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2013年10月31日 (木)

レニングラードで荷風の旧跡を撮影

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写真家は永井荷風に惚れる。

ただし、花柳界小説ではなく、彼の「見せる為の日記」であった「断腸亭日乗」に惚れるのである。これは最初から第三者に見せることを、予知していたと思われる。

ようするに今の時代のブログとか、フェースブックのようなものだ。断腸亭はある意味、先見の明があった。

荷風の日記はきわめて写真的である。そこがいい。東松照明の仕事に「東松照明日録」(カメラ毎日でたしか32頁の大特集)があったが、なにか類似性がある。

あたしも「日乗」ファンなので、枕元においてこれをランダムに読んだ。三十代のことである。

例えば、淺草のアリゾナは荷風の生活のキーになってくるところだが、当時は閉店状態だった。それがしばらくして縁故の人によって再度開店した。

嬉しいので、ウイーンの音大の教授などを連れて、うんちくを述べた。今は知らないが当時のアリゾナな赤玉ポートワインしか置いてなかった。

それでお店に断って、千円の持ち込み料でちょっと飲めるワインを持参した。三ノ輪の道楽息子に連れられて、尾花に行った時には道楽息子はシャブリの飲めるのを道込んだ。これは持ち込み料は取られなかったようだ。

荷風が晩年になって通った市川の大黒屋のカツ丼とお酒一合は有名だ。ここも木造建築時代に行った。

くだんのカツ丼が甘いので退散した。荷風先生は甘党であって、コーヒーなども砂糖を沢山入れたそうである。

この甘い文学が、荷風の通俗小説のパワーで、文化勲章に漕ぎ付けたのだと思うとなにか微笑ましい。

かの大黒屋は十年以上前に立派な店になった。あれ以来、カツ丼は食べないけど、ウインドウに「荷風セット」というのがある。この発想が恐ろしい。

そのサンプルを見にゆくのが楽しみになっているあたしもかなり恐ろしい。

持参したのがレニングラードなのである。これはミスマッチで良いと思う。

★レニングラード スーパーアングロン21mm

 

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2013年10月30日 (水)

ペン5に12mmで雨の立石

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来週からまた北京に行く。
七年ぶりかで北京を見て気に入ったので、また行くわけだ。
今度はちょっと長く居て、街をみたり、面を食べたり、写真を撮ったり、原稿書いたりしようと思う。

最初に中国を見てからすでに三十年が経過している。

北京から戻って、ペン5はライカインコの籠のさがっていた、鉄製のハンガーにかけてある。ここにはすぐに使うカメラをぶらさげておく。今はライカM3とペン5と、それからOM-Dがぶらさがっている。

先週の北京はずっと快晴であった。
今週の東京は雨で、雨のシーンが撮りたくなって、ペン5を手にした。

ただし北京で使った9-18ミリはやめて、最初は17MMF1,8を付けたが。出る直前にレンズは12MMにF2に交換した。

街歩きの時、外国なら何があるか分からないから、ズームは便利だけど、東京で撮影するのなら、最初から自分の視点を固定しておいた方がいい。
それで12MM、

山の手線を一周半して、上野で降りる。なにかルーレットめいている。
上野から京成電車で立石。

本当はそこから堀切に向かう予定が方向をロストして、なぜか中川のほとりに出てしまった。中川は橋の数が少ないので、方向を北に戻す。

町工場のファサードのグレーの地の左側に、植物が茂りかけているのが気になる。
植物はそのまま撮影する興味はない。

よく、偽ライカ愛好会の撮影会で歩行していると、街並みを撮影していた部員がいきなり路傍に駆け寄って、そこの野の花をマクロモードで撮影するのが、理解できない。
都市風景に付属の植物ならいいけど、ネイチャーフォトの植物ではつまらない。

すでに11月というのに、朝顔が咲いていてその色彩が雨でなかなか良い。
それを撮影した。

雨が激しくなった、平和橋通りを北上。
途中で傘を買った。

★ペン5  12MM

2013年10月29日 (火)

北京空港に日航機が到着

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オリンピックのために作られた、新北京空港には驚いた。 広大だが、システマチックに出来ている。

到着時もながれに沿って歩いてゆくと、連絡用のピープルズムーバーがあって、イミグレがあって、カスタムを抜けるとタクシーの乗り場である。

まず、ドバイ空港と並ぶ便利さだ。 ラウンジはドバイほどの大きさはないが、あまり大きいラウンジは歩いているうちに疲労するからこのていどが良い。

この前きた時は、昔の空港だったから別の国にきた感じがする。 コントロールタワーの脇に、あたしが帰国する日航機がとまっている。 日本が最盛期の時にはでっかい飛行機が国威発揚みたいな感覚があって、誰もそれを疑わなかった。

ナショナリストさんは、ああ飛行機が小さくて情けないと思うかもしれないが、これは欧州サイズの飛行機、つまりフランクフルトからパリなどは, このサイズのマシンが普通である。 あたしはアライアンスの関係でエアバスばかりなので、今回の北京はまだ乗ったことのない、B737-800に初搭乗した。 なかなかの加速と空中感覚だった。

✳ペン5  9-18mm

2013年10月28日 (月)

ライカM3にはなぜゴムバンドがつけてあるのか?

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北京ではペン5で撮影する日とライカで撮影する日を決めていた。
一日ごとに、ペンとライカを持ち変えるのである。

今の時代に、仕事でフィルムカメラを使う人は皆無であろうが、自分の作品にはデジカメ大いに結構であるが、フィルムカメラもかなり使える。

その理由は、フィルムライカの場合、結果がすぐにわからないことだ。
何という時代の変化であろう!

