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2012年10月31日 (水)

夢の中

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愛用のスナップショット瑞光15mm f8で撮影したショットである。

最初はヒルズの仕事場のエントランスに掲げられた、ヨーコ オノのお習字。真ん中はヒルズの商業施設の万聖節のかざり。
下はヒルズ内郵便局の郵便ポストだ。

ペンペンにスナップショット瑞光を付けた、そのハンドリングの良さは言うまでもないが、その使いやすさを分析するに、まことに皮肉なことだが「マニュアルフォーカスだから撮影迅速」ということに尽きるようだ。

ライカの場合なら最初撮影距離をマニュアルで設定して、そこに「置きピン」をすることが出来るが、今の多くのミラーレスカメラの場合、フォーカスリングはあるのだけど、それは「無限に回転するリング」なので、実用にはならない。

スナップショット瑞光の使い勝手の良さはそこにある。問題点はフォーカス設定の最初のクリックストップは「レンズキャップモード」であるので、知らないうちに「闇夜のカラス」を連写していることだ。
安価なレンズに注文は難しいのかも知れないが、いったん、レンズキャップを「外し」たら、どこかを押してレンズをクローズするような仕掛けがあると嬉しい。

そういう機構がないので、撮影位置にして、テープを貼っている。これなら「闇夜のカラス」の写る心配はない。

ところで、ヨーコ オノの「夢」はなかなか不気味で気に入っている。

小学生の語る夢というのは未来に向けたボジテイブ思想でなかなかいいけど、ヨーコ オノのこの筆勢はもっと精神的、哲学的な文字である。ようするに喪服に「夢」文字を大きく染めた帯をしめた美人をそこに感じるのである。
人生ははかない夢の断片という風な哲学的東洋思想である。そこがいい。

全体を見ると、文字は中心から右上にあがっているのは、書道家としては失格だが、あたしが思いだしたのは、30年前の猛暑のマンハッタンのSOHOのアトリエに住んでいら時に、そのアトリエのアーチストがなにかの機会に、ヨーコ オノと名刺を交換してそれがデスクの上に置いてあったことだ。
その名刺は西洋人の名刺交換の流儀で、右上がちょっと折ってあった。
その状態を思いだしたのである。

西洋かぼちゃは、あたしの夢の中の「三流キャラ」であるから説明はパスして、三枚目の段ボールで製作された、郵便ポストは実に不思議な存在だ。これは中途半端な夢より現実の方が夢であることを語っている。

ヒルズの中に、郵便局のあることをあたしはタワーが出来て五年ほど、その存在を知らなかったのであるが、当初は段ボールがピンクに塗装されていた。それがしばらく前から、このような「正式な赤」になった。

しかしこの箱は郵便局の中に置かれているから、そこに郵便を投入できるのであって、これが路傍にあったら、単に捨ててある段ボールにしか感じられないであろう。

モノの属性というのは愉快だな。

★カメラはペンペン。レンズはスナップショット瑞光15mm f8

2012年10月30日 (火)

立石バーガーのドロッピング食パン

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先週の水曜に、浅草橋から徒歩、堀切両部園の立石バーガーを目指した。

空筒の側で、今日は水曜だから立石バーガーがお休みであることに気がついて、翌日の木曜にまた出掛けた。定年退職ではないので毎日、遊んでいられる身分ではないのだけど、立石バーガーとなると用事を放擲して出掛けてしまう。

お店にはいつも正面からはアプローチしないで裏手から回って、ご主人の自転車があることを確認してから、正門から入る。自転車が2台あったので、お客さんかなと思って店内にはいったら、ご主人は一人で粉をこねていた。

最初に話題になったのはお店の右側の食版の自動販売機?のことだ。本来はジャンピング食パンと言って、スキーのジャンパーの格好の食パン(賞品名はごちそう食パン)がスキーをはいてジャンプしている、素敵なイラストっであったが、これが数ヶ月前に支持体のモルタル壁を一緒に引きはがされて盗難にあった。

それが今回はドロッピン食パンと名前が変わって、イラストも新しくなったのである。これはなかなかいい感じだ。

ご主人になぜ自転車が二台あるのか聞いたら、なんでも二人乗りしていたらタイアが曲がってしまったので、二台目を借りているのだと。

半年前に「粉コネ機」が請われたので、今は粉と水と塩を手でこねています、という話をしていたら、店の窓の外に「ばったんこ」(業界用語、で放送関係などが藻持つ、紙ばさみ)を持った若い男女が数人うろうろしている。
あたしは「ギョーカイの人」なのでぴんときた。

その中の女性が入ってきて、あたしに「ご主人でいらっしゃいますか?」と聞いてきたので、ああ、この人はデイリーポータルを読んでいないことがすぐに分かった。

ラジオの取材で吉田照美のなんとかという番組の取材である。アポなし取材なのだけど、このお店は電話を解約してしまったので、アポなしが普通なわけである。

黒砂糖ゆき、という名前のレポーターさんがいろいろご主人にインタビューした。ご主人のお年があたしより二歳下であることも分かった。堀切菖蒲園に越して4ン3年目であることも分かった。

300円入れるとロイヤル立石バーガーが自販機?から出てきて、同時にエリックの歌が聴けるという仕掛けがあるが、これは500円払うと1月間、自分で歌う歌が「放送」されるのである。民放さんのスポンサー料とは格段に違いので、スタッフさんはさっそく500円払って「にっぽん放送」だか「文化放送」だか忘れたけけど、白い安カセットに録音した。
お店に居合わせた地元のお父さんというのりなので、ご一緒にどうぞと言われて、あたしもバックコーラスを担当した。聞いてね。
なにかゴスペラーズの酒井さんになった気分であった。

それはともかく、スナップショッズイコーは良く写る。暗い節電の室内でこれだけ写ってしかも周辺のデテイルがちゃんと描写されるのは、トリプレットの威力である。

★カメラはペンペン。レンズはスナップショット瑞光15MM F8

2012年10月29日 (月)

明石町

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中央区の区役所に用事があって、朝から出かけた。

用事をすませて、さてどうしようと考えた。この数年来、区内で出歩く所と言えば、月島のクラブエダムくらいなものである。

それでここからメトロで遠出はしないで、路地から路地を巡って佃にまで戻ろうと思った。

思えば日本デザインセンター時代の三年の間、お昼休みを勝手に延長して、出かけた先は中古カメラ屋めぐりか、佃界隈巡りなのである。

後者の場合は、もともと佃島までは距離があるわけではないので、小路をジグザグに歩行した。こうすると歩行距離が稼げるのだ。

築地の聖路加病院のタワーはランドマーク(言うまでもなく、聖路加タワーではなく、本館のクラシックなオーナメントのこと)であった。

エリザベスサンダースホームの澤田美貴さんのご子息と面識があったが、80年代に母上の追悼ミサか何かでご子息の縁でこの教会堂に入って、パイプオルガンを聞いたことがあった。

もと居留地というクラシックな区分はまだ界わいに残留している。

築地カソリック教会のギリシャ風の円柱だが、脇の説明の看板を呼んだら、これは大震災後に建設された、木造モルタルというのが渋い。

その脇にあるのが「大理石屋」さんで、ここはウインドウに本物の大理石が置かれている。

そこから路地を入った所にあった四軒長屋の三軒目が土門拳写真事務所であった。今では東側の一軒だけを残して更地になってしまったが、土門事務所の暗室の水洗の水道使用料が、町内では銭湯の次に高かったという伝説があった。(土門拳本人談)

10年ほど前には木族二階建ての建物の戸口が開いていて、そこに「土門」という表札を認めた。

★カメラはペンペン。レンズはスナップショット瑞光15MM F8

2012年10月28日 (日)

人形町から豊海橋を越えて佃に戻る

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佃島に住んで二十年以上になるが、この10年来、永代橋の東側、日本橋川の最下流に架かる豊海橋を超えたことがほとんどないことに気がついた。

東京をよく周遊しているつもりだが、この10年この界わいに縁がない、その理由を思い返してみると、これが六本木ヒルズを仕事場にした足かけ10年前と関連していることに気がついた。

