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2013年11月30日 (土)

仕事公園

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六本木ヒルズに十年いてそこを卒業して、かれこれ一年、東京やプラハや北京の公園を仕事場にしているわけである。公園をオフィス化するスペシャリストと名刺に肩書きをつけても良さそうだ。

プラハと東京はさて置き、北京のちゃんとした公園は有料であるし、ツーリストが多いのが仕事の邪魔になる。ベンチとトイレが、それに東京だと水飲み場が必須だ。この数年で東京の水の味を覚えた。

北京の場合はトイレはそこらじゅうにあるから問題なし。座るところは、街中に結構存在する。メトロ一号線のラマ寺の駅のそばにうまいサンドイッチと紅茶を路上店売りしているのがあって、そこで買うと7元である。 出勤の人々が次々に買ってゆく。あたしは出勤する場所ない、というか、足下が出勤場所である。

そこの近所の胡同の角に良さそうなコンクリートのブロックがあるのでそこを利用する。

ちょうどマンハッタナーがストックエキスチエンジの前の階段でランチを食べるみたいなものだ。

そのコーナーはGoogleマップでちゃんと認識できる。こういう場所のノスタルジアを感じるようになるのは、人生の発見だ。 これは千住のほぼ理想的なガーデンオフィスである。理由は子供がいないこと。

ペン5 17mm

2013年11月29日 (金)

オリジナルプリントの聖地?金町の地球釜

Photo

東京歩き回って久しぶりに金町に来た。

金町駅の北側からお花茶屋方面にぬけようとして西の方向に歩行したら、いきなり新しい建築物が立ち並んだ立派な公園の中に迷い込んだ。

よく手入れされた枯れた芝生が絨緞のようになっていて、その中に結構大きな人工池がある。その池のほとりに直径5メーターはありそうな茶色の地球のような物体が置かれている。

私にはそれが何であるかすぐにわかった。というのは常磐線で往復している時に金町駅の側に広大な空き地があって、そこにこの巨大な物体が長いこと、放置されていたからだ。

接近して細かく観察すると実に素晴らしい球体である。目黒の教習所の紅玉より、実体があるのが素晴らしい。そこら辺の現代彫刻家が作る予算重視で、想像力貧困な中途半端なサイズのオブジェでは、これほど迫力がないだろう。

私はこのオブジェはもともと何か重工業のタンクであろうと思っていた。それは電車の中からの瞬間的観察である。

説明を読むとこれは地球釜と言うのである。私は知らなかったが三菱製紙上中川工場と言う場所で昭和6年から操業した所であった。これは古紙を溶解する釜であった。
しかも葉書とか紙幣の紙とか、生産した。三菱製紙中川工場というのは90年近くここで活動していたそうだ。紙幣やはがきの用紙のみならずバライタペーパーを作っていたと説明書きにある。

つまり私が膨大にプリントした三菱の印画紙とかはここでそのバライタペーパーが生産されていたということになる。何か非常に感慨深く思った。

ここをオリジナルプリントの聖地とするのも面白いと思う。

ペン5 17mm


2013年11月28日 (木)

新小岩の中島商会

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新小岩と小岩が仲が悪いと誰かから聞いた。その理由は別の区であるからだという。 そんな馬鹿なことはあるまい。 ただ、小岩と新小岩とは電車の駅では一つであるが、非常に遠いという気がする。 電車に乗っても電車は全速力で走る。

歩行するとその距離はかなりのものに感じる。 ペンを斜めがけして、この四年間に何度かこの二地点を歩行したが、小岩から新小岩にせよ、その逆にせよ、目的の駅が見えてくると、何か偉大な仕事をやり遂げたような満足感があるのは不思議だ。

新小岩駅の南には長い長い商店街があって、その終点に近い左縄に、古い自転車店がある。自転車がモダンであった、ライト兄弟の時代とは大げさながら、時代がくだっても、ここには戦後の復興日本のポジテイブな活力が感じられる。

実際、あたしが少年時代の昭和二十年代には音羽通りで、自家用車などは数台であって、商家は自転車が普通であった。 中島商会はそういう日本の真面目な過去を、表象しているお店だ。

それで安心して、商店街でかんぴょう巻を190円で買って、平和橋通りをどんどん北に歩いて立石にむかった。

ペン5 17mm

2013年11月27日 (水)

平和橋通りを行く

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新小岩駅から歩き出してずっと北の方面に向かう一本道がある。 その名前を平和橋通りという。 その名前からしてどうも戦後になってから作られた道のようである。この通りは私の町歩きの歴史の中では、わりと新しい道である。 西暦2000年というから13年前の話だが、その時は北方から南のほうに向けて歩行した。 その翌日からベトナムはハノイに行く予定で、日本出発前に何か典型的だ日本の東京風景を見たいと思ったのだ。 それ以来外国に行く前の日になんとなく平和橋通りを歩くようになった。 この10月に10年ぶりに北京に行く前の日もこの通りを歩いた。 それが今回は北京から戻ってきて平和橋通りを歩いた。何か変な感じがした。 この長い通りの最大のランドマークは中川である。 その屈曲した流れの下流には橋が三つしかない。 空を大きく反射させて、川面はいつも静かである。 中川を渡る時、その橋の名前が平和橋であることに初めて気がついた。 脇に小公園がある。その公園の名前を探したら、平和橋児童公園とあった。公園は無人で初冬の日差しで汗ばむほどだ。 ウイーン時代には市電の駅からアパートメントに戻るのにドナウ運河を超えることを七年やっていた。その橋の名前がやはり、平和橋なのである。 一昨年、その橋を超えたら、改装されていて、鳩のモチーフが欄干にできていた。中川の平和橋もやはり、、鳩のモチーフである。 ベンチに座って、iPadで仕事をしようとしたが、明るすぎて画面が見えない。 11月下旬というのに日陰がない。 要するにこの光線は真冬のアテネの快晴にそっくりなのである。 仕事は諦めて平和橋通りをさらに北上した。 ペン5 17mm