もともとポラロイドは、すぐに写真を確認できる夢のカメラであったし、その先をいったのがデジタルカメラであった筈であった。

ところが今の若い世代はデジカメはすぐに結果がわかってしまうから、それがつまらないという。言い換えればデジタルはすぐにハズレのわかるスクラッチくじであって、フィルムライカの場合は、夢を未来に設定できるジャンボ宝くじというわけだ。

ライカM3がジャンボ宝くじとは変な比喩であるが、この皮ケースに巻いてあるゴムバンドは何か?
あたしはかなり以前から髪の毛をまとめているが、そのゴムバンドのスペアなのである。
以前、上野からカントリーに行った時、駅に着くまでのタクシーから降りたら、髪の毛のバンドがなくなって「ざんばら髪」 いなっていた。上野の駅構内でゴムバンドを探したが、ああいう品物はどこにでもあるようでいて、探すと売っていない品物の代表なのである。

それでこの皮ケースの底部の三脚ネジが紛失しているのを幸いに、こうして一石二鳥でスペアのゴムバンドを持ち暑いている。

2013年10月27日 (日)

天安門

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今回の北京で、行かないことにしていたのが、天安門であった。
メデイアで紹介されすぎて、もう飽き飽きという感じなのである。
しかし旅館のある、鼓楼大街から南に歩行を開始すると、景山公園があり、その南がお堀でそこが故旧の北側である。

どうしても天安門に到着してしまう。

最近では広場は閉鎖されて人間の待ち入りを許さない。
毛沢東の肖像のあるポイントは国内の団体さんで大混乱である。
広場に立ち入るのにも、セキリテイチエックがある。

最初に天安門広場に来たのは四半世紀前だった。広場で記念写真を撮る商売があって、皆さん、リコーのフィルムの一眼レフを持っていた。当時のリコーのカメラのシエアは凄かったようである。
それでプロ用カメラはニコンであった。

そのリコーとニコンがスポンサーになって、中郷の報道写真家のコンテストを開催した。その審査委員長があたしであった。

新華社の大広間で授賞式のステートメントを読み上げるので、日本語のあいさつをつくった。英語と中国語で訳して通沢さんが伝えるので、文字にして400字ほどしか書けない。
スピーチの時間は数分であるからだ。
こういうステートメントはそれゆえ、何か言っているようでその実、何も言っていないのと同じことである。
それに気がついたのは発見であった。

★XZ-1

2013年10月26日 (土)

メルセデスと三輪車

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旅館のある、瑠璃小路界隈に一週間居たがこのショットが一番、今の北京を現していると思う。
日本人に負けず、中国人もブランド志向である。
カメラはライカというのは過去の話で、街中の中国人ツーリストの好むンブランドはキヤノンよりもニコンである。尼康と書いたっけ。リコーは理光だからまだ納得がゆくが、尼さんというのはなにか不思議な気がする。

メルセデスの高級車は最近は例のおベンツマークがでっかくなって、品がないと思う。

時計もそうだ。ジュネーブサロンで見た超高級時計は、中国向けのデザイン、ロシア向けのデザインがあって面白かった。そういう裕福層に合わせたへんてこなデザインがあるのが、これは時計メーカーも商売なのだから仕方ない。

路地にこういう高い車を停めるのは迷惑である。あたしの少年時代に音羽の家に、母親の小学校の教え子で、小さい成功を収めた小沢さんと言うひとが遊びにきた。ぴかぴかのムスタングに乗ってきたので、隣近所で有名になったことがある。実に未来の車のデザインであった。 当時の音羽通りは都電ばかりか、馬車とか牛車が通行している時代だった。

こういう黒い大型車で路地にはいってくるのは、なにかフルサイズのでっかい黒い一眼レフでなんでもかでもRAWで撮影している人みたいに感じる。

脇をゆく三輪車のおっさんの方が生活人であることが分かる。

★Pen5  9-18


2013年10月25日 (金)

偉大な文化大革命万歳!

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文化大革命の当時、あたしの聞いていたのは、日産パックインミュージックではなく、北京放送だった。

インターナショナルにはじまって、ラジオの用語が面白かった。

「ソ連修正主義裏切り者集団」とか「日本帝国主義」とかいうのである。

紅衛兵運動の関係で、毛沢東語録もよく紹介された。「アメリカ帝国主義は張り子の虎である」というのはなかなかのキャッチコピーだと今でも感心している、

八年前の夏だったか、河北省の鶏鳴駅という農村に行った。もの凄い暑さだった。農民が土壁の影にずらりと並んでしゃがんでいた。ここはまだ昔の土塁が残っているのである。

地元の人が暑さをさけているのだ。その土壁に「偉大的文化大革命万歳! 毛主席万歳!」の巨大スローガンが描かれていた。まだそれほどに退色していないので、実にリアルで、まるで映画のセットのようであった。

清朝のやんごとなき方が事情で農家の家に宿泊したというその部屋を見学した。普通の農家で、オンドルのある狭い寝室だった。

その農家で水をわけてもらった。金だらいになみなみとたたえられた地元の水は甘露だった。

当時は閉鎖された中国であったので、トラックに乗った紅衛兵の隠し撮りが、日本の新聞に掲載されて、話題になったのである。

当時の紅衛兵連中はあたしと同年代である。

地下鉄に持っているほとんどの乗客は文化大革命を知らない世代だ。

★ペン5    8-18mm

2013年10月24日 (木)

山西面館

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宿泊している旅館の周辺に、一週間も居れば「土地勘」がわいてくる。
周囲、数百メーターで用が足りる。
ここらはマンハッタンのビレッジと同じだ。ネーバーフッズバーみたいなものだ。ここは良く通った面屋である。
刀削面も出す。味はシンプルで、化学調味料の味がしないのは奥ゆかしい。
世界じゅうのチャイナレストランでは化学調味料の同じ味がする。
味の素の10キロ入りの米袋みたいのを市場で見たこともある。