佃地方からヒルズに行くには、大江戸線で行くか、有楽町線と日比谷線を乗り継いで行くかであって、永代橋から上流にはあまり縁がないのである。

ときたま、六本木からメトロで八丁堀で下車することはあっても、道をまっすぐに東にとって、中央大橋を渡ってしまうので、豊海橋とは無縁になってしまう。

ヒルズに仕事場が出来てから、東京の西側と連絡が頻繁につくようになり、その反動で今度は東京の北辺にも良く行くようになったけど、自宅周辺がおろそかになってしまったわけだ。

この前の偽ライカ研究会では、反省会を人形町で開催したので、会が散じてから徒歩で自宅まで戻った。

隅田川の右岸を逍遙して、日本橋川の豊海橋を超える時に、眼前の大川と永代橋のドラマチックな光景はなんとも言えない。

この橋がリペイントされたのがつい最近だと思っていたが、もう10年の昔なのである。

三十年代に某誌に「橋からの眺め」という写真とエッセイを連載していた当時は、もっぱら橋と川に興味があったが、そのこともすっかり失念していた。

★カメラはペンペン。レンズはスナップショット瑞光15MM F8

2012年10月27日 (土)

イロンベイデ 東京の1960年代

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最近の東京大周遊では、堀切菖蒲園の立石バーガーを基地にして周囲を巡ることが多い。

堀切菖蒲園に行くのは、浅草経由で青砥から上野方面に戻るのと、町屋から青砥方面に行くのと両方の経路がある。

柘植義春さんとは、多摩川住宅時代に団地中央の喫茶店に集合して、クラシックカメラ談義をしたことがある。その柘植さんの漫画でご自身と思われる主人公が年上のガールフレンドとつきあっていて、青砥の駅で別れるシーンがあった。

あたしの青砥感というのは、せいぜいその程度のうすっぺらなものであって、青砥を中心に金町、立石の位置関係が脳裏に浮かぶようになったのは、ごく最近のことなのである。

都心から青砥まで行ってそこから電車でさらに堀切菖蒲園に戻るのは、なにか損をしたような気分だ。ちょうど東京からパリで乗り換えて、プラハに戻るような空間感覚なのである。

それで最近のルートは、月島から日比谷に出て、千代田線で町屋に行きそこから京成で堀切菖蒲園に行くルートが一般化した。

この日も立石バーガーに行くので、町屋の駅に出たら、眼前に東京の1960年代そのものと言って良い存在が駐車していた。

このリネンサプライの会社の配送車である。このバンのスタイルとロゴと塗色はあたしの20代の時と寸分変わらない。カメラメーカーがニコンもキヤノンも80年代にCIとか言って、それまでのロゴを大変更してしまって、非個性的なロゴになってしまったが、このリネンサプライの会社の無骨なバンは、あたしがアメリカ大使館へのデモを取材していた1968年当時にも、まったく同じ形で銀座通りに停車していた。

これをあたしはデイベンロイではなく「イロンベイデ」と呼んでいた。これには理由があって、当時のカタカナの表記でそれが、車などに書かれる時には、かならず車の先頭から文字を書いていったものであった。

ゆえに車の左側面なら左書きだけど、車の右側面だと右書きになるので、これを左側から読むと、逆になるのである。
しかしこの逆さま読みの「イロンベイデ」は二十歳代のあたしの街歩きのキートーンになっていたのである。

数十年ぶりに再会(というよりも数年ぶりの再会であろうが、忘却していた)の「イロンベイデ」は普通の左書きであるが、これはやはり故事にならって逆さまに読んでみたいのである。

そうなると、周囲は一気に激動に6O年代に変貌するというのもなにか都会風景のマジックだ。

★カメラはペンペン。レンズはスナップショット瑞光15MMF8

2012年10月26日 (金)

ホロゴンとスナップショット瑞光

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オリンパスボデイキャップレンズという名前は、なにか属性がボデイキャップみたいなので、面白くない。

それで個人的にはこれを「スナップショットズイコー」と命名した。故事を紐解くと,戦前のライツにはスナップショットエルマー35MMがある。

コシナが最初に出した25mmの距離計に連蔵しないレンズが、やはりスナップショットスコパーと言ったと思うが、小型カメラの神髄はやはり「スナップ」にある。

階違いの連中はすぐに小型カメラで「作画」してそこに芸術性を追求したりするが、あれはよろしくない。写真で光とその階調を追求してアートするなど、なさけない老人趣味である。

スナップショッズイコー15mm f8の、姉妹レンズはツアイスのホロゴン15mmf8である。同じ三枚玉だ。同じ焦点距離と明るさであるから、これはまさに姉妹レンズ。ただしその価格は数百倍は異なるがここではそれは問題にはしたくない。

偽ライカ愛好会の会長から、この夏にその高い方のレンズを借りた。その時にはすでにスナップショットズイコー15mmは登場が予告されていたので、ホロゴン15mmをスナップショットズイコー15mの「代用」にしようと考えた。

よく、プアマンズXXという言い方があって、安価な製品で値段の高価な製品の代役をさせるというのがあるが、この場合にはその逆である。

そういう意味の言葉は存在しないのだけど、あえて命名するのなら、「リッチマンズスナップショットズイコー15m」ということになるのか。
あ。あまり感じがでないが、、、。

この前の偽ライカ愛好会の撮影会で、東京駅周辺を撮影した。その時、会長が持参した組み合わせがこういうものだった。すなわち、ライカCLにホロゴン15MMと、ペンにスナップショットズイコー15mの「二頭立て」である。

こういう変態的な組み合わせはあまり一般的にはお奨めできないということをここで明記しておく必要がある。

ホロゴンはレンズの後部が出っ張っているので、ペンには到着不能である。ちゃんと純正のスナップショットズイコー15mを使うことをお奨めする。

作例はこの通りだが、この「ちょっと収差のある描写」というのは、あたしなどは、往年の70年代の東京のクラシックなレンズでのスナップショットの感じを思い出す。

レンズも人間もあまりに完璧なのはどうも面白くない。

★カメラはペンペン レンズはスナップショットズイコー15m

2012年10月25日 (木)

古墳を見に行く

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大阪芸大の行きかえりに車窓から古墳が見えるようである。

後で調べたらそれは古墳ではなく、単なる鎮守の森であったのだが、古墳というアイデアと誘発させたのであるから、これはやはり古墳を見たということになる。

大阪芸大のプログラムが終わって東京に戻る日の午前中に古墳見学に行った。大阪空港に着陸する前にそういえば古墳を窓から見た記憶がある。それもかなりの数の古墳であった。

ここらが東京が大阪にかなわないところではないかと思う。地図で見たら。藤井寺とか古市の付近に古墳のでかいのがあるが、あたしは古墳周遊の初心者なので、なるべく大阪市内に近いのを見に行こうと思った。

それがこの大塚なんとか古墳である。近鉄電車は古墳をよけるような走りかたおをしているが、これも当然のことだ。近鉄電車のレールが敷かれる千年前、いやもっと前から古墳はあるわけだ。

前方後円墳とは、小学校に習った記憶があるが、実地に見るのは初めてだ。東京のそういう方面の見学は、せいぜいが大森貝塚程度なのである。

最初に古墳の南方に回った。ここは掘割がすでになくなって外と地面が続いていた。

時計周りに古墳を巡った。掘割の向かいは普通の民家であるのが面白い。自転車に乗って、カモフラージュジャケットに巨大な白い超望遠レンズを持った男の人がいる。古墳の中にカメラを向けている。ここは野鳥のサンクチュアリーなのであろう。

さらに歩行して行ったら、掘割から古墳に向かう、花道みたいなコンクリートの道がある。

「立ち入り禁止 宮内庁」と書かれていた。

★カメラはGRD4

2012年10月24日 (水)

モノクロームをF64で撮影

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阿部野橋のホテルに宿泊して、大阪芸大にかよったわけである。ホテルのB1を出た所に「成城石井」があるのが奇っ怪である。