2013年11月26日 (火)

寂しいライオン

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寂しいライオンというのは私の好きなテーマである。

1,970年代の東京とかそれ以外の街の小さな公園には、このようなコンクリート製なのだろうか、動物の像の遊び場があった。 私は1973年から8年近くヨーロッパに行ってしまったので、最後に見たコンクリート製の公園の動物なのである。

その当時はローライフレックスで東京の街をモノクロームで撮影して歩いていた。雨に濡れた小さな公園にぽつんと置かれたこういう動物のフィギュアはなかなか写真的によかった。

このような動物彫刻は今では東京の公園にそれほど多く残っているわけではない。最近できた公園には全く違うオブジェが置かれている。 数年前足立区の関原を歩いているときにこの、寂しいライオンに出会ったのだった。なかなか感動した。その気分はちょうど古い友人になったような感じなのである。

この1年間主に東京を徘徊して公園で原稿書いたり水を飲んだりお茶飲んだりしているわけだが、残念ながらこの公園にはベンチがない。仕事場としては使えない。

この小さな公園は時々その所在地が分からなくなるのが問題だ。それでグーグルマップで自分の方向の記憶を頼りに場所を特定した。東武伊勢崎線の梅島駅から歩いて目的地に着いたのでそれをグーグルマップでなぞってみた。

そこは地名では梅島ではなくて関原なのであることが分かった。 この寂しいライオンは体の長さが70センチ位のであるが、グーグルマップの航空写真で見るとちゃんとその存在が分かるのでびっくりした。

宇宙から見えるのは何も万里の長城だけではない。 寂しいライオンだってちゃんと見える。 最初のショットは宇宙からの寂しいライオンであって、次の2枚は私が地上から撮影した、寂しいライオンとそのクローズアップである。

足立区の関原にはそれぞれ私の好きな撮影ポイントがあるのだが、それぞれの撮影ポイントがどのような位置関係にあるのか今までよく理解していなかった。 それが今回グーグルマップでその全容が把握できたのがよかった。

例えば関原商店街広報班というのがあって、オートバイに乗ったおじさんが小型のスピーカーで商店街の案内を流しながら走り去っていたのである。 人間のコミュニケーションの、非常にプリミティブな存在が感じられて慌てて写真を撮った。

そしてそのスピーカーを積んだ小型バイクを追っかけたら、バイクはあっという間に見えなくなってしまった。 足立区関原にはメランコリーなオブジェが満載しているのである。

2013年11月25日 (月)

桜紅葉の土手

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この数ヶ月、ずっと北京やら、南越谷やらに出かけていて、佃に居ることがなかった。

この前の日曜は思想を変えて、終日佃に居た。

しかし運動不足になるので、バルコニーを往復散歩した。うちのバルコニーは端から端まで歩くとちょうど48歩ある。これは今さっき、計測したのである。

バルコニーの籐いすに座っていたら、眼前の桜紅葉が綺麗である。

あたしはバルコニーの散歩は、東京大周遊の一部であると認識しているので、ペン5を斜め掛けにしている。ジャケットの胸ポケットには、パスポートも入っているから、そのままパリに行っても問題なしだ。

西日が桜紅葉を燃え立たせて、そこに「ひよどりの声、つんざき渡る」

なかなか良い感じなので、それを撮影した。しばらくしたら、河面をひみこがやってきた。

反射的にそれも撮影したが、隅田川に遊覧船ではあまりにも俗である。

しかしその画像は綺麗なのでやはりアップすることにした。

桜紅葉というのは、その葉っぱの一枚、一枚は綺麗ではあるが、ライカインコが元気であった当時、それをおみやげに持参したら、まったく興味を示さなかった。

それに対して、例えば飲み屋で出てくる、とんかつなどについてくる、パセリのしなびたのが、ライカインコは好きだった。

インコと人間の嗜好というのはかくも隔たっているのかと感心した。

桜紅葉のベストアングルは上から眺めるに限る。

245 ★ペン5 12-50mm

2013年11月24日 (日)

セルフタイマー

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先週の水曜日のアサヒカメラの座談会終了後に「豆腐ステーキ」を食べに、防衛庁側のこれもエレベーターのないレストランに来た。

その上階で写真展開催中というので、急な階段を上まで登った。この前にも書いたが、階段だけの建物というのは、私の一種の建物のノスタルジーなのである。プラハのアトリエにエレベーターがないのでそういう気がするのだ。

そのギャラリーはオープンして数ヶ月になるのであるが、前から私の気になっていた多目的スペースであった。アサヒカメラのご縁でそういう場所にゆけたのはありがたい。

北京には先月と今月と頻繁に行っているが、六本木には十ヶ月ぶりである。 「セルフタイマー」と言うタイトルの写真展でそのテーマは若いカップルのこの10数年の生活記録でニューカラー風のなかなかいい展覧会だった。

使用したカメラはローライフレックスのようである。ローライフレックスはともすると写真表現のためのとんがったカメラになってしまうものだが、この場合は非常に円満かつ純粋な家庭用カメラとなってるのが面白い。

実は私も40数年前に似たようなコンセプトでローライフレックスで記念写真を撮ったことがある。つい最近そのモノクロプリントが発見されてなかなか貴重に思えたのである。

✳ぺん5  17mm

2013年11月23日 (土)

六本木のバーにゆく

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ヒルズの四十九階をたたんで、もう、一年だ。 その後に二月にJ waveのスタジオに呼ばれて、ライブで話をした。

今回はアサヒカメラの新年号の対談に呼ばれて、防衛庁側、というか、ミッドタウン側のクラシックなビルの二階にあるバーで座談会をした。こういうのは嬉しい。 デジカメの話であるが、なかなか楽しかった。

