フォト

オンラインギャラリー

バナー

無料ブログはココログ

ロック ユー

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月30日 (水)

ハイリゲンスタットの奇跡

Wien28ハイリゲンスタットの奇跡とは大げさである。
本当はハイリゲンスタットの退屈にしようと思った。

世界三大がっかり観光地にシンガポールのマーライオンがある。まだ飯沢耕太郎さんが無名というか、大学を出て閑にしていた時に、星州観光局からプレスツアーの招待があった。1985のことだ。あたしがカメラマンでライターに誰か居ないかと思って、飯沢さんを指名した。
それでマーライオン像につれてゆかれて二人でがっかりした。

ベートーベンの遺書でここは有名だが、かつて楽聖が散策した小川などもコンクリで固められたつまらないどぶ川になっている。
現実とはそういうものだ。

ハイリゲンスタットの駅は数年前に大改造されて、その開発は今も続いている。一番有名なのは「赤いウイーン時代」に造られたカールマルクスホーフである。ここも八十年経過して色が褪せたので目下、赤く塗り直している。

こういうフェンスの細かい孔の先にワーカーの見える所などはなかなか趣きがある。

ウイーンで工事中の場所を見ると、考古学の発掘をしているのではと錯覚するのが常である。
事実、ウイーンという街は羅馬時代の堆積物の上に造られているのである。

★OM-D EM1 12-40mm

2014年4月29日 (火)

西武新宿線の踏切が好き

P4133357

大泉学園から徒歩石神井公園経由で上井草に抜けた。

そこからさらに新井薬師駅まで歩こうと思ったが、駅の数が多すぎるのと偽ライカ愛好会の集合時間が迫っていたので、電車を利用した。

西武新宿線の駅は世界でもちょっと例のない駅の環境であって、そこがローカルで好きである。

ようするに電車の脇が菜園であったりする。逆の見方をすれば普通の家庭の庭園の前がそのまま実物大の模型の電車が実際に人間を満載して頻繁に通過しているわけだ。こういうのはちょっと例がない。

上井草の駅はホームぎりぎりであって、踏切とホームが変別しがたいような状態である。

ドラマチックである。

こういう不思議な光景はなぜ出来するのかと考えて、日本は改札制度であることに思い当たった。

欧州のローカル線などは改札がないので駅の周囲全部からホームに入ることが出来る。

いや、ホームは低いので電車にはタラップを踏んで乗車するのである。荷物が多いとなかなか面倒だ。

そういうシステムを日本でやったら、ラッシュ時間帯にはますます積み残しが出て大問題になるであろう。

あたしにとって日本のノスタルジーはこういう私鉄の駅の周辺に存在する。

踏切の「なるぐく」という文字列も好きだ。

★OM-D EM1 14-43mm

2014年4月28日 (月)

昭和十五年頃のヒトナーというレンズ

3
2
Photo
四谷の荒木町のアローカメラのがらくた市は月一にそこでお話をしにゆくのであるが、それより興味の中心は「カメラの歴史」が現物でわかることだ。
店主の「二代目」さんが、彼の人気ブログで紹介するカメラ百科は面白い。

そこに紹介されたのは、戦前の日独同盟時のローライフレックスの国産版の「ロールコンター」である。
話には知っていた。
レンズが当時の同盟国の有名人、アドルフをもじって、その名前がヒットナーなのである。
日本などはいかに親日の国で、対米従属であっても、今回の大統領閣下の来日を記念して、スーパーオバマーなどという限定版レンズがレンズメーカーから出る心配はしないでよい。

大阪芸大への三泊の出張を終えて、朝の飛行機で羽田に到着してその足でがらくたやさんに行ったら、件のヒットナー付きの二眼レフはまだあったのでゲット。

さて試写と思ったが、連休だとラボはしまっている。
それで思案して、OM-D EM1の本体をバルブにしたカメラの裏に押し当てて、手持ちで撮影した。
75MMレンズであるからかなりの接写になる。
その結果はこういう描写である。開放のF35でこの写りは立派である。

モデルはライカインコさん。これはしばらく前にがらくたやさんでもらったものだ。

★OM-D EM1 ヒットナー 75MM F3,5

2014年4月27日 (日)

六角橋商店街から妙蓮寺まで

  1. Photo
  2. Photo_2 この間、ホテルニューグランドに泊まってから横浜界隈が面白くて徘徊している。
  3. まさにワンダーランドである。
  4. 六角橋商店街は偽ライカ愛好会の慶応の先生に教えてもらった。
  5. 妙蓮寺の方はカメラ人類の木星球愛好会の友人が住んでいるところであって、彼はここを妙レンズと呼んでいる。それで彼はモルドバからジュピターを買ったりしている趣味の高さだ。
  6. この時のコースは京急新子安から徒歩で白楽のさりさりカレーを目指した。
  7. 途中で大口駅に遭遇したりで興奮の冒険であった。
  8. あの界隈は山あり谷ありなので健康には良さそうだ。なにかリスボンにも似ている。
  9. 青い小屋は似たようなペンキの漁師小屋をナザレだかカスカイスで見た記憶がある。
  10. アズレージョのパン屋はあたしの行きつけのリスボンのパン屋みたいである。その店は今回行ったら、モダンはブテイックになっていたのでがっかりした。でも妙レンズにリスボンのパン屋が引っ越してきたと思えば、もうリスボンには行く必要がない。
  11. これらの作例はライカMDにFED28mmで撮影した。これは戦前のレンズである。これだけ写ればまず文句を言う筋合いはない。

2014年4月26日 (土)

BAR はじめて

P1240134本日移動日 ITM HND

ライカ関係のメデイアの撮影でこの立石ののんべい横丁に来たのは十数年前だ。ライカのバルナック編の撮影を立石方面でした。

モダンなライカM型の方は代官山で行った。まだ代官山の高層タワーの竣工する以前のことだ。

しかもその上下二巻のメデイアはVHSであったというのだからこれは昔話に属する。

のんべい横丁の数あるバーの中でこのバーはユニークな名前だ。

世界中どこに行っても、あたしはホテルの一番近いカフェバーに飛び込むのが流儀である。

パブというくらいのものだから、そういう店には常連さんが幅を利かすということもない。

バーのドアは人類に向けて開放されている。教会の扉はしねもす閉ざされることなし。これと同じである。

思えば、バーとかカメラ店とかはあたしにとって教会のような役割を果たしてきた。

★OM-D EM1 12-40mm

2014年4月25日 (金)