ヒルズでも、タワーを出たメトロの入り口の手前に「成城石井」がある。この手の場所と空間感覚の混乱は、たとえば京都の八条口の改札の中は、そのまま東京駅南口の改札であるという、あたしが常に感じている「場所の移動の脅迫観念」と通じるものがある。

大阪芸大で授業をする以外の時間は主に、天王寺界隈を歩行した。三年前にやはり大阪芸大に特別講義で来た時には、通天閣からジャンジャン横町を周回して、その変貌ぶりに落涙したものだった。山谷もローワーイーストサイドも、クリミナルであった時こそがかがやいていた。

それで今回は彷徨の方向を変えて、もっと足下を周回した。天王寺から環状線のte寺田町までの道が面白かった。

そういう古風な迷路はともかく、大阪芸大写真学科で教鞭をとる者としては、ホテル近所のこの二つの店の名前が非常に気に入ったのである。

東京でも「ゾナー」とか「エルマー」という名前のカフェはあるにせよ。そういう店は店主がレンズ沼の住人ではないかと思って、ひいてしまう。

その点、この二店の名称はもっとアカデミックで店名の「座り」が良いと思う。

モノクロームサラダなど、次回試してみたい。

★よく見たらこのメニューの看板は「R」が抜けている。Monochomeであって、あたしの思い込みの勘違いなのか。まあそれでも良いけど。

★カメラはGRD4

2012年10月23日 (火)

日本に十台と言われるライカモノクロームを寸借

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偽ライカ愛好会はすでに三年目である。先週土曜にその「火器大演習」が開催された。

肝いりのアイデアで新装なった東京駅のドームの下で集合した。日曜なので善男善女が参集してまるでサンチヤゴ デ コンポステラのにぎわいもかくやと思える大混雑である。

陸蒸気が初めて汐留、横浜に開業した時、新橋の「ステンショ」に参集した、文明開化人類の数もこれには及ぶまい。

その時のレポートはまたやるとして、行軍が終わって、人形町の日本カメラのビルの前で記念撮影をした。カメラ人類一同感無量であった。

「反省会」がその側の「北海道」で開催されたのには、吃驚した。あたしは北の家族とか、びっくりドンキーとか、この手の巨大チエーンは苦手である。あたしの真面目な読者さんで、わらわらと、月の雫は仕入れ内容は同じで器が違うだけですよ、と教えてくれたのはK大学の学生さんでその店でアルバイトしていた、内部情報であるが、それはともかく、端末にタッチして注文をするようなお店は弱い。

そこに反省会に遅れてきた、中島さん(仮名)が、ライカモノクロームを持参したので、場は一挙に盛り上がった。なんでも現存数は10台ほどである。

そのライカモノクロームには大昔のフジノン50MMF1,2がついている。試しに撮影してみた。
結果はご覧の通りで、国木田独歩の名作「空知川の岸辺」が彷彿とさせるような画像になった。独歩が開拓団の用地選定に出かけた時に、番小屋で地元民と話をしているような感じになった。

こういうモノクロのアベイラブルライトのドラマチックシーンで思い出すのは、ユージン スミスの「カントリードクター」とか「ミッドワイフ」の一連のシリーズである。ドラマチックな一灯ライトでその前で人間がドラマを演じている。

これはかの「マグナム」が得意のショットなのであるが、いささか時代遅れなのは、言うまでもない。しかしライカ社がそういうマグナム写真家を担ぎ出してくるのは、戦略としては非常に頭がいいことになる。

★カメラはライカMモノクローム。フジノン50MM F1,2

2012年10月22日 (月)

高千穂のレンズキャップレンズとパンケーキレンズを比較

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なにでも、オリンパスの広報さんの話では、レンズキャップレンズは人気沸騰で貸し出しレンズが払底しているそうだ。

偽ライカ愛好会の会長(怪しい鳥の意味)が、ヨドバシオンラインで買おうとして、検索したらレンズ部門になくて、レンズキャップの方にあったそうである。
これをレンズキャップと認識するか、それともレンズと認識するかは、高邁な哲学の問題である。

写りは、名レンズパンケーキと比較したのがご覧の通りである。
レンズキャップレンズの方がコントラストは高く、ヌケは良い。同時にトリプレットレンズの欠点が出ている。

この三枚玉の欠点は懐かしいものであって、今の時代にはなかなか遭遇できないレンズの癖である。それが気に入った。

絞りがなくて、f8の固定というのは、フィルム時代にはホロゴンウルトラワドを仕事に使うので、絞りがないので、フィルムマガジンバックを4個持参した。感度50と100と400と1600のフィルムを使いわけた。

今の素子は感度が高いので、レンズの明るさはスナップレンズならこのようなf8で十分である。

マニュアルフォーカスは、オートフォーカスが、真面目にいちいちピントを合わせに行くのに比較すると「おとなのレンズ」という印象がある。

このレンズキャップレンズのコストパフォーマンスは非常に高い。

2012年10月21日 (日)

大阪芸大のギャラリーで28年前のあたしの作品と再会する

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大阪芸大に初めての出講。
ちょうど学内展があり、あたしの1985に撮影した「プラハ」の作品の展示をした。非常に広いギャラリーである。

1985に主に撮影したプラハの作品は、まだビロード革命の以前のプラハの街の様子を、プラウベルマキナプロシフトで撮影した。
それは3年前の一月にプラハのルツエルナ(1912年に完成したバーツラフ ハベル大統領の祖父が設計した、複合文化施設で欧州で一番最初だった)で展示した。

20点の展示の中には最近撮影された数点が含まれる。それらは1951年製のプラウベルマキナで撮影されている。
だから、1985年に撮影された(スーパーアングロン付き)の画像はなにかモダンに見えて、2005年に撮影された、クラシックなマキナ(1929年のアンチコマー付き)の方がずっとクラシックな画像の印象を受ける。

言い換えれば、20世紀に撮影された画像は21世紀に撮影されたように見え、21世紀に撮影された画像は20世紀の初頭に撮影されたかのような錯覚がそこにもたらされる。

出講の初日はギャラリートークを午後1時頃から開始して、午後6時前に終了しおそれから学生諸君のポートフォリオを見せてもらった。
なかなか面白いので予定を一時間以上の過ぎて午後7時すぎまでかかった。

2012年10月20日 (土)

阿倍野筋三丁目はシチリアのパレルモに似てる

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大阪芸大に出講する日の朝。

台風が南を通過中で雨である。阿倍野から電車に乗る前に、その南側を「路地裏学会」した。

雨でグレーの古い街並みのトーンを見ているうちに、シシリーのパレルモに以前言行った雨の朝を思いだした。

これはかなり複雑な状況であって、パレルモ旧市街に古い四つ角があって、そこから大きな通りが東西南北に伸びているが、そこから一歩、外に歩行を開始すると、迷路のような小路が無限に続く感じがあって、方向感覚が失われる。

この「ロスト状態」が結構好きだけど、実はあたしは方向感覚はある方なので、こういう状態には曇り日の方が太陽の方向が失われるから好きなのである。

しかもそこにパレルモ風の小雨が降っていれば、最高の招待である。

この日の朝がまさにそうであった。天王寺のターミナルをパレルモの四つ角、これを、クラトロクアンテイというのであるが、そこから数分も周囲に歩行すると、いきなり鍵型の小路に迷い込んだので、嬉しかった。

ちょっと残念なのは、周囲に高いターミナルビルがあるので、いったん方向を失ってもすぐに回復してしまうことだ。

★カメラはGRD-4

2012年10月19日 (金)

薄さ9mmの「ボディーキャップレンズ」が語るもの

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最近、一番気になっているレンズがこれ。世の中では明るいレンズに価値を見いだしている人が多い。

カメラメーカーもそういう「客単価」の高いレンズは商売になるから有り難い。
薄さ9mmの「ボディーキャップレンズというのは、値段がレンズではないような
「安心価格」であある。

