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2013年9月30日 (月)

大阪芸大写真学科にゆく

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大阪芸大に行ってきた。卒業展の準備のための作品のフェースツーフェースの相談と指導である。

30名の学生と仮定してお一人さま10分の持ち時間とすれば、300分であるから五時間である。しかしそうは行かない。

時間が延長で20分になれば、10時間になる。短いランチの時間をはさんではいるが、ずっと学生諸君の作品を見て、ずっと写真芸術について話をしていた。一種の写真トークマラソンである。

これはなかなか面白い。面白すぎて、トイレにも立たなかった。それほどの面白さなのである。ここの本館会議室の照明は自然光とミックスされていて、非常に良い。写真作品がその実力より良く見える。

これは大事なことである。最近、東京の美術館で開催された写真展の照明が良くなかったので。腹をたてていたあたしである。
カーネギーホールの音響が良いのと同じで、写真を見る場所の照明にはちゃんとこだわらないといけない。

写真の痛快なことは、半年ぶりに会った学生は、初対面のような感じでまったく記憶にないのだけど、作品を見せられると、それぞれの学生が誰であるのか即座に認識できることだ。
これは面白い。顔と写真が一致するのである。ただし名前は記憶しない。

あたしの本のサイン会で、銀座のデパートに長い列が出来た。そういう場合、本のサインをしている手元しか見ていない。ただし視線はサインを求めるお客さんの胸にぶら下げているカメラあたりにまでは行く。
ライカなどだと、ボデイの状態とそれに付けているレンズと、細かいアクセサリーの種類は異なるので、その組み合わせでそのライカ人類が特定できるのである。

写真作品にしても、ライカの選び方にしても、それぞれ個性的なのが面白い。

2013年9月29日 (日)

東十条駅 待合室

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昨日朝に大阪から東京に戻る。快晴であって、飛行ルートの真下に模型のようなセントレア空港が見えた。そのまま、アローカメラでトークをした。

東京圏大周遊のおかげで、東京のJRの駅は以前に比較するとかなり親しくなった。あたしの小さいトートバッグにはミネラル水がはいっている。それとペン5に長いストラップを付けて。肩から斜めがけしている。

トートバッグには、アイパッドミニが入っている。これが極小化された動く書斎である。これは10年間六本木ヒルズの49fにあたしの視点が固定されていたことへの、反動なのであろうか。

駅の待合室というのは、欧州ではよく利用したのであるが、日本では使ったことがなかった。さらにプラットホームの上にある、ガラス張りの最近できたショーケースみたいなのは、いったいどういう人が使うのであろうかと、疑問に感じていた。その考えが一転したのは、ここで原稿書きをしてみたらかなり快適であったことだ。

これは東十条の待合室である。眼前は矩形で構成された、モンドリアンばりの風景でなかなか気がきいている。しかも眼前に京浜東北線が定期的に到着するので、時間の経過にリズムがある。

永井荷風は市川で同居人の音曲と隣家のラジオがうるさいので、国鉄市川駅の待合室に避難してメモをとったり腹案をまとめたりしたと日記にある。

そういう故事を思うとこういう場所がさらに貴重に思える。

★カメラはペン5 12-50mm

2013年9月28日 (土)

赤羽のキャラバンサライ

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この世界には似た場所が二つある。 これはあたしの持論であって、信用できる事実だ。 ウイーンの市庁舎の裏手の通りが、湯島の男坂も下の羽黒祠と似ていることに気がついて、1980にウイーンから帰国してすぐに見に行ったら果たしてそうであった。ただしこれは坂の傾斜とか光の加減のことを言っているのである。 愛用した登山用の長靴があって、このウイーンの市庁舎の裏手の登山靴の修理の店にビブラムの張替えにゆくことがあった。それで界隈のことを良く記憶しているのである。 赤羽の駅近くの路地を通過する時、天幕から降ってくる光が懐かしくて、これは何であろうかと考えた。 その光はカイロ旧市街のキャラバンサライの天空から降ってくる光なのである。キャラバンサライと赤羽ではその古さは比較にならないが、光の質が同一なのだ。 光に古いも新しいもない。光は常に今の光である。星空をみればそれは明らかだ。 今、なにわにいるのであるが、さっき、立ち飲み屋の帰りに天王寺の路地の駄菓子屋のあたりを近道したら、そこもキャラバンサライの光だった。 ゆえにこの世界には似た場所は少なくとも三箇所はあるわけだ。 カメラはペン5. 12-50mm

2013年9月27日 (金)

片岡義男のオープンセットの街

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ニュージャーマンシネマの撮影を手伝ったのはあたしの29歳の時の話で、一本目はフォルカーユレンドルフの「とどめの一発」であった。二本目はニコスペラキスの「ボンバーとパガニーニ」である。

いずれも、オールロケであったのは、ニュージャーマンシネマには資金がないから、オープンセットを建てる余裕などなかったからだ。

シュレンドルフ監督はまだ名前が出る前であって、第一次大戦のシーンをウイーンの近郊、ブルゲンランドで撮影した。人遣いの荒い人で、主演女優のカットなど、テイク30以上になる。その間、当然、アリフレックスのフィルムが廻っている。女湯がヒステリーになった所でOKが出た。

シュレンドルフ監督が有名になったと聞いて、インターネットで調べたら、たしかに巨匠面になっていた、あたしの知る監督はまだ30代であって、エキストラで撮影の時に兵士にまじって、最初に撃たれて倒れる役だった。

まあ、監督だったら、なんでも出来るな。

片岡義男さんと毎週のように東京の北部を撮影に行った。

片岡さんは独り言がおおい。上のような場所に出くわすとと「これは凄いなあ、これは映画のセットですよ」と仰有る。

これは気になるので「片岡さん、お一人で撮影に出かける時も一人ごと言うんですか」とお聞きしたら「ええ、そうですよ」が答えであった。

これは金町駅前なのであるが、オープンセットとしては最良の出来である。しかも無給のエキストラさんが頻繁に行き来している。

2013年9月26日 (木)