これはハノイの話だが、毎日、午前11時にベトナム中に「あじのもと」の広告ソングが流れるのを聞いて、すごいなと思ったのは10年前のことだ。

この面館も狭い。中国ではどこでもそうだが、こういう小規模な店にはトイレがない。
もともと住居にトイレがなかったので、町内にはかならず公衆トイレがある。あたしのような大周遊者には、これはありがたい。
欧州だと、トイレは駅か、あるいはカフェに入るしかないからだ。

日本人は漢字が理解できるので、メニューを見てそれが何であるかは大体判断できる。漢字が読めない外国人旅行者は大変であろうと思う。
そういうバックパッカーの停まる旅店の向かいには、大抵、英語のメニューの看板が出ている。
そういう店には入りたくない。以前、コストの関係で香港で写真集を印刷したことがあった。
食事の時に編集者が「田中さん、ここは日本語のメニューがありますから、ここにはいりましょう」というので閉口したことがあった。日本のお客さんを相手の店は高い、まずいのは間違いなしだ。

こういう「いぶせき食いもの屋」は、サービスなど無いに等しいのがいい。天井から誰か降りてきたと思ったら、休憩中の店員さんなのである。

四十年前、ヨドバシカメラの操業時代、間口3間ほどの小さな店で、品物を注文すると、天井に開けた穴から下に投げ下ろしたのを思いだした。

夕刻、こういう店で食事して、旅館にもどってくる時刻には、もう何も見えない、北京の真の闇である。
それがまたいい。

★ペン5    9-18mm

2013年10月23日 (水)

お知らせします! チョートクカメラ塾 メルマガ 第二時限 本日配信

チョートクカメラ塾 メルマガ 第二時限
本日日本時間午後三時世界一斉配信です。

二時限のカメラ塾の内容は

「北京でライカM3で本気出す」

ペン5とXZ1の他にフィルムカメラのM3で北京をスナップしたノウハウです。

QAコーナーでは塾生さんの質問にも即答。

詳しくは左のバナーをクリック。

東城区瑠璃寺胡同十四番地

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北京空港からタクシーに乗ったら、ドライバーは東城区瑠璃寺胡同の位置がわからなかった。旅館に電話して場所を確認した。瑠璃寺という名前がいい。その一本北の並行な路地が浄土胡同っていうのもいい。
鼓楼大街の大通りから南に路地に入ると、老北京である。車はそのままではすれ違うことが出来ない。

五星紅旗が旅館の目印だ。

主要な交通機関はここでは三輪車とバイクと自転車と、それからあたしのような、フスゲンガー(歩行者)である。
ここは南北、東西の矩形に囲まれた巨大な地域の真ん中にある。地下鉄二号線の鼓楼大街でも、安定門でも二十分はかかる。あたしには何でもないが、旅館としては不便であろう。

通りには樹々が茂っていて、一日中歩行して旅館まで戻ってくるとほっとする。
明治時代の一高生が、本郷の下宿まで徒歩で戻ってきた時の気持ちはこうであったろうかと、追体験して見る。

✳ペン5 ズイコー9ー18ミリ

2013年10月22日 (火)

ペン5で撮影しつつピーマンを買いにゆく

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北京の秋が深くなってきた。
北京の秋の季節なのだから当然である。

ペン5を斜めがけにして、北京の秋の街をどこまでも歩いている。ライカも持ってきているのであるが、ライカに比較してペン5は非常に速く撮れる。

何かを感じた瞬間に指が動いている。デジタル一眼レフは、中国の観光客さんにも人気であって、皆さん、黒いでっかいニコンやキヤノンをぶら下げて自慢顔であるが、あたしのように一日中撮影している人間には、マイクロ43の小型軽量がありがたい。

今回は9-18ミリの広角ズームを多用している。路地は狭いので全景を9ミリで撮影して、そこの人物は18ミリで撮影する。超広角側はフルサイズ相当の18ミリであるから、昔、コンタレックスで使った、デイスタゴン18ミリの撮影感覚を思い出す。

ライカの撮影では21ミリと35ミリの両方のレンズを付けた、二台のライカを持参したものであったが、それがズーム一本で撮影できるのは便利だ。

カメラが小型軽量なので、市場で買い物をしても荷物にならない。

露天市場で、ピーマンを買った。
最も有名なピーマンはエドワードウエストンの、ピーマンである。これは唐辛子に近い格好をしている。
ペン5とくらべるとその大きさが分かる。

✳ペン5 ズイコー9ー18ミリ

2013年10月21日 (月)

北京の前門街に久しぶりに行って驚いたこと

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今回の北京は天安門広場には行かないつもりである。しかし天安門広場から南の前門大街には行った。
ここは北京で最も人間と車が混雑していた街だ。まるでカオスのようになっているのが好きな街なのである。八年ぶりでびっくりしたのは、前門から南に抜ける街並みが一変していたことであった。テーマパークめいた街並みになってしまった。
車は一切シャットアウトされ、新たに古い市電のレールが引かれている。

電車は走っていないからそこは歩行者天国になっている。北京の名物のスモッグか霞かは知らないな全体がグレーに霞んでいる。

車と人間がまぜこぜになっているのが北京の普通の風景なので、人間だけが路面に展開していると何か現代彫刻のように見えるのが面白い。

北京の撮影では撮影時の混乱を防ぐためにペン5とライカとを曜日によって使い分けている。この日はライカの日で、デジカメを持っていないのでポケットのiPhoneで撮影した。

撮影した時には、多分モノクローム的になっているだろうと思ったのだが、実際に見るとそれ以上にモノトーンになっているのが面白い。

歩行者がブロンズ像のように見えている。
ルネマグリットの絵のようにも見える。

2013年10月20日 (日)

