屋根裏プラハと、FEDと、アンネさん
話題沸騰でCP+で三時間待ちの、OMDをあたしも早速使ってみたいが、テストレポートはもう少し先になりそうだ。
それでそういう「カメラの空き時間」を狙って、上のカメラFEDの1934年モデルを持ち出した。佃地方の我が家から出て、ぼけこっこさまのケージのある、佃島小学校の前あたりでどうもフィルムの巻き上げの具合が悪い。
それで佃島公園の中にある、あずまやにてFEDを分解して各部点検していたら、向こうから「写真撮っていいですか?」と声がかかった。声の主は外人さんである。この状況を判断するに、欧州から来た外人カメラマンが、極東は地の果ての佃島の老人があずまやで休憩している所を撮影することになるわけで、実に民俗学的な写真の魅力に満ちているのでは、と、これはあたしの勝手な想像である。
その女性の日本語はあたしよりうまい。だいたい、あたしは日本語のネーテイブスピーカーであるから、日本語をぞんざいに扱う。
あたしは英語も独逸語も無手勝流でそれなりに用を足しているのであるが、外国人と日本語で話しをするときには、緊張する。主語動詞時制格変化をちゃんと話そうとするンのである。
最初は昨日、日本に来たツーリストさんかと思って、「日本語がお上手ですね」と聞いたら、ヘルシンキから来たアンネさんと言う人だった。昨日、ヘルシンキからフィンエアで到着したのかと思った。
そこであずまやの中で日本語会話をしてみたら、アンネさんはスエーデンの大学の日本語学科を専攻した方で、しばらくはチエコのブルノにも住んでいたそうで、あたしが見せた「屋根裏プラハ」のチエコ語のサブタイトルを理解するようなレベルの高さだった。いえ、もちろん日本語のテキストだって理解できるのである。
それで持ち合わせていた、「屋根裏プラハ」を贈呈したのだが、だんだんお話を聞いてみると、アンネさんはお子さんが生まれてからは育児に専念しているそうで、やはり東京のフィンランド学校でちゃんとフィン語をお子さんに教育しているという。これは当然であって、その逆の状況で欧州で生まれた日本人の子供さんが日本語で苦労したりするのをあたしは知っている。
ここで何が面白いかと言えば、もし、あたしの戦前のFEDが普通にフィルムを巻き上げていたら、こういう「国際交流」は起こりえなかったわけだ。実に時間の偶然が紡ぎ出す出会いとは不思議というわけである。
別れ際にアンネさんのフルネームをお聞きしたら、名字は日本人の名前であった。何のこともない。つまり、あたしは「日本の方と日本語で会話」をしていたのである。
その夜、アンネさんから丁重な本のお礼のメールをいただいたので恐縮した。言うも愚かであるが、それは日本語のテキストなのである。
ところでアンネさんは日本語を勉強する以前に、ロシア語を専攻していたそうだ。当然の話で、サンクトペテルブルク前に広がる海は、フィンランド湾なのである。ロシア語とチエコ語には共通点があるので覚えやすいとアンナさんは言う。しかしあたしは何度かチエコ語を勉強しようとして、あまりに子音が発音困難なので投げ出した口なのである。だからこういう人はやはり語学の天才と言うべきであろう。
★アンネさんが撮影した、あたしのフリッカー画像はこちら。
http://www.flickr.com/photos/akurashashin/6899242643/#/