桜と若葉

P4054613
P4114614桜も去って、若葉の時節だ。

さくらとわかばのどちらが好きかと聞かれれば、即座に後者であると答える。

桜の記憶は小学校の入学式くらいしかない。

桜のイメージは梶井基次郎の桜の下の死骸の話が好きだ。

中央区新川にあたしが勝手に命名した「隅田川鍵型桜」というのがあった。幹がクランク状態に曲がっているのだ、毎年見事な花を付けていたが、ある時欧州からの戻り、つまり箱崎からタクシーで家に戻る時、なくなっていた。切り株からは翌年にも花が咲いたが、結局はマンションに飲み込まれて10年になる。

だからあたしはそのマンションの下には「桜の死骸」が埋まっていると思う。これは梶井の影響であるのは言うまでもない。

桜は一本桜に限る。佃の三角公園の木村伊兵衛桜も一本桜だ。

あらたうと あおば わかばの ひのひかり

新緑の方が桜より好きなのは、多感な青年時代のウイーン生活の影響であろう。

ウイーンにも桜はあったが、これは山桜で非常に早春に咲くのである。

まだ冬のうちに咲く桜より、復活祭の頃に爆発的に青葉になる方が印象は強い。

さくらより青葉の価値感はそこらに背景がありそうだ。

バルコニーの北側はこのような桜並木だ。バルコニーの東側はこういう青葉である。青葉の方は人工地盤の上であって、下は駐車場であるがそれは青葉の鑑賞上問題になるほどのことではない。

こういう撮影には例の望遠ズームが役にたつ。

★OM-D EM1  40-150mm

2014年4月24日 (木)

生まれ年のライカ?

 

59生まれ年のライカを買おう!

という「国民運動」はこれは1970年代の第一次クラシックカメラブームの時代に、銀一の丹羽社長あたりの考案になったものではないか。

なかなかいいアイデアだと思う。

あたしは1947の生まれなので当時のライツの製品にはろくなものがないのが残念だ。

ライカの製品が最高の質になるのはその10年後のことである。

このライカはかなり前に買ったのだが、製造番号が224747というのが気に入った。昭和22と西暦をかけているのが良い。このライカはずっとアストロベルリンのミラーボックスについていた、

製造は1937年であって、本来はライカ1型なのである。当時のライツはライカのグレードアップのサービスがあった。これはD2に改装されている。

ただし、オリジナルなのは製造番号だけで、ボデイは板金製からダイカスト製に変えられている。

だから本来のライカはここにはまったく存在しないことになる。

2014年4月23日 (水)

✳︎お知らせ 本日配信です

チョートクカメラ塾第十四時限
   今更聞けないクラッシックライカの
   フィルム装填のお作法

下町のロスコってなんだろう?福田和也写真展の収穫

3
Photo
福田和也さんの個展が神保町で開催中だ。

あわててレセプションに行った。件のギャラリーの2階に行ったらシャッターが閉まっている。これはオープニングレセプションの準備だと思って、午後5時から半時間待ってまた行ったらシャッターは閉じたまま、

そこにアイランドギャラリーの石島さんが来た。なんでも会場は三階という。彼が来なかったらあたしはずっと2階で待っているところであった。
年寄りの思い込みは怖いな。

会場には田村彰英さんが来ていた。今回の展示の構成をしたのである。

二年半前の駒込の個展以来である。
最初、下町のロスコって何のことかと思ったら、抽象表現主義のマーク ロスコのことであった。
あたしなどは、ロサンゼルス郊外のことかと思って、ウィキで調べたくちである。

福田和也の視点は二年半前に比較して、硬質になった。形而上学的な視座を構築していると言い換えることも出来る。
それが嬉しかった。

ようするに写真家を嫉妬させるだけのエネルギーが蓄積されたわけである。この2年で写真家福田和也の視神経は成長した。

聞けば、ブロニカRF645で撮影したという。これもあたしの好きなカメラなので、また使おうと思った。写真家の使っているカメラが他のカメラ人類に影響を与えるというのは、その視点が確かな証拠でもある。

福田和也写真展は日曜まで開催。

http://www.lithmatic.net/lithApCorso/

★OM-D E-M1

2014年4月22日 (火)

鏡を探す

P1230095
日本カメラのタイアップ広告で、欧州に行ったのは1月と2月である。それが毎月掲載されているが、作例の方は真剣に撮影するからいいとして、見開きの画面に小さくカメラの写真と作者の顔写真が入る。

編集部から請求があって、その二つを忘れていたことに気がついたりして、あわてて準備した。

カメラの姿写真は欧州の場合、どこに置いても「絵になる」から問題ないとして、一人旅であるから、通行中の人にあたしの写真を撮ってくださいとはお願いしにくい。ウイーンならばあたしはドイツ語は少し話すから問題なしとして、ポルトガルでは「こんにちは」くらいしか言えない。

以前、DDダンカンさんと銀座で立ち話した時(この写真は東京ニコン日記に載っている。脇に三木淳さんもいいるのでまさにニコンの神とニコンの父のツーショットだ)ダンカンさん曰く、おれはフランスに何十年も住んでいるが、いまだにボンジュールしか言えないと。

それは著名写真家ならいいであろうが、あたしのように実用写真家だと非常に困る。

それでリスボンで鏡のある街角で鏡に映った自分の画像を使おうと思った。
これには先達がいる。

リーフリードランダーはまだ若い当時、セルフポートレートの写真集を出している。
それの真似をしようと思ったが、さてありそうでないのがリスボンの市内の鏡である。
市電はそこらじゅうに走っているのだが、鏡がない。
ようやく寂れた商店街のショーウインドウに小さな鏡があったので金網越しに撮影して目的を達した。

だからあたしの顔写真は前景が金網だ。なにか難民みたいでラフな報道写真っぽい。

東京に戻った翌日に時差ぼけのまま、あたしの好きな堀切菖蒲園を徘徊していたら、マンションかビルのエントランスにこういう鏡があったので思わず撮影してしまった。

リスボンであまりに鏡を探し過ぎたのでその行動パターンが極東まで引き継がれていたのである。

★OM-D EM1

2014年4月21日 (月)