しかし途中からストリチナヤが入ったので、どうも話題が飛躍し過ぎたようで反省している。 あたしは、この十年あまりの六本木の変貌は知っているが、それは四十九階から見た変貌であった。

これは航空写真みたいなものであるから、防衛庁が更地になって、そこで地鎮祭があって、だんだんとミッドタウンができてきたのは見ているが、地上レベルでの六本木は知らない。

そのバーは古いビルなのでエレベーターがない。 これが懐かしく感じたのを、その理由を考えるに、プラハのアトリエは、エレベーターがないのである。その体験が懐かしさを感じさせたわけだ。

そういうノスタルジーが存在するのかとびっくりしたのである。 エレベーターのないバーは帰りに足元に注意するという意味で、逆に安全なのである。

編集部からのリクエストで、特集の新製品は編集部で用意した他に、お気に入りのカメラ持参ということで、ペン5を持参した。 というより、先週の北京と先月の北京でのカメラスタイルのままである。

カスタムのストラップのペン5を斜めがけである。 ジャケットにはパスポートも入っていたので、このまま、外国で撮影しても問題なしである。 まあ、大東京は偉大な外国の街であるわけだが、、、

★ペン5  17mm

2013年11月22日 (金)

鋭角な街角が好き

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鋭角な街角が好きである。

その理由を考えるに、まるで都市の模型を真似しているような、という形容詞がふさわしい。
まず、鋭角、くさび形の都市風景には、マンハッタンのフラットアイアンがある。これは無数の写真家に撮られているが、その大御所はシュテーグリッツであろう。

ハンブルグのチリハウスもくさび形、というより、船の先端のような形をしている。これも撮影のアングルに苦労した建物だ。下の氷川丸の水面から見たショットに似ている。

大井町は光学通りが有名だが、高架線の敷地に隣接した小さい建物の中に、見るべきものがある。このくさび形商店などは、関係者には有名なもので、10数年前に撮影して、もう存在しないであろうと思っていったら、ちゃんと改修されてその位置に存在したので嬉しかった。

こういう建物を撮影する時、あたしのカメラアングルはその角度を強調するためにかなり立ち位置に気をつけるものである。
建物の特色を良く出す為だが、5センチ位置が違うともう印象が変わってくる、

三角形の家には一度住んでみたいものだ。

★ペン5 12MM

この写真は横浜の氷川丸。鋭角である。

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2013年11月21日 (木)

JAL22

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北京行きの飛行機が成田からしか出ていないと思ったのは、勘違いであった。

先月の北京行きは、成田であって今月は羽田であった。老人の思い込みというやつで、予約している時はずっと成田だと思っていた。

それでオンライン搭乗券をプリントして初めて羽田着発だと認識したのである。

これは注意が必要だ。

しかも機材は最新型の787である。ANAの同型機に乗った人が、室内照明はLEDであると写真をアップしていた。なにかアメリカの三流倶楽部のような色合いでこれはやばいと思っていた。

JALでは普通の色彩の照明であった。

787がいいのは、窓の広いことである。撮影がしやすい。

タービュランスの時も、金属の飛行機とは異なる揺れかたをするのが面白い。

行きの機内では、CAさんとJALのバッテリー問題の話題が出た。帰りはその787のヘルシンキ便でインシデントがあったというのが話題になった。

あたしは着陸復航とかインシデントとかは楽しむ方である。オーストリア航空のウイーン東京便で、コクピットの窓にヒビが入った。

ブラチスラバからウイーンに引き返して、燃料投棄をした。これはなかなか綺麗なものである。当時のAUAは代替機材がないので、やりくりに苦労したそうだ。それ以上に問題だったのは、デッドヘッド(非番で移動しているクリュー)の要員のやりくりがつかなくなったそうでる。これは後にANAのCAさんから聞いた。

行きの便がJALの21で帰りが22便である。1桁とか2桁ってのはかっこいい。四桁になったしまうと、パスワードめいてくる。

あたしのライカに使うレンズが21MMなので記憶しやすい。
帰りの22便はやたら速く到着した。その前の日曜の北京、羽田便をトラッキングしていたら、京都上空で二度空中で待機して、浜松上空で待機。さらに宇都宮まで行って羽田に戻ってきた。

飛行距離は3000キロに近かった。これは日曜の羽田の混雑によるのである。

★ペン5 12MM

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2013年11月20日 (水)

素敵な白猫に出会う

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北京では路上で犬は、それこそ無限に見た。小型犬が多い。北京の街にはそれぞれの町内会みたいな組織があるらしい。

あたしくらいから上の世代が赤いウインドウブレーカーに赤いキャップで町内を監視しておる。 いや、監視とは大げさであって、日向ぼっこしている。北京の初冬の午前中は晴れた日がほとんどなので、陽射しのある壁を背中にすれば、ぬくぬくである。

そういう町内会は、大昔は紅衛兵であったのではなかろうか。世代的には計算は合う。 そういう元紅衛兵世代が膝に乗せているのが、ペキニーズのわん公である。表情がなかなか人間っぽい。

一方で、路上ではとんと猫を見ない。 今回もまるまる十日間、街を歩行したのだから、その距離は大変なものであろうが、猫は全部で三名様であった。 こいつがその「第三の猫」である。

旅館の近くに明朝時代の街があって、その路地裏にクラシックなサイドカーがギリギリの狭い角っこに停車している。これがなかなか良いので、何度か撮影に行った。 最初の日にはNikon S3でモノクロで撮影して、翌日にペン5で撮影に行った。

フィルムカメラとデジカメは同時に持参しないルールなのである。 その撮影の戻りに路地の角の上の方で視線を感じた。 立派な白猫であった。しかも陽射しの良い、風の来ないいい角っこでぬくぬくしている。