あたしの見方からすれば、これは特殊レンズであるから、普通のレンズよりも高価であっても良いと思う。
東西冷戦時代に、スパイによる諜報合戦が行われていた当時のメーンカメラは西ドイツのロボットであった。民生用の普通のレンズの他に、アタッシュケースに仕込んえ使う特殊レンズがあって、これが院生用のそれよりずっと高価であった。

考えてみれば当然の話であって、諜報活動には潤沢な国家予算が出るから、いくらでも良いのである。その薄いレンズは本当に小型で薄いのである。

薄さ9mmの「ボディーキャップレンズを最初に見た時に連想したのはそういうプロ用レンズのことであって、しかもその価格が「フィルターなみ」なのにも吃驚した。

いつであったか、オリンパスの講演会であたしのトークの終了後に、限定版のレンズキャップの販売があって、これがかなり良いお値段なのである。すぐに完売になった。

それに比較すればキャップでもあり撮影レンズでもあるという不思議な存在の新レンズは魅力だ。

その薄さに痺れるのだが、さらにこのレンズは三枚玉であることが良い。手元の三枚玉レンズを思いだしてみるなら、まずはコンタックス用のトリオター85 MMがそうだ。ニッコール350MMは奈良原一高さんが、スペインで愛用の超望遠レンズだけど、これも三枚玉なので軽い。
三枚玉はクリアな画像が得られるのは、光の通過する硝子の枚数が少ないから当然である。

一般には周辺が暗くなるのが嫌だという意見もあるようだが、あたしなどは周辺光量の低下に「写真術のドラマ」を感じる好みなので気にならない。

現代のカメラ女子の言葉を借りれば「トイカメラっぽいから好き」ということか。

薄さ9mmの「ボディーキャップレンズ最大の魅力は「ピント合わせの時間がゼロに近い」ということだ。マニュアルフォーカスだから、当然なのだけどスナップはもともと「置きピント」で撮影するものである。

ライカ社が製作した、世界的に著名な写真家のストリートスナップのムービーを見ていると、彼らはレンジファインダーでピントなど合わせていない。
全部が目測による撮影なのである。

2012年10月18日 (木)

ライカ愛好会で歩いた新宿界わい

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あたしは文京区の生まれであるが、隣の新宿は常に異国であった。

音羽通りは当時は1丁目から九丁目まであって、北の護国寺から南下するに従って数字は増える。それが今では一丁目と二丁目だけになって、南が1で北が2なのである。これがあたしのような地元の老人には面白くない。南北が逆転して座りがわるいのだ。

その町名改正が充分に行われなかった、新宿区は細かいクラシックな名前がそこらにひしめいていて、これは何というべきか、なにか戦前のクラシックカメラがぎっしりと詰まったウインドウのある、北向きの古いカメラ店という趣きがある。そこが良い感じだ。

しかもそのクラシックカメラ連は「変な風にモダンスタイル」なのだ。

新宿の裏通りを歩行していた時のこれらのショットはライカに広角レンズでカラーネガに撮影されたものだが、何時も使っている、MacBookエアの中から「出土」したのである。

記憶をたどってみれば、東急のBEのワークショップ時代で、「ライカ愛好会」時代だから数年前のことで、しかも雨降りの午後であった。
路地裏に「はたぼー」という名前のスナックを発見して、そぞろ懐かしくなったのは、一緒に歩行している10名ほどの中のあたしだけであったろう。

主なワークショップのメンバーは40代から30代であるから、天才バカボンのリアルなタイムラインを知らない連中である。

ハタボーは浴衣の着流しの頭にお子様ランチの旗を立てた少年で、一種の狂言廻しの役であった。他に「ケムンパス」という毛虫のキャラクターとか、「べし」
という動物学的に不明の生き物もいたな。

新宿ゴールデン街は、あたしはそこにゆくべき、人生の時間割の時にはもっぱらウイーンに棲んでいたのでついにその機会がなかった。
だからゴールデン街で無二の親友もできなかったし、夜の店先で大げんかしたこともない。

一度だけアラーキーさんに連れられて呑んだのが四半世紀前で、それからご無沙汰で一番最近は大道さんにご馳走になったが、これすらすでに5年が経過している。

あたしはこの場所は夜よりも真昼の方が好きだ。

2012年10月17日 (水)

大阪芸大に持参のカメラたち

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本日移動日。東京ーー大阪。

マンハッタンのMoMAで一年かけて、写真のコレクションをみて、ついでにかのアルフレッド シュテイグリッツも関係した、THE CAMERA CLUB OF NEWYORKで個展を開催して、東京に一年ぶりに戻ったのは1983であった。

何かの機会で初めて大阪に行って、これは8X10で撮影できると思って、翌1984から年に何度も大阪に撮影に行った。

大阪の畳屋町にあるピクチャーフォトスペースで個展を開催したこともあるが、そこにまず8X10の機材を送って、向こうに預かってもらって撮影をした。

当時は凸版アイデアセンターの木村君のVWをドライバー付き(豪勢!)で借りて、鹿島出版会の「近代建築ガイドブック」をたよりに走り廻った。

展覧会も開催したし、雑誌などにも発表した。

その意味、大阪はあたしには東京に比較すると、はるかに「西欧的な都会」であって、その存在はマンハッタンとかパリに近いのである。

今日、水曜から大阪芸大に「出講」するのだが、持参の機材はこいう具合になった。

OM-Dではなく、ペペンペンにしたのは、最近は例の「OM-Dワークショップ」でOM-Dどっぷりであったので、ちょっと距離を置いてみようという理由である。

大阪芸大写真学科の学生諸君はどのようなデジカメを使っているか知らないが、某大学の写真学科だと、入学時にフルサイズのデジカメを買うような「誘導」があると聞いたがまさかそんなことはあるまい。

それが事実なら、あたしは「マイクロ4/3」を使うように「示唆誘導」して来るかな。

冗談はともかく、こういう陣容で大阪に望むことになった。何時も、プラハに持参するカメラなどと、ここに発表して実際には異なることがあるので、今回はちゃんと準備したカメラを持参する。

ペペンペンには、コンパクトズームをつけた。パンケーキの17mmにしようかと迷ったが、雑誌の連載の写真などを撮るので、やはりズーム付き。

それと使い古しのGRD4。長い年月(今年でGRDは7周年)もっぱら。ストラップレスアナーキスト同盟を標榜してきたが、先日、立石バーガーショップで「来店記念ストラップ」というのを買った。

これは目立つ。実はトートバッグの中に入れた、GR-Dを探すのは至難の業 なのでそれで目立つようにこうしたのである。

フィルムカメラの方は、コンタックス2Aである。四半世紀前に心斎橋をコンタックスで撮影していて、なにか良い写真が撮れたので、これを持参。あの時のコンタックスにはネームプレートにKIEVとテープで名前を貼っていた。

ようするに、「キエフの革をかぶったコンタックス」なのである。

2012年10月16日 (火)

ハム工場にハムを買いに


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何時も食べている、ポークソーセージは香りがいい。欧州のソーセージの香りがあする。
向かいのスーパーで売っているのは、100Gのパックが確か300円にちょっと欠ける。
その袋が空になって、その製造元を見たら、最近よく通っている葛飾区の興野である。それでその日も東京大周遊するので、時間があったら工場に行って直に買おうと思った。

舎人ライナーの荒野駅(ほんとうは高野駅だけど、わざと間違えてみたい)で降りて、東に向かった。この界隈に最初に来たのは10年ほど前であって、カメラはキヤノンの5Tで、カラーネガでちょうど桜の盛りの頃を撮影したな、などと古い記憶がずらずらと出てくるのは、その記憶はカメラを媒体にして思えているからのようである。

見覚えのある、銭湯の瓦屋根ととなりのしもたやの干してある布団など見て、視線を通りの反対に移動させたら、そこが目指す食肉工場であった。

そのブロック塀とそこに掲げられた安売りのポスターには記憶があった。その字体がなにか特徴的なのでちょうど「十月革命のプロパガンダ」のように覚えていたのである。

受付というドアを押したら、そこに白い服に白い帽子をかぶった男の人がいる。ここがすでに加工工場のどまんなかであった。

持参の空のソーセージの袋を示して、これを1本欲しいと行ったら、工場の奥に引っ込んでしばらくしてから、ちょうど海岸の漂着物を拾った手つきでその男性は巨大なソーセージを持参した。