二十年ぶりに月島を細見する

P4153495
P4153503
P4153504

今年になって、1月リスボン、2月がウイーン、3月が北京行きであった。
それで4月は東京に行っている。
東京に居るのではなく、東京に行った感覚なのだ。

慣れ親しんだ東京ではなく、極東の魔都だと認識するとこの町は実に魅力的である。

OM-D EM1にズームレンズ一本だけで月島徘徊するのは面白い。
月島と佃を真面目に撮影したのはこの町に住み始めた二十年前だ。

月島図書館は木村伊兵衛先生のコレクションを所蔵している。これは有名な昔の月島の作品群である。それに加えてあたしの作品を製作するように依頼された。
もう一人、若手の写真家の仕事が欲しいのというので、亡くなった吉村朗を呼んだ。
その撮影はあたしはフジの645で撮影した。まだデジタルカメラが市民権を得る前の話である。
このシリーズは月島図書館のコレクションになっている。

それで久しぶりに極東の魔都を撮影した。このコースは午後に倶楽部エダムに行く時の歩行ルートなのである。

この数ヶ月、日本カメラのタイアップ企画でOM-D EM1の広告の撮影で海外に行っている。
12-40mm PROで膨大な数のショットを撮影した。

それで教えられたのは、ズームレンズの中間の距離が面白いということである。
数十年来、広角とか超広角で都市写真を撮影しているが、それはプライムレンズである。

標準レンズの面白さも分かっているつもりだけど、ズームの中間の焦点距離というのは、プライムレンズの固定された焦点距離とはちょっと違う撮影感覚がある。

ズームリングを前後させてここだな!
と思う所で撮影するのである。
しかしそれは風景を自分のサイズに切り撮るのではない。
むしろ、空間の奥行きがリアルに感じられる画角で撮影するのだ。

そういうズームの使い方をしたことがなかったので、それが面白い。
これはタイアップ企画でズームを使うことを指示されたその結果からの偶然の発見である。64

★OM-D EM1 14-42mm

2014年4月20日 (日)

夕暮れの招き猫

1中野区と新宿区のあたりは、偽ライカ愛好会のガスマン掘野の幹事で先日周回したのであるが、なかなか気に入った。

ここらは広大な地域である。落合というのは単なる落合ではなく、上と中と、さらに下と西があることが分かった。

かなりの高低差のある土地であって、しかも水路もあるので面白い。

東京は自分では踏破した気分であったが、まだまだ知らない土地は多い。

犯罪者は犯行現場に立ち戻るというが、写真家はやはり犯行現場に立ち返るのである。

偽ライカ愛好会が日曜でその翌日にはあたしは落合界隈に戻っていた。

東中野から中井を経由して、大江戸線の落合東長崎にぬけたのだが、これが相当な距離であった。

この日は快晴寒冷で湿度が低いのでなにか自分の二十歳の当時の最初のウイーンの散歩のような気がした。

人間の過去の記憶は視覚だけではなく、気温とか風に影響を与えるものらしい。

彷徨して夕刻になったら、こういうお寺の前に行きついた。招き猫である。その縁起は見ていないが、猫をこういう場所で見た記憶は、日光の東照宮の眠り猫である。

他には記憶にない。小学生の時代に父と日光に行った時に眠り猫の前で、外人さんに何か聞かれて父が英語で説明していた。あたしにはスリーピングキャットした分からなかった。

★OM-D EM1 14-43mm

2014年4月19日 (土)

復活祭の笹の十字架

P4143415復活祭の日にちは移動するので、何時であるのかがなかなか分からない。

プラハでプラハ人に「今年の復活祭は?」と聞いても、さあ何日だったかなあ、、、などととぼけている。

ハプスブルクの帝都でありながら、これでははなはだ情けない。

それでも欧州に居ると復活祭は待ち遠しい。モノクロームの町のウインドウに色の付いた玉子とか、ウサギのお人形とか、猫柳に色テープがついたのを見かけるとわくわくする。

日本では復活祭は関係者以外はあまり祝うことはないようである。逆に言えば、商業主義がバレンタインのようにこれに手を出さないのは幸せなことである。

家人がクラシックのリサイタルに行って、友人からもらって来たのがこの「笹の十字架」である。
これはかなり良い感じだ。

ようするに極東の「布教区」でそこにある自然の素材をそのまま使用した所に価値があり、さりげない存在感がある。信仰の輝きとも言える。

その笹の十字架を窓辺の植木の脇に置いてみたら、不思議なことに、その存在感が凜としていた。
木の十字架より、笹の十字架だな。

★OM-D EM1  14-42mm

2014年4月18日 (金)

練馬区大泉学園町2207

P41333161969から1972頃まで住んでいた、大泉の家が建て変わったのを見に行った。

3年ぶりである。三年前にはすでにこういうアパートになっていたが、その西側の空き地に10階建てのマンションがすでに建っていた。

その空き地に夜になると、白黒猫のミミヲをつれて出かけた。猫は室内のトイレより空き地の砂場の方がおしっこが快適なのである。

その間、あたしは星空を観察していた。それで秋から冬、そして春になるまでの生きたプラネタリウムに接することが出来た。だからその時期の星座は指し示すことができる。

ただし昨今では星座は見えないので、主に深夜飛行で欧州から東京に戻る時に星座を見るという意味だ。これは猫の夜遊びのおかげなのである。
これが40年前のことである。

四十年前の空き地にあった砂の山には、それでうちの猫のおしっこが沢山かかっているのである。
その砂を建材に使ったとしたら、マンションはなんとなく猫のおしっこ臭いのではあるまいか?