北京でiPhoneを探す

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北京。

四合院のオンドルのある高いベッドの部屋に起居して、ガラス屋根のある中庭で原稿書いて、そのまま下町にペン5持って撮影にゆくのは、まず理想の北京生活だ。

写真集ライカにマイライフのあとがきを書いている。十一月末に見本。十二月早々には発行。
田中長徳のチョートクカメラ塾も巡航速度になった。

夕方は近所のおでんやにもゆくが、あとは市場で食材を買ってくる。 コンビニは一切ないのが快適だ。最も金を落とさないけしからん外人ツーリストがあたしだな。

あたしのiPadとiPhoneはブラックなので、目立たない。
最初にiPhoneはブラックだったので、暗い場所では見つけにくい。
iPadはホワイトにしようと思ってオンラインでミスタッチして、またもブラックが来てしまった。
ブラックライカはかっこいいが、アップルの黒いデバイスはそうでもない。

東京でもそうだけど、出かける時にiPhoneが行方不明で、iPhoneを探すのお世話になっている。今回もブザーを鳴らして場所を確認したが、ちゃんとテーブル上でチャージ状態になっていた。
部屋が暗いのと、本体が黒いのでまず発見できない。
すべてのでデバイスはここにある。

このマップは地名が見やすいので、以来、わざとiPhoneを探すを利用して、この地図を利用している。

思えば、アップルの故郷はカリフォルニアではなく、中国であった。
王井府のアップルは通りを北上した金魚胡同との交差点の北東角にある。その位置関係がマンハッタンの五番街とセントラルパークの角にあるアップルと同じなのを面白く思った。

2013年10月19日 (土)

空飛ぶシャンリンシャ

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北京オリンピックの二年前に北京に行ったのが最後だから久しぶりである。中国に最初に行ったのが1981だから三十年以上行ってるわけだが、今回は時間がかなり空いた。

あたしが見たいのは北京飯店界隈、王井府の西方ブランドの大看板ではなく、周辺部の普通の街である。数年前には中心部のホテルに泊まってそこから故宮の更に北側の鼓楼周辺に歩いていって、胡同の路地で道に迷って、そこからまたホテルに歩いて戻って来て、そういうことが得意になっていたが、考えてみれば最初にそういう街区に住めばより便利であることに今更に気がついた。

三十年前の一人っ子政策で、子供を大事にして、こういうミニ三輪車に小学生を大事に乗せて通学していたのを、撮影したのも懐かしい。

そういう小学生が今は四十近くなったわけだ。

この三輪車にあたしが惹かれるのは、その大きさが車両ではなく、どうしても模型を拡大した実体に見えるからだ。
メッサーシュミットの二人乗りの葉巻型の三輪車にも共通しているが、軽飛行機から翼を省略した感じで、そのまま空に浮遊しそうなのである。

✳XZ-1

2013年10月18日 (金)

北京。快晴。気温八度。

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北京の秋という、フレーズがいきなり頭に浮かんで、北京にゆこうと思った。
それが先週のことで、水曜の朝には胡同の古い旅館で朝ビールを飲んでいる。

ここは紫禁城の北側の胡同を改造した旅館で、ちょっと京都の俵屋と言っては失礼であるが、建物はもっと古い。小規模な四合院だ。

四合院は中庭は露天であるが、ここはガラス屋根が施設されているので、何かウイーンの高級ホテルのウインターガーデンにいるようだ。

万国旗がはためいているのは、興ざめで、京島三丁目商店街みたいだが、もともとこの地域は墨田区京島みたいなあたしの好きな街区だから問題なし。

夕べは近所のおでんやでいっぱいやった。
日本は十数年前に女子十二楽坊だかで中国と仲が良かったが、最近は、冷え切った中国関係を報道が演出している。
下町はあいかわらずで、町歩きには絶好だ。

例によって数年前のパリの学生運動の時みたいにニフテイのブログがアクセスできないので、突撃隊長に転送して、アップしてもらっているわけだ。

今回は天安門広場にはゆかない。

2013年10月17日 (木)

ブルーウオールとレッドモーター

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駒込は昔はカメラのはやしに行くのが定番であった。

最近は駒込はフジカメラでメモリを買うのが定番である。メモリはここでしか買わない。鮮度が違う、とは嘘であるが、決まった見せて買うと、カメラ生活の段取りがはっきりする。

どうでも良いこだわりであるが、こだわりというのは、そういうものであろう。

駒込から西ヶ原に向けて歩行していると、いきなり路地の先がデッドエンドになって、そこに幕があって、これから前衛劇が開始されるような気分のコーナーがあったりする。

さらにそこから角を100個ほど曲がった先に、レッドモーターという鄙びた看板があったりする。

そういう街歩きが非常に愉快である。

目下、北京に居てそういう東京と共通項の迷路を歩行しているのだが、これは予定原稿なので、どうなっていることやら。

★XZ-10

2013年10月16日 (水)

ライカM3にフィルムいれて近所撮り

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★北京滞在二日目

古いライカM3にフィルムを入れて東京の住まいの近所を撮影した。

デジタルライカはフルサイズ自慢であるが、M3は1954の登場でしかも当時からフルサイズを採用している。これは凄い。

しかも「ケミカルメモリー」であるから、電源が要らない。世界的に有名なフクシマは電源が無くなったことで大惨事になった。カメラでも現代のカメラは電源がないとどうしようもない。

フィルムカメラで機械式のものは電源と無関係だから、こういう場合には強いと思う。

デジカメも初期のアップルクイックショットの頃はいったん電源をオンにすると20分くらいしか持たなかった。現代のデジカメはそれが電気で動いていることを忘れるほどにバッテリーはながく持つけど、無人島に3価月というような状況(そういうことは想像しにくけど)だとアウトであろう。

