。
石川直樹さんにエベレストの登山の話を聞いたときに、登山会社に頼めば誰でものぼれますと言っていた。
私は今回のカサブランカのホテルの2階でも上り下りするのにゼーゼー言っていたからやはりだめではないかと思う。
それでカタール航空のドーハ羽田の飛行中に右側に席を取って、クールピクス900で平山山系を撮影してみた。
石川さんに聞いておけばよかったのだが私はヒマラヤについては知らないからどれが平山さんなのかよくわからない。

クールピックスを2,000ミリにしてそれからちょっとズームでひいて適当に撮影したのがこの画像である。
しかし山岳写真の素人としてはなかなか迫力があるのではないかと思っている。何しろ平山さんより高いところからつまり高度4万フィートからの撮影である。

2015年9月13日 (日)

本日移動日

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カサブランカーーードーハーーーー東京

2015年9月12日 (土)

カサトラムの終点を目指す

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新しいトラムがカサブランカの街を走っている。町が古めかしいのに対して電車があずき色のモダンな車両なので不似合いなところが面白い。

フランスの交通システムだそうである。カードのタッチパネルで乗るのであるがコインだけで紙幣は受け付けないのは問題だ。カサブランカは不思議な街ですぐにコインを使ってしまうのである。
それで紙幣を持っていても電車に乗れない。それで電車に乗りたいからなるべくコインを大事にするようになった。

車内でおじさんがアラブの演歌をラジオで聴いている。これはいかにもなのでこちらも調子乗っていた。そしたらそこにオレンジ色のベストを着た若いのが乗ってきた。親父さんのラジオを止めさせた。
その若い人は私のとなりに座って俺はトランジットポリスだと言った。

アラブの演歌親父は次のステーションで降りてしまった。入れ違いに同じ席に黒っぽい服装の若い奴が乗ってきてインカムでやたらうるさく喋っている。
私の脇に座っていたオレンジ色のベストのトランジットポリスは、私に向かって今入ってきたこいつはcity policeなんだぜと言った。

警察無線をアラビア語で周囲の人間がわかるようにこんな大きな声で喋っていていいのか。同じ席に座っていた演歌親父の方がよっぽどよかった。このポリスの方がよっぽどうるさい。
City policeのほうは私に向かって挨拶をした。
私がそれに対してサラームあれいこむと言ったら非常に喜んでいた。

トランジットポリスのほうは次のカサボヤージュ駅で降りるこれからランチだと言っている。
それでポリスと名前の入ったオレンジ色のベストを脱ぐとふつうの街の兄ちゃんになってしまった。
街を歩いている兄ちゃんはこれは全部私服警官なのではなかろうか。

2015年9月11日 (金)

スークでボールペンを探す

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普段は音声入力で仕事をしているので、私はボールペンを持っていない。打ち合わせなどでもそのまま音声入力でメモを取るのである。

モロッコ入国の時は困った。出入国カードに書き込むときボールペンを持っていない。
バックの底の方から鉛筆が出てきたので仕方がないからそれで書いた。
モロッコの入国検査官は当然のことながら文句を言った。それはそうである。
消しゴムでチョートクから名前を変えてムハンマドになってしまう。

これはもう一回長い列の後ろに戻されて書き直しかなと思っていたら、意外とそのまま通してくれた。ムスリムにはそこら辺が融通がきくようである。
厳密に考えてみれば出入国管理法違反だな。

それで今回のカサコッコーの滞在中に私が買わなければならないもののリストのトップにボールペンが入っていた。ところがスークでこれを探すとなかなかないのである。
日本のようなコンビニがないからこちらの買い物はもっと専門的であってそれぞれの専門店が並んでいるのだ。だから果物屋街でボールペンを探すのはアホなのである。

それでオールドメデイナの城壁の北側にある所を歩むともなく歩んでいたらそこが文房具屋街であった。といっても私は露店のことを言っているのだ。

そこで5ディルハム払ってようやくボールペンを手に入れた。これでモロッコからおかげで出獄できそうである。

2015年9月10日 (木)