★OM-D EM1  14-42mm

2014年4月17日 (木)

中井の集合住宅の空中庭園

6160天気が良いのでどこかで原稿書きをしようと思って、後先考えずにメトロに乗って、大江戸線の中井駅で降りた。

以前、ここにカメラジャーナルの編集部があって、中川編集長とランチを食べたりしたが、この界隈には不案内である。

桜の造花が春風に揺れていて、十代の当時、オリンパスワイドでそういう造花の桜を撮影した記憶、その写真は「東京ニコン日記」に掲載されていることなどを記憶から取り出しながら歩いていたら、眼前に空中庭園のような不思議なマンションが登場した。

空中庭園というより、実際には航空管制塔であるが、第一印象は空中庭園であったのでそれで認識した。
欧州の集合建築ではこの位置に小さな塔があったり、そこに時計台が出来ていたりするものだが、建物の最上階のこの位置を展望台めく造りにしたのは、ドイツ表現

派とかアールデコ建築の様式である。

それでアイパッドで二枚だけ撮影して、そのマンションの脇にある公園で原稿を書いた。

それが何か世界の果て感覚だった。

若い頃、北井一夫さんの助手でハンブルグのチリハウスとか、ポツダムのアインシュタイン塔を撮影した当時の記憶がそこに二重映しになった。

2014年4月16日 (水)

羅馬のらいか、ガンマ

57_2伊太利亜のカメラは人気である。いずれもライカとかコンタックスを「卒業」したカメラ人類の領域である。

もっとも福島良元さんのように、もとフェラーリのメカニックさんから、いきなり伊太利亜のレクタフレックスにジャンプするよう人もいるが。

1947年にそのプロトタイプが登場した、ガンマは個性的なレンジファインダーカメラだ。

最大の特徴は円弧状のハードなシャッターブレードである。その為に本体の左右が膨らんでいる。

こういうのはデザイナーさんの遊びでやられると困惑するが、実用でそうなっているというのは、納得する。

フィアットアバルトのキャブの部分のボンネットがもっこりしているのと同じ論理だ。

ガンマは1型はレンズ交換は出来るが専用のレンズマウントだ。それで45mmのレンズしかないので使えない。それで一型は伊太利亜はトリノの人にゆずった。

これは2型である。レンズマウントはライカと同じになったので使える。レンズの距離のカムがライカは真上だけど、こっちは真下についているので傾斜カムのレンズしか使えない。

それは問題なしとして、このカメラには書き戻し機構がない。ダブルマガジンで使うのが基本なので、フィルムカッターが内蔵されている。

今は、空のカセットの入手が面倒なので、このカメラは1本撮り専用にしている。ようするに4x5カメラのつもりになって使うのである。

一日の撮影が36枚だけというわけだ。

そういう撮影の仕方もあっていいと思う。

2014年4月15日 (火)

百一年目のロバートキャパ展で

55_3東京都写真美術館で開催中の「101年目のロバートキャパ」展を見てきた。
昨年の横浜美術館の展示に比肩する内容の濃い写真展であった。
平日なのにかなりの人であった。

あたしは癖で、展示のプリントの表面を確認するのである。これは大昔MoMAでプリント研究をしていた当時の習性なのだ。
これらのプリントはその多くが当時はプレスプリント、すなわち印刷の版下に作成されたものと思われる。

それが時代を経たので「立派な展示プリント」に変身しているのが面白い。
というのも、プリントは何も変わっていないのに、それを見る我々の価値感が変貌したのである。

残念なのはその展示の照明が暗すぎることだ。
以前、鎌倉近代美術館でもそうであったが、写真の細かい箇所はよく分からない。

沢木耕太郎さんの「キャパの十字架」のお手伝いをした時に痛感したのは、沢木さんの膨大な取材ノートを見せていただいて、そこに貼り込まれたキャパの作品はいずれもゼロックスコピーであったことだ。

沢木さんはそれぞれのキャパ作品を「記号」として扱っているのである。
あたしの場合は、MoMAでキャパの「オリジナル」を研究したという立場があるので、やはりプリントの細部を細かく見たいのである。
それには照明の照度が足りない。
MoMAのスタデイルームは蛍光灯ではあるが、明るさは充分にあった。

東京都写真美術館の展示の明るさはあたしの感覚ではマンハッタンのMETのデユーラーの手描きの貴重なイラストと同じレベルの照明なのである。
これは暗すぎる。

画像はキャパが使ったのと「同型機」のニコンS。

このカメラは四半世紀前に銀座のデパートのキャパ展で見た。あれはレセプションであったと思う。
キャパの弟さんのコーネルが来ていたので会話をする機会があった。コーネルの奥さんも居たな。

今回、写真美術館のロビーで本ブログの愛読者の神戸の松岡さんという紳士が声をかけてくださった。

立派な手帳の見返しに乞われてサインをさせてもらった。こういうのは幸せな時間である。

松岡さんは遠洋漁業のプロである。カナダ沖に赤魚を漁獲に行く貴重なお話を聞いた。

魚探よりも漁船の船長のそれぞれの漁場のノートが貴重なのだと聞いた。

なにかデジタルとアナログ画像の相違に思い当たった。

2014年4月14日 (月)

OM-Dに常用の二本のズーム

56日本カメラのタイアップ企画でOM-D EM1に12-40mm PROの作例の写真を掲載している。毎月10日には日本を発って、1月がリスボン、2月はウイーン、3月は北京に行った。毎月10日は外国行きなのだが4月は日本に居るのでなにか変な感じである。

日本カメラの撮影は全部、上の黒いレンズでしているが、東京で撮影する時には上の白いレンズでやっている。両者の違いは値段もあるが、サイズと明るさである。

実際、ズーム全域で明るさがf2,8というのは明るさの限界であって、これが明るさがf2になるとかなりの大きさと重さになるから常用は困難である。

その意味で、全域f2,8というのは今のデジカメは感度が「無限」に上昇するから暗い場所とか悪天候にはこのレンズがいい。

一方で、携帯性を重視した場合には多少暗くても小型軽量なレンズが向いている。

だから撮影が夜になるような場合には12-40mmプロを持参し、長時間歩行するようで天候が良く、しかも夜にならない撮影では小型のズームを持参する。

映画撮影で16mmカメラが使われた時代には、やはりレンズの重量は問題になったようでドキュメンタリーなどの撮影では明るさを犠牲にしても、軽量なレンズが流行じた時代があった。

作例はOM-D EM1で、ひとつが12-40mmでもうひとつはコンパクトズームである。

ここではわざとどちらがどっちかは書かない。

P4113300

P4113301

2014年4月13日 (日)

ソ連製の視覚障害者用時計

53
54

プラハから南の古都テルチエにカメラジャーナルの観光団で行ったのは四半世紀前であったか。 古い広場に古道具屋があった。あたしはそこにある古いチューバをあたしは買おうかどうか迷っていた時に、同行のBMW野々宮が発見したのが上のブランド用の時計である。 竜頭を押すと風防が上がって時計の針を触って時間を見ることができる。これはなかなかの買い物眼だと思った。 野々宮とは四半世紀の付き合いだが、最初に来た封書が「これはファンレターではありません」という文面にやられたのである。 その10年後にペンという雑誌の特集でソ連製時計を沢山必要になって、200本ほどロシアから買った。相手はあたしを商売人と勘違いしたようである。