こういうシーンは望遠でクローズアップすると、単に「可愛い 猫たち」になってしまう。それでは面白くない。ちゃんと北京の路地裏の環境を取り入れて撮影。

✳ペン5 12mm

2013年11月19日 (火)

ビテッサTを見直した

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北京から戻って最初の朝。
10月と11月の二ヶ月、ほぼ20日近く北京であったので、夜、羽田に到着して、モノレールに乗ったら、乗客の服装がいいので吃驚。しかも全員が「管理職」のように見えた。まあ、羽田の国内出張なのだからそれなりの服装である。
困ったのは、モノレールの車内の案内の中国語が理解できたことだ。

北京ではOM-Dと、ペン5を持参して結局、OM-Dはバックアップ用でもっぱらペン5を使用した。
数年前までは、ライカにその撮影速度が劣るのが問題だと思っていたのであるが、最近のカメラはフィルムライカに比較してその速度にストレスはなくなった。

唯一の問題点は電源をオンにする時間が惜しいことだ。これで結構チャンスを逃すのである。

あたしはデジカメとフィルムカメラの二頭立て体勢である。
今回の北京では出発直前までこのカメラ、ビテッサTを持参のつもりであった。それが何の理由もなく、ニコンS3に変わった。

理由は一昨年のマンハッタンで撮影に使った、ツアイスイエナビオゴン35 MMで北京撮影してみようと思ったのである。
10月の撮影本数は17本で、今回が10本だから都合二十七本だ。これだけ撮影すればなにか写っているであろう。

佃に踊ったら、くだんの持参しなかったビテッサTがベッドの脇にあった。手にとってみるとその工作精度はライカM3時代のものだから、なかなかいい。
レンズは35MMのレンズしか付けない。

大昔に四谷の我楽多屋で買ったものだが、買った時に50MMと135MMが付いていた。それはカメラジャングルに行方不明である。

12/4に出る「ライカマイライフ」にはこのカメラで撮影したショットが1カットだけ掲載されている。ウイーンの夕暮れのネオンを撮影した、好きな作品である。

思えば、最初にビテッサを使い始めたのが1973年のウイーンであった。

2013年11月18日 (月)

月を相手に一杯やる

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プラハのアトリエは天窓が沢山ある。月も見えるし、白鳥が群れをなして飛ぶのも見える。虹も見えるし、宇宙ステーションが横切るのも見える。

唯一の不満はそれが^自分の部屋から見える、ということである。
公園のベンチから見たいというのではない。

管理された中庭からこれを鑑賞するというのが贅沢である。四合院に暮らした、文人墨客にはその楽しみがあったことであろう。

四方を囲まれた中庭で見るのは「プライベートな月」である。プライベービーチも贅沢であるが、それを超えるのが「プライベートムーン」だ。

欧州にはウインターガーデンというのがある。狭い中庭を温室状態のガラス貼りにして冬でも寒風が吹き込まない。

あたしの五百年旅館には小さい中庭があるのだが、それがカラスの屋根ですっぽり覆われている。
先月はちょうど月が半月からだんだんに育って行くのが見えた。今月はそれより十日早かったが、滞在の後半に見事な半月が見えるので、それを相手にして一杯やった。

まことに贅沢の極みである。
酒は本来なら黄酒がいいのだが、手元にない。一方で白酒は強すぎるので、こういうシーンには合わない。
それで麦酒で月を相手にした。

★ペン5 40-150mm

2013年11月17日 (日)

北京のテイファニー

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旧市街の古い旅館から、徒歩でワンフーチンまで1時間ちょっとである。

鼓楼大街からまっすぐに南下して、慶山公園の脇を抜けて、紫禁城の東のお堀を南下すれば最短距離だけど、こっちは撮影があるので、あっちの路地、こっちのフートンに寄り道するので、実際にはまず2時間かかる。

スラムっぽい小路(あたしの好きな)を抜けたら、見覚えのある大通りに出た。これはワンフーチンのアベニューなのである。

そこを南下したら、テイファニーがあった。

ルイビトンはパリの凱旋門のそばの本店しかなかったのは70年代の話であって、知人の買い物を依頼されて、お店に入ったら店員さんがつきっきりで、世話をやいてくれた。日本人の店員さんなど居なかった時代の話だ。

その時に買った、古いカバンは今でもカメラバッグに使っているが、あたしがこれを斜めがけして、自転車で板橋の路地を走ると、新聞の集金の人にまちがえられた。

北京のテイファニーは以前からあるのであろうが、この新店舗はまだ完成していない。

その巨大なダイヤのビルボートはなかなかアートである。グルスキーの大作などよりずっと格が上だ。理由はグルスキーのアートはミュージアムに収まっているだけ虚弱である。

テイファニーの大看板はダイヤモンドの存在を超越している。

アントワープでダイヤモンド業者を取材した。ハンドラーは紙の封筒にカットしたダイヤを無造作にざくざく入れて持ち歩いていた。

投資にするのなら、五十万ドル以上の石でないち駄目ですと聞いた。

政府観光局の大宴会では、最後までお客を帰らせない為に飲み物のアイスキューブの中に0,1カラットのダイヤを封じ込んで客にくばった。1個だけ本物なのである。

説明ではプロでも本物と偽物の区別はつかないという。会場にそれ用の精密な計りが持ち込まれた。

ワンフーチンのテイファニーから南下すると、アップルがある。これを北京の五番街とすれば、お店の位置関係は南北が逆である。
✳ペン5 12mm

2013年11月16日 (土)

東京の印象

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東京の印象とは、タイトルが変である。
部屋の窓から見た、スカイツリーであるからだ。