カサブランカの中古カメラ店でライカを買う 二台目

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カサブランカの路地裏のフレンチコロニアル様式のホテルの103号室に、アブラカダブラと
呪文を唱えたらいきなりそこがカメラ店になった。店名をアラジンカメラ、と言う。
二日前に買ったばかりなのに、全く懲りない病気である。

しかし冷静に考えてみれば10年前のデジタルカメラは全く使えないのに対して半世紀前のライカはちゃんと使えるのだから考えかたによっては、手元に何台あっても悪くは無い。

ライカ1Gはウイーン時代にはよくつかったライカだった。Bodyの本体に正面から見てロゴついているというのは何か安っぽい感じなのかなそれはそれでよかった。フィルムスプールがM3と同じものが使えた。というのはこのライカはM3よりあとに登場しているからだ。

もうこれ以上カサブランカでカメラは買わないつもりであるが、何しろアブラカタブラと呪文を唱えると目の前にアラジンカメラみせが出現するので始末が悪い。
アッラーはなかなか意地悪である。

アッラーは猫好きであったそうだから、ひょっとしてしてカメラ好きでもあったかもしれない。

2015年9月 9日 (水)

モロッコワインを探す

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若い頃に安ホテルにとまった。パリの五区である。オレンジジュースとかアルジエリアの赤ワインを買った。それから40年以上経って同じホテルの下にある同じ店の前を通ったら当時若者だった店主は立派なジジイになっていた。
それが人生と言うものだ。何の不思議もありはしない。

カサブランカでモロッコのワインを味わおうと思った。私がいるところは路地の奥なのでそういうもの売っている店は無い。スーパーマーケットで検索したらハッサン五世通りとか言うところにスーパーがある。土地勘のある私がGoogleで探してもどうしてもその通りに行き着けない。

中央市場のオイスターバーで、生牡蠣を食べている時に良い食材なのにそれに合わせるワインがないのは残念なことだと思った。

私の義理の弟は東京都公害研究所を卒業して、今は自由人だが、相当な料理作れるのに酒を飲まないからただ食べてそれでおしまいなのだ。その意味でムスリムは義理の弟に似ている。

私は異教徒であるからやはり生牡蠣にワインが欲しいと思った。
中央市場の中は猫の天国である。
預言者無ハンマドは猫好きであったそうでその愛猫の名前も今に残って
いる。
私が見つけた市場の馬屋で馬刺しを買う時に店のオヤジは馬のひき肉を猫に投げ与えている。その白黒の猫は毛並みが非常に良い。こういう店の親父のためにアッラーは天国の門を開くのであろう。

その猫にフランス語ですいませんこの近くにワインを売ってる店はありませんかと聞いた。
マルシェの入り口のー店で売ってるにゃー。
これが答えであった

その酒屋の若い衆に1番安いのはいくらかと聞いたら35ディルハムだと言う。1番高いのはいくらかと聞いたら120ディルハムだと言う。まず西の通貨で12ユーロというところだ。私は西のツーリストだからまず最初の1本めは1番高いのを買った。

ワインを開けようとしたらコルクが乾いている。要するにワインの扱いに慣れていないのである。
味はなかなかだったが私には1番安い35ディルハムのやつでいいと思った。明日はそれを買いに行ってみよう。

2015年9月 8日 (火)

カサブランカの中古カメラ店でライカを買う

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10数年前にナポリに行った。ナポリでナポリタンを食べるほどのツーリストではないので、旅の記念に何か買おうと思った。それで長年の夢であったアリフレックスの16ミリカメラを買ったのである。
伊丹十三のヨーロッパ退屈日記を70年代、ウイーンで読んでいてヨーロッパ漫遊の終わりにミュンヘンに行きアリフレックスの16ミリを買うというくだりがある。

その豪華さにウィーンで陶然としたものであった。その真似をして私はナポリでアリフレックスを買ったのである。ただし伊丹監督の時代はアリフレックスは16 STであるが私の時代はすでにアリフレックス16 SRになっていた。