もっとも単価20ドル程度ほどのものだから大した額ではない。
その中に野々宮が買ったのと同じブラインド用のウオッチがあった。
その時計を使うつもりが、ベルトがない。

数ヶ月前に時計ベルトを買うつもりで、980円の中国製の時計を買った。例のピンクのやつだ。
ウイーンに行ったり、北京に行ったり便利に使っていたら、家人が欲しいというので差し上げた。
大昔にアンカレッジ空港の免税店で買った、ロレのコンビなどはもう時代遅れらしいのである。

手元にソ連製の時計は山のようにあるが、ベルトがない。意を決して昨日、上野にベルトを買いに行った。消費税込みで1080円であった。
980円の時計より百円高いのに、これはベルトだけの値段であるというのも不思議な話である。

風防を上げて指先で文字盤を触るのは気持ちいいが、なにしろ指先の感覚が鈍っているので、触感で時間を理解するのは困難である。

2014年4月12日 (土)

感謝

PEN PEN チョートクカメラ日記は
おかげさまで
1350万ページビューになりました
ご愛読ありがとうございます!

リスボンの隠れ家

P1100001
P1120032 リスボンの隠れ家というと、xxの隠れ家みたいで嫌みだけど、他に言葉ないのでこのこの語を使う。

ロッシオ広場のカフェニコラは超有名であるが、その隣のお化けの出そうな真っ暗名階段はもう何十年もこの前を歩いているのに、知らなかった。
その2階はカフェニコラの倉庫になっている。

エレベーターがないのはこの建物がエレベータが発明される百年も前に建てられたからだ。

プラハのアトリエもこの隠れ家も6階にある。プラハの方は階段に踊り場があるが、リスボンの方は一気に家まで上がる必要がある。

ようするにかなりのエクササイズであって、宿泊施設にアスレチックジムが付属しているようなものだ。

部屋の一方は独房のような扉があり、もう一方は「世界に向けて開いて」いるわけだ。

窓から立って眺めると、眼下はロッシオの一大パノラマである。
ベッドから眺めると、広場の喧噪は見えなくなって、お城の上に午後の白い月が昇ってくるのが見えるという。まことに風流な隠れ家である。
しかも階段を降りれば、大都会リスボンのど真ん中だ。

★OM-D EM1 12-40mm PRO

2014年4月11日 (金)

1932 年 ライカD2の最初の生産ロット

51
52
このライカはウイーン時代にアメリカはコネチカットのJOテッパーズから買ったものだから、すでに四十年以上使っている。

前の所有者の名前が底ふたに刻印されている。
Wolfと読めるので、あたしは勝手にフーゴー ボルフが使ったライカであると思っている。
しかしアメリカから来たのであるから、これは一種の「偽来歴の思い込みライカ」というわけだ。

これは最初のロットであって、1932年に三万台近くが生産されている。
当時のライツ社はそれまでのライカに対して、連動距離計の内蔵されたライカにいかに力をいれていたのかが分かる。

事実、当時のライツの広告ではこれを「自動焦点ライカ」と命名している。
これは正しい。

レンズの距離リングを距離計の合致する所まで合わせれば、自動的に距離が合うのだからこれはオートフォーカスあるいは、フォーカスエイドというわけだ。

このオリジナルモデルは底ふたの取り付けピンが旧型のライカと同じで細い。
ネックストラップアイレットはついていない。シャッターダダイヤルの直径が大きいなどの特徴がある。

ネックストラップがないのは不便なので、20年くらい前に関東カメラサービスでつけてもらった。

大竹省二先生のように、上海の川辺で落下させては困るからだ。同時にオーバーホールもした。それ以来、また使っている。

レンズは戦前のFED28mmである。
このレンズは第二次大戦の末期に連合国のアメリカの高官に赤軍の高官から贈られた記念のFEDのセットについていたレンズで、そのアメリカの高官は戦後に東京のGHQ付きになった。その来歴はフェドの底ふたに露西亜語で刻印されている。
そのフェドカメラの革ケースの中にはその人の名前とGHQの電話番号が万年筆で書かれている。

先週宿泊したニューグランドにはマッカーサーの部屋がある。このレンズは「偽来歴の思い込みレンズ」ではない。その同時代のゆかりのレンズが今でも使用に耐えるのはすごいことだ。

2014年4月10日 (木)

大阪芸大から今年も辞令が

Photo_2封筒が来たので何かと思ったら、大阪芸大からの辞令であった。もう一枚、A4の印刷された紙が同封されていて、切り取り線があってそこから下を切り取って、同封の封筒で返送せよという。書類というのは、PDFにしてメールするのが普通だと思っているので、この工作はなかなかクラシックである。
こういう書式には慣れていないのでびっくりする。その一方で世の中はこういう紙で動いているのかと思うと、なにか尊敬の念を感じる。

そういう紙の質とか字体の立派さとかは、その依頼された仕事の内容とは無関係なのは言うまでもないが、こういう書式というのはオンライン上のイメージとは異なるから、人間は無意識の内にその紙質とか字体などを見て価値判断をするのも変な話である。

欧州ではそういう「正式な書類」は全部手書きであった。これは印刷術が登場するずっと以前からそういう書式が必要であったからだ。

家人のコメントでは昨年の大阪芸大の辞令は縦書きであったそうだ。
これは横書きである。
なにか背景があるのだろうかと考えたりしている。

2014年4月 9日 (水)

テザリング用に予備バッテリー

Photoしばらく前に買った、予備バッテリーである。
iPhoneでテザリングをして、アイパッドミニでちょっと長いテキストを書く場合には便利だ。

問題はMacBookから充電するケーブルのコネクタを間違えやすい形状なので、先週の横浜、東京滞在ではせっかく持参したのに使うことができなかった。

しかしデジカメの使うか使わないか分からないレンズを持って行って、結局使わない場合よりも、このバッテリーを持参した方が、精神衛生上は良いかも知れない。

もうひとつ、役にたつのはバッテリーに巻いてある、ゴム輪である。髪の毛を束ねる為のこれもバックアップである。
以前、旅先でゴム輪を紛失して、バックアップがないので困惑したことがある。
普段はそこらに普通にあるゴム輪をいざ、買おうとするとなかなか発見できない。以前、上野駅でゴム輪を捜索してないので困惑したことがあった。