ご近所をフィルムで撮影して。それを55ステーションに出して、コーヒーのんでいる間に仕上がっている。

その画像をモノクロに変換したのがこれだ。最近、暗室で作業するようになって、モノクロの作業手順の記憶も戻ってきた。

あたしはどうしても、森山流なのでハイコントラストにしてしまいがちであるが、なるべ我慢して、普通のファインプリントのトーンに近いような調子にした。

でもまだやはりコントラスト高いかな。

2013年10月15日 (火)

北京行きのオリンパス機材

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★本日移動日 東京 北京

欧州とかアメリカではないのだから、移動は国内旅行感覚だ。
北京オリンピックの前か、その前の年に北京に行き、オリンピックが終わってからまた来るつもりが、北京オリンピックが終わってからすでに6年が経過したいる。

持参するオリンパスはミラーレスが2台に、コンデジ1台。
ミラーレスの方は両方を使うわけではない。一台はバックアップ用だ。
ペン5がメーンでコンデジがサブということだ。

他にiPhoneとアイパッドにもカメラが付いているから、デジカメは5台、
他にフィルムライカも持つ。

交換レンズの内訳は、ズームが3本にプライムが2本となる。ここらも80年代のフィルムクルーの機材と同じ組み合わせ。

OM-Dの新型が独逸のカメラ雑誌で最高点にマークされたそうだ。
当然の結果だと思う。ドイツ人がオリンパスを評価するのはステータスが高い。
極東でライカを高く評価するのとは、その背景が異なる。

プロ用機材のアウトフィットが小さいバッグに収まる。
フルサイズのデジタル一眼レフなら、大荷物だな。

2013年10月14日 (月)

車内でお化粧

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こういう状態になったのは何時のことなのか、思い出すことも不可能だ。
もう20年ほど前からはこういう習慣が一般化したような記憶がある。

あたしはパリやベルリンやプラハなどでよくメトロを使うけど、極東のこの国に来て一番不思議なのは、乗客は寝ているか、スマートフォンと格闘しているか、お化粧しているかの三パターンであることだ。

寝るのも、スマートフォンも結構であるが、お化粧はどうもあまりにもプライベートな事象なので、真向かいに来るとどうもね。
という感じである。

保健体育の時間で車内でのお化粧方法を教えているのであろうか。

農協の団体のおっさんが、海外でズボンを下ろして、腹巻きから札束を取り出したのは大昔ひんしゅくを買ったけど、あれは支払いに応じてやっている行為であるから、まだ純粋なところがある。
車内でお化粧している人に、その理由を聞いてみたい。

まあ、不幸にしてこういう光景に出くわしたら、速やかに席の移動をするに限る。
あたしはそうしました。

★画像と本文は関係ありません。

2013年10月13日 (日)

ライカとカラシニコフ

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撮影のプロジエクトを開始するとき、フィルム時代にはちゃんち全体が見えていた。

つまり、最初にフォーマットを決めてフィルムの撮影本数を決定する。
そうすると、全体の撮影空間見えてくるから、仕事がしやすくなる。
別に沢山フィルムを使えば良い仕事になるというわけでもない。

一昨年のマンハッタンの撮影では、撮影した本数はトライXでたった11本のみであった。それでタイトルを「マンハッタンイレブン」と名付けた。

今回は27本のフィルムを用意した。これはあたしのパトロンが買ってくれたのである。フジフィルムなどは何十年もパトロンになってくれた。
80年代の東京を8x10で撮影した大プロジエクトで、ほぼ自分の背の高さほどの量のフィルムを撮影した。
会社のサポートは有り難いが、こういう個人のサポートはもっと貴重である。
それで今回の北京は「北京 27:と命名した。

ライカで撮影できるカットは36枚である。
カラシニコフのマガジンは30ラウンドショットである。

デジカメよりフィルムカメラの方が、銃器に近いのは面白い。
どちらも、命がけであるからだ。

✳XZ-10

2013年10月12日 (土)

車内ではみんな耳からひもが下がってますが、、、

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最初に携帯で話している人間を背後から見た時の印象は今でも忘れない。

それ以前、人類の会話の歴史で、一人で歩行しながら話している人間はもっぱら「電波が出ているひと」という認識があった。これは無線が発見されるギリシャローマ時代からそうであった。

その有史以来の人類の歴史の会話パターンがぶち壊されて新時代に入ったのである。あの時のショックは大きかった。

最近では慣れてきたが、やはりヘッドセットで電話している人だと、ハンドフリーだからあたしには「電波人類」に思えてしまう。

東京圏大周遊で武蔵野線がすいている時など、あたしは向かいに座っている、旅行者の何人の耳から紐がさがっているかを観察する。
これは現象学としてして面白い。

全員の耳から紐が出ていると、これは企画中の案件がうまく行く予兆だな。

ラッキー!

このショットは夕刻の京浜東北の北行き電車である。かなりの数の若い人の耳から紐がさがっている。

面白く思ったのは、青年のバッグのデザインがカセットテープであることだ。あたしの世代だとクラシックな音響製品の意匠は、ビクターの蝋管レコードになるのだが、若い連中にすれば、カセットテープはすでに充分に前世紀のクラシックである。

ウオークマンの出る以前には、巨大なラジカセが粋な存在であった。あたしも愛知県トヨタのスタジオで大音量で吉田拓郎かなにか聞いている時に、ラジオニュースで三島由紀夫事件の第一報が入った。
11月だった。家人はその時間に日比谷公会堂でマーラーの第四番のソリストで歌っていた。こういう瞬間は忘れない。

マンハッタンなどでは、黒人のかっこい青年が、自分の身体の三分の一はありそうな、ラジカセを肩に載せて、42丁目を闊歩していた。
あの大音響は2ブロック離れてちゃんと聞こえたものである。

こないだ、千葉で乗務中に、シルバーシートに座っていたおばあちゃんが、乗ってきた青年に声をかけた。
「あんた、荷物多いんだからここに座りなよ」

青年は返事をしない。
おばあちゃんは、もう一度、声をかけて青年を見て言った。
「あ、耳が聞こえないのか、、、」
青年の耳から紐が下がっている。

2013年10月11日 (金)