蒲田駅前商店街

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蒲田はあたしには異国である。

思えば、異国であるリスボンよりも訪問回数が少ない。日本国の旅券を持っている身としては、これではいけないと思って、最近は蒲田に良く行く。

しかし経路はわざと遠くして、佃から武蔵野線で、府中本町に行き、南部線で川崎に出て、京浜東北で南から入る。

こうすると旅情が増すのである。まるばる来たぜという気分になる。

稲垣足穂がまだ十代の頃に蒲田から先の大鳥居に下宿していた。あたしの知る蒲田は映画製作所のある時代の蒲田である。

稲垣の描く蒲田はそういう大正ロマンの時代のそれだ。

時代が変わってしまったから、大正時代を追跡するのは無理であるが、昭和中期を追い求めることは出来る。

この喫茶店などはその典型である。店の内部も昭和30年代なのではと期待が膨らむ。

優勝カップ屋というのも、いい。あたしの小学校の通学路にもあって、学校の帰りにもっぱらそのウインドウの前で時間を潰した。優勝カップの金属面に映る自分の顔のデフォルメを楽しんだ。

あれは入場無料のルナパークであったな。

★カメラはぺぺんぺんぺんぺん 12mm

2013年9月25日 (水)

東海道線 駅から海が見える驚き

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★本日移動日 東京ー大阪

東京圏大周遊というのは、今まの東京大周遊の範囲を、さらに拡げて首都圏内で行ったり来たりすることだ。これでかなりあたしの視座が広がった。

東京から東海道線で小田原まで行き、かまぼこを買って戻ってきたりする。しかしその目的地が重要なのではなく、そこに至るプロセスが大事なのである。

東海道線を藤沢、茅ヶ崎、大磯を過ぎてその先の駅で、時間調整で列車(旅なのでこれは電車ではない)が数分停車した時に、眼前に海が見えた。

あたしには、これは相模湾ではない。快晴の本物の北太平洋なのである。

水の色は綺麗だ。イスタンブールのホテルでテラスから見た、マルマラ海と同じ色合いだ。あるいは、シチリアはパレルモの朝の海と言っても良い。

思えば、この数十年、外国で海を見た記憶は山のようだが、日本ではそれがない。非常に良いものを見た。

この日はペン5に12-50のズームを付けていた、普段はスナップショット瑞光か、、12mmなので、こういう場合に海は遠い。

ズームレンズの望遠サイドを久しぶりに使った。

2013年9月24日 (火)

ペン5を使いこなす

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ぺぺんぺんぺんぺん。つまりペン5.
ただしくはEP-5だが。これを使い始めたのが七月の初めであるから、ほぼ三ヶ月になる。

カメラの撮影速度はすばらしいし、満足しているが、大問題は、勝手にストロボがポップアップしてしまうこと。それとダイヤル設定モードが勝手に動いてしまうことだ。

その関係の話は、デジタルカメラマガジンの最新号の「高級ミラーレス特集」でふれたし、対談でも話しをそた。

あたしはライカ的(フィルムカメラ時代の、と説明を付けねばならないのが面倒)なカメラの使い方をするので、単に写真がとれれば良いのである。芸術思考のアマチュアの皆さんは、なんとかモードで芸術的な表現を望まれるので、それがペン5の魅力になるのであろうが、あたしにはその「万能性」が逆に迷惑なのである。つまりサービスの良すぎるバーがあたしには、迷惑なのと同じだ。

こっちは写真に没頭したいのであるかえら、ほっておいてもらいたいのだ。

それで考えた解決策は、非常に単純だった。

ようするに、勝手にポップアップするストロボと勝手にメリーゴーラウンドするダイヤルにセロファンテープを貼ったのである。

このシンプルなカスタマイズであたしのぺぺんぺんぺんぺんはぐっと視神経の速度に接近した。

2013年9月23日 (月)

摩天楼

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金町を撮影していたら、こういうスナックに出くわした。

「摩天楼」というのである。この日本語はいいな。スカイスクレーパーは品格がない。

マンハッタンかな、と思って良く見たら、前景の橋には見覚えがある。これはあたしの住んでいる佃煮島なのである。

たしかに1985年当時、マンハッタンから戻った翌年に、この界隈をボートをチャーターして撮影していたら、勝ち鬨の河口に巨大な建築が建設中であった、その感じはサークルラインでマンハッタンを周回している時のあの視覚的な体験い近いので、日本も開国したなあと思った。

その数年後にそこに住んですでに、四半世紀になんなんとしている。

人間の住みかと移動というのは分からないものだ。プラハには佃煮島より長く住んでいるのも摩訶不思議だ。

マンハッタンのツインタワーの崩壊の時、あたしはパナソニックのルミックスLC5の撮影で、独逸南部のフリードリヒスハーフェンに居た。ショックだった。次の攻撃目標は欧州なら、グランクフルトアムマインであろうと言うので、そこへの旅程は中止したのだった。

東独逸の時代に建物爆破の専門家が友人だった。建物の各所に爆薬をしかけておくと、ツインタワーの崩壊のように、すとんと垂直に落下するのだ。

友人のリチャード クーさんがあの日、現場のホテルに宿泊していた。セキュリテイの制止を振り切って、バッテリーパークに逃れて、一命をとりとめた。その体験談をその月末に六本木で聞いて、背筋が寒くなった。

2013年9月22日 (日)

M5にビオゴン M5にジュピター

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ライカM5には、山工作所のコンタックスライカアダプターを介して、カールツアイスイエナのビオゴン35mmを付ける。
あるいは、そのOMEである、ソ連製のジュピター35mmを付ける。