当初の計画では持参のトートバッグにしまって戻ると考えていたが、そんな軽いものではない。それで宅配便にしてまた快晴の界隈の撮影を継続した。

工場での小売り価格は向かいのスーパーのそれよりちょっと安かった。

2012年10月15日 (月)

OM-Dで撮影する「16:9の風景」

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OM-Dを操作中に何かの拍子に、アスペクトレシオが16:9になってしまった。

あたしは20世紀以来のライカ使いなので、画面比率は3:2に常に固定してあるのだが、画面を見てみるとこの16:9はこれで面白い。

思えば、偽ライカ同盟に東儀秀樹さんを迎えた時、だからすでに十年前であるが、東儀さんになにかの展覧会での出品を依頼して、送られてきた画像の比率がこれであった。当時、なにかハイビジョンの動画画面を切り出したような気がしたものである。

最近では島尾まほさんと対談して彼女が出した作品がやはりこの画面比率である。

あたしはこれよりずっとパノラマな横に長い画面はフィルムカメラで好んで撮影しているが、デジカメでのこの比率は初めてなので、なにか逆に新鮮ではある。

それでしばらくこの比率で撮影してみようということになった。

先に明かしてしまえば、あたしの価値感では、このハイビジョンサイズというのは、なんとなく「胡散臭い」のである。

写真という存在はもともと見せ物的であり、真実など伝達するより、なにかの「興行的いんちきさ」とか「プロパガンダ的に信用できない」感じなものだから、この偽物っぽい比率はこの世界を透視するには案外、有効なこかも知れない。

 

2012年10月14日 (日)

ハリーキャラハンのコンタックス2a

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コンタックスというブランド名は正しく、疾風怒濤の歴史の波に翻弄されたカメラであった。

第二次大戦後の東西独逸分断で、ドレスデンで作られていたレンジファインダーのコンタックスは西独逸のシュツツットガルトで生産され、これがそれまでのコンタックスを改良したコンタックス2aと、それにメーターを載せた3aである。

1960年代初頭に、まだスター写真家の檜舞台であった、ライフの写真家がどのようなカメラを使っているのか、調べたことがある。

ただしくは彼らスター写真家がたまたま手にしていたカメラと一緒にスナップした小さい写真からカメラの機種を判断するというくらいの意味であるが、ライカ万能と思っていたら、暗に反してコンタックスの使い手が多かった。

しかしその多くは戦後の西独逸製の新型コンタックスではなく、戦前のドレスデン製の旧型であるのが面白かった。
もっとも、その多くのスナップ写真は60年初頭から見て、十数年前に撮られたとおぼしきうスナップであったから、彼らが「戦前のコンタックス」を手にしていると思うのは、現代の我々の時間の距離感の考えであって、当時の時間で見れば、たまたま十年前のちょっと前のコンタックスを手にしていたと考えるのがむしろ自然であろう。

ライフの写真家ではカールマイダンスも戦前のコンタックスを手にしている。Dデイで有名過ぎるキャパも戦前のコンタックスである。

それはさておき、あたしのウイーン時代もすでに四十年前の歴史的な事実になったが、回想するに、戦前のコンタックスと戦後のコンタックスを同時に使用することはなかった。

フォーカシングギアの回転方向と距離計のイメージの移動方向が戦前と戦後では逆なのである。

シカゴの有名写真家で石元泰博さんの先生でもあった、ハリーキャラハンは1950年代の後半に西ドイツのツアイスが、ビオゴン21MMを出した時にコンタックス2aとそのレンズとを買っている。このレンズで焦点深度の深い作品を撮影することで、キャラハンの仕事は新境地を迎えた。それまでのキャラハンは主に大型カメラで仕事していた。

この初期型のコンタックス2aには、西ドイツに対抗する「敵国」のツアイスイエナのゾナー50mmf2が付いている。
これは純正レンズなのだ。当時の西のツアイスはまだ戦後で、レンズを生産するパワーがなかった。それでイエナから輸入したレンズを付けていた。

たしか当時、少数がイエナで生産された、いわゆる「イエナコンタックス」も同じレンズであった。
ただしこちらは同じ生産地のレンズとカメラであるからごく普通のことではあろう。

2012年10月13日 (土)

3500円のカツカレーより3000円のノートブックSOLA

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この間、今度出るあたしの写真集「ライカ マイ ライフ」の打ち合わせの時に、えい出版の清水編集長はこのような上質なハードカバーのノートを示した。

しっかりした布表紙で、Moleskinみたいなゴムのベルトもついている。頁を開いたら、これが「かがり綴じ」なので感心した。最近は無線綴じが普通になっているが、これはコストの高い製本なのである。戦前の本がばらばらにならないのは、このかがり綴じのせいである。

ノートを完全に開くことが出来る。これは快適である。

用紙はバンクペーパーという、銀行などが帳簿用に使うクリーム色の上質紙で、方眼用紙である。他には罫線とか日記もあるらしいが、あたしはMoleskinで方眼用紙を使い慣れているのでこれの方が良い。

方眼紙に描いた、パルテノン神殿と六本木ヒルズのラフなスケッチをそのまま、本の原稿に使ったら良い効果が出たことを思いだした。

このSOLAという名前の上質ノートが、この間、話題になったホテルニューオータニのあべさんの3500円のカツカレーより安い3000円なのである。

思えば、30余年前に一年間マンハッタンに居た時の常用ノートは確か、80セントであって、書き塞ぐと八番街と43丁目の文房具屋に買いに言ったものだ。

このSOLAもそういう風に書いて長く手元に残るのが良い感じである。しかも3000円の出費はちょっと身構える値段だから、大事にすると思う。

あたしは新し本を出す時のアイデアはずっとMoleskinのノートに書いてきた。
そのやり方はアイデアを見開きの片側だけに記入して行く。
頁の片側を書き塞いだら、そのアイデアの実際の答えとなるセンテンスはノートを逆さまにして、対向頁に書いて行く。そういうやり方に慣れているのだ。

そういうノートの書き方をこのSOLAでもやってみたいと思った。
全頁にノンブルがついているのも便利だ。普通のノートだと、あたしは最初に手書きで全頁にノンブルを打っていたからだ。

2012年10月12日 (金)

ライカインコの楽園

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先週、舎人ライナーの高野駅から歩行開始して、梅島駅から堀切菖蒲園に行くのに、電車に乗った。北千住で乗り換えて牛田駅(ぎゅうでん、と読む)で関屋駅に乗り換えて、堀切菖蒲園に行くつもりがぼっとしていたので、南千住に来てしまい、また北千住に引っ返した。

この地域は隅田川が蛇行している。しかも電車以外には適当な連絡がなく、これを歩行して橋を渡るつもりになると非常に不便だ。

空白の5哩と冗談で言っているのは、あれは冗談ではないのだ。

その日も、堀切菖蒲園の立石バーガーで「ジャンピング食パン」のアトラクションを見て、亀有方面に歩行した。

秋の夕日が三時を回るといきなりパワーがなくなる。それで歩行を速めた。いきなり「ふれあいどうぶつ広場」というのがかなり大きな公園の一部として目の前に現れた。

ちょうど、ペットボトルの水もなくなったので、そこの公園で水を補給してちょっと休憩した。

後で調べるとその公園は区立上千葉砂原公園というのである。

黒山羊さんとかロバさんなどがいた。巨大な鳥かご、つまり「大鳥かご」があった。正岡子規は庭に金網の鳥かごを造ってそこに小鳥を入れて楽しんでいたとあるのはあれは「墨汁一滴」であったか。

その子規の大鳥かごよりずっと大きいのだから、これは「大大鳥かご」であろう。中を見ると、一番数の多いのがライカインコである。しかもスタンダードなグリーンのやつだ。うちのライカインコもここに居たのかと思うと嬉しくなった。