旅の先々でその記念に中古カメラを買うと言う癖はもう何十年も続いている。
この5月にはパリでニコンS2のブラックを買った。

今回のカサブランカはフランスのポンテイアックがモロッコ製のカメラを作っていた。
だから中古カメラ店はあるだろうと思っていた。

私のいるホテルは下の階に有名な料理屋があって、これはモロッコ名物のタジン鍋なのである。四六時中良い香りが部屋に入ってくるので逆に名物が食べたくなくなった。

フロントでこの近くに中古カメラ屋さんはありませんかと聞いたらありますという。
ここは旧市街の城壁の内側の迷路のようなところなのでどこにカメラ屋があるのか不思議であった。
このホテルの内部に特別にあるという。部屋番号聞いたら103だという。それは私の部屋である。

ライカショップのペーターがまだ国際的になる前。以前には、新橋第一ホテルの部屋を売り場に使っていた。招待されて行ったら普通の客室を2つ借りてベッドの上にカメラが並べてある。そういう商売をよくホテル側が容認しているなと感心した。
ベッドの上に並んでいるライカを買うのは何かセクシーでいい感じだった。

ここまで書けばお分かりになると思うが、このホテルの103号室の私の部屋にカメラ店があるというのは、無論インターネット上のことである。

それでカサブランカである。
ブラック仕上げもライター3g。ブレッソンは愛用した同じタイプのカメラがペーターの店で出たことがある。値段は天文学的な数字だった。ライカ3Gのブラック仕上げのスリープランよりも高かったのである。
私は普通にスナップをするわけであるからこれで充分だと思う。

2015年9月 7日 (月)

似てる

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毎朝下の食堂でブレックファーストを食べる。
ヨーグルトを食べる習慣はないのだが旅の途中だから食べる。

今週になってそのヨーグルトのブランドが変わった。
ヨーグルトを食べるにはまずそのトップを見て蓋を外さなければならない。
見てびっくりしたのはそのライオンのキャラクターがどうも私によく似ているのである。

これをそのままパクってTシャツにしたりすると世間から制裁を受けるのであろう。
モロッコのデザイナーから訴訟を起こされそうだ。

しかしこのライオンの左手にカメラを持たせて下にフォトメンタリーとやれば非常に良い。。
そういう些細な発見がやたら楽しいと言うのも旅の面白さだ。

2015年9月 6日 (日)

部屋の中のストレートphotographyがなかなかいい

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1927年創業のこのホテルは部屋数三十ほどだがなかなかで居心地が良い。
1番気に入ったのは部屋に飾ってあるこの写真である。

カサブランカも俗な観光地であるから普通はこういうスペースには何とかモスクの色の変わったカラー写真がかかっているのが常識である。

それがロバートフランクがカサブランカに滞在したときの50ミリ縦位置の撮影という雰囲気なのだ。
実際フランクはアンダルシアまで来ているから地中海超えてもらいたかった。

大昔は5つ星ホテル泊り歩いてレビューをしていたのだが、この10数年は安ホテルを泊り歩いてやはりレビューしている。
ベッドは寝心地が良いし、リネンはちゃんとしているのが素晴らしい。

それで部屋からの眺めは下に小さな広場が見渡せて24時間そこにいろいろなドラマが展開している。
鳥の声もいいし時間帯によって異なっていて楽しめる。男女の痴話げんかもなかなかいい感じでドラマである。
しかもいちにち何回かのアザーンが楽しめるという特典もある。

2015年9月 5日 (土)

中央市場で牡蠣を食う

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金曜日はイスラム教の休息日である。だから中央市場は休みかと思ってぶらぶらいったらその一部は開いていた。

我々異教徒を商売にしなければなかなか大変であるからなのであろう。
市場の中央に魚屋があってそこで生の牡蠣を食わせる。

ボストンボックスオイスターみたいな味のあるやつだ。マンハッタンの42丁目で食べたオイスターバーも懐かしいが、マンハッタンやパリよりもカサブランカオイスターバーが進んでいるのはアルコールの提供をしないことである。