これが基本の道具である。
お道具ではないぞ。

ウイーンの七十年代以来、ライカにはこのレンズを付けることが多い。ライカマウントのジュピターもある。その前にはブームになる前のいわゆる8枚球のズミクロンを使っていた。
最近、ライカ物知りさんが、八枚珠に固執するのは笑止である。
当時はズミクロン35mmは8枚球しかなかったのだ。

八枚玉が経年変化かなにか知らないが、これは黄色い玉なのである。現役時代から黄色いと言われていたので、もともとそういう玉の癖なのかも知れない、というのは当時はエクタタクロームの全盛時代で、このフィルムは青っぽくなる。
それで当時の物知りさんは、「黄色っぽいズミクロンが青っぽいエクタクロームを補正する。さすがライツの技術は凄い」などと褒めていた。真偽のほどは不明だ。

それに比較すると、戦前のビオゴンはカラーでもニュートラルな色が出る。そのコピーのジュピターは戦後も70年代の製品だから、普通に色が出る。

M5とのバランスはいい。ただし、マウントの関係で測光も出来ないし、距離合わせも出来ない。
でも、目測で撮影しているし、露光は勘だからなんら問題はない。
1971年のカメラがライカの中では新しい世代に続そるというのが大したものだ。

10月に出る「ライカマイライフ」(えい出版)では意図的に電子ライカは除外した。本が出て数年すると「本が古くなってしまう」のがその理由である。
フィルムライカは古くならないなあ。

2013年9月21日 (土)

アメ横の博物学的メロン画像

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パリなどで街を散策していて、気になるのは、果物屋の色あせた看板である。

それも百年以上の時を経た看板は、色あせてちょうどマニュエリズムの絵画のような感じがする。そういう視神経の快楽というのも70年代までのパリの話であって、最近はとんと見なくなった。

なぜ、そういう画像に惹かれるのか?それはそういう退色した画像は果物の存在のイメージ化なのである。だから存在額学的である。

大抵はそういうクラシックな看板は、最近では昔の看板の巧妙な複製なのである。クラシックなウオッチが再生産されたり、クラシックレンズが復刻されたりするのと同じであって、あたしはあまり感心しない。

御徒町のアメ横の開店前のまだ眠っている街並みを散歩していたら、こういう退色した果物のイラストがあって、非常に奥ゆかしく感じた。

これは印刷物の退色であって、看板の絵画の古びたのとはわけが違うが、なにか高貴な印象があるのは同様な次第である。

まだ東独逸時代のベルリンを散歩していて、東独逸最初の宇宙飛行士の宇宙飛行を記念したポスターが街角に張ってあった。これがインクが退色して、ほとんど青と黄色のインクだけが、残っていて、そのすがれ方が良かった。

最近のインクは退色などとは無縁なので、あたしに言わせれば興ざめだ。

★カメラはXZ10

2013年9月20日 (金)

続 光とその階調

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佃煮ヒルズで仕事している時には、デスクの上には、ペン5か、OM-Dにこのズイコー55MM F1,2が置いてある。

原稿書きに疲れると、これで仕事場の周囲を撮影するわけだ。
普段は、広角レンズでハイパーフォーカルな撮影をするのが普通のあたしであるが、この時だけは思いっきり「フォトポエム」してしまうわけだ。

大塚寧々さんに12年ほど前、NHKのBSの番組でご一緒した時に、彼女は日芸の写真のフォトポエム部出身だとうので、「どうせきれい、きれいな写真」なんであろうと、たかをくくっていたら見せられた作品は写真からすでに表現の粋に達していたので吃驚したことがあった。

ゆえに「光とその階調」は重要なのだ。

これは純正のOMをマイクロ4.3に変換するアダプターである。こういうレンズは市場では非常に安価に提供されているからそれらを使わない手はない。

しかも明るさがF12で100ミリ相当などという、レンズをライカ社あたりが出したら、まず百万円超えであるのは確かだ。

マンハッタンの怪人、船原長生さんは、ライカM8にのくちるっくす使いで有名だが、彼の仕事に肉薄するのなら、まずこの組み合わせだ。

★ペン5 ズイコー55mm f1,2

2013年9月19日 (木)

荒川三丁目のともぐい系看板

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東京圏大周遊をしていると、なにしろ武蔵野線が基本的なスタンドポイントであるので、武蔵野線を徘徊しながら、適当な所で都内に「爆撃」をしに行くわけである。

三河島という駅は、戦後も三河島事件も人間の記憶から去ってすでに長い。この街が気にいって時々やってくる。

ここは荒川三丁目になるわけである。感心するのは、界隈にはコンビニが見えないことである。同様な次第の街は、数年前までの小菅がそうであった、コンビニのない街は昔の東京の香りがある。

似た街並みを挙げれば、三田の三井綱町マンションの周囲もコンビニが一軒もない。これは東京の昔を回想するのに、最適だ。ただし辛川三丁目は下町の普通の飲食店がひしめいているけど、三井綱町の方にはそういう店はない、あるのはオーストラリア大使館と伊太利亜大使館だ。これはあまり生活の足しにはならない。

荒川三丁目で好きなのは、こういう「共食い系」の看板である。この手の街には見慣れた物件であるが、これは気に入っている。今度、とんかつを食べてみよう。

★カメラはPEN 5

2013年9月18日 (水)

上野の純喫茶 丘

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大昔は純喫茶というのがあった。

これは他の「風俗系喫茶店」と区別する必要があったからであろう。なんとか国際団体正統派本部などというのもあったが、自らの正当性、純血種であることを誇示しているのであろうか。

上野の純喫茶「丘」は、あたしが知る限り、大学の当時からあったような木がするがそれは勘違いかも知れない。ようするに、1970年に日本に最初のマック(これは銀座四丁目の三越のromen路面店だった)が登場して以来、だんだん「純喫茶」は駆逐されていった。

指折り数えればすでに40余年が経過しているわけである。
「丘」をゆっくり観察して見ると、そこに「構成主義的」美的要素がはっきり見える。そういう名前のある人が設計したのかも知れない。