フィルムライカでご近所を撮影する

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この半年以上、オフのカメラ屋に行っていない。実際に店舗のあるお店に行っていないという意味だ。唯一の例外は月一で行く、我楽多屋くらいである。
中古カメラ市も行かない。
この間、偽ライカ愛好会の国谷会長と銀座で密談したのである。
カメラの話で盛り上がって、オキュパイドものの仕上げは素晴らしい。本気だしているというような話題で沸騰した。

その勢いで銀座の檸檬教会で、ライカD2のニューヨークライツの元箱入りを手にいれた。翌日は試写である。
今の時代は55ステーションで半時間で結果が見られる。
なかなかの仕上がりなので、ライカは1930年代以降のものは要らないと確信したのである。

フィルムカメラは古い方がいい。デジカメは新しいほうがいい、という論理だな。

レンズは戦前のフェド28mmレンズである。戦前ペアである。

中央大橋の上から普通の東京の朝を撮影したら、なにか泰西名画のように写っていた。これは何かなと考えた。答えはまだ出ていない。

四半世紀前に、隅田川をボートをチャーターして撮影中に、竣工したばかりのリバーポイントタワーが見えた。秋の朝であったから光線状態もほぼこれに近い。これはいいな、と思った。
その縁があって、佃界隈に住んで四半世紀になろうとしている。

2013年10月10日 (木)

赤羽 鏡の街

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赤羽が好きだ。
三十数年前にウイーンに棲んでいて、その七年半の滞在時間が終わりになった当時、ドナウ運河のほとりのアパートメントで家人と「ここは赤羽ではない」というジョークが流行した。それは一言ではなかなか言い尽くせないのだけどようするに、欧州の大帝国でその都市改革が数百年来、ちゃんと整備されてきた、ウイーンなどから見ると、たかだか最近になって近代化した東京などは、ほとんど近代以前に思えたからである。

ただし付け加える必要はあるには、その近代以前の東京を駄目だと言っているのではなく、それに憧れている自分があった。

伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」であったか。欧州と日本の陋巷を比較するシーンがあって、伊丹監督は日本の都市風景を近代以前で見苦しいと批判しているのだけど、あたしの視点は逆であって、その前近代に憧れていた。
その代表格というのが、赤羽であった。

最近、赤羽に行くのは。業者向けのショップに豚の舌を買いに行くである。超有名シエフのビストロがあったり、こういうミラーのビルがあったりして、もう赤羽はキャラバンサライのようではなく、世界のどこにでもあるような、近代の街並みになってしまった。

★カメラはペン5 12-50mm

2013年10月 9日 (水)

荒川三丁目 セットとカット

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三河島から荒川三丁目に行く。

この界隈はあたしの世代にあっては、三河島事故というキーワードで記憶に残っている。今、調べたら大正時代に三河島事件というのがあって、これは大相撲の一種のストライキであった。三河島の工場に力士がたてこもったのである。

三河島事故は鉄道の大惨事であったので、三河島町という町名そのものが存在しなくなった。

三河島駅から荒川三丁目商店街を歩行して、なぜここを三河島商店街と呼ばないのであろうか、と長年気になっていたのにはそのような事情があったのだ。

その商店街で食事したり、買い食いをしたりするのが好きである。飲み物は最初からちゃんと用意してある。

商店街の中程にこのような看板建築がある。ほかの活動中の商店に比べて、その存在感がより個性的なので好きな建物だ。

以前はそれが何の業種であるのかはすでに失念しているのであるが、店頭に店主の張り紙があって、そこには家が泥棒にあって、いくばくかの被害があって、その取られたお金を返してください、という意味のものであった、

その内容はかなり個性的なので今でも記憶しているのである。

この建物は看板建築を教科書に書いたような様式だ。要するに木造の平屋建築の上にこのような「はりぼて」の看板を乗っけるとその存在感が豪華になるというセオリーである。

こういう店舗をこれは、映画のセットですよ、と言ったのは片岡義男さんだが、このお店の反対側にあるのが、このクラシックな美容室の定価表である。
そのデザインがなかなかいい。つまりこの界隈は「セットとカット」ということになる。

★ペン5

2013年10月 8日 (火)

目立たず静かなXZ-1 でも、、ちょっと遅い、、、

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まず、上の画像。これはXZ-1の欧州での発表の時のプレス画像である。実に華々しい。新車の新製品のアンヴェールだと、ものが大きいのでこういう混雑はおきない。

デジカメは小さいので、なにか高度成長期の新宿駅の朝のラッシュみたいなことになる。その属性は貴金属に近いのだ。

あたしは二年半前の3;11にマンハッタンに居た。不安な気持ちで深夜は日本の災害の様子を見て、昼間はマンハッタンを撮影した。その時に、この小型軽量なカメラがどれだけあたしをサポートしてくれたか分からない。

メーンのライカM3は首から下げて、もう一台のこのカメラはポケットに入れた。ライカを持ってない時は、このカメラを首から下げて、ただしレンズ胸の方にくるようにした。
マンハッタンの春は雨が激しい。それでレンズを保護したのである。

あれ以来、XZ-1を持参したのは、まず東京、そしてプラハ、パリ、ベルリン、リスボン、ハノイというところだ。撮影の時にはカメラには注意をはらっているのだが、移動中にトートバッグの中でライカと衝突したりする。

それでこれだけ傷がついてしまった。

業界では3年前のデジカメというのは、ほとんど相手にしないものである。
しかし、この3年弱、このカメラを使い続けて、不都合はない。
唯一の問題は、起動した時の時間が最新モデルに比較して、ちょっと時間がかかるかなという程度である。