しかし、10日ぶりに見ると、それなりの印象はあるものだ。
帰宅した翌日の夕刻、それまでの雨が上がって、西の空が明るくなってきたと思ったら、層雲が綺麗に見える。

スカイツリーの方向がなかなかドラマチックな光である。

北京では部屋の洋服掛けのピンにペン5をぶら下げていた。佃ではライカインコの籠がさがっていたハンガーにペン5はぶらさげてある。
カメラが多いので、すぐに使うカメラはそのようにしておくと、紛失がない。

もっとも北京では持っていたカメラの数が少ないので問題はない。
四方向を壁に囲まれた、四合院では遠くを見ることができない。せいぜいが10メーターが限界である。

だから遠方を見るには、たまに空に登場する月とか雲を観察することになる。
お日様はどうも遠くのものという感じがない。

佃に戻って、落ち着かないのは、ガラス窓越しに遠方が見えるということである。
綴じた空間になれてしまうとこれはなかなか不安要素である。

しかしそれに慣れる意味で、ペン5で何カットか撮影したらようやく、これが普通の日常の風景であることを確認した。

40-150mmはもともとはそのセールスポイントは「お子さんの運動会に最適」というものであった。プレス発表の時にオリンパスの偉い人がそう言った。
しかし、撮影目的はそれだけではない。こういうモチーフにも使える。

70年代の写真家の基本機材というのは、広角レンズと猛煙ズームの都合2本であった。そういう「伝統」というはいまだ不変である。

★ペン5 40-150mm

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2013年11月15日 (金)

ヘチマの光線状態を考える

Image_3 本日移動日 北京 東京ー 紫禁城の北の果てが鼓楼であって、そのほとりに住んでいるわけだから、撮影ポイントはそこから南になるわけである。 今回の滞在では毎日快晴であった。困るのは南に歩行するとすごい逆光であって、目も開けられない。 だから最初メトロで環状線の南側の駅まで行って、そこから北に歩行すると順光の撮影ができる。 じかしそれでは面白くないので、いわゆるジグザグ航法を取った。つまり最初の角を南に歩行したら、次の角を左に曲がり、その次の角をまた南下するという方法である。 ジグザグ航法の面白さは予期しないモノに遭遇することだ。 ヘチマである。 ヘチマの右側面に北京の初冬の光が当たって立体感満点だ。 その日は国会図書館の正岡子規の絶句を呼び出して、ヘチマの気分に浸った。 おとといのへちまの水もとらざりき ✳ペン5 40-150mm

2013年11月14日 (木)

鼓楼大街の白猫さん

Image 10日間、北京の場内とその隣接地域をくまなく歩行した。普通の北京人はまずこれほどは歩かないであろう。 あたしの居る「五百年旅館」は環状線の地下鉄の二号線のどちらの駅に行くにも、二十分はかかる。一般のツーリストにはお勧めできないロケーションであるが、同じ道でも毎日感じが変わるから飽きない。 北京では小型犬は良く路上で見るが、猫は見ない。猫は室内在住なのであろう。 旅館の近くで、白猫さんを見た。制服の女子がご飯をあげていた。ちゃんと猫の茶碗が用意してある。 あたしなどはテイクアウトの食事で紙の茶碗であるから、白猫さんの方が格が上である。 滞在後半はペン5に40-150で撮影した。12mmでの撮影だと、あまりに手慣れたショットになるので、それを壊す狙いもある。この場合、広角レンズは持参しない。視線がバラバラ、全方位的になってしまうからだ。 ✳ペン5. 40-150mm

2013年11月13日 (水)

漢字の国

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中国だと路上の表示でも漢字だからありがたい。

これがハノイだとアルファベット表示だから、お手上げである。フランスが仏領インドシナでそれまでの漢字をやめて表音表記にしたせいだ。

日本でも戦後に同じ計画があったらしい。
日本語をローマ字で書いているようになっていたら、我らの文明も変わっていたであろう。

食物屋でメニューを見て、ー指差し注文できるのもありがたい。英米系のツーリストだと、これは不可能である。
昨夜は近所の飯屋で、麻婆豆腐と揚州炒飯をテイクアウトできたのも漢字文明のおかげだ。

中国だとそこらじゅうに公衆トイレがあるのも便利だ。
パリなどでは四十年前には例のカタツムリタイプの小便器があったが、それもなくなって久しい。

撮影中にはカフェにはゆかないことにしているが、トイレに入ってついカフェを一杯飲んでしまう。この場合、椅子に座ると時間の無駄になるのでカウンターだ。

王府井のMacで試しに一番小さいカフェを頼んだら、17元だった。日本なら5元である。中国は物価高いあるね。

北京だとトイレは50メーターおきにある。これは昔の庶民の家にはトイレがなかった。 その恩恵をわれわれツーリストが甘受しているわけだ。

四半世紀前には、そこに入ることが冒険であったトイレが多かったが、五輪のあとは綺麗なトイレも増えた。

これはその綺麗なトイレで見た表示だ。
結構笑える。

何かアメリカの月面着陸のステートメントのブラックジョークでもある。
文明という言葉の使い方を教わった。

✳ペン5  12mm

2013年11月12日 (火)

偉大な文化「ねぎ」革命万歳!!