数十年ぶりに地下の店に降りてみた。螺旋階段なので高齢者には危険なので、注意して降りた。室内はようするにクロスシートであって、疑似西洋インテリアなのもいい。立派なシャンデリアもある。株屋さんがなにわ言葉で景気の話をしているのも、なにか六十年代でいい。

★カメラはXZ-10

2013年9月17日 (火)

新M1と従来モデルを比較する

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新型のOM-D、以下、あたし流にこれをM1と呼称する。
というのも、この新モデルはあたしの中では伝説の一眼レフオリンパスM1のデジタル化した最新モデルであるからだ。

そのM1が全国ツアーで巡回して、話題をさらっているらしい。偽ライカ愛好会のメンバーが秋葉の発表会に行って、実機に触って、感心し、同時に聞きにくい質問してきた。

係りの人が困るような質問なのである。そういう聞きにくい質問はメーカーにとっては苦い薬であろうが、商品開発には大事なことだと思う。
われわれ関係者はスペックを見ているから、そうい掟破りの質問はしないものだ。

偽ライカ愛好会のメンバーの印象は、新型のM1では最高速度が1/8000になったことを指摘していた。値段がお高いとも指摘していた。
それと従来のOM-Dに比較して、性能の向上は僅差であるとも。

それで思いだしたのは、半世紀前のライカM3か、それともM2かというカメラ雑誌の論戦である。M2とM3とはその性能がほとんど同じで、使い勝手の細かい点が異なっていた、
今回のM1の性能が「僅差」というのはまさにそれであって、従来のモデルがそれだけ進化しているということだ。ここではトップの性能だから、それは「鼻の差」になるのである。ここは重要なポイントだ。

カメラメーカーはそういう差で商品戦略してくるから、それの進化は正統なのである。

ライカのスペシャリスト中川一夫先生がライカM4が登場した時の写真工場へのレビューを思いだした。
それは「今回のM4の改良点が自分の写真製作に必須と思う人は買うべきだが、すでにM2やM3を持っている人はフォコマートを入手した方がライカの魅力をより発揮できることになる」
これはかなりインデペンデントな指南であると思う。

そのまま、新M1の買い方にもつながると思う

2013年9月16日 (月)

淺草御蔵前書房

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★本日 北京

こういう古風な古書店は貴重だと思う。

最近、古書を買うのは、もっぱら「日本の古本屋」である。神保町に行っても、古書店には入るけど、それは古書店の気分を楽しむ為であって、本気で古書を探す為ではない。

古書探しはオンラインの方がはるかに効率がいい。

しかし効率はいいけど、思いもよらなかった古書に出会うという、意識外での出会いというのはない、最初から欲しいタイトルで検索しているのだから当然名話である。

御蔵前というのは、蔵前の古典的な言い方である。

看板のはげ具合がいい。こういうのを大道具のセットで作るとかなり高そうである。

★カメラはXZ-1

公園に木を立てる

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清澄通りを南下して清澄白河駅の南には清澄庭園がある。良いお庭なのだが、こういう名園が近くにあると、それだけで満足してしまって、なかなか行くチャンスがない。 ウイーンに若い頃、八年住んでいたのだが、アパートメントの隣がアウガルテン庭園であった。 皇帝フランツヨセフが散歩して、周囲の人々が恭しく礼をするので、皇帝は勅令を発して、朕を無視するように命令したそうだ。 そりゃ気楽に散歩したいよなあ。 ブレッソンのアパルトマンはチュイルリー公園の真向かいにあったが、やはりあまり散歩などしなかったのではなかろうか。 夕刻、清澄庭園の脇を歩行していたら、小公園が隣接してあって、それは日本庭園ではなく、白っぽい砂とシンプルな樹木である。 何かパリの公園の気分だ。足元に落ちていた木の枝を立ち上げて、もう一本の木を植えて見た。 ここはオズの生家の近くだ。 カメラはXZ-10

2013年9月15日 (日)

千歳三丁目七色唐辛子 宮川商店

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清澄通りを南北にずっと歩行したのは、佃煮地方に移住してきた二十年以上前のことで、当時はまだ大江戸線は開通していなかった。 バスか徒歩が唯一の交通手段であった。バスはロバートフランクのマンハッタンの暴れ乗りが有名だけど、実際、ストリートスナップのロケハンには、これ以上の交通手段はない。 その清澄通りにメトロが走るようになって以来、地上の風景を見なくなった。 東京2020ブームで、東京の昔の光景を見直す動きがある。こういう建物が六十年代の東京の風景の基調であった。そういう事をみんな忘れているのではなく、今の社会の中核は五輪ピッグスの後に生まれた世代なのだから文句は言えない。 この唐辛子やさんを細かく観察するに、一種の仮普請の感じがある。その仮の建物が風雪を経たというところがいいのである。吉田健一が大阪を、応仁の乱以来の仮普請と命名しているのと同じ方向かな。 ガラス戸がちょっと開いていた。営業はしているわけだ。次回は七色唐辛子を買おう。 カメラはXZ-10

2013年9月14日 (土)

働く船

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Tokyo1964のポスターは早崎治さんの名作だ。早崎さんが亡くなって何年が経過したことであろう。
Tokyo1964であたしは高校生であった。
それまで外人という存在は全員が「進駐軍」であったから、東京五輪ビッグはあたしにとって、アメリカ軍以外の外人さんを見る最初の体験であった。

今回、まさかこんなことになるとは思わなかったけど、もうこうなってしまえば仕方がない。人生の冥途の土産に二回も五輪ピッグスの東京を見られるのも、何かの人生の縁であろう。

五輪ピッグスが決まってから、にわかに変貌したのが、眼下の隅田川を行きかう船である。家人の観察によれば、その数がいきなり増えたというのだ。

言われて見ればたしかにそんあ感じがする。選手村の「泥が足りない」というので、上流から運んでくるらしい。
この下の船、識別番号、T503号は早朝に隅田川を遡上して、夕刻に土砂を満載して戻ってくる。