他にはぼけこっこーとか文鳥なども居る、この世の「鳥のエルドラド」である。

脇で聞いていると、インコは集団になると、ジャカジャカと鳴いてかなり五月蠅い。これが夜になれば収まるのであろうが、うちのライカインコの場合には、小さな鳥かごであったから、風呂敷をかければ静かになったけど。これだけ巨大な家のうような鳥かごにはどのように布をかけるのであろうかと変なことが気になった。

2012年10月11日 (木)

ラベルに書き込めるSDカード

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かなり時代遅れに思われても仕方ない。あたしの常用しているメモリはSDの2GBである。

理由はいろいろあるが、サイズとしてはこのくらいがちょうど使いやすい。大昔、マックのクアドラ800のHDが500MBでそんな膨大なハードデイスクを使いこなせるかと心配したことがある。

NeXT CUBEのHDは1GBであって、これも巨大だと思った。しかも純正の値段は数十万した。NeXTのHDがクラッシュして、純正のHDに変えようとしたら、何十万もしたので、代替のIBMの1GBのHDにしたらこれが三万数千円であったので、とても安いと思った。

それが今では2GBのSDが三百円台で売っている。

メモリが安いのはいいが、最近のあたしの画像の保管方法はそのままSDを保管しておくことだ。必要な画像は出版社の方にあるから、二次使用などはこっちが探し廻るより、出版社に一任しておく方が楽である。

手元にあるSDメモリで大問題であったのは、「その上に文字を書くことがなかなか出来ない」という点にあった。

油性のペンなどで書くことが出来たのかも知れないが、あたしの周囲の筆記用だと全部、弾いてしまう。それで35mmのスライドを入れる、クリアな小袋にいれて保安したりした。

知り合いのカメラ人類からもらった、この2GBのSDメモリはなかなかいい。これに年月日を入れて、時系列に保管しておけば、あたしの場合にはまず大丈夫だ。

目下、OM-Dとペペンペンを並列で使っている。性能には満足しているが、問題はOM-Dとペペンペンではカードのスロットの方向が逆についているのである。

これは慣れとかそういう問題ではなく、やはり統一してもらいたい。この前、オリンパスの小川さんに会った時、その事を質問したらなんでもカードスロットを含む部品がそのような構造になっているので、ペペンペンとは逆に差し込むようになってしまうのだとの事だった。

なるほど、カメラ造りの方でも、色々な事情があるのだと感心した。

2012年10月10日 (水)

スイス製のスイターをOM-Dに付けて遊ぶ

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数日前に本ブログで、フルサイスへの疑問符というタイトルで書いたら、沢山のついったー上で沢山のリツイートをいただき、またあたしの顔本上でも論議が起こった。
なにかあたしがフルサイズを憎んでいるのではないかというような、見方もあったようだが、これはデイベートであることを最初に勘案することが大事だ。

しかし画質とバランスと携帯性を考えれば、あたしのアウトフィットは、マイクロ4/3とコンパクトと、APS-Cで構築されているのである。

マイクロ4/2の利点は、アダプターで各種レンズが遊べるという点にある。
この「遊べる」というポイントが重要である。アダプターで各種レンズが使える、ではない。

これは大事な鉄則であって、ちゃんとした撮影には純正、あるいは同等クラスで、ちゃんとそれように設計されたレンズを使えば良い。
そのことは「OM-Dワークショップ:」’えい出版刊」でも触れた通りである。

アダプターで交換レンズで遊ぶというにはその意味でかなり純正レンズを極めた人がその先に行くような領域と考えた方が良い。

ただしここで問題を定義するのなら、100mmから1000mmまでの非純正レンズはちゃんとペンペン、OM-D用として使えることだ。

25mmのシネマ用レンズはやや周辺が欠けるものもある。これは16mm映画用レンズのことであって、例えば18mmのレンズは16mm映画用のなら、周囲はけられるけど、同じ18mmレンズでも35mm映画用に設計されたレンズはけられがない。

マイクロ4/3のアダプターでOM-Dにレンズを付けた時の便利さは、例え、F値が不明にレンズであってもちゃんと写ることだ。だから理論的にはマウントに固定できればあらゆるレンズが使用可能だ。

ここまで書いて、思いついたのだが、どうも映画用のレンズでカバーレンジ面が足りなくて、周辺が暗くなるのを今まで欠点と思っていたのだけど、考えてみればこれは長所ととらえることが出来るのではないかという点だ。

発想の反転である。

佃の大ガラスの部屋にはそういう旧映画レンズが山になっている。さっそく一番好きなレンズをCマウントアダプターでOM-Dに装着してみた。

スイスのKERN(ドイツのケルンではないよ)は光学製品のメッカであって、あたしはKERNの製品を愛用しているのだ。

一番気に入っているのは、スイス陸軍の双眼鏡8X30である。こいつは素晴らし双眼鏡だ。

スイター10mmの広角レンズはご覧のようにトマトのお皿に並べるとなかなか可愛いチャーミングなレンズだ。

かの映画の巨匠ヨナス メカスが偉容したレンズでも有名だ。
これをCマウントアダプターでOM-Dに付けたらなかなかノスタルジーな画像が撮れたので気に入っている。

カメラはいずれもOM-D  トマトの画像はごく普通の12-50mmズームによる撮影。

2012年10月 9日 (火)

立石バーガーをブレックファストにする

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このところ、堀切菖蒲園の立石バーガーに良く行くのであるが、思えば2週間の間に4回も行くのは、回数が多いと思う。

その内、最初の回は水曜でお休みであったから、実際にお店に行って買い物をしたのは三回ということになる。

あたしは1970年に日本に最初にできた、マクドナルドで(銀座四丁目の三越の路面にあった)で、恐らく日本で最初の日本人として「ハンバーガーの立ち食い」をした「歴史的経験」を持つ者である。

ただしその後、マックにはまったく行かない。愛用しているのは、このマック(電子計算機)の方だ。

そういう食い物歴を持っているあたしが、立石バーガーに頻繁に行く理由は、家人がこのバーガーが非常に気に入ったからだ。これは「うまい」というのがその意見であって、それ以上の理由を言わないのは、家人の偉い所だ。

この「うまい」という評価は本質的なものであって、「うまい」と「まずい」とか、「よい」と「わるい」という単純評価ではあるが、物事の本質を見抜いている。写真だって「よい写真」と「悪い写真」があるのみだし、デジカメのデザインだって「よい」のと「わるい」のがあるばかりだ。

その単純な評価のスケール上で、立石バーガーは「うまい」のである。

もともと、ハンバーガーにはまったく興味を示さない家人が、これだけ高評価というのがおかしい。それも「食感がどうこう」というような、食い物評論とかBクラスグルメの蘊蓄ではなく、単に「うまい」というのはかなりの価値観であると思う。

結婚して四十年余りで「バーガー」を名指しでリクエストされたのは初めてなので、そうなると、堀切菖蒲園に行く張り合いもあるというものだ。

もっとも、堀切菖蒲園には以前から、青木書店と、総菜のさいとうと、さらには金子酒店もある。そこにさらにプラスワンが加わったわけだ。

これは家人のブレックファストの立石バーガーのプレートである。

2012年10月 8日 (月)

フォクトレンダー スパーブの細部にしびれる

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この夏に佃の大ガラスの部屋がカメラジャングルとリビングの国境線を「ジュネーブ協定」により1メーターほど後退させたのである。

その時に、数年来の行方不明品が発見された。欧州の名画で何世紀も行方が分からなかったのが発見されたようなものである。

その中に、フォクトレンダーの名カメラ、スパーブが新旧揃ってあった。

スパーブは1932年にローライフレックスの対抗機として発売された。今のデジカメは競合他社への対抗機となると、なにかモデルAに対して、Aダッシュであったりして、カメラのロゴを見ないと、A社なのかB社なのか分からない時代だ。デザインに個性がないから、ロゴを見ないと分からない。

