JP
ジャクソン ポロックをJPと言うのは一般的などうかは分からない。
佃からヒルズへの通勤路で、何度か地下道を曲がるのであるが、有楽町線から日比谷線に乗り換えの最後アップ階段を登って、そこを右折するのである。
ここは階段だから歩く速度が落ちてしかも身体が右に旋回するので、視野も同時に左から右にスキャンするので、壁のポスターの視認効果は高い。
いきなり30年ぶりに網膜に投射されたポロックの作品を見て、身体が硬直して時代は一挙の70年代に飛んだ。
なにもJPの作品を当時見たのではない。ウイーンの南の温泉町、バーデン出身のアヌルフライナーは知り合いというわけでもないが、当時、ウイーンから出ていた美術雑誌のグラビア頁のお隣さんだだった。ライナーの一折りの作品(これは16頁分を意味する」の隣があたしのスナップショットの一折りであったりしたからだ。歩ロックがJPならライナーはARと略称される。
アクションペインテイングがとっくに美術史の領域で語られる時代になって、当時のアーチストの破天荒な暮らしぶりとか、アル中ぶりが伝説化する時代になってしまったのは恐ろしい現実だ。
屋根裏プラハの書評が「芸術新潮」に掲載されたので、そのサンプルが送られてきた。これは今の時代にJPを展覧するのに、面白い。しかも会場に芥川賞の若い女性作家を配するなどは、想像の他である。
JPのエキセントリックな暗しは「芸術新潮」の特集記事に窺えるが、ARの方も神話が沢山あって、貧しい時代には故郷バーデンで「空き缶拾い」をしていたという神話がある。ただしARがまだ弱点なのは「生存作家」である点だ。時代が異なるとは言え、JPには比較にならない。
あたしの知る、ARは1970年代にウイーンであった彼である。今、どうしてるかなと画像検索して相当なじじいになっているんで、吃驚した。映画の仕事を手伝った、VS(フォルカーシュレンドルフ)の近影をオンラインに見て、やはりじじいなっていて吃驚したが、1970-2012と言えば40年は経過しているのだから、当たり前の話である。

























