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先月、十月に北京に来て気がつかなかったが、今月になって気がついたのは、市内の、葱の氾濫である。これは反乱と言った方がいい。

今、宿泊の五百年旅館の近くの大きな市場でも、もはやこれを売るスペースがないのか、市場の前の車道で売っている。

普段、あたしの見る葱は、せいぜいが蕎麦の薬味程度か、ねぎまの串、さらに寄せ鍋程度の量だ。

路上に山のような葱はすでに食品というよりアートである。
葱革命である。
ウイーンのクリスマス前にもみの木を売っていた。あの感覚だ。

何に調理して食べるのかも分からないのであるが、その理解不可能なところに 一種の面白さがある。

北京の街を、今日も鼓楼大街から、王井府まで徒歩で往復した。その間に数回は、葱で体を撫でられた。

北京の主婦が自転車に葱を搭載すると、車幅がこのようになるので、結果として追い越す時に、葱の洗礼を受けることになる。

2013年11月11日 (月)

北京 前門街の同じ場所で順光と逆光はこんなに違う

 ■メンテナンス実施のお知らせ

 本ブログの容量拡張作業のため、以下の時間帯にメンテナンスを実施します。
 メンテナンス時間中は、ブログがご覧いただけなかったり、レイアウトが
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 【メンテナンス時間】 11月11日(月) 13:00~18:00(予定)
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前回の北京で、一番面白いと思ったのは、前門街、これは天安門広場の南に広がる通りであるが、オリンピック以前は典型的な下町の熱気のむんむんした場所であった。

それがオリンピックで街を綺麗にする運動の一環であろうが、前門通りは歩行者天国になってしまった。

北京の代表的な観光地にする目的はうまく行ったわけだが、この通りは逆光で撮影すると、なにか大理石の道にブロンズの人物の銅像が根欄ででいるように見える。前門大街現代彫刻展である。

なにも特殊な撮影ではなく、ペン5でi-mode(あたしのペンは他のもモードにアクシデントで切り替わらないように、セロファンテープで固定してある)で撮影すると、ほとんどモノクロのような画面になる。
これは面白い。

こういう効果の出る場所は東京の東西線の妙典のあたりにもあるのだがいわゆる光の魔術というやつだ。

これが逆光の不思議であるが、同じ場所で身体の向きを180度回転させると、ごらんのような「あったりまえの観光写真」になってしまう。

当然のことながら、地方から出てくる団体さんはこのアングルで古い市電と写真にカメラに収まっている。

逆光のショットが、ブロンズ化した北京のストリートみたいだと。喜んでいるのは、あたし一人である。

★ペン5 12mm

2013年11月10日 (日)

北京のニコンS3

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先月に北京に行って、今月がまた北京である。
二週間が経過すると、北京の秋はさらに深くなって好きな季節だ。

東京で秋を感じるのは絵画館前の銀杏並木だが、北京では普通の小路に結構樹々があって、それが黄色になっている。
滞在している、「五百年旅館」の四合院の中庭はウインターガーデンよろしく、上はガラスのドームですっぽり覆われている。
気温は五度ほどだがツイードのジャケットを着ていれば、中庭のソファーで仕事ができるのがありがたい。

しかも連日快晴だ。

今回はメーンカメラはペン5で、フィルムカメラは、気分を変えて、ニコンS3を持参した。これは「東京ニコン日記」」の冒頭の口絵であたしが鏡に写っているセルフポートレートに登場のニコンだ。

ニコンのレンジファインダーモデルが実際に報道関係の第一線カメラであった当時を知っているのがあたしである。S3はブラックではなくクロームがかっこいい。

これはあたしの思い込みであるが、ウイリアムクラインが東京を取材に来た時に、クロームのS3を首から下げて、奥さんと日本庭園を歩いている小さなカットがカメラ雑誌に載っていた。
それにはニッコール28mmが付いていた。

クラインは十年以上前にプラハで撮影のアシストをした。彼はNATO軍のジャケットであたしはアメリカ軍のカモフラージュなので、変なところで話があった。
クラインはアグレッシブな撮影スタイルで、前に前にと前進する。まず突撃スナップと言えそうだ。

あたしは一昨年のマンハッタンで活躍したツアイスイエナのビオゴン35mmを付けてきた。
これで前回に27本持参して、17本はすでにカスマン堀野に現像してもらったトライXの残りの十本を撮影中だ。

2013年11月 9日 (土)

北京の犬と猫について

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なになにの、かにかにに、ついて
というお役所風の退屈なタイトルが結構好きである。
これが大学の研究発表になると
なになにおける、かにかにについて、となる。

しかし今回は北京で研究しているのではないのでタイトルは、シンプルに「北京の犬と猫について」。

二十年ほど前、北京の博報堂の所長さんに、毛沢東の好んだ料理のレストランに招待をうけた。
そこに犬の肉もあった。味は忘れたが食えないほどではなかった。

場所は天安門の西側の南池子大街をちょっと入った所だった。
奇態であったのは、街のど真ん中なのに、真っ暗闇であったことだ。

この前。その旧跡を訪問したら、今でも街灯もない場所だったのが不思議である。この北京の深い闇というのは、実はあたしの好きな北京名物なのである。

これは犬の肉の話ではなく、そこらを歩行している犬の話だ。
北京を広く歩いていると、犬の一人歩きは多い。
平気で広い通りなど横断している。
だから犬それぞれに、人格を感じるのである。

一方、猫の方であるが、路上をフリーで歩行しているのが居ない。家の中には居るのであろうが、それは見えない。

これは今回、初めて見た路上の猫である。

なにか状況が日本と逆のようである。

★ペン5  12mm

2013年11月 8日 (金)

国際歌を歌う男

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二週間ぶりの北京で五百年旅館のスタップは歓迎してくれた。
部屋も同じなので、何か家に帰ってきたような気分である。
どこに住んでもすぐに慣れてしまうのが、あたしの長所でもあり、短所でもある。