それゆえ、あたしの感覚ではA社とB社ではなく、印象ではA社とAダッシュ社のように思えてしまう。まあ似たような素材を使って組んでいるのだから、仕方がない。

しかもライカとキヤノンで同じM型というのを出してきた。今のライカ社のトップは、同じロゴだからと文句を言うことはあるまい。時代はオリンパスM1当時とはかなり変わったわけだが、アルファベット一文字だと、同じ型番になる確率は高いな。

こうい非個性の傾向はどうも大型飛行機がワイドボデイになった頃からの一般的な風潮のようだ。デザインの無個性化なんて、もう入力するのも飽きたから書かないけど。

そういう現代のカメラと戦前のスパーブを比べては、お門違いの言いがかりではあろうが、現代のカメラデザインに失望するのなら、せめて一時はクラシックなカメラデザインと戯れたい。

画像は新旧のスパーブである。細かい違いはその方面のウエブを検索していただくとして、肝心なのは「他の競合二眼レフに似ていない」ということだ。

日本だといかに「メジャーなカメラデザインに似せるか」がデザインのメーンテーマであって、それはそれで「偽ライカ方面」の楽しみがあるのだが、それは枝葉末葉な話である。

どっから見ても、スパーブである。

左が新型で右が旧型。七宝焼きのエンブレムのブルーとイエローのバランスなどちょっと現代では真似が出来ない。第一にコストが高そう。富士フイルムのレンズ交換式デジカメはテストしてみてなかなか良かったのだけど、最初に拒否反応があったのが、軍艦部のへんてこなレンズの組み合わせロゴであった。あれってなにか最近の思いつきで作った感じがある。

スパーブはコンパーシャッターを上からちゃんと見せる為にだけ、プリズムで反射させるのであるが、その為にダイヤルセットコンパーの数字をミラーイメージにしている。これはスパーブだけかも知れない。

同時代の独逸の空軍用のクロノグラフで文字盤を逆に刻印したのがあった。コックピット内の鏡で反射させて使う、今で言う「ヘッドアップデイスプレー」なのであろう。

スパーブのレンズにはスコパーとヘリァの二種があって、物知りはヘリアを好むようだが、あたしにはどちらも良いレンズだと思う。

専用の革ケースがなかなかの出来であって、すでに八十年を経過しているのに、いささかのダメージもない。独逸のカメラのケースはライカM3当時のものでも、すでにばらばらである。

何か意味ありげな数字とアルファベットが打ってあるが、何の意味か分からない。その下の文字は仏蘭西語のようだな。

2012年10月 7日 (日)

築地場内

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築地の場内に最初に入ったのは、1970年であるから四十二年前か。当時は一般人は入場できなかった。

1980年代になって、仕事で欧州の魚市場によく取材にいったけど、やはりそのサイズと活気は日本の築地だと思った。
マンハッタンのフルトン市場のように、観光地に鞍替えしてしまう所もあった。

築地の場内に立ち入れることを知ったのは、知り合いのお魚専門家のおかげである。これが7年ほぢ前のことで、それ以来、佃から築地は近所なので、散歩のつおいでというわけではなく土曜の玄人さんの時間帯の後に、場内で買い物をした。

以来、知り合いの行きつけのお店もできて、ありがたいことである。いつも御世話になっているので、この冬には新刊の「屋根裏プラハ」をそこの仲卸のお兄さんに差し上げた。

それから春にはプラハなどに行き、夏は猛暑で場内には行きそびれていた。ついこの間、そのお店に行ったら、半年前の本のお礼を言われた。

「田中さん、正直言って、おれにはあのプラハの本の良さが分からないけど、うちのかみさんが本が好きなので、あれ読んで欧州に行きたいって言ってました」
これが仲卸のおにいさんの言葉でそれがなかなか嬉しかった。

沢木耕太郎さんや、福田和也さんに褒められたのも嬉しいけど、こういう感想はもっと嬉しいのである。

その晩はそこで買った鮪で一杯やった。

2012年10月 6日 (土)

フルサイスへの疑問符

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フォトキナも終わって、一般向けのニュースでフォトキナのニュース内容を見ていると、各社からフルサイズのデジカメが出て、なにかニュースの取り扱いが「デジカメはフルサイズが沢山新製品で出ました」なら、まことに結構であるが、世の中の風潮がそうではなく、なにか「デジカメはフルサイズでないと駄目」みたいな風に考えている初心者さんがいるようなので、一応、横丁の隠居が苦言を呈しておくことにする。

大昔、フルサイズのアメリカンカーがばかでかくて、ガソリンを捨てるような燃費の悪さが自慢で、しかも狭い東京のダウンタウンの角を曲がることができないという問題が起こったことがある。

あれは石油危機の前であったと思うが、当時はアメリカンのフルサイズカーがステーテスであったのだ。

今時、そういう巨大な車を趣味で乗る人はそれで良いのであるが、今の時代にそういう巨大な車を経済的な方面から推奨する人は居ない。

しばらく前、広告の仕事で大手代理店からフルサイズのデジタル一眼レフを使うようにと言われて、持っていないと答えたら「それではレンタルします」と言われて吃驚した。

ようするに広告は「世間体」があるから、そういう「信頼できるカメラ」をカメラマンが持っていないと、代理店はクライアントさんの撮影立ち会いに、ちゃんとしたカメラマンを起用したという説明ができないから、従って請求書を起こしにくいということらしい。

これは理不尽なので、止めさせて、自分のコンパクトデジカメとAPS-Cサイズのカメラで撮影したが、結果はなんら問題がなかった。

今なら、あたしはマイクロ4/3派であるから、これでちゃんとした仕事をしている。その細かい背景は「OM-Dワークショップ」(えい出版)にちゃんと書いたのでここでは繰り返さない。

目下、東京大周遊にはこのような、フィルムを使うライカとコンパクトデジカメや、ペンデジタルを持参する。だからフットワークが良いのであって、実際、フルサイズのデジタル一眼レフは今度のフォトキナで出たのは少しは小型になったようであるが、常時携帯するのには、フィルムカメラとデジカメの二頭立ての場合には、あまり大きくて重いデジカメは御免なのである。

もとよりカメラの選択は個人の信仰の自由であるから、他人の口出しをする領域ではないのだが、顔本とか同好の士の集まりのウエブ上で、フルサイズのデジタルカメラでアップした画像をたかだか250KB程度のやつで「やっぱりフルサイズは違いますねえ、、、」とは滑稽である。

四半世紀前、銀塩カメラ全盛時代に、ツアイスレンズで撮影した画像をサービスプリントに焼いて「やはりツアイスの光と陰が、、云々」と本気でやっていた時代のあの、クラシックジョークを思いだした。

デジカメにはフルサイズは要らないけど、ご覧のようなフィルムカメラの場合には、ハーフサーズでは困る。フィルムの場合にはフルサイズでないといけない。

フィルムのハーフサイズはなにやら「森山大道さんの画風」になって一気に芸術に方面に行ってしまうからだ。

とりあえず、現在のあたしはペペンペンとOM-Dそれに各種のコンパクトデジカメでなんら不満はない。

2012年10月 5日 (金)

パイプと自販機

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パリと東京の下町とは、道路の構造に共通点がある。

道路の交点が90度ではなく、鋭角になっているのだ。これは街並みの遠近感をダイナミックに見せるので、うまい都市計画である。

と、ここまで書いて、たしかにパリの場合には都市計画でそのような「鋭角の街角」が出来たのであろうが、東京の下町の場合にはどうも「偶然に出来てしまった」のではないかと思う。

江東区のような戦争の空襲で焼けた所は、碁盤の目のようになっていて、これはつまらない。京都とかマンハッタンのつまらないのも、碁盤の目の通りになっているからだ。

マンハッタンの場合には、BWが斜めに走っているから、あれで助けられているのであろう。マンハッタンが完全に方眼紙のような街であったら、こんなに人気は出なかったかも知れない。