2014年4月 8日 (火)

スイター持ってお墓参り

0
Photo
3その現役時代には大した人気がなかったが、デジタル時代になってレンズアダプタでデジカメに付けられるというので「馬鹿値」になっている数種類のレンズに「スイター」がある。

これは瑞西のAarauというドイツ語圏のの街にあるKernという名のメーカーだ。もともとアルパの標準レンズであって、各種交換レンズは全部、外国製であったのだけど。標準レンズだけは自国瑞西製であったという理由は分からない。

アルパ研究会というのは20年前から10年ほど前まで活動した任意団体であった。当時、このスイターレンズは仲間内価格では2,5カメラ円であった。

今ではその10倍はするようである。あたしはアルパ研究会に全部のレンズをゆずってしまったつもりであったが、一本だけ忘れたレンズがあった。それでライカマウントアダプター(これは距離計に連動する)を付けてリスボンに行ったのはこの1月のことだ。

リスボンの西の市電の終点に墓地がある。このあたりは寺町なのでそこらここらに墓地がある。

かの帰国子女の走りの詩人フェルナンド ペソアはこの地区に彼の死まで住んでいた。こういう環境が詩人に与えた影響は大きいであろう。

巨大な墓地はリスボンの独特の地形、すなわち傾斜した大地にある。その先はテージョ河で巨大な吊り橋が見える。

死んでからこういう風景を見るのは贅沢である。あたしの母は「死んでから山を見るの、、」と言ったが、墓所の前は秩父連山であった。母はアララギ派の歌人であったが、この人生を看破するのはなかなかだとその時思った。

墓地と市内を結ぶ、市電の運転手さんの後姿にも、なにか人生の秘密が見えるような気分になるのは、これは墓地帰りのメメントモリのせいか、それともスイターのアポクトマートの描写のせいか。

★ライカM5 スイター50mm

2014年4月 7日 (月)

ニューグランドからの氷川丸ビュー

Photo_3六年ほど前だったか、横浜の氷川丸が全面改装される時、日本郵船の依頼でその改装前と改装後の撮影をした。

半年ほど氷川丸に通ったので定期券が欲しいほどであった。

完成して船に「入魂」する神事の時は大変な暴風雨の朝であって、氷川丸にまでたどりつけずに、ニューグランドで様子を見た。

お披露目の晴れがましい祝典のその日はちょうど叔母の葬儀の日であった。

それで千頁の分厚い写真集「チョートク海を行く」ができた。

何日か氷川丸に宿泊したこともあった。大晦日には「行く年くる年」で午前0時に汽笛を吹鳴した。その正時の汽笛な船長さんが鳴らしたが、その後の汽笛は「素人」のあたしもも体験させてくれた。なかなか貴重な体験だった。

船長さんは早朝に国旗と郵船の旗と信号旗を掲揚するのである。それを甲板で撮影している時に正面にニューグランドが見える。

あそこに宿泊してみたいと思ったけど、それは実現できなかった。氷川丸のお披露目は新館のバンケットルームで開催された。新館はピアに対しては幅がない。それで氷川丸は良く見えなかった。

対策として。あたしの撮影の氷川丸の全景が巨大プリントで会場の中央に設置された。

この間、初めてニューグランドに宿泊した。氷川丸ビューの部屋ではこんな風に見える。

しかしどうも氷川丸から視た、ニューグランドビューの方が、ニューグランドからの氷川丸ビューよりも優れているのである。

まあ。その事実が分かって良かった。

旧館が気に入ったのは、ライトとかスタンドが「紐で引っ張りるタイプ」であることだ。これがクラシックで非常に良い。アメリカの金属製のノブを回すのより直感的である。

それでまたニューグランドに宿泊しょうと思う。

Photo

★OM-D EM1 12-40 PRO

2014年4月 6日 (日)

ステーションホテルの偽フェルメール

Photo_2内田百鬼園のエッセイでお馴染みな東京ステーションホテルに宿泊。
この前に宿泊したのは、九年前である。調べたら2005年の12月4日のことだった。
翌年の3月に建て替えになると聞いて、利用したのである。
その時には、パークビューのツインルームを利用した。銀杏が黄色で晩秋というか初冬であった。

ちょうどメインエントランスの上の部屋でそこから歩いて、南口の上というか、建物の最南端のバーカメリアで飲んだ。当時は隣の寿司屋から出前ができるような、文士好みのサービスもあった。
それで文士気取りでなにかゲラを持って行ったのである。
しかし仕事よりも、お酒の手が多忙であまり仕事にならなかった。
酔っぱらってバーから戻る時にドームの上から下が見えた。ここに部屋を造ったら面白そうだなと思った。

新ホテルの実際のい竣工は予定より一年遅れて2012年になった。当初は皆さんドームの下から撮影した、その写真は顔本上の溢れてかなり食傷した。
しかしそれから1年以上経過して、もう良い頃であろうと言うので、出かけた。

こういう撮影には以前はスポンサーさんがついたものだけど、こういう情勢なので「自費」である。

新ステホはなかなかエッセイの材料があった。
それで一番感心したのが、この鏡である。ウイーンの美術館にフェルメールの小品がある。円形の画面で鏡に映った画家がそこに描かれた、こういう空間を歪めて見せる凸面鏡をモチーフにしている。

だからこのショットは偽フェルメールのセルフポートレートというわけだ。

★OM-D EM1 12-40 PRO

---------------------以下、付録で九年前の記事。

2005年 12月 4日 (日)

★東京ステーションホテルのロビー

内田百鬼園が、息せき切ってフロントに駆け込んだら、

正月の事でレストランは早じまいで焦るくだりで有名な、そのロビーだ。(一本七勺)


曇り空の日曜。

昨夜、思い立って東京ステーションホテルの部屋をとった。
これは内田百鬼園の真似なのである。

なにしろ、7月の欧州以来、ずっと佃のタワーの同じベッドで寝ているのでそれがストレスになっている。

この前、チエコのプラハからお客さんが来た時にステーションホテルの天井が高かったので、1泊だけ「逃避」することにした。

家人によれば「銀座で観光客のふりをするのね」と言うが、これは当たっていない。
「ツアイス紀行」のゲラがあるので一晩、校正をするつもりなり。

「まるで流行作家のかんずめね」と、また家人は脇で言うが、これも外れている。
第一、作家の場合、宿泊は1泊だけではない。連泊であろう。
それに最大の違いは「かんずめ」はその費用は大出版社が出すものであ
る。
当方は自費だから、ここが最大の違いだ。
まあ、自費の方が勝手が出来るからずっといい。