例によって天安門のトラブルの跡地は見たくもないので、地下鉄で前門まで行って瑠璃廠の路地を歩行する。カメラはペン5に12mmと40-150mmである。

ここは書店と端渓の硯と紙と筆しか売っていない。
食料品を売る店も、食いもの屋もない。地元の人は硯をすって、書を書いて何も喰わない段階にまで進化しているらしい。

そこから、東に路地を歩行していたら、いきなり、なつかしいThe Internationarの歌が聞こえたので、ちょっと吃驚した。

大学闘争の時代には良く歌ったので、懐かしいという意味だ。

♪あー!いんたなしょなーーあるっ、われーらがーもの♪

というあれである。今の人は知らないであろうな。
こっちでは「国際化」じゃなかった「国際歌」である、

あたしの前を行く、この男性が歌っているのである。
この前、この歌を聴いたのは何時であったかと、頭のファイルを開いてすぐに思いだした。

それは数年前のパリのポンピドーセンターの裏をバスチーユに歩行していた時だった、天空からインターナショナルが降ってきた。
歌声ではなくそれは口笛である。

屋根を直している。若いパリジャンのそれは口笛であった。
なんとなく、そこに連帯の意志を感じて、あたしも口笛でそれに和したのであった。

それで今度の国際歌である。
こっちは数メーター後からその男性をフォローして、あたしは低く歌った。
残念なことに、ラストのフレーズに来る前に、男性は路地からさらに狭い、胡同に入って消えてしまった。
ちょっと残念だった。
革命、いまだ、半ばならず
の気分だ。

今だと信じられないが、あたしの「東京ニコン日記」の中にメーデーに参加した日本のおやじさんで、人民服を着て「反帝反スタ」の文字のヘルメットをかぶっている写真がある。
その中国も反帝国主義どころか、帝国主義者も顔負けの状態だ。

毛沢東は迷惑なことではあったろう。人民服はまた着てみたいが、どこに売っているのであろうか。

北京の裏町で人民服に人民棒の老人を見ると、あたしは文化大革命を思いだす。市井の思想の正しい人という風に見える。この思想の正しさとは何であろうか。

これは老人の懐古趣味というのではなく、1970年代に二十歳代であった青年の記憶がそのまま保存されているという意味なのである。

★ペン5 12mm

2013年11月 7日 (木)

787に乗る

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昨日の午後に北京に到着。
今度の北京行きには複雑な事情があった。ー最初はリスボンにゆくつもりでエアフランスの予約しようとした。理由はエアバスのA380にパリまで乗って、パリリスボンはエアバスのA319に乗るつもりだった。

つまり目的地より、そこへのお道具が目的なのである。
何か新しいカメラをてにして、そこで安心してしまって写真を撮影しないカメラ人類と似ている。

A380には一昨年の今頃乗って、その日がボジョレー解禁の日でまずいワインを飲まされた。今回乗れば二度目だ。
一方でまだ乗ったことのない飛行機のことを考えた。

例のバッテリーから火の出る飛行機にはまだ乗ったことがない。羽田から北京に飛ぶ21便がそれなので予約した。しかもリスボンにエコでゆくより北京にビジネスクラスでゆく方が安い。

あっという間に到着した。国内線感覚である。

787は乗り心地がいい。タービュランスでもカーボンが柔らかくしなるというより絶妙の乗り心地だ。室内が乾燥していない。このことはパーサーさんから聞いた。女性はそこらが敏感なのであろう。クリューに優しい787である。

知り合いが登場したばかりの青い航空会社の便に乗った。その顔本の写真ではキャビン内がアメリカの安いクラブの照明みたいなレインボーカラーで安っぽい。
モスクワ空港のラウンジの照明みたいなので、嫌だなあと思っていたら、赤い航空会社のは、普通の照明だった。

窓が大きくなったので座席のカクテルテーブルにペン5を置いて撮影した。ここにフルサイズカメラを置くと何か野暮ったいのである。というよりシャンペングラスを置くスペースが無くなる。ペン5で撮影を楽しんで、一人でほぼボトルを飲み尽くした。

2013年11月 6日 (水)

品川区大井町の光学通りに驚く

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3 北京二日目。

北京にいると、先週の東京滞在を思い出す。
多分10数年ぶりに大井町も光学通りを歩行してかなり吃驚した。
典型的下町で賑わっていた通りが。ひっそり深としている。

十数年前に、ニコンにニコンS3-Mを借りに行った。なにの仕事であるのか忘れたがそのモータードライブ付きのニコンで夕暮れの光学通りを撮影した。

買い物客でにぎわう通りとか、客待ち中の理髪店などを撮影したあたしの記憶は確かである。
どうも光学通りろ交わる小路が幅が広がっ広い通りになったのが原因らしい。
昔からの家もあるが、その両側をモダンなビル二挟まれては、街の風貌は変わってくる。

記憶にある、巨大な「榎」だけは、そのサイズは刈り込まれているが、この前の記憶徒同じだった、

品川区は最近、興味を持っている。特に区役所の裏手、東急の高架線のあたりがドラマしている。

モダンな新築ビルの脇にあるベンチで仕事した。品川も変わるな。

★ペン5  ズイコー12mm

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2013年11月 5日 (火)

十一月の北京行きのカメラをセレクト

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★お知らせ

本日から北京です。
通信規制により、現地からのアップが出来ませんので、ブログの更新は日本支局経由で行います。
その為、更新が遅れたりする場合もあります。ご理解のほど、よろしくお願いします。

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本日移動日。HND PEK

北京から戻ってまた2週で北京行き。
今回は前回よりちょっと長く滞在して。周辺の街を歩き、面をくって、おでんやで一杯やって,ついでに中庭で原稿書きをしてくるつもり。

芥川が東京は大川の側に生まれて、北京に言って気に入ってその状態を「北京酔い」と命名しているのはさすがだな。
それにあやかりたい。
それでまた今月も北京。

思えば、四半世紀前にリコーの仕事関係で行った最初の北京では。新華社であいさつしたり、万里の長城を見たり、紫禁城を見学したり、なんとかいう北京ダックの老舗に招待されたりで、ようするに普通の観光客と同じことをしていた。