異教徒の国だとかなり味の悪いオイスターでもシャブリの味でごまかして流し込んでしまう。これが問題なのだ。

そこでゆっくり半ダースの牡蠣を食べて、エダム時代に持ってきた宝焼酎のプラスチックカップに入っているウォッカを飲んだ。

しかしこれはフェアな方法ではないことがわかった。アルコールの助けを借りなくても牡蠣は十分においしいのである。という安息日でした。

2015年9月 4日 (金)

カサブランカ で電池切れ

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撮影の基本ルールがある。街を撮影するときには偶数日にはフィルムカメラ、奇数月にはデジタルカメラと決めている。
別にこの逆でも良いのだが同時にデジタルとアナログを持っていくと視神経の混乱が起こるわけである。

それで今日は旧市街の城壁の中をクールピックスで撮影した。
こういう場合何ができるかわからないからどうしてもバッテリーをオンにしたまま撮影をするようになってしまう。

7ー8年前のまだデジタルカメラのバッテリーが長く持たなかった頃には、あれはリスボンの話であるが午前中にフルに充電して撮影に出て昼前になるとバッテリーがアウトになる。
それでホテルに戻ってランチを取るのである。これは非常に良い習慣であったが最近のデジカメはやたらバッテリーが持つのでそのこと忘れてしまっている。

しかもカサの旧市街が面白いのでフラッシュライトつけっぱなしのような感じで場内をさまよっていた。
カサブランカにふさわしい真っ白な建物を発見して感激しとろうと思ったらカメラが動かない。バッテリーがアウトになっているのである。

フイルムカメラで撮影しているときにはカットはずっと少ないけど、フィルムカウンターで例えばフィルム一日5本当なら全体の進行を見て撮影している。
ところが今使っているメモリにしても何しろ32ギガで8千枚以上も とれるので何か無尽蔵に石油が出てくるような気分になってしまう。

しかしバッテリーのほうはそれに追いつかない。何事も節電が大事なのである。それで旧市街の遠くまで行ってそこからまっすぐホテルに帰ってきて今充電中である。

フイルムカメラはフイルムがありさえすればずっと撮影ができる。これはこれからデジタルカメラが改良され待ってればならない新しい段階かもしれない。
例えば昔のムービーカメラのようにスプリングをいっぱい巻けばそれで30枚撮れるとかそういう機構は無いのであろうか。

2015年9月 3日 (木)

83倍のズームでカサブランカを撮る

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1982年の頃だったと思うが、にこんの交換レンズのカタログの仕事でヨーロッパ撮影したことがあった。カタログ撮影の定番では、超広角レンズから標準レンズ望遠レンズ、さらに超望遠レンズまでを1つの撮影のロケーションからレンズ交換をしてとると言う1連の指示がある。

はたで見ると簡単そうに思えるのだが、これは大変だ仕事なのだ。まず撮影ポイント決めなければならない。その時はウイーンの庭園で撮影をしたが大変な苦労だった。

それが今回はニコンクールピックス900を1台だけ持ってカサブランカの街を歩いている。いや到着したばかりなので町は歩いてないがホテルの部屋からの眺めが非常に面白い。

83倍と言う非常に息の長い爪レンズ、この息の長いというのは業界用語である。広角側と望遠の両側のサイズが超絶なのでどことったのかわからなほどである。

それで中間の焦点距離でわかりやすくアーチの手前で掃除をしている人を撮ったたらそれをさらにアップと猫が何か食べているシーンに出会うのである。

こういう息の長い望遠レンズで何が撮れるか、非常に楽しみだ。

2015年9月 2日 (水)

カサブランカなう

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結局トータルで30時間かけてカサブランカに到着。
時間がかかったと言うよりもむしろすごく速くついたという気がする。
地方時の8時を過ぎたのでもう寝ます。

2015年9月 1日 (火)

本日移動日 東京カサブランカ

本日移動日。東京ドーハカサブランカ。
移動時間トータル24時間。

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