働き者の船である。
家人は朝には「いってらっしゃい」
夕べには「おかえりなさい」船に声をかけている。

船をペット化するのは、それで凄いことだと思う。

★カメラはPEN 5  40-150MM

2013年9月13日 (金)

蔵前

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蔵前の隅田川の西詰めにスタンドアローンな飲み屋があった。一回だけその店で飲んだことがある。女将さんが一人でやっている店であった。他には何の特徴もない。長年、放浪していると、そういう特徴のないお店が心に残ったりする。そういう飲み屋は一回だけ行けば良いというのも、最近、理解できた。

長屋ではないが、一戸建てという感じもしなくて、要するにあたしが若い当時に徘徊していた東京の街ではごく見慣れた建物である。木造の二階建てで両面は青いトタンで養生がしてあるというタイプの下町の建物である。

この前、上野に用事があって、その帰りにまだ残暑が厳しかったのであるが、思いつきで佃まで歩行した。

中央通りを銀座に抜けるのはつまらないので、隅田川を越えて両国から南下した。これが江戸の正統派のルートである。

その途中、隅田川を渡る直前にその建物がまだあったので嬉しくなった。周囲は再開発でマンションばかりの中に奇跡の存在なのだ。

撮影して建物の前に立ったら、引き戸は半分あいていて、女性の後姿が見えた。10年前のおかみであろうが、別に声をかけるまでもない。

そのまま橋を渡って、両国の方に歩行した。

★カメラはXZ-10

2013年9月12日 (木)

モノトーンフィルターの謎

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モノトーンフィルターというモノがある。

なにに使うのか。もともとモノクロームのトーンは実際に目で見たトーンと見え方が異なるので、このフィルターで被写体を見れば、実際のトーンに近い状態、つまりシャドーはさらに暗くなって、実際のモノクロに近い感じが見える。

これがこのフィルターに関する説明であった。あたしが日本デザインセンターでじ助手をしていた時代に、それぞれのリンホフテヒニカのセットには、このフィルターが添付されていた。NDCの創業は1957であるから、当時の機材に添付されたフィルターがそのまま10年以上保管されていたのであろうか。

スタッフカメラマンも時々、時間つぶしにこのフィルターを覗いていたが、実際にはその使い方は分からなかった。あたしも同様である。

その記憶の底のフィルターが数年前に、荒木町アローカメラのジャンクボックスの中にあったので、懐かしさのあまり手にした。
それはアルミ製のフィルターであるが、その持ち手が六角形でなかなか指の感覚が良いのである。

しかし、見え方はご覧の通りであって、モノクロを自由にコントロールする魔法のフィルターにはならなかった。ようするにあたしの写真術の未熟さがそこに見えるだけなのだ。

黒澤だか溝口だか、こういうフィルターを覗き込んで、こ難しい顔をしている、古い写真を見た記憶もある。
しかしあたしがプロとしてスタートした時代には、すでにカラーの時代であったから、モノクロよりもカラーの方がシャドーは落ちるので、ソフトな照明をするようい教えられたものだ。

やはり経験則に基づく銀塩写真は奧が深い。

2013年9月11日 (水)

小さなフラッグシップ機のインプレッション

216_2小さなフラッグシップ機

9/10にこの新製品が発表された。
このカメラを理解するには、まず意識変革が必要だ。

その短い感想を書いておく。

あたしの場合、それが広告の撮影だとすると、担当の営業さんがフルサイズでお願いしますと言ってくる。これが社会の通常の考えであるらしい。でっかいカメラでないと、クライアントさんに請求書が起こしにくいという背景があるようだ

フルサイズ持っていないというと、ではレンタルしますというので断って手持ちのカメラで撮影した。
仕事はRAWで撮って、それを「カリスマレタッチャー」さんが、魔法の指で立派なポスターにしてくれた。

フルサイズでなければダメというのは我らの時代の虚妄なのである

マイクロ4/3をあたしの周囲のプロ連は使っている。ファッションショーの撮影で畳サイズにプリントしてフルサイズと変わらないという。あたしも最初のペンデジタルで撮影して、それをB0サイズに個展でプリントして納得した。

ところが一般のカメラ人類さんは新しいOM-1が登場して、その画素数がたりないなどと、おっしゃる。今でも画素数が云々のカタログオタクさんが居るのかと、懐かしく思った。

発表された新しいカメラを理解するには、まずフォーマットの意識改革が必要だ。

✳追記 発売されるレンズろのキットで、スナップショット瑞光との組み合わせがユニーク。このれんずのことは近々出るえい出版社の単行本でふれた。フラッグシップ機にふさわしい。まさか在庫整理じゃないよね。 追記 これから視神経の延長のデバイスとなるカメラは、画素数もさることながら、レスポンスの速さが重要だ。 新M1のそこを評価する。 ただしフィルムライカより遅い問題点はスイッチをオンにする僅差というわけだ。電気式カメラの宿命だが、そのうち改良されるだろう。 あたしは斜めがけにしたペン5やOM-Dを十二時間は携帯している。 カメラのサイズ、重さはベストマッチだ。小型軽量は武器である。 ✳追記 マイクロ4/3も4/3もフルサイズに対して、どう対抗するかが今後の課題。現場ではフルサイズとマイクロ4/3の二台持ちもある。 ✳追記 発売されるアウトフィットには、スナップショット瑞光との組み合わせがあるのが、フラッグシップにふさわしい。このレンズのことを、新刊のえい出版の本に書いた。まさか在庫整理じゃないよね。

金町のアシストコンサルタンツ

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東京圏大周遊で、金町に行った。駅の南方向にはなかなか来なくて、実に十年ぶりである。当時は駅南の地域が再開発であって、高層タワーの準備で昔からある、古めかしい商店街などが更地になりかかっていた。