最近、あたしの周囲で「クラシックデジカメ」という言葉を耳にする。最新型に買い換えないと、夜も眠れないというのは、メーカーの良いお客さんではあろうが、写真の表現に目覚めている「選ばれたカメラ人類」は型落ちのデジカメを使っている。

「写真論」のスーザン・ゾンタクは「写真家はシンプルな機材で仕事をする」と言ってるが、彼女の時代にはデジカメは存在しなかった。
さしずめ、こういうカメラを言うのであろうか。

2013年10月 7日 (月)

十条の「桂離宮」

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東京でも、京都でも、それに大阪でも奈良でもそうだが、、こういうすがれた木の屏に惹かれることがある。

ようするに、木の表面が風雨にさらされて、その木目がなにか抽象的な文様を現してくるのだ。それがなかなか奥ゆかしいので、これは一体なにであろうかと考えた。

思うに、これは桂離宮のデテイルを思いだしているらしいのだ。

しかしあたしはくだんの桂離宮には行ったことがない。だから写真かなにかの

映像を見ての、代理体験であることは分かる、考えを巡らして、それが石元泰博さんの写真集「桂」にあったことに気がつくのには、そんなに時間がかからなかった。

この十条の屏の魅力は、そのデテイルが優秀であるだけではなく、傾いている点にもある。それもかなりの傾斜角度である。ピサの斜塔ならぬ、十条の斜屏というわけだ。

★カメラはペン5 12mm

2013年10月 6日 (日)

「チョートクカメラ塾」の第ゼロ時限に登場のペン5

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新大人の学び場 というNiftyのメルマガであたしの「チョートクカメラ塾」が始まる。今度の水曜に開講だ。豪華執筆陣の中にまぜていただいて、まことに光栄である。

直接面識のあるのは、竹中平蔵先生だな。昨年まで十年「勤務」した、六本木のアカデミーヒルズで竹中さんは理事長である。

上の画像は「チョートクカメラ塾」のサンプル記事。
こんなことが書いてある。
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あたしの愛用カメラたち。
左はオリンパスペン5。東京圏大周遊の常用最新電子写真機。
小型軽量な旅カメラ。

右はロバートキャパが、インドシナで地雷を踏んで亡くなった時に持っていたニコンSと、非常に製造番号の近いカメラ。戦後の最初の高級カメラです。
今の天皇陛下が皇太子時代に欧米旅行に持参なさった名機でもあります。
「たとえば、、、俺はロバートキャパだ!」と、いうようなスター写真家のカメラコスプレにも最適です。---------------

この短いセンテンスだけ読んで思い当たったのは。クオルツ時計が機械式時計を駆逐したように見えたが、その実、今では機械式時計はちゃんとその存在を確保している点だ。

最新型のデジカメと半世紀以上前のクラシックカメラが肩を並べている。
こういう状況の変化は、かのジョブズが新型iPhoneの発表で、「iPhoneはクラシックライカのように美しい」と言ったのに端を発する。

面白い時代になったものだ。

「チョートクカメラ塾」は、カメラ愛好家の為の塾であるが、同時にカメラ、レンズ開発者の皆さんも塾生になっていただきたい。

三十年前に有名なレンズ設計者に「長徳さん。良いレンズってなんでしょう?」と聞かれたことがある。あたしは当時はアメリカのモダンフォトグラフィ誌の、極東通信員であった。

クラシックカメラは三千台持っている。デジカメは自分で使用する台数しか持っていない。ここらへんもなかなかキーになりそうだ。最近、デジカメのレビューをデジタルカメラマガジンで開始したので、あたしの視野はかなり広くなった。

デジタルカメラの未来とクラシックカメラの未来。これはどっちも重要なのである。

2013年10月 5日 (土)

草の影を踏む 公園の水を汲む

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東京大周遊をするとき、かならずペットボトルの空き瓶を持って行く。

行く先々で、公園などで水を採取するのである。あたしの義弟は東京都公害研究所で仕事しているが、東京の水はうまいという。

福田和也さんは石原前知事の諮問委員のようなお仕事で、都庁に会議にいっていたが、そこで出されるペットボトルの水は、再生水であるという。これもうまい水に違いない。

ツアイスのオーバーコッヘンに取材で出かけた時、村に二軒しかないレストランでマス料理をご馳走になった。そのレストランの水槽で泳いでいるマスは、工場の排出した水を還元して育てているそうだ。

これなどは、環境に力をそそいているという、会社のステートメントなのであろう。

ところで、あたしがウイーンに棲んでいた70年代には、アルプスから南の都会の水は実に不味かった。うがいも出来ないほどの不味さなのである。

パリの水などカルキくさくて閉口した。それが20年ほど前からかなり水の味が良くなった。

あたしはプラハでは麦酒は買うけど、ミネラル水は買うことはない。アトリエの水道水がうまいからだ。

東京では四半世紀にわたって、ミネラル水を飲んでいる。ただし東京大周遊では、せめて東京の水を飲むようにしている。

それでこれは気のせいかもしれないが、東京のそれそれの街の水はそれぞれに味が異なる(ような気がする)。

お茶の水で水を汲むなども、なかなか風情があっていい。

これは大田区の仙台坂公園である。この小公園の存在にはつい最近、気がついたのであるが、良い感じだ。

朝から夕刻まで、東京大周遊をして、あちこちの水を汲んでいる。水くみがメーンの仕事であって、ついでに原稿を書いたり、写真を撮影したりしているわけだ。

カメラはXZ-1

2013年10月 4日 (金)

お知らせ

カメラで本気出す
カメラに本気出す

田中長徳の「チョートクカメラ塾」
好調に スタートしました。

第一時限のテーマは
「スマートフォンで写真は撮れない」

内容は
アップルのジョブスのライカへのLOVE。
クラシックライカを買おう。
スマートフォンとデジタルカメラを正しく使い分ける。
第三信号系視神経のこと。
など。