最近は、江戸川区、葛飾区界隈を徘徊(東京大周遊、と読む)しているが、その街の魅力はそのくさび形の街角にある。

これは堀切菖蒲園の近く、平和橋通りの立石バーガーの裏手の通り(路線価では立石バーガーが裏手になるのであろうが、それがあたしの価値感だから構わない)のパイプとその脇の自販機である。

一つのビルの端っこと端っこを撮影したので、背景は同じタイルになるのが「地と図」の関係で見れば「図」の方が統一されているのが、なにかお洒落である。

こういう鋭角の角に自販機が置かれると、普通は平面に置かれて通行の邪魔になるマシンがその存在を変えてしまう。

なにかお洒落な街のアクセントという感じだ。

2012年10月 4日 (木)

二十一という数字

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今、住んで居るのは、リバーシテイ21である。
四半世紀前には、この「来るべき二十一世紀」という未来イメージを代表するのが数字の「21」であった。

それゆえ、80年代から後半にかけてそこらじゅうで、21をキーにした店舗や商業施設が建設された。

ところがその21世紀も幕をあけてみると、ミレニアムと世紀の変わり目くらいは、ポジテイブな感覚であったかも知れないが、その後は我々の痛いほど知る、こういう状況になってしまった。

東京大周遊で時折みかける、数字の21をキーにしたこういう看板は、それゆえ夢がついえたというよりも、なにかネガテイブな近親感がある。

その意味を解析してみれば、東日本大震災の直後から(そして今もなお)そこらに張り巡らされていた「かんばろう日本」はあたしには大した感激もあたえなかったけど、すでにその看板の文字もおすれてしまった、こういう20世紀末に21世紀に期待していた夢の方があたしには身近に感じるのだ。

この「21モノ」は先週水曜に、東新小岩4丁目から、堀切菖蒲園の立石バーガーに歩行した時に装具したのであるが、共感を呼ぶ看板である。

慣れてくると、この手の「ほとんど白色に還元した看板を裸眼で復元する術」というのが身につくようである。

21という数字で思い出すのは、東京を撮影開始した当時のレンズが21mmであったことだ。いや、実際にはニッコール2,1cmだったわけだが。

それが年齢に連動して35mmになり、50mmになり、今は65mmになった。しかしあまり長いレンズは使いにくいので、最近はまた21mmに戻って、気分も21歳になって東京を最撮影してやろうと考えている。

ライカもそうだが、この手の看板もそうであって、古いのに限る。

2012年10月 3日 (水)

HND

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先月、札幌の帰り、HND(羽田)に着陸した時にはすでに暗くなっていた。
777-200がサテライトまで行く間に、窓からハンガーが見えた。
暗闇の中に煌々と明かりがついていて、そこに飛行機が格納すれていた。

格納庫をハンガーとは、なぜ言うのであろう。アビエーションの初期の時代には、そのハンガーが何であるか分からなかった。それでハンガーを「鍵の手」と訳したらしい。

ハンガーには一般人は立ち入れない。ANAの塗装が今のようになった、あれは1984年であったか、朝日ジャーナルの口絵の連載の取材で、許可を得て滑走路とハンガーに立ち入ったことがあった。

二度目は、1997年であったか、独逸のデユッセルドルフ空港が火事になり、緊急手段として、乗客のハンドリングをハンガーで行ったことがあった。自分が航空関係者になった気分であった。これは人生で唯一の貴重な体験だった。

この前の札幌帰りで、夜業のハンガーを見てしばらくしてから、セブンイレブンの
旅行会で羽田空港のJALのメンテナンスの見学会を募集していた。

お弁当付きで、980円である。早速申し込んだ。

十月の初日。台風一過の飛行場見学には最適な日である。

思えば、パリに留学に行った友人を見送ったのが、1970年のHNDである。今の大鳥居の場所に車を停めて、その先がいきなり空港であった。

1976年に数年ぶりにウイーンから日本に戻ってきて、タラップを降りたら眼前に三菱とか、ポンジュースの看板が眼の前に見えた。しかも風が磯臭いのである。

かのウイリアムクラインの写真集、「東京」でも「生け花」のような、高度成長期のクレージーなショットとして、この「えび取り川」の脇の看板は撮影されている。

国際線ターミナルのオブザベーションデッキはなかなか良かった。そこでゆっくり弁当を食べた。

午後から胸にバッチをつけて、団体さんの一員としてJALのメンテナンスセンターとハンガーを見学した。広いことにも驚いたけど、床面が鏡のように平らなのが感心した。

ようするにあたしのような高齢者には、バリアフリーなのだ。三菱の神戸造船所などは、まるで突起物とパイプの展示場である。足もとが危ないのである。

快晴の夕日の斜光を浴びつつ、モノレールで戻ってきた。数年ぶりに乗ったらモノレールに快速があることにも吃驚した。整備場と新整備場とは違う駅であるいことも、今回、再認識した。

一昨年の秋に、パリに行く時、飛行機をA380にするか、それともHND着発にするかで迷った。結局、前者をとったけど、次回はここから欧州だな。

2012年10月 2日 (火)

ROBOT ROYAL 彗星

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日大の写真学生時代にアサヒカメラから、別冊で「世界のカメラ」というシリーズが出ていた。

60年代のフィルムカメラの黄金時代の世界のカメラの紹介である。時代はまだM3とM2の時代だった。

その雑誌はながらく紛失していたのだが、あたしの読者さんが古書店で発見し、同時に、チョートクがこの雑誌のことに言及していたなと、思いだしてくれて、それを購入して送ってくださった。これもすでに10年の昔の話だ。

その中にロボッロイヤルという、独逸はデシュッセルドツフのオートーベーニング社製のスプリング式のモータードライブカメラがあった。

当時はすでに、ライカは持っていたが、スナップシューターを目指すのなら、こういう高級機を欲しいと思った。

そのロボットロイヤルを最初に手に入れたのは、ウイーン時代の最初の年の夏である。幸せで昇天しそうだった。

その時にウイーンで撮影した作品は、1974年に松岡正剛さんの編集した写真集[OFF]に掲載されている。

またぞろ、ロボットロイヤルに興味を示すようになったのは、これは比較的短時間であたしの「カメラ太陽系」を周回する「欲望のカメラ彗星」なのである。

その周期は不定期だが、大体3年ほどのようである。

ロボットロイヤルにはタイプが2種類あって、正方形の、つまり従来のロボットサイズを撮影する、ロボットロイヤル24と、ライカサイズを撮影するロボットロイヤル36がある。

ロイヤルという、今にして思えばかなりチープでキッチュな名称が実に60年代して良い感じだ。

そのロイヤルというフレーズを思いだしたのは、他でもない、先週の水曜に訪問したら定休日だった、堀切菖蒲園の立石バーガーの「ロイヤル立石バーガー」から連想したのである。

2012年10月 1日 (月)

足立区関原のくさび形美容室

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足立区関原界わいは、東京大周遊の興味がつきない。

最初にこの界わいを知ったのは10年ほど前だ。それ以前は西新井大師から南はあたしの暗黒大陸であった。

歩行していると、トタン屋根の小さな町工場があって、中で小さな船の玩具を造っている。これをじじいのノスタルジーで片付けてしまうのは簡単であるが、そういう「一般レベル」を越えた何物がが存在しているのが、この界わいの魅力である。

数年前まで、公道上に「ピサの斜塔」ならぬ「関原の斜床屋」というのがあった。かなり道方向に歪んで張り出しているのである。さらに凄いのはちゃんと営業していたことだった。

しばらく経過して、また見に行ったら、すでに更地になっていた。野原で狐に化かされた気分で野趣があった。

これは床屋とは同類項の美容院である。道を北側から南下して行くと、最初に普通のすがれた美容室に見える。

接近すると、そのファサードの存在がなんとなく、映画のセットめいて見える。その理由が不明のまま、歩行を進めると、さっきの映画のセットめいた感覚の理由がはっきり分かる。

この建物はくさび状に関前の空間に突き刺さっているのである。

空間のベクトル常数の高い点では、ハンブルクにある、ドイツ表現派の建築「チリハウス」にも似て居る。

★カメラはハードボイルドなXZ-1

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