東京大周遊では、金町には良く行ったが、これは金町、小岩、そして篠崎ルートで江戸川の土手を歩行する為なのである。

金町の浄水場界隈は東京でももっとも歩行が退屈な地域であるが、そういう退屈な道というも最近では慣れた。人生そのものが退屈の極みであるのなら、たかが道の退屈くらいなんだ?というわけである。

道に迷いつつ駅の南を徘徊していたら、こういう看板に出会って嬉しかった。こういう30年ほど前の白地に黒文字の看板が一番、看板らしい。

マンハッタンのブロードウエイにも同じたたずまいの看板がある。良い感じである。サービス内容はさっぱり想像がつかないのもいい。

2013年9月10日 (火)

グエル公園の落とし物

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バルセロナのグエル公園は観光の一大名所であるが、ちょっと奧の方にある。バルセロナはちょうど神戸のような街で東西に長いが、北に行くと高地になる。

ガウデイの建物にせよ、グエル公園にせよ、それらは観光地の常であった、見てしまえば、「ただそれだけのもの」である。

あたしは仕事で行ったのだから、ちゃんと撮影をして、帰りはだらだら坂を下ってランブラスの方に下りつつ、途中の左手にあった、中古カメラ屋をひやかした。

これがバルセロナ五輪の前の年の話だ。

今でもあのカメラ店はあるかどうか、それが気になる。グエル公園の方は今でもあるかどうか、気にするまでもない。

東池袋の「なもなきコロッケみせ」の近くに我がグエル公園はある。これは小さな公園であるが、恐らくバルセロナ五輪の当時に作られたものであろう。非常にそのデテイルが良く保葚されていて、本物より実物っぽいのが面白い。

ある時、そのタイルの椅子の上に、スケッチブックが載っていた。それは上のはつである。スケッチブックは下の写真のように置かれていた。

ブックの持ち主は定年退職した人で、これからは文化的な思考をしようと描いている。プラハのスケッチもある。

★カメラはXZ-1

2013年9月 9日 (月)

ペン5とOM-Dをかわりばんこに持ち変える

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東京大周遊とは、福田和也さんから頂いたタイトルである。すでに5年以上も大集湯をしているが最近ではその範囲がさらに広くなった。

武蔵野線が視座に入ってきたのである。

今までは山の手線を基準の視点にしてその内側か外側を観察していたのだけど、武蔵野線を視点にすると、観察範囲がずっと広くなる。高度三千フィートと三万フィートの差と言っても良い。

これは朝の7時に家を出て、戻るのは午後6時になる、いわばフルタイムジョブである。

先日は青梅まで行った。
風雲急な雨の朝であった。西荻窪辺りから停車すると、冷気が外から入ってきた。前線の通過で冷涼になったのだ。

青梅ほホームで知り合いのメジャー雑誌の編集長に遭遇した。その週の始めの夜にその雑誌の座談会をしていて、その時に編集長が「ほくは青梅です」と言っていたのを思いだした。ここは良い街である。家人のお願いしている調律師さんも青梅だ。青梅は小学校時代に奥多摩に行くので乗って以来のノスタルジーなのである。

つまり、東京大周遊で、山の手環状線ばかり見ているのと、青梅まで行って、そこから田端とか蒲田とかを距離で感じるのとでは、その視座の柔軟さは比較にならないのだ。

これを「東京圏大周遊」と命名した。国木田独歩が武蔵野で言っている、地域も小手指に始まって、その空域は東に遠く、葛飾の里にまで及んでいる。これが大事だと思った。

持参カメラは佃煮ヒルズの机上のペン5と、OM-Dとを交互持参する。特に理由はないのだが、操作系統が統一されていないのを、欠点ではなく、こっちの頭脳を柔軟にする知恵の輪のつもりで持参したのである。
これが案外に面白い。まず電源の入れ方が同じ会社の製品と思えないほどに異なる。それで混乱する。

デジタルカメラマガジンの次号で諸先生らと高級コンパクトデジタルのレビューをした。1週間の間に複数の最新機材を使って、それぞれの操作系統がそれぞれに異なるので、ちょっと混乱した。しかしそれは慣れてしまえばそれほど重荷にはならない。

1976年、あたしの29歳の夏、欧州の現代写真家展の準備に一時帰国して当時の最新モデルのキヤノンAE-1を買った。これはあまりに複雑な操作であって、取説も非常に厚かった。今でならなんということもない、普通のカメラである。

ようするに我々のカメラ操作対応の脳内視野はそれなりに対応されているようなのだ。

2013年9月 8日 (日)

まり りん

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大久保と新大久保にはまっく縁がない。
それで実に半世紀弱ぶりに、しかも猛暑の午後に訪問したら、町は死に絶えていた。

何時であったか、インドのデリーの東西線(これは実際に青いラインで描かれている)に乗って西の終点まで行ったら、やはり町が熱風の中、異常な静寂であったことを思い出した、

デリーのメトロの終点と大久保に雰囲気の共通点があったとは、まさか思わなかった。これを現代の新レアリスムとでも命名しよう。

もう一点、大久保とデリーの間の共通点が、この「天空でダンスをする電線」である。あたしは電柱と電線が好きなのである。
よく、都市開発で今の電柱を撤去すると、こういう綺麗な街並みになります、というシミュレーションを見せられると腹がたつ。

あたしはマンハッタンの地下ケーブルで街並みのすっきりしたのが嫌いで、30年前には時々、メトロでブルックリンの奥地に行って、高低のある坂にびっしりと電信柱が並んでいるのを見て安心したものだった。

デリーの電線はあまりを電柱に巻き付けてあるのが、あたしにはなんとも美学に思える。大久保の電線はそのくさび型の建物は合格だが、電線の処理にはもう一工夫あって欲しいと思う。

