FED2と、アンダーパーフォレーションエフェクツ
あたしの人生の奇跡というのは、食うや食わずでそれでもまだなんとか生きているという点にある。24歳でフリーになってすでに40年間が経過しているのだから、あたしの驚きはクレムリンから赤旗が降りたことや、伯林の壁の崩壊や、大震災も大問題だが、それらを経験したあたしがまだ存在していることだ。
一番の謎はこの1947年極東生まれの自分の存在だ。人間の生まれた場所とその時間ほど不可思議なものはない、と言われる通りである。
1970年代のウイーン暮らしでもカメラはろくなものを持っていなかった。そこでソ連製カメラと出会ったので、あたしは経済的に助けられ、同時に写真表現でも助けられたわけである。異なる経済体制でももとで生産される当時のソ連のカメラはその中のわずかな量が、バーターとか密貿易で当時の西側世界のフロンテイアであったウイーンに持ち込まれた。
このカメラ、フェド2型もそのような「もう一つの国」から来たカメラであった。
もっともウイーンのカメラ店ではお店の場所ふさぎであるから、ほとんど只みたいな値段で売っていた。ほぼ上等の牛肉が5キロほどの値段でレンズ付きのソ連製ライカは手にはいった。ただし高価神戸ビーフではない。普通の牛肉である。そのようなライカに対する代替品のつもりで手にいれた、フェド2だったが、あらたな驚きがもたらされた。
当時、ロバートフランクの作品に心酔していたので、初期のスイスから移民して、アレクセイブロドビッチに師事していた初期のフランク作品のスクラップブックをニューヨーク近代美術館のコレクションの中に発見した。そのすでに変色しかかった、メキシコのシリーズは画面の下部に点々と、パーフォレーションの闇が画面を浸食していた。これにやられてしまったのだ。
ようするに初期のライカなどで、フィルムのカメラ本体への差し込みの量は不安定であったりすると、この黒い斑点が画面に登場する。その真似がしたかったのだが、あたしの持っていたライカM2は高級機だからそんな問題はおきなかった。
ウイーンのカメラ店で手にいれたクラシックなフェド2ではそれが可能だった。この効果を利用した作品は、フランクの初期作品の真似なのであるが、あたしの写真集「ウイーン ニューヨーク 新潟」のウイーンのセクションに収録されている。
十数年前に数寄屋橋のギャラリーで個展をした時、そのいわゆる「アンダーパーフォレーション」のモノクロプリントを何点か展示した。その言葉が和製英語であることは分かっていたので、会場に詰めていたあたしは、英語の母国語の客を待ち受けていたのである。ようやく発見した、アメリカ東海岸の人に、背景を説明して、この状態を英語で一体、何と呼んだら良いのでしょうか、と問うた。
くだんの外人さんは、写真の素人さんであったが、あたしの英語の意味を理解して、しばらく考えてから「アンダーパーフォレーションエフェクツ」で意味は通じであろうと指南してくれた。
それでフェド2型はあたしには、そのアンダーパーフォレーションエフェクツを発生させる大事なカメラなわけである。ついでに自慢するのなら、この初期型のフェド2はその距離計窓が四角いのである。後期のモデルは丸くなってしまう。丸でも四角でも構わないようなものだが、こっちの方が好きだ。