午後2時チエックイン。うちからタクシーでワンメーターちょっとなのだけど、なにやら7月のリスボンよりも遠くに行く感じがして、わくわく。

昨日の日記に登場のライカM2のブラックを持参する。レンズは21ミリカラースコパー。最初は21ミリZMビオゴンを付けたのだが、かさばるので止めにした。やはり旅には薄い、軽いレンズが良い。

でも不思議なのは、この4月には5本のツアイスZMレンズを持って、犬Yまで行って、それが今度、本になる。
その本の校正をホテルでするわけだ。犬Yと丸の内1丁目は、佃からみれば前者は15時間はかかり、後者は15分もかからない。

それゆえ、旅ライカのレンズの選択はどうも距離だけに関係するものではなさそうだ。

その関係にて、次回の日記の書き込みは。明日の午後、「帰国」してからになる。
(9:55)

銀座八丁庵にまず来た。
日記をかきかけて、思いついて八丁庵のPBG3を持って、新橋駅からJRにて、東京駅。
午後2時丁度にステーションホテルにチエックイン。
レストラン「ばら」を予約しようとしたら、「週末の半額セール」で満員とのことだ。
こういう商売は下手だなあ。半額にしてしまっては、原価がみえてしまう。
自室の斜め向かいがバーオークである。午後5時になったら行こうと思って、調べたら日曜は休みだ。
世界中でホテルのバーで休日があるのは、恐らくここだけであろう。外国人から見たら、なにか神道イズムの関係にて、日曜はサケを出さないという風に勘違いされそうだ。
仕方ないから、夕刻は近くのコンビニで何か買って、得意の「大宴会」をするか、それも面倒だから佃で夕食してまたホテルに戻るか、それも面倒だから、日曜に開いている東陽5丁目の「夢の屋」に行くか、、、、。

おっとその前にゲラと格闘せにゃならぬ。
(14:49)

ゲラと格闘して、午後5時前にステーションホテルのバー、カメリアに行く。ホテルをオリジナルの状態に戻す工事で、来年の3月末から大規模な工事に入る由、カメリアは昭和26年創業というが、そののれんというか、ロゴがなかなか秀逸である。
結局、雨が激しかったので、東京ステーションホテルを出ず。
(20:24)

2005年 12月 5日 (月)

★ステーションホテルの窓から丸の内を見る
この窓枠の感じは実にクラシックである。

快晴。
ステーションホテルで目が覚める。
眼前はコバルトブルーの空だ。この7月のリスボンなみの空である。

今まで、気が付かなかったが(大体、東京駅の皇居方面口などには来る機会なし)ホテルの前の環境は、世界の大都会のターミナルと比較するに、東京駅のお手本となったアムステルダムは言うに及ばず、フランクフルトにせよ、ロンドンにせよ、パリにせよ、それらよりも東京駅の方がはるかに秀逸であることが分かった。
眼前にある銀杏の巨木が風に吹かれてイエローの落葉を舞わせるなどは、大したものだ。

ステーションホテルは「自分にとって発見」であったが、一つだけ最大の誤算があった。
12月末で銀座八丁庵をたたんだあとは、ここを常用利用するつもりであったのが、昨夕、バーカメリアのスタッフに聞いたら、2006年から大改装工事にはいって2011年の春に高級ホテルとしてリニューアルするそうだ。
そうなると、時代遅れの古ホテルが好き、という自分の趣味にはあわないし、それ以前に東京駅のこのままの状態で、オリジナルの駅舎に復元するそうだから、タワーホテルでないから部屋数は増やせないし、莫大な改造費をかけるのだから、まさか広いツインの部屋が2、5万というバーゲンには行かないであろう。
ステーションホテルを「ご近所ホテル」として利用しようという、目論見は単なる思いつきであったわけだ。これよりチエックアウト。
(9:34)

2005年 12月 6日 (火)


★ステーションホテルのロビー。
何時であったか、保養地バーデンハーデンのホテルに、やはりこんな階段があったことを思いだした。

★雲の奥行きを撮影する。
エプソンRD-1 ノボフレックス400ミリ
エプソペリフレックス(これは勝手に命名したのであって、そういう装置はなし)

晴れ。
寒気活動開始の模様だ。

昨日の行動記録。
ステーションホテルを出て、朝10時ころに丸の内徘徊。
しばらく見ない間に、界隈は非常に綺麗になった。
その綺麗さは、まあ有り体に言えば、無国籍な綺麗さであって、あまり感心できない。

朝10時という時間帯は、快晴にもかかわらず丸の内は無人。
ショップは11時ころから開店するらしい。
いったん、佃に戻ってコーヒー呑んで、それから中央大橋、永代橋を渡って、ラーメン「おはる」に行く。

門仲から東西線にて久しぶりに中野。
フジヤカメラ。自分の本とか写真集とかがかなりあった。
カメラの在庫は以前より減った印象である。

東西線にて大手町。
歩いて、ステーションホテルに行き、あずけた荷物をピックアップして有楽町駅に行く途中、トキアの前、イルギオットーネの前を通過する。店内を覗くに、おばさま族ばかりなり。まあ、おじさん連は仕事に忙しい時間帯だから、当然であろう。
佃に戻るに午後3時。

2014年4月 5日 (土)

マンハッタンの春1983

Photo昨年の大阪芸大での展示の作品である。これは1983年の春にセントラルパークで撮影した。
カメラはデイアドルフの8x10であった。メトロポリタンミュージアムの裏手だ。

当時は234w 48thに住んでいた。実に剣呑な場所で危ない街であった。
そこからデイアドルフを担いで、セントラルパークに撮影に行った、

公園の南にPondという名前の池があって、そこは一本道だ。そこを歩いていたら、向かいからデイアドルフの4x5を肩にした紳士が来た。道が狭いのでサムライ映画ならそこで斬り合いになるが、カメラではもっと平和的である。その人があの有名なザ カメラクラブ オブ ニューヨークの副会長だった。
例のアルフレッド シュテイグリッツの肝いりのカメラ倶楽部である。
こういう縁というのは一生に何度もあることではない。
そこで個展を開催する機会にも恵まれた。