電線を撮影していたらその脇に小路があった。サングラスをとって青い影の中を見たら、ふたつの看板がかかっている。屋号はりん、と、マリである。左右を入れ替えれば、マリリンと読める。佃煮ヒルズの隣のタワーにあった、レストランの名前である。今はもうないけど。

その奧に一種のバリケードがあるのが、なんとも新宿カルチエラタンを思い出させる。つまりこれは「街に戦場あり」時代のかすかな名残なのである。

かのパリの五月革命の痕跡である。

2013年9月 7日 (土)

谷中のむかし

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谷中のヒマラヤ杉に再会して、そのまま谷中5丁目の方に歩行した。

快晴のアンダルシアの午後なので、さすがの東京人も誰も歩行していない。
四十年前に須田一政さんと歩行して記憶に残るランドマークを探したが、発見できなかった。

それならというので、30年前にマンハッタンから戻ってきたばかりの当時にこの界隈のカフェなどに行ったりしたものだったが、その記憶をたどってもやはり当時の物件は発見できなかった。

さらに時間を10年進めて、20年前に谷中の界隈ですがれた洋館のわきに、色あせたナローポルシエが何時も停まっていたことを思いだして、その界隈をさがしたがこれも駄目であった。

谷中五丁目の界隈に見覚えのある、小さな工作所があった。正面は理化学的な白いペイントで塗られてある。今回、その脇にまわって、実際にはこの建物が木造であることを再認識したのが、収穫であった。
そのとなりにはこれは地域センターとか、若い人が開いたショップという感じのあけっぴろげの空間がある。

あとで考えてみれば、夏にこういう風に空間を開示するのは、半世紀前にはごく普通のことであった。縁台で涼んで、ちゃぶ台で家族で飯を食うのは、個人情報が云々と言われる時代のずっと前は、ごく普通のことであった。

ただし、われわれ通過者は身勝手で無責任だから、こういうのを江戸情緒とか言って喜んでいてはいけない。ウイーンなどに行けば分かるけど、民族学というのはなかなかに差別的な学問であるからだ。

2013年9月 6日 (金)

小倉アイス最中を買う

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東京大周遊で、疲れたから南北線の先の浦和方面まで行って、車内でシエスタ。これで疲労回復。
帰りは東大前で降りて、東大構内をショートカットするつもりが、抜け道がなくて元に戻る。

考えて見れば、そこは農学部であるから彌生町にはぬけられない。大迂回をして、ようように言問通りに出て、あれは芋葚であったか、この冬に今川焼きを扱っていた店の前を通ったら夏はアイスクリームとか小倉アイスを売っている。

これがあたしには新鮮だった、ウイーンの老舗のアイス屋テイッキーなどは今はどうなってるか知らないけど、1970年代は冬は仕舞っていた、なにかTUBEみたいだ。チューブの角野さんが8.31に沖縄の公演が終わって、われらのライカ大撮影会に合流という故事もあった。

谷中のアイス屋で混乱したのは、今のアイスは日本円で幾らするのであろうという一事であった。あたしがこの前に小倉アイスを買った時の値段は10円なのである。あれは小学校の時だった。今は110円であった。物価としては11倍というのは安いのか高いのか分からない。

幼年時代の小倉アイスとはかなり味が濃厚なのも面白かった。谷中に向かうだらだら坂を小倉アイスを食べつつ歩行するのが、非常に良い感じだ。
あたしはアイスの食い歩きは嫌いなので、欧州でこれをやったことはないし、第一、アイスは買わない。

口があまーーくなったので、その先の自販機で冷たい水を買った。これが便利なのか、環境を損ねるのかは、微妙な問題だ。エジプトはギザの金字塔(ピラミッドと読む)には水は売っていない。

2013年9月 5日 (木)

片岡義男ライテイング

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「スローなブギにしてくれ」の片岡義男さんとは、東京の周辺部をずいぶんご一緒した。特に北区、板橋区、足立区、葛飾区方面である。

片岡さんのような大作家に対して、あたしが気後れしないで町を一緒に歩行できたのは、どうもひとつにはあたしが真面目な片岡さんの読者ではなかったことが大きいと思う。

そういうお付き合いの仕方は失礼な極みであるが、まあそれが助けになって随分と写真のお話をうかがった。片岡写真のすごいのは、撮影に向かう時にカメラとレンズとフィルムを用意する所の書き出しからすでに片岡文学になっていることだ。しかし、片岡さんから布哇のお話をお聞きしたことは一度もない。

東京の午後のこういう斜光の中を、それも谷中のような木造の古い地帯を歩いていると、あたしは「お、片岡ライテイングの時間だな」と、独り言を言うのである。
この木製のすがれた日光にさらされ、風雨に還元された木目というのは、正倉院にも共通な極東亜細亜の共通デテイルだ。
同じく、木材を材料にしているのに、南独逸の建築があるがあそこでは材木は風化したりすがれるということはない。独逸の木造建築は石より硬いのである。

一方の片岡さんのカメラを向ける建築はすがれて暖かい。布哇移民の末裔の片岡さんには、こういうのに「先祖の血が騒ぐ」のであろうか。

レンブラントライテイング、アベドンライテイング、そしてあたしの光の美学には「片岡ライテイング」がある。

2013年9月 4日 (水)

看板建築 亜細亜的なものに痺れる

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駒込駅から西ヶ原に抜けるつもりが、駒込の神学校に寄り道したら、方向をロストして霜降り銀座に出ることができなくなって、ちょっと焦った。

東京徘徊に慣れているにもかからわず、そういう方向感覚をなくすと、あたしは嬉しくなる。それは町が本来の存在を取り戻すと言い換えてもいい。

萩原朔太郎であったか、その高校感覚をロストすることの、不安と魅力を欠いていたな。

普段、あたしは方向をロストするのは、夜とか曇りの日で太陽の方向が見えない時に限るのである。もっとも方向をロストしたのは、人生で二度しかない。最初はイスタンブールの夜で、1974のこと。二度目はパリの曇り日でこれは1980年当時であった。

