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2011年5月18日 (水)

辛子似誇負より、こっちがいい

Photo_3

あたしは辛子に誇負の、いやカラシニコフのハードカバーの分厚い本を持っている。ソ連が崩壊してしばらくしてからモスクワから買ったものだ。印刷なども素晴らしくて英語とロシア語で説明がある。

最初のカラシニコフは1947年に登場した。あたしと同年代だ。それ以来、この突撃銃が何億の人間を殺傷したのかそれは分からない。しかし銃弾は当たれば死ぬし、怪我も分かる。放射能はそれが見えないのでかえって怖い。大量殺戮ならメルトダウンの方が上である。放射能と比較するとカラシニコフの方が穏やかに思えるのは殺傷する方とされる方の一対一の関係がそこに見えるからだ。

放射能の場合はそうは行かない。発明者のカラシニコフさんはその本の巻頭で「おれは世界に平和をもたらす為にこの銃を発明した」とか言ってる。言い訳も出来ないのでそういう風に居直ったのであろうが、原子力は安全のいい加減さより、今の状況ではかえって納得が行くのも不思議だ。

カメラは銃器に似るのも思えば不思議な縁であるのだけど、このフォトスナイパーはもとをただせば、赤軍の兵士の偵察用のフォトガンであった。それをカメラ好きのソ連の偉い人、フルシチョフ第一書記の肝いりで生産されたのがこのカメラである。

1973年のモスクワの5月の対独戦勝記念日にたまたまモスクワにいて、ぐむ百貨店にカメラを買いに行こうと思ったら休みであった。赤の広場を行き交う人民がカラシニコフを肩にしているので、今更に剣呑なゲリラが居るなあとおもったら、何のことはない、フォトスナイパーを肩にしているのであった。

四半世紀前にアサヒカメラのテストでこの銃を試したことがあるが、なかなか良く写る。ただしこういう剣呑なスタイルのカメラを持って東電前などに行くと即、公務執行妨害でぱくられそうだ。

このフォトスナイパーも何年前からアトリエにあるのかそれは不明である。せっかうなので、フィルムを入れて窓から北に見える、スターリン建築様式のホテルなどを撮影して遊んでいる。

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