さて、この木蓮に似た灌木は何というのであろう。不確かな記憶ではdog woodなのであるが、これは間違っているかも知れない、
例のカンガルーの語源と同じだな。
しかしセントラルパークの風光明媚なポイントを単に「池」と命名するような、実利主義のアメリカだから、その「犬木」も案外当たっているかも知れない。

プリントはマンハッタンで1983にプリントした、ビンテージだ。アグファの期限切れの印画紙でプリントした。それを買ったカメラ店は9,11で滅亡してしまった。ツインタワーのすぐ隣だった。

このプリントは個人蔵である。あたしの所有ではない所に価値がある。
そのプリントは単にOM-Dで複写したのである。
しかも手持ちだ。
水準器があるのでちゃんと撮影できるのが良い。

★OM-D EM1 14-42mm

2014年4月 4日 (金)

ちとら会

Photo_3

佃界隈に住んで四分の一世紀になる。

この界隈も変貌した。最初は「大川端リバーシテイ」と言ったのだが、何時の間には定冠詞が抜けてしまった。

打ち合わせで佃煮ヒルズに来てもらいお客さんにはいつも失礼してしまう。

佃の古い町の中の迷路を通過するので、口頭ではなかなか説明が困難である。

ここは通勤路の中でも好きな光景だ。1月に撮影したので左の看板が右の街路樹に対して、不思議な視覚的効果を上げている。

この立木の脇に「茶トラ会」の掲示板があった。茶トラとは、この界隈ののらちゃんで、怪我をしたのを今、あたしの住んでいるタワーの住人が介護して、その経過報告の壁新聞なのである。

その文字が手描きで下手なので、チャトラではなく、チトラに見える。それでちとら会。

カンパの封筒にあたしも千円札を入れた。ちとら君は知り合いの獣医さんの所でもちもり食べて元気になったとの報告であった。

やがてしばらくしてちとら君の訃報がその壁新聞に登場した。

しかし地元の人々がそうして野良猫を支えたという良い思い出が残った。今でもこの角を曲がる時、ちとら会を思い出す。

★OM-D EM1  12-40MM PRO

2014年4月 3日 (木)

土手のお花見

Photo_2落語の長屋の花見を聴くのが好きである。
本物の花見は最近では一年が七ヶ月ほどにしか感じなれないのですぐに巡ってくる。

佃煮ヒルズのバルコニーからこういうショットを撮影したのは数か月前であったなと思って、よく考えてみればそれは昨年の今頃の話なのだ。

たかだか20年前に新入社員で場所取りをした新人が今では部下に賞与の明細を渡す部長になっているのだから時間の経過は速い。
この「日本の奇習」に最初に接したのは、1981年の春であった。市ヶ谷の土手だった。

頭上に桜があるらしいが、真の闇で見えない。第一、首が痛くなる。アルコールが入ると、桜のことなどどうでもよくなった。
一緒にいた大工さんが「♪すちゃらかちゃん、すちゃらかちゃん、、♪ 月がーーーでたでーーた、、」
とか始めるので吃驚した。同行のパリにながく住んで最近帰国した翻訳家もかなり驚いたようであった。

しかしこれが日本の社会に入る為の関門であろうと、あたしは松島音頭を歌った。隣のグループと意気投合してそこからサントリーオールドを2本いただいた。

大工さんはその箱を下駄のように履いてまた見事に踊った。拍手喝采であった。
つまり花見というのは、年忘れと同じで、花を忘れることに意味があるのである。

その大工さんというのは、昨年の春に亡くなった、画家の原田映爾さんのことだ。

★OM-D EM1

2014年4月 2日 (水)

都鳥

Photo
隅田川中央大橋の上の鳥の「花束」だ。

これは高校の古文で教わった「いざ言問わん都鳥、、、」のその都鳥である。

中央大橋の上に早朝に鳥連に会いにくるおじさんが居て、都鳥も鳩もカラスも大喜びだ。

所が時々、文句を言いにくる人も居る。それにも負けずに活動するおじさんは大したものだ。
3/29の早朝にはちょっとトラブルがあったのかPC(警察車両)が四台も来た。

その背景は遠距離で視ているので不明である。えさやりは迷惑条例に違反とか言いにくるのなら、絶望である。
それより目下、東京にも降っていセシウム、ストロンチウムは迷惑ではないのか、あれは身体に良いのであろうか、と言いたい。

これは都鳥好きの警察官が沢山居て、激励に来たのだと信じたい。
このショットは日曜の朝の光景だ。すなわちトラブルのあった翌日である。

ウイーンの古い友人で元スデーテンドイツ人が毎朝、ウイーンの中心部でかもめや鳩に餌をやるのを日課にしていた。この人はチエコのズデーテン地方から追放された苦労人だ。そういう苦労人には鳥の気持ちが分かるのだろう。
山下洋輔さんをその人の元に伴ったのは1980年代の初めで彼が欧州ツアーの時だった。その時の話は山下さんの「ピアノ弾き飛んだ」にも出てくる。

★OM-D  EM1  40-150mm

2014年4月 1日 (火)

リスボンでホロゴン2014

Photo
カメラマガジン誌の次号で、1月に撮影したリスボンの作品を掲載する。
レンズはホロゴンである。
「リスボンでホロゴン」とは1988にリスボンでホロゴンウルトラワイドで撮影した話を書いたカメラエッセイでこれは「銘機礼讃 1」(日本カメラ社)に収録されている。

つまり二十六年を隔てて、二種のホロゴンを使い比べたことになる。
メカライターさんの書く、レビューではこういう離れ技は出来ない。なんせ四半世紀前のカメラである。

それぞれの使い勝手は清水編集長のインタビューで面白いことになった。
問題は知らない人が、このライカM5をどうじても譲ってくれというのである。
それでお譲りした。栗羊羹とトマトのシールのついた変なライカである。

あたしのカメラマガジンの連載のカメラ頁にそのM5を登場させたいという編集部のリクエストがあった。
ちゃんとぶつ撮りをするのであるが、実物はすでにないので、困った。
それで偽ライカ愛好会の会長の928さんにMPを貸していただいた。
その写真が次号のカメラマガジンに載るわけである。

★OM-D E-M1 12-40mm PRO

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31