それだから、先週、馴染みの駒込界隈でしかも晴天で方向音痴になったので、これはしめた!と思った。人生に何度もない好機である。

その時間はあまり長く続かないで、西ヶ原商店街に出てしまった。上の画像はその両店対である。そこで分かったことは、商店街の道幅は他の路地と同じ幅員であったことだ。

シンプルな鉄材を曲げてつくった、窓の装飾とか、看板建築などが「目に染みて」て実に新鮮であった。

東洋的なデザインを現代に真似るのと、もともとそれがオリジナルであるのとは、大変隔たりがあるもとにも気がついた。

2013年9月 3日 (火)

ペン5の周辺機器

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デジタルカメラマガジンのクロスレビューで各種の高級コンパクト、ミラーレスをテストできたのは幸運であった。

あたしは2009年来、ペンを中心に愛用しているが、ペンではごく普通に使っている周辺機器が他のメーカーにはなかったりする。

ペンとOM-Dではカードの差し込み方向が異なるなとと文句を言っているが、他者のデジカメはそれぞれに全部異なるのであるから、今後はあまり文句は言うまいと思った。

しかしながら、メニューのパネルの設定箇所はそれぞれに千差万別なのはやはり困るのである。

あたしが長年使っているフィルムライカ(この10月に3年かかってようやく、ライカマイライフとして、えい出版から出ます)の場合、ライカAでも、M5でもその操作は基本、同じである。ところがデジカメはそうは行かない。

ところでペン5の周辺機器の話である。ペン5に17MM 付けて、専用フードつけてカスタムストラップを付けると、これが往年のオリンパスM1のような、気分になる。撮影というのは、気分がやはりかなりの部分を占めるものだ。

撮影に疲れてじっと、手を見ると、そこにペン5があるから、それならもう少し頑張ろうという気になる。その気分を分析するにあたしの場合には、欧州をOM1を持ってノマドしていた時の記憶である。

EVFファインダーはあたしの場合、撮影中にサングラスをかけているが、サングラス越しにちゃんと見える唯一のファインダーである。

専門家に聞いたらなんでもライカMと互換性があるそうだ。素晴らしく良く見えるファインダーである。

ストラップは残念ながら、同梱のやつは使う気にならない。生産コストの余剰で作ったような貧相さである。

これは佐佐木潤一製のカスタムストラップである。彼はこりにこって、あたしのサインの「焼き印」までオーダーしているのである。このストラップはまず理想の存在なので、各種のフィルムカメラとデジカメで共有しているのである。

あ、そうそう、OM1時代の気分は金属製の専用フードによく現れている。締め付けボタンがかなり大きいのが、かえってアナログめいて良い感じである。

2013年9月 2日 (月)

ハッピーベンダー50円の自販機

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この前、なにわのあいりん地区方面で、スーパー玉造の界隈に伝説の50円自販機があったので感激した。こういう物品はそれは安い方がいい。
日暮里は菓子屋横丁がスカイスクレーパーになって数年になる。あそこは夏にはあたしの好きな「植田のあんこだま」は秋口までは製造はしないのである。

それであたしの観察眼はちょっとぼけていたのであるが、なんと東都の日暮里に、50円自販機があるではないか。これには感激した。

自販機と言えば、昨年の夏にマイブームになった、大田区の「手が届かない自販機 」も白眉であったな。

せっかくなのでコーヒーでも買おうと思ったけど、夕方でアルコールの欲しい時間である。それで50円自販機は見るだけにして、隣のコンビニで発泡酒を買った。それを持って、日暮里駅の公演の構築物に腰掛けて飲んだら、なにか「にわかマンハッタナー」になった気分だった。

2013年9月 1日 (日)

光とその階調

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佃煮ヒルズで仕事していて、脇にぺぺんぺんぺんが置いてある。
このEVFは非常に見やすく、しかも視野が広いので使い易い。

東京大周遊では、目を保護するので常にサングラスをかけているので、コンパクトデジカメやフィルムライカの場合には、アクセサリーのファインダーを付けている。ペン5のこのEVFはあたしの知る唯一の「サングラスをかけたまま使えるファインダー」なのである。

佃煮ヒルズは広いので17MM相当だと室内写真になってしまう。
仕事場の外に真夏の熱風で木が揺れているなどは、なかなかの詩情であるが、モチーフとしては、遠すぎる。
それで機材ロッカーから昨年の12月にハノイで使った、ズイコー55MMF12を出してこれをアダプターでペン5に付けた。

しかもわざと絞りは開放にしてある。手前の木陰の先に人間が行き来するなどは、東京は中央区でありながら、どこかどっかの避暑地の感じの光になっている。
そのレンズの表現に吃驚した。

こういうのを現代版の「光とその階調」というのであろう。


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ごあいさつ

  • 2016/6/30 フォトメンタリーさんとの契約が終了しました。ありがとうございました。
  • リニューアルのごあいさつ 本日より「冠スポンサー」にPHOTOMENTARYさんをお迎えして「PHOTOMENTARYチョートクカメラ日記」がスタートします。 オリンパスさんには長年のサポートまことに有り難うございました。 今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。 2014年10月16日@@@田中長徳 ^^^^^^^^^^^^ チョートクカメラ日記は最初は2001年5月、月刊「カメラジャーナル」上の月一度の「紙の上の日記」としてスタートしました。 2003年7月から「MJチョートクカメラ日記」として本格的に始動し、総計650万ページビューを超えるオンラインカメラ日記に育ちました。 これも皆様のご支援のおかげです。 本日「冠スポンサー」が、初代メデイアジョイさん、二代目駒村商会さんに続き、オリンパスさんにバトンタッチして、新規のスタートをきりました。 デジタルカメラの未来と、銀塩カメラの未来を縦横に語って行く 「PEN PENチョートクカメラ日記」を 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 2009年12月17日 @@@田中長徳  
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