初日からQ and A の嵐で、嬉しい悲鳴です。

詳しくは左のバナーをクリックしてください。

相生橋の四十数年

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佃島、月島にかかる最も古い橋は島の北方の相生橋であった。

あたしはここに住んで二十年プラスになるが、その相生橋は老朽化して新しい橋になったのだが、実に工事には数年を要した。

あたしの東京の昔と今とを対比させた「とうきょう今昔」という写真集が岩波から出ているが、そこに1960年代と、今の相生橋の写真がある。

それは上の2枚の写真とほぼ同様なものだ。半世紀くらいでは東京の風景は変貌しないのだという、証明になるような写真であるが、これは橋と河との位置関係は変化がないという意味なのだ。

半世紀前の相生橋からの風景は河面は一面の木材置き場であった。まだ新木場が出来ていない前である。今は河面はすっきりした。

永代橋の周辺にある高層ビルは無論、以前は存在しなかった。永代橋のみが偉大なランドマークであったのだ。しかし、今観察してもその存在感は高層ビルよりも、橋の方がずっと上であると思う。

最近、利用する駅が越中島なので、橋からの眺めを楽しんでいる。

★ペン5 12-50MM

2013年10月 3日 (木)

南馬込3丁目の中華屋とタバコ屋

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九月十七日の午後2時ころ、大田区南馬込3丁目を歩行していたら、気に入った中華屋さんに出会った、木造モルタル二階建てというのは、日本の代表的建築様式である。
さらにその脇にタバコ屋がある。日常性の中に非日常性を見る為の用語として、「角のタバコ屋までの旅」という言い方が60年代にはあって、それに皆、納得したのである。
このフレーズは高校時代に書いた未投函のラブレターが古い本箱の間から発見されたような感じでかなり恥ずかしい。
タバコを吸うことが「文化人の証し」であったことが、とっくに過去の事実になったので、そのギャップでこれは恥ずかしいのである。

これは旅そのものが、すでに魅力を失っているせいでもある。大体、パッケージツアーで日本人ばっかりの観光バスの中から見た、パリの風景などは、観光でもないし、旅でもない。ハイビジョンで見る「世界の街角」と同じことだ。

あたしが東京のでいーぷサウスに、今の時代の旅情を感ずるのは、上の背景によるのである。

この物件は気に入った。ちょうど南馬込四丁目の三島邸からの戻りであったのと、食事を済ませた後であったので、この中華屋に飛び込んで、ローカルなラーメンをすする楽しみは次回にとっておもうと思った、

あたしはゆきあたりばったりに、寂れた中華屋さんでラーメンをすするのが趣味である。人気店の行列とは正反対のラーメン好きである。次郎系がどうのこうのというのは、BMWののみやに任せて、あたしは名も無きラーメン店の使徒なのだ。

それから2週間後の10月1日にその店に行ったら、そこは更地になっていた。そういう経験は初めてではないが、なにか心に浸みる。
突然のことなので、ショックもあるが、なにか人間の世を辞する方法と比べればなかなか粋なことだとも思う。

あたしは考古学的な気分が好きなので、なにかラーメンどんぶりの欠片とか、そういう遺留品はないかと空き地を歩きまわった。以前、そういう場所で明治時代のさかづきを発見したりしたせいである。
何も発見できなかった、
中華屋とタバコ屋はそのまま消滅してしまったのである。

★カメラはXZ-1

2013年10月 2日 (水)

佃煮ヒルズの朝

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佃煮ヒルズの隣接する小学校は佃島小学校と言うらしい。そこの飼育部つきの鶏のチャボが「ぼけこっこーさま」なのである。

この半年ほどお姿を見ていないので、あるいは昇天されたかと心配しているのであるが、それはそれで仕方がない。

東京圏大周遊をするようになってから、朝があたしもはやくなった。それで小学生の通学の列にまじることがある。

なにしろ、越中島から反時計回りにて、府中本町に行って、そこから川崎にでて、東京に南から入るというような、破天荒な動き方をしているのである。

小学校の通学路というのは、人生のもっとも長く記憶に残る時間だと思う。あたしは文京区の小日向台町小学校である。6年間の小学校の記憶はすでに忘却しているが、坂の多い、お屋敷街の通学路の細かい細部は今でも鮮明に記憶している。

それはもっぱら視神経の領域なのである。

★カメラはペン5 12-50MM

2013年10月 1日 (火)

東松照明さんのニコンF

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東松照明さんに最初にお目にかかったのは、あたしは20歳の時であった。

それから9年後のあたしが29歳の時に、当時、戦後の欧州で最初の32名の写真家の巡回展に東松さんの仕事をメーンにした展覧会を企画した。打ち合わせでウイーンから東京にゆき、東松さんに何度もお目にかかった。他の主要メンバーはも森山、アラーキー、篠山、立木、高梨さんらであった。
タイトルはNeue Fotografie aus Japanとというのである。出展メンバーで最年少は田村と十文字とあたしであった。ようするに昔を3つも重ねた大昔の話だ。

東松さんはニコンFの愛用者であった。名作「泥の王国アフガニスタン」はニコンFに28,50,105の三本のレンズで撮影されたと、ご本人から聞いた。
しかもそのニコンはプロ好みのブラックではなく、普通のクローム仕上げなのである。これはかっこいいと思った。

復帰前の沖縄にも東松さんはアサヒカメラの特写で行った。
モノクロームのかなりの頁数の作品で、巻頭は唐松さんの顔写真入りの渡航証明書が掲載されていた。
これが東松さんが沖縄にかかわる最初であったのであろうか。

目撃情報によれば、東松さんは基地前のデモ隊をニコンFのクロームにニッコール21MMつけて、下駄履きで撮影していたそうだ、

かっこいいな、と感心した。

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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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