これでは「北京の名所」は見たことにはなるであろうが、「北京を見た」ことにはならないと思う。

今回はOM-Dとペン5にレンズは2本だけ持参する。メモリは16GMのを先月に駒込のフジカメラで買ったのがある。持参するのは1枚だけ。

まだ3500ショットも撮れるのは、便利というより、何か怖いな。後宮三千人みたいなものだ。

新製品のOM-D M-1は発表会では触ってみたが、まだ使っていない。その速度が楽しみだけど、今使っている二機種も結構速い。

顔本の書き込みで、オリンパスの小川さんのお話によれば、先のドイツのメデイアで、OM-D M-1が最高にランクされたのに続いて、アメリカのメデイアでも最高にランクされたそうだ。

これは嬉しい。
あたしは以前からフルサイズは不用、その代わりの小型軽量がいいと言っている。
プロ写真家が画面サイズより携帯性に重点を置くようになった。それでマイクロ4.3はちゃんと仕事に使える。

滑稽なのは、フルサイズのデジタルカメラの品定めで「フルサイズでないと駄目」と言っている皆さんは、フィルムライカがフルサイズ時代にどれほどの写真も撮らなかった皆さんである。
その意味で「カメラ観念主義者」さんである。

その画像を携帯でやりとりして、フルサイズの画質云々を言っていても仕方がない。

2013年11月 4日 (月)

北京の朝の光

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北京の朝はその感じが欧州の朝の近い感じがするのが不思議であった。
それは北京の中心にいままでずっと宿泊していたので、そのことに気がつかなかっただけなのかも知れない。

北京の中心部のビル街の朝はマンハッタンと寸分変わるところはない。
あたしが隠れ住んでいる、北の町外れあたりはこれとはかなり状況が違う。それは低層階の建物が多いせい、というか事実上は明時代の平屋のフートンの街であるせいかも知れないが、朝の光が欧州と似ているのだ。

そういう思い込みが実は大事なのである。
欧州というよりも、これはユーラシア大陸の朝の光と言った方がいい。
モスクワ郊外の「黄金の輪」〔モスクワ周囲100キロ圏にあるロシア正教の教会群)を取材にいった時、やはりこういう平屋建ての窓に朝日があたって、その白壁に街路樹の影が落ちていた。

朝の街並みに朝日が射して、その白壁に木々の影が射す、というだけのシンプルさなのだけけど、それがなんとも心に染みこむのである。

★XZ-1

2013年11月 3日 (日)

天に昇る三輪車

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この間、北京の隠れ家から空港に向かう時、メトロの駅に向かう途中で撮影。

肩から斜めかげした、ペン5で撮影。背中にはデイパックにパワーブックとライカとレンズが入っている。こういう場合でも小型なペンは使い易い。ポケットから撮り出すのは逆に時間がかかる。

片手には軽いキャリアー(その重さはたった9キロ0)を転がしている。北京だとこういう「トラベルライト」なので楽である。

何時も見ている、自転車修理の路上店に、かなり使い込んだ、まるで明の末期の作と言っても通用しそうな、三輪車が壁にかてかけてある。

なぜ、たてかけてあるのかは分からない。

非常に面白かったのが、これが何かモダンアートの展示のように見えたことだ。

空飛ぶ三輪車なのである。ハノイでも北京でもそうだが、こういう基本的な移動手段がちゃんと使われているのがいい。

実際、こういう軽量な車両でないと裏通りは走ることが出来ない。タクシーのような小型車ですら、すれ違いには苦労するような場所が鼓楼大街なのだ。

スカイエクスプレスで北京空港に到着して、飛行機に搭乗して、離陸する時に思いいだした。

さっき見た三輪車と同様にテイクオフする飛行機もそれは三輪車なのである。

★ペン5 9-18mm

2013年11月 2日 (土)

拓磨35mmをぺん5につける

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月一でー開催のアローカメラのシドニートークに行ったら、二代目から「これ、お客さんから預かってます」と紙袋を渡された。しっかりシールが貼ってあるので、隙間から中を見ることは出来ない。

あたしは例の福袋ってのは買ったことがないが、こういう気持ちなのであろうと、ワクワクした。
家で開けて見たら、新品の琢磨ー35mmf2レンズと、お手紙が入っていた。数十年前のレンズだから新品はないのであるが、程度が新品なのである。

以前、期限キレの数十本のクロアチア製のフィルムと瑞光55mmf1.2とを物々交換した、カメラ人類の某氏である。
手紙の内容は画像の通りであるが、ありがたいことだ。
愛用のペン5に装着してみるとなかなかバランスがいい。いや、実際にはかなり大きなレンズであるからアンバランスなのであるが、デジタルムービー用のプライムレンズ、あれは一本が一万ドルもするが、いずれも不必要にレンズが大きかったりする。

これを流行のレンズサイズであるとするのなら、昔の一眼レフ用の広角レンズは十分にトレンデイということになる。

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ペン5 タクマー35mm f2

2013年11月 1日 (金)

大阪芸大職員展

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この前、大阪芸大に出講した時は、実に多忙であって朝から夜まで学生諸君の仕事を拝見して興奮した。

最初はギャラリーでの「職員展」を見るのを楽しみにしていたのであるが、夜になって帰りの学バスに乗ってから「あ!いけね!職員展見るの忘れた」と思いだしたのである。

同時に新しく作ってもらった名刺も教務から受け取るのを忘れた。それでリクエストしたら、職員展の様子を撮影した画像と名刺を送ってくれた。

思うに、これは他の用事を思い出す余裕もないほどに、卒展の作品にあたしが熱中していたことになる。

この「職員展」という言い方が、あたしはなかなか気に入っている。職員の展覧会だからそれで良いわけだ。アマチュアさんの展覧会だとここぞとばかり、エキセントリックな展覧会の名称にしてしまうものだ。これはそのまんまであるのがいい。

プリントサイズは11x14だ。いつもこのサイズでプリントしている。

市場に流通している、あたしのオリジナルプリントもこのサイズがスタンダードである